南方三十三館

南方三十三館とは、鹿島・行方にあった常陸大掾氏の支族の居城。

大掾氏古くから常陸の国に勢力を持っていた。常陸の国の覇権の野望に燃える佐竹城 の佐竹義千宣は、天正18年(1590年)の豊臣秀吉の小田原征伐の際、小田原攻めに加わらなかった という理由で、水戸城の江戸重通を滅ぼしたあと、府中城の大掾氏を滅ぼす。

大掾氏を滅ぼした佐竹義宣は、次に鹿島・行方地方に大きな勢力を持っていた大掾氏の一族、南方三十三館の領主を佐竹城に呼び出し、 天正19年(1591年)2月9日、佐竹城に来た領主親子15人を殺害した。そして領主のいない三十三館を攻め、滅ぼした。

佐竹城で誅殺された三十三館の主な城と城主は次の通りである。

芹沢(せりざわ)城=玉造町芹沢。大掾良幹の子孫である芹沢良忠が築いた。国幹のとき佐竹氏に殺害された。

玉造(たまつくり)城=玉造町玉造。嘉応2年常陸大掾氏の一族、行方宗幹が築いた。重幹のとき佐竹氏に殺害された。

手賀(てが)城=玉造町手賀。行方家政が築いた。高幹のとき佐竹氏に殺害された。

武田(たけだ)城=北浦村武田。応永年間武田信久が築いた。信房のとき佐竹氏に殺害された。

小高(おだか)城=麻生町小高。常陸大掾氏の一族、小高為幹が築いた。佐竹氏に滅ぼされた。

麻生(あそう)城=麻生町麻生。常陸大掾氏の流れを組む麻生氏が築いた。島崎氏に攻め落とされ、島崎氏が支配していた。

島崎(しまざき)城=牛堀町島須。常陸大掾氏の流れを組む島崎高幹が築いた。義幹(安重)のとき佐竹氏に殺害された。

烟田(かまた)城=鉾田町烟田。大掾氏一族、徳宿幹秀が城を築き、烟田氏を名乗った。通幹のとき佐竹氏に殺害された。

礼(ふだ)城=大洋村札。鹿島大掾氏の出馬場氏が築いた。幹繁は佐竹氏に殺害されようとしたが逃れた。

中居(なかい)城=大洋村中居。鹿島大掾氏の流れを組む田野辺政幹が築いた。秀幹のとき佐竹氏に殺害された。

鹿島(かしま)城=鹿島町城山。常陸大掾氏の一族、鹿島政幹が築いた。晴房のとき佐竹氏に殺害され、城も落城した。

鳥名木(となぎ)館=玉造町鳥名木。常陸大掾の流れを組む岡田貞政が築いた。佐竹氏に殺害された。

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