コールマン山絵日記

この夏は今回の山はちょっと目線を変えて東北、主に日本海側の名山(月山、鳥海山、白神岳、岩木山)を巡ろうとの計画。いかがあいなったでしょうか?


8月5日 −霧の月山へ―
 午前10時、山形新幹線「つばさ」のホームで岳氏と再会し、共に10時16分発の新幹線に乗り込み、まずは山形へと向かった。
13時に山形に到着、そこからバスを2本乗り継いで目指す月山麓の姥沢へと向かった。バスの車窓からは時折月山方面を確認するが
厚い雲に覆われており一抹の不安。15時姥沢に到着。月山山頂小屋に宿泊の旨の電話を入れ、リフトを乗り継いで15;50分
いよいよ登山開始。しばらく歩くと雲の中に入り眺望がまったく利かなくなり、肝心の月山の山容も確認できず、お互いのっけからしんどい
登り。「おい、あとコースタイムどれくらいや!」と休憩時にお互いの地図で確認。「あと1時間ぐらいですね。」「なんでやワシの地図は
1時間半やで」同じ昭文社地図。結局は「あんたのは関西版やろ、せっかちな関西人にあわせとるのや」と冗談まじりの岳氏の結論、
まだまだ、このときは余裕があったのであった。さてその余裕も月山直下の登りではガスに加えて体がよろけるような激しい風。まるで猛吹雪に
翻弄されるように月山山頂小屋に到着17;55であった。
 小屋にはストーブを囲んで数人のパーティがすでに寛いでいた。我々は一部屋に通され、山小屋では破格の扱いであるが、この部屋たぶん6畳
くらいあろうかと思える部屋を2人で使えることとなった。さてビールで乾杯し、天気について小屋のおばさんの話を聞くと、どうも青森、秋田
にかけて前線が停滞し、しばらく天気は悪いとのこと。今後の鳥海山、白神への不安が大いによぎる。夜、酒を飲みながら話題は今後の 
天気のこと、「今回の山行きは、天気悪かったら軟弱に温泉宿という誘惑があるで」といいつつ極めつけは岳氏即興の替え歌「♪ 後ろ髪引く
温泉宿〜、背なで断ち切り♪」(みちのく一人旅)。ともかく今後の天気に不安をのこしつつ消灯した。


8月6日  −鳥海山一時撤退ー
 この日、本来ならば4時に起きてご来光をと考えていたが、今朝も同じく濃いガスと激しい風のため断念。結局5時15分に起床となった。
朝食にラーメンをすすり、弥陀ヶ原方面へと6時25分出発。山頂小屋のすぐ上に月山神社に参拝。ともかくこの天気回復して欲しいの
一心でお参り。神職さんにお祓いもしていただき、神社内にある山頂に立ち、お神酒をいただいて再出発。 7時30分仏性池小屋で
一時休憩を挟み、、弥陀ヶ原に到着、ガスがなければどんなにすばらしい場所かと思うと残念。8時55分に8合目バス停に着き、
9時5分発の羽黒山方面のバスに乗り、休暇センタで乗り換えて鶴岡へと向かった。月山8合目からほど近くバスが下ると、すぐにガスも
晴れて、なんと下界はいい天気。バスは定刻通り10時55分に鶴岡駅に到着。
 さて以降の山はレンタカーを使って登山口まで行っての登山。ここ鶴岡駅でまず借りて、最終目的地の弘前駅で乗り捨て契約にて
借りた。JR切符とレンタカーセットで運賃と特急料金の割引制度を利用できなかったのがちょっと後悔。今後は大いに利用したいシステム
である。さて駅前で昼食を取って、酒田経由して鳥海山ブルーラインで登山口へと向かった。しばらく走らせると眼前には鳥海山の 
広大な稜線、しかし中腹以上は完全に雲の中、月山のように濃いガスと激しい風が想像できた。車は14時半ごろ鉾立登山口に着く。 
想像通りの濃いガスと激しい風。お浜小屋まで行くか、鉾立で1泊するか、下界の宿に一旦撤退するか、この3案について岳氏と議論。
「山は臆病なくらいがエエんや!」と岳氏、さすがにこれ以上進むのはどうかと思い、お浜小屋に進む案は却下。今後の天気予報では明後日
が比較的良いとのこと、「明後日朝のご来光に賭けよう」と意見が一致し、それなら明日は山頂小屋まで行けばよく、今夜は体力を温存
させることも考えて、一旦下界に戻って宿に泊まる事と決めた。延々1時半にわたる議論の末であった。宿は鉾立ビジターセンターでパンプ
をいただき、電話で宿泊を予約し国民宿舎「とりみ荘」にこの日は泊まった。 


8月7日  −霧と暴風の鳥海山ー
 7時に起床。空を見るとなんとなく青空の範囲が広くなっているような感じ。ちょっと期待をもちつつ再び鳥海ブルーラインを走らせて
鉾立へ、昨日と打って変わってガスも無く鉾立から日本海の眺望が望めた。ただ山頂方向は以前雲に覆われており、天気に関して  
不安が完全に払拭されたわけではなかった。さてレンタカーをここ鉾立登山口に残し10:20に登山を開始した。お浜小屋までの  
中間地点賽の河原に11:30に到着。この辺りよりガスの中に入り、お浜小屋に着くころ(12:10)には濃いガスと激しい突風に見舞われた。  
お浜小屋で一旦休憩して昼食をと思い扉を開けると、「休憩は200円。ぬれたザックはビニールの上へ!」と神経質そうな声が奥から。
目で「外へ出よう」と岳氏。「まず一言”いらっしゃい”とか”お疲れさん”っていわれへんねん。」まったく私も同感であった。
さて食事を終えて再び山頂に向かって登ろうとするが、ますますひどくなる風にちょっと二の足を踏む状態。それは他のパーティも同様で、
そのいくつかは途中まで行って引き返して来ていた。「上まで行かれますか?」とソロ登山者が私に。「ええ行きますが、、、」
「よかった!誰も行かないならやめようと思ってました」というが早いか、すぐさま霧と暴風の中の人となって行った。我々もすぐ後に意を決して
出発。12:40であった。
 七五三掛までは予想以上のガスと暴風。分かりやすい登山道にも関わらず七五三掛付近でコースを誤りかける。そこからは比較的風が
しのげるようにと千蛇谷にコースをとり、雪渓を渡り山頂へ向かう。山頂近くなると千蛇谷で一旦静まっていた風が再び激しくなり、疲労の
色も激しくなる。遠くのガスでぼんやり見える大岩が小屋に見え、近づくとがっくり、を繰り返し進んでいった。そんなとき前からお浜小屋での
ソロ登山者が、「小屋は近くですよ」と、彼はもうすでに頂上に行って、さらに長い帰路に向かうのであった。一方の我々は15:20にようやく
山頂小屋に到着。荷を降ろしストーブで暖を取っていると、しばらくして20数名の中高年団体が到着。一転してにぎやかに。
ほどなくして彼らの夕食時間、みな潮が引くように小屋の食堂へと向かっていった。再び静かになり我々は自炊を始め黙々とその日のメニュー
であるアルファ米ご飯にフリーズドライすき焼きをぶっかれての、いわゆる牛丼。  「兄ちゃんらいい物食べてるね!」と食事から戻った団体の
第一声。なんでもおかずなし、お茶もなしといった小屋の夕食、団体さんはブーイングの嵐。重い自炊道具や食料を担いで登った我々はさも気の毒
そうな表情の陰で、ほくそえむのであった。ただ飲料水500CCが500円はいくらなんでも高い、北アでは確か1人1Lの制限はあったが100円
だったように記憶している。ミネラルウォータを下界から運ぶからとは聞いたが、天水煮沸では駄目なのか?ぼったくりバーも真っ青といったところか?


8月8日  −やっぱり霧と暴風の鳥海山ー
 この日は御来光を、と儚い希望を抱いて昨夜は眠りについたが、4時一旦目が覚めて窓の外を眺めると、昨日と同じ状況。  
あきらめて二度寝して起きたのが5時半。朝食のラーメンをすすり、カラ荷で山頂に向かったのが7:15。山頂までは大きな岩のガレ場を  
登って行く。頻繁に矢印マークはあるものの視界が悪く迷いつつ進む。山頂には7時35分到着。相変わらずのガスと風。「鳥海山頂」  
と書かれた立て札が辛うじてここが山頂ということを判らせてくれていた。
 さて、小屋に戻りザックを担ぎ鉾立までへの下山を開始した。途中、岳氏は転倒し腕にキズを負うアクシデントなどもあり、二人とも
疲れ果てての下山であった。ようやく13時25分鉾立にたどり着いた。昨日同様、下界は相変わらず天気がいいようである。
これで、ガスと暴風に翻弄された前半戦は終了。白神、岩木の後半戦のは、、、、。前線は秋田青森で停滞、、、連日の大雨の模様。
 
 車は国道7号線を日本海海岸線沿いを快調に北上、、、。その日の夕方に白神山地近くの秋田県八森村にある民宿潮路荘に到着。
雨は降ってないが、山のほうは不気味な黒雲が横たわっていた。それともうひとつ懸念材料として、岳氏の以前からあったお尻のできものが前日までの
登山の影響で化膿を始めた様子。歩くのも辛そうな感じ。
宿の窓から見える日本海、遠くの男鹿半島が物悲しげに見えたのは単に「みちのく」という最果てのイメージだけがそうさせたのではあるまい。


8月9日  −岳氏 病院へー
 朝、心配された雨は無い。一応宿の勧めで白神の情報センター「ぶなっこランド」に立ち寄ることとした。ここの親切な職員さんに  
白神岳の情報を聞いていただき、結局は今後の天候、登山道のあれ具合から危険と判断。青秋林道の終点から二つ森岳に 
登ることとした。
 「青秋林道」、本来は白神山地を貫いて秋田青森を結ぶ道路。プロジェクトXでも取り上げられたように白神の自然を守るため
地元の人たちが立ち上がったあの道路である。「道路出来ることで逆に田舎は寂れるんや。なまじ便利なってみな東京へ行くからな」と
助手席で岳氏。そういえば道路出来て観光客は日帰りになって金が落ちなくなった観光地の話もあったなー。自然が破壊され、かつ 
税金が費やされるだけの道路が多いのとちゃうやろか?政治家やお役人はよく考えていただきたいものである。(無理かな?)
 さて二つ森岳登山口に到着、が同時に滝のような雨、、、。さらに「おい!化膿してないか見てくれ!」、、、それは素人目にもひどい状態。
山をあきらめる決心するに十分であった、というよりまずは病院への状態、ということで能代市の山本組合総合病院へ。道中もワイパーが
役立たない位の雨であった。「事前に”保険証持ってこいよ!”と言った俺が使うとは」と言って岳氏は病院へ。外科医は単純明快速攻。
すぐさま切って膿を出した模様。ただ明日も通院必要とのこと。いづれにしても山行きでは保険証は必携であることをお互い再確認したのであった。 
 病院を出たのが昼過ぎ。この日の宿泊は藤里方面のキャンプ地でバンガローを借りようと思っていたが、途中道の駅で確認し、電話を
したところバンガローはなく、テントもこの悪天候では使えないということで、民宿を探すことになった。で、岳氏が方々電話をし藤里村の 
「藤駒荘」に素泊まりでとまることとなった。
 一旦チェックインして「白神山地世界遺産ビジターセンター」「素波里湖」に立ち寄り、暗くなる直前に宿に。
宿での自炊であるが台所を借りての自炊。その横で宿のマスターが瓶ビール片手に夕食中。我々もその横でマスターと共に食事をした。
一人で食事がつまらないのか?「これ食べて!」と次から次へとおかずを出してくれ、いっしょにビールを飲みすっかりマスターと打ち解けたのであった。
結局終わってみれば素泊まりではなく実質1泊1食付の宿泊であった。


8月10日  −1日早い帰還ー
 宿を7時半に出て昨日の病院へ、朝9時より治療。待ってる病院駐車場でのカーラジオの天気予報は依然芳しくない予想を伝えていた。 
「おい!これからどうしようか?」病院を出て車中で岳氏。本来なら青森岩木山方面へと向かうが、このまま1日早く秋田から帰っても、、、、
の気持ちがお互い強くなり、秋田へとハンドルを切った。
 秋田には11時に着いたが、ここも激しい雷雨。結局今回はどこ行っても天気に恵まれなかった。
14:43の「こまち」で東京へ、、、。盛岡を過ぎた辺りより徐々に天気が良くなっていくのがわかった。それと反比例して座席テーブルの焼酎ボトルは
底に達していった。夜のとばりが降りるころ東京へ、ホームではもうお盆休みと思しき混雑が、、、。
私はそののちザックとロング缶2本抱えた「のぞみ」車中の人となり、岳氏は東京の雑踏へと消えていった。