−古渡城跡−

天文15年(1546年)幼名:吉法師13才の時、この城で元服し、織田三郎信長を名乗る。

左の写真は本願寺名古屋東別院。古渡城は
この敷地内にあしました。1534年、信長の父
信秀が築城、それまで居を構えていた那古野
城を信長に譲りこの城へ移つりました。14年
後信秀は末森城へ、信長も1555年には清洲
城へ入った為、古渡城は廃城になりましたと
さ。敷地内は気持ち良い広さで、その敷地の
隅にひっそりと「古渡城跡」の碑が建ってまし
た。
右・下の写真は熱田神宮です。
ここも信長通なら見逃せない場所!桶狭間の
戦の際、「人間五十年…」でしられる「敦盛」の
一節を舞った後、甲冑を着けるが早いか、小姓
五人ばかりを従え、騎馬で飛びだしました。こ
の時、信長に仕えていた木下藤吉郎(後の豊
臣秀吉)は信長の轡を取っていたそうな。
その後熱田まで駆け通すと、熱田神宮で後続
の兵達が追いつくのを待つ為に休息をとったの
でした。
山岡荘八著「織田信長」を引用させて頂くと、
拝殿奥の中殿に願文を奉じた後…「遅いぞみ
んな」まず鋭い一喝を浴びせておいて、「皆に
知らせておく。この信長が願文を納めたところ
祠堂の奥で金革の音が聞こえた。破邪顕正の
わが心を、熱田の武神は嘉納された証拠だぞ
戦は誓ってわが勝利じゃ。疑うな。疑う奴は叩
っ斬る!」それはかなわぬ時の神頼みなどと
は、およそ思いも寄らぬ、阿修修羅のような形
相であり、鉄壁の自信に見えた。…とまぁ、こ
んな様子がここで繰り広げられたのです。