コールマン山絵日記

夏休みを利用して、岳工作氏、小原庄助氏、私のいつものメンバーで白峰三山の縦走に出かけました。


8月9日 − 初っ端、豪雨の洗礼 −
  身延からバスに揺られ、1200に広河原に。バスから降りると甲府経由で先に着き、弁当をほおばっている岳工作、小原庄助両名と再会。「ボッカ期待してるデ」「ボッカ力はそっちでしょう」など挨拶代わりの応酬をひとしきり終え、いよいよ登山開始、とザックを背負おうとすると、急に雲行きが怪しくなったかと思えば、バケツをひっくり返したような豪雨と雷。
出鼻をくじかれ、バス停のテントで雨宿り、頭上では不気味に雷鳴が轟いていた。30分ほどたってやや雨脚が緩んだころ出発1330であった。途中広河原山荘で水を調達、登山届けを提出して山道へと向かった。ひきつづき雨と雷鳴は続いていた。ルートは大樺沢と樹林帯の2ルートあるが、雨を避けるため樹林帯ルートを選択。
それが効を奏したか、雨の割りにひどく濡れることなく登高をつづけた。1630白峰御池小屋に到着。そのころには雨はすっかり上がり青空も覗いていた。山では遅い到着時刻そのため大広間は一杯で、図らずも個室に案内。「これは山小屋ちゃうで!旅館や!」コンセントも在るし、布団も旅館のそれと遜色なし。さらにはジョッキ生まで売っている夕日にバットレスが映えるころ、そのジョッキを傾け、明日以降のキツイであろうアルバイトに「あんた元気やな」「いやボッカ大王には敵いません」など、再び応酬を繰り返し夜の帳は下りていったのであった。


8月10日 − 強烈 小屋オヤジ出現 −
  330タイムキーパー小原氏の目覚まし音。さすがに誰もすぐには起きず、それでも4時前には起き出し、ほの暗い小屋前のベンチで朝食を作る。今日はいよいよ北岳、530小屋を出発。600に二股に着き、ここからは雪渓の脇の道を登っていく。朝は早いが日差しはすでに強く、雪渓からの涼風が心地よい。暫くして雪渓から離れると今度は、はしごの連続、このころには右手にバットレスの巨大な岩壁が迫り、ロッククラーマーが小さく見て取れた。八本歯のコルを越え北岳山荘と山頂への分岐で、ザックを下ろし空荷で山頂へ。時間はまだ10時であるがこのころよりガスが急に出始め、1025山頂に到着したときは完全にガスの中、さすがに眺望は全く望めないのが残念であった。さて再びザックを担ぎ1212北岳山荘に到着、ここで昼食を摂り、1335農鳥小屋に向けて出発。天気はどうも思わしくないが、急に降る様な感じではなく、ちょっと微妙な空模様であった。間ノ岳まではいくつかのピークを越えつつ進む、進むにつれて空はだんだんと暗くなっていき、まだ間ノ岳に着かないのかと思ったころ到着1531であった。このころより小雨が降り始めていた。そして15分ほど休憩し出発。出発して5分ほどして急に激しい雨、そして頭上で雷鳴。「汗ばんでたんで、ええシャワーや!」と岳氏。私はさすがにたまらず雨具装着。稲光と雷鳴で今度は冷や汗、、、。幸いにして短時間で天気は回復し、農鳥小屋へ、、、、。「オイ!」小屋に向かおうとすると背後から偉丈高な声。「テントか?」どうも小屋のオヤジのようであった。「いや、小屋に泊まります」「忙しいのだ、早く付いて来い!」「腹立つ言い方や、ゆっくり行ったれ」と岳氏、挑発するかの様に、オヤジに案内された部屋へとゆっくりと向かった。案内された部屋には先客1名、新潟からソロで来られたおじさん。このおじさん、夕食後歓談してたら山小屋オヤジに「早く席を立て!」と追いたてられるなど、オヤジへの不快な思いで我々と意気投合したのであった。おじさん「ここのトイレは沢へ垂れ流しですよ。しかるべきとこへ訴えましょう」と我々同様に相当のお怒りの様子。それを知ったら某メーカーの南アルプスの天然水のイメージが大きく変わってしまうのは必至である、など話を肴にチビチビと酒を飲みつつ、2000には就寝したのであった。


8月11日 − しんどい 大門沢の下り −
  430ごろ小屋の周りは早くも登山者が活動を始めたようで、私もそれにつられて起床外にでると、遠く霞がかった雲海より富士が頭を出し、そのやや北方向にはご来光を控え雲が橙色に染まっていた。500前、雲の上より日光が顔を覗かせる。我々3人神妙に手を合わせ山での安全を祈願。部屋に戻り朝食を作り食べてると、突然、オヤジが乱入し、こともあろうか、飯食ってる隣で埃を舞い上げながら布団を畳んでいくではないか、岳氏の、これ見よがしに埃を払うしぐさもお構いなし。挙句の果てに「昨日8時まで騒いでいただろう!苦情がきてたぞ」続けて「ここ水こぼしただろう!」と文句の限りを言って立ち去っていった。むろん覚えのないことばかりであるが、偏屈オヤジにまともに取り合って、せっかくの登山で気分を害したくない。とのことから、グッと我慢。「水じゃなくてすんませんオシッコちびりました。って言ったらおもろかったなー」の岳氏の冗談で少しは気分も快方へ。朝食後同部屋のおやじさんは農鳥ピストンに出発。我々は片付けやパッキングなど準備。水の調達に行った小原氏「オヤジ水売らない。って言ってるぞ!」とよっぽど3人は嫌われたのか?強面小原氏も歯が立たず、リッタ:100円はウソか?岳氏が最後の交渉に行って、根負けしたのかようやく水の調達が出来たのであった。そして610ここを出発。天気は上々、塩見岳のドーンとした姿が圧巻。まず西農鳥、ここはピークとなり標がなく、おぼしきピークで休憩。遠くには、赤石、聖、荒川三山が見て取れた。そこで農鳥に行っていた、同部屋のおやじさんと再会、先の農鳥のピークを確認し、互いの安全を祈念。おやじさんは稜線上の人となって行った。こまかなアップダウンを繰り返し831農鳥岳到着。登ってきた方向を振り返ると、北岳のピラミダスな姿と間ノ岳の重厚な様が対照的に迫っていた。900に農鳥を出てしばらく下ると、大門沢への分岐、ここに印象的な姿の鐘と標識(後で知ったが、銀嶺山岳会の遭難碑とのこと)、ここから稜線と別れひたすら下り道。はい松帯は比較的穏やかな下りであるが、樹林帯に入るや、傾斜は急で、木の根、大きな岩が行く手を阻み、厳しい道となる。さすがに小原氏と私は先頭を行く岳氏に大幅に遅れはじめる。1055何とか大門沢の水場に到着。沢の水が心地よい、ここで昼食を摂る。振り返ると稜線方向はすでに雲が湧いており、早くも雨の降り出しそうな気配。「温暖化のせいか、午前でもう天気の変化しよる」と岳氏。1140ここを出発し、幾分歩き易くなった下山道を下り、1330大門沢小屋に到着。到着早々より小屋の前庭にてビールで喉を潤し、そのまま宴会モードに突入。暗くなるまでそれは続いたのであった。


8月12日 − 奈良田温泉で至福のひととき −
  430周りの出発準備の音で目が覚める。これから登り人はもちろんだが、奈良田へ下る人も早くも準備の様子。で、我々はと言うと、この日は奈良田泊りと決め込んでいたんで、ゆっくり朝食を作って食べ全ての登山者が出発を終えた730に我々も出発。結局、我々が最初に着き最後に山小屋を出たパーティとなった。ここからは渓流添いの比較的快適な道、いくつかの沢を丸太橋で慎重に越えていくと、本流にかかる大きな吊り橋2本を連続で渡る。渡っていくと振動で大きく揺れ、しかも足下に目を転じると、遙か下に激流が轟いている。さすがに怖じ気づく、先に渡って待ってる小原庄助氏がカメラを構え、カメラ用の笑顔を作るも、ひきつったものになってしまったようだ。吊り橋えお渡り終えると、堰堤の工事現場。巨大な人工物を目に、今回の登山の完了を実感。1120車止めに着き、今夜お世話になる民宿「奈良田屋」さんの送迎車に揺られて、下界へと帰ってきた。宿で一旦荷物を解き、まずは奈良田温泉へ、体にこびりついた汗や泥を流し、体が急に軽くなった感じ。岳氏はすでに浴衣に着替え、早や温泉旅行モード。縁側のある落ち着いた休憩室で乾杯!ビールが一気に五臓六腑に染み渡った。その後白籏史郎記念館で、氏のスケール大きい写真を見学。その場に自分が居るような、引き込まれる作品の数々であった。再び奈良田温泉に戻り、庭のベンチで横になり午睡。蝉の声に混じり、時折庭の玉砂利を踏む足音が心地よく薄らいでいく意識の中で、聞こえたり聞こえなかったり、、、。山間の里の夏の午後は、静けさの中に過ぎて行くのであった。


 

北岳バットレス

西農鳥山頂に立つ登山者と富士
農鳥より北岳、間ノ岳
北岳バットレス

西農鳥山頂に立つ登山者と富士

農鳥より北岳、間ノ岳