コールマン山絵日記

 

 夏休みを利用して、師匠こと岳工作氏と南アルプスのミナミの帝王ならぬ主峰赤石岳から荒川三山にかけて縦走してきました。


8月16日  ―樹林帯のつらい登り―
 「おい!起きろよ!」早朝ビジネスホテルで岳氏のこの言葉より今回の山行きは始まった。昨夜静岡駅で岳氏と落合い1泊してのことである。
まずは始発(5:43)の静鉄バスに乗り畑薙第一ダムへ、10キロ以上の荷物は料金5割増で2人で計7660円。バスに乗り込むと2人共ぐっすり。
約3時間半バスに揺られて9:10に到着。そこからさわら島まで東海フォレストの送迎バスへと乗り継いだのであった。この送迎バスについて少し
説明。このバス料金は3000円、だが東海フォレスト直営の山小屋に「1泊2食付きの宿泊」をすれば料金がチャラになるシステム。そんなんで
今回は1泊は山小屋泊まりを想定しての登山である。とりあえず3000円払って領収書を受け取りバスに乗り込んだ。この領収書小屋で見せると
3000円分が引かれ、帰りのバスは小屋の領収書を見せるとバスがタダということである。こちらは約1時間のバスであった。
 さていよいよ登山開始。10:30赤石登山口より、のっけから階段。これから打ち続くであろう急登を予感させるに十分であった。樹林帯の登りの
ため景色は単調で、登りデンデンのこちらも単調な道。肉体的にもそうであるが精神的にもバテ気味となる。13:00に下界のコンビニで買った弁当
を食べるが、唾液が出ず食も停滞気味。昼食後も、これでもか!これでもか!という感じで樹林帯の登りは延々と続くように思われた。で、我々が
赤石小屋に到着したのは、小屋の前で多くの人が夕暮れの憩いを楽しむ頃(16:55)であった。
 一休みしてチェックイン。「おや!関西から来られたんですか」と住所を書き込む私を見て小屋オヤジ。そのオヤジはバース髭にタイガースハッピの
出で立ちであった。バース髭に寝る場所と食事時間聞き、とりあえずザックを寝場所に置いて確保。ふたたび小屋のそとに出ると赤石岳のアーベン
トロードが......。その名の通り真っ赤に燃えていた。
 夕食後、焼酎・ウィスキー抱えて外に出てみると満天の星空。天の川銀河に白鳥、サソリのS字もくっきりと。「あれが彦星織姫です」と、バース髭。
星空宴会は一人登山に来た初心者の女性も加わり消灯ギリギリまで続いた。

赤石小屋での岳工作 赤石小屋からの赤石岳

8月17日 −人を恐れぬ雷鳥たち―
 小屋の朝はさすがに早い。我々も昨夜は早くシュラフに潜り込んだため5時には食事。テントを撤収しなくて良いため6:05には出発となった。
ここから遥か眼前の赤石までのがんばりである。6:45富士見平に着。その名のとおり、振り返ると雲海から頭を出してる富士が大海原に浮かぶ
島の様であった。ここからはしばらくすると赤石直下の登り、このころより日差し強く暑い。時おりほほをなでるそよ風と背後の富士に励まされての
苦しい登りであった。
 ようやく10時山頂へ。山頂からは百間平の大きな敷地が眼下に印象的であり、聖、荒川が大きな山のうねりを見せていた。パンとコーヒーの昼食後11;30荒川方面へと踵を返した。12:00小赤石を経て、大聖寺平まではけっこう急な下りであった。   「オ、ちょっと待て!」と言うなや否や
カメラを取り出した岳氏。レンズの追う先はなんと雷鳥が数羽、中には親子と思しきのも居た。「ここ(南アルプス)は人が少ないから逃げへんのや。
北は人を怖がって逃げよる」の岳氏の言葉通り、鳥達は岳氏のシャッターチャンスをふんだんに提供していた。
 13:40荒川小屋に到着。しばしレモンに蜂蜜をぶっかけたのをかじり休憩。14:00中岳避難小屋目指して再び歩き始めた。それは、明朝悪沢の
頂上から御来光を仰ぐための最後の一踏ん張りであった。30分ほど歩いた場所で水場に到着。避難小屋は水が無い為ここで給水。給水中中岳方面
から登山者がやってきて10リッタのポリ袋に7分ほど水貯めて、荒川小屋方面へと下っていった。そんな水担ぐその足はやたら太くそのときは、
それが妙に印象的だった。 さてこのころから雲が垂れ込め天気は下り坂の様相。おまけに急登。小屋は遥か遠い雰囲気であった。
 15:58中岳到着、さすがに疲れた。でも避難小屋はすぐそこに見えてる。  「オイ、俺の荷物担いで小屋まで行ってくれるか?」
「1歩1000円やったらいいですワ」など冗談話から、実際歩数測ってみると259歩。「契約成立してたら25万9千円のボッカ料ですワ」 
「アホ、アンタ足短いから歩数不当に増えとる!」
 小屋で荷を下ろし、今夜は素泊まりであるため、さっそく夕食の準備。メニューはフリーズドライのすき焼き。今回は軽量化のためおかずはフリーズ
ドライ米はアルファ米に、「フリーズドライもアルファ米も昔に比べて美味くなったなー」と岳氏。今後も使えそうである。
 食事の後、焼酎飲んで小屋の黄昏時を楽しむ。すでに他の登山者は2階の寝床で早くも寝息(一部にはいびきも)。こんな早い時間に寝て、
皆何時に起きるのか?と思いつつ、我々も明朝の御来光のため早々に、でも一番最後に寝床に入った。

雲海に浮かぶ富士
(富士見平より)
赤石山頂の岳工作 赤石山頂の筆者 広広とした大聖寺平

8月18日 ―感動のご来光―
 「おきろよ」とまだ暗い中で岳氏に起こされた。まわりはまだ寝ている。そーーと、寝床を抜け出し出発準備。外は昨夕と打って変わって。雲が晴れ
星が美しい。御来光を仰ぐ絶好のチャンスに眠気も覚める。気温は8度、上にウィンドブレーカーを羽織ればちょうどいい感じ。ヘッドランプを装着し、
3:15出発した。まずは慎重に岩場を下る。眼前には悪沢の黒いシルエット、星がきらめく宇宙空間を背に、地球という惑星を歩いて行った。
1時間もすると周りも明るくなり、御来光におくれるのではないかと、ややあせる。ヘッドランプが不要になったころ(4:35)悪沢に着いた。
間に合った。山頂の周囲は雲海で雲海のかなたに富士が、そのやや左手の雲海の表層にオレンジ色の縁取りが左右に少しずつ広がっていた。
しばらくしてそこから1点の光が、御来光の瞬間でった、時刻は5時8分。みるみる光は大きくなり雲海と赤石を染め、反対側には悪沢の巨大な影が雲海に横たわっていた。
感動の時、思わず光に向かって手を合わせる我々。
 ここから千枚への道は眺望の良い下りであった。高山植物も美しく、また歩いてきた赤石小屋や荒川小屋も遥かに見え、歩いてきた実感に浸る。
7:30千枚岳に到着。このころより雲多くなり、天気は明らかに下り坂の様相。千枚小屋についたとき(8:05)は小雨になっていた。ここでラーメンを
作り、ゆっくりし、あとはさわら島まで楽勝、との雰囲気に浸っていた。ゆっくりして、9:35に出発。初めのころは快調に歩を進め、岳氏も苔むす森の
様子をカメラに収めたりなどしていたが、蕨段を過ぎる頃からさすがに疲れが出始め、当初の楽勝ムードもどこえやら、寡黙に足を引きずっていった。
川が見えた頃には疲労はピークに、さらに追い討ちをかけるかのように、いくつか橋が破損していた。 で、ころがりこむようにさわら島に着いた。
(15:25) ザックを下ろし、何はさておき生ビールである。某ビール会社CFのチキチキバンバンよろしく「ヒャクパー!」って感じで一気に喉へ。
 夕方、テントサイトでテント設営し、「明日は帰るだけ、こころおきなく飲める!」。ゲストはさわら島で再び会った10リッタ水ポリオヤジ氏。かの御仁、
「早く寝ようと思ってたんだよ」やや気取りつつも、マグカップ片手にやってきた。この御仁そんな最初の言葉とは裏腹に、ハイペースで飲みつづけ、
関西を話のネタにしつつ、きっちり我々の酒を空にして、テントへと帰っていった。山で出会った面白い一人であった。

悪沢岳からのご来光 

雲海に悪沢の巨大なシルエット 赤石のモルゲンロード 傘をかぶった赤石

8月19日 ―構造改革登山!?−
 昨夜寝たのははおそらく12時近くであったろう。でもなぜか6時半には見ざめ、手際よくおかゆを作りテントを撤収して、8時発の送迎バスに乗車。
そこあとは、9時40分畑薙第一ダムから静鉄バスへと乗り継ぎ、13時に静岡駅に到着し下界へと帰ってきた。
 「今回は早起きのおかげで大正解やったな。今までみたいに朝ゆっくりやたらあかんな。」
 「まるで構造改革ですね。日本経済より先に果たしましたね。」
など、総括しながら共に新大阪まで缶ビール傾けていた。

プロジェクトの終焉
(さわら島キャンプサイトにて)