−姫路城−

信長の命を受けて中国平定に乗り出した、秀吉の拠点となった城


別名:白鷺城
まるで、白鷺が羽を広げている様に美しい形を
している所から、こう呼ばれています。

この城は日本を代表する最も完成された城郭
建築であり、木造城郭建築群と石造りの城壁
・白色の土塀から構成される構造が最もよく残
っている事などが認められ、1992年にユネスコ
の世界遺産委員会で法隆寺と共に、日本で初
めての世界文化遺産に指定されました。
もともとは播磨の守護職赤松氏が1333年〜
1346年にかけて姫山に城砦を築き、その後、
小寺氏、黒田氏が居城としていました。

1577年、羽柴秀吉が信長より中国地方平定
の命を受けて播磨国に入国した時、その時の
城主、黒田官兵衛孝高は城を秀吉に明け渡し
たのでした。
これによって、秀吉は姫路城を拠点として播
磨国での戦いを展開したのです。

その功績が認められ、1580年、秀吉は信長
から中国地方平定を任務として播磨・但馬2
国を与えられ、彼は改めて姫路城を居城と定
めました。
そして、翌年3層の天守閣を完成させたので
す。
信長の生前に秀吉が持った城は2つ。
『長浜城』とこの『姫路城』です。

あの有名な『中国大返し』の時にも、この城で
一時休息をとり、一気に、山崎の合戦場まで
駆け抜けたのでした。

現在の城は江戸時代、播磨の大名に封じられ
た池田輝政が築いたものです。
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姫路城は小さな頃から知っていました。
テレビにもよく出てくるお城ですしね。
特に、右の写真に写っている場所は、見覚え
ある方もいらっしゃるのでは?
テレビの時代劇『暴れん坊将軍』のオープニン
グ(?エンディングだったかも)に使われてまし
たよね。

私(妻)は父の影響で幼い頃から、時代劇をよ
く見てましたので、はじめてこの場所を歩いた
時には、『おおー!ココ!ココ!』ってかんじで
した。
でも、この『信長・秀吉の旅』を始めるべく、歴
史を詳しく紐解くまでは、ここが秀吉の居城だ
ったなんて、全然知りませんでした。(^_^;)

知っていて訪れるのと、知らないで訪れるので
は、やはり何倍も感激が違いますね。
100年以上前に、この石畳を秀吉が歩いてい
たんだなぁ〜なんて空想に浸ってしまいました
右の写真は天守閣からの眺望です。現在は
高いビルなどが見えますが、秀吉の頃はいっ
たい、どんな風景が見えたのでしょうね。

あっ!そうそう、余談ですが、この城にはあの
『播州皿屋敷』で有名なお菊井戸があるんで
すよ。あと、私達は見逃したのですが、秀吉築
城時、貧しい老婆が石うすを寄附し、この噂が
広まって多くの石が集まり、城の石垣が完成
したと伝えられている『姥が石』も有ります。