−小田原城−
1590年、この小田原城開城によって、事実上、豊臣秀吉の天下統一がなされた。
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この小田原城は、戦国大名小田原北条氏の居 城となってから、関東支配の中心拠点として次 第に整備拡張され、豊臣氏の来攻に備えた城 下を囲む大外郭の出現に至って城の規模は最 大に達し、前例を見ない巨城に発展しました。 天守閣は江戸時代に造られた模型や引き図を 基に、外観を江戸末期の姿、内部を歴史資料 の展示施設として昭和35年に復興されました 3層4階の天守閣の展望室からは、天気が良け れば、房総半島や伊豆半島を望めます。 私達が行った時は雨が降っていて残念ながら |
その絶景を望む事はできませんでした。車で行 ったのですが、城近辺に市営の駐車場が多く あり、便利でした。まず上写真の銅門(あかが ねもん)から城内に入ります。銅門は平成9年 に復元されたもので、まだ新しかったです。次 に小田原城本丸の正門に当たる常磐木門(と きわぎもん)をくぐると、そこには小規模の動物 園が…。象(右写真)などがいてびっくり!常盤 木門を入って左手に甲冑と打掛を貸し出してい る所があります。一番最初の城をバックにした 武者と姫君の写真はまぎれもなく私達です。 |
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打掛は服の上からはおるだけですが、甲冑の 方は事務所のおじさんが、ちゃんと着せてくれ ます(服の上から)。夏に行ったので暑かった のですが、甲冑の重さで身が引き締まり、T氏 は感動を覚えたそうです。変身後は自由に敷 地内を歩きまわり持参のカメラで自由に写真が 撮れます。貸出料は大人200円です。私達は 着せてくれたおじさんにお願いしてたくさん写真 を撮ってもらいました。これは絶対おすすめです 左写真は『歴史見聞館』で撮ったものです。小 田原城の始まりから今日までを、模型や映像 |
で紹介している、今年98年4月にできたばかり の新名所です。戦国武将がお出迎えしてくれる 『ウェルカムゾーン』に始まり、上杉謙信や武田 信玄と北条氏との戦いをモニターで解説する『 北条五代ゾーン』、街並み再現や歴代城主等 を紹介する『江戸時代ゾーン』、観光名所との 合成写真が作れる『小田原情報ゾーン』の4つ のコーナーがあります。ミニシアター等もあり、 結構楽しめました。ここもおすすめ! さて、小田原攻めといえば、石垣山一夜城です よね。石垣山は、笠懸山(かさがけやま)と呼 |
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ばれていましたが、1590年豊臣秀吉が小田原 北条氏を水陸15万の大軍を率いて包囲し、そ の本営として総石垣の城を築いたことから石垣 山と呼ばれるようになったそうです。この城が、 世に石垣山一夜城又は太閤一夜城と呼ばれる のは、秀吉が築城に当たり、山頂の林の中に 塀や櫓の骨組みを造り、白紙を張って白壁のよ うに見せかけ、一夜のうちに周囲の樹木を伐採 し、それを見た小田原城中の将兵が驚き、志 気を失ったためと言われています。でも実際に は延べ4万人が動員され、1590年4月〜6月迄 |
約80日間が費やされました。秀吉はこの城に 淀君や千利休、能役者を呼び茶会を開いたり 天皇の勅使を迎えたりしました。この城は、関 東で最初に造られた総石垣の城で、長期戦に 備えた本格的な総構えであったといわれ、度 重なる大地震にも耐え、今日まで当時の面影 を大変よく残しています。秀吉はこの陣地内に 遊女なども呼び寄せ、兵士達の志気が長期戦 で低下しないよう配慮したそうです。 下の写真は本丸にある物見台で、秀吉と徳川 家康が一緒に放尿したというあの有名な『関東 |
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の連れ小便』の場所なんです。それから上写 真はそこから見た小田原城下です。写真の左 側に小田原城が小さく見えました。ここ本丸は 標高255〜257m。面積およそ7,500平米で、最 も広い面積を持った曲輪。ここからの眺望は四 方に開かれ、相模湾から三浦、房総半島に至 るまで一望できます。この曲輪の南西部に天 守台があり、標高261.5mで、当城中最も高い 位置にあります。それから、左の写真は二の丸 跡です。キレイに手入れされた芝生が一面に 敷き詰められ、本丸と並んで最も広い曲輪です |
この城で秀吉は伊達政宗とも謁見しました。小 田原参陣に遅れた政宗は秀吉の前に死に装 束で現れ、死の覚悟があることを匂わせました その政宗に対し、秀吉は杖で政宗の首をたた きながら「もう少し遅れていたら、ここが危なか ったぞ」と笑ったそうです。その後、佩刀を政宗 に持たせ、自ら豊臣軍の陣立てを説明したそう です。 この歴史公園の入口まで車で登れますが、ち ょっと道の案内がわかりづらいかも…。私達も 随分迷いましたから(^^;)。 |
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左の写真は『太閤石風呂』 です。秀吉が小田原城攻略 に向かう途中、蛇骨川に温 泉が湧いているのを発見し、 入湯したと伝えられています すぐ近くまで行くことはできな かったので遠くから眺めるだ けでした。この周辺は今では 宮の下温泉として栄えてい ます。『太閤の湯』という大衆 浴場もありました。8月2,3日 には『太閤ひょうたん祭り』が 行われてました。いつか、又 訪れてゆっくりと太閤の湯に つかってみたいです。 |