岳工作、コールマンの恒例の夏山登山。今年は、北アルプス黒部五郎岳メインの縦走登山であった。
8.12  −人間万事折立が靴底ー
   早朝の富山駅、東京からの夜行にやや眠気を携えた岳氏と再会。お盆の帰省の時期、やっとのキャンセル待ち
  で、席を確保できたのが2日前ということで、あわただしい登山の始まりであった。
   ここから6時発の折立行きのバスに乗車。バスに乗り込むべく、なにげなくタラップに足をかけた時、「ん?」靴底
  から違和感が、、かまわず座席に座り確認すると、靴底が一部剥がれかけているではないか!岳氏に相談。
  降りて善後策考えるか、ともかく行くか?考える暇もなく、バスは発車していった。750折立到着。「おい!靴底
  じっくり見せてみろ!」みるみる岳氏の表情が曇る。「アカン!。どっかで靴買って出直そうや」。せっかくキャンセル
  待ちしてまで早朝に富山に来た努力を台無しにしてしまったようで、申し訳ない気持ちであった。
   さて、富山へ戻りの交通と折立に再び舞い戻る交通の確認であるが、林道の管理人と思しき人の小屋が、
  「すみません、有峰口とかに登山靴売ってますか?」と事情を説明。どうも富山まで行かないと無いそうである。
  「そうか富山まで戻るしかかいな」と、我々の落胆の表情を哀れんでか?「この車使って行ってきたら」「え!いいのですか」
  思わぬ天の恵み。キーを受け取り勇んで運転席へ、「えっ!」教習車以来運転したこと無いマニュアル車であった。
  ここは岳氏にお願いし、富山まで舞い戻る。そんなこんで1000に再び富山市内へ、行きのバスでチェックしておいた
  スポーツ店へ、店はまだ開店していないようであったが、タイミングよく店主が出勤。なんとか山靴を購入し、再び
  折立へと向かった。「こんな展開なると思わんでー。富山、折立2往復、しかもマニュアル車で、」と岳氏ハンドル
  握り大笑い。張本人の私は、助手席で苦笑するのが精一杯であった。
   1140再び折立到着。林道のおじさんに深々と感謝。さて勇躍して山へ、と行きたいところであったが、天候が
  急変。黒雲が湧き出て、とたんに大粒の雨、そして雷鳴。「今日は折立で沈かな」と、行動を阻むに十分な雷雨
  であった。小屋でしばし待機。徐々にであるが雨脚がやや衰え始め、空を仰ぐと雲の色が薄くなってきた。
  「これくらいならいけるで!」と小雨に変わった中、太郎平に向かった。1250であった。
   登り初めの樹林帯がなかなかの急登り、すぐさま汗が滴る苦しい登り、丁度赤石岳の登りを思い起こさせた。
  樹林帯を過ぎると、石が敷き詰められた道に、石の段差がきつく、また単調。左手には剣岳がまさに魔王の棲みか
  の如く遠くそびえていた。
   そして1703太郎小屋到着。ロング缶700円を買い込み、薬師峠のテントサイトへ、すでにほとんど場所は 
  占拠されており、やや草むらに近い場所にテント設営。一段落し、テントの前で乾杯!そのとき夕焼けが空を
  染めていた。「トラブルあったけど、今日の目的地には来れたな」「それと、バス降りてすぐ登ってたら昼の雷雨の
  中を登るはめになってたかもしれませんよ」と、やや言い訳を交えて私。「これって、人間万事塞翁が馬って言うの
  ですかね?」 やぶ蚊に刺されつつ、反省会は続いていった。
8.13  −黒部五郎のゴーロに悩むー
   520起床。今日はメインの黒部五郎への日。朝からリキつけるべく、にんにく、餅入りラーメン。また昼食時間を
  節約すべく予めレトルト釜飯をボイル。テント撤収し700出発。天気はド快晴であった。
   920北の俣岳に着くころは、暑さでかなりバテ気味となり、いくつかのパーティに先を譲る展開が続いた。
  1050中俣乗り越しで昼食。ここは黒部五郎直下の場所、これから始まるであろう急登りに不安をかかえつつ
  釜飯と味噌汁を口にする。1125昼食を終えて出発。中俣から見えたピークを越えてしばらくすると、
  ガスの向こうにおぼろげながら、黒部の斜面が顔を覗かせていた。そのせまってくる迫力は圧倒されそうであった。
   1225急登りの途中、フルーツ缶詰で一本。同じ場所で休憩していた人と言葉を交わすが、なんと今朝折立
  から登ってここまで来たとの事。我々は折立から太郎平に来るだけで精一杯だったのに、、、。
   1315五郎の肩に到着。登ってきた方と反対側が大きくえぐれ、カールが足元から広がり、その先に五郎小舎が
  ポツンと見えた。ここでザックを下ろし山頂をピストン。山頂ではその展望を満喫。「あれが、赤牛か、遠いなー」
  と岳氏。当初の予定では読売新道、赤牛も案と考えたが、アプローチの長さから計画段階で断念しただけに
  その主は余計、はるか遠くに見えた。私には「来るものなら来てみろ」と寡黙に挑発しているようにも見え、さらに
  その隣の黒岳は、関門としてその聖域を守るがごとくそびえていた。
   1435小舎に向かって下山開始。カールの急な下りを進んでいった。さすがに名前の由来である岩が下り
  の疲労を確実に蓄積させていた。途中、雪解け水場で一本。このときばかりは冷たい水に生き返る。 
  水場で一服してから先は、樹林帯に入る。ここから岩に加えて木の根が歩き難さに輪をかけてくるわで、
  疲労困憊。ヤケクソで「岩はもういいわ」とダジャレもキレ無く。小舎でビールを飲むことを夢見てひたすら進む。
   1630ようやく小舎到着。さっそく小舎へビール調達。なんとここは生ビールが売っているではないか。
  900円のそれを喉に流し込み、テントサイトでテント設営。しかしここも主たる場所はすでに占拠。なんとか
  隙間を見つけて設営。夕食のカレーを食し、この夜は疲れが溜まっていたのか早くに就寝。
  
8.14 −アップダウンにへとへとー
   早朝は、暗いうちからすでに他パーティが出発準備、テント撤収の音を寝袋で聞きつつうとうとと。そして5時の
  アラームで起床。朝食を取り、テント撤収。朝の澄んだ空気に笠が岳が構えていた。そして635に三俣方面へ出発。
  こんどは小舎を挟んで、五郎と反対側の斜面を登っていった。「おい!ここからええ写真取れるで!」と岳氏。振り向くと
  大きなカールの特異な山姿が、眼前の木を入れシャッターを押す。「あのカール下ってきたんや」と改めて遠くに目を凝らす。
   この日もド快晴で、すでに暑さがこたえはじめたころ853三俣蓮華に到着。ここでは槍の精悍な姿が印象的。
  反対方向には薬師岳がデーンと座っており、鷲羽がすぐ近くで挑発、雲ノ平が静かに横たわっていた。
  「ここから双六は楽に行けた記憶あるで」と岳氏の言葉に元気を得て、915出発。はじめはゆっくりとしたアップダウン
  で快調に進むが、その「楽に行けた」の楽でなくなってきたころ、眼前に双六の大きな頭が、「まさかあれ登る?」
  そのまさかを登り、ようやく1028山頂。どうも岳氏の記憶違いであったようだ。しばらく休憩の後、1050出発
  初めは広い緩やかな山頂を進み、それが終わると急な下り。ここも下り難い、双六小屋の屋根が見えてからが
  えらく長い。膝が笑いかけた頃、1137到着。ここで昼食のパンにツナマヨ、蜂蜜かけるなどして食べる。エネルギー
  不足していたのか?ツナマヨがやたらと旨く感じた。「ところで最近はタイツ履いた登山者多いな」とこの小屋に行き来する
  登山者眺め岳氏。「たぶん膝をサポートするからでしょう」。「まさにタイツ履いたら早よツイタ やな!」「それ!おもしろい
  ヤマケイか岳人に投稿しますワ」など、いいつつ長めの休憩を取っていた。さて1245ここを出発して鏡平へ、
  テラスでの生ビールとおでんの幸せな御仁を横目で見つつ歩を進める。ちなみにここは1杯800円とのことであった。
   1351弓折岳と鏡平への分岐。小休止のあと鏡平らへと下り、1500到着。ここはテント場は無いため、小屋に
  チェックイン。テラスに陣取り生ビールで乾杯、ちなみにここも800円。一旦寝床確保してから再びテラスへ、
  ここで食事&小宴会。酔いがほのかに回る頃、槍から、穂高にかけてのシルエットが美しく。槍の肩の小屋の
  明かりが見える頃まで、楽しんだ。
8.15 −逆さ槍、残念ー
   「シュ!シュ!シュ!」足をこする他の登山者の音で目が覚めた。たぶんマサージか何かしていたのであろう。
  再三の岳氏の注意にも止まず、さすがの岳氏も「さっきからいっとるやろ!」怒気を含む。そんなこんなで目が
  覚めたが、いつも山小屋では遅くまで酒飲んで、怒られる立場が逆転したのは、おかしかった。
   さてここの名物はなといっても池に写った「逆さ槍」。が、テラスの脇の池を何度行き来しても、そのビューポイント
  が見つからない。少し離れの池がその池で、我々が行ったときには、朝日が湖面に反射し、シャッターチャンスは
  過ぎたあとであった。少し残念である。
   今日は新穂高温泉目指し635出発。途中、乗鞍、焼岳を見つつ下山。823暑さが堪え始めた頃、
  秩父小沢で休憩。この笠が岳の雪解け水は、心底冷たく。岳氏と私は、川に腹ばいになり、頭から水を被った
  この時ばかりは、生き返った心地。さて出発しようと身支度してると。2人連れの登山者が、直径10センチ程度の
  携帯扇風機を顔に近づけて涼んでいる。「山でおもろい物持ってくる奴おるな。あんなんここの水被ったほうが絶対
  涼しいのに」。同感である。それから途中、わさび平らの手前が雪で登山道が崩壊、思わぬアップダウンで疲れた
  ころ950わらび平着。ここでは果物がすだれで囲った、木をくりぬいた水槽に浮かんで、いかにも涼しげ、それに
  さそわれ、岳氏はトマトを私はリンゴとバナナで一息ついた。新穂高までの道は単調な舗装された下り、途中、笠新道の
  合流ではここを下ってきた2人パーティが堅い握手。その挙動がこの登山道のしんどさを雄弁に表現していた。
   新穂高に1145到着。ここはすでに夏色の観光者が大勢。食堂に入りビールで乾杯。食堂のテレビは終戦の正午の
  映像。ビールを飲み干し窓から涼風を頬に受けた時、なぜか壊れた靴の供養を、と思った。
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| 折立で車貸してくれたおじさん。多謝! | 三俣への登りで、振り返って五郎岳 | ♪ビールを廻せ、底まで飲もう♪ 於 鏡平 |