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郷愁の青梅 ―――青梅マラソン25k関門封鎖記――― |
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青梅マラソンを一言で表すと『楽しい・enjoy』
この言葉に尽きる…素晴らしく気持ちのよい楽しいレースでした。
結果は25kmの関門に3分及ばずでしたが、今回は…私にとっては上出来のレースでした。
2002年2月17日(曇り)
予想では雨が降り出すといわれていた2月の第3日曜日。
雨の気配は感じられず…ホッと胸をなでおろす。
私は朝6時半に深沢の自宅を車で出ました。意外と渋滞はなくあっという間の一時間で…
「うわーーーっ!青梅に来たぞーーー!!」
「あの…志穂美さんですか?」
選手受け付け場所である河辺小学校の校庭の中に張られたテントでゼッケンをもらおうと番号を告げると横から私を呼びとめる男の人の声がしました。
「あっ!は・はい!」
「報知新聞のものですが・・お話聞けますか?」
名刺を差し出され、私はビックリしました。なんで?何故?Why?(どうして?知ってんの?)
突然な事にうろたえながらも
「今回は20kmの関門に間に合えば上出来で…お祭りだから走ることを楽しもうと思っています。」と答えていました。
その上「結果を教えて下さいね」といわれガッツポーズでカメラにしっかり(笑)収まった私がいました。
(あ〜あ〜!こんなことだったらちゃんと走りこんで完走出来るようにして来れば良かったなぁ…)
大混雑の中10時スタートの10kmの部に養護学校に通う知人の息子さんが出るのでそのスタートを見送り…足早に青梅総合体育館に向いました。中に1歩入ると、うわ〜〜!広い体育館に私の予想をはるかに越える物凄く大勢の人達がぎっしりと座っていました。まるでそこは緊急事態の避難場所の如く何千人もの人・人・人…
ここではすでに駒沢ジョギングクラブの総勢30名ほどの仲間が待っていてくれました。みんなで準備体操と軽いジョグをして最後に円陣を組んで健闘を誓い合ったのでした。
私は青のロングタイツに白のTシャツ、その上に駒沢JCの蛍光黄緑のランシャツを重ね着してスタート地点に足を進めました。もう一つ忘れていた…今、流行のアームウオ―マーを腕にはめて。
1万3千人が参加するというこの青梅マラソン。
私が並んだY236の地点からはスタート地点まで500mほどあったでしょうか。スタートと書いてある横断幕がはるか遠くに小さく見えました。
スタートは長嶋茂雄さんの大人気でスタート地点まで何回も立ち止まりました。後から聞いた事ですが今までスタートの所に行くまでに止まるなんていう事はなかったそうです。
「いわゆる一つの長嶋渋滞」のおかげで4分半のロス。
今回私は、最初からキロ7分を設定しました。この通りに行くとおそらくスタートのタイムロスをいれて20kmの関門で引っかかる予定でいました。ダカラ…私はポシェットに帰りの電車賃をいれて走ったのです。
スポーツライターの夜久弘氏が足底筋を痛めていて速く走れないとの事。そんな訳でこの私のゆっくり走法にお付き合いをしてくれました。
キロ7分とはほとんどジョグ。ウオーミングアップの時のスピードです。これぐらいの走りはとても楽でした。ほとんどの人がどんどんと追いぬいていきました。
「貴方はトナカイ?」っと見間違うほどに鈴を一杯つけたハッピ姿の選手が派手な音と共に通りすぎて行きました。
みんなみんな一生懸命前を向いて走っていました。
私はと言えば・・
夜久さんの事務所に根付いている巨大観葉植物フィロデンドロンの話。
巨大な酒瓶を近所の鮨屋から持ち帰った話。
買ったはいいが、全然使わない通販グッズで埋もれている我がおじいちゃんの話。
掲示板のハンドルネームから連想する人物像。などなど…
おもしろい話ばかり夜久さんとしていました。
最初の5kmにロスタイム入れて38分。次の5kmは34分。
全て順調でした。
御岳駅を過ぎた丁度10kmぐらいの所から、知っている人達が…仲間が…続々と折り返してきました。私はなんだかとても楽しかった!大きな声と手を上げてその勇ましい走りに声援を送ったのでした。
一ヶ月前にガンの手術を受けたばかりの駒沢JCの若い仲間も走ってきました。サブスリーでもある彼の走りは圧倒的な力強さでした。仲間とのエールの交換は私に新たな力をみなぎらせてくれたのでした。
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