文学作品における尺八

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尺八が登場する文学作品を集めてみました。
●目次●
「閑吟集」(中世小歌撰集)
「狂言抜書」工事中
「美少年」(団鬼六)工事中
「金閣寺」(三島由紀夫)工事中
「青鬼の褌を洗う女」(坂口安吾)工事中
「D坂の殺人事件」(江戸川乱歩)工事中

「閑吟集」   参考テキスト:『梁塵秘抄 閑吟集 狂言歌謡 新日本古典文学大系56』(岩波書店)

A.「閑吟集」について

閑吟集は、永正15年(1518)年8月に成立した中世小歌撰集。
編者は不明(連歌師柴屋軒宗長という説がある)。小歌231首、大和猿楽の謡曲48首、 近江猿楽の謡曲2首、田楽能謡10首、狂言小歌2首、放下(ほうか)の歌謡3首、早歌8首、吟詩句7首の、計311首がおさめられている。
小歌系歌謡を網羅するという意図からというよりは、 編者の個人的趣向によって編集されたと見られている。 なお、当時の尺八は、一節切。また、小歌は、打ち拍子や、一節切の伴奏で歌われた (尺八備忘帳参照)。

B.「閑吟集」における尺八(抜粋+現代語訳)

記号について
<   >:底本(阿波国文庫旧蔵本)にある振り仮名
(   ):新日本古典文学大系校注者が、底本の仮名に適宜漢字をあてたときの、もとの仮名
{   }:新日本古典文学大系校注者が付した読み仮名
[   ]:私が付した読み仮名
《   》:底本の振り仮名が歴史的仮名遣いと異なる場合の、歴史的仮名遣い
ヽヽ:原本では「く」の字を長くしたような反復記号。横書きだとわかりづらいので書き換えました

@【真名序より】(p.189)
「竺・支・扶桑[ふさう]の、音律を翫(もてあそ)び調子を吟ずること、その揆(おもむき)一つなり。 悉(ことごと)く説(よろこ)ぶ。中殿の嘉会(かくわい)に、朗吟(らうぎん)罷(や)みて 浅々として酌(く)み、大樹の遊宴に、早歌了(をは)りて低々(ていてい)として唱(うた)ふ。 小扇を、弄(もてあそ)ぶ朝々(あさなあさな)、共に花の飛雪(ひせつ)を踏み、尺八を携ふる暮々(ゆふべゆふべ)、 独り荻[をぎ]吹く風に立つ。」
(現代語訳)
「インド・中国・日本の人々が、音楽を演奏し、声を出してうたうこと、その心は同じである。 喜びの限りをつくすのである。清涼殿の祝宴で、詩歌の朗詠が終わったあと簡単に酒盛りをして小歌を歌い、 将軍家での遊宴では、 早歌が終わったあと小歌を低くくちずさむ。扇拍子をとりながら小歌を歌う朝には、ひととともに雪のように舞い散る花びらを踏み、 尺八を携えた夕暮れには、ひとりで荻の上を吹く風の中に立つ」


A【仮名序より】(p.191)
「こゝに一人(ひとり)の桑門<よすてびと>あり。富士(ふじ)の遠望をたよりに庵{いほり}を結びて、十余年の 雪を窓<まど>に積(つ)む。松吹(ふ)く風に軒<のき>端(ば)を並(なら)べて、いづれの緒<お>よりと琴(こと)の調(あうえ)べを 争(あらそ)ひ、尺<しやく>八を 友(とも)として春秋の調子(てうし)を試むる折ヽヽに、歌の一節(ふし)をなぐさみ草<ぐさ>にて、 隙(ひま)行(ゆ)く駒<こま>に任(まか)する年月のさきヾヽ、都鄙遠境(とひえんきょう)の花の下(もと)、 月の前(まへ)の宴席<ゑんせき>にたち交(まじ)はり、声(こゑ)をもろともにせし老若<らうにやく>、 なかば古人<こじん>となりぬる懐旧<くわいきう>の催(もよほ)しに、柳<やなぎ>の糸(いと) の乱(みだ)れ心と打(う)ち上(あ)ぐるより、あるは早歌<はやうた>、あるは僧侶<そうりょ>佳句を吟<ぎん>ずる 廊下<らうか>の声(こゑ)、田楽<でんがく>・近江<あふみ>・大和<やまと>節(ぶし)になり行{ゆく}数ヽヾを、 忘れがたみにもと、思ひ出{いづ}るにしたがひて、閑居<かんきょ>の座右{ざみぎ}に記(しる)しを置(を)く」
(現代語訳)
「ここに一人の世捨て人がいる。富士山を遠望できる場所だからということで庵を結び、すでに十余年の雪が窓に降り積もった。 松の間を吹く風の中に軒端を並べて、どの糸からか、と琴をかなで、尺八を友として四季折々の曲を試す折々に、歌の一節を、 心のなぐさみにして、矢のようにすぎる時の流れに任せた年月をふりかえると、 都や田舎で、桜の下、月の前の宴席に加わって、声を和して歌った年寄りも若者も、なかば故人となった 昔の懐かしさに、「柳の糸の乱れ心」と歌い始めてから、あるいは早歌、あるいは僧侶が漢詩句をうたう廊下の声、 田楽節・近江節・大和節にいたるまでの数々を、備忘録としてでもと、思い出すにまかせて 閑居の座右に記しておく」
注1「いづれの緒より」:「琴の音に峰の松風通ふらしいづれの緒より調べそめけむ」(拾遺・雑上・斎宮女御)をふまえて
注2「柳の糸の乱れ心」:「閑吟集」巻頭の小歌の一節


B【田楽能謡】(p.196)
「我らも持(も)ちたる尺八を 袖(そで)の下より取(と)り出(いだ)し 暫(しば)しは吹ひ《い》て松の風  花をや夢<ゆめ>と誘(さそ)ふらん いつまでか此{この}尺八 吹ひ《い》て心を慰(なぐさ)めむ」
(現代語訳)
「私も持っている尺八を袖の下から取り出し、しばらく吹いてあの人との逢瀬を待っていると、 松の風も吹いて、桜を夢へと誘っているのだろうか、花びらを散らせているよ。 いつまでこの尺八を吹いて心を慰めたらよいのだろう。早くあの人に会いたいものだ 」
注1「吹ひて」:尺八を「吹いて」と松風が「吹いて」の両方の意味がある
注2「松」:「待つ」との掛詞
注3「柳の糸の乱れ心」:「閑吟集」巻頭の小歌の一節
(解説)
一節切の尺八を吹いて逢瀬を待つのは、当時の恋愛の1スタイルだったのだという。
(尺八女からの一言)
待ち合わせをするときに尺八を吹いて待つと言うことでしょうか?それとも、相手と会えない日々の寂しさをまぎらわすため、 尺八を吹くということなのでしょうか?


C【小歌】(p.232)
「咎(とが)もなひ《い》尺八<しやくはち>を 枕<まくら>にかたりと投(な)げ当(あ)てて(ヽ)も さびしや独寝<ひとりね>」
(現代語訳)
「あの人がおいていった咎もない尺八を枕に投げ当ててみても、かたりと音が響くだけで、寂しい独り寝だわ」
(解説)
尺八は、男が置いていった物だそうです。「かたり」と音がするのは、木製の枕を想起するとわかりやすい。
(尺八女からの一言)
投げちゃダメ!


D【小歌】(p.255)
「待(ま)つと吹(ふ)けども 恨(うら)みつヽ吹(ふ)けども 篇(へん)ない物は>尺<しやく>八ぢや」
(現代語訳)
「逢瀬を待つ心で吹いても、あの人を恨んで吹いても、役に立たないのは尺八だよ」
(解説)
希望や恨みをこめて尺八を吹くと、呪的な効果があるのではないかと期待している気持ちが背後にあるのだそうです。
(尺八女からの一言)
今度やってみようか……。

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柏木と関係を 美の 金閣寺の焼失暗示 音がすぐにでないというところが重要な意味を 徒然草 谷崎 鬼平 閑吟集 一休の漢詩
「金閣寺」(三島由紀夫)
参考テキスト:『金閣寺』(新潮文庫)
主人公溝口のもとへ柏木が尺八を持ってやってくる。

p.146-
「会えてよかった。実はね」と柏木は石段に腰を下ろし、風呂敷を解いた。 暗い光沢を放つ二管の尺八が現れた。「この間、国の伯父が死んで形見にこの尺八をもらったんだ。 ところで俺のは、むかし伯父から習ったときに貰ったのがまだあるし、 形見のほうが名器らしいんだが、俺は使い馴れた奴のほうがいいし、 二つあっても仕様がないから、君に一つやろうと思って持って来たんだ」
 人から贈物をもらったことのない私には、何であれ、贈物はうれしかった。 手にとってみる。孔は全面に四つ、うしろに一つあった。
 柏木はつづけて言った。
「俺の流儀は琴古流だよ。めずらしく月がいいから、できたら 金閣で吹かせてもらおうと思って来たんだ・ 君に教えかたがた……」
「今ならいいと思う。老師がお留守だから、じいさんが怠けて、 まだ掃除をすませていないんだ。掃除がすんだあとで、金閣の戸締りをするんだから」
 その現われ方も唐突なら、月が良いから金閣で尺八を吹きたいという 申出も唐突で、凡てが私の知っている柏木の像を裏切った。それにしても 単調な私の生活にとっては、愕かされることはそれだけで喜びであった。 私はもらった尺八を手にして、金閣へ案内した。

(中略)

彼は私よりもさらに精密な理論を、美に関して抱いていた。 それを言葉ではなしに、身ぶりや目や、吹き鳴らす尺八の調べや、月光の中へ さしだしたその額などで語ったのである。

(中略)

 柏木はまず「御所車」という小曲を吹いたが、その巧みさに私はおどろいた。 真似て、唇に歌口を当てたものの、音は出なかった。 彼は私に教えて、左手を上にした持ち方からはじめ、腮(あご)当りへ 腮を当てる具合や、歌口にあてがう唇のひらき方、幅の広い薄片のような風をそこへ 送るコツなどを、念入りに習得させた。何度試みても音は出なかった。
頬にも、目にも力が入って、行けに宿る月は、風もないのに、千々に砕けてみえるような気がした。  疲れ果てた私は、或る瞬間には、柏木がわざわざ私の吃りをからかうために、こういう苦行を 強いるのではなないかと疑ったりした。 しかし徐々に、出ない音を出そうとする試みる肉体的な努力は、吃りをおそれて最初の言葉を 円滑に出そうとする普段の精神的努力を、浄化するもののように思われてきた。 まだ出ぬ音は、この月に照らされた静寂の世界のどこかに、 すでに確実に存在しているように思われた。 私はさまざまな努力の果てにその音に到達し、その音を目ざめさせさえすればよかったのである。
 いかにしてその音に、柏木が吹き鳴らしたような霊妙な音に到達するか。 他でもない熟練がそれを可能にするのであり、美は熟練であり、柏木がその醜い内飜足にもかかわらず 澄んだ美しい音色に到達したように、私もただ熟練によってそれに到達できるのだという 考えが私を勇気づけた。しかし別な認識も私に生れた。 柏木の「御所車」の調べがあんなに美しく聴かれたのは、月のあたら夜の背景もさることながら、 彼の醜い内飜足のためではなかったのか?
 柏木を深く知るにつれてわかったことだが、彼は永持ちする美がきらいなのであった。 たちまち消える音楽とか、数日のうちに枯れる活け花とか、彼の好みはそういうものに限られ、 建築や文学を憎んでいた。彼が金閣へやって来たのも、月の照る間の金閣だけを索(もと)めて 来たのに相違なかった。それにしても音楽の美とは何とふしぎなものだ! 水槽社が成就するその短い美は、一定の時間を純粋な持続に変え、確実に繰り返されず、 蜉蝣のような短命の生物をさながら、生命そのものの完全な抽象であり、創造である。 音楽ほど生命に似たものはなく、同じ美でありながら、金閣ほど生命から遠く、生を侮蔑して見える美もなかった。 そして柏木が「御所車」を奏でおわった瞬間に、音楽、この架空の生命は死に、彼の醜い肉体と 暗鬱な認識とは、少しも傷つけられず変改されずに、又そこに残っていたのである。
 柏木が美に
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