噴煙上がる桜島で見たもの…   1

長渕悦子 02.3.5

98年夏が終わる頃、痛かった膝も時と共に、だんだんと快復に向っていきました。
又、ゆっくり…ゆっくりですが、わずかの距離から走るようにしてみました。
リセットボタンが押され、もう一度最初っからのやり直しでした。
季節は、セミのにぎやかな声から、秋の涼しげな虫の声に変わっていきました。

秋晴れの10月10日。
駒沢公園主催のマラソン大会5km走に出場してみたのです。公園内の陸上競技場をスタートして公園を1周半してまた戻って来るのです。ゆっくり走れば5キロなら大丈夫と思い、子供たちと一緒に参加を決めました…で当日、
「俺も出るよ!」といって…なんと…夫も参加したのでした。(めだつぅ〜)
一体何分で走ったのでしょう。家族連れがイッパイの楽しい大会でした。本当にゆっくり…タイムなど全く気にせず、当時まだ小さかった子供たちと共に楽しい走りをしたのでした。夫はというと…スタートこそは一緒でしたが、ほんとにマイペース!あっという間に私たちを置いて走って行きました。いついかなる時もマイペースです。(笑)
途中、偶然にも前述の青木先生がたくさんの子供たちの手を引いて参加されていたのと遭遇したのです。先生は私の膝の事を知っていたのでしっかりと走っている私の姿を本当に喜んでくれました。家族で参加したこの駒沢公園5km走は今になってはとても懐かしい私が出た最初のレース(?)でした。
「わおーーーっ!!!なに!これっ!!」
我が家で一番広かった客間が突然、ジムになってしまった。次々と運び込まれる筋トレマシーンの数々。
「ええーーーっ!なになにこれーー??」
慌てる私。
バタフライマシーン。ラットプルダウンマシーン。スミスマシーン。ベンチプレス。バーベル、ダンベルの数々…サンドバッグに腹筋台。あっという間にそこはまるで本格的なジムになってしまったのでした。
あれ!まあ…もう!!
98年10月末。街中にキンモクセイが香り始めたころ、
夫、長渕剛はな・な・なんといきなり肉体改造モードに突入したのでした。
これからまだまだ続くステージを、何歳になってもこなすためには必要不可欠と感じたのでしょう…。
専属でトレーナーの先生に付いてもらい、上野にある専門ウエイトジムにも通うかたわら、自宅ジムでも連日、ガッシャン、ガッシャンとやり始めたのです。いわゆるウエイトトレーニングっていうやつです。夫は朝早く起きて生卵を一気に数個飲み干したかどうかはわかりませんが、私にはその日からまるで夫の後ろにロッキーのテーマ曲が聞こえたような気がしたのでした。
私はといえば…
ひたすらそんなロッキーを指導するトレーナーの先生が作った筋トレメニューをビデオで収めたり、高蛋白低脂肪の食事メニューやプロテインジュースを聞いて作ったり、と、さしずめ…エイドリアンをする毎日でした。とまあ…こう書けばまるで良妻のようですが私は全くの料理嫌いの料理下手。結婚当初の私はと言ったら、ヘリコプターやビルにはぶら下がれたが、味噌汁のダシのとり方は知らなかったし、
3階建てぐらいの建物からは飛び降りることは出来たがキャベツの千切りは出来なかった。ワイヤーとロープの違いは解ってもアジとイワシの見分けはつかなかった。とまあ…こんな状態でした。「お料理偏差値」と言うものがあるとしたら、ほとんどゼロに近い状態でした。(ウフ!)
これは私のせいではなく…
私の母は「台所に立ってると頭が痛くなる」というぐらいの人でして…その血をしっかり引いてしまったと言うわけです。私は頭こそ痛くはならないけど、時々軽いめまいは起こします。(ウフ!)
とにかく協力しない訳にはいかないので、私は完全サポート隊にまわったと言うわけでした。
この頃から私自身自分が何かするということから、だんだんと遠ざかっていったような気がします。
新しい年を迎え…あっという間に春、夏、秋が過ぎ、
夫の体重はいつしか57sから64kgと、確実に変化していきました。
そして雨の日も風の日も走っているのは私ではなく…夫のほうになっていました。
悔しい事に9回裏に逆転ホームランを打たれたピッチャーのような気分でした。
そうなるといよいよ、私は走りに出る夫をただ見送るだけとなっていました。また痛む膝になる事が怖かったのと、私の中にすんなりと医大の先生から言われた
「速く走ることや、長く走ることは無理!」を、いともあっさり素直に受け入れてしまっていたのでした。
だって…エイドリアンは走らないしぃ〜
とか言って。(ウフ!)


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