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丸竹フライロッドと6角フライロッド![]()
西洋では竹を裂き、東洋の島国では丸竹のままで竿を造っていた。
それぞれの釣りに対する想い、風土、文化に相違があるにせよ、なぜにこれほどまでに異なる竿が、それぞれの国で独自の発展してきたのか?ふたりに出会いはあったのか? 鎖国に翻弄された二人の運命は?
果たして、歴史は答えられるのかっ! 果たして、らいじんは・・・・×○△!!・・・なにを思ふのか?!

●近世時代の英米の竿事情 「木の時代」
17世紀の英国では、貴族達のたしなみとして狩猟や鱒釣りが行われていました。(現在も)
アイザック・ウォルトンンの時代ですね。
この頃の竿はヒッコリー、ランスウッドといった硬く弾力のある木材で作られていました。さぞや重かったでしょう、さすがアングロサクソン。
ヨーロッパには竹類は分布していないため、恐らく釣り狂いの紳士達は、より軽く折れ難い素材を求めて試行錯誤をしたのでしょう、少し時代が下ると、グリーンハート(緑芯木)を素材とした竿がお目見えします。ヒッコリーの原産は北米、グリーンハートは西インド諸島や南米といわれています。ヨーロッパ列強がアフリカ、アジア、南米に富を求めて出かけていった時代です。竿素材に対するあくなき願望は、列強の勢力範囲の拡大に伴って、その調達エリアが変化しています。(竿素材の調達というより、新素材が輸入されるたびに釣り狂いの紳士が試していたのでしょう)
1602年になると、東インド会社が設立され、東南アジア〜東アジアへの進出を果たします。この地域にはバンブーが分布しています。当地では家屋に使ったり、日常生活用品として加工したりしていましたから、当然、列強白人種の目にとまり、その弾力、軽量さなどに目を付けたに違いありません。
ただし、この時代にはバンブーを釣り竿にしようとする紳士は歴史には登場していません。
ちなみに、このHP製作中にe-Bay auction にグリーンハートで作ったロッドが出品されています。興味があるので入札していますが、落札できたら「Otakara」コーナーに写真をアップしときますね。85ポンドまでがんばったのですが落札できませんでした(Feb/2003)
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先日、ぐっとお安くゲットしました。「お宝Collection」へGO! 2003.3.15
●近世時代の日本の竿事情 「のべ竿〜継ぎ竿 黎明期」
1675年、京都の北村季吟が著した句集に「いれこ竿」の記述がでています。
これ以前はというと、国内にはいたるところに様々な竹が分布していますから、釣りの際、適当にちょんぎった竹を「釣り竿」として使用していたことは間違いありません。つまり、「いれこ竿」とか「継ぎ竿」とか、生えている竹に何らかの加工を施したものを「竹竿」とすれば、近世後期からの歴史になりますが、竹を切っただけの釣道具としては相当古い歴史があることは容易に想像できます。
●現世前期の英国の竿事情 「スプリットケーン創生期」
英国紳士が東南アジアに進出しバンブーの存在を知ってからおよそ150年ほど経た1850年前後がスプリットケーンロッドの創生期のようです。「英国のフライフィッシング史」の著書である椎名重明氏によれば、最初にスプリットケーンロッドを考案したのは米国のサミュエル・フィリップなる人物だそうで、恐らく1850年前後のことだといわれています。
疑問→東南アジアに進出した釣り好きな英国紳士がなぜに100〜150年もの間、竿素材としてバンブーを捉えていないのか?
おまけにスプリットケーンロッドの発案者は米国人です。なぜ?
●現世前期の日本の竿事情 「竹竿発展期」
1788年、泰地屋東作が創業を始めました。 この時期、日本は鎖国しています。平安な江戸文化が花開き、だんな衆といった経済的に裕福な都市住民が出現します。また、戦の無い武士階級も新しい文化形成に一役買っています。
古今東西、工芸的な技術が熟成され芸術に昇華してゆく過程には必ずパトロンの存在が欠かせません。鎖国は竹竿のゆりかごとしての役割を果たし、江戸・京都・庄内藩・加賀藩などで独自の技法が熟成され工芸的製品に発展していきます。
一方で、英米の釣りキチ紳士達は日本が鎖国していたために、暫くはこのような釣竿の存在を知らなかったはずです。
●現世後期の英米の竿事情 「スプリットケーンロッド発展期」
裂いた竹で作ったロッドは、その反発力、しなやかさに加えて軽く、折れ難いことで、恐らく「木のロッド」をあっという間に席巻したことでしょう。オーヴィス社に次いでハーディー社、さらにレナード社が創業し、やがて順調に商業ベースにのり発展していきます。
この時期の逸話として、グリーンハート竿信奉者による「合成竹竿」に対する誹謗中傷が記録されています。
また、ほんの一時期、鉄製ロッドがあったことを付け加えておきます。きっと製鉄技術の進歩で軽量・繊細なテーパーが作れたのでしょうけど、それを振る腕力とは、おそるべしアングロサクソン。
中国に列強の基盤作りができたのでしょうか、この頃からトンキンケーンの輸出が始まっています。
●現世後期の日本の竿事情 「工芸的充実期」
東作一門のほか、江戸には数十を超える竹竿工房が出来ています。竿の機能的技術はすでに完成の域に達し、本格的な漆工芸を取り入れるなど、まさに工芸品としての出来栄えを競いあっていました。江戸から明治時代に入り、西洋文化が急速に浸透していく時期でもあり蒔絵や金銀の象嵌をあしらった竿まで製作されています。
驚くべきことに、この時期に「丸竹ロッド」が北米を中心に輸出されています。三代目東作を中心に「外通しニッケル金物糸巻き付き」で「鮭鱒竿」と呼んでいたらしい。素材は布袋竹の継ぎ竿ですから、まさに元祖「丸竹ロッド」ということになります。ただこの竿の用途がベイトフィッシング用なのか、ルアーなのかフライ用なのか判然としません。
この件に関しては、以前「バンブーホームページ」を主宰する渡辺さんに質問したところ、「一時期、カナダのサーモン釣には、布袋竹のロッドが最適とされ、結構輸出されていたようですよ」とのご返事を頂きました。とすると、ウェットフライ釣りの可能性もありますね。
この竿が輸出される少し前に、オーヴィス社、ハーディー社、レナード社が創業していますから、この時期に二人は間違いなく出会っていると考えられます。
しかし結局、、丸竹ロッドは欧米社会に根付かなかった・・・・・
●現代の英米の竿事情 「黄金期」
世界大戦後の復興とともに娯楽として釣り人口が急増します。グラスロッド出現までは歴史あるバンブーロッドメーカーのほか、シェイクスピア、サウスベンドなど普及タイプの量産型バンブーロッドが市場にあふれます。
しかしグラスロッドが開発され伝統あるバンブーロッドメーカーも含めこの新素材のロッドを次々と発売し、バンブーロッドは主役の座を譲り渡すことになります。
ただし市場でのシェアといった価値観ではなく、ロッドメーカーの技術、コンセプト、完成度、そして使い手の成熟度からみてみると現代はバンブーロッドの黄金期といえるのではないでしょうか。釣りという趣味の奥深いところでもあります。
例えばゴルフ場で、いくら懐古趣味といっても今時パーシモンでティーグランドに立つヒトは皆無でしょ?
つまり、ロッド素材の選択肢が数あるなかで、バンブーロッド信奉者が歴然と存在し新素材の数倍以上もする価格のバンブーロッドを数年間も待ちつづけ手に入れる、このプロセスを考えるとまさに黄金期であるといえます。
ある信念をもった作り手がいて、それを理解し或いは賛同した上で所有し使用する、道具としての釣竿の流通としては、とてもまっとうな市場が形成されていることに感銘すら覚えます。
●現代の日本の竿事情 「頂点と没落」
日本でも戦後の復興にともなう経済成長の結果、釣り人口は爆発的に増加します。特に進駐軍相手の商売や輸出では$1→360円の時代ですからさぞかし「儲かった時代」のでしょう、東京のみならず埼玉県の川口あたりでも竿屋が乱立した時代です。その多くが「ラッカー竿」と呼ばれるいいかげんな竿だったと言われています。
この時期、東作や喜楽が六角バンブーロッドを「スーベニア竿」として発売し結構儲けたとされています。海外オークションでもこの手の竿はよく出品されているので、相当数が輸出されたと思います。
当然、時を同じくして国内においてもグラスロッドが発売、竹竿の地位は急落します。東作でさえ倒産の憂き目にあうことになります。
その後の「和竿」の凋落は目を覆うばかりで、現在竿師として伝統を受け継いでいる方々は高齢であり後継者もほとんどいないのが現状です。年金受給者でなければ竿師として生活が成り立たないとも言われています。
日本現代においては、和竿に対する作り手の手間・技術的価値を認め、その対価を支払う釣り人が少くなくなったのでしょう。逆にいえば「和竿」にはその価値がないのでしょうか?
●「裂いた竹」と「そのまんまの竹」
天然素材のなかでは「竹」が釣竿素材に最適であることは東西ともに認めるところです。年表からわかるように、英米では「木」から「竹」に至る時代、その活動範囲が中国南部からインドで、太いバンブーの自生地と重なります。これを裂き釣竿にするために100年以上の年月が必要でした。
もし、このとき日本が鎖国をしていなかったら? 英米のビジネスマン(黒船)がもう少し早めに江戸に入り、当然釣り好き紳士がいたでしょうから東作をはじめとして、すでに完成の域に達していた「和竿・丸竹」に目をつけたに違い有りません。もし、あと50年早く江戸入りしていたならば、いまごろ「Tonking」ではなく「Hotei」や「Yatake」なんて単語が通用していたかもしれません。
しかし現実に「黒船」がやってくるのは「裂いた竹」でオービス社が竿を作り、ハーディー社もこれに続くといった時代でした。
その後、明治中期〜後期には「丸い竹の竿」が北米を中心に輸出されていますが、裂いた竹の竿があるから、「丸い竹の竿」が不要だったのか?あるいは「丸い竹竿」は、この釣りに適さない何か致命的な問題を彼らが見抜いていたのでしょうか?
●「丸い竹竿」が英米で根付かなかった理由
@丸い竹竿は曲がりが出やすく、これを修正する手段がなかった?
A冷涼乾燥した彼の地では、丸竹竿は傷みやすく、結果として評価を落とした?
B和竿師はまったくフライフィッシングを理解していなかったため、フライロッドとしての完成度が低かった?
Cやはり六角バンブーロッドの方が優れていた?
理由としては、こんなところでしょうか?
Bに関しては、国内での和竿の凋落ぶりとなんらかの関係がありそうです。スプリットケーンロッドが化学繊維を使った新しい竿に対して独自の地位を築いているのに対し、我が和竿はどーなんでしょう?
仲間内では「そうは言っても道具である。独自のアクションはまだまだ極められる」派と「所詮カーボンにはかなわんわい。ならば装飾にとことんこだわってやる」派に大別されます。らいじんとしては「道具派」なんですが・・・
●極最近の出来事
ここ数年来、同時多発的に在来の竹を見直し「丸竹フライロッド」を作る人が増えています。またスプリットケーンロッドも、真竹などの在来種で竿を作るビルダーもいます。
英米にくらべ多様な竹素材が身近にあり、容易に調達できる環境からみれば至極当然の成り行きだと思います。
恐らく鎖国のために「すれ違い」だったのだろう東の竿と西の竿が、今、日本人の新しい作り手によって出会う。その時期が近いような気がします。
生まれたての「丸い竹のフライロッド」が、どのように育っていくのか、楽しみです。
ご意見お待ちしております。 んでは・・・
参考文献: 「竹、節ありて強し」 東作6代目 松本三郎著
「竿忠の寝言」 三代目竿忠 中根音吉著
「アメリカの竹竿職人達」 阪東幸成著
「平成の竹竿職人」 葛島 一美著
「竹とささ」 室井 綽・岡村はた共著
「英国のフライフィッシング史」 椎名重明著