コールマン山絵日記


5月23日
  初夏の熱海駅の朝、改札に降り立つが、東京より先に来ているはずの、岳、小原両氏が見当たらない、キョロキョロとあたりを伺うと、ハンディカメラ片手にそんな私の挙動を撮影していた岳氏その人が雑踏の陰にいた。そのハンディカメラ先月、岳氏がインカ旅行用に揃えたハイテクであった。

ほどなく小原庄助氏も合流し3人再会を果たしたが、第一声が私のザックを指して「えらい小さいザックや!楽しようとしてるやろ」と。今回は山中泊まりではないので小ぶりのザックを用意したが、思わぬ再会のあいさつの言葉であった。
駅前でレンタカーを借りて、登山口のある天城高原ゴルフ脇の駐車場に入ったが、登山者の車であふれかえっていた。車を停めてふと何気なく視線を遠くに向けると、霞みがかった富士がおぼろげながらその威容を見せていた。

さてザックを背負い、1200登山を開始、天気はよく晴れており暑い。登山道は広葉樹主体、杉のそれとは異なり日の光が柔らかく包み込むようであり、空気が新緑色に染まっていた。それもほんの束の間、登るにつれてガスがかかりだし、1305最初のピーク万二郎につくころには完全に眺望は期待できない状況であった。ここからは狭い稜線の縦走路、途中なだらかな場所(おそらく馬の背)で、馬酔木が道の両側からせり出したトンネルをくぐると、今度は石楠花が出迎えてくれていた。その大ぶりの花が霧に煙る姿は一種幻想的な雰囲気を醸し出していた。

伊豆最高峰万三郎岳には1445到着。ここで遅めの昼食となる。食事してるとやたらハエが多く顔にまとわりつく、そこで虫よけの裏ワザ、メンソレータムを顔、腕に塗りたくりこれを凌いだら、こんどはでっかいカラスがこちらを伺う。ハエにせよカラスにせよ登山者が多いが故のことなんだろう。
1533下山開始。丸太で階段をしつらえた急な下り、丸太が滑りやすく却って歩きづらい。急な下りが一服したところで、岳氏はハンディビデオを取り出しつつ歩きながらの撮影。岳氏の傍らでダジャレを飛ばすものなら、「写真とちゃうで、しょうもないことも録音済みやで!」と。涸沢から入山した登山口までは、岩や木の根が多く歩きづらい、さすがに疲れが見えだし、元気の出るおまじない「温泉・ビール、温泉・ビール、、、」を唱えつつ、1705到着。
  夜の帳が下りたころ、伊東温泉のとある旅館において、ハンディカメラとテレビをつなぎ、岳氏のインカ報告会。世界遺産マチュピチュ、ナスカの地上絵などはテレビ番組でよく見るが、番組のそれとは違い小ぎれいに編集されていない分、むしろ臨場感が。傍らには小原庄助氏は早々と寝息、「さっき映っていた現地美人が映らん様になったら寝よった!」と岳氏。最も印象的だったのはチチカカ湖の葦の浮島に住む住人たちであった。子供たちが歌う歓迎の日本語の歌、観光客一人一人にハグするその姿、、、。めずらしくも胸が熱くなるのを禁じ得なかったのは、単にコハク色の液体によって感情の振幅が広がった故だけではなかった。そして余韻を残しつつ明け方近くまでグラスを傾けたのであった。


 

かすかに見える富士の威容

馬酔木トンネルを行く岳工作
霧にけぶるシャクナゲ
かすかに見える富士の威容

馬酔木トンネルを行く岳工作

霧にけぶるシャクナゲ