アッシジの聖フランシスは確実に気違い病院に入っていたにちがいない。
樹に話しかけ、アーモンドの樹に言っている、「シスター、お元気ですか?」_____もし彼がここにいたら捕まっていたにちがいない。「シスター、私に神を歌ってください」と彼はアーモンドの樹に話しかけたものだ。しかもそれだけではない_____彼はアーモンドの樹が歌うのを聞く!
狂っている!治療が必要だ!
彼は河や魚に話しかける___しかも彼はその魚が自分に応えると主張する。彼は石や岩に話しかける___彼は狂っているという証拠がほかにもまだ必要だろうか?
彼は狂っている。だがアッシジの聖フランシスのようにあなたも狂いたくはないかね?ちょっと考えてごらん_____アーモンドの樹が歌うのを聞くことができる能力、樹の中の兄弟姉妹たちを感じることのできるハート、あらゆるところに、まわりじゅうに、あらゆる形のなかに神を見るハート・・・・・。
それは最大限の愛のハートにちがいない、全くの愛がその神秘をあなたに明かす。だが論理的なマインドにとっては、もちろん、これらのことはナンセンスだ。
私にとってはこれらだけが意味のあることだ。狂いなさい、もしできるなら、ハートから狂いなさい。
__________OSHO
Ancient music in the pines より抜粋
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