発表について

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卒論を提出したあとには、独文教官の前での発表があります。 2003年の発表は2月19日(木)にありました。 はじめに概要をドイツ語で言うように言われ、そのあと 口頭で質問をされる、と噂では聞いていました。私は8行ほどのドイツ語概要を作って暗記していきました。

ところが・・・。 時間通りに行ったら20分ほど待ち、やがて呼ばれて教官室に行くと、 教官の方々(5人)が机を囲んで座っていて、私もそこに座らされました。 なごやかな雰囲気。 で、急に「ドイツ人教官から質問です」
「ドイツ語で概要をいうのではないのですか?」
「いや」
「(え〜! )」

もちろんドイツ人教官の質問はドイツ語。 私もドイツ語で答えねばならない。 ひい〜。卒論が終わった後、ドイツ語はほとんどやっていなかったのです。 こんなことなら概要暗記じゃなくて、もう一度自分の独語論文を読み直すべきだった・・・。 単語がわからない! しかも質問の内容自体が難しい・・・。 日本語でもどう答えていいかわかりません! しどろもどろ。ときどき英語がまじると教官が笑う。

かなり時間がかかって、そのあと日本人教官の方々のコメント、質問。 それほどむずかしい質問はされません。始終なごやか。 みなさんちゃんとはじめから最後まで読んでくださっていました。 ちょっと感動。

コメントを要約すると 「おもしろかった。私の専門外だが、興味深い話が多かった」
「出だし、論証部分はよい。しっかりしている」
「しかし結論が甘い。もっと自分の考えを打ち出してほしい。 なるほどこういうことがわかった、しかしあなたはそれをどう考えるのか? 理系の実験のレポートみたいである」
「これだと発展史感で書いているように見えてしまう。 ディズニーのシンデレラの方が、グリムの童話より、いい、少なくとも現代人の感覚に合っていると 書かれているように見えるのだが、どう思うか」※
「なんにしても卒論としてはよくできていると思う。 ドイツ語への翻訳もめちゃくちゃではあれたくさん書いてきて、 ドイツ人教官への答えも、ちゃんとしゃべろうとがんばっていた姿勢がよろしい。 」

という感じでした。独文ではかなり不真面目な生徒だったし、それゆえドイツ語も不得手だったので すごく心配していましたが、 厳しいこといわれなくてよかった・・・。優しかったです、みなさん。 ありがとうございました。

(※私の答「どちらがおもしろいというのではないとは思う。両者は描き方が異なるがゆえに、 読者、視聴者の受容の仕方も異なる。
グリムは場面場面がそのまま提示され、 その場面にしたがって主人公が行動する。
主人公の意志はあまり問題にされていない。

しかしディズニーの場合は、主人公が自分の意志、感情によって行動し、 それに伴って場面が移行する。

読者、視聴者側からすれば、 グリムの読者は、話の中でおこる事柄自体に興味を持つ。
はじめみじめであった少女が姫となり、 高慢な姉妹は罰せられるという対比がおもしろい。

ディズニーアニメの場合、視聴者は、 主人公に感情移入して物語を楽しむ。 主人公になったつもりで一喜一憂しながら 物語を見る。

時代という観点から見ると、 近代小説、その流れを汲む現代小説(だから、実験小説などは含まない) は、主人公の感情、考えが問題になっていることが多い。
一人称の文体であればそうだし、そうでなくとも、登場人物の 意思が明らかにされていることが多く、 その意思によって人々は行動し、話は動いていく。

伝承文学、説話文学、叙事詩などは、 登場人物の気持ちはそれほど重要ではなく、 話の中で起こる奇跡や、戦争で何人が死にどんなものが得られたか、 といった事実自体に人々の関心がある。

グリム童話は時代的には近代の成立であるが、 その文体はむしろ伝承文学をかなり意識し、 伝承文学よりも伝承文学らしいくらい、 繰り返しや対比を多用している。そのため、他の近代小説や ディズニーアニメーションとは違いがでてくる。

だからといって伝承文学的な書き方が現代人の感覚に合わないというのではない。 子供に読み聞かせる絵本などもたいてい伝承文学的な書かれ方をしている。 ただ、根本的な楽しみ方が異なるのである)



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