コールマン山日記

 日程:1997年8月13日から8月17日        コース:立山、剣、黒四ダム     メンバー:岳工作、ヤッサン、コールマン


FYAMAのみなさんこんにちは、つい最近金沢から大阪へ移住したコールマンです。この夏お盆休みを利用して山仲間の岳工作氏,ヤッサン氏の総勢3名
で剣,立山へ行きました。以下その模様を思いつくまま書きつづってみました。

8/13  −雨のなか順調なスタート−


 曇天のなか7:12大阪発の「特急サンダーバード」に我々は乗り込み,今回の山行きは始まった。車内販売のぬるくなったビールで乾杯,ビールを飲み干した
ら3名とも居眠り。途中目覚めた金沢では雨が列車の窓をたたいており、気持ちよく寝ている両名を横目に前途に不安を感じた。
 列車は富山からそのまま立山駅へ,立山駅からケーブルカーで美女平,さらにバスで室堂へと向かった。室堂に近づく車窓から巨大な屏風の様な立山の姿が印象的だった。
 14:30いよいよ室堂からの登山の開始である。天候は我々の出発を待っていたかのように、雨が本格的に降り始めてきた。それでも「雨男は誰やねん!」
などと軽口も叩きつつ剣御前小屋を目指して歩いていった..。途中雷鳥沢でたまらず雨具に身を包み,今山行の最初の登り坂の雷鳥坂を登る。初エントリーの
ヤッサン氏も「事前にトレーニングして来た」効果の甲斐あってか,テント2発に食料5日分の荷物の割にはヤッサン氏含め全員順調に登り,そろそろ疲れたと
思ったころ剣御前小屋に到着(16:45)。そのころには雨も上がり西の空が明るくなっていた。
 小休止のあと18:00剣沢小屋到着。ここよりの眼前にそびえる剣の威容は圧巻。昨年太郎兵衛平から小さく見えたそれが今ここにそそり立っている...。
 さて、テントは水の枯れた水場跡の横に2発のテント設営。岳氏のテントに岳氏とヤッサン氏,私のは私と3人の荷物。と分担を決める。今夜の夕食は
遅くなったため岳氏のテントの中で調理し食事をとる。今回,岳氏はいつものガソリンストーブではなく、セパレートタイプ(ボンベとコンロがゴム管でつな
がっている)ガスコンロを持参。これがなかなかのスグレモノで、第一に安定性に優れ,火力調節が楽(沸騰した鍋の下のツマミを廻すのはイヤなもの)。
 食事のあとはヤッサン氏が持参した焼酎+レモンでテントの中はさらに明るくなった。トイレに立つと、( 月明かりの中ガスが湧き流れ、剣は黒く静かに、緩い斜面に
寝静まったテント群が...)別の惑星に降り立ったようで、用を足したあとさらに身震い一つ。

 

8/14  −岩の殿堂に立つ−


 明け方寒さに幾度も寝返りをうちつつ,岳,ヤッサン両氏に起こされ,朝食を摂ったあと、テントをそのままにし必要最小限の荷物をサブザック
に詰め,8:20という遅い出発で今回のメインである剣に向かった。途中剣山荘を経由し,9:35に一服剣に到着。さてここからガッツだぜ!
というところで、ヤッサン氏がここよりリタイア。どうも急峻な山容に圧倒されたようで、岳氏と共に前進を勧めたが,ヤッサン氏の意志は堅く,
結局剣山荘に引き返して,待つこととなった。後になって無理に同行させなくて良かったと思ったのだが、そのときはともかくも一緒に登ろうと強く勧めた
のだが...。
 2人パーティとなり、前剣を越えたころよりいよいよ山は険しさを増してきた。その前剣をしばらく行ったころ,後続に小柄で「くしゃおじさん」「良くいえば
川谷拓三」似のおじさんが来ていた。なんでも大分県から来て,40になって山を始めたそうで、こちらが聞いてもいないのに,1人でしゃべって,相槌を打つ
のに疲れたころ,岳氏後ろから小声で「おい、ちょっと急げ」。なるほど,このおやじと距離を置こうとの作戦。その作戦もおやじの健脚の前にあえなく挫折。
疲労だけが残り,長い1本(休憩)をとり、おやじに先に行ってもらうことで落ち着く。マラソンの駆け引ききたいやもんなやーと思った。もちろん我々はその
駆け引きに負けたわけですが....。
 途中「カニの縦バイ」(岳氏曰く カニの横バイが相互通行で混雑するから、登り専用のこのルート作ったん違うか? 昔こんなルート無かったでー)
を通過し,(ようこんな垂直の岩登らせよるなー。めちゃ怖かった 筆者感想)もう頂上かなと思ってもまだまだ先にもピークが見え,がっくりきていたころ
くだんのおやじが涼しげな顔で下って来るではないか。すれ違いさま「道でも迷ったのか?」 それは若い?2人が50近いおやじにコケにされた瞬間であった。
 そしてようやく12:30剣山頂に到着。残念ながら周囲はガスが発生しており,眺望はいまいちだったが,チンネ,小窓など鋸歯状の尾根の姿は剣山頂の眺望
として十分満足いくものだった。そこでコーヒーを沸かして(やかんをテントより忘れる失態。隣でくつろいでいる人にコッヘルを借用)しばらく山頂を満喫。と
突然,岳氏「早よ降りよう!」どうも便意を催した様子。少々後ろ髪を引かれつつ後にする。岳氏は山頂よりやや下ったところの岩陰で..。それはそれとして
その最中「え−景色見ながらは最高やなー」を連発し,山頂にいるときより絶好調でした。
ヤッサン氏の待つ剣山荘には16:20に到着。ビールで再会の乾杯の後,剣沢のテントへ,その夜はワイルドターキーを侍らせ,「ヤッサン明日の立山は
楽勝やで。一緒にがんばろナ」。


8/15  −立山参拝の大渋滞のこと− 

 毎度のことながら遅い朝を迎え,テントを残し8:00に空荷で立山に向かった。別山まで順調に登り,立山の全景が姿を表し,さあいよいよといった時に,突然,ヤッサン氏のリタイア宣言。これには岳氏共々大いに困惑。結局ヤッサン氏にはテン場で待ってもらうこととして,昨日に引き続き2人パーティとなった。 真砂岳を経て富士の折立までは,尾根伝いの快い山歩き,右手に室堂,左手に真砂沢の雪渓が広がっていた。そして富士の折立に立つと眼下に黒四,黒部湖が小さく見えて印象的であった。大汝を経由し,雄山に11:45に着。雄山に着くと,雄山神社へ向かう多くの人だかり,その参道の行列に並ぶこと数十分ようやく参拝。神社では神主が待ち受け祝詞と御神酒,参拝者の服装も山屋のそれではなく,岳氏も私もちょっと気分を削がれ,ここでの昼食の予定をとりやめ、大汝まで戻って軽く食事をとり、ヤッサン氏の待つ剣沢へ元来たルートを戻った。結局もどったのはヤッサン氏との約束より2時間ばかり遅い14:50であった。 そこから我々は真砂沢ロッジを目指すべくテントを撤収し、16:00に剣沢キャンプ地を後にした。やがて1時間ばかり歩くと剣沢雪渓に到着,アイゼンの出番となった。雪渓の両岸のV字型の崖と雪渓表面に漂う霧が織りなす一種幻想的風景に満足しつつも,巨大なスノーブリッジの上を歩いているのだ,という地に足が着かない軽い恐怖(飛行機嫌いの人が飛行機に乗った感覚に近い?)を同居させていた。途中横に走ったクレパスに行く手を阻まれ,崖をトラバースするなどを経て,ようやく19:10薄暗がりの真砂沢ロッジに到着。
 遅い到着にもかかわらず、テン場を見つけテント2張設営し、ともかくも岳氏のテントに集まりビールで乾杯。一息着いたころテントにこもる岳氏の足の臭いが
気になりだす。なんでも今回はウールの靴下ではないそうで、それが原因とのこと、臭いを誤魔化す意味も含め早々にテント内で調理。もうこのころになると
当初のメニュー計画は完全に崩壊しており、「ともかくも重いものから食べよう」とのことで、オイルサーディン,コーンビーフの缶詰のレモン和えから始まった
ため、その日の夕食は酒のつまみ路線となった。その日の酒の主役は岳氏持参のコーヒーカクテル,飲みやすく疲れた体に心地よい甘みのため,急ピッチでボトル
が軽くなっていき,ろうそくの薄暗いテントの中は陽気な宴会で夜も急ピッチでふけていった。 

 

8/16  −遠かった黒四まで− 

今回の登山も最終章にさしかかった。あとは一気に黒四まで降り,麓の温泉で垢を落とし帰るのみである。その朝は5:15の起床に始まり,朝食,テント撤収各自の荷物負荷を考慮したパッキング等で真砂沢ロッジ出発は7:45となった。
 まずは,ハシゴ乗越の登りであるが,これがかなりきつくすでにヤッサン氏には疲労の色が,一方の岳氏もさすがに登りでは寡黙となるも休憩時には得意のダジャレも飛び出す余裕。そのくせ私が少しでも冗談でも言うものなら「おまえ余裕やのー何か荷物持つか−」と,休憩の度にお互いこういった会話というか牽制の応酬を繰り返していた。 ハシゴ乗越を越えてからの下りが枯沢の岩多い道で、足と膝への負担が大きくむしろそれまでの登り道以上に疲労を感じてきた。結局内蔵助平には12:00に到着。そこから昼食もとらず黒部本流への道を急いだ。ただその登山道は荒廃しつつある状態(登山者が少ないせいか?)。その一例として道の脇の草が背丈まで生えており、ルートがほとんど識別出来ない状態,またその草が日焼けの腕にこすれて痛いなど..。また倒木もしばしば,その度にかがんだり,またがったり,といったことがボディーブローのように徐々に我々のペースを落としていった。 小一時間も歩いたころより、休憩しても冗談一つ出ないほど各自疲労が色濃くなり特にヤッサン氏はまったく顔から表情が消えていた。その寡黙となった一行はさらに2時間も行軍を重ねたのであった...。15:40本流に到達。
 そこからトロりーバスの最終を気にしつつ,体は惰性のように歩をすすめ,やがて17:10ダム下に着。昨日立山から小さく見えたそれが、こんどは巨大な壁として
眼前に存在していた...。 そして最後の気力を振り絞って,トロリーバス乗り場まで登ったのは良かったが,
何と,最終はすでに出た後とのこと。結局その日はテントを設営する気力も,とうに失せており、待合い室で夜を明かすこととした。待合い室では同様に乗り遅れた
夫婦とおぼしきパーティが先客として食事をしていた。我々も食事を始め,残り少ない酒で疲れを癒そうとしたころ、そのパーティはすでに寝る準備。「やっぱりまとも
な山屋は,早よねるんやー」と思い、いつぞやの山小屋で遅くまで宴会して怒られた経験を思い出し,物音に気遣いつつも,いつもの陽気なパーティに戻っていた。


8/17  −温泉に入って帰路へ−


 待合い室で夜を明かしたのであるが,意外に暖かで,それが証拠に待合い室の寒暖計は前日の夕方と同じ13度を指していた。8:05の始発までの時間つぶし
に外へでて見ると,立山が澄んで見え,その上には夏の終わりを感じさせるような高い薄い雲が浮かんでいた。
 しばらくすると扇沢始発のバスが観光客を運んで到着。その瞬間ここは暗い避難場所から一気に観光地に変身。中には登山客もちらほら「今からしんどい思いをしにいく奴もおるんや」と岳氏,山行きを終えた安堵とかすかな寂しさをこめて..。
 さてトロリーバスで扇沢まで行き,そこから大町の温泉へとタクシー乗り場へ、そこへ,待合い室でご一緒だった,ご夫婦(Yさん)が「お送りしますよ」と,
我々は恐縮しつつも,ご好意に甘え,大町の温泉までYさんのお車に乗せていただいた。Yさん本当にありがとうございます。改めて御礼申し上げます。
 久々の風呂に入り,風呂上がりのビールを飲み,極楽気分を味わった我々は大町駅から特急で名古屋へ,名古屋から新幹線で大阪へと帰路についた。
もう山に登る事のない帰路でも「元気やのー,余裕やのー(荷物持つかー)」がいつしか口癖になっていた。