現在までに、数多くのスポーツ800が、メーカー製の純正部品では無く、TSOCや都内にあったショップ某「S」経由に
て入手したレプリカパーツを使用しながらも元気に稼働させていることと思います。
私は、このレプリカパーツを造ると言うことについて、作り手側と受け手側の間に、悲しい程かなりのギャップが存在する、と言う事を耳にした為、今回は、私A氏が深く関わり合いを持った、FRPパネルの製作を例にして、どのような経緯を経てこのFRPパネルがみなさんの手元に渡るようになったのかをお伝えする事により、スポーツ800のレプリカパーツを手にした時、少しでも製作側の思いが伝わることを願います。
このFRPのレプリカパネルの話は約20年前、私がスポーツ800の1号車で千葉県内をブイブイ言わせて走り回っていた頃まで遡ります。
すでに当時、スポーツ800の主要部品が殆ど入りにくくなって、車検を通すのに必要な保安部品ぐらいしか出回らなくなっていたキビシイ時期でした。
特に板金関係のパネル類は全く手に入らず、万一ぶっついたら交換用のパネルは無く、盛大なパテ盛りでご
まかすことぐらいしかできなかった頃でもあります。
更に、オリジナルのパネルをそれなりに整形したり、切り次いだりするには「レストア」と言う大事(おおごと)を覚悟しなければならず、ましてや今ほどレストアの環境が整っていなかった時代なので、「レストア」はお金持ちくらいしかできないもでした。
ある時、千葉で中心となって活動している御大TAKE氏が「外装パネルはもう手に入らないから、FRPでパネルを作って、外装で困っているオーナーに分けてあげたい」と言う尊いお言葉をお聞かせ戴いたのです。
TAKE氏曰く「スチールが望ましいが、プレス金型などと言う物を作れるだけの金も力も無かりけり、錆などと言う物から縁遠いFRPなら割合安価に手に入りそうだから」と言うことを言われました。
ちなみに、当時のスポーツ800で「程度の良い車両」とは、走ることが出来る車両の事を差しており、雨漏り、外装の腐り、穴あき、果ては走行に支障の無い部品の欠品なんかは、問題の外として処理しておりました。
究極的な言い方をすれば、ヨタハチの形をした物が公道を走っていられることが、当時では「程度の良い車」でした。
あの頃は、それほど酷い物不足の時代でした。(これじゃあ戦争中のお話しのようですね)
当時、私が安月給で「宮」仕えしていたのが、住宅設備施工会社(まあ、平たく言えば水道屋さん)で、そこではFRPの製品をふんだんに扱っていたので、知らないこととは言えお恐れ多くも、取り扱っているメーカー
に直接電話して聞いて廻ったのです。が、結果は惨憺たる物でした。
まず、話は聞いてくれるが話には乗って貰えず、A氏はことごとく門前払いを食らっておりました。
そうした中で、とある中堅水槽メーカー「S社」の営業の方から、どうして相手にして貰えないかを丁寧に説明して頂きました。
なるほど、製品を作るのにはスチールプレスのように「型」が必要で、メーカーとして製作する場合、その「型」だけでもべらぼうな金額が必要なこと。スポーツ800の場合、生産数が比較にならないほど少量なので、万一生産
したとしても一枚あたりの製造価格が、個人では手に負えない目ん玉が飛び出して、地べたに転がってどっかに行ってしまうほどの金額になるとのことでした。
そこでA氏は、FRPパネルを「作って下さい。」「ハイ判りました、一枚これぐらいの金額ですよ。」と言う話が簡単に出来て
、貧乏人が多いスポーツ800のオーナーにも「手が届きそうな金額で作って貰えるところを捜さなければならない!」
と言う使命に燃えて自動車雑誌を色々とあさって捜したのですが、殆どのところが今ニのところばかりでした。
その一方では、各地のスポーツ800オーナーの中で余力のある方が、自分用+αで作られたFRPのフェンダーが少量出回っていたのですが、金額を抑えた製品だったようでパネル厚が厚くって、周辺パネルとの合わせが旨く納まらなかったようです。
それでも、その当時としては全く手に入らないよりはましなので、それを使われた方も少なくは無かったと思います。
しかし、この手の製品には使われいる材質に問題があって、わずか数年で劣化してしまうそうです。
この点を前出のTAKE氏はひどく気にしておられました。「高い金額を出して数年しか持たないようでは使えない!」と申され、私A氏は窮地に陥りました。
FRPは知っていても製品に「松・竹・梅」のランクがあるとはA氏は知らず、それほどの無知さで物を作って貰おうとしていたわけです。
捜し始めから1ヶ月ほどなんの進展もなく途方に暮れたA氏は、これまでの経緯をバイク好きの同級生に話しました。
彼は、A氏の話を聞くと、手元にある一冊のバイク雑誌のあるページを広げながらA氏に指し示しました。
当時、巷の二輪に、カウリングを付けることが流行り始め出した頃で、まだメーカーでは検討にも登らない時代でした。(と言うより「お上」が全然認めない時代)彼がA氏に示したその雑誌には、竹ひごを使ったアンダーカウルを製作する手順が細かく載っていたのです。
同級生曰く「これほどフレンドリーに説明してくれるところなら、相談に乗ってくれるかも知れないよ」ってことでした。
私は、藁にもすがる思いで、その雑誌に掲載されている会社に電話を入れました。
応対に出て方がかなり気さくな雰囲気を感じたので、その方に「私、トヨタスポーツ800と言う古い車のオーナーを生業(なりわい)としている者で、かくかくしかじか、丸々三角、長し角」と一気に話してしまいました。
私の話を受けてしまった気の毒なその方は、長々と話す私の話を聞いた後「少々お待ち下さい、社長と変わります」と言うことになりました。
A氏は、「聞く耳を持った人がいるところを相手にしている」と言う安堵感を抱き、ひょっとしたらいけるかも知れないと思えて来ました。
少ししてから、社長と言われる方が電話口に出られました。
電話から届いた社長の声は、先に電話に出られた方同様気さくさを漂わせる方でした。なるほど先の同級生が言ったように「なかなかフレンドリーだ」と言う印象を受けました。
私は、その社長を相手に、先程と同じことを電話に向かって説明を繰り返しました。
その社長は、私の話を一通り聞き終えてから「ご相談に乗ってあげられるかも知れませんよ」と言う内容のことをおっしゃられました。
その時の私の気持ちは、まさに「天にも昇る」ような「救われた」と言う思いに捕らわれました。とりあえず一歩前進です。
FRPについての知識や、それをヨタに用いる場合の要点についての詳しい知識が私には無いので、御大T
AKE氏のお出ましを願うこととなり、後日伺う日取りを打ち合わせることで電話を切りました。
そうそうに御大TAKE氏に連絡を取って先方に伺う日取りを決め、先方に連絡を入れたのが翌日、伺うのはその週末の日曜日と言う事になりました。
その会社は「B社」と言って中野区の住宅街にあり、およそ「会社」とは言えた代物ではありませんでしが、出迎えて来られた社長の「Aさん」は、電話で話した時の印象と変わらないフレンドリーな方でした。
このときは日曜日に関わらず、スタッフの方や社長Aさんの友人などの大勢の方に出迎えられました。
この人達は「何でもヨタハチなどという珍しい車」を見に集まったそうです。
照れながらも、内心ではまんざらでもない気持ちを、私が持ったことは言うまでも有りません。
この日、A社長からFRPについての蘊蓄、A社長のこれまでの経歴などを伺ってから具体的な話に入るハズでしたが、とても一日では納まる話ではありませんでした。
聞くところによると、A社長自身、その昔スポーツ800のオーナーだったこともあってスポーツ800にまつわる話で日が傾いてしまったのです。
しかも、このA社長は'60Sの黄金時代のレースの中のFRP製の有名車両の製作にも、かなり深く関わっていたとのことでした。
具体的な話は翌週末に持ち越すことになり、その日はスポーツ800まつわる話で終わりましたが、スポーツ800のFRPパネル製作で力になってくるれることを約束して戴きました。
この時代、FRPのエアロパーツがようやく出回り始めた頃でこのエアロパーツを、市販車にボルトオンで取り付くように仕掛けたのがこのA社長であったことに、更に驚かされました。
更にA社長、その少し前には初代セリカのグリル&ライト用の一体カバーを手がけられた方だと知って、更に更に驚かされました。
余談になりますが、A社長の友人で、赤いダイハツミラでいらした方がおられました。
そのミラには、その方が作られた黒いエアロパーツが装着されており、一見デトマソミニに見えました。
これは評判が良かったのでしょうか、半年位してからミラ用にセットで売り出されていたのを覚えており、かなり売れたことも良く覚えております。
このとき私は、そのデタマソもどきのミラに「ミラ・たー坊」と言う名前を授けたような記憶があります。
さて、本題であるスポーツ800のFRPパネルは、フロント外装パネルである左右のフェンダーと、ライトボックスを含むフロントマスクの計3点を製作する事になりました。
使用する材質は、凝固させる樹脂の他に当然グラスウールが必要なことは当たり前な話です。
しかし、このグラスウールは、数ある問題点の一つでして、安くあげるには、通常、綿状のマットと呼ばれる
材料を使うが、スポーツ800の純正スチールパネル並みの厚みと、かなりの強度を欲するには、グラスウールを繊維と
して編んだクロスと呼ばれる物を使用することになるのですが、そうなると金額にくもどろの差が生じてし
まうことになり、TAKE氏を含め、かなり思案する事になりました。
また、いずれの材料を使うにしても「型」が必要で、その「型」を製作する費用の負担が生じること、更にその「型」を起こすのに必要な、程度の良い純正部品のパネルを用意しなければならないことが絶対必須の条
件となりました。
この時点での製品の値段はフェンダーが一枚4〜5万、マスクが5〜6万で、型代もほぼ同程度の値段かかるとのことでした。
一般には、製品の価格に、この型代を上乗せして販売するそうですが、格安にて分けてあげたい、を旨とするTAKE氏には一点当たり7万前後になる価格には納得しませんでした。
ここで、話が行き詰まってしまったのですが、妥協案を提案したのはA社長からでした。
「では、こう致しましょう。型代はこちらで持ちます。代わりに、程度のスポーツ800を一台捜して頂けませんか?」
この提案に、TAKE氏と私は一も二も無く飛びつきました。そうすることにより価格に型代を載せずに提供できるからです。
またこの当時のTAKE氏のツテを辿れば必ずや私のスポーツ800のよりも程度良いものが捜せると確信しておりました。
次ぎに型を取るために必要となる元ネタである程度の良い純正のパネルについては、紆余曲折を経て私のスポーツ800を含めて実車から起こすのは断念して戴きました。
実車を元に製作すると他の車両と合わない確率が高いのと、ボディにダメージを受けていない車両を捜すこと事態、当時としては不可能な話でした。
そう言う理由から、トヨタより出ていた補給部品のパネルを捜してから「製作にかかりましょう」と言うことになりました。
そこで私は、千葉市内在住のHAさんのところに、数年前に手に入れたという新品の補給部品があり、それもメデタクも左右のフェンダーとフロントマスクをお持ちだということを進言いたしました。
かのTAKE氏は「それはなんと頼もしい話だ。私から彼に連絡して借りられるように手配しよう!」と言う力強いお言葉を戴きました。
この言葉にすっかり気を良くした私は、これで全て丸く収まる!などという幻想に取り付かれたのでした。
このような形でFRPの製品化がトントン拍子に進み、型を取るための新品パネル3点をHAさん宅からお借り
してそのまま「B社」に運び終えて、後は完成するのを待つだけだと、安心しきっていた私のところに「問題発生!」の連絡が「B社」から届いたのが、それから約一週間程したある日でした。
「実はお借りしたパネルを仮組して見たところ、フェンダーのラインとマスクのラインが合わないので検討してみました。どうやらメーカー製作時に、ライトボックスとマスク本体との溶接をいいかげんに取り付けたようなんです。そこでライトボックスをマスクから外したいのですが、良いかどうか確認願います」と言う晴天の霹靂同様の内容だったのです。
私は話をそのままTAKE氏とHA氏の御両名にお話ししたところ「私は都合で行けないが、HA氏と連絡して現地に確認に行ってくれないか?」と言うお言葉を頂戴致しました。
早々にHA氏に連絡を入れたところ「せっかくの新品パネルを傷つけられるのはたまらない、論外である。こちらに中古のマスクがあるからバラすならそれを使って欲しい!」とのことでした。
そう言うわけで、電話を受けたその日の夜、私、HA氏とHA氏の弟氏の3人で「B社」におもむき、A社長から
事情を伺うことになりました。
「B社」に到着して私たちの目に入って来たものは、すでに仮組されたいたフロントカウルのセットでした。
フェンダーとマスクは、細いL金物を使ってビス止めにより固定された状態で置かれていたのです。
この様子を見てHA氏は「穴を開けるという話は聞いていない!」と、声を少々荒げました。
どうやら、TAKE氏も含めて型に取られるパネルに手が加えられると言うことにまでは、考えが及ばなかったようです。
特にHA氏は、貸しただけなのに新品に穴開けされ、尚かつラインが合わないからバラしたい、などと聞かされたのでは、気持ちが納まらなかったことでしょう。
普段温厚なHA氏が、目を三角にして怒りを現したところを見た私は、ただちにTAKE氏にことの顛末を伝えなければと連絡を取ろうとしましたが、このときすでにTAKE氏は職場から離れてしまい連絡が取れないと言うことでした。
HA氏の態度に少々たじろがれながらも、A社長は根気よくHA氏に事情を説明されておりました。
実のところA社長もHA氏にしても、お互いの善意の行為が裏目に出てしまい、かなり困惑されていたに違いありません。
結局のところ、両者の間に入っている私とTAKE氏の理解不足による説明不足と、両者の好意に徹底的に頼ってしまったツケだったのです。
HA氏もA社長も職種こそ違え、技術者と言うことでお互いの立場をすぐ理解されて事なきに終わりましたが、私としても、知らない事とは言え後味の悪い思いが重くのしかかっておりました。
しかし、当事者の一人でこの計画の中心人物であるTAKE氏が不在なことは、両者からの不幸を買うこととなり、片棒を担いだ私にもきついお言葉を向けられました。
その日、HA氏は持参した中古のマスクをA社長に渡して「これならどんな扱いをしてもかまわないから」と申し送りされました。
また、受け手側であるA社長も、このときには打ち解けた雰囲気で応じてくれておりました。
帰り際、HA氏は「こんな思いをしたんじゃあ、1セット貰ったってバチは当たらないだろう」と私に静かに申されました。
私自身も「せめてそれぐらいするのが一般的な考えだろうな」と思いましたね。いくら「スポーツ800を一台でも多く復活して欲しいから」と言われても世の中「タダより高くつく物は無い!」と言うことでしょうね。
翌日、職場におられた御大TAKE氏にことの顛末をお伝えしたところ「そうは言っても、無償で1セット渡せるだけの余裕は無いし、ここは、他のオーナーの為になると言うことで理解して貰うように説得しよう!」と私に申されたので、この件は私の手から放れたことを嬉しく思いました。
このような曲折を経て、出来上がったフロントカウルセットを持って今は無きレストラン・ファンタジーのTSOCのミーティングにてお披露目を致しました。
このときは皆の好評を得たことは無論のことですが、価格については必ずしも好評とは言えませんでした。
ハッキリ言って大不評でした。何せ、安月給の多いオーナーの集まりでは致し方のない話ではあります。
(この傾向は今も変わらないな〜・・・・・)
1台分当時で12万〜13万の値段は驚異的でしたし、先に出回出したシフトブーツ1個5000円でも結構キツイ値段でした。
それでも、無い々づくしのスポーツ800の部品の中で自分達の手で量産できる物が出来たということは、筆舌に尽く
しがたい気持ちでした。
このパネルが引き金となり、その後、色々な方面から多くの犠牲をもって、レプリカパーツが少しずつ増えて来たことはスポーツ800にとって、オーナーにとっても頼もしい限りです。
あれから20年程経ちました。
好意と善意と言う犠牲の賜の上に出来上がったこのFRPセットについて、幾つかの話が私の耳に届いております。
その中には、この紆余曲折を知らない方の「事情を知らないがゆえ」のクレームであります。このようなクレームはA氏にとって、とても悲しくて大いなる失望を禁じ得ません。
更に気がかりになことは、TAKE氏と交わした約束。果たして、A社長の手に程度の良いスポーツ800が渡った
のしょうか?
風の便りによると、約束は今持ってかなえられていないらしい、と言うことですが、定かではありません。
バブル期に入って何年か経った頃、「B社」は都内から隣接県に栄転されたらしい、と言う噂も届きました。
始めてA社長とお会いしたとき、私のスポーツ800を試乗して感涙にむせびそうになっていた姿は、今でも忘れられません。
量産車とはいえ、ほぼ手作り同然のヨタハチが新車時でも修正無しで外装パネルが取り付いたワケでは無いことは周知の事実です。
、アルミパネルのボンネットフードパネルやルーフパネル、更にトランクリッドパネルに関自の通し番号が打たれていることはその事実を物語っている証拠なのです。
最後に、このFRP製作の一部始終に参加できたことについて、私は今でも誇りを持っております。
特に、A社長から「スチールフレームを一部採用する事でオールFRPのボディコンプリートが出来る!」と言われたことは、私の心に響く、忘れえぬ言葉であります。