歴史

昭和の前半頃まで「水月寺」は「水月庵」という名前で呼ばれておりました。円福僧堂が開かれる以前は、幣原村の住人の供養や祈りの場として「阿弥陀堂」という小さなお堂で御座いました。円福僧堂を開かれた海門禅師様が男女平等に修行と悟りを拓ける場所にしたいという思いから「水月庵」と名を授けられ、尼僧道場としたそうです。時代は移りゆくものです。昭和の中期にかけて尼僧の数も減り戦後の波乱の中、道場が閉じられ、残されたこの寺院が「水月寺」となり今も近隣の皆様の祈りと供養の場となっています。