トプカプ宮殿
オスマン帝国の栄華を誇る宮殿で1855年迄オスマン帝国サルタンの政庁が置かれていた
金角湾とマルマラ海を望む丘の上に位置し城壁によって包囲された頑強な要塞であった
トラヤヌスの泉
ローマ皇帝トラヤヌスに捧げる為に102〜104年にかけて建造された。
皇帝の彫像の下から水が吹き出る仕組みになっていた。
トロイの木馬
岩肌には「鳩の家」と呼ばれている鳩の巣の無数の小さな穴があるが 昔から村人は鳩の糞をブドウ畑の肥料として使ってきた。
モザイクの道
メミウスの記念碑
巨大な一つの岩でできた城砦を取り囲むように村がある。
村の北側に広がっているのがギョレメの谷でペリバジャ Peribaca (妖精の煙突)と呼ばれる奇岩が林立している。
ウチヒサール
タクシム広場の共和制記念塔
ブルーモスク (スルタン・アフメット・ジャミイ)
挨拶の門
羊毛と絹の染色
繭から絹糸を紡ぐ
古代遺跡の宝庫エーゲ海沿岸で最も大きくかつ美しい姿で残っているのがエフェス(古代名エフェソス)である。
B.C.11世紀にギリシアからやって来たイオニア人によって築かれた都市国家で古代から豊饒の女神アルテミス
の信仰でも知られている。ヘレニズム(ギリシア風)文化が花咲きローマ帝国になってからも都市は繁栄を続け
収容人数24000人の大劇場も造られた。劇場では仮面劇や全市民が参加できる議会などが行われていた。
キリスト教との関わりも深く聖母マリアは晩年を遺跡南近郊の地で過ごし ここで昇天されたと伝えられている。
ギリシアの詩人ホメロスが「イーリアス」に描いたトロイの物語の伝説を
史実と信じて19世紀に ドイツ人の貿易商シュリーマンが遺跡を発掘した。
トロイの遺跡は街が戦争や地震で崩壊する度にその上に新しい街を
築いていった為BC3000〜AD500年頃までの時代の都市の遺構が9層に
複雑に重なり合っていて 時代別に理解するのは至難の技である。
シュリーマンは自分の思い込みで「ホメロスのトロイ」より新しいと考えた
遺構は壊して掘り進んだ為 第3〜第5市は殆ど残っていない。第2市と6市の
城壁と第9市(ローマ期)の劇場跡は比較的よく残っている。
出土した装身具は高度な文化を示しており 現在も発掘は続けられている。
遺跡の入り口に伝説で有名な「トロイの木馬」がある。
材料の松の木 形 大きさなど史実を忠実に復元している。
ホメロスはBC8世紀頃の古代ギリシア最大の叙事詩人であり吟遊詩人であった
と伝えられている。トロイの古代名はトロイア(Troie) その首都はイリオン(Ilion)
又はイリオス(Ilios)で「イリアス」は「イリオンの話」と言われている。
もともとは文字ではなく口承によって伝えられてきた物語がBC6世紀後半に
アテナイで文字化され BC2世紀頃エジプトのアレキサンドリアで現在の形に
なったものと考えられている。
「イーリアス」はトロイの王子パリスがスパルタのヘレンを誘拐した事から始まる。
10年続いたトロイア戦争のある日に生じたギリシアの英雄アキレウスの怒りから
イリオスの英雄ヘクトルの死までを描写している。アキレウスはアキレス腱の語源。
BC1200年頃 ギリシア軍は奇襲作戦を立てて アテネの神に捧げた巨大な木馬を
残して撤退を装い トロイの人々が勝利の宴に酔っていた深夜木馬にひそんでいた
兵士が城門を開いて軍隊が攻め込み トロイを滅亡へと導いた。
ギリシア神話 「神々の世界」 「英雄達の世界」 松島道也著 河出書房新書
東西文明の十字路と言われているトルコ共和国の国土は日本の約2倍で97%はアジア側 (アナトリア高原)3%がヨーロッパ
側(トラキア丘陵地)にある。ヨーロッパとアジア側はボスポラス海峡 マルマラ海
ダーダネルス海峡によって分けられている。
.アナトリアは東部に広がる高原地帯で紀元前2000年頃にヒッタイトが紀元前700年頃にアッシリアが興亡を繰り広げた。
人口は約7000万人で古代からの壮大な歴史があり古代遺跡は国中に点在し13にものぼる文明の歴史的遺産の宝庫である。
イスタンブールの前身であるビザンチウムは 193年にローマ皇帝セヴェルス帝に征服された。4世紀
ローマ帝国は拡大し
コンスタンチン帝はビザンチウムに遷都を決意し 330年にローマ帝国の首都コンスタンチノープルと名付けた。
395年ローマ帝国は東西に分裂し西ローマは滅亡した。東ローマ帝国はキリスト教国家としてその後一千年も続く事になる。
1204年ラテン人に占領され徹底的な略奪を受け 1261年に漸くラテン人を追い出すが
1453年にメフメット2世率いる
オスマントルコに征服されてビザンチン帝国は滅亡した。オスマン王朝は600年にわたりブルサとイスタンブールを
都として エジプトを含む北アフリカ 西アジア バルカン半島 ウイーンを含む東欧にまで及ぶ大帝国を築き上げた。
イスラム世界の教主カリフの位も兼ねることとなり イスタンブールはイスラム世界の首都の地位を保っていた。
第一次大戦の敗戦後 陸軍将校ムスタファ・ケマルは救国の独立戦争により 1923年にトルコ共和国を建国した。
ムスタファ・ケマルは初代大統領に選ばれて「 トルコの父・アタチュルク 」という尊称を送られた。
平和と安定により経済発展と近代化を実現し 政教分離と民主議会制に基づき人権が擁護されている。
共和国の首都はアンカラに移されたがイスタンブールは今もトルコ最大の都市としての揺るぎない地位を保っている。
初めてのイスラム圏への旅行でしたが歴史遺跡 文化 美しい自然 美味な料理 民族楽器音楽などを満喫した楽しい旅でした。
ボスポラス海峡より新市街を望む
ボスポラス海峡より望む旧市街
ドルマバフチェ・モスクとボスポラス大橋
王宮より望むマルマラ海
テオドシウスのオベリス (32m)
古代競馬場跡に建つエジプトから運ばれたもの
アヤソフィア博物館
ビザンティン様式の最高傑作と称される高さ55メートル 直径36メートルの大
ドームの聖堂でオスマン帝国時代に建てられた4本のミナレットを持っている
ブルーモスクのドーム天井
ステンドグラス
アヤソフィア聖堂内部
至福の門
2世紀に建造されたトラヤヌス神殿
白大理石の円柱が美しいコリントス様式
300mの丘の斜面にエウメネウスU世によって作られた大劇場
一万人を収容しベルガマの街が一望できる
メインストリートの大理石通り
劇場からケルスス図書館への大理石の道
ケルスス図書館はアレキサンドリア ベルガマと並んで
世界三大図書館と言われ12万冊の蔵書を誇っていた。
碑文によればこれらの彫像は 知識(ソフィア) 学識(エピスティム) 聡明(エンノイア) 高潔(アレーテ) を象徴するとされている
ハドリアヌスの神殿
A.D.138年頃ローマ皇帝ハドリアヌスに献上したもの
アルカディアン通り
劇場から港まで続いていた通り
大 劇 場
第9市の小劇場
第6市の城壁
エーゲ海沿岸では何千年もの昔から トロイ ベルガマ エフェソス など多くの文明が繁栄と興亡を繰り返してきた。
ベルガモン王国は紀元前2世紀にベルガマのアクロポリスの丘陵に華やかなヘレニズム文化芸術の花を咲かせた。
エジプトのアレキサンドリアに匹敵する学問の都でもあったが 5代150年で終焉の時を迎えてローマ帝国に下った。
エウメネウスU世が造った図書館は蔵書約20万冊ありアレキサンドリアに次ぐ世界第2位の図書館と称されていた。
神々の王「ゼウスの祭壇」などは礎が残るのみで ベルリンの「ベルガモン博物館」に復元展示されている。
神殿の他に大劇場 公衆浴場 公衆トイレ 水道橋 噴水泉 競技場 演武場 教会堂 音楽堂 図書館などの公共施設が造られていた
♪Cavatina♪by Stanley Myers
♪Estudio月光♪by Fernando Sor
ケルスス(セルシウス)図書館
エフェソスの遺跡の中でも最も完全な美しい姿を見せている建
117年から125年にかけてジュリアス・アイクラが父ケルススの為に建設した
ビザンチン帝国時代の6世紀中頃ユスティニアヌス帝
の命により建設された地下の大貯水池。141mX73m
劇場の中央は皇帝の席
第2市のランプ(斜堤路)
336本の高さ8mの柱が天井を支えている
地下宮殿
見たものを石に変えると言われる魔女
柱の基盤のメドゥーサの首
富士山
翼を持つ勝利の女神ニケ
画像と音楽はネット上より拝借