今年のゴールデンウィークは岳工作氏と京都の北山に行ってきました。それは北山を巡り日本海を見ようとの試みであった。
5.3 −京都北山の奥地へー
5月というのにまだ肌寒い京都出町柳で岳工作と年末以来の再会を果たした。すでに北山に向かうバス停は登山者で
列が出来ていた。我々は750発広河原行きバスに乗り、840菅原にて下車した。そこはもう京の都から遠く離れた
山里であった。その証拠にまだ花を十分湛えた桜木が1本川べりに。「おい!この時期花見できるとはラッキーやで」
と、出町柳の弁当屋で買った握り飯をほお張り、朝食兼花見を楽しんだのであった。
さてこの日の予定は、廃村八丁から佐々里へ抜ける。そして1015ここ菅原より登高を開始した。1123ダンノ
峠に到着。すでに5,6人の中高年の登山者が来ていた。彼らが先に行った後、「さっきの集団、おっちゃんの存在感
薄かったですね。」「おお!おばちゃんは、ようしゃべるわ」などいい、15分ほど休憩して先に進んだ。しばらくは
快適な下り坂。 同大の自然環境研究の小屋付近で、さっきの集団が昼食中。我々は「お先に!」と脇を通って行った
までは良かったが、しばらく歩き「おい!刑部滝への道とちゃうで!」と岳氏、どうも進む方角が違うようだ。
ルートを探すため、戻って、立ち止まり、地図確認して、を1時間も繰り返し、ようやくルートにたどりた。ホッと
したのもつかの間、例の集団が後ろから近づく。こんな状況で再会するのは、恥ずかしいものである。「おい、ワシら
何しててんいう感じやな」。素直に道を先に譲ったが、この先は急な下り坂。にも関わらず、先を行くおばちゃん
の声高な話し声だけが響いていた。それから、ほどなく刑部滝。滝からは渓沿いを緩やかに下り、1346廃村八丁に
到着した。もうそこは村人が住んでいた痕跡はほとんどとどめておらず、むしろホンマに住んでたんかいな?と思わせる
雰囲気。唯一朽ちた土蔵跡だけが辛うじて、それを物語っているのみであった。
遅い昼食をここで取り、佐々里に下るべく品谷峠へ。一服し道を探すが尾根伝いの道はあるようだが、下り方面は
木々と藪に覆われて登山道らしきものは無く、斜面も急である。何度かトライするも徒労に終わった。地図と方角を
凝視した岳氏「この方向に降りるしかないやろ!」。道が不明な時に下るのは山ではタブーであるが、十分承知の上で
道なき道を突き進んでいった。やや斜面が緩やかになったころ沢に合流。石は苔むして滑りやすく、また滝に出てしまう
最悪のシナリオも想定され、精神的にもキツイ下りが続いていた。格闘すること約1時間半、1730ようやく佐々里に
到着できた。そして、一軒あった喫茶店に飛び込み、ビンビールで乾杯し、お互いの健闘をたたえ合った。野営はこの
店の裏の小渓流の脇に設営、先の店で調達したビンビールで再び乾杯した頃は、この山里にも満天の星空が降っていた
のであった。
5.4 −登山道倒壊ー
5時起床。渓流の朝靄に朝日が差し込み清清しい雰囲気。さて、今日の行程は北水無峠を経てかやぶきの里へ抜ける
計画。朝食の雑炊を食べ720出発。道は小渓流沿いの林道を緩やかに登っていった。途中道の真ん中に鹿と思しき
動物1体分の骨を発見、まだひづめの辺りは肉も残っており比較的最近のものの様子。そうして1時間ほど何事も
無いかのように歩いていたが、「おい、なんか方向違うようやで」と岳氏。良く確認すると北西方向に向かうべきが
南へ南へ道が続いている。そういえば小さな分岐をやり過ごした所があり、そこまで戻って分岐を進むことにした。
「ここもちゃうで!」と先頭を行く岳氏。しばらくすると「あかん!完全に道が倒壊しとる!行かれへん!」。では
さっきの道で合っていたのか?ともかく疑心暗鬼になりつつも、初めに進んだ道を行くことにした。進むこと約30分
またしても登山道が土砂崩れで倒壊、行き止まりに突き当たった。「こりゃ無理やで。佐々里からタクシーで行こう」
止む無くそう決断し、佐々里まで戻った。帰路はなぜか鹿の骨は消えていた。
ここ佐々里は携帯が通じないため、例の喫茶店で電話を借りることにした。まずはコーヒーをすすりながら地図広げ
「やっぱり分岐の道が正しかったんですよ」「でも、あれは完全に道倒壊しとったで!」など、小反省会。そこで岳氏
店のおばさんに、地図広げて訪ねるが、どうも要領を得ない。また本題の電話借りようとしても、「この先の高校に
ボックスがあります」とつっけんどんな雰囲気。「忙しいかどうか知らんが、俺から逃げよう逃げようという雰囲気
やったで!」。しかたなく高校に向かうが、この日は祝日で校舎は閉まっており、もちろん電話も使えない。「ええ
かげんなこと言いやがって!」「しゃーない!あそこの民家で電話借りよう!」。高校の近くに大きな民家があった。
「ちょっとすみません」と開いていた玄関を覗くと、土間で昼間から大宴会中。「あのータクシー呼びたいので電話を」
「ワシ!白タクしたろか?」「まー一杯飲んでいくか?」と上機嫌のおじさんたち。快く電話を差し出していただき
電話をしようとしたら、奥から若奥さんが車で送ってくださるとのこと。恐縮しつつお言葉に甘えることとした。
「かやぶきへの道は崩れて通れなくなってるで、なに品谷から来た?道も無くなったのに、よく来れたな」と赤い顔で
おじさん。「北山でもメインルート以外は崩壊していくんやな」と岳氏。「人が入らず自然に返ればいいのか?」と
ひとりごちていた。「せっかくの宴会中すみません」「GWに実家に都会に出た兄弟集まって宴会していたんです。」
と運転席の奥さん。さわやかな気分は車窓からながれる薫風のゆえだけでは無かった。
さて今日はかやぶきの里のキャンプ地でテントを張ることに。翌日であるが何としても若丹国境より日本海を見たい。
そんな思いで、八が峰登山口(八原)へのアプローチを検討すべく、キャンプ地の管理人に聞くことに。「八原までの
バスの時刻は?」「休日は運休なんです。」ではタクシーでということで、電話番号を聞き、電話をするが、翌日予定
が入っているとのこと。では、ということで「周山のタクシーを教えてください。」と聞き、またまた電話。なんと
美山と同じタクシー運ちゃんにつながり、結局この周辺は1台のみのようだ。万事休すということで管理人さんに礼を
いい外に出た。と、先に、レンタサイクルの看板。「レンタサイクルありまっせ!」「お!ええとこ気付いたなー」と
岳氏も察したそうで、すぐさま急行。「八原までこれで行けますか? あす早朝から借りれますか?」と受付の女性に
質問。「詳しいことは確認してきます。」と足早に、さきほど立ち寄った管理人の棟へ。そしてその管理人と立ち話。
遠目にその管理人と会釈。「また、あいつらか?」といった風情で向こうも会釈。もどった受付の女性から「今日この
まま借りて、明日一日の料金でいいそうです。」とのこと。自転車にまたがり「あの管理人、ワシら見て、自転車いう手
まで考えよたっか!いう感じやったで!」「それで、いい条件で貸してくれたんですかね」とテントサイトまで漕ぎだ
した。
夜は、川べりで食事と酒。川のせせらぎとカジカの声が、酔いを心地よくさせていった。
5.5 −美しい新緑に包まれてー
5時の目覚まし音が鳴り、何とか5時半に起床し、食事を済ませ、八が峰に必要な物のみパッキングをし、
700に自転車に跨り漕ぎだした。この自転車、3段変則はあるが見た目はママチャリ風。「こんな格好で山いく奴は
そうおれへんでー」と岳氏。さて、八原への道は舗装しているがやや上り坂。自転車はさすがに登り坂にはちょっと
キツイ。でも一汗かいたころ740八原の登山口に到着した。ここ自転車を置き、八が峰に向かって登り始めた。ここ
は廃村八丁付近と異なり、かなり登山道は整備されている様子。登りオンリーを黙々と歩を進めて行き、910山頂に
到着。「おい!あれは間違いなく日本海やで!」地図と方角を確認し、岳氏確信の言葉。たしかに目を凝らすと、春霞
の向こうにおぼろげながら、若狭の島や岬が確認できた。この日、日差しは強いが風がさわやかで心地よい。いつしか
2人とも昼寝。鳥のさえずり、木々が風にさわぐ音、いづれも午睡に相応しいBGMであった。
山頂で寛ぐこと2時間半。1143ここを後にすることとした。下りはゆっくりと山々の新緑を愛でながら下る。
瑞々しい命が芽生えた緑が眩しく、時折、山道を緑の風が体を染めていった。しばらくしてスキー場跡に、当時の
靴とビンディングも一緒に朽ちていた。「この靴から見て、30年、40年前やで」と岳氏。また木々の植生を見ると
おぼろげながらゲレンデエリアも想像できた。かつて地元の子供たちがスキーで歓声を上げていただろう。「兵ともが
夢の跡っていう感じやなー」と岳氏ポツリ。
1240に登山口に戻り、再び自転車に跨りかやぶきの里へ、こんどは下り坂。快適に自転車は進んでいった。途中
渓流に入って休憩、この渓流で山椒魚を何匹か発見。よく見ると意外とかわいいものである。こういった小動物が生息
できる渓流は残していってもらいたいものである。
下ってから、かやぶきの里を巡り、そしてキャンプ地の風呂に入り、鹿肉の刺身を肴に生ビールで乾杯。眼下の川べり
では水遊びする子供の姿も見られた。
1700のバスに乗り、園部へそこからJRで京都駅へ行き、ここで岳氏と私は別々のホームに。岳氏は、すでに半袖
に衣替えした雑踏にまぎれて行った。季節は山にいる間すでに春から初夏に一足飛びに進んでいたのであった。
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菅原バス停の桜
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八が峰の新緑 |
かやぶきの里
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