−清洲城−

信長はこの清洲城から桶狭間の戦いへと出陣し大勝した。五条川を自然濠として築かれた平城。
史跡としては「右大臣信長公古城跡の碑」や「桶狭間の合戦へ出陣せんとする有名な信長像」等がある。

信長はこの城を手に入れたことにより尾張の中
枢を制圧したことになった。信長はこの城から
桶狭間の戦に赴き、また信長の死後、後継者
を決める為の清洲会議が開かれたのもこの城
だった。
この清洲城は復元されてまだ日が浅いようだっ
た内は「ふれあい郷土館」になっている。3Fの
「郷土歴史コーナー」は戦国時代の信長公ゆか
りの品をはじめ城下町として栄えた頃のものや
遺跡出土品など、郷土の文化、歴史に関する
資料が展示されている。
天守閣3Fに復元された信長公の居室には、
桶狭間の戦いへの出陣前に濃姫のつづみで
「敦盛」を舞う信長公の人形がおかれていた。
まるでその時にタイムトリップしたかのように
感じられた。「人間五十年、下天の内をくらぶれ
ば、夢幻の如くなり。ひとたび生を得て、滅せ
ぬ者のあるべきか」…朗々と城内に響き渡った
信長のうたい声が聞こえてくるようだった。
再現された清洲城の橋の手前には清洲古城
跡の碑がたっている小さな公園がある、そこと
JR東海道線と新幹線の2本の線路を挟んだ向
かい側に清洲公園がある。その公園内に左の
の写真の「織田信長像」がある。生い茂った木
々に囲まれ、雄々しく立っていた。まるで、
「天下を取るか、尾張のうつけで消えてゆくか」
と例の口癖を言っているようだった。信長ファン
の私Aがみとれていたのはいうまでもない。