コールマン山日記

 日程:1998年6月6日から6月7日        コース:御嶽山     メンバー:岳工作、コールマン


こんにちはコールマンです。今回は夏の屋久島登山に向け「練成合宿」ということで、岳工作氏と御岳山へ6/6,7で行ってきました。

6/6(土) − ヤマタノオロチの咆哮 −
 前日の夜東京から岳氏、大阪から私が名古屋で落ち合った。改札から出てきた岳氏の身なりは山男でも、顔はまだ仕事中のまんまで、開口一番「今日めちゃ
忙しかたわ−」.....。
 ともかく、ビジネスホテルに直行し、ホテルの近くのショットバーで再会を祝しグラスを傾け、何故か店にあった有名女優のヘアーヌード集を手にするころには、
岳氏の顔も完全にOFFになってきたのであった。翌朝は、結局2時近くまで飲んだツケを取り戻すべく、7時10発の特急しなの、
木曽福島からのバスは眠りの中...。バスの終点田の原で起されたときは、一面の霧の中夢の続きか、はたまた神の山への入り口か、その神のまします御座
は上半分雲に隠れることで、却ってその大きさに圧倒的な感じを醸し出していた。さて、水を用意し準備体操をし、山頂目指して歩き出したのは10時30分
であった。這松の庭園らしきところから、やがて山道へとつながる。その山道は手が加えられ過ぎというか、階段状に段が作られ自らの歩幅で登れず余計に疲れ
を感じさせるようである。独立峰独特の単調な景色と登りに疲れがピークに達したころ(14時10分)王滝山頂に。王滝山頂の社で登山の安全を祈願し、剣が峰
へ、そこへ至る道の脇には黒い石の仏像・神像が、目だけ異様に光り、樹木のすでに絶えた、荒涼とした世界に並んでいた、その先には噴煙が山の脇から
轟音と共に吹き上げており、そこは静と動との織り成す一種異様な雰囲気であった。剣が峰に14:55に到着したが、王滝山頂より降っていた雨は雹に変わり、
遠くで雷鳴も聞こえ、廃業した山頂小屋の軒の近くでテント設営した。テントに入り小一時間も休憩して外を見ると、一面薄い銀世界に変わっていた。
夕食をとり酒を飲んで、いつものようにワイ談ではなく、この山がそうさせるのか、怖い話で夜が更け、噴煙の轟音はヤマタノオロチが暴れ、その前に目を
光らせた神像達が対峙しているかのようであった。22時ローソクを消し、シュラフへ、どうも寝付けない、一方の岳氏は寝息
その間にもヤマタノオロチは闇に咆哮していた....。

6/7(日) −地獄のお釜めぐり−
 最近の我々の登山にめずらしく5:20と超早起きで一日が始まった。その日の朝は薄く日が射し気持ちが軽くなるようであった。朝食はにんにく
のおろし、生卵入りラーメン。リキの付きそうな食事、さすがにテントの中は芳香が充満していった。
テントを撤収し、剣が峰の社で手をあわせ、いざ出発。7:20であった...。「昨日無駄な写真とりすぎたんやろー」と岳氏。そう、もうフィルムがなく、
むしろこの日の方がフィルムに納めたい景色が広がるのだが....。約20分程で二の池。池の反対側は雪がせり出しており、まるで氷河の様相。
池からの小さな気泡で、ここが噴火口であることを、改めて実感させられる。その水を飲んでぴんぴんしている岳氏に、丈夫な人やと改めてまた実感させられた。
そこから、飛騨頂上へ向かう途中の「サイの河原」では無数の「石塔」(この山ではケルンではなく)を縫うように歩を進めた...。
そして飛騨頂上には9:40着。眼下には三の池のコバルト色が霧にくすんでいた。かえすがえすも、写真をとれないのは痛いものだ。しかたなく網膜に焼き付けるが
如く2人たたずんでいた。
 9:50下山の途についた。ちょうど山腹を大きく横切るような道で、いくつもの尾根と谷を越える道で、単純な下り道でなくアップダウンが激しく、さらに追い討ちを
かけるように、雪渓が横たわっており、八合目に着いたときは疲労こんぱい状態。そこで、一旦休憩してコーンビーフを直火で焼く(岳氏がその場で思い付いた)
これが、なんと、ちょっとしたステーキの味。さらに30分ほど下って13:00ロープウェイ飯森駅に到着。ともかく一息ついてロープウェイに乗ったころ強い雷雨
今回、雨には遭ってるが雨の中の行軍は免れたようでラッキーと思ったのはつかの間。バスの運行は7月からで仕方なくタクシーで木曽福島へ、この女性運ちゃん話すきで岳氏と意気投合したように話しており、寝る目論見もくずれ駅へ到着。名古屋経由で2人大阪へと向かった。名古屋に近づくと晴れ間が出ており、
大阪へ向かう新幹線の窓の外は、夏の日差し。一方車内は大きい鞄のビジネスマンがが乗り込む、日曜のいつもの風景...。岳氏の顔もまた仕事の顔にもどりつつあるように思えた