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「決定版!! 100km・ウルトラマラソン」を読み終えて |
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4月9日。
深夜2時。今、私の手には読み終えたばかりの本がある。模型で作られた多くのランナーが緑の山を駈け抜けている表紙の本。読んだページは折り込まれ、蛍光ペンで線は引かれボロボロになった。
『決定版!!100km・ウルトラマラソン』そう…夜久弘氏の新しく書かれた著書である。私はこの100kmを15日間かけて走った。
私はこの中を走るたびに、今生きている事の幸せを改めて感じ、そして誰の心の中にも宿っている、「一歩前に踏み出す勇気と、過酷なまでの苦しみの中から涌き出てくる生命力」に、心地よく打ちのめされた。
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――活字が持つ力強さとは、なんと凄いんだろう――
『芸能人の軽薄な告白本と違って…彼は実際に9人のランナー達と辛苦を共にしているからじゃないか!!』
と夫、長渕剛がいきなり口を切ったので私は驚いた。
『生の声なんだよ!!その中から彼が吐き出した言葉たちというのは生の声であり、それは言葉だけが上滑りしてないんだよ!ランナー達の人生の悲しみ、喜びの断片が見えて来るからなんだ!俺には100kmを断念せざるをえなかったランナーの奥歯を噛み締める音まで聞こえてくる!だからこっちに突き刺さってくるのは当たり前じゃないか!同じ体温でつかみ取ったことが読み手に、はっきりと伝わってくるからだ!』
私は彼の突然の言葉に呆然とした。
もちろんこういう話をしたのは初めてだった。
確かに氏の「生の声」は私の胸を鋭く突き刺すものだった。しかしそれは読み進む度に真綿にくるまれているような温かさを増して行ったのだった。言葉が光り輝いていた。
――人は何故、十何時間もかけて100kmもの気の遠くなる距離を走るのだろうか――
アメリカ横断やオーストラリア横断は4000kmにも達する。そしてそれは連続50日にも60日にも及ぶ。
私は答えを求めた。
人は誰でも死への恐怖がある。生まれた以上、死は避けられない。「神が与えた最大の愛は死である。永遠に死なない身体こそ苦痛の何物でもない。」と、昔何かの本で読んだことがあるが、わかっていても理解など出来ない。出来るならいつまでも生きたい!いつまでも衰えなど認めたくない!
少なくとも私はそう思う。
人は時と共に失われる力と引き換えに…言いかえれば「死」への恐怖に立ち向かうために「生」を謳歌したいのではないだろうか。
少なくとも私は膝の悪化と共に走り始めた。
自分の体力の衰えを認めたくはなかった。いつまでも青春の真っ只中にいたかった。でも現実はそれを許してくれない。だからこそ走った。
嬉しかった。走る事で周りの全てが力強く感じられた。
どんなに身体がつらくとも、走り出すと湧きあがってくるものを感じた。
苦しさの中に身を置くことによって見えてくるものがある。当たり前に生きるという日常がどんなに幸せなのか。一歩を踏み出す勇気がどんなに素晴らしいことなのか。
今、ここに在る幸せを感じ、そして誰の心の中にも宿っている、「生きる喜び、生まれた喜び」というものを感じていたいのではないか。
夜久氏の掲げる「生の声」から、私は圧倒的なそれを指摘された。
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