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【ひろしの生涯】第二部
長い7年間の楽しかった?病院生活にもピリオドをうつときがやってきた。帰宅場所は布施市内の文化住宅系の2階である。
2間あるとはいえそこへ親子7人住んでいた処へ僕が入るわけである。あと一人の姉はもうすでに嫁いでいたが、雑居住まいにはかわりなかった。
それでも僕の発病した頃からみればずっと進歩してることになる。親父はNHKの委託調査員(順職員とか言ってた)
省みれば親父は立派だったと思う。敗戦で職場をなくしボロアパートに9人家族が住むにまで落ちぶれたどん底から今の借家から生駒山のふもとにすでに小さいながらも自分の持ち家も購入し栃尾家の墓まで購入していてあったのだから、、、
僕はまだ働ける体制でもなくまたからだも仕上がってなかったので、家でぶらぶらしていた。我流で覚えたギターを爪弾いたり、特に半田鏝を使わない日はなかった。
その頃NHKでテレビ電波が流された時である、白黒ではあるがまだまだ高価な代物で一般家庭にまでの普及には至らないが、向かいの家が中小企業の社長宅らしくそのテレビを設置して大音量でJOBKTV、、、、、とよく流したものだった。
そこで僕は考えた よし!自作しよう。といってもまだまだキットすら出回ってもいず仮に販売されていたとしても価格から考えても無理なはなしである。
だから手本は月刊誌電波技術でありパーツは全部アメリカ製中古放出品で今思えば商品として売れたのが不思議なくらいの代物がほとんどであった。
それに製品が全部そろわない。たとえばB管(ブラウン管)はオシロスコープ用だとか中間周波トランスなどコイル系はみなエナメル線での手巻きで作るなど、好きならばこそ出来るのであって普通は途中で投げ出したくなるほどの手間がかかる。そしてボデイケースなど無しでシャーシー(鉄製の基盤)丸出しのものだ。
どれくらいの期間がかかったかは定かでないが、とりあえずは完成?した。
さていよいよ電源を入れるが、ラスター(明るさ)はおろか音すら出ない。もちろん各個所の調整は必要だが、せめてラスターぐらいは出てもよさそうなのに、と考えながら中間周波関係などのコアー調整に専念する。
調整用の測定機など有ろうはずもなし ただ感だけを頼りのやり方だから効率の悪いことこの上ない。
あたりはすでに暗くなっている。が、これが効を奏した 画面をよくよく見ると何かがほんわかと映ってるようだ。
そして それが何と映像画面であったのだ、だがなぜか矩形に映っている。後々知識を得る様になってから分かったことなのだが偏向コイルのレヤーショウトであったのだ。
そのように不良商品でも平気で売ってる時代であったのである。もちろん値段は格安ではあったろうと思う。高価な物など買えるはずがなかったのだから、、、。
そのとき側にいた父が突然(映った 映った)と言い出した、驚いたのは僕のほうである。
このように取り乱した?親父を見たのは生まれてこの方初めてのことである。
よほど奇跡的な結果と思えたのであろうか。僕には複雑な心境ではあった。
それからは、部分的にパーツもかえていき後に結婚してからも2年ぐらいはその恩恵にあずかったものである。
一方ラジオ関係は鉱石ラジオから始まり並四。スーパーヘテロダインときてそれからは高周波(アマチュア無線)低周波(音響装置)と分かれるのだが、僕は低周波の方へと進みプリアンプ。メインアンプの製作に毎日いそしんだ。
当時はスピーカーがマグネチック式から性能の良いダイナミック式に変わり如何にして今まで出せなかった低音をより出させるかを各社が競ったものである。
今のパイオニアも元はスピーカー屋さんであった。そして僕もよく愛用したものだった。
メインアンプも最終的にはウイリアムソン式に治まり(GT真空管)今でもそれは存在しており立派にいい音を出してくれる懐かしい一品である。
ある日のこと父がこう言った。(いまNHKでラジオ修理技術者を委託で募集してるからお前も一度行ってみないか?)
僕は気軽に(うん)と答えた。好きな仕事だしラジオの修理には自信があったし、学歴資格など毛頭考えなかった あかんかっても もともとや。別に就職にあせってるわけでもなし、、、といった感覚であった。
だからという訳ではなかったが、当日は下駄履きで行った。大阪中央放送局の中へである。その担当の係長が(君はラジオが直せるのかい)の問いに僕は言った(直せないものはありません!)
これがまあ効を奏したのか即採用となった。そして帰りがけに(栃尾君は靴ないの?)
(あります)(今度から靴はいてくるんだよ!)と笑って言った。
NHKとしては、ラジオの受信聴取料支払いを断る理由に(ラジオが故障したため)が多いので故障を直しさえすればもと道理に支払ってもらえるを根底に企画された案らしく3年間の委託業務とされていた。そして大阪府下を網羅するために約20名ほどが採用された。足はスーパーカブである。
案の定僕の様に学歴がなく実地経験が豊富というだけの者は居ずほとんどが専門学校出とかのインテリーの集まりであった。
だが、僕にはそれに対する劣等感など微塵もなかった 学校あがりの者は理論や知識は豊富でも、いざ実際に修理となれば、ひよっこ同然だと僕は思っている。
有る日のこと事実それを証明する日がやってきた。リーダークラスの(僕は自称NO2)N氏を含む数人がある家のラジオがカリカリと雑音が出て困っているから見てくれと言うのである。
数人がいて言うのだから、皆が手がけてもあかんかったと言うことになる。
なにはともあれその現場へ行った そして修理を始めた。これでも直せなかったらNHK
の面子に係わる だが先にも言った如く僕には絶対的自信がある。
まずスピーカーに近い所から点検する 方法はコンデンサーを通して順番にショウトしていく。コンデンサーは交流は通すが直流は通さない。すると音声電流はコンデンサーを通りシヤーシーへ逃げるので受信の音はでないが、それ以後の回路に雑音源があれば当然雑音だけがでる。
それでも雑音が出なければそれ以前が雑音源になる。このように調べていくと簡単にその個所がわかるのである。これらの知識はみな電波技術から得たものである。
学校ではこのようなこと教えないのだろうか。数多くの技術者?がいて誰ひとりそのやり方を知る者がいなかったとは、情けない限りであった。
結果は音声検波以前の中間周波トランスの内部であった。さっそくそれを取り外しテスターをどう通にして100Pのコンデンサーがショートしていたのを確認しそれを取り替えて修理完了したのである。
皆は我々が出来なかったことを僕が出来るはずがないと たかをくくっていたに相違ない おそらくその予想がはずれて唖然としたことだろうと思う。
学問よりいかに実地が大切かの実例であった 当然僕の鼻が高くなったのは言うまでもない。
そもそもこのグループが結成された理由は前述のとうりだが、実際の職務内容はラジオの修理などほとんどなく対話 説明いわゆる相手を納得させて受信契約を存続してもらう事が主眼であって営業つまりセールスみたいなものであった。
だから(○○のため受信料支払いを中止します)と連絡のあった家へ即派遣される。
僕はもともとしゃべる事が得意ではない。特にエンジニア系はほとんどがそうであるらしい。
だがこれは後々に知ったことだが僕には相手をその気にさせる何かがあるようである。でもそんな事知る由もなく僕のやり方は法律をたてに説得させることであった。
ほとんどの人は支払わなくてはならないと言う法律があることを知る人が少ない。ただ残念なことに罰則がないのである。
だからそれを知ってる人はあえて支払いをしない。
ここでちょうと話を外させてもらう 最近常時発生している少年の凶悪事件のことだ。
ここではくどくど言わないが少年法の削除。死刑の執行。あるのみである。僕も京都医療少年院のお世話になったひとりなのである。(親父を殴っただけ、、)
話を戻してその僕のやり方をNHK側としてはあまりそれを強調することには気が進まない様子である 特にそうせよと言われたわけでもないが、他の人がしている様子がないから僕の推測でそう思っているだけなのかも?
何れにしろ契約成立の成績が群を抜いての成果であった。その分事故(後々でまた解除すること)も多かったが、本部としてはそこまで調べる道理もなくただ何処の局がどれだけの成績を上げているかが問題であって異例のグラフの上昇に注目されるのみであろう。
僕は最初から係長に可愛がられていたと思う。何処でもそうだが上司に可愛がられることは仕事にも張りがでるし、少々の事故でもホローしてくれる。もちろん僕の成績に対しての無視は出来ないだろうし持ちつ持たれつである。
グループに対して班長とかの役付けはなかったが、付けるとすれば成績技術ともにトップの僕がなるべきだろうが、僕には皆を率いる才慮に欠ける。
その点N氏は適任であった。そしてよくNHKの各施設に一泊でに遊びに連れて行ってくれた事実上のリーダーであった。
途中で事務担当者でK氏が入社して来た 近大卒業だそうで、僕は途中敗退組みではあるが、関連がなきにしもあらずなので、よく話し掛けてくれた、そしてNHKにいればよく女にもてるよとの言葉が印象的である。
さもあろう 嘱託とは云え大阪中央放送局受信機に勤務の肩書きだから、、。
この期間に家の方は両親と末娘は若江岩田の方へ引越しをし次女の妹は結婚、残りの3女と4女との3人暮らしだったが、僕のワンマンぶりに2人は嫌気をさして出て行ってしまった。
どうせ2人は何れ嫁ぐ身だから遅かれ早かれの問題でもあり僕は本来一人住まいが好きな方なので渡りに船であった。
自由気ままな一人住まい 仕事は適職で順調な運びで嘱託期間の3年は知らぬ間にきてしまった。
別れの当日みなそれぞれが次の職場も決めていたらしく暗いムードは全く感じられなかったが、僕自信は何の手も打ってなかったので寂しいような不安な気持ちに包まれていた。
そこで、堪らず例の係長に集金人にと頼んだところ即OKであった。
3年間の受信機時代でもよく面倒をみてくれた係長 仕事を依頼しても快く引き受けてくれた係長 この人にはいくら礼をいっても言い足りないぐらいの気持ちでいっぱいなのだが、その機会をはずしたままに終わってしまったのに悔いが残るのみならず3年後にはその結末を知るに至ったのであった。
もともと集金人で一生を終わりたくなかったし腰掛で有ることは言うまでもないことなのだが、やる気であれば正職員途用の道もあったのだが、目標が違うのでそれは眼中にはなかった。
ここでひとつ注目すべき話をしよう。集金2年ほど経ったころである。同じ受信機より来たY君が僕にこう言った。
(○○さん 僕今度職員になることになったよ)
(なんで?僕 そんな話ぜんぜん聞いてないよ)
(贈り物をするんだよ。歳暮などのね。すると職員採用試験の手配をしてくれる)云々と。
(あ そう、、、)
むろん僕にはその気などないのは言ったとうりだが、気分が良いはずがない。やはり何処へ行っても袖の下には変わりはないんだな とつくづく思った次第であった。
集金生活の最初の1年間は僕が少年時代に育った地域の隣町であった。したがって卒業した布施第六国民学校(戦中はそう言った)も近くにあったことになる。
始めての仕事なのでその地域がAクラスなのかどうかは比較できなかったが、少なくとも悪い地域ではない。
そこへ僕はもともと仕事が手早い。人が5時間かかるとこを3時間ほどでその日のノルマが終わってしまう。それならもう一度まわって少しでも残った家を消化すべきだろうが、僕はそんな効率の悪いことはしない。
要は2ヶ月間で仕上げればいいのであるから、、、。
2年目に入って生駒山麓地方へ移された。ここは前ほど良いことがない何しろ地域的には何倍もの広さがある。でも充分仕事がこなせたのだからちょっと悪いくらいで前が良すぎたのかも知れない。
この頃に妻文子と巡り会う。
(文子にはいる)
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その文子と5月に無事結婚式も終え新婚旅行は淡路島であった。大阪から見ればなんと近いところと言われそうだが文子にすれば近くでもなく、それに僕は旅行とくに長距離が好きでなくその道中の待ち時間が絶えられないのである。
今は新婚旅行と云えば外国へ行く人が増えて息子夫婦もオーストラリアへ行ったのだが長距離旅行へ行った人の80%以上が道中が長すぎてつらかったのデーターがあるのが実証している。
それに僕が金を出すわけでなく(当時僕は無一文であった)無駄に金を使う必要などなく人それぞれで良いのではないだろうか。
また娘は婚約中の彼がいる段階だが、話としてはガム島あたりの教会であげたら安く付くと云っていたがこれなどいい方法だと思う。
話が予断になるが、男の僕が無一文でも結婚できてるし、ましてや女性は体ひとつで充分だと思う。
げんに家は7人兄妹で6人までが、女であり全員無事所帯をもちその中には小さいながらも社長婦人が3人もおり離婚経験者など一人としていない。
文子と新婚生活は建設中の市営団地が完成するまでは、長堂のアパートずまいであった。
ある日のこと僕が新聞を読んでいて文子は流しに立っていて突然しくしく泣き出した。
僕が訳を聞いても答えない。僕は何でも物事は悪く取る方である。
(俺と住んどって何で泣くんや 気〜悪いやないか!)
それからは文子は二度と意味なくして泣くことが無くなったが、その理由は聞いてないからいまだに不明でありまた聞いても本音は言わないと思う。
とにかく文子はよく働いた 貧乏育ちだけに働くことは厭わなかった。僕が枚岡の職場が重荷に感じ出したので文子にも集金を手伝ってもらった。
そしてお客にこう言われたと話した。
(あの 漫才師みたいな兄ちゃんの奥さんかいな、、。)
僕はその職場に応じたそれぞれのやり方をする。枚岡ではその役を演じただけのことである。
そしてこうも言った。
(結婚したら君を絶対に働かせない 家庭を守るだけでいい)と、、。
僕にはそんな事言った記憶はない。
集金途中である日こんなことがあった。着物姿の30中ごろの奥さんが集金日が悪かったのか『痛いな〜』と言うので。
『痛いいう年頃か?』と相槌をうったら、
『あんたも言うんやね〜』と座り込み目の色が変わってきたので集金を終えてそこすこと引き下がった。
その職場も3年目にはもひとつ条件の悪い場所へ回された。文子と2人で働いても完了が出来ない。時間的にフルに駈けずり回ってるわけではないが、一人ではやりこなせる場所ではない。俗に云うトック(特別区域)に近い。
つまり左遷されたわけである。それでも小会社より収入がいいし、次は換えてくれるだろうと期待しつつ3年は辛抱したが、その気配もなく転職を決断したのである。
省みるにこれが将来の結果的にはよかったのではあるが、、、。
職安より指定されたのは西成区のとある電気屋であった。嘱託とは云えNHK勤務が社長の気に入りでその場で採用された。仕事内容は家庭電器製品の修理専門である。
初仕事はK洋服店の洗濯機であった。ラジオテレビは手馴れていても洗濯機は始めてである。それでも何とか修理完了できた。
この店は得意先も多く修理依頼が毎日山のように来た。昼食なども碌に取れないほど忙しく、それでも毎日が違ったものを修理する楽しみに生きがいすら感じた。要領よく捌くのにはややこしいのはメーカー依頼するべきなのだが、どんな物でも修理できるをもっとうの僕にはそのやり方に気が進まずその為に能率的には店のためには不利であったことはいがめない。
普通都会と云うにものは近隣関係でも薄情な面が多い中ここは田舎と同様に情に厚い街であった。仕事で道で出会っても気軽に声をかけてくれるし時には何も悪くないのに呼び出されて会話を交わすことも多々あり人気者ではあった。
反面地域がらやくざやさんも多かったが、地元の堅気やさんには決して手を出さないのがルールらしく従って我々には何の違和感もなくそのお得意さんも多くいた。
中には伝統のある超大物の会長さんも店の近くにいて(当時僕は知らなかった)当然いいお得意さんだった。
この町は市大病院の西側にあってしかも10mほど低い地形にあった。各局のテレビ塔は東側の生駒山頂にあるから丁度病院の影になるこの地域一帯は難聴地帯でありテレビの映りが非常に悪かったのである。
だからアンテナを立てる時など出来るだけ高くしたり方向をいろいろ変えたりでお客様が納得してくれるまで調節しなければならないから、その分時間もかかり、だからといってその分料金を高く取るわけにもいかず電気屋泣かせであった。
ある日のことS組の(○梅系)親父さんが店へ来て(テレビの映り何とかならんか)と云って来た。
(市大病院へアンテナをたてましょう)僕はその頃店長クラスでありそう決断した。
その人の家は店と市大病院との中間にあった。だが市大側は屋上にいくつかのアンテナも立っているからいいもののリード線が他家の屋根の上を通さなければならないのが難所であった。
そこを(Sさんの家へ立てるから、、すんまへんな〜)
これが効をそうした。拒否するわけにはいかないのである。
リード線は距離がある分のロスを考えて7C2V(普通は3C2V)を使い完成するとさすが映りはばっちりであった。
それでSさんにも了解を得て2分配して店にも線を持ってきたのがきっかけでブースター(増幅器)を使って近所にも分配し、評判が評判を呼んで何と数百件にまで及んだのであった。
僕はこの工事の経験者でもなくただ配線図を見て知ってる程度なのだが、ここまでの大工事になると思わなかったし、失敗もなくずいぶん思い切った事したな〜と自分でも思う。
そして工事費は1回路5000円(道路公団では当時で5万円)で共聴アンテナとしては安く取り決めそれで綺麗に見れるのだから多くの人に喜ばれたと思う。
或る大所帯のアパートでは映るのならテレビを買おうと10台ほど1日で売れたこともある。
それも2月の暇な時だったから、代理店(ナショナル)よりトップセールスマンの表彰盾を貰ったほどである。
僕はもともと無口なほうで調子に乗ればよく喋るが決して営業向きではない だが、何故か相手にその気にさせる能力?があるらしい。
例えば代理店営業の人とテレビ売り込み日など共にその目安の得意先へ行ったら必ず何台かは売れる。
あるお客さんはこう言った。
(あんたからは、絶対に買うもんか と決めていたのについ買おてしもた)と愚痴を言う。
これは僕が言うのではないから事実である。
その代理店招待で香港へ行くことになった もちろん海外旅行は初めてである。目的は買い物と女であることは言うまでもない。
夜になってその希望者8名ほどが現場にたどいついた。女の方が顔見せに一人づつ表らわれる。こちらが気入った娘を指名する式である。
17才位のいかにも素人っぽい娘が出たとき僕は即指名したが、その娘は嫌がって逃げるのである。事情は知らないが僕では気にいらなかったんだろう。
だが諭されたのか結局その娘とやることとなった。ふたりは全裸になったが、その子は仰向けに寝て両手で乳首を押さえている 触れさせないのだ そしてキスもさせない。
仕方なく本行為に及ぶことになる。
この日の為に充分貯えた僕である ゆっくりと動く。それでも或程度時間が経つと終わりそうになる。
その前に僕はスキンは付けない主義である。玄人(主に雄琴温泉)とは30人はお世話になってるが、一回もそれを付けたことがない。また相手も付けなくては嫌やと言われたことがない。僕にすれば感触が全然違うのである。
元に戻ってとりあえず外す事にした そして乳首以外をさすったりして時間を稼ぎまた行為に入った。今度は我慢せずストレートに楽しむことにした。
そして終わってからもすぐに離れず暫く余韻を味わい離れることにした。
女はすぐに側に用意してあるビデに直行 と思いきや目をつぶったままじっとしてるのである。
あれだけ嫌がっていた娘がどうして?、、、
僕は今でもこう思ってる (きっとあの娘は感じたんだ!)
一方家では多趣味な僕は当時熱帯魚をかっていた。
ある日中のことである。僕は店の前でたたずんでいた時、急に近くの組の若い衆が物凄い勢いで怒鳴り込んできた。
店横の道に止めてあるトラックが通行の邪魔になるから退けよと言うことで誠に言い分としてはしごく当然の事なのだが、言い方のあまりの乱暴さに僕もついカーッとなって負けずに言い返したらその若い衆はキョトンとして戻ってしまった。
車の通行のことだから喫茶店を経営する大手の○梅会長からだったのだが、当時僕はその人がそんな大物だとは知らなかったしそれを知ったのは10年も後週刊誌で息子の襲名式
の写真を見たときだったのだ。
だからその家ではこの僕をどうしたものかと協議されたには違いない。組としてはメンツに関わるし、だからといって堅気のひょっこを相手にもできないし、、と言ったところか。
店では社長の身内が(知らんと言うことは恐いな〜)と遠回しに言うだけで詳しい説明をしてくれない。
その日はそれだけで何事もなく終わった そら社長らが陰でホローしてくれたかどうかは知らない。
翌日その家からテレビを見てくれと依頼があったので行ってみると玄関で会長(当時は知らない)が上半身を丸出しにして一面に入れられた入れ墨を僕が見れる向こうむき位置に座っていた。
会長にすれば自分のこと何も知らんようだから入れ墨を見せることによってびびってしまい考えを変えるだろうとの作戦だと見抜いたが残念ながら僕には効果は無かったのが真実である。
でも一面この様な大人物の入れ墨を僕個人の為に見せて頂けたとは幸運の限りであった。
この店へ来てそこそこ年数も経ち僕が店長になり花形の修理は次の若い者にゆずり仕事は営業が主になった。
場所が場所だけに組が多くありその中でも大手は伝統のS組。新進のA組。その中へ侵入してきた全国制覇を狙うY組の3組であった。
そのY組と抗争のあったM組などアンテナを取り付けた事があり哀しい結末に終わったことが悔やまれてならない。
そのY組のF事務所へも蛍光灯をつけた事がある。各組事務所では支払いも良くいいお得意さんだが、下っ端からは損をさせられた事がたまにある。
当時の大手3組事務所の中では伝統のS組より新進のA組の方が勢力が強かった。
Y組がA組を攻めなかったにもそのせいと思われる。
そのA組の総長より専属の電器やを依頼された。その総長より(よろしゅうおたの申します)と言われた時はまじまじとした。
おかげさんで事務所。本宅。各幹部達へと電化製品は飛ぶように売れた。
A組の自宅へ請求書を出したとき名前がK本宅とあるのを見て奥さんが(なんや本宅なんて2号がいるみたいやな)と皮肉られた記憶がある。
そして一時Y組とA組とが抗争しかかった時は当時僕は狩猟をしてたから、弾も多く持っており(よし!これもっていったろ!)と思った程である。(単純馬鹿?)
結果は抗争に至らずよかったなあ〜と思った次第である。
お得意さんの一人で○○建設と名乗るSさんと出会った。というより彼が僕を捜していたようである。
彼の建設業は看板だけで本業は土地ころがしとかをしてる様であった。
(なあーにいちゃんよ。この辺テレビ映り悪いやろ? 原因はあの○○病院やな。)
「そうでんな。その上この辺土地が低いからよけいですわ。
せやけど、うちの共同アンテナでよう観れまっしゃろ?」
(違うがな、、、。金や。金にするんやがな。)
「それは無理でっせ。あの病院は前から建ったんのやから、、、。」
(そうかー あかんかー)
彼があまりにも気落ちした様子なので僕はつい、こうアドバイスした。
「それやったら西側のあの高速道路を狙いなはれ、。あれのお陰でサンテレビが映らんようになったんやから、、、。」
(そうか! よっしゃ!)
彼はいそいそと立ち去った。僕はただの話題として話しただけなのだが、Sさんはそれを実行したのである。
まずバックに○○支部をかかえ家から電話抗戦をかけるのである。相手はバックがあるから急いで駆けつけてくる。
僕もその証人として立会いさせられた。支部の別の偉いさんにも紹介された。
つまり共同作業である。といって僕は何する訳でもなし彼のお特異の弁舌でことを進行させていた様であった。
交渉はうまく成立したようでその町(1〜3丁目)全体を共聴アンテナで保障するといった画期的なものであった。
普通、高速道路のアンテナによる保障は電波の影になる側のそれも一つの道路を境にした沿線に限られてるようである。
それがこの町はメインアンテナが東側の生駒山頂にあって高速道路は反対のはるか西側を通過してるのだから映像障害にはUHF除いて関係はないと云える。
それが町全体を保障されるというのだから日本国中捜してもまず前例はないものと思うとともに彼の話術、特に支部の威力がわかるというものであった。
その工事はうちの会社が施工する(僕が現場監督)ことが条件でもあった。そして第1期工事がはじまった。総合的に考えるに一番神経を使ったのは3丁目の遊郭である。
何しろ建物が違う。なかには彫刻入りの壁もあった。線が見えるような見苦しいやり方など通用しない
僕にすれば○○病院の屋上よりひいて来たアンテナを300件程の共同アンテナに広めたのも決してその技術経験があるわけではなく自信など何もなかった。ただ本により知識を得ただけである。
だからもし失敗でもしてたら大変なことであったろうと思われるが以外にうまくいき後の維持補修は時たまブースター(電波増幅器)の調整をやるだけのことであった。
そんな僕が本格的な施工工事を任されている。勿論工事部の人の派遣もあったが、この会社としてのそれが出来たのは僕が筆頭でもあった。
その第1期共聴アンテナ工事も半分ぐらい済んだ頃、工事部のYさんがこう言った。
(なあーとっちゃんよ。これのボーナスも―てんのか?)
「いいや 一銭ももーてへんで。」
(そら あほらしいやんけ。社長に言うてもらわんかい)
考えてみたら実にそのとうりである。自分の仕事はそれなりにこなしてるのだから、僕たちにすれば余分な仕事である。
しかも仕事の仕組みは必要な品物は全部その関連会社から支給されることになっており人件費だけが会社に振り込まれる。
言うならば会社にすれば坊主丸儲けで黙ってても金が転がり込んでるようなものだ。
ところが社長はその特別手当の支給を拒んだ。理由は赤字やというのである。
さすがの僕も頭にきた。同じ断るにしてももうちょっと他に言い方があるやろ!
タダで金が振り込まれるのに何が赤字や!
第1期工事が認められて飛び入りで大正区方面の施工依頼があったが、僕は断った。
常識からいえばこれほどのチャンスはないのだが、僕はやる気がしなかっただけのことである。
だから後のこの町の工事は他社が施工した。はじめにつけた僕の共同アンテナは当然取り去られるのだかこれは仕方のないことである。僕の残したものがなくなる寂しさがなくもないのは事実ではあるが、、、。
僕は時々冗談で妻にこう言う。
(あの町のテレビの映りが良くなったのは俺のお陰や。銅像の一つぐらい建ててくれてもええの違う?)
10年に至って溶け込んできたこの町とも離別するときがやってきた。
と云うのもこの店は会社の本店でありチエーン店1号として先輩のKさんがすでに出しており僕が2号店を受け継ぐ手はずであった。
普通なら目的の店をもつことなので喜こばなくてはいけないのだが、世の中の景気がすでに下り坂に入っておりその先のみとうしが見えていたので、僕は断ったのだが、その持ちこたえられたのも1年間で仕方なくやらざるを得なくなってしまった。
店は自宅の近くにある〇〇デパートと名前だけは一人前だが、ただの市場でありその一角にあった。
先輩の1号店はれっきとした店舗でそこに住み込んでいたが、僕は引っ越すことは拒絶していたので、市場の中でもしかたがなく、決して店のレベルを落とされたわけではない。
前の店主が経営困難なために引き下がったあとを次ぐ形でもあり順風万藩でやるわけではないから僕はみとうしは2年とみていたが、実際は5年ももった。
それには前からの得意先もほとんどはそのまま引き継いだし〇組の存在も大きかった。
展示会のときなど総長みずから来ていただき、シネマタイプのカラーテレビを買って頂き、その為に店としての売上がトップになった業績がある。
店の仕事の内容は妻文子が店を守り主人である僕はほとんど店にはいない。
普通は顧客増大のために営業活動などするのが一般的だが、僕はこの会社へ入社してこのかた特別の日を除いては営業などしたことがない。
特別の日とは代理店のセールスマンが定期的にテレビとか電子レンジの特別販売推薦日を決めて押し寄せてくる日のことである。
電子レンジの時はその担当が女性なのでその可愛いこちゃんと一日同伴する。
うちに来る担当のこは美人でいい女だったのでトラックに乗っていても話題につきることがなく楽しいものであった。
その女性社員は将来は喫茶店を開くもが目標だとか言っていた。
ある時その娘と販売に回ってる途中で連れ込みホテルの地下ガレージへ入る込んだ。
そこは常連得意先で毎日のように遊びに来ているのだが、その女性社員は何も知らない。
彼女はどういう反応をするのかとの期待もあったことは事実でそのために入ったのであるが、そのときの彼女は終始無言であった。
あるいはその覚悟を決めていたのではないかと僕は勝手に思っている。
それにはそれなりの兆候があったからである。というのは会話の途中でふと勃起したのである。
僕はそうなるには相手がOKよのサインの電波をだしてるからの反応であると信じてる。
そうでないときはこちらもその結果がでてこない。もともとその娘と本気でやる気などなかったことだし、(ほんとはやりたかった)そのままで終わってしまったが・・・。
はなしがつい横道にそれてしまったが、店の方に戻る。
そのようなわけで仕事は文子からの連絡がない限りは僕の自由時間である。
つまりは先方からの修理。配達。の依頼があったときにだけの仕事だから遊びの時間が充分とれる。
この5年間の時期に解禁期間には狩猟。他は狩猟犬の飼育や時には和歌山方面への船釣りなどで充分に遊んだ。
それでも店は赤字経営ではなかった。その理由のひとつに僕は修理代の儲けを一銭たりともへーをかまさないからである。
その修理代金は儲け率が高く店の収支を補うのには無視できないのである。特にアンテナやクーラー設置工事費は馬鹿にできない。
例えば10万の商品を売っても7掛けで2割の値引き(バックマージンは別として)をしたら1万しか儲からない。薄利多売方式にならざるを得ないからその分売上を伸ばすしかない。
このようなわけで修理費や工事費は捨て去れないのである。
電気工事は僕はしないが、もし出来たらだいぶん助かるだろうとは思う。でもしない
僕はテレビ修理技術者なのだから・・・。
尼崎の病院で、この部屋でのもうひとつの事件だが、向かいの部屋が女の大部屋で、そこに少し頭の弱い女 C子がいた。20代後半で 体系は小太りで決して美人ではないのだが陽気で愛嬌があった。
僕とは幾度か話しした程度で親しくはなかったが、ある日のこと C子がベットに寝ころんでいる僕の側に来て話しかけて
きた そして 冗談を言い合ってるうちに彼女は僕のベットに入り込んできた。
ムードがおかしくなったので部屋にいた人達が気をきかせて出ていった。僕の右手はすでに彼女の部分に触れていた。それ
はぬるりとしていた。
C子は僕にしがみつく様にして息を荒げ しきりに僕の耳をふうふうと吹いていた。
僕には生まれて初めての体験である。しかも素人の女が本気で興奮している。僕には刺激が強すぎた。そして頭がカーとな
った。
僕は堪らず女に乗りかかると、さすがに彼女は抵抗の仕草をしたが、あえて断るようすでもなかった。僕は女に触れることなく 昇天し なく昇天した。
B
看護婦A子は淡路島出身である。美人ではないが気だてがよく惹かれるところがあった。
何とかアタックしたいとは思うのだが、僕の方から話しかける勇気がない。いまの様に振られてもともとと云う感覚にはなれなかったの れていなかったのである。
純情と言うか厚かましさが無いのである。だが、他にガールフレンドもいない僕には思いが募る一方である。
そこで 思い切って手紙を書くことにした。そして僕はあなたに惹かれている 交際してほしいと言う意味のラブレターを渡したのだが 渡したのだが、何日たっても一向に返事をくれない。
そこで廊下で出会うたびに(はよ 返事くれよ)と急かすのだが彼女はただ笑ってるだけで答えてくれない。
でも看護婦室ではツーショットで語り合うこともあり好意を持ってくれてることには間違いはなかった。
そんな日がしばらく続いたのだが、ある日のこと偶然に院外近くの路上で彼女らと出会った。女性患者2.3人と一緒であ
る。
そこでA子に語りかけたら何故か彼女はだいぶ酔っていた 他の女性はしらふのようである。
(どうしたの? 何故そんなに酔ってるの?)
と語りかけるのだが返事がない。僕も多少は酔っていた。たまりかねて年輩の女性がこう言った。
(あんたら 好きあってるんやろ? それやったらキスしたら?)
(つづく)
その言葉をきっかけに僕はA子を抱きしめた。そして彼女の唇を吸った。キスなど初めての僕にはそのテクニックなどなかった。ただ ったし、ただがむしゃらに唇をつよく吸うだけであった。
でも 彼女は べつに嫌がる様子などなく身を預けるようにただ じっとしていた。
僕も同じかたちで唇から離そうとはしなかった。そんな時が延々と続いた。
周囲の人など全く気にならなかった。そして自然に唇は解かれ彼女らと別れたのである。
その時間はどのぐらいだったろうか。ただ 長かったと言うのと柔らかい彼女の唇の感触だけが記憶に残った。
そして あの日の週末にA子から返事がきた。住吉神社へ行こうと誘ってきたのである。
その日 僕はいそいそと待ち合わせ場所の阿倍野へ出向いた。近鉄百貨店を出るとチンチン電車の駅で少し近眼のA子は
必至に人混みのなかの僕を捜していた。
ふたりは神社を回り阿倍野へと戻って天王寺公園の芝生に並んで座っていた。
ふたりの話は止めどなく続いた。辺りはもう闇夜である 夕刻すら気付かず延々と会話は続いたのである。
僕は腕時計など持ってなかったし、別に時間など気にもならなかった。
するとA子が(あれ 何?)と言って指をさした。そちらの方を見ると確かに黒い何かが動いたようだ。
A子(あれ 犬と違う?)
ひろし(さあー 何かな?)
僕は判っていた、のぞきである だが彼女にはそれを話さなかった。
A子(犬や きっと犬やわ)
ひろし(場所変えようか)
しばらくしてA子はこう言った。(私は看護婦である もう終電車もないが患者である僕を守る義務があり
だから からだを休めるためホテルへいこう)と。
僕は金などもあまりなく彼女にしたがうしかなかった。そしてA子の歩く通りについていった。
ふたりははホテルと言うより旅館の中にいた そして知らぬ間にふたりは寝間着に着替えていた。
ふたりは会話がほとんどなく何故かぎごちがなかった。公園ではあれほど話がはずんでいたのに...。
ぼくがA子に(風呂にはいったら?)というと(いいの)と答えた。
仕方なく僕一人で入浴したが、さすがに今日のハードな行動に初めて疲れを意識した。入浴を済ませて部屋へ戻ると布団が2枚敷いてあ 2枚敷いてありA子は左側にはいり横向きに寝ころんでいた。
僕からみると背を向けたかたちである ふたりはなおも無言であった。しばらくその状態がつづいた。
僕は頃合いをみて手を差し延べA子に触れた (いや..)とA子は言った 僕はそれ以上攻めなかった。
少ししてまた僕は挑戦したが、答えは同じであつた。僕は決してその方面が弱くない むしろ標準より遙かに強い方だと思っている。だ っているが、悲しいことに女性の心理など知らない
嫌と云われたら気分が昂陽しないのである。でも 肯定の仕草(息遣いが荒くなるとか)を察知すると猛然と襲いかかるだろう。<BR> ろう。
その時の僕は疲れてもいたし、そのまま寝込んでしまった。
朝 起きるとA子はいなかった。支払いなど済ませて先に帰ったとの事であった。
僕はひとり寂しくとぼとぼと病院へ帰った。
この日を最後に もう二度と彼女と逢えることがなかった。A子はこの病院を辞めてしまったのである。
僕は(なんでや?)とは言わなかったが頭のなかでは複雑かつ疑惑が広がった。
確かにあのとき僕の体制は整ってなかった。意欲がなかった。
でも僕には若さがあり いくら疲れていたとしてもやさしく語りかけやさしく髪などから愛撫をするか または少々強引にキスを奪うべ キスでもすべきであったし さすれば行為は成立したものと思う。
だが僕は異常に潔癖性でありその世界に入り込めば野獣と化すが初めのその手順を飛ばす傾向にあった。
これが大失敗のそもそもの原因であり(後述にも数件あり)彼女を悲しめる結果になったものと思われる。
彼女だって仮に心は許していても初めての男にからだを開ける道理がないではないか。ましてやまだうら若い素人の娘である。<BR> る。
あの熱烈なキスは一体なんだったのか?いまだに悔いが残る夜であった。
いい思いもせずして女を泣かせる。どうやらこれが僕の宿命のようである。
これは今でこそ判ることであって当時の僕としては理解出来るはずがない。後述の女性歴でも素人で関係をもったのは7才年上のMだけ も年上の女性であり、他は泣かせたり怒らせたりの連続でことごとく不セイコウ?に終わっている。いま思えば実にもったいな
い話であった。
いまに思えばそのチャンスは幾多とあったにもかかわらずものにようしなかった僕ははっきり云って下手であり(今なら出 失礼ながら面 来るが..) 面食いであることも事実ではあるが、その行為をするのにはこだわらないし現に玄人との経験は数十人に至
る
C
ある市のはずれに とある結核療養所がありその中では放送部と言うクラブがあった。そのなかでする事は伝達事項をマイ 時にはメロデ クロホンで伝えたり時にはメロディを流したり、院内のニュースをガリ版で刷ったりもする。
僕はその放送部員であった。放送設備は2坪ほどの狭い部屋に用意されていて、それ専属に使われていた。
<BR>
ある日のこと僕はその部屋に ただひとりでいた。何することもなく ただ呆然と椅子に腰掛けていた。ほどなくしてCと
いう看護婦がノックもせずにスーと入ってきて無言で僕の隣の椅子に座り顔を机にうつ伏せにになった。別に泣いているわけではない。
沈黙の時間が長かった 僕はおどおどしていた 小さな密室にはふたりだけである。 女の匂いがほのかに香った。
その看護婦とは個人的な会話などしたこともなかったが、僕はただ(どうしたの?)...と一言声をかければよかったの
であり、優しく髪でもなぜればなおスムースに事が運んだものと思われる。《勝手に思うな!》
だが、それが出来なかった そして一言も喋れなかった。僕は別に彼女が嫌いだったわけでもない。それどころか男好きの
する美人系であり喉唾ものである。
彼女が肉感的過ぎたのかも知れない、彼女が美人でなく取っつきやすい女性であれば、怖じ気づくことなくすすんだかも?<BR>
いやいや そうでもない。要するに僕は女を口説くのが下手なのだ おんな慣れしてないのだ だから据え膳すらよう食え
ないのだ。
でも...。彼女から例え一言でも声をかけて呉れていればうまくいけたかも知れないのに...。
(そんなこと言うとるから彼女の一人も出けへんのや!)《陰の声》
彼女に関することだがS君と言う男前の青年がいた。彼はギターが上手で(禁じられた遊び)は彼が教えてくれたのである。
その彼もC看護婦と同室する機会があり、その時彼はきちんと正座してコチコチだったと聞いたが、彼ほどの好青年でも女
には純情であれば弱いんだなーと感心?したことがある。
正座したんだから和室になるがその詳細は聞いていない。
D
これは僕が素人の女性でただ一人深い関係を持ち続けた名前はMであった。その関係は1年半続いた。彼女と知り合ったの
はある医院の病棟である。場所は布施市内であった。
僕が初めて発病した時から半年ぐらいまでは完全な病人であったが、それ以後は体もほとんど良くなり特に入院する必要な
どなかったのだが結核と名がつけば国庫により無料で入院が出来。肺結核でないからX腺写真を撮ることもなく口答でで話
すだけで簡単に入院が出来たのであった。
だから転々と多くの病院回りをしたが安静時間の午後1時より3時まではおとなしくベットにいる以外は自由時間で酒は飲
むは外出はするわの典型的な悪患者であった。
それで入院生活も終わりに近いこの医院でMと近づいたのである。彼女は中肉中背で目の大きなやや浅グロでバスガールを
したこともあるとのことで年令こそ上であったが男と女の関係には何ら遜色がなかった。
その僕のベットの隣がB君と言いB君とは互いにテレビ修理が出来る関係で趣味が共通し話が合い仲も良かったのだが、彼
女Mとは出来ており丁度何かの理由で別れたとこであったのだが、その彼女Mは矛先を僕に向けてきたのである。例えばコ
ンロで火を起こしなべやきうどんを煮立ててそこへ卵をのせそれを僕に差し入れをするのだが、、僕は遠慮なく食していた
んだが、これはMがB君への嫌がらせ行為だと初めはそう思っていた。
しばらくして僕が何かの理由で上六の病院へ転院したんだが、Mから手紙が来てテレビが故障したので見て欲しいとあった。
だがそれは彼女が僕に近づく為の口実だと判ってたが彼女もいない僕に断る理由などない。
そうこう手紙でやりとりしてる内にそもそもの彼女の目的が僕を引っかけることであり7才も年上で結婚生活はおろか子供
(小6の娘)もいてのベテランだからその方面の初心者の僕など手紙だけで夢中にさせるテクニックを持っていたのも不思
議ではなかったのである。
だから手紙の内容も日に日に熱を帯びて来てその頃合いの時Mがこの病室へ遊びにくることになった。
そしてMが着物姿で来た その病室は4人部屋ではあったが、入院患者は僕と壮年のTさんだけでありその人は機転をきか
して出ていった。そこで彼女とふたりきりになったのだが、僕はあまり話し上手ではなくMも多くは語らなかったが、彼女
の目的はただひとつ僕をその気にさせることである。
まず椅子に掛けていた彼女は無言でベットにうつ伏せた。例のお任せポーズである。
前回にC看護婦ともこのような情景があったが、それは突然のことであり うぶな僕には手もよう出せなかったが、今回は
違う、手紙で充分愛の交換も済ませており それに年上の女だ 拒絶されることはあるまい..といろいろ頭に交叉したが
僕の手はもう既に彼女の髪を撫ぜていた。
(あぁ.〜)と彼女はさそいの声を出す。女経験の皆無に近い(童貞ではないが)僕の高揚は言うまでもない。彼女のからだ
は僕のすることに任せきっている。
普通はここでキスをするのが順序というものだが彼女は一応結核患者である。いまは治癒してるとは言え もともと潔癖症
の僕は気が進まない。
別口のほうはよく利用するくせに(失礼!)なんだか話が逆のようだが仕方がない。
そこで乳を揉もうとすると手術で片肺取ってるから無いという。そこでその行為も止めるのだが、いま考えるにもうひとつ
の乳があったではないのか、何故それを責めなかったのかと悔やまれるのだが、とにかく先へ進んだ。
彼女はショーツは着けていなかった。だから仕事は速く終った。女を楽しませることなど出来なかった。
というより僕は当時(長いこと)女の生理には皆目無知であった。その詳細はこの項では省かせてもらうが、一年半にも及
んだ彼女Mとの関係中いきなりのC行為で一度も満足させたことがなかった。
彼女も彼女でその1年半もの間に7つも年上でありながら、その手順を教えてもくれなかった。だから前技の歓びを互いに
味わうことなく終ってしまう結果になったのだが、その終結に近い頃Mの姉の家へ行った時、Mの娘も別室にいたのだが、
二人は交差に寝転び僕が彼女の女に触れたとき彼女は大きくバウンドをしたので驚きもし面白くもあり 彼女の新しい反応
に驚喜して また前儀の歓びを僕自身が始めて知ったのだが、娘も居ることだし長くはさせてくれなかった。
Mは女としてそれだけの素質がありながら僕に要求もせず教えもせず ただ僕のセックス処理場となりよくぞ1年半も仕え
てくれたことに感謝をし かつそれを何故教えなかったのかとの恨みもあり複雑な心境ではある。
E
これは女性に振られたはなしである。当時僕は 委託業務ではあるがNHKの受信機に勤めていた。ある奥さんと話が進み僕
にいい娘を紹介するというのである。
女性に縁遠い僕には渡りに船である。ぼちぼち結婚を意識しなければならない年令でもあるし今の様に簡単に異性とつきあ
える時代ではなかった
さっそく休日に出会いをしたのだが、彼女F子は南国奄美大島の出身で大阪のゴム靴製造会社へ住み込みで来ていた。
目のぱっちりとした美形で僕は一目惚れしてしまったようである。1ヶ月ほど文通をかわし彼女はテレビが無いと云うので
当時キットで組み立てたのを彼女に与えた。
そしてある日デートの約束をして その日は動物園へ行ったり次は生駒山麓へと回った 足は単車である。
そして山麓の見晴らしのいい場所で二人は座り込み休憩をかねて語り合った と言うよりほとんど僕の一方的な語りかけで
あったと言える。その内容も今思えば女の子が楽しく聞ける話しなどほど遠いものばかりであった。
云う迄もなく経験のない僕にそんなさいりょがある道理がない。彼女にすれば聞きたくない話を必至に我慢していたのかも
知れない。
それに車ならイザ知らず単車では彼女にすれば距離的にも少しハードであったと思う。僕にすれば楽しい一日だったが、結
果的には彼女にはマイナス指向だったようだ。
彼女から来た手紙には(私は単なるゴム靴工場の女子工員でもありNHK勤めの貴方には合わないから身を引きたい。)と云
ってきた。
僕にはそれは丁のいい口実だと判っていたからそのショックは大きかった。万が一でも彼女の云うことが本当であったとし
てもその様な確率の悪いことにエネルギーを注ぎたくない
自分が惨めになるだけである。
<BR>
現にその手紙を読んだとき僕は女の為に初めて泣いた。(ふられて...)後にも先にも僕の生涯でただ一度の経験であっ
た。それほど彼女にのめり込んでいたとも言える。
僕は美形には特に弱いのだ。でも一旦振られた限りにはあのテレビを何もやる必要がない。そこで僕は引き取りに行った。<BR>
人から見ればそれくらい愛していたのならやってもいいのでは?と云うかも知れないが、僕はその点割り切っている。何も
ええ目せずして何でやらなあかんねん。
ええ目どころか俺は泣かされたではないか...。
F
僕は当時ある電気店に勤めており主に修理をしていた。そして後にはそこの店長になり仕事も営業が主であった。
修理専門の時は次からつぎへと仕事に追われ一時はパニックになり何とかしてくれと社長に抗議したこともあった。
それほど忙しい反面 お客さんには可愛がられた。時にはテレビなど悪くないのに呼ばれた事など何回もあった。
したがって男女関係のつながりの要素が多分にあったが、仕事が忙しかったり(そんなこと関係あるか!)僕の女性に対す
る未経験さによる勇気 決断力に欠けていたためかほとんどが不成立?に終わっているが、圧倒的に年上のおばさん?が多
かったのも事実である。
そのなかで ある連れ込み旅館の仕事をしてるY子とデートすることになった。そのいきさつはそこの若女将の紹介と言う
かたちであったが、Y子とはもう修理時代から(当時は店長)何回となく会ってるし、だからと云って彼女を意識したこと
もなく、むしろ若女将の方が僕は女としてに興味があったのだが、それには無理があったためか結果はY子となった次第で
ある。
先ず一回目はおざなりの映画を観てそしてお茶を飲んで(コーヒだよコーヒ!)別れただけだった。
そして2回目はドライブして京都へ行った。昼時に川の上に建てられた店で流れを見ながら食事した記憶がある。
それからの僕は運転をしながらモーテルを探していた。
インターの付近で適当なモーテルを見つけた僕はそこへ入るつもりで行ったのだが、つい素通りしてしまったのでまた逆戻
りして2〜3回ぐるぐると廻るかたちになった。
Y子(あんた 何してんの?)
僕 (ホテル 入ろうか)
Y子(入って何すんの?)
僕 (何もせーへんで。Yちゃんも仕事柄入ってどんなものか研究してみたら?)
てなこと話し合って結局彼女は同意した。そしてガレージへ インした。
案内された部屋に入っても二人はあまり話しも弾まないし(僕が風呂へ入る?)と聞くと(いやゃ)と言う。
そこで手を肩に触れると(あんた 何すんの?)と身をすくねて拒む。
前の経験でもそうであったが そこで強引にでもキスを奪うべきなのだが、僕はその気になれない。
普通おとこはこの段階で肉体的高揚があってしかるべきなのだが、残念ながらそれがない。でも彼女がその気になりさえす
れば、男は充分事が運べる。
結局 何もせずしてその場を去った。
そして 次回も同じホテルでの挑戦したのだが、結果は同じであった。そして彼女の家に車が近づいたときY子は言った。
Y子(あんた 下手や。やり方を知らんのや!)
僕(.....)
と激怒された。とかく女は難しい。それやったら僕がどうしたらええのや? 手を出したら断ったやないか。と反論もしな
かったが、結局はY子には悪いが、今までのデートで僕がその体制になったことが一度もなかったと言うことである。
そら 少しでもその進行に入れば僕だってすぐ用意出来るだろうけど、その初めの壁が破れない限りは無理である。
そこでインピユレーションが大切になってくる。
今までお客さんにしろ問屋の女の子にしろ、部屋または車の中でふたりきりになり、勃起に至ったのはお互いの電波がO
K
サインを出してるからそうなったものと僕は思う。
別にふたりは猥褻なこと話すのでもなくごく普通の会話でもお互いの考えが合致すれば自然とそうなるものと考える。
そのとき後は僕の勇気と実行力あるのみである。
それをやりこなせなかった僕は相手には悪かったと自戒の念しきりである。それがもし僕が独身であったなら変わったか
も?
いやいやそうでもない 事実独身の時でも失敗ばかりではないか。これは、僕の宿命なのか...。
(あんた 下手や...)実にその通りである。(涙...)
G
(これはフィクションです)
ここもお得意さんで連れ込みホテルを経営していた。玄関は広くその左側一面がガラス張りになっていて、フロントでもあ
った。
僕が初めてそこへ修理にいったら、フロントには美人の若い女性が2人座っていて度肝を抜かれた記憶がある。その二人は
そこの娘さんで後に姉のほうが看板娘の役割をしていることが知れた。
その姉M子は絶品の器量をしていた。ただ後で知ったのだが、身長が低く全体に小作りであるがバランスが取れていて見方
によれば、スタイル絶品の女性をそのまま縮小したと考えればいいと思う。
普通 小柄と云うか身長が低い人は大抵は足が短く他は成人としての体型をしてるものだが、彼女は足の長さも何もかもの
均整がとれていた。
言葉は標準語で丁寧に語った。僕は彼女の評価はいうことなかったのだが、大人の女としての意識はなかった。自分が身長
がないために求めるのは自分に足りないものを要求するらしいが、さりとて大きな女性を求めている訳でもない。
ただ彼女に対しては綺麗で上品なお嬢さんだなと思うに留まっていた。
だが長い間には彼女の気持ちも伝わってくる。当然僕も意識をするようになってきた。女性と云うよりガールフレンドとし
てだろうか。いやいやそんなこと何も考えてない。
男のずるさと云うか求めるのは恋人以外には考えられない。妻も子もいるくせに...そこで僕はアタックをしだした。
電話でデイトをさそったり、そのホテルの近くへ来たらフロントの彼女に話し掛けたりしたが、O
Kはしてくれなかった。
勿論僕のその仕草を彼女の両親にも知れているはずだが、反対してる様子でもない。
彼女のほうも展示会などの行事のは積極的に来てくれ僕に好意を持ってることを表現してくれている。
そうこうして半年以上はかかっただろうか。彼女はそのホテルから離れ、あるアパートの一室に引っ越したのである。
そして僕の長かったのデイトの申し込みに了解してくれたのだ。
その時なぜアパートに変わったのかは聞かなかったし特に気にもしてなかった。その時僕の足は軽型の車であった。会社の関係するモーター屋で新車で購入したものだが、もうだいぶん年数もたっているので決してカッコ良くはなかったが、実用には何ら差し支えがなかった。
彼女はアパートの近くの駅前にいた。電車で行くつもりだったのだろうか、ジーパンで軽装快活な服装で小型ではあるが相変わらず均整のとれた抜群のスタイルだった。
二人は特に行く先は決めていなかったが、よく利用する西名阪を東へと突き進んでいた。奈良県を越えて三重県に入ったとき名張から赤目48滝を歩く事にした。
ここは確か子供の頃来たことがあるが、コースなど勿論覚えていない。車は適当な所へ停めて二人は歩き出した。
これも目的地は知らないし決めてなかった。
ただ ふたりはどんどんと歩いた。途中で関東炊き(おでん)の出店でそれをほおばり空腹を満たした。そしてまた歩いた。
二人はそれだけで幸わせであった。だが、気が付いたらもうあたりは真っ暗闇である 周辺には勿論人などいない。道も時には岩などを跨がなければ突き進めない。
その時 彼女の手をとってやるべきなのがマナーというものだが、僕はそれが出来なかった。
考えがやましいからなのか、はたまた勇気がないからなのか、彼女にすれば不満やるせなかったに違いない。
僕はこの先何処へ行ってしまうのかも知れないし(ぼちぼちひきかえそうか)と言うと彼女は(もっと行こうよ)と言う。
だが暗い道をやたらに行ったら当然道に迷うこと必至だし、もし遭難でもしたら?と不安になり強引に引き返すことにした。
これがもし彼女の言う通りにしてたらどうなっていたろうかと今考えるとその時の彼女の気持ちを理解するのに苦しむ。
ふたりは何とか車までたどり着いた。
そして又西名阪にはいり天理より北へ向かい奈良市内を真夜中に意味もなく走っていた。
ヒーターの効きが悪いのか足下が冷えてくる。
僕(足下がつめとうない?)
○子(ひえますね−)と膝をさすった。
僕(辛抱してな−。)
突然彼女が(あっ リンカーン)と言ったので右手を見ると確かに高級車リンカーンがあった。
僕はそれに対して何も答えなかった。
そしてなぜ彼女はその車を知っていたのだろうか。男性ならいざ知らず女性でそれが判ると言うことは過去に乗ったことが
あるか何かであろう。彼女であればその高級思考も経験していても不思議でない。
このボロ車に対する皮肉であろうか。いや彼女はそんな女性ではない。偶然そこにその高級車があったのがいけないのだ。
などと考えていたら開いているレストランがあったので、そこで軽い食事をした。あまり会話も進まなかった記憶がある。
そこの店長?がこちらをちらりと見て(あまり釣り合いのとれない二人やな)と思っていたようにもとれた。
食事が終わり次はモーテルあたりに行くのが一般的なのだが、先にも云ったように僕が高揚しないのである。
美人で上品でスタイルが抜群で、その彼女に何が不満なのか。いやいや不満どころか僕にはもったいない限りである。
ただ 女としての意識がしないのだ。そら あの深暗の山道で彼女の手を取っていれば、自然と彼女を引き寄せ抱きしめて
いてその高揚の続きとしてその様になっていたはずだろうけど、その手順すら出来ない僕には女を落とす資格などない。
あの○子に言われたように(あんたは 下手や!)である。
意識するせんなど関係ないのだ。男と女はその手順さえふめば結びつくのが当たり前である。(ここであえてまた言うが僕は決してあの方は弱くない むしろ強い方にあたる)
結局車は彼女のアパートの前で止まった。彼女は(お茶でも飲む?)と部屋へ行くのを進めたが、僕は断った。
(何で断るんや?!陰の声)
すると彼女は近くで深夜でも開いてる喫茶店へと共にした。そしてしばらくしてから別れたのであった。
それから彼女は行方をくらましたのである。
後に彼女の母から何かを聞かれそうであったが、その人は結局何も語らなかった。またまた僕は 死ぬまで最高に悔いの残る結末であった。(くやしい−)(もったいない)(済まなかった)(許してくれ−)
僕が文子(あやこ)と出会ったのは、知人や友人に紹介を頼んでいた7人目である。その友人の後輩の従姉妹にあたり、生まれは浜名湖の側で24才適齢期の娘がいると言うのだった。
当時僕はNHKの受信機の勤務期間も終わり、とりあえずと云うかその集金業務をやっていた。と云うのも僕は集金人で一生を終えたくないし目標はやはり電気屋である。
まあ何れにしろその時は集金しながらの借家での一人住まいであった。
その話題の彼女が年末の正月休みに東大阪の叔母の家へ一人でくる事になった。勿論目的は僕との顔会わせでその日に僕がその叔母の所へ行ったのが初対面らしい。
と云うのも翌日に彼女が僕の家へ来たのが初めだとばかり思っていたが、妻の云うのにはそれが2回目で叔母の家では横顔だけちらりと見ただけだと言う。
そして紹介当事者で従姉妹の家が東大阪にあり、そこで宿泊との設定であった。彼女と会う前にその写真を貰っていたので、その段階で僕の心は決まっていた。
そして彼女は関東系標準語を使う。僕はそれに弱い。そして自分で言うのも変だが美形だ。
だから、もう忘れたがその時の求婚のことばも決めていた。確か僕を信じて付いてきて欲しいとか云ったと思う。彼女も了解の返事をくれたものと思う。
普通はその気であっても考えさせて..とか言うのだろうが、僕のイエスかノーを要求する勢いにそう答えざるを得なかったのかも知れない。
そして指輪もその日に渡した 僕は即決主義者である。
そして徹底した亭主関白でもある、むろんこれは結婚するまではおくびにでも出さないが、彼女と結婚するまでは後1回合ったきりでその間の5ヶ月間は文通による愛の交換だけであった。
だから、実際に会う事が少なかったから僕の方には有利であったかも知れない。何故なら僕は女性の扱いは下手だし、ボスは2人は要らない主義だし、貯金はないし、あまり取り柄が無かったからである。
だが、手紙だけならアラを出すこともなし女をほろりとさせることも出来る。だからと云って嘘をつく事だけは出来なかった。彼女もそうだがお互いが頭に馬鹿がつくほどの正直者であった。
特に文子の出で立ちは早くして父に病死(肺結核)され自分も小児結核で長期入院していた為に進学も遅れ母親だけでの生活で貧乏は充分経験しており、そこへ田舎でもあり社会性には疎い点が多々あったが、(結婚してより)姉弟たちが学校では総代で卒業するほどの血筋でもあり、特に弟は奨学資金でのエリートコースを辿っている。
だから今時には珍しい程の世間知らずの純情な娘であった。
例えば新婚中の事であるが、ふたりで街を歩いている時でも身知らぬ男に親切にしたり、都会の怖さを全く知らない仕草をしたり、決して悪気など無いのは判るけどひやひやさせられたり、ホルモン焼きを食べながら僕がビールを飲んでいると文子もコップを突きだし
(入れて...)と言ったので、回りの男連中が一斉にこっちを見たのにはあきれてしまった。
そして後で(アホか! あの時は ついで..。と言うもんや!)と諭すしまつであった。
このように学校では優秀であったか知らんが、社会的には無知な面があったのである。だが血液型がO型で陽気な性格でもあり、テレビで或る男優がその妻もO型で(陽気なだけが取り柄)と話していたのを聞いたが全くその通りだと思う。
血液型に性格など否定する人もいるが、確率的には合っているのではないだろうか。
ちなみに僕はB型である。そしてたしかに性格が合っている。
それから3ヶ月ほどして妹夫婦が新婚で住んでいたアパートを出るから来ないかとの勧めで移転した。
そのアパートは新婚専用で子供が出来たら出なければならない契約である。
だが、その時すでに建築中の市営団地入居の抽選に当たっていたので、それが出来次第はそこへまた移転と決まっていたので一時的に住むかたちとなった。
先にも云った如く5月の結婚するまでにただ1回来販して合ったのがこの部屋であった。
待ちに待った文子がこのアパートにやってきた。僕の一目惚れした愛すべき女性である。そしてもうすぐ結婚する相手でもある。
ふたりはソファーに座り雑談を始めていた。そして暫くしてから僕は言った。
(手相みたろか?)
「そんなこと言って手を触るつもりなんでしょう?」
僕はとまどった。そして、
(手触るぐらいええやんか。)
文子は黙っていた。僕は文子の手を取り手相をみるかたちを取った 僕は手相など知らない。ただ手を軽く握って右手でさする行為を取った。
文子はただ黙っている。僕は根気よくそして嬉しくさすっていた。そして徐々に上に移動して行ったが肩あたりで文子は言った。
「それ以上は止めてね でなくちゃー結婚しないから..」
僕はそれをまともに聞いた 彼女を逃すわけにはいかない。だから忠実に肩までの愛撫となった。
そして何と延々4時間以上に及んだのである。
その時に姉婿が来たために中断せざるを得なかったが、もしそうでなければ後どの位続いたことだろうか。
この途中段階で文子は失神したのである。腕だけで普通は考えられないことだが、事実なのである。僕は驚いて手を彼女の鼻の近くへ寄せ呼吸してるのを確かめ安心した始末であった。
文子にすればキスさえ知らない生娘だから、もちろん初めての体験だし 僕も似た様なものである。
何故このような長時間腕だけで続けることが出来たのかを分析してみると、まづ肩迄と制限されている。
そこへ僕は女に飢えている 普通のコースで行けば当時の僕のこと当然短時間で終わっている筈である。
若くて飢えている僕には終わりが無い限りは何時間でも続けることが出来たわけである つまり果てるまではその意欲があるのだ。今で無くとももう一度やれと言われても出来るものではない。
性感マッサージたるのもサービスした事があるがせいぜい1時間が限度であった。
そのいろいろな条件が揃っていたればこそ出来た行為であり ただ一回切りではあったが、お互いに貴重な経験であった。そして 僕には終結すらなかったが長時間相手を陶酔させた満足感で充分でもあった。
今の文子にそのことを聞くとこう言った。
「手だけで あんなにいいもんだから、先はもっといいんだろう」と。
そして こうも言った。
「あの快感による後の楽しみが70%で、僕の値は30%だと...」(ショック!!!)
まあこれは真実かどうかは別にして、とにかくものにしたい女性には天国へ導くことだ。これは間違いが無い重要なポイントである。ただし純情な未経験者に限る。
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その代理店招待で香港へ行くことになった もちろん海外旅行は初めてである。目的は買い物と女であることは言うまでもない。
夜になってその希望者8名ほどが現場にたどいついた。女の方が顔見せに一人づつ表らわれる。こちらが気入った娘を指名する式である。
17才位のいかにも素人っぽい娘が出たとき僕は即指名したが、その娘は嫌がって逃げるのである。事情は知らないが僕では気にいらなかったんだろう。
だが諭されたのか結局その娘とやることとなった。ふたりは全裸になったが、その子は仰向けに寝て両手で乳首を押さえている 触れさせないのだ そしてキスもさせない。
仕方なく本行為に及ぶことになる。
この日の為に(10日分)充分貯えた僕である ゆっくりと動く。それでも或程度時間が経つと終わりそうになる。
その前に僕はゴムは付けない主義である。玄人(主に雄琴温泉)とは30人はお世話になってるが、一回もそれを付けたことがない。また相手も付けなくては嫌やと言われたことがない。僕にすれば感触が全然違うのである。
元に戻ってとりあえず外す事にした そして乳首以外をさすったりして時間を稼ぎまた行為に入った。今度は我慢せずストレートに楽しむことにした。
そして終わってからもすぐに離れず暫く余韻を味わい離れることにした。
女はすぐに側に用意してあるビデに直行 と思いきや目をつぶったままじっとしてるのである。
あれだけ嫌がっていた娘がどうして?、、、
僕は今でもこう思ってる いやいやさせられた行為にもかかわらず、(きっとあの娘は感じたんだ!)
帰国してから暫くして尿に異変を感じた。僕は前述した通り多くの女性と接しているが、一度もゴムを付けたことがない。今考えてみると、あの時あの娘は嫌がって逃げていたのは、僕を見た時、この様ないい男(善良なと言う意味)に、この病気を移させたくなかったからだ とそう思っている。(勝手に思うな!)
そうか知ってる彼に似ていたかのどちらかであろう。でなければつじつまが合わない。僕は女性に嫌われるほどの醜男ではない。
妻からは香港からの10日間は禁欲させられた。でも処置はしたはずである。僕の妻はこの長い同居生活の間に一度として拒否された事がない かりに拒絶されても強引に追行するのを知ってのことかもわからんが、僕の妻への感心するひとつでもある。
それと話は飛ぶが ついでに言うと我が家の方針は徹底した亭主関白と子供に対する教育は徹底したスパルタ方式である。詳しいことは別欄に書くが今の時点警部補の息子にさえ俺の上には立たせない。つまり俺の配下である。老いては子に従えは僕には通用しない。
僕が生きてる限りはあくまでも栃尾家の御本尊でありボスなのである。だから今のニュースで騒いでる少年問題など馬鹿々しくて聞く気にもなれない。(我が家の教育方針を見習え!)犬でも甘やかせばボスになりよるのだ。この話はここではストップ。
元に戻って 仕方なく近くの病院へ行ったところ雑菌らしい。2〜3回通って治ってしまったが、あの時の言った医者の言葉が気にいらない。
(君でも遊ぶのかい)
(ハイ)
その時は何も意識はしなかったが、思い出してみたら (どう言う意味やねん) といいたくなる。 俺やったら遊んだらあかんのか?遊ぶタイプと違うんか!
その医者は結局自分の願望が適えられなかったからの発言ではなかっただろうか。いや そう思うことにしとこ。
男なら皆その願望がある と言うより本能なのだ ただそれを実行するかしないかの違いだけである。僕のこの女遊びは妻とは公認である。<BR>
それには妻への忍耐強い説得と何よりもその妻へのサービスに怠りがあってはならない。つまりすることはきっちりとやれ である。例えば玄人の女性は仕事だから演技が主力になるのは仕方のないことだが、その分打率が如何しても悪くなりがちである。でも その夜は妻ときっちり終る。以下簡単にその話をしよう。
滋賀県の雄琴温泉の近くに大規模なトルコ風呂街(当時はそう言った)ができた。若い玉(女)も揃っていてよく通ったものだった。時には電気器具卸代理店の人と(いこか)(うん いこ)
とこの様に仕事中に滋賀県まで遊びに行ったものである。名神高速で行くのだが、どうしても往復4時間はかかる。
営業と言う仕事はノルマさえ上げればこのような融通が利くのでその点便利がいい。成績さえ良ければパチンコでもボーリングでもその時間がとれる。
だから 僕の雄琴行きのほとんどはそれである。
ある行きつけの店で鶴姫と言う娘がいた。髪がロングでAクラスの僕の好みであった。いつものとうり服もズボンも脱がせてくれる。そして阿波踊りをメインにいろいろサービスをしてくれる。ゴムは勿論付けない。
とどこうりなく終わって2度目にその子をまた指名した。同じ動作をしてるのだが、僕の調子が悪いのかいきり立たない。僕は仕方なく彼女の左乳首を口に含み左手で女を攻めていたところ 彼女の僕を抱えていた手が異常な力で締め付けてきた。
終わってから彼女はしきりに(恥ずかしい)を連発していたが僕はその相づちも打てず無口であった。今思えば鶴姫としてはやり場に苦労したろうと思う。僕がその時 (ほんとー嬉しいなー) の一言でも語れたら彼女だって救いがあつたことだろう。
そして話が弾むことにより気が合ってうまく付き合うこともあるいはありえたかも?..(何寝言いうとんねんや!)
3回目に指名した時はもう店を止めたとの事であった。その真偽のほどは知らないが、残念なことであった。やはり同じやるなら好みの娘の方がいいに決まってる。もし合ってくれていたら10回はかよっていたかも...。
次は近くの人の紹介でNちゃんといって少しぼっちゃり型の可愛い子ちゃんだった。上六の得意先であるホテルで1泊することになり、ミュージックをかけてチークダンスをした。
その時はムードもあがり勃起もあり のちのち上手く行くはずであったが、いざその場で言うことを聞いてくれない。<BR>
それよりその子の特徴なんだが、陰核が異常に大きいのである。長さが約5センチ 高さが3センチはあったろうか。69の形でそれをいじくってるうちに舐めたくなったので要求するとイヤだと言う。そして (イチマンエン) と手を出す。僕は仕方なく1万円を渡す。そしてその行為にはいる。
予想に反して大きいから感度もそれなりにあるのでは と思ったが、そうでもなかった。実に男って馬鹿な動物だなと、その時つくずく思った次第である。(イチマンエン)もったいない。
次も雄琴での事だが相手のおっぱいが皆無なのである。先ずゼロに近いと言ってよい。その為か触る事さえ嫌がる。そこを強引に左の(女性にすれば右)乳房を口に含み
舌先でチョロチョロしてたら、何とその乳房が膨らんだではないか!俗に言うAカップぐらいであろうか、それがゼロからの急変である。そして右側はぺっちゃんこである。
これには驚いた。滅多にない数少ない例だと言える。
それと上六でホテルのマネージャーの紹介で近くのホテルに入りそこは好みのタイプを指名出来ると言うので、背の高いスタイルにいい娘を指名したらそれにあわせた子がやって来た
さっそく事に及んだが、いやにごつごつして感触が良くない。正常位一本の僕だからよけいに接触が悪いのだろうが、やはり実用には適当な脂肪の膨らみが必要だと思う。
モデルの様に美だけを追求する娘は犠牲にせねがならない面もあるのだな〜と勝手にそう思った。
ある女性服専門店の主人で当人は糖尿病のせいであの方はダメらしいのだが、滅法好き者であつたので気が合い仕事を越えた付き合いをしていた。その頃はAVビデオなどもなく音だけのカセットの隠し撮り(ウラ物)が出回っていた。
カセットと言えども本物だから初めて聞いたときは異常に興奮した覚えがある。音だけの上に隠し取りだから鮮明に聞くことも出来ないが、想像力が加味される為か今のウラビデよりずっと味があった。
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ある意味で言えば今ほどこの方面に摺れていなかった(新鮮だったと言う意味)からでもあろうか。
そのご主人の女でスナックのママをしてるD子を紹介された。女性としてはやや大型の40手前位だったろうか、僕としては若い子オンリーなのであまり気にもしていなかったのだが、その女性とホテルで一線を交えご主人は隣室でその音の一部始終を録音したいと言うのである。
僕はさほど気が進まなかったが、やってみたい好奇心もありOKした。
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だが不安が的中して堅くなってくれない そこへやや大味なので目的の所へ届かない。彼女はやや大型のスポンジ製?の張り子を用意してたがそれを使う迄もなく白けてしまった。結局失敗に終わったのだ。
後日ご主人の要望でピンチヒッターを世話をしたら、それはフルコースで成功を治めたとのことでめでたしであった。
そのご主人の紹介で喫茶店勤めの子とすることになったが、その子は初めから(私は不感症やで)と予告した 僕かって同じ金をだしてやるなら感じてくれる方がいいに決まってるが、いまさら帰れとも言えず、まあ出来るだけのテクニックを用いたが、まるで人形であった。まる反応がないのである。目すら開けていたのではなかっただろうか。そして終わることなく中断して金を渡したとき (今度いい子世話しょうか?)
僕は帰す言葉がなかった。そしてもちろん断った。(不感症を承知で出てくるな!)
以上簡略的にかいつまんで書いたが女性編は一応これで締めくくることにする。