2002年7月16日〜25日にかけて35年の生涯で初めて入院した。
そんな初体験を自分の記録も兼ねて適当にダラダラと書き綴ってみた。
しゅっちのレポより全然面白くない真実がここに!!

【事件発生】
7/13、その日は朝8:00から代々木公園でSKA-Vibratorsの次回作のジャケット撮影があった。そして更にその夜は渋谷でライブだった。当然打上げもあったのだが、どーしてもパス出来ない理由がありイヤな予感がしつつも参加した。
実は、この1ヶ月次回作のために休日をほとんど費やしており、かなり疲れていた。そのため、7/15の月曜日を完全休日に充てようと事前に有給休暇もとっていたのだった。

打上げが始まったのは、0:00からだった。今日は1日の始まりが早かったのもあって昼間からダラダラ飲んで、更にお約束でライブ前後で飲んで、俺的には、一番悪いパターンの飲み方だった。打上げ中もあまり調子が良くはなかった。
そんななか、つまみでベーコンで何かを巻いた串ものが出てきた。何やら黄色っぽいモノが巻いてあった。てっきりジャガイモだと思って何の気なしに1つ口にしたが、あろうことか、中身はなんとパイナップルの身(缶詰?)だった。こんなまずい食い物は久々に食べたというくらいまずかった。しかし、残すのもカッコワルイのでなんとか無理に飲み込んだ。それがどうもいけなかったらしい。

打上げも滞りなく?進行し、参加した理由の用事も済ませ、後は中締めを待つだけになった。
そんな時、何やら胃がムカムカしてきた。そしてトイレに駆け込んだ。先のベーコン巻きを速攻で吐いた後、続けてワインのロゼみたいなのも吐いた。どうやら血が混じっているようだった。「胃潰瘍か?」そんな不安を抱えながらその日はカプセルホテルで一夜を明かした。

【自首】
翌日は、次回作で競演するSome LightのMIXの立会いだった。その途中で何回かトイレに行ったが、どうも便に血が混じっているようだった。しかし、体調は全く悪くなかったのでそのまま1日過ごした。

そして自宅で一夜明け、月曜日の有給休暇を迎えた時から体調がオカシクなってきた。横になっている時はいいが立つと強烈なめまいがするのだ。立ちくらみなんてもんじゃなかった。とっさに胃からの出血が止まらなくて貧血になってるのだろうと思った。しかし、丸1日あるのでなんとか直るだろうと思い家でじっとしていた。

とにかく病院に行ったら終わりだと思っていた。直感で絶対行けば入院だとわかっていたからだ。色んなしがらみから入院だけは考えられなかった。しかし、夜中に1度意識が薄くなって倒れた時観念した。もうだめだ。こうなったら逮捕(救急車)だけは避けよう。なんとか自首(自力で病院へ)しようと思い、翌日ヨメさんにタクシーを自宅へ呼んでもらい、なんとか病院へ駆け込んだのだった。

【判決】
立川の某病院だったがかなり混む病院で、診察を受けるのに1時間半かかった。
そして、やっと担当医を前にし罪状(症状)を白状すると、安堵感からか一気に気を失った。そしてキャスター付きのベッドに乗せられて、さっきまでの自分同様順番待ちの人で混み合う廊下をまるで『カリートの道』のアルパチーノのように胃カメラ室まで運ばれ、胃カメラを飲み込んだ。

はたして、てっきり胃潰瘍だと思っていたが胃と食道の繋ぎ目が切れて出血する『マロリーワイス症候群』と診断された。それと『貧血』 どうやら吐いた時に何かがちょうど血管がある部分を引っ掛かけて切ったらしいとの事だった。とっさに思った。きっとあのクソまずい『ベーコンのパイナップル巻き串』が原因だろう。そして固く誓った。まずいものは食べかけでも勇気を持って残そうと。

とりあえず止血し、その後判決が言い渡された。
『入院2週間、自宅療養1週間』
それは、入院だけは絶対にしたくなく、入院自体した事がない俺にとっては重過ぎるものだった…

 

入院が決まりショックを受ける俺

これが証拠?のネームプレートっす

 

そんなこんなで入院が決定した。6:00起床21:00消灯。外出すらままならない自由のきかない状態での入院は、まさに(経験した事無いけど)獄中のようだった。そんな入院中の事を時系列を追って書いても仕方ないので、ここからはランダムに書き殴る事にする。

【電話2本】
入院決定後まず最初にやった事、それは電話を2本かけた事だ。会社と奥@リーダーへ。まさにアメリカ映画の逮捕されたヤツの権利みたいで面白かった。しかし、極度の貧血のため、電話をかけるのもまさに命懸けなくらい大変だった。(ちょっと大袈裟)

【死ぬ瞬間?】
今回の事で一番感じた事、それは、『死ぬ瞬間』ってのは、意外とあっけないのかな?という事だ。
貧血で気を失ったなんて経験ももちろん初体験だった(今回計4回体験)が、『あっ!』という間にバタっと崩れ落ちた感じ。で、しばらく意識無し。なんだかグルグル体を回されているような夢?を見た時もあった。
きっと出血多量で死ぬ時なんてこんなもん感じなんだろうなと思った。痛いとか感じてる余裕ないんだろうなぁ。

ちなみに先にも書いたが、キャスター付きのベッドで移動している時なんてまさに『カリートの道』 ぼんやり廊下の蛍光灯を眺めながら移動するなか、まるで誰かが俺の体を地面に引っ張っている感じ。なかなか楽しい瞬間だった。『カリートの道』観てて良かった。

【胃カメラ】
これも初体験。1回目は入院直前。この時は喉の奥に注射器でピュッと麻酔薬をかけて胃カメラ挿入。胃カメラ自体は、かなり気持ちの良いものではないが、事前に聞いていたよりは楽だった。
それより辛かったのは2回目。この時は、麻酔薬を喉でうがいするような状態(位置)で5分間留めておくようにといわれた。ドロっとした液体を上を向きながら5分間もその状態にするのは胃カメラ挿入より辛かった。もう2度とゴメンだ。

【病室】
3人以上部屋→2人部屋→個室という3ランクの病室があった。ランクアップ毎に+6000円、+9000円。当然3人以上部屋を選択した。
結局6人部屋だったが、これが結構スゴイところで獄中っぽさに更に拍車をかけたのだった。

こんな感じの病室(6人部屋)
もちろん周りの音まる聞こえ!!

病室は満員で他に5人いた。

まずは、入口スグ右側の若い衆。痔だったらしくなかなか元気そうでスグ退院していった。

次に結構具合悪そうなおじいちゃん。通路挟んだ対面にいたけどあまり気にならなかった。

奥側の隣は古き良きサラリーマンといった感じの50代のおじさん。会社の上司やら同僚やら見舞い客が多く、会話の内容を聞くとソフトボール部の活動やら、BBQやら、労働者組合の役員選挙の話題やらで、なんだか昭和にタイムスリップしたかのようだった。

対面側の一番奥は、かなりの困ったちゃんだった。まだ20代と思われるちょっと(違った意味で)アブなそうな彼、ラジカセを持ち込んでいたのだが、寝る前(消灯時)に必ずヘッドホンで音楽を聞きながら唄を唄うのだった。しかもかなりの音痴。注意しようと思ったけど点滴に毒物でも混入されたらかなわないのでガマンした。たまに派手そうなおかーちゃんが見舞いに来ていたが、か〜なりの過保護な感じ。

そして残る一人、隣のおじさん60代半ば。糖尿だったらしく注射やら血糖の計測を自ら行うよう義務付けられていた。しかし、「素人にこんなの(やり方)わかるわけねーじゃないか!」と愚痴りながらしょっちゅう看護婦や医師と揉めていた。素人って…
かなりの競輪好きらしく昼間は立川バンクへ遠征していた模様。 
しかし、よく泣きながら愚痴っている様子もうかがえ、なんだか身につまされる思いだった。
おっさん、いつか立川バンクで会おうぜぃっ!!

俺のベッドの様子

更に良く見ると…

お気入りの
ソフトバービーちゃんが!

足元側には移動テーブルと有料TV

「いいとも」のゲストは
偶然にもなんとあの
かたせ梨乃!!

【点滴】
これがまた初体験。率直な感想は、『手錠』
とにかくこれをしている最中(都合7日間)は、常に拘束されている感覚に陥った。獄中でも手錠はしないぞ!

もちろんシャワーを浴びる時は外してもらえるのだが、これがまさに『マトリックス』のプラグ状態。点滴の袋からは開放されたとは言え、体に太い管が刺さったままの状態ってのはあまり気持ちの良いものではなかった。

点滴同時3袋注入!!

左手首外側にガッチリ埋め込まれた
点滴用の太い管(6、8の少し下)

【絶食1週間】
患部に刺激を与えてはイケナイという事で丸1週間絶食という事になった。さぞや大変かと思うだろうが、実際は違って点滴をずーっと絶え間なく続けていて、更に全然動かないので別に腹が減る事もなかった。これはかなり助かった。
しかし、毎日8:00、12:00、18:00の食事時間は、まわりの患者が全て食事をとっていたため、かなりツライ時間ではあった。匂いが〜。1週間後にとった食事は、どんなご馳走にも勝る素晴らしいものだった。

1週間の絶食後の初食事!
焼きシャケ、卵スープ、茹でモヤシ
鶏肉と椎茸の炒め物

【食べたいモノ】
そんな絶食の最中、もちろん食べ物について考える事もあった。いや、考えるというより欲望が芽生えたという方が正確だろう。それは、アメリカの死刑囚の『最後の晩餐』じゃないけど一番飲食したいものはなんだろうという事だ。
結論から言うと、船橋のモツ焼き屋「坊ちゃん」の全盛期に旨かった頃の『シロ』(腸の串焼き)、国分寺の焼鳥屋「串串」で注がれた『キリン ブラウマイスターの生』、そしてもう1つが「天下一品」の『中華そば(コッテリ)』だった事は言うまでもないだろう。

【輸血】
今回あまりに赤血球が少なく(通常の1/3程度)輸血を行う事となった。それが決定した時、担当医が「あー、輸血になっちゃいましたね。」なんてなんだか冗談めかして問題ありげに言い放った。最初聞き流そうかと思ったが、なんか言い方が引っ掛かったので「その感じからすると、輸血するとなんか問題あるんですか?」と質問した。

すると「輸血について事前に説明聞いてますよね?」というので聞いてないと伝えると「肝炎やらエイズになる可能性もあるよ。」と言われた。しかし、あまりにあっさりしてたので、てっきり後でもっとちゃんと説明があると思って待っていた。すると、輸血の同意書を持った看護婦がやってきてサインしろと言った。で、またしても「事前に説明聞いてますよね?」と事務的に言った。

これで完全にキレた俺は、「さっきから事前に説明聞いてるはずみたいに言ってるけど俺は何も聞いて無い。もしさっきのが説明だとしたらふざけてるとしか思えない。こーいう事は、ちゃんとしてくれなきゃ困る。」と文句を言った。するともう1人の若い女の担当医(担当医は計3名いた)がすっ飛んできて同意書を基に細々説明した。感染症についても、照射(殺菌?)するからかなり安全だが0%安全という訳ではないという事も丁寧に説明された。
しかし、怒りが収まらない俺は、説明を一通り聞いたあと青白い顔で睨み付け「さっきのふざけた担当医を替えてくれ。」と訴えた。そんな姿の俺にビビッたのか、速攻で先の担当医を呼んできた。

事前に俺の怒り具合を聞いていたらしく、「てっきり入院時に説明を聞いているものと勘違いしていた。順番を間違えて申し訳無かった。」と平謝りしてきた。落ち度さえ素直に認めれば俺も納得がいくので「手順さえキッチリ踏んでくれればこっちも別に良いですよ。」となんとか和解し、結局輸血をする事となった。いくら受刑者(入院患者)に対する看守(医者)と言えども筋はキッチリ通してもらわなきゃ困るモノだ。

ハナシが変な方へ逸れたが、この輸血と言うのは、見た目には、なかなか気分の良いものではなかった。このおかげで元気になれだが、出来ればこれも2度と経験したくないものだ。

【看護婦】
入院と言えば看護婦、看護婦と言えば入院といった感もある、入院とは切っても切り離せない存在、それが看護婦だ。
入院童貞時は、絶対楽しみだと思っていたが、実際具合悪くして入院すると、ここまで興味がなくなってしまうものだとは思わなかった。また、貧血だったため、下の頭まで血がまわらず、全く元気が無かった。そんな状態だったため、性的興味自体まるで無かった。ま、違う病気・けがで入院していればまた結果は違ったかもしれないが。
しかし、やはり退院が近くなり元気になってくると結構興味が出てきたが、自分のかなり弱った姿を事前に見られているだけにイマイチ自分的には盛り上がらなかった。Mのヤツならまた結果は違うだろう。
ちなみになんだかんだ言って、退院後真っ先に観たAVがどんな内容だったかは言うまでもないだろう。

【シャバに出て】
結局元来の体の丈夫さが幸いして10日間の入院だけで済む事が出来た。めっちゃ嬉しかった。あんな状態であと4日間も入院してたら…と考えただけでぞっとする。(ま、したらしたでなんとかなるもんだろうが)

いやー、しかし、やっぱり自由って素晴らしい!!自分で歩いて外へ出れる!!水やジュースも自由に飲める!!今回入院して本当に健康のありがたみが分かった(気がする)。とにかく制約のある生活は不快だった。入院中は、全然楽しい事なんてなかった。自分の生涯において酒は止められないけど今後は、量よりも美味しく飲む事を心掛け様とココロに誓う35歳の夏であった。<<終わり>>

 

退院直後
不精ヒゲが生々しい

反省も込めて超久々に
坊主にしちゃった俺