勘解由小路町


勘解由小路町地図

【かでのこうじちょう】
平安時代の地方官監督役の、勘解由使の役所があったところから、勘解由小路の通り名がおこり、今は町名としてその名残をとどめている。
勘解由使は、国司の交代の時などに、不正や争いを防ぐため書類審査をする、地方行政監査庁みたいな役所であった。その手の不正は、昔から絶えないものらしい。

なのに「かげゆこうじ」じゃなかったのはどうしてだっ!と私に聞かれても困るのだが、室町時代にはすでに、陰陽師の賀茂家が勘解由小路(かでのこうじ)に姓を変えているので、読み方の歴史も相当古いようだ。
もっとも、最近は「かげゆこうじ」と読む人が多くなり、「かでのこうじ」は、そろそろ歴史の彼方に埋もれそうになっている。

勘解由小路家は一度直系が途絶えるが、徳川時代に傍系の幸徳井(かでい)家を起用して再興されている。 おそらくその流れの公家から、「西無車小路」の項で書いたように、武者小路実篤の母親が出たのであろう。(※訂正→下の方)
余談であるが、勘解由小路姓は現代にも伝わっていて、左衛門三郎という名前みたいな苗字と並んで、漢字表記最長の5文字となるのだとか。

勘解由小路町をはじめ、室町通北部のこのエリアは、御所に近いこともあり、またその歴史を反映して、お屋敷町的な色彩を残している。
一軒の区画がやや大きく、マンションに建て変えた所でも、どことなく落ち着いた造りになっているようだ。

勘解由小路通は、今の下立売通にあたり、通り名としては姿を消している。
またこの通りは、室町後期に「武衛陣」と呼ばれていたこともある。 管領の斯波義教の屋敷があり、斯波氏の当主を武衛と呼ぶようになった関係で、この一帯の名前が武衛陣と変わったのである。
今も南隣の「武衛陣町」にその名をとどめているが、いかめしい町名にもかかわらず、平安女学院の中学・高校が大半を占めている。

ところで、京都を歩いていると、どこの町でも赤い箱の消化器が目立つ。
数々の大火の記憶から、町内の防火用に配置されていて、町名が書いてあるのでこのコラムにはありがたい目印である。
しかしここでは、最初間違えて勘解油小路と書いたようで、赤いペンキで「さんずい」を消して歩いた跡があった。
火に「油」を注いじゃ、いけないよ。


※訂正
賀茂家とは別系統の勘解由小路家があって、武者小路実篤の母親は日野流の勘解由小路家であることをご指摘いただきました。しかもそっちの方が古いみたい。失敗失敗。

お屋敷町の風情


おっと間違い 油じゃなかった