コールマン山日記

 日程:1997年1月2日から1月3日        コース:高見山    メンバー:岳工作、コールマン


 さて,私コールマンは新年早々岳工作氏と奈良県の高見山へ行きましたその模様をお伝えいたします。
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 その日大阪は前日の元旦の暖かな日が嘘のように、冷たくみぞれが今にもふりそうな朝でした。9:00外環状線にほど近い場所にて、
岳氏と合流。名阪道に入りしばらくすると雪が降り我々の前途は、厳しいものと実感せざるを得なくなった。途中道に迷ったりして、
予定より1時間遅く12:00に高見山登山口に到着。
 登山口のバス停で雪をしのぎつ昼食。昼食中、前を行き交う車より我々に好奇の目。見せもんとちゃうでー!そないにわしは男前か−!
と正月早々の岳御大。今年も相変わらずの態であった。13:30出発。高見山峠へ向かう道は伊勢街道と呼ばれその昔紀州徳川家
の参勤交代の道であったようで、途中市(いち)の跡などもあり、往事を偲びつつ緩やかな登りに歩を進める。小峠を過ぎ高見山峠までの道は
アスファルトの車道と変わり、路面には薄っすらと雪、通る車もなく2組の足跡だけが残っていった。
15:25高見山峠着。そこより雲ヶ瀬山に向かう。遠くの山々は白とくすんだ色の連続。近くには霧氷。聞こえるのは風のうなり声のみ。空気は
凛としていた。16:10雲ヶ瀬山に到着し、少し高見山峠に戻った場所の強風の遮られた場所にて設営。
 さて一段落ついたところで食事。食事は岳氏が用意した魚の水炊き。鍋が出来上るころには、テントの中も暖まってきてビールでまずは乾杯!
岳氏の用意した材料も下界のそれと全く遜色なく、酒も進みバカ話に花を咲かせ、大宴会は深夜1時まで続いていった。その間にも布1枚
隔てた外は深々と冷えていき、それがより一層鍋物の暖かさを引きたたせていった。しかし、火を消して寝入ると容赦なく冷気が襲い、テントの底も水がしみ
上半身は熱を地中に奪われ、下半身は濡れて全く寝付けない。一方岳氏は「シュラフが凍らんだけでもましやでー」といいつつ早々に寝息を
を立てる。マットを持参しなかった自分に反省し、かつ岳氏のタフさに脱帽数度の寝返りと浅い眠りを繰り返す。

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 5時ごろ「天気はどないやー」と岳氏起き出す。我々今回は高見山からの御来光が目的のため、気になることではあるが、残念ながら外は雪。チョット
無理かなと言うことで、再び寝袋へ、結局7:00頃起き出すが、そのときは天候は回復。昨夜の鍋の残りで雑炊を作り、テントを撤収して8:45出発。
天気晴朗なれども風強し。高見峠からの急坂を登る。昨夜の食事の量を実感するくらいに荷物は軽く感じるが、防寒着のせいか体は重く感じる。一方の
岳氏は快調に登り、9:51頂上に着(岳氏は3分ほど前にすでに到着)岳氏の指差す方向、北東には倶留尊山が見え、南に台東山脈が続き、さらに
その奥にも山並みが続き、近畿の意外な山の深さにしばし体の冷えも忘れる..。そして山頂の非難小屋にて雑煮、熱燗を作る。とくに熱燗は五臓六腑にしみわたり、まさに圧巻(洒落とちゃうでー..)であった。
 10:55小峠方面へ下山開始。凍った雪の踏みしめる音と足の裏の心地よい感触しかし風は強く、顔打つたび、時折いき苦しいくらいだ。急な下りで膝が疲れた
頃、小峠に着き、小峠から昨日登った道を引き返す。垂直に林立した杉、真ん中に一本の道...。杉木立から烏帽子をかぶった男や着飾った姫が顔を出しそう
な、今昔物語に出てくる風景をなぜか感じさせた。12:30高見山登山口に到着。昨日と同じバス停にて昼食のラーメンとゆで卵をとる。
それにしても前を行き交う車の好奇の視線..。ここで商売やったら儲かるでーと、岳氏いかにも関西人らしい発想。なに売ったら儲かるんやろ。2人の会話そ
のまま漫才として客集めたらええかなー。なんせ大阪人2人寄ったら漫才になると、どこかで聞いたことあったなー..。などど通る車を見つめる岳氏の後ろ姿
を見て独り思った。
 14:00に車に乗り込み大阪へと帰路に...。夜ミナミで小原庄助氏らと合流。さらに我々は飲み屋のピークを4峰登頂することとなった