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杉本城
杉本(すぎもと)城は、三浦に城を構える三浦義明の長男杉本義宗によって築かれた。
三浦氏は、次男の義澄が継いだ。杉本寺には、三浦氏内部の勢力争いの際、杉本太郎義宗に放たれた矢が地蔵尊に当たり、 傷跡から血がにじんでいたという身代地蔵が安置されている。当時は嫡男が後をとるという風習は無く、一族でもっとも 力のあるものが後を継いだ。義澄に跡を継がせるため義宗は三浦氏を追い出され、命を狙われたのだろう。 義宗の奥方は、長江義景の妹である。義宗は若くして死んだ。 嫡男の義盛は後を継がず、和田に住んで和田を名乗った。後に別当となったあの和田義盛である。 そして次男の義茂が後を継いだ。治承4年(1180年)8月24日の小坪合戦では、 杉本城にいた義茂は、嫡男義盛の要請で、犬懸坂を通って名越の下で濱を見て、畠山の軍勢に突っ込んで、激戦となった。 その後、城は拡張されて、鎌倉時代末期には、堀切、溜池、詰の場所などが作られ、搦め手は瑞泉寺の方まで伸びている。 建武の中興のとき、延元3年(1337年)後醍醐天皇の綸旨を受けた北畠顕家は、室町幕府方の足利義詮がいる鎌倉を攻めた。 その際、杉本城は一日で落城し、斯波三郎家長以下300余名が討ち死にした。 写真は杉本寺の入り口。 JR鎌倉駅5番乗り場から23,24,36系統のバスで約10分。「杉本観音」下車。城跡は杉本寺の裏側にある。 外から寺の裏側に回ってみたが、城跡に入る道は、見つけられなかった。 |