コールマン山絵日記

 8月12日から15日にこの7月世界遺産に指定されたばかりの熊野古道に行ってきました。


8.12 −厳かに本宮参拝ー
 東京ら新幹線とオーシャンアロー号を乗り継いでやってきた岳氏との再会は、紀伊
田辺駅のホームであった。ホームは暑く白く照り返し「世界遺産熊野古道」と書かれた
幟があちこちで、はためいていた。「おい、ちょっと駅前でサンダル買ってくる」と
岳氏、テント生活では便利である。で、入ったコンビニで「あのネエちゃん見たか!
何考えてんねん」客の若い女性が店の陳列台の前で爪を切り、爪を床に撒き散らせてい
るではないか。私も岳氏もこんなとこで爪切る光景は初めてであった。
 昼食を摂ったあと、12時20発本宮行きのバスに乗車し本宮へと向かった。14時
過ぎに本宮に到着。荷物を土産物屋にちょっと置かせて貰い、鳥居をくぐり石段を登っ
て行った。社殿はなべて古式蒼然としており玉砂利を踏みしめると、厳かな気持ちに
なってくる。順に参拝を済ませ、荷物を預けた店に戻ってきた。「この辺でテントなら
川湯が近くていい、歩いて30分程度です」オヤジのこの言で、今夜の宿泊場所は決定
した。川湯へ向かう途中、大斎原へ。日本一の鳥居も壮観であるが、元社殿があった
芝生の地の澄み切った雰囲気が印象的であった。
 しかし川湯までは優に1時間以上掛かり、暑さと湿気でほとんどバテ状態で到着した
のであった。テントをオートキャンパーで一杯の河原で設営し、あたりが薄暗くなった
ころ川湯温泉へ、ここは大塔川の河原を掘ると温泉が湧き出るとのことであるが、実
際多くの人が一人分の穴を掘って寝そべっていた。初めは半信半疑であったが、手で
確かめると、そこそこの湯温、さっそく前の「富士屋旅館」で缶ビール買い、適当な
「湯船」を探して入った。「おい、ここの温泉は正真正銘の天然温泉やで」。最近、偽
りの温泉発覚が多く、最近、社会全体のコンプライアンス低下は酷いばかりである。
小一時間もすると辺りが暮れ始め、星も瞬き始め、虫の音と川のせせらぎが静寂をかも
し出していた。 


8.13  −古道断念し新宮へー
 朝はさすがに暑くて目が覚めた。暑いけどインスタントラーメンを作りもちろんニン
ニクたっぷり。食べた後テント撤収、この撤収するだけでも暑くて重労働。ともかく
9時30分キャンプ地を後にした。ここから熊野古道中辺路に入るのであるが、丁度
「下地橋」バス停のすぐ裏に有り見つけるのは容易いが、ここまで来るのに暑くてフラ
フラ状態も手伝ってか、すぐに分からなかったのであった。そして10時25分ようや
く古道に足を踏み入れた。しばらくは小雲取山までの登り路、急登では無いが、ものの
30分もすると急激に疲労が、「あんた、ダルに取り付かれんたんとちゃうか?」
言い伝えでダルとは古道に出没する亡者のこと。たまらず沢がある場所で休憩し、ザッ
クを枕に真剣に寝てしまったのであった。寝て少しは元気を取り戻し、今日の予定で
ある小口までゆっくりと歩を進めていった。そして1時間ほど歩いたところで昼食休憩
岳氏はフルーツ缶詰とパン、蜂蜜を食したころ、大きなスズメバチが1匹食べ終わった
缶詰にたかってきた。「おい、これに刺されたら、下手したら死ぬぞ!」なぜか岳氏
に蜂は付きまとい、岳氏は蜂を刺激しないよう必死で逃げていた。と、そのとき、
「あっ!靴が!」岳氏の靴の靴底がはがれかかっていた。「蜂から身を避ける時、変な
方向から力入ったんや」「これでは無理や引き返そう」「正直しんどかったんで、撤退
で腹くくれますワ」
 計画を大幅変更し、ともかくバスや電車使って、今日は新宮、明日は那智へ行くこと
を決めた。そう、一言で言えば観光旅行に変更したのであった。
 バスで15時半ごろ新宮に到着。駅前の観光案内所で素泊まりのビジネスホテルを
予約。なんでも今夜は花火大会があるとのこと、チェックインをし風呂で汗流し、
速玉大社参拝し、花火見物をするため、夕暮れの新宮の町に繰り出した。大社までは
ゆっくり歩いて20分程度、社殿は本宮と対照的に鮮やかな朱色。それが背後の木々の
緑のコントラストに映えているのが印象的であった。お参りを済ませたころはあたりも
薄暗くなり、花火会場の熊野川へ浴衣姿、家族連れがそぞろ向かっていった。
我々は河原の川に近い方に進み、土管に腰を据えビール片手に花火を待った。あたりは
すっかり暗くなり、遠くには夜店あかりが揺らめいていた。19時45分の開始に先立
って、先祖供養の読経、灯篭流しがあり、お盆の夏の夜の涼風が河原をなでていた。
そして花火、至近距離での迫力はすばらしく、真上から大輪が迫るよう。中でも圧巻は
真下で見たナイヤガラであった。華やかな光と音、そして闇と静寂、帰省の河原の人
たちは何に思いを馳せていたのだろうか?
 その後、商店街のコーヒー売りの兄ちゃんにすし屋を紹介してもらい、駅前にある
「十二社すし」へ、ここで那智の滝の水で作った冷酒、さんま寿司を堪能。カウンター
隣のおっちゃんと話が弾み、那智の上から富士山が見える話など、地元の話もこの冷酒
の格好の肴であった。


8.14  −那智の滝と海水浴ー
 この日も朝から暑かった。10時過ぎにチェックアウトし、駅に向かう途中で「徐福
の墓」を訪ねた。不老不死の薬草を求めて降り立ったのがこの新宮の地とか。墓という
より、こじんまりとした公園で中国風の雰囲気が新宮の街でちょっと異質に思われた。
 さて、11時10分の普通で那智駅に、ここで土産物屋さんで荷物を預けてバスで
那智の滝へと向かった。那智の滝の途中の「大門坂」で降り、ここから坂を登り詰めて
お参り。空荷であるがやっぱりしんどい。どうも私はどうしても暑さには弱いようで
ある。那智大社には汗びっしょりで到着、体を休めてからお参りをすませた。すぐ隣が
青岸渡寺でここから、滝と三重塔が絵画の構図のように眺められた。ここからひたすら
下り、滝つぼへ、至近距離で見る滝は迫力を通り越していた。今でこそ滝にはマイナス
イオンだとか、癒しの効用だとか言われているが、古代の人はそんなことも全てひっく
るめて、神性を感じたのでないだろうか。
 再びバスで那智駅に戻り、駅前の海水浴場で海を楽しんだ。私はほとんど砂浜で寝そ
べっていたが、波の音が心地よく眠気をさそっていた。夕方タクシーで今夜のホテル
である勝浦へ移動。「補陀洛山寺へは行かれました?あそこが古道の終点です。」と
運ちゃん。ここは行ってないが、歳を取ったお坊さんを船に乗せ、極楽へと漕ぎ出した
という寺。かじり読んだ知識は少しはあったが、「アレは体のいい口減らしですワ」と
歴史の残酷な一面である。
 ホテルに18時前に到着し、展望風呂で汗を流し、部屋で酒飲みながら料理を楽しん
だのであった。食事後、しばらくして別の露天へ、夜の風はすずしく心地よかった。
 


8.15  −めはり寿司をほお張り帰阪ー
 6時ごろ朝風呂を楽しみ、そして朝食。この日は天気が悪く雨もぱらついている。
朝食後、しばらくして、忘帰荘にある洞窟風呂を楽しもうという予定であったが、
仮眠を始めたら眠くて、急に行く気が薄れ、「もうチェックアウトまで寝とこう」と
いうことになった。
 さて、帰りの電車は勝浦10時56分発の特急。車窓の海岸を楽しみつつ、名物の
めはり寿司とビールを堪能。乗って1時間半近くたって「白浜」とか「紀伊田辺」と
いったなじみの駅名が聞こえてきた。和歌山県のその大きさを改めて感じた。
 車窓の風景が日常目にするそれに変わるころ、この山行きの終了を実感。
天王寺駅で私は降りたち、休日の午後で溢れ返る人ごみを改札へと向かった。

 

厳かな雰囲気の熊野本宮大社
朱色が鮮やかな速玉大社
三重の塔と那智の滝の絶妙な構図