コールマン山日記

 日程:1998年8月8日から8月13日        コース:屋久島宮之浦岳     メンバー:岳工作、コールマン


こんにちはコールマンです。この夏は8/9−8/11で屋久島の宮之浦岳へ岳工作氏と行きました。今回は登山のみならずすべてが印象
深いものとなりました。(長文となりますがご容赦を...)

8/8 − 念願の屋久島へ到着 −
 鹿児島空港到着口からは、帰省の客が吐き出され、家族旧友との再会を喜ぶ風景の先に、岳氏の顔が...。私は伊丹から岳氏は羽田から
約1時間の時間差(11:15)で我々は再会を果たし、今回の旅の始まりとあいなった。
 まずは、13:05の出発まで時間があるので、空港の食堂にて腹ごしらえそこで好奇心の強い2人は、さつまいもビールを試した。ほのかなサツマイモ
の甘さがあってこれがなかなかイケル、しかも少々アルコール度数が強いのか1杯目で2人とも饒舌となり、話が弾んでいるうちに屋久島行きエアーコミュータの
搭乗時間となった。搭乗に向かう通路からは、高千穂峰や韓国岳が見えていた。
 さて、私初めてのプロペラ機体験であるが、ジェット機は何か空気を突っ切るのに対して、プロペラ機はいかにも空気に浮いているという感じで、大気のかすかな動きも機体に伝わる、そんな感じが元来飛行機苦手の私には危うく感じられ、岳氏の「あれが開聞岳や、硫黄島や」の声もうわの空で、汗だけ
かいていた....。
 そして約40分後屋久島空港着。到着してともかく、ガスカートリッジの購入。出発前機内持ちこみ禁止の情報を得、岳氏が空港に売っているとの
確かな情報を頼りに出発したわけで、ハーフ缶500円と高めなのに目をつぶり購入。タクシーで宮之浦へ行き(2400円)、そこでレンタカーを
借りる、そこは「まつばんだ」と言う屋号で、タクシーも経営しているところで、岳氏曰く「汗ばんだ」みたいやなー。夕方まで島内をドライブ、本富岳を
はじめ、海にせり出す山容は洋上アルプスを彷彿とさせていた....。
 この日の寝床は、オーシャンビニーキャンプ地でのテント、我々はすぐ寝るはずもなく、例の「まつばんだ」のオヤジに「この辺でエエ居酒屋ありませんか」
と聞き出した、「八重」へ直行。その無口なオヤジの店でカウンターに陣取り、ともかくも屋久島到着の乾杯。肴を選ぶ合間に岳氏は隣に座っていた女性と親しげ
に会話を始め、「宮之浦岳に行くんですよ」。「あんたたちどっから登るの」などと山の話題が進むころ、「きついけど、あんたら若いから大丈夫だ」と
無口なオヤジも話に入り、黙って宮之浦岳の写真集を無造作にカウンターに積み出した....。結局、岳氏の人格か、その女性(Yさん)に11日に下山
予定地の白水峡に「車で迎えに来るよ」などということとなった....。
 夜更けテントには入らず星を見上げて寝転び、「宇宙の果てはどうやねん」「いつ宇宙が出来てん」、満天の星が我々の口からこう言った言葉を出させて
いた。「私ホーキング博士読んだことあるよ」いきなり、枕元から声、我々の会話を聞いていた他のテントの少女、「これから海中温泉に入りにいくの」
と、言葉をのこして闇に消えていった。星の夜は不思議に更けていくのか...。
 

8/9  - 洋上アルプスでの天体ショー - 
  結局テントの外で寝たまま起床、時刻はすでに7:00であった。 「おい、ワシの鞄知らんか? 帰りのチケットとか入れてある小さいヤツや」
 岳氏真顔でテントをまさぐるも見つからず、そのときはさすがに私も二日 酔がさめる心地、結局昨日のレンタカーのダッシュボードから発見。そのレンタカー屋
 のタクシーで、屋久杉ランド経由の淀川(ヨドゴウと発音)へと、向かった。この 愛想の良い運ちゃん、屋久島や屋久杉について延々と語ってくれた。途中
 屋久杉ランド、紀元杉で途中下車し、淀川より登山開始が12:40であった。 この南国人独特の風貌と誠実な語り口の運ちゃんに、原日本人のルーツを見る
 ような気がした。屋久島で出会った忘れがたい一人である。
  さて、うっそうとした木々の間を縫うように、登山道は細々と続き、 淀川小屋に着いたのは13:15であった。そこで遅い昼食。小屋の裏の沢で
 喉を潤す、水が甘く感じられるのではなく、まさに甘い。岳氏曰く、これ は軟水なんやでー。さっそくポリタンに満たし再出発したのが14:10。
 ここから、暑さと発汗で私はかなりバテ気味となり、休憩しては水ばかり 飲むパターンとなる。一方の岳氏はいつものペース。「やっぱりあんた
 水太りやでー。痩せなあかんでー」ポリタンのラッパ飲みの脇で岳氏の言葉。
  花之江河に16:20に到着。さらに、途中荷物を降ろして空身で黒味岳の 頂上へ17:20に立つ、今回初のピーク。目指す宮之浦、永田がそびえ、
 バテ気味の私も、それを見て登山意欲に火がつく。目を転ずると水平線 が見え、ここが島であることを改めて認識させてくれた。
  今回の露営地投石岩屋(ナゲイシと発音)に18:45着。先行パーティ多く、 隅っこに露営。夕食を食べるころには周りが暗くなっていた。と、先の
 方で歓声が、「なんや」と思いつつ、その先へ行くと、海の彼方から、 今まさに月が空と海全体をだいだい色に染めて昇ろうと....。
 たたずむ人たちも色に染まり...。思わず唾を飲み込んだ。 食事の後は「サソリ」のS字が南の空に現れ、刻一刻と山肌を縫うように
 移動していた。飽きることなく星座を見つめてその日は終わった。

8/10 - 宮之浦、永田の2峰に -
 6:00に起床。今日は時間省略のため朝食は途中で、という岳氏の発案。それでも出発は7:20。やはり気温が低めの朝は当初快調に歩を
進める。8:10沢の近くに出てそこで朝食。このころより日光が強く照りだす。少し歩くと汗が滝の様に流れ出てくる。またこの付近より
植生が完全に低木(這い松系)となり、日光が否応無く全身に降り注ぐ。小高いピークを2つほど越えてようやく宮之浦岳に到着。予定より2時間
弱遅れての9:50。山頂は狭く多くのパーティがひしめき合うようにたむろしていた。「もしもし!今、ワシどこやと思う?」と早速、岳氏は職場へ
携帯。「ワシが居らん思って羽伸ばしとるんやろー」と一喝...。まわりは薄緑の低木に覆われ、その頂上に巨岩が、さも人為的に乗せた、
山々が付き従い、以前見た宮崎俊監督の映画の一場面にあった景色であった。
 さて、ここを10:40に出て、途中の永田岳に向かう分岐点で最小限の荷物にして、永田岳往復ピストンに向かった。この登山道は多雨のためか
道が深く削れており非常に歩きにくい。加えて岳氏は、半ズボンのいでたち、のため日焼けした膝上が這い松に擦れて、痛そうな状況。ようやくピーク
上の人物が認識できる高度に達しても、なかなか近づかず苦しい登りであった。そして、巨岩を這いずりあがりようやく頂上へ、ほとんど正午であった。
先には宮之浦、反対側は海がはっきりとの眼下は、永田の町が小さく見えていた。ここでも「もしもし、どこだと思う?」と先行者が九州訛りでしゃべって
いた。永田からの下山途中、岳氏の膝を這い松の枝が直撃...。さすがの岳氏も悶絶...。これより左足を引きずって苦しい登山となった。
 途中平石付近で遅い昼食を摂り、第二展望台あたりから再びうっそうとした樹林の道、木の根が多く歩き難い、膝負傷の岳氏、気力の下山道が続いていた。
 16:40なんとか新高塚小屋に..,露営目的地の高塚小屋まで一息といったところであった。が、「高塚はテント張る場所ないよ」と高塚から登ってきた
人。我々疲れもあって、その分明日早起きしよう、との条件付きでここで露営。
 夕食時に、人慣れした鹿の訪問をうける。誰かが餌付けをしたのか、じっと我々の食事を見つめていた。「野生の鹿に餌を与えるのは良くないことです」
行きのタクシーの運ちゃんの言葉が、思い出され、その鹿の目がなぜか哀れな色に感じられた。

8/11
 昨日の約束とおり、5:10と我々にしては驚異的な早さの起床。朝食とテント撤収のあと7:15に新高塚小屋を出発。昨日に引き
続き、木の根と岩の多い道で岳氏辛そうであった。8:15高塚小屋を通過、やはりテントサイトが狭く、新高塚で泊まって良かったと
感じた。そこから約15分下って、今回の第二の目的「縄文杉」に、見物人が根を傷めないように、との配慮から作られた展望台の前
の舞台にその孤高の老人は毅然と静かに立っていた。6000年もの歴史がその白く節くれだった体に染み付いているような、そんな
感動がそこにはあった....。
 続いて、大王杉、ウィルソン株と巨大杉を通過し、山道とはお別れして、その昔切り出した木を運搬していたトロッコの通って
いたレール道に出た。その道は枕木の上に板を敷いて道にしてあり、単調だけどそれまでとは違い歩き易く、比較的早いペースで歩を
進めた。この道に飽きたころ12:40辻峠に向かう分岐点に到達。「宮之浦から白水峡への道は車両通行止めみたいですよ」と登山者から
の情報。「おい、それやったらYさんこられへんでー」岳氏。私は内心これから苦しい辻峠をさける良い口実になるなーなど思う。
「ほんまかなー」「でも行ったほうがええでー」「今は通れるのちゃうか」と、小1時間は過ぎた。「大丈夫大型車だけです」辻峠方面から来た
登山者の一言で決定。13:30白水峡目指して力を振り絞る。
 久々の登りで2人とも寡黙に激しい息遣いのみで、苦しい登りを続け、14:25辻峠に到達。約50分休憩して15:25辻峠を出て白水峡へ
白水峡には16:40に到着。さて例のYさんはまだ来てないのか、それらしい人も見当たらない。されど携帯も通じないし....。
「おい、待ってもけえへんかったら帰えれんでー」と岳氏、「うちら遅かったからもう帰ったんちゃうかー」。しかたなく、3人で観光に
来られていた人の車にお邪魔させていただき、宮之浦へ。途中、携帯OKの場所でYさんへTEL、どうも車が急に故障したとのこと。
 その日は宿泊まりで、風呂で汗を流し、バーベキューを食べて居酒屋「八重」のオヤジへの下山報告。さらにYさんの勤めるスナック
「パスポート」へも下山報告をし、店を出ると浜からの夜風が心地よかった。

8/12、13  - 番外編 -
 この二日間は山とは直接関係ありませんのであしからず。
 
8/12   - スキューバー ダイビング-
 この日は、Yさんの口利きでスキューバーの体験コースをしました。さすがに海に潜るまでは不安を隠すためか、海までの車のなかで岳氏と
ダジャレの競演状態...。「この関西人どうにかしてー」とアシスタントの女性も呆れ顔。
 でもいざ海に潜ると、体が軽く(地上では体重がモロ掛かるが)、背負っているボンベも重さをまったく感じない。岳氏は早くも
コツを掴んだのか快調に泳ぎはじめる...。時間を忘れたころボンベの空気残量を確認。「やばい、もう無い!」急いで、手振りでインストラクターに
残量を通知。急ぐため手を引いてもらって岸へ急ぐが、とうとう空気が全く来なくなった。口の前で手でバッテンを作ると、インストラクターが
ベストに空気を注入、そのままあお向けに浮いて岸へと、なんとか到達。「太っていると空気消費量が多いんですよ」とインストラクター氏。
「と、いうことは私は地球にやさしく無いアンチエコマークですね」と応じ、そのパニック寸前の状況から開放された安堵感を味わっていた。
 その日は午後も別の場所でダイビングを楽しみ、心地よい疲れとともに、夜は居酒屋「八重」へ当地最後の夜。このころになると
見かけによらずいい人だということが良くわかり、夜が更けるころには黙って、三岳(屋久島の焼酎)のボトルをカウンターに置き、
目で「お前達勝手に飲め」と言って無造作に差し出した。

8/13   - 屋久島を後に -
 飛行機は午後なので時間があるので、レンタカーで大川の滝、フルーツガーデンと観光。大川の滝では滝つぼで、海パンの準備の岳氏は誰も泳いでいない
滝壷を気持ち良さそうに泳いでいた。さて、車に乗り込もうとしたとき「奇遇ですね-」、白水峡で乗せてもらった3人と再会。先に滝を出た我々
だがこの後、フルーツガーデン、土産物屋でまたまた再会することとなった。 昼にレンタカーを返し、タクシーで空港へ...。「その節はどうもお世話に..。」
「無事山に登れたんか」淀川まで世話になった運チャンが客待ちでいた。なんか私も岳氏も旧友に再会した、そんな思いをお互い持った..。
 残ったガスコンロを空港に預け、機上の人となった二人。鹿児島空港からさらに伊丹へ、伊丹へは17:00、とうとう帰ってきた。ここでいったん
岳氏と別れ、荷物を置き、風呂に入って19:30なんばで再会。まずは生中で乾杯尽きぬ話を肴に熱帯夜も更け、居酒屋「八重」のオヤジも無愛想に今日も
カウンターで酒を作っているのかナー。