−尾張中村−
豊臣秀吉が生まれ育ったといわれる地で、他に豊国神社がある。この神社の一帯は
中村公園となっており園内に「豊公誕生之地」の碑が立っている。
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母親の「なか」は日吉(後の秀吉)を身ごもった 夜、太陽が口の中に飛び込む夢をみたそうな そして、ここで日吉は産声を上げました。 太閤豊臣秀吉、幼名日吉、出生は尾張中村。 一説には農民の子、一説には鉄砲足軽の子、 一説には天皇の御落胤ともいわれています。 秀吉の青年以前はナゾに満ちています。 まず最初に目に入ったのが、とてつもなく大き い朱の鳥居だった。その下を車で通りぬけ中 村公園へ入っていいきました。 |
秀吉公が生まれた所だというのに、すぐ近くに 競輪場があるせいかホームレスの人が木々等 に洗濯物を広げていたりしてとてもキレイとは 言えなかったし、さびれた気もあり、とても残念 に思いました。…が、さすがに誕生の碑に出会 った時には、感激しましたよ。 公園の一角には「秀吉清正記念館」がありまし た。これは中村公園文化プラザの2Fにあり、 いろいろな資料などが展示されていた。こちら は、秀吉ファンなら一見の価値はあると思いま す。 |
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左の写真は矢作橋のたもとにある「秀吉と小 六の出逢いの像」です。 「お侍になる」夢を抱いて少年日吉は身体ひと つで故郷を飛び出しました。そして、三河城下 矢作橋でうたた寝をしていたところを、小六に 頭を踏んづけられました。…と「絵本太閤記」は 日吉が蜂須賀小六と出会った時の事を伝えて います。が、当時は、まだ橋がなかったともい われており、これも太閤伝説の一つだろうとい う事です。 矢作橋は岡崎市を流れる矢作川にかかる交 通量の多い国道一号線の橋です。岡崎から豊 川市に向かう方向車線の岡崎寄りの橋のたも とにあります。 私達は大阪枚方から設楽が原に向かう途中、 偶然発見して、急いで側道に入り車を止め撮 影しました。逸話だとはわかっていても実際、 この像を目にすると、感無量でした。 |