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ayakoto@kit.hi-ho.ne.jp 栃尾文子
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(PAT2) (PAT3)
2001年04月09日月曜日
花のいのちは、短くてのことばどうり雪のように、さくらのはなびらが、舞っています。だいすきな、れんぎょうの花もいまがさかりです。4,5日もたつと、みどりの、若葉がうまれてきます。
4月9日小学校の入学式です。私の、初孫が、仲間になった、うれしい日です、小さな体格ですが、
がんばって、いろんな事をまなんでほしいと、おもいます。
2001年04月17日
4才の、次男の孫が、夕食後おばあちやん、ぼくの、おなか、みてみて!とおなかをだしながら、大きくなったやろ、いっぱい、たべたもん。と 得意顔。
長男6才のまごも、てれくさそうに、しながら、並んでお腹をみせました。私はヒョット、おへそに、目がいって、思い出しました、
この子たちの、お父さんのへその話を.....ちょうど、5,6才の頃だった。お風呂の、なかで息子が(お母さん、いつ、雷さんに、おへそ、とられたん・?)と、言うのです。
えっ?と初め私は何のことか気付かなかったが、息子は出臍であり私の穴だけのおへそをみてふしんに思ったのでしょうか。
(大きくなったらへこむのよ)と答えたわたし。
出臍がへこんでも、穴だけではない、この子のへそ、また私とおなじ穴だけの相対的なふたりの孫。
いまに、出臍の孫も、お母さんにおなじことを言うのかしら!
『ややこしい言い方するな!一体どっちが出臍やねん?』

(近況の私。関空付近にて。)
2001年04月25日水曜日
今日午後2時ごろ職場から息子宅へ電話した。すると孫の雄貴がでて眠そうな声で
『僕いま一人やねん』と言う
『お母さんは?』
『いてない』
『昼寝してたんか?』
『うん』
『お母ちゃんはどこ行ってるの?』
『わからん』
どうやら小学校へ入学したての孫が疲れて昼寝してる間に嫁が買物かなにかに出か
けてるらしい。
そのときまた昔の息子のことが頭を過ぎったのです。
当時息子は8才だったでしょうか。夫婦共稼ぎのため一人で家にいることが多いつまり
俗に云うかぎっ子であった。
私は心配なので時々職場から息子に電話するのだが、ある日息子はこう言ったのです。
『お母さんもう電話せんといて!』
『何でやの?』
『せやかて今寝てたんやし寝てる方が寂しいのわすれるもん。』
私は頭をガーンと打たれたようで胸がこみ上げてくるのを押さえることが出来なかった。
主人も私も幼少時代にその経験がなくかぎっ子のその苦境が考えられなかった。
ましてやそのときの息子はひとりっこ(すぐに妹が生まれるが・・・)だったし怖さもあったと思います。
『可哀想に・・・』
それ以後わたしは当分の間そのことを思い出すごとに瞼をあつくするのでした。
岩崎恭子が金メダルを取ったときに『私が生まれてきたなかで一番嬉しかったのはこの金メダルを取れたことです』の話は有名ですが、私の場合は初めての息子が生まれたことです。
それと逆に悲しかったことも書きます。
それは息子が生まれてわずか3ヶ月で仕事のために離れなければならなかったことです。
いかに仕事のためとはいえもっと長くそばに居てやりたい気持を抑えつつ離れなければならないつらさを孫と会う度にふと思いだすのです。
それと張ってくる乳房を2枚のタオルで押さえても乳で滲んでくるうえ乳線炎を発病してしまいましたが、そんなことが問題ではなくやはり赤子と離れなければならなかったことが私のもっとも悲しかったことです。
でも10年後には待望の娘が与えられ楽しく育てることができて幸わせでした。(2001年05月02日水曜日)
(亭主関白の主人がもうすこしやさしい言葉をかけてくれたらいのになー)
『あほ言うな! 気持ちや 気持ち・・・』
2001年05月11日金曜日
子供の小さい頃は自分の好きな親の真似をするとか聞いたことがありますが、ある日こんな事がありました。
夫婦で並んで座り子供を少し離れて座らせて『おいで!おいで!』と呼ぶのです。
娘の時はまっしぐらに父親の所へいきました。
息子の場合はやっとハイハイが出来る頃でしたが、途中まで来てからピタッと止まって動かないのです。
こんな小さい赤ちゃんが、こんな感覚というか気づかいというかわかりませんが、その行いは私には一生忘れられない出来事でした。
娘は父親の命令口調まですぐ真似をして私をびっくりさせたり、何事においても親父の、コピーといつた感じです。
ある日のこと主人の妹(7人兄弟の末っ子)にそのことを聞きました。
『眞子ったら呼んでもお父さんのとこへ行くのよ』
『そんなん心配せんでもええんよ・・・私も親父っ子やったけど、まーおやじのいいなりなるの8才頃迄やなーすぐ母親のもとへ付くでー』
私はそれを聞いてほっとしたのでした。そして事実そのとうりで女の子をつくってよかった!
今ではかけがいのない大切な私の話相手です。
2001年05月18日金曜日
いまは何処をみても、若葉であふれています。私の大好きな季節です。わたくしの勤める会社の庭には、メタセコイヤをはじめ、ひいらぎなど・何10種類もの・木がありますが、毎年庭師さんが枝ぶりを、整えるために、つぎつぎと、ちょうど茶摘みの若葉をまびくように剪定をしています。
ああ、もったいない!もっと若葉をみていたい。と、いつも思うのですが・・。

5月25日、金曜日
風薫る、五月晴れの日主人と大阪港天保山の、海遊館と大観覧車で遊び命の洗濯を、しました。
観覧車の上から眺めてあらためて、この土地は、海と、運河に、囲まれていることが、わかりました。
私の、勤める会社の本社も、此処にあるので、お昼時、制服姿の、その人たち数人が食事に来ているのがみえました。
そのとき主人が『なんで会社の人やとわかるねん?』
『会社の制服しってるからよ』
『そうか・・・』
海遊館に来たのは2度目です。開館当初の1番人気はおおきさで、でしょうか?じんべいざめでした。いまいるのは少し小型なのが残念です。
そして混雑していてゆっくりと満足にみれなかったことが印象に残っています。。
今のウイークデーは一般人はまだらですが、ほとんどが団体(主に小学生)で時間指定制で入れ替わり立ち代りの盛況でした。(みな何処からきたのかな?)
一番人気はじんべいざめでも、私の好きなのは、えい、です。こちらに接近してきて、ガラスにひっついた、腹側が、ニコニコワッペンみたいで、とても、可愛いのです。
上の写真の、赤いくらげにも、感動しました。細い、ほそいあし?何mのでしょうか、からみあって、動けないのもいます。
いろんな意味で、係員の人の手入れが、大変だろうとも、思いました。
海遊館の前で主人が、私を写そうとしていると、女の子の係員が、飛んできて二人で、どうぞ!とアベックを写してくれはったのも、そのさりげない心ずかいが嬉しかったです。
その些細なサービスが、されたほうには一生忘れられないものです。
先日テレビで観たのですが超一流ホテルとそうでないのとの違いのひとつに、お客のワイシャツなどをクリーニングするのですが、その前にボタンを全部取り去ってしまうそうです。
そしてクリーニング後にあらためてボタン付けするとききました。
多くの客はそのことに気ずくひとがいないのではと思いますが、なかには気ずくひともいるかもわかりませんし、その時の感激は大きいとおもいます
。
押し付けがましいサービスよりもこのような真実の客の立場を考えた隠れたサービスこそが超一流である所以ではないでしょうか。
私が子供の頃、港なのに何故天保山と呼ぶのか不思議でしたが、天保山はその名のとうり小さな山があったぞうです。
それが埋め立て造成のために山を取り壊し平地にしたのですが、その跡地には記念碑があり登山記念のスタンプを押してくれる係員もいるそうです。(それでなっとく!)
はなしによると当時 明治天皇が例の艦隊群の視察に頂上を利用されたと聞きました。(その頃はいまのような高僧ビルなどなかったですものね。)
他のいろいろな施設も気がかりでしたが、時間の都合で帰途につきました。
(また機会があったらこよーっと・・・。)
私が結婚のため静岡から来た頃はしゃべる言葉は標準語でした。主人のこと呼ぶのは大阪では『あんた』だそうですが私は子供が生まれるまでは『あなた』と言っていました。(息子がうまれてからはおとうさん)
あなたのほうがが主人は嬉しいといいますが、長い在阪生活の間にはしぜんと大阪弁になっていきます。
逆に主人は大阪弁に標準語なまり?が入ってしまうのをいつも嘆いております。
『俺が純粋の大阪弁がしゃべられへんのは、おまえとテレビのせいや!』
と言いながら間違った?アクセントをわざわざいい直します。でもいまではもう取り返しがつかないのが現状のようです。それでも関西弁の良さを主張します。
『例えば標準語では雲と蜘蛛はおなじアクセントやろ?大阪弁ではそれぞれ区分けしてアクセントは変えとるで・・・。そのほうが合理的で進歩しとんのと違うか?蜘蛛も雲もおなじアクセントなんて大阪人には考えられへんわ。』
確かに標準語のはそのような面が多々ありますよね。