−那古野城−

天文3年(1534年)、幼名:吉法師(後の織田信長)が生まれた城。

信長様が産まれたと伝えられる那古野城跡は
東海の名城・名古屋城の二の丸付近にあった
今では上の写真のように那古野城址の碑しか
たっていないし、この場所を訪れる観光客もほ
とんどないだろう。しかも石碑に刻まれた文字
は消えかかっておりほとんど読むことはできな
かった。でも、信長通の私としては、信長様が
産まれた場所に約450年後の今、立ってる…
というだけで、感慨深いものがあった。
上・右・下の写真は、「尾張名古屋は城でもつ」
といわれる名古屋城の写真です。
とにかく大きなお城でした。大阪人の私達は
大阪城が一番大きい…と思っていましたが、
大阪城よりすこし大きい? さすが、徳川の城
!!って感じでした。この城を作る時に、加藤
清正が石曳きをやったり…と多大な貢献をした
ということで、あちこちに上の写真のように加藤
清正像が建っていました。
私達は閉館の10分前に滑り込んだので、大急
で見て周ることに…。内部は歴史博物館になっ
ていました。第二次大戦中の昭和20年5月、
名古屋空襲の際、大・小天守閣、本丸御殿は
じめほんとどの建物が焼失したそうで、本丸御
殿は復元されないまま敷地跡を残していただけ
でした。天守閣が燃えている時の写真もありま
したよ。天守閣は小さな窓がいくつもあるだけ
で外にでて下を見下ろすことができませんでし
たのでそれがちょっと残念でした。左の写真は
小窓からパチリ!