京都まにあ
百鬼夜行の大将軍


かつて京都の夜は、鬼や妖怪や怨霊の支配する世界であった。
平安時代には、夜中に徒党を組んで、鬼たちが行進する「百鬼夜行」現象がよく起こったらしい。
陰陽師に占ってもらって、この日は出るぞという夜行日には、外出を避けたとさえいう。

で、その百の鬼、いったいなにの怨霊だったかを絵解きした絵巻が残されている。
代表的なのが、大徳寺真珠庵所蔵、土佐光信の筆と伝わる「百鬼夜行絵巻」で、そこで行進しているのは、鍋?傘?扇?文箱?仏具?楽器?弓矢? どうやらこいつら、古道具の怨霊らしい。
なんでもこうした道具たち、九十九年を経ると魂を得て、付喪神(つくもがみ)に化すと言われ、ならば早く捨ててしまえばよいかというと、捨てられたことを恨み、船岡山にたてこもって、捨てた持ち主に祟るとも言われ・・・どないせっちゅうねんっ!

大事に大事に愛着をもって接し続けるのが一番、なんだそうであるが、なかなかそうも行かない。
そういう時は打ち捨ててしまうのではなく、北野や東寺の古市に出して、せめて再利用を促進して、というような生活の知恵、物を大事にする心を諭した言い伝えが、百鬼夜行絵巻になったと考える人もいる。
絵巻の描かれた室町期は、市場に物が豊かになった時代でもあり、すりへって穴があいてボロボロになっても大事にされていた各種の道具類が、粗末に扱われはじめたという世相が、背景にあったのではないかとされている。

もっとも、土佐光信とは別の百鬼夜行図も存在し、道具類だけとも限らない様々な妖怪が描かれているし、夜行は「やぎょう」とも読むので、行進ではなく「行」のために群れ集まっている図もある。

話がややこしくなるので、ここでは道具お化けの行進ということにしておくが、そういう百鬼の群れがよく行進したのが一条通なのだとか。
一条戻り橋の伝奇にもみられるように、この通りまでは人間界、ここから北は異界と考えられた時代があるのかもしれない。

せやけどなぁ、怖がってばっかりもおれんし、元々物を大事にせなと諌める言い伝えやから、復活さしたってもえぇんとちゃう?
と考えたのかどうか、「妖怪ストリート」と銘打って百鬼を行進させることにしたのが、その一条通、船岡山も大徳寺も北野も近い大将軍商店街(HP参照)である。
500mほどの商店街30店ばかりが共同して、現代のもったいないお化けを出現させたのが2005年。
早くも恒例となった大将軍秋まつりパレードには、古今東西多くの妖怪が集まるらしいが、普段でも平気な顔して妖怪たちが立っている。

どんなのがいるかというと・・・
荒物屋さんの店先にはお釜がいる。餅屋さんでは絵巻にも登場するお歯黒妖怪が菓子を食っている。 このあたりは伝統的なのだが・・・・



着物屋さんには晴れ着姿の化け猫?なになに、名前がしずかにゃん?
婦人服のお店には、けっこうおしゃれな鶴?白鷺?お化け。
パン屋さんの軒先には、なに?パンの耳を捨てたら化けて出る?ちゃんと最後まで食べなくちゃな。
他にもさまざまだが、元来が物を大切にという精神だから、店から出た廃材の再利用を原則としている。




ついでに妖怪の商品化も盛んで、Tシャツなどのグッズはもちろんのこと、黒いスープに紫麺という「妖怪ラーメン」や、反魂効果はありませんとただし書きつきの「百鬼夜香」、妖怪あずき洗いも納得のお味「百鬼夜行どらやき」なども登場して、なんともおどろおどろしいことになっている。

ご近所の椿寺・地蔵院(五色散り椿の銘木で知られる)や、大将軍八神社も場所を提供して、「怪談会」や「妖怪芸術展」なども催されているし、ぬゎんと、百鬼夜行資料館では「魔界遺産」宣言まで出されていて、そこまで大事にされれば、妖怪たちも少しはご機嫌がうるわしいのではなかろうか。


商店街名の由来となっている大将軍八神社にも、敬意を表して立ち寄っておこう。
さほど広くない境内であるが、街中の神様であるので、四季折々の年中行事や、フリーマーケットなどで、地域と仲良く歩んでいる様子である。

歴史は古く、平安京造営の際「大将軍堂」が建てられたという。
陰陽道のお堂で「大将軍堂」だったのが、江戸時代に大将軍村の鎮守社として祀られるようになった。
大将軍村というのもなかなかすごい名前ではある。

大将軍堂はこの地だけでなく、平安京遷都時に四方の方角神として四社創建された。
江戸時代の記録では、北=大徳寺門前、東=岡崎、西=紙屋川で、南は行方不明扱いされている。
北、西に対して、東が大内裏から遠すぎるのが気になるが、一応そういうことにしておこう。

現在は、
西賀茂大将軍:平安京の方角神としては遠いので由来は別?
紫野大将軍社:今宮神社内 これが北か?
東三条大将軍:岡崎から動いた東?あるいは八坂神社との関係?
大将軍八神社:平安京全体で見ると西北にあたるが、大内裏からは西か
藤森神社内大将軍社:これも当時の王城からは遠いので南の大将軍は行方不明のまま?
といったあたりが、京都の大将軍社である。

そういう由来なので、方角とか暦の神様として、日本書紀的な流れには乗っていなかったのだが、 明治時代に神道を国教とする流れの中で、素盞鳴尊(スサノオノミコト) とその五男三女、および桓武天皇を合祀することになって、五男三女神と暦神の八神のイメージを同化させて「大将軍八神社」となったらしい。
そしてついには、怨霊退散!のはずの陰陽道が、妖怪たちとも仲良くなってしまったというところか。
千年を越えての和解ならば、それもめでたいことではある。

なんて呑気なこと考えながら境内を歩いていると、苔むした「招霊の木」がすっくと立っていた。
いきなり呼び出されてもこまるので、そ〜っと、そ〜〜〜っと。


ところで、まったく余談ながら、「天下の焼肉大将軍」は四条大宮を本拠地としている。
行方不明になった南の大将軍社が、このあたりにあったとしても不思議のない場所ではあるが・・・・

朝鮮半島では、村々の守護神が「天下大将軍」と「地下女将軍」のセットだったので、焼肉店の場合はそのことに由来しているものと想像される。
全国各地に「大将軍」を名乗る焼肉店は多いが、出自と縁起をかつぐとそういうことになるのだろう。
もっとも、大将軍八神社も元は陰陽道のお堂だったのだから、ルーツは同じというところか。

先刻は腹がすいていなかったので、妖怪ラーメンはパスしてしまったが、ここはひとつ大将軍焼肉でも食って帰るかな。


(この項おわり)


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