コールマン山日記

 日程:1997年9月13日から9月15日        コース:槍ヶ岳     メンバー:岳工作、小原庄助、コールマン


 FYAMAの皆さんこんにちはコールマンです。台風が日本列島接近の9/13−15で槍が岳に,岳工作氏,小原庄助氏,そして私の3名で登ってきました。
その模様を書きつづってみました。

9/13  −はじまりは雨−


 まだ真っ暗な松本駅で大阪から「ちくま」で来た小原庄助氏と私。そして東京から「アルプス」で来た岳氏との静かな再会から今回の山行きが始まった。
松本電鉄とバスを乗り継ぎ順調に上高地まで行ったはいいが、盆休みの剣同様今回も始まりは雨。「岳氏が絡むと雨やな−。」「何言ってんねん。雨の後は必ず晴れとるやないか。」と強く反論。せやけど今回はどうやろ...。
 さて、朝食を食べ入山届けを提出し7:45雨の中,出発と相成った。途中,明神,徳沢と小休止を入れ横尾に10:15到着。このころより雨足が強くなり、
本日の最終目的地である殺生ヒュッテへの到着に暗雲が垂れ込めてきた思いをする。いよいよ横尾からは本格的山道に入るわけだが、雨を嫌ったパーティが多いのか,涸沢へ行くのが多いのか,前後にパーティもなく、雨音と沢の音のなか静かに樹林帯を進んで行った。そして12:15槍沢ヒュッテに到着して昼食。人心地ついて今日これから先に進むか,ここでテント設営するか,小会議...。結局「これから殺生着いても遅なるで、暗くなってのテント設営も辛いで」の岳氏
の決断で,ここ槍沢でのテント設営となった。この間私の頭の中には「♪行くか戻るかどーしょか♪」ウルフルズのガッツだぜのワンフレーズが回っていた。
 14:30テント設営。今回4、5人用のおニューのテント。3人だと中は広く快適。そのためか,夜行の疲れか,テント打つ雨音のBGMのせいか,しばらくして
全員寝息をたて始めた....。
 周りが薄暗くなり始めるころ起き出して夕食。夕食はカレーと前回の剣登山で好評だったコンソメスープ。夜のとばりが降りるころ主役はワイルドターキーとコーヒ
ウオッカ(ヤッサン氏差し入れ)に移り、ローソクを囲んでの宴会が深夜まで続き..。いつのまにか濡れていたシャツ,ズボンは乾いていた。


9/14  −霧雨の槍に立つ− 

 例によって例の如く7:30起床という遅い朝を迎えた。岳氏は二日酔いで頭痛,
小原庄助氏は「まだ降ってるのか」とため息。ブルーな空気がテントにただよう。餅入りラーメンの朝食を摂ったあと、「ともかく行けるとこまで行こう」とテントを
残し,全員雨具に身を包み出発,時刻は9:00であった。 30分ほど登ると,雨具のせいで体は蒸れるは,眼鏡は曇るは,で最悪の状態,
後ろから岳氏の叱咤激励の声,前を歩く小原庄助氏も苦しみつつも敢闘していた。天狗原の分岐を10:00に越えて,11:30に殺生に到着。殺生にて小休止中にラテン系の美女とおじさんの奇妙なパーティが先に,すかさず「えー女やのー」と言わんばかりの視線の岳氏と小原庄助氏,最悪のコンディションの中,余裕の2人であった...。槍が岳山荘で「おしるこ」で体を温め,12:50一気に穂先の先端に立った。風強く横殴りの霧雨,もちろん眺望は360度真っ白けの状態。記念の写真ももどかしく撮り,早々に頂上を後にした。 さて,ともかく今日中に下界に降り,暖かい風呂とビールにありつけるのを目標に
ほとんど小走り状態での下山。15:00にテントに戻り,一服したあと撤収して16:20再度疲れた体に鞭打っての出発。横尾に着くころには周りは暗くなり、
全員疲労もピーク,おまけに私は股ずれ、小原庄助氏は靴ずれ,厭戦気分がただようも、ともかく先にすすめたのは、心に描く「暖かい風呂とビール」の力であった
 それで徳沢に18:30に,そこで「風呂とビール」を現実のものとすべく,上高地の宿を片っ端よりTEL,満室が多い中「西糸山荘」を予約し、上高地へと闇の
中に分け入って行った...。時にヘッドランプの光は闇に吸い込まれ,時にガスで眼前に反射,両脇の木々が我々の歩みを静かに見つめているかのよう。昼には見せない異なった表情をそこに見た....。 20:30ようやく「西糸山荘」に到着。念願の風呂に入りビールで乾杯!。
部屋に戻ってビール,日本酒を買い込み,そのまま宴会モード。お互いの健闘を讃えつつ飲み,宴が進むにつれ、「槍におったラテン系の女えーのー」「下の食堂
におった女どうや」など,話題が2転3転し,気がつけば2:30を回っていた。


9/15   −終わりも雨−

 いよいよ都会へ帰る日が来た。窓の外は依然雨,食堂のテレビは台風報道。
9:30にチェックアウトを済ませ,上高地バスターミナルへ、一度ゆるんだ体には荷物が異様に重く感じられた。ヤッサン氏への土産を買い,タクシー同乗者を募り
5人で松本までと思ったが,なかなか見つからない。しびれを切らした運ちゃん,「1万円で」(通常1万5千円)と。「それなら」と3人乗り込んだ。この運ちゃん
なかなか話好きで,なかでも電車を上高地,横尾まで通す計画の話には,我々正直驚いた。岳氏「安易に山に来れるようになるのも考えもんやなー」。運ちゃんの立場とすればタクシー利用者の減少を憂いてのことだが...。 13:00少し前に松本に着き,駅前で小一時間ほど飲み,岳氏は「あずさ」で
東京方面へ、小原庄助氏と私は「しなの」で大阪方面へ...。  後日聞いた話では岳氏は余裕で自由席に座って東京へ帰ったそうだったが、一方の
大阪方面組は,通勤ラッシュ以上の込みよう。原因は大阪直通の特急が15:05発のこれ1本のみ(名古屋行きは数本ある)で関西方面の客と名古屋方面の客が集中するからである。いかにも「名古屋で新幹線に乗り換えろ」的なダイヤは疾く改善してもらいたいものである。 
 名古屋で自由席を確保できた我々は,名古屋までのラッシュの疲れで,そのまま大阪までコックリコックリ。目が醒めれば,見慣れたネオンが雨ににじんでいた。