プログラマー




 ファミコンやパソコン用のゲームソフトの数は今や膨大なものになっている。そして、音楽にポップスや演歌、ロック等のジャンルがあるように、ゲームソフトもいくつかのジャンルに分類される。
 まず、【シューティング】と呼ばれるジャンルがある。射撃(シューティング)というネーミングから想像されるように、正確にボタンやレバーを操作することが要求され、しかも、その操作は素早いものでなければならない。要するに、反射神経の優れている者に有利なゲームになっている。代表作としては『グラディウス』や『スターファイター』等が挙げられる。初期の『マリオブラザーズ』も、このジャンルに含まれるだろう。
 次に、【シミュレーション】がある。『大戦略』や『三国史』、『信長の野望』といったところが典型的なものだろうか。過去の歴史の中や架空の国にプレイヤーが入りこんだと仮定して、そこで許される手段や資源をもとに、自分の計画を進行させるものになっている。戦争関連のものが多いが、都市計画をテーマにした平和的なものもある(とはいっても、その都市は地震や嵐に襲われて、多くの人が死んだりするのだが)。
 シミュレーションと混同されやすいのだが、【シミュレーター】というのもある。これはゲームというよりは、もう少し現実に近いものだ。例えば、航空機パイロットの定期的な訓練や実習の第一段階に使われるものに『フライトシミュレーター』がある。実際の飛行機のコクピットに似せた操縦席を地上に作り、そこでのパイロットの操作に合わせて、目の前の風景をコンピューターが映し出していくようになっている。更に、その操縦席を包むカプセルが前後左右に動き、回転するようになっているので、本物の航空機の動きを文字通りシミュレートすることができる。これの規模を小さくしたものは、ゲームセンター等にも設置されている。また、医療関係者向けとして、ある病気にかかっている患者という設定がなされた擬似患者ソフトというものも開発・販売されている。
 よく知られているジャンルとしては、【ロールプレイ】がある。大ヒットした『ドラゴンクエスト』シリーズが代表作だ、と言えばわかっていただけるだろう。プレイヤーが剣士などの役割(ロール)になりきって(プレイ)、冒険の旅に出る、といったものだ。シューティングとは違い、このジャンルのゲームでは反射神経よりも沈着冷静な判断力を必要とする。ただ、それだけではダメで、幸運やまぐれといった要素も必要になっているから奥が深く、一度やみつきになると止めることが難しいようだ。
 そして、今、注目され始めているのが【グローイングアップ】だ。プレイヤーが、ゲームの登場人物の管理者(例えば、親や神様、ボス等)になって、その登場人物を成長(グローイングアップ)させる過程を楽しむような展開になっている。『プリンセスメーカー』では、自分の娘を立派な姫として成長させるために教育を施したり、お金をかけたりする。しかし、ここに偶然性というものが強く影響するようにプログラムされていて、その姫様の性格は何十万通りにも変化するという。『遺産相続人を探せ』や『チームプレイ』等が典型的なものだろうか。




 ゲームソフト開発会社『T&W』の第二開発室では、宮坂玲子のチームが、新しいグローイングアップゲームのソフトを開発しようと必死だった。『私の赤ちゃん』と名づけられたそのゲームには、『T&W』の社運がかかっているといっても大袈裟ではなかった。
 プレイヤーに赤ん坊ができたとして、その赤ん坊をちゃんと育てることができるかどうかというゲームだった。それだけなら、他のグローイングアップゲームと大きな差はない。しかし、このソフトには、他社のものには無いアイディアが盛りこまれていた――最近の技術の進歩のおかげで、CD−romが随分と安く使えるようになっていた。事実、ファミコンにしても、そのライバル製品にしても、オプションのCDドライブの価格は非常に安いものになっている。
 そこで、CDに実際の赤ん坊の泣き声や表情の写真等を記録しておき、ゲームの進行に合わせてそれらを再生・表示しながら、プレイヤーの指示を仰ぐ、といったゲーム展開になっている。このアルゴリズムをうまく発展させることができれば、これはゲームを超えて、育児のシミュレーターとしても使える筈だった。若い母親が、コンピューターによって合成される赤ん坊を育てることによって、実際の我が子の育児を前もって経験しておく、といったことができる大きな可能性を秘めたソフトになるのだった。
 『T&W』はこのソフトを足掛りに、ゲームソフトメーカーから総合ソフトメーカーへと脱皮する計画でいた。そのために上層部は、これまでに高い評価を受けたソフトを開発してきた宮坂玲子のチームをこの『私の赤ちゃん』開発にあてたのだった。更に、玲子のチームをこの作業にあてた理由はもう一つあった。たまたまではあるが、玲子のチームは女性ばかりのメンバーで構成されていた。初期には男性も加わっていたのだが、いくつかの仕事をこなすうちに、女性のメンバーだけが残るようになっていたようだ。そこに上層部が目をつけた。女性だけなら、出産や育児の知識も多少は持っているだろうし、それらの内容を話し合う時にも、遠慮というものが不要になるだろうと判断されたのだった。
 しかし、社の上層部の期待通りには作業は進展していないようだった。チームのメンバーは、文字通り「『T&W』の星」と呼ばれる優れた才能と切れ味を持つプログラマーばかりではあったが、彼らの技能をもってしても、或る部分から前に進まなくなっていたのだ。
 グラフィクス関係はおてのものだ。今までに開発してきた多くのモジュールもあるし、必要なら、いつでも新しいモジュールを開発するだけの技術を持っている。ストーリー展開にしても、大きな流れは完成している。どこで偶然性の割込みをかけるか、どの部分は理詰めで進めるのか、そういったことについては、これまでのノウハウの蓄積がある。新しいCD−romとのインターフェースも問題にはならない。多少ハードウェアに問題があっても、或るレベルまでなら、そのコントローラーをごまかすモジュールさえ書くことができるチームだった。
 問題は――チームの誰もが、実際の育児の経験が無い、ということだった。ソフト開発の資料として、育児書などは売るほどの量を仕入れた。ビデオテープや写真なども、関係ありそうなものは方っ端から入手するように努めた。それでも、「実際の育児の経験」をしたことが無い者ばかりが集まっても、どうしようもない部分があるのだった。
 例えば、赤ん坊がお腹をすかせて泣いているシーンを作るとしよう。その時、サンプルになる声を集めた音声テープから、「お腹をすかせて泣いている声」をピックアップすることができるメンバーが居るだろうか? そして、そのような泣き声をシグナルプロセッサを使って、「代表的な、空腹の泣き声」を合成することなどできるだろうか? それは、写真にも同じことが言えた。
 そういったことができない限り、プレイヤーからの指示を判断して、いくつかのストーリーに枝分かれするゲームを作ることは不可能だった。
 そうした問題にぶつかった時、玲子は何もしなかったわけではない。チームの能力の問題ではなく、育児の経験が問題だ、という認識を開発部長にぶつけてみた。
 それに対して部長は、知り合いの小児科の医師を開発室に連れて来た。部長と高校時代の同窓だというその医師は、開発室でメンバーに向かっていろいろと講義をしてくれた。しかし、それは育児書を読んでいるのと同じだった。どうしても、「生の」感触ではないのだった。理屈はわかっても、微妙な感触はつかめなかった。そして、どうしてもつかめない、その微妙な部分が最も大事な部分であることにメンバーは気づいていた。

 チームの雰囲気が徐々に、しらけたものに変化していった。目的も無くワークステーションのキーボードを叩く者、赤ん坊の顔写真をランダムにディスプレイに表示する者、他のチームが開発中のゲームに社内ネットワークから忍びこもうとする者までいた。
 そんな中、提携先のハードウェアメーカーの担当者から、玲子の電話に連絡が入った。その内容が現在の状況を打破するに充分なものだと判断した玲子は、メンバーをミーティングルームに集めた。
「みんなのイライラはわかるわ。けど、もう少し希望を持ちましょうよ」半円型に並んだ椅子の中心に座った玲子は、ひとりひとりの顔を見回しながら落ち着いた声で言った。「特に、石田さん。チーム・ベータに割り込むのは止めておいてね。苦情がきてるわよ」
「わかりました、それは止めます。けど……」メンバーの中でも一番若そうな、少女のように見える石田美晶が答えた。
「わかってます。だから、もう少し待ってくれないかしら? 『バーチャルシステム』の井上さんが、みんなの期待に応えるかもしれないものを持って来てくれることになってるのよ」玲子が静かに言う。
 その玲子の声を待っていたかのように、ミーティングルームのドアが開いて、ひとりの女性が入ってきた。さきほどの電話の主である、『バーチャルシステム』の開発主任・井上晴美だった。春美は玲子と大学の同期で、かたやハード、かたやソフトと、就職した道は分かれたものの、お互いの会社が提携先であることが幸いして、いろいろと情報交換に努めていた。
「お待たせしました。これが、皆さんへのプレゼントです」顔馴染みのメンバーばかりのため挨拶は省略して、春美は持ってきたアタッシェケースを開いてみせた。そのケースの蓋の内側がキーボードになっていて、ケースそのものは本体と液晶ディスプレイになっているようだ。
 春美は電源を入れ、少しばかり調整をした後、小さく頷いた。どうやら、実験の用意ができたらしい。
「どう? 誰か、被験者になってくれないかしら」春美は、メンバーの顔を見回しながら言った。しかし、わけのわからない試作品の被験者に立候補する者など、いる筈がなかった。
「…私がやってみるわ」誰も名のり出ないのを見た玲子が手を挙げた。そして椅子をケースの近くに移動させると、ゆっくりと腰をおろした。
「痛くはないわ、心配しないで」春美は落ち着いた声で話しかけながら、玲子の額に、金属でできた何か小さなものを貼りつけた。
「じゃ、そのまま静かにしててね。何も喋べらないように、ね」接続を確認し終えた春美は、キーボードからコマンドを入力しながら言った。
 ディスプレイに、何本かの線が描かれ始めた。波うったり輪の形になったりしながら、それらの線は一本につながり、やがて、面積を持つ帯のようになっていった。その帯が消えると、画面の上に不意に玲子の顔が映し出された。最初の頃こそ画面上の玲子は無表情だったが、やがて、そこに驚きの表情が現われるようになっていた。
 それだけではなかった。本物の玲子の頬をつねると画面の玲子が痛そうな表情を見せ、春美が、玲子が今まで内緒にしていた学生時代の失敗談を話し始めると、画面の玲子の顔が赤く染まり、うつむいてしまう……。
「いかがかしら?」五分間ほどの短い実験を終了し、玲子の額に貼った金属片を外しながら、春美はやや得意気な声で尋ねた。
「…じゃ、簡単な説明をしておきましょうか」誰も口を開かないのを見た春美は、メンバーに装置の説明を始めた。「嘘発見機を究極まで進化させたもの、とでも理解してもらえばいいかしら。被験者の額に貼った金属片がセンサーになっていて、被験者の脳波を読み取るようになってるの。その信号が電波で本体に送られて、被験者の心理状態が解析される。実験開始時に本体付属の小型カメラで記録しておいた被験者の顔と、解析された心理状態とを合成して、表情変化として画面に映し出す。ざっと言えば、こんなところね」
 説明を聞いたメンバーの間に、小さなざわめきが起こった。そのざわめきはやがて、そこここで討議に変わり、熱っぽい議論へと変化していった。春美が持ってきた装置が、新しいソフトを開発するための切り札になることを誰もが理解した。

 社の上層部同士のやりとりの末、玲子のチームは、試作の装置(仮りにVPGと呼ばれることになっていた)を二週間ばかり借りていられることになった。
 チームのメンバーの表情が明らかに変化していた。これまでの開発の停滞を吹き飛ばすめどがついたのだから、それは当然だった。チームでの議論の結果、VPGを次のように利用する計画がたてられた――赤ん坊を持つ知り合いに頼みこんで、その家に何日間か同居させてもらう。その間、赤ん坊にVPGのセンサーを付けておいて心理状況を把握しつつ、同時にビデオカメラで赤ん坊を撮影し続ける。そうすれば、赤ん坊がどういう心理状態の時にどんな表情を見せ、どのように泣くかを記録できる筈だった。そうなれば、お腹をすかせて泣いている状態と、おむつを濡らして泣いている状態との区別など簡単なことになる。
 しかし、翌日、『バーチャルシステム』に出向いて計画を説明する玲子に、春美はNOを言っていた。
「どうしてダメなのよ? あのセンサーは小さいものだから、被験者になる赤ちゃんに負担はかからないでしょう?」チームの計画に待ったをかけられた玲子は、その理由を春美に問いただしていた。
「それは大丈夫。でもね、私が言ってるのは、そういうことじゃないの」玲子は静かな声で、センサーの構成図を玲子に見せながら答えた。「このセンサーはね、受動的なものじゃなく、能動的なものなのよ。普通の脳波計は、脳内の電位差をピックアップして、それを表示するわね。原理的には、脳波計そのものは被験者に影響を与えることはないの。つまり、受動的なのよ。
 だけど、VPGは違う。被験者の心理状態まで読み取るためには非常に感度の良いセンサーを必要とする。このくらいは、わかるわね? そこで、感度を上げるために、センサーから被験者の脳内に電気パルスを与えて、脳波レベルを増感するようになってるの。これが能動的、っていうこと。そのパルスは大人には影響を残すことはないけど、まだ発達途中の赤ちゃんなんかには副作用を残す可能性があるわ。
 だから、玲子のチームの計画には絶対反対よ。もしも強行したら、あなたたちは殺人者にもなりかねないわよ」
 玲子の報告を受けたチームは、再び絶望の底へ沈んで行こうとした。
 その沈降を、美晶の言葉が止めた。
「赤ちゃんには無理でも、大人になら、私たちの計画を適用できるんですよね?」美晶は念を押すように言った。そして、言葉を続けた。「それなら、諦めることなんてないわよ。計画を多少変更すればできるわ――まず、計画の対象を赤ちゃんから大人に変更しましょう。大人の被験者の心理状況をVPGで把握しながら、その姿をビデオに記録していけばいいんじゃない」
「あのね、美晶ちゃん。ソフトの目的を忘れちゃったの? 大人の行動パターンの解析じゃないのよ。赤ちゃんを被験者にしなきゃ、意味がないのよ」メンバーのひとりが異議を唱えた。
「それは、わかってます」おまかせ、とでも言うように、自身に満ちた声で美晶が答える。「だから、被験者には実験の間中ずっと、赤ちゃんの格好をしていてもらうの。例えば、おむつを濡らしちゃった時の心理状態と表情の関係なんて、大人も赤ちゃんもそんなに変わらないんじゃないかしら?」
「え、なーに? それじゃ、被験者はおむつもあてて、オシッコなんかもその中にしちゃうわけ?」とんでもないことを聞いた、とでもいうような声が返ってくる。
「もちろん、そうよ。でないと、それこそ意味が無くなっちゃうわ」美晶が平然と答える。「食事も離乳食や哺乳瓶になるだろうし、ちゃんとした言葉も使わないようにしてもらうことになるでしょうね」

 結局、美晶のアイディアが採用された。せっかくのVPGを役立たせる良いアイディアが無い以上、少しでも可能性のある美晶のアイディアにのるしかないのだった。溺れるものは……であった。
 誰を被験者にするかは、予想に反して意外にすんなりと決まった。ソフトの内容が社外に漏れないように、被験者は外部の人間に依頼することはできなかった。できれば、チームのメンバーが望ましかった。誰かが美晶を指名した――あなたが言い出したんでしょ、あなたが被験者になりなさいよ。その声は、すぐに他のメンバーから支持された――そうよ、美晶ちゃんが一番若いんだもの、少しでも赤ちゃんの気持に近いでしょ。美晶だけが反対しても、どうすることもできなかった。
 そして、チームのメンバー全員で買物に出かけることになった。いろいろな材料を買い揃えて、美晶が着るベビー服を縫わなければならないからだった。
 Nデパートに入ったメンバーは、まず、ベビー用品売場に向かった。そこでは、各種の小物を買い求めた。哺乳瓶に幼児用の食器セット、おしゃぶりやベビーパウダーとパフ、離乳食の詰め合わせ、幼児用の体温計、等々。それらを一つずつ手に取り、これが可愛いいだの、あの方が丈夫そうだの言っていると、本当に出産の準備をしているように思えて皆の表情が柔らかなものに変化していった。小物を買い物カゴの中に放りこみながらメンバーが歩いていると、おむつ生地のコーナーに到着した。そこでも、ひとしきりの騒ぎが起こった。水玉模様が可愛いいと言う者、いいえ動物柄よと主張する者などがおり、なかなか結論は出なかった。最後には、あなたがあてるんだから自分で選びなさい、と大声で言われた美晶が、頬をまっ赤に染めながら買い物カゴに入れていた。
 玩具売場でも、同様の騒ぎだった。ガラガラやサークルメリーなどはすんなり決まったものの、その他に買う玩具では意見が割れた。ヌイグルミをメインにすべきだと言う声に、いえいえ汽車や自動車の玩具がよいとする声が反論し、数遊びや黒板で知能教育をすべきだという声までが加わった。それを聞きながら、今更数遊びをする必要もないでしょう、と美晶は心の中で反論していた。
 最後に、手芸品売場だった。ベビー用品売場のハンガーに掛っていた色とりどりの可愛らしいデザインのベビー服を思い出しながら、皆はそれになるべく近い生地を探そうとしていた。どうせ作るんだもの、思いきり可愛らしく仕上げなきゃ、と大張りきりだった。思い思いの生地やレース、糸などを買い求めた頃には、デパートの閉店時間が迫っていた。
 大きな紙袋を手に提げたメンバーは会社近くのレストランで夕食をとった後、解散することもなく、会社のミーティングルームに戻っていた。VPGを借りていられる期間は限定されているのだ。無駄にできる時間は、一秒もなかった。
 椅子が片づけられたミーティングルームは、あっと言うまに裁縫室になってしまった。床にじかにお尻をおろしたメンバーは、思い思いの方法で寸法採りや裁断を始めていた。一応は小学校・中学校・高校と通して家庭科の授業を受けてきたのだ、最初の頃こそ手間取ってはいたものの、徐々に記憶が呼びおこされ、その手の動きは滑らかなものになっていった。美晶も、あちらで呼ばれ、こちらで呼ばれ、と忙しい様子だった。自分では裁縫はしないものの、寸法合わせや色合わせなど、案外と動かなければならなかった。
 ソフト業界に入ってからは、残業と徹夜と休日出勤の連続を経験しているメンバーにとって、これくらいの作業は困難なものではなかった。一日や二日の徹夜は当たり前だと思っていたし、何よりも、滞っているソフトの開発を前進させるかもしれない事態になってきたことに、心は高揚しているのだ。そんな彼女たちには、針で指に傷をつくるくらいのことなど、なんでもないことだった。
 少しずつできあがってくるベビー服と体のサイズ合わせをする度に、美晶の心に羞恥が芽生え、育っていった。生地や材料のままの頃には感じなかったのだが、それらが合わさり、形を変える毎に一着のベビー服になってゆくのを見ていると、自分がすぐにそれを身に着けなければならないことが実感されるのだった。そして時間が許す限り、赤ちゃんとして生活することが強制される。美晶は、自分の鼓動が速く大きくなっていることに気づいた。徐々に平静心が失われてゆくように思った美晶は、ミーティングルームから出ようとドアに近づいた。
「あら、どこへ行くの?」ドアを開こうとした美晶の背後から、玲子の声が聞こえた。
「え、あの…、トイレです。ちょっと、オシッコに」別段どこへ行こうと決めていたわけではない美晶は、感じ始めていた尿意をきっかけに、トイレに行くことにした。
「ああ、そうなの。じゃ、ちょうどいいタイミングだわ。ちょっと、こちらに来てくれないかしら」玲子が、クスッと小さく笑いながら言った。
 これからトイレへ行こうとしている者に何の用事があるのだろうか、と訝んではみながら、美晶は玲子の所に近づいた。玲子は他の一人と一緒に何かを縫っているようだった。
「ちょっと、そこに横になってみて」玲子は、美晶が立っているあたりの床を指差した。そこには厚めのタオルが敷かれ、寝ても痛くはないようになっていた。
 何事が始まるのか、とメンバーが集まって来る中、美晶は言われた通りにした。美晶がタオルの上に横たわると、玲子と一緒に縫い物をしていたメンバーが、美晶の手を掴んで自由を奪った。何をするの、と叫んで足だけで立ち上がろうとする美晶のキュロットスカートを、玲子が脱がせ始めた。思ってもいなかった玲子の行動に、美晶は抵抗することも忘れて唖然とした。それでもすぐに我に返った美晶が足に力を入れようとした時、誰かの手が美晶の足を抑えつけた。こうなれば、美晶にはどうする術もなくなっていた。
 どうとでもなれ、と開き直った美晶は体から力を抜いた。何をされるにしても、下手に力を入れていれば余計な痛みを感じるものだ、と思ったのだ。観念した美晶の体から、玲子は簡単にキュロットを剥ぎ取ってしまった。それに続いてスキャンティ。思わず体をくねらせようとした美晶だが、すぐに思い直した。大事な部分を裸にされた美晶が、次には何をされるのか、と思った時、玲子は自分が縫っていたものを美晶の目の前に差し出した。
 それを見た瞬間、美晶の顔中が赤く火照り、火の出る思いが感じられた。玲子が差し出したもの、それは大きなサイズに縫いあげられたおむつだった。淡いブルーとレッドの水玉模様が目にもあざやかな、大きなおむつだった。美晶は顔を赤く染めながら理解していた。トイレに行く、と言った美晶に、いいタイミングだわ、と答えた玲子の言葉。そういうことだ。縫いあがったばかりのおむつのサイズ合わせをしてみようという時に、それを身に着けるべき美晶が尿意を感じているのだから、おむつをあてるのにぴったりのタイミングと言わざるを得ない。
 お尻の下に柔らかな布の感触を覚えた時、美晶は目を閉じた。成人した自分の股間に、可愛らしい模様がついた大きなおむつがあてられるのを正視してはいられなかった。そんな美晶の精神状態にはおかまいなく、玲子は作業を続けていった。数枚のおむつで美晶のお尻を包み終え、更に、大きなベージュのおむつカバー(薬局で買った、病人用のものだった)で包んでしまう。マジックテープと腰紐で調整すれば、サイズはほぼぴったりに合わせることができた。
「さ、できたわよ。おとなしくしてたわね。美晶ちゃんは、とってもお利口さんね」幼児に言うように、玲子が美晶に言った。その言葉に、美晶の顔の赤味が増した。
 手を引かれて立ち上がった美晶の体の前に、どこから持って来たのか、大きな姿見が置かれた。その大きな鏡に、黄色のトレーナーとおむつカバーという、なんとも奇妙な格好の美晶が映った。しかし本人でも不思議なくらい、その姿からは滑稽さを感じなかった。まだあどけなささえ残っている美晶の少女のような顔と相まって、その姿からは可愛らしさが感じられるようだった。
 正面から自分の姿を正視した美晶の心は、いっそすっきりと穏やかなものに変化していた。顔の赤味も薄れ、自分の姿をメンバーに見られていながらも、羞恥の念が徐々に消えてゆくのを感じていた。
「サイズ合わせも終わったようだし、おむつを外していただけますか? トイレに行きたいんです」美晶は、横に立っている玲子の耳許で囁いた。
「何を言ってるの、美晶ちゃん。あなたがトイレに行きたいのは知ってたわ。だから、おむつをあてたんじゃない」玲子が答える。
 いいタイミングね、という玲子の言葉が美晶の頭の中に渦巻いた――玲子は、サイズ合わせのためだけにおむつをあてさせたのではなかった。どうやら、実際にその中にオシッコをさせようとしているらしい。
「そうよ、美晶ちゃん」美晶の表情を見、何を考えているのかを読み取ったように、玲子が言葉を続けた。「一度にあてておく枚数をどのくらいにすればいいのか、私たちにはわからないのよ。だから、実際にオシッコをしてみて、漏れないかどうか試してみなきゃ」 玲子の手を振り切って、美晶はドアに近づいた。部屋から出てトイレに行くつもりだった。この時刻なら、こんな格好で廊下を歩いても人と出会うことはないだろうと思ったのだ。たとえ人に見られたとしても、成人した美晶がおむつの中にオモラシをしてしまう屈辱感に比べれば、その方がマシだと判断した。IDカードをキュロットのポケットから取り出そうとして、気がついた。キュロットは、さきほど玲子の手で脱がされたばかりなのだ。そして、その代わりにおむつをあてられている。
 振り返った美晶の目に、キュロットのポケットから取り出したIDカードを手に持っている玲子の姿が映った――『T&W』では、機密保持のために全ての部屋にオートロックが備えられている。万が一侵入した部外者を逃さないようにするため、内側からも勝手には開かない構造のものだった。そのロックを開くために、社員は各自、キーを兼ねたIDカードを持っている。そのIDカードを取りあげられてしまった今、美晶には、この部屋から出ることもできなくなっていた。
 美晶はドアの前で立ちすくみ、体を小さく震わせるばかりだった。尿意は、もうガマンできないほど高まってきている。しかし、こんな強引なやり方での排泄を許すこともできなかった。尿意と意識との闘いだった。
 しかしその闘いは、あっけない幕引きを迎えた。玲子が美晶の脇をくすぐったのだ。ぎりぎりのところで耐えていた美晶にとって、その刺激は大きなものだった。僅かに力を抜いた隙に、オシッコの最初の一雫が膀胱から尿道を通り抜けた。そうなれば、あとはガマンできるものではなかった。顔を手で覆い、その顔を幼児がイヤイヤをするように横に振りながら、美晶はしゃがみこんだ。そうしながらも、オシッコはおむつを濡らし続けていた。
 やがて最後の一滴がおむつに吸いこまれた時、美晶は床にお尻をおろして、放心したような顔を玲子の方に向けていた。
「出ちゃったのね?」と言う玲子の言葉に、美晶は小さくこっくりと頷いた。その目には、何も映っていないようだった。玲子は他のメンバーと一緒に美晶を抱き上げ、タオルの上に横たえた。玲子が触れても反応しない美晶の体に着けたおむつカバーの腰紐をほどき、マジックテープを外す。それから裾ボタンを外すと、おむつカバーが大きく開いた。ぐっしょり濡れたおむつを股間から取る時、おむつカバーの外の内腿に流れる数条のオシッコの筋が見えた。
「試しておいてよかったわ。これからは、もう少し多くあてておいた方がいいみたいね」玲子は、誰にともなく呟いた。濡れたおむつをおむつカバーごとお尻の下から取り、メンバーのひとりが差しだした新しいおむつをお尻の下に敷く。今度のものは動物柄のものだった。
 玲子は、必要なおむつの枚数が確認できた後は、ベビー服が揃うまでは美晶に自分の服を返すつもりだった。しかし、美晶のトロンとした目と反応しない体を見ていると、ひょっとするとおむつが必要になるかもしれないと思えた。美晶が、自分の意志にかかわらずオモラシをしてしまうのではないか、と考えたのだ。そこで、念のためにと、新しいおむつをあてておくことにした。
 しばらくして、美晶は目を閉じて眠ってしまった。自分をみまった事態に、少なくないショックを受けたのだろう。精神の平静を取り戻すために、美晶の心は睡眠を必要としたようだ。
 美晶が眠っている間にも、メンバーの作業は続けられた。
 やがて、ロンパースやベビードレス、カバーオールにコンビドレスといったベビー服ができあがった。なにもそんなにたくさん作らなくてもいいのに、と思えるほどの数ができあがっていた。縫っている間に、自分の子供に着せてあげるんだ、というような気分になっていたようだ。その気持に従っているうちに、知らずしらずに作りあげてしまったのだろう。
 ベビー帽子やよだれかけも仕上がった。白やクリーム色の生地に小花の刺繍やボンボンあしらった本格的なベビー帽子だった。よだれかけも、吸水性の高いパイル地の生地の縁にフリルをつけ、じゃまにならない程度に動物のアップリケが付けられた可愛らしいものだった。
 ソックスは、ローティーンや小学生向けの市販品で充分にまに合うようだった。それらの中にはレースや刺繍を多用した可愛らしいデザインのものが意外に多くあり、サイズもフリーに近いものが多かった。
 おむつも多くの枚数が仕上がっていた。赤ちゃん向けの柄がついたおむつ布が大人用に大きく縫いあげられたものは何かしら異様な雰囲気を与えるものの、さきほどの試用の時のように実際に美晶にあてられたところを見てみると、可愛らしさが感じられるものだった。
 但し、おむつカバーだけは市販の病人看護用のものを使うことにしていた。防水性などを確保するためには、素人が作ったのでは無理があるだろうと判断したからだった。ただ、赤ちゃん用のデザインのままで大人用のサイズに作られたおむつカバーを手に入れるルートを探すつもりではいた。その方が可愛らしさが強調されることが目に見えていたのだから。
 作業が終了した頃には、東の空が白み始めていた。タフネスを誇るメンバーもさすがに眠気を覚え、次々に仮眠室へ移動して行った。ただ、玲子だけは、美晶の様子を見ているから、とミーティングルームに残った。


 おむつの試用の後で眠りに入った美晶は、目を覚ましてからも本来の自分を取り戻さなかった。それほど強いショックを与えてしまったのだろうか、と玲子は後悔していた。しかし、美晶の心がどのように変化したのかを知るにつれ、玲子は後悔することをとりあえずは中止することにした。
 言ってみれば、美晶の心はショックで自分のものでなくなったというのではなく、赤ちゃん返りしたような状態になっていたのだ。成人としての強い精神の殻を破られ、その中に閉じこめられていた幼児期の自我が殻の外に現われたのだった。そのことを知った玲子は思った――美晶の精神の殻を破ったことについては反省し、謝罪することも必要だろう。しかし、今はソフト開発を進めなければならない時期だ。失敗すれば私だけではなく、チームのみんなが路頭に迷うことにもなりかねない。そして、今、私たちは素晴らしい被験者を手に入れることができたのだ。赤ちゃんの心を持ちながら、VPGの副作用にも耐えられる肉体を持つ、『石田美晶』という被験者を。この実験が終了するまでは、彼女の心は赤ちゃんのままでいて欲しい。その後でなら、いくらでも謝罪し、精神を戻す方法も講じよう。
 小さいとはいえ、一つのチームを任されたリーダーとしての冷たい判断だった。

 実験は玲子のマンションで行なわれることになった。
 『T&W』の給与体系は請負制に近いものであり、決められた期間内にソフトを開発し終えれば、最初に決めた金額が支払われるといった形になっている。そのため、その期間内では、メンバーは自由に行動することができる。資料集めやストーリー構成などの作業には出社する必要など無いからだった。だから、美晶を被験者にした実験の間中、メンバーの殆どは出社することなく、玲子のマンションに泊まりこんでいた。
 実験室にあてられた寝室の床は本来フローリング仕様だった。しかし今は、その床に毛足の長いカーペットが敷かれ、遊びまわる美晶が転んでも痛くないようにしてあった。玲子が寝ていたダブルサイズのベッドも、その周りに木製のサークルが取付けられ、一見したところでは大きなベビーベッドのように改造されていた。実験の初日に、このベッドに寝かせていた美晶が寝返りをうった拍子にベッドから転がり落ちる、といった事件があったからだった。美晶の本来の寝相がわるいのか、赤ちゃん返りしてしまったからか、それはどちらとも言えないものの、ベッドからの落下は防がなければならなかった。
 そのベッドの上には、天井からサークルメリーが吊られている。Nデパートの玩具売場で、皆で買ってきたものだった。更に、ベッドの横にはベビー箪笥が据えられていた。そこまでしなくても、という玲子に対して、どうせなら部屋の雰囲気を完全にベビールームのように仕上げた方が良い、というメンバーの意見に従って据えたものだ。その中には、メンバーが縫いあげたベビー服やおむつが収まっている。おむつカバーも、実験が始まって何日かが過ぎる頃にメンバーの一人がどこで見つけてきたのか、赤ちゃん用デザインの大きなカバーを仕入れてきていた。
 壁際に置かれた玩具箱には様々な種類の玩具が入っていた。その中には数遊びなどの知育玩具も混ざっていたが、赤ちゃん返りしてしまった美晶には、実際にそれらが必要になるかもしれなかった。
 カーペットが敷かれた床の上にはそれらの他に、大きな白鳥のオマル、歩行器といったものが無造作に置いてあった。いろいろなルートを辿って、それらを作ってくれるメーカーに特別に注文したものだった。玲子らが開発中のソフトが、産まれたばかりの赤ちゃんから三歳くらいの幼児までをゲームの登場人物にしているため、オマルへの排泄や歩行器での移動といったシチュエーションを把握しておく必要があるのだった。
 そんなベビールームでの美晶の生活ぶりを、ビデオカメラは次々に記録していった――。
 朝、目を覚ました美晶は大きな泣き声をあげていた。その声を聞きつけた玲子が、隣の部屋からとんで来る。ベッド脇に置いてあるVPGの画面には、実物と同様に泣いている表情の美晶が表示されている。画面上の美晶の顔にオーバーラップして、「おむつが濡れている」という表示が現われていた。美晶を被験者としながら、その心理状態を示す顔と一緒に、ざっとした状況を表示するようにVPGのソフトを改良した結果だった。玲子は美晶のカバーオールの股ボタンをひとつずつ優しく外し始めた。全てのボタンが外れると、ピンク地にいくつもの動物のイラストがプリントされたおむつカバーが見える。その腰紐をほどき、前当てを留めているボタンを外していく。八つのボタンを外し終えた玲子は、その前当てを静かに手前に開く。その後、お尻からサイドを回って前当てにつながっていた部分を左右に開くと、美晶のオシッコを吸いこんで濡れている麻の葉模様のおむつが目に入ってきた。美晶の足を片手で持ち上げてぐっしょり濡れたおむつをお尻の下から外し、ベッドの下から取り出したバケツに投げ入れる。シーツの上に敷いてあるオネショシーツを観察した玲子は、おむつカバーの外へ漏れたオシッコは無いと判断した。オシッコが外に漏れていないようなら、おむつカバーは取替える必要が無い。バケツと一緒にベッドの下から取り出した藤製のバスケットには、前もってベビー箪笥から取り出したおむつが数組入れてある。そのバスケットから一組のおむつを取り上げて、玲子は美晶のお尻の下に敷きこんだ。その頃には美晶は泣きやみ、部屋にとびこんで来た玲子が美晶の手に握らせておいたガラガラを盛んに振って、その音を聞いていた。新しいおむつとおむつカバーが美晶のお尻を包みこんだ。乾いた柔らかな布の感触に、美晶はニコッと玲子の顔に笑いかけた。VPGの美晶も笑顔に変わり、「お尻が気持よくなった」と表示されている。
 玲子は自分のブラウスのボタンを外し、ブラも外した。美晶の上半身を抱き上げてその顔を玲子の乳房に近づける。それまで振っていたガラガラをベッドの上に投げ捨てた美晶の両手が玲子の乳房にしがみつき、唇が強く乳首を咥えた。玲子の乳首をふくんだ美晶の唇の力が強くなり、音をたてながら吸い始めた。玲子は、思わず仕事のことを忘れそうになっていた。ソフト開発のために美晶を赤ちゃんとして生活させていることを忘れ、ずっとずっとこのままの生活を続けたいと半ば本気で思い始めていた。VPGの美晶が少し不満気な表情を浮かべていた。表示は「お腹がすいてるのに、お乳が出てこない」となっている。いくら母親を演じてはみても、実際の母乳が出る筈はなかった。多少悔しく思いながら、玲子は美晶の上半身を優しくベッドの上に戻した。
 ちょっと待っててね、と言い残した玲子はキッチンに立ち、ほどよく温めたミルクを哺乳瓶に満たした。部屋に戻った玲子が哺乳瓶の乳首を口にふくませると、美晶はちゅっちゅっと音をたてて力強く吸う。力を入れ過ぎるのか時々むせて吐き出すミルクをよだれかけの端で拭き取りながら、玲子は美晶の頬に軽いキスをした。ほぼ満杯のミルクを飲み干した美晶がげっぷをすると、玲子は優しく美晶の背中をさすっていた。
 いかにも満足した、という美晶の表情を確認した玲子がサークルメリーのスイッチを入れた。軽やかな音楽が部屋に流れ、リボンや人形が踊るのを見ながら、美晶の瞼は静かに閉じられていった。
 その後、玲子は洗濯にかかりきりになる。美晶が汚すおむつの数は、オシッコの量が多いため、本物の赤ちゃんの数倍になる。しかも一枚一枚のサイズが大きいため、一度では洗いきれない。そこによだれかけやベビー服、玲子自身の衣類となれば、洗濯に費やす時間は相当なものになってしまう。それでも、洗い終えたベビー服やおむつをベランダに干し、それらが風にはためく様子を見ていると心が自然と和んでくるのだった。
 十一時頃、美晶が目を覚まさないように気を使いつつ、玲子はベッドのサークルを倒して、美晶のおむつカバーに右手を差し入れてみた。その掌には、ぐっしょりと濡れた感触があった。ふとベッドを見てみると、美晶が寝ているあたりのオネショシーツが濡れているようだった。朝食のミルクのせいか、いつもよりも多いオネショをしてしまったのだろう。小さな溜息をついた後、玲子はベビー箪笥に近づいた。引出を引き開けて、淡いピンクの生地でできたロンパースを取り出す。ポケットの周りや裾にレースのフリルがあしらわれて、見るからに可愛らしいデザインに仕上がっている。その引出を閉じると、その下の引出を引いた。そこには、様々な色どりの大きなおむつカバーがきちんとたたまれて収納されていた。その中から、クリーム色の生地に子リスのアップリケがつけられ、ピンクのバイアステープがアクセントになっているものを取り出した。それは、サイズさえ気にしなければ赤ちゃん用として充分に通用するデザインのものだった。
 それらをバスケットのおむつの上に置いてから、玲子は亜美の胸を覆っているよだれかけを外した。少しのことだが圧迫感が減少したのか、美晶は眠りながら小さく深呼吸をしたようだった。それから、首から胸にかけて並んでいるカバーオールのボタンを外す。柔らかな布で覆われたボタンを外し終えた後、腕から優しく脱がせていった。胸がはだけ、お腹が見え、足首までのカバーオールを脱がせてしまうと、内腿からお尻までが濡れてしまっているおむつカバーが目に入ってくる。おむつカバーとおむつを外すと、ヘアを剃ってしまって童女の姿に戻っている股間が顕になった。数多くのおむつとおむつカバーに包まれた股間には全く通気が無く、本当の赤ちゃんに比べれば丈夫とはいえ、美晶の皮膚は簡単におむつかぶれになってしまった。それに対する薬を塗りこむのにジャマになるヘアが剃られてしまっていたのだ。
 殆ど全裸になった美晶の体をベッドの上で少し移動させて、お尻の部分が濡れているオネショシーツを取り除いた。そして、イエローの撥水性の生地に子猫のアップリケがついた新しいオネショシーツを代わりに敷く。その上に新しいおむつカバーを広げ、おむつを用意する。美晶の股間におむつかぶれの薬を塗りこんでからベビーパウダーをパフでふると、なんとも懐かしいような甘い香りが部屋中にたちこめた。おむつとおむつカバーでお尻を包み、頭からロンパースを被せた。二本の肩紐を胸当てにボタンで留めてから生地を下半身へ伸ばしてゆく。股間の五つのボタンを留めると、おむつで膨れたウエストラインが強調されて、幼児のような体形になっていた。更に、外しておいたよだれかけで胸を覆い、そのひもを背中で結ぶ。
 そういった作業の間中も、美晶はずっと眠っていた。あまり手のかからない、おとなしい赤ちゃんだと褒めてもよいくらいだった。
 お昼過ぎ、美晶の目が開いた。自分で上半身を起こし、誰かを探すように視線を動かす。「まま」と言う声が口から出てくる。その声が聞こえたのか、キッチンで昼食の準備を終えた玲子が部屋に戻ってきた。その手に持っているトレイには、コンソメスープと魚のすり身、野菜のペーストといった離乳食とジュースの入った哺乳瓶がのせられている。
 玲子は美晶の体を抱き上げ(メンバーの手伝いもあったのだが)、特製の歩行器に座らせた。その歩行器は美晶の体格にぴったり、というよりも少し窮屈にできていて、一旦そこに乗せられた美晶は自分だけの力ではおりることができなかった。それは、玲子には好都合だった。雑用で忙しい時など、美晶を歩行器に乗せてキャスターにロックをかけておけば、美晶が「おいた」をすることもできなくなるからだった。美晶の乗った歩行器の前面部分はテーブルのようになっていて、玲子はそこに離乳食の入った幼児用の食器を並べていった。美晶のよだれかけを外し、代わりにビニール素材の食事用のエプロンを首から掛けると、玲子は離乳食をすくったスプーンを美晶の口に近づけた。朝食をミルクだけで済ませた美晶はお腹をすかせていたのだろう、玲子が持っていくスプーンを待ちかねるように、大きな口を開いて咥えるのだった。元気よく動く美晶の唇の端からこぼれる離乳食をタオルで拭きつつ、玲子は昼食を続けさせていった。
 離乳食とジュースをきれいにたいらげた美晶を歩行器からおろし、玲子は食後の運動をさせることにした。今日、初めて自由に動くことを許可された美晶の表情が明るくなっていた。ベッドのサークルに閉じこめられ、歩行器にのせられて動きを制限されていた美晶にとって、この運動の時間はとても楽しく思えるものだった。おむつで大きく膨らんだお尻を振りながら歩く美晶の姿は本当の幼児のようにいとおしく思え、玲子はおっぱいを与えながら感じていた思いを反芻していた。部屋中を一通り歩き回った美晶は、玩具箱から子熊のヌイグルミを引っぱり出して、それに何やら囁きかけていた。「だぁだぁ」とか「ばぶばぶ」といった幼児語しか話さないものの、本人はヌイグルミとの会話を気に入っている様子だった。
 一時間ほど美晶を遊ばせ、その間に昼食をとった玲子は、美晶を床に横たえさせた。ロンパースの股ボタンを外し、おむつカバーとおむつを外した後、美晶を背後から抱え上げてオマルの上に座らせる。お昼寝の前にちっこしちゃいましょうね、という玲子の言葉に美晶は素直に頷いた。やがて、オシッコがブリキに当る音が部屋中に響き始めた。それに続いて、どうやらうんちをしているらしい音が聞こえ、微かな匂いもたちこめるようになった。しかし、離乳食とミルクばかりの食事をとり続けている美晶のうんちは、幼児のそれのように、たいした匂いを伴わないものだった。うんちを終えた美晶のお尻を拭き、再びおむつをあててロンパースのボタンを留めた後、玲子はオマルの後片付けのために部屋を出ていった。
 ガラガラを手に取った美晶はしばらくその音を聞いていたが、いつのまにか床の上で寝入ってしまっていた。掃除の終わったオマルを手にして部屋に戻ってきた玲子は、床の上で眠っている美晶をメンバーの手を借りてベッドに戻し、優しく布団をかけた。
 ベランダを見ると、朝のうちに干しておいた洗濯物は乾いているようだった。ガラス戸からベランダに出た玲子は、静かに揺れる大きなベビー服やおむつカバーを次々に取りこんでいった。どれもがお日様の光を受けて、ほこほこと柔らかく、いい匂いがしていた。それらをたたんでベビー箪笥に収める時、玲子はなんともいえない幸福を感じていた。
 その次に美晶が目覚めたのは夕方だった。VPGに「おむつが濡れている」と表示されていることを確認した玲子は、美晶の衣類を全て脱がせることにした。ベビー帽子・よだけかけ・ロンパース・おむつ・ソックスが次々に美晶の体から離れ、とうとう全裸になった。自分も服を脱いだ玲子は、美晶の手を引いて浴室に入っていった。ベビーソープで美晶の体を洗い、その泡をシャワーで流してしまう。それから浴槽に入れ、金魚の玩具を美晶の目の前で泳がせる。じきに浴槽から出ようとする美晶の肩を抑えつけたり数を数えたりしている間に、美晶は時々玲子の乳首を口にふくんだりしていた。そんなことをしているうちに時間も過ぎ、美晶の体をバスタオルで拭いた玲子は、バスタオルを体に巻いただけの格好でバスルームから出た。
 全裸の美晶を再び寝室に連れて戻り、さきほど脱がせた衣類を身に着けさせる。但し、おむつは新しいものと交換しておく。
 幼児向けの人形劇をやっているテレビを美晶に見せておいて、Tシャツとジーンズスカートを身に着けた玲子は夕食の準備に取りかかった。美晶のメニューは昼食と似たようなものだ。玲子の食事にしても、慣れない育児にエネルギーを注いで疲れるため、たいしたものは作れなかった。それでも、メンバーが適当に手伝ってくれるので栄養のバランスはなんとか維持できていた。
 夕食をとり、玲子が後片付けをしている間に、美晶はこっくりこっくりし始めていた。昼間にあれだけ眠っておいて、よくもまあまだ眠れるものだ、と玲子は感心するのだが、赤ちゃん返りしている精神はそれほどの睡眠を必要とするのだろう、とも納得していた。そのうちに、玲子も疲れを覚えて眠りにつくのだった。美晶を赤ちゃんとして生活させるようになってから、玲子の部屋の照明が消える時刻はとても早いものになっていた。


 VPGとビデオカメラとを組み合わせた実験は大成功を収めた。美晶という貴重な被験者の存在もあり、非常に高いレベルで幼児の心理データを得ることができたのだ。
 これらのデータは早速、新作ソフト『私の赤ちゃん』に活用された。滞っていたソフト開発は一挙に進み、期限内で完成をみることができた。販売面でも予想以上に好調で、開発チームに特別ボーナスが支給されるほどだった。実際に使ってみての感想も好意的なものが多く、後世に残る傑作である、という評価を与える雑誌記事も現われていた。
 しかし、一般ユーザーもゲーム専門誌の評論家も、『私の赤ちゃん』の裏技にはまだ気づいていないようだった。本来のゲームの内容や育児シミュレーターとしての機能にばかり目を奪われ、ソフトに隠されているもう一つのモードは見破られていないのだった――『私の赤ちゃん』では、ゲームの進行に合わせて、CDに記録されている赤ちゃんの声や写真が再生・表示される。これは膨大なサンプルから合成して作られた、『典型的な赤ちゃんの声』であり、『典型的な赤ちゃんの写真』である。これらの表示をするのが「ノーマルモード」であるが、或るコマンドを与えることによって「アダルトモード」へと変化することができるようになっているのだ。その「アダルトモード」は、開発チーム内では「美晶モード」とも呼ばれている。すわわち、赤ちゃんの声ではなく美晶の声が、赤ちゃんの写真ではなくベビースタイルの美晶の写真が表示されるモードだった。
 「アダルトモード」では美晶の泣き声がスピーカーから流れ、美晶の泣き顔が画面に表示される。その声と表情から、おむつが濡れているのかミルクを欲しがっているのか等を判断し、それに応じた指示をプレイヤーが与える。おむつを交換する、と指示すれば、玲子そっくりの母親が画面に現われて美晶の大きなおむつを取替える、ということになる。
 この裏技が発見された時、このソフトは更に販売数を増やすだろう、とメンバー全員が考えていた。
 そんな中、美晶は玲子のマンションのベッドに眠りながら、何も知らずにおむつを濡らし続けていた。そしてその横には、「育児に忙しいため」という理由で会社に辞表を提出した玲子の優しい姿があった。



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