ちょっとあぶない夏休み

ちょっとあぶない夏休み



 そんなこんなで、「先生のマンションへ行った方が資料もたくさんあって勉強がはかどるから」と理由をつけて
母親を説得した久美は、その翌日から、毎日のように学校が終わると一目散に昌美の部屋を訪れるようになっ
た。
 もちろん、おむつをあててもらって昌美に甘えるためだった。
 とはいえ、せっかく来たんだからと昌美が、本当なら勉強を教える日でなくても宿題をみてあげたり、ちょっと
わかりにくいことがあれば丁寧に説明してあげたりするものだから、久美の成績もますます良くなっていった。そ
のおかげで久美の母親は、自分の娘がおむつをあててもらうために昌美のマンションへ通っているなんてこと
にはちっとも気づかず、むしろ、昌美のマンションへ寄って帰るから帰宅が遅くなるよという久美の言葉にもにこ
やかな笑顔を返してしまうほどだった。
 だから、「夏休みは先生の部屋に泊まりこみで勉強するの。先生もいいよって言ってくれてるから」という久美
の言葉を微塵も疑わずに、夏休みが始まった日の朝、大きなバッグを抱えて玄関を出て行く久美の後ろ姿をに
こにこと見送ってしまったのも仕方のないことだった。

 そして、今。
 夏休みが始まって、久美が昌美の部屋に泊まりこんで三日目の午前十一時少し前。
「で、でも……こんなことになっちゃったのは先生のせいなんですからね」
と言いながら、久美は真っ赤な顔でうつむいているのだった。
「あら、そんなことはないわよ。確かにきっかけは作ってあげたけど、私がしたのはそれだけよ。おむつを好きになったのは久美ちゃん、あなた自身なんですからね」
 昌美は久美のおでこを人差指でちょんとつついて微笑んだ。
 久美は、顔がかっと熱くなるのを感じた。言われなくても、そんなこと久美自身も充分に知っている。知ってい
るからこそ、昌美の口からあらためて聞かされると恥ずかしくなるのだった。おむつをあてられて三週間。それ
も、自分も好きであててもらっているのだから恥ずかしさを感じなくてもいいようなものなのに、どうしても、『おむ
つ』という言葉を聞かされるたびに羞恥心がくすぐられて顔を赤くしてしまう久美だった。
 そんな久美のうろたえぶりを目にしてくすくす笑いながら、昌美は空になった衣装篭を抱えて立ち上がった。
「先におむつを用意してくるから勉強の続きはちょっと待っててね。――久美ちゃんたらいつおもらししちゃうか
わからないから、衣装篭が空っぽになったらすぐにおむつを用意しておかなきゃね」
 昌美はわざと久美を恥ずかしがらせるような言い方をして、寝室の整理タンスにしまってある布おむつを衣装
篭に移すためにリビングルームを出て行った。

 しばらくして戻ってきた昌美は少し困ったような顔をしていた。
「どうかしたんですか?」
 昌美の顔を見上げて久美が訊いた。
「むおつが、あと一組分しか残ってなかったのよ。まだ大丈夫だと思ってたんだけど、ちょっと油断してたわね」
 布おむつが六枚だけ入った衣装篭を床に置いて、昌美は久美の顔をじっと見た。
「それとも、久美ちゃんがたくさんおもらししてくれるから、いくら用意しておいても同じかしらね?」
「あ、ひどい言い方」
 久美は、んべっと舌を突き出した。
「だって、本当のことよ。ベランダを見てごらんなさい」
 くすっと笑って昌美が応じた。
 大きなガラス戸越しに、夏の太陽の光が燦々と差し込むベランダが見えていた。
 ベランダには、朝ごはんの後ですぐに昌美が洗った洗濯物が風に揺れている。もちろんその中には、久美が
汚してしまったおむつも混ざっている。――というよりも、大半が久美のおむつだった。
 水玉模様や動物柄の布おむつが何枚も何も枚も、細いロープやパラソルハンガーで風にそよぎ、それと一緒
にクリーム色のおむつカバーとレモン色のおむつカバーが一枚ずつ、太陽の光を淡く反射して揺れている。
「あんなに汚しちゃうんだもの、いくら洗濯しても足りないわよね?」
 念押しするみたいに、昌美はベランダの方を見ながら言った。
「それはそうだけど……ううう、先生のいじわる。だいいち、ベランダに干すことないじゃないですかぁ。誰かに
見られたらどうするのよ」
 久美もベランダにちらと目を向けて、でもすぐに視線をそらせて言った。
「だって、あんなにたくさんのおむつを部屋の中に干したりしたら、部屋が湿っぽくなっちゃうじゃない? それ
に、十五階のベランダを覗きこむような人なんて、まずいないわよ」
 昌美が住んでいるのは、学生街によくあるようなワンルームマンションではなかった。新婚夫婦や子供がまだ
小さい家族なら充分な広さのある賃貸マンションの最上階だった。はっきりいって、昌美の実家はお金持ちだ。
だから本当なら、家庭教師のアルバイトをする必要なんてない。ないんだけど、家庭教師をしている。それはひ
ょっとしたら、久美みたいな子と出会うためかもしれない。
 久美はそれ以上は何も言わなかった。昌美が言ったようなことは久美にもわかっている。わかっているんだけ
ど、眩しい光の中で揺れている(自分が汚して昌美に洗ってもらった)おむつを目の当たりにすると、どうしようも
ない気持ちになってしまうのだ。
「勉強は後にして出かけようか」
 突然、昌美が言った。
「え?」
「だって、おむつは一組しか残ってないし、洗濯したのだってまだ乾かないでしょうしね。だから、新しいおむつを
買いにいくのよ」
「あ、私はいいです。一人で勉強してる」
 慌てて久美は言った。
「なに言ってるの。久美ちゃんのおむつなんだから、自分で選ばせてあげるわよ」
「だって……」
「ほら、さっさと立ちなさい」
 昌美は久美の両手をぐいっと引っ張った。
「あん、わかりました。――わかったから手を離してください。着替えなきゃいけないんだから」
 とうとう観念したのか、のろのろと立ち上がって久美は弱々しく言った。
「着替えるですって? いいわよ、そんなことしなくても。駅前のデパートへ行くだけなんだから」
「ちがいます。洋服を着替えるんじゃなくて、おむつを外してショーツを穿くんです」
「あら、そのままでいいんじゃない?」
「まさか」
「だって、私と一緒の時はずっとおむつをあてるんだって言ったのは久美ちゃんよ。忘れた?」
「それは部屋の中のことです。まさか、出かける時は……」
「いいじゃない、そんなことどっちでも。さ、行くわよ」
 久美の手首をつかんだまま、昌美は強引にリビングルームをあとにした。
 やだよぉぉ。諦めきれずに天を仰いだまま、昌美に引きずられるようにして久美も廊下に足を踏み出した。




 駅前にあるデパートのベビー用品売り場。
「どれがいいの?」
 買い物カゴを手に提げた昌美が、すぐ横で顔を伏せている久美に言った。
「どれでもいいです」
 一刻も早くその場を離れたい久美は素っ気ない声で応えた。
「どれでもいいことはないでしょう? 久美ちゃんのおむつなんだから」
 昌美は少し首をかしげて言った。
「でも……」
 昌美の声が周りの人たちに聞かれはしないかと久美はひやひやしながら言葉を濁した。
「ね、これなんか可愛いいと思わない? キャラクターグッズよ」
 昌美は久美の気持ちに気づかないみたいに歓声をあげた。
「先生。先生ってば……」
 久美は慌てて昌美の手を引っ張った。
「ん?」
 ビニール袋に入ったおむつを手にしたまま昌美が振り返った。
「あまり大きな声を出さないでくださいよ。私、こんな所にいるだけでも恥ずかしいんだから」
 久美は昌美の耳元でそっと言った。
「あら、大丈夫よ。まさか、久美ちゃんみたいな大きな子のおむつを買いに来ただなんて気づく人はいないから」
 昌美は軽く首を振った。
 そう言われても、久美は気が気ではなかった。昌美が言うように、まさか二人が久美のおむつを選んでいると
思う人はいないだろう。それでも、周りの買い物客がみんな自分の方に視線を向けているように思えてならない
久美だった。ミニのスカートの少しばかり不自然な膨らみに気づく人がいませんようにと願い続ける久美にして
みれば、どこか別の所を見ている視線も自分の方に向けられているように感じてしまう。
「本当にどれでもいいから、早く行きましょうよ」
 思わずスカートの裾を引っ張りながら、久美は昌美をせっついた。
「こんなに可愛いいのが揃ってるんだから、もっと楽しくお買い物をすればいいのに。――ま、仕方ないわね。そ
れじゃ、適当に買っちゃおうか。えと、七枚を一組にして使って、袋は十枚セットになってるから……」
 昌美は呟きながら、おむつの袋を次々に買い物カゴに放りこんでいった。


 やっとのことでおむつ売り場を離れて、おむつ用の洗剤や哺乳瓶なんかの小物を並べたコーナーへやって来
た頃には、久美も少しだけ落ち着いてきた。
 そうよね。まさか、私がおむつをあててるなんて思う人がいるわけないわ。周りの人たちは私たちのこと、もう
すぐ赤ちゃんが生まれるからその準備に買い物に来てる若い奥さんとその妹くらいにしか見てない筈よ。そん
なふうに考えるゆとりさえ出てくる。
 とはいっても、おむつのことがぜんぜん気にならなくなったわけでもない。少しでも歩くたびに柔らかな布地が
内腿に擦れ合う感触が伝わってくるし、いくら冷房が利いているといっても、おむつとおむつカバーに包みこま
れた下腹部は湿っぽく蒸れたような感じのままなのだから。
 久美は小さな溜め息を洩らすと、洗剤を買い物カゴに放りこんでレジの方へ歩き出した昌美について足を踏
み出した。
 なのに、急に昌美が立ち止まったせいで、背中にぶつかりそうになってしまう。
「何か買い忘れですか?」
 こちらも慌てて立ち止まって、久美は昌美の後ろ姿に訊いた。
「あ、ううん。そうじゃないんだけど、ちょっと知り合いがいたから」
 昌美は前を向いたまま応えた。
 久美も、昌美が見ている方に目を向けてみた。
 少しだけ離れた所にある手芸用品売り場で若い女性が何かを選ぶようにあれこれと手に取って見ていた。
 その女性が、こちらの視線を感じたのか、ふと振り向いて、嬉しそうな顔になって手を振ってみせる。
「元気そうね、昌美」
 その女性は足早に近づいてきて、笑顔で昌美に話しかけた。
「とっても元気よ。そっちは?」
 昌美も弾んだ声で言った。
「こっちも元気。――はじめまして」
 応えてから、その女性は昌美の買い物カゴと久美の顔をちらちらと見比べて、妙に馴れ馴れしい口調で久美
に声をかけた。
「え、あ、はい……こちらこそ、はじめまして」
 突然話しかけられて、久美はどぎまぎしながら聞こえにくい声で応えた。
「私は葉山由利。昌美とは同じ大学なの。学部は別だけどね」
 由利は、昌美の背後に隠れるようにしてもじもじしている久美に言った。
「久美です。斎藤久美。あの、香山先生に勉強をみてもらってます」
 久美はおどおどした声で言った。
「やっぱり、あなたが斎藤さんだったのね」
 もう一度じっと昌美の買い物カゴに目を向けて、由利は納得したように言った。
「やっぱり?」
 どうしてこの人が私の名前を知ってるんだろう? 久美は思わず訊き返した。
「買い物カゴのおむつ――あなたが使うんでしょう?」
 いきなり由利が言った。
 久美の胸がどきんと高鳴った。
「いいのよ、隠さなくても。おむつ、今もあててるの?」
 由利は久美のスカートを無遠慮に眺めまわした。
「ちょっと、由利。久美ちゃんとは初対面なんだから、もう少し遠慮してよ」
 昌美が気遣うように二人の間に割って入った。
 久美は胸の前で掌をぎゅっと握りしめて、昌美の後ろに隠れた。
「うふ、そういえばそうね。ごめんね、久美ちゃん。可愛いい子を見ると、ついついからかってみたくなるのよ」
 由利は冗談めかして言った。
「それはそうと、由利は何を探してたの?」
 久美を助けるために話題を変えようとしてか、昌美が手芸用品売り場の方に顔を向けて由利に訊いた。
「いろいろとね。――昌美に渡したい物もだいぶできてきたし、最後の仕上げに使えそうな小物を探してたの」
 由利はそう応えて、あらためて昌美の顔を見た。
「昌美もおねえさんになったんだものね」
 由利が何を言っているのか、久美には全然わからなかった。ただ、そう言われて昌美の顔が微かに赤くなっ
たことだけは久美も気がついていた。
「じゃ、買い物をすませちゃうわ。その後で昌美の部屋へ行くから待っててね」
 由利は一人で決めて、さっさと手芸用品のコーナーへ戻ってしまった。
「あの人――由利さん、本当に先生のマンションへ来るんですか?」
 ちょっと不満そうに久美は唇を尖らせた。
「イヤ?」
「先生のお友だちだったら私がどうこう言うのは失礼なんでしょうけど、でも……なんていうか、どんなことでも知
ってるのよみたいな顔して、あの、見おろされてるような感じがしません?」
「たしかに、ちょっと威圧されちゃうみたいな感じがあるわね。だけど、それが由利の魅力の一つなのよ。由利
のことをもう少し知ったら、久美ちゃんもたぶん好きになると思うわ」
「……そうかなぁ」
「そうよ。――私は由利と出会ったおかげで助かったんだから」
 昌美は遠い所を見る目をして言った。




 デパートからマンションへ帰ってきた時には、久美のおむつはぐっしょり濡れていた。買い物が終わってデパ
ートを出る前に尿意を感じていたのに、トイレへ行かずに我慢していた(どうして我慢してたのかって? だっ
て、トイレでおしっこしようとすると、おむつカバーのマジックテープを剥がさなきゃけいないんだよ。周りの人に
あの音を聞かれるのって、おむつをあてられた人じゃなきゃわからないかもしけないけど、とっても恥ずかしいん
だからね)のが、帰りのバスの中でとうとう我慢しきれずにおむつの中におもらししてしまったせいだった。もち
ろん、おむつをあてたまま外出するんなてこと、初めての経験だった。当然、高校生にもなって(ううん、幼稚園
の時だって)外出先でおもらししたこともない。
 なのに昌美は。
「よかったわね、おむつをあてておいて。もしもパンツだったら、バスの中が大騒ぎになってたわよ」
 そう。なのに昌美は、そんなことを言って笑いながら久美のおむつを取り替えてやったのだ。おむつをあてて
いたからトイレへ行けなかったんだと拗ねる久美の頬をちょんとつつきながら。

 昌美が久美の濡れたおむつを洗濯機に放りこんですぐ、玄関のチャイムが鳴った。
「あ、はい」
 昌美は慌てて洗濯機の側から玄関へ移って返事をした。
「私よ、私」
 ドア越しに聞こえてきたのは由利の声だった。

vol.3に続く(のか?)



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