私を待ちうけていたものは…   1

長渕悦子 02.2.9
障害再発
それからの私は走るということが、俄然面白くなっていきました。
今まではたった2周(駒沢公園)を、ただ…ただ…淡々と走るだけでしたが、ストップウォッチ時計をはめ、周回数や距離、かかったタイムなんかをこまめにカレンダーに記録するようになったのです。
そうこうしているうちにだんだんと速くなっている事に気がつくわけです。
最初の1周をウォーミングアップに使い2周目を計測するとその度に、
「おォ」
「Ohー!」
「わォーっ!!」
「ヨッシャーーッ!!」
「やったァーーー!!」…と、こんな感じでしょうか。
で、約2ヶ月の自主トレの後、陽射しが強くなってきた7月の午後、自己申告レースと同じコースの10kmを今度は逆走で走ってみました。
(逆走の理由?いやァ〜理由は特になし…気まぐれですね。)
同じ時間に駒沢大学のマラソンの選手達が20人ほど、ほんとに速いスピードで廻っていました。私は逆走している訳だから一周のうち、2ヶ所で出会うわけです。その会う場所が前の場所よりもどんどん、どんどん…信じられないほど手前にと、なっていくのです。
ほんとに速かった!!『風の軍団』という感じでした。駒沢大学は箱根駅伝なんかでも凄いわけですから…。(今年は優勝でしたね!)ただその当時はそんな事など知る由もなしです。
そうこうしてペースも落ちることなく走り終えた時、ストップウォッチのデジタルは60.02秒を刻んでいました。2ヶ月前の自己申告レースで私が申告して無謀だったタイムです。青木先生から「おっ!すごい!60分!」といわれたタイムでした。
5分縮める事が出来た私はとっても嬉しかったのです。
その頃、長男、航(わたる・当時9歳)は5歳から続けている極真空手を渋谷区桜丘町の道場に習いに行っていました。いつもは終わる頃を見計らって車で迎えに行くのですが、その日は走って迎えに行く事にしました。距離は丁度6km。私の出した計算では6×6で36分。信号待ち6分を入れて合計42分。この頃になると自分が何分で走れるのかというような計算ができるようになっていました。
そして…案の定かかったタイムはドンピシャの42分!
(さすが!なんて思ったものでした。)
ただし初めてのロードは小さな段差がいたるところにあったり、車や歩行者をよけなければならなかったり、ましてや走るのが夜だったこともあり、ものすごく神経を使った事がとても記憶に残っています。その日は7月の熱帯夜で、渋谷の道場に着いた時にはものすごい汗が身体中から吹き出していました。その時少しだけ右膝に違和感があり、それがとても気にはなったのですが、一生懸命同じように汗を流していた航が、私が走ってきたことにビックリして目をまん丸にしていたのが面白くてそんな事はすぐに忘れてしまったのでした。

まさかの事が起こったのは次の日です。
朝、起きようとして立ち上がった途端、右膝にズキーンと激痛が走ったのです。
「あっ!まただ!…もう…なんでっ!」
それは私が最も恐れた事でした。
走る事が面白くなってきた頃でしたし、何より速く走れるようになってきた事がとても嬉しかった矢先でしたから、この事はかなりのショックでした。


エッちゃんコーナー   1