もういちど

もういちど(8)

高木かおり



「うふふ、柔らかくてふっくらしてていい気持ちでしょ?」
 切なげな声を耳にして、ちらと恵美ちゃんの顔に目をやった英子さんの声はとっても穏やか。
 それから英子さん、恵美ちゃんの足首を掴んでる右手を静かに優しくおろしていく。 それまで真っ直ぐに伸びていた恵美ちゃんの膝が曲がって踵が床につくと、英子さんは右手をそっと放した。間に挟まってる布オムツのせいで少し開きぎみになってる恵美ちゃんの両脚を揃えさせてから、英子さんは、恵美ちゃんのお尻の左右に広がっている横当てのオムツを持ち上げた。そうして端を手早く三角形に折ると、その横当てをおヘソのすぐ下に廻して股当てを押さえるように恵美ちゃんの下腹部を覆っていく。
その後、オヘソの僅かに上まで延びていた股当てのオムツを横当ての上に折りたたんでオムツはできあがり。
 あとはオムツカバーだった。恵美ちゃんのお尻からおヘソまでをすっかり隠しちゃったオムツの上にオムツカバーの白い横羽根を両横から動かしていって、お互いをマジックテープでしっかり留めると、オムツはもうずれることもなくなる。そして今度は両脚を大きく開かせるようにしてから、オムツカバーの前当てをまわしてくる。その前当てを横羽根にホックで留めると、腰紐が残っているだけ。
「さ、これでいいわ。久しぶりのオムツはどんな感じかな?」
 幅の広い腰紐をきゅっと結んじゃった英子さん、オムツでぷくぷく膨らんだ恵美ちゃんのお尻をぽんぽんと優しく叩いて声をかけた。
「あ、私……」
 それがきっかけになったみたいに、徐々にいつもの光が瞳に戻ってくる。その目を英子さんに向けて何度かまばたきを繰り返した恵美ちゃん、ぽかんとしたような表情で呟いた。
「もういいのよ。もう、ママがちゃんとしてあげたから。──赤ちゃんに戻った気分はどう?」
 英子さん、”ちゃんとして”ってところを妙に強調して。
 その時になって恵美ちゃん、ハッとしたみたいに慌てて上半身を起こした。起こして、自分の下半身をおそるおそる覗きこむ。恵美ちゃんの目に、可愛い模様のオムツカバーにくるまれた下腹部がとびこんできた。
 しかも。恵美ちゃんが着てたパジャマ(そのズボンは脱いじゃってベッドの上に放り投げてあるんだけど)っていうのがちょっと丈の短いベビードールみたいなネグリジェふうになってて、オムツカバーが完全には隠れないんだね。ちょっと見には赤ちゃん用のブラウスみたいにも見えちゃうその可愛らしいパジャマの裾から半分ほどオムツカバーがのぞいてる様子が、オムツカバーが丸見えになってるって格好よりも却ってあどけない雰囲気で、ほんと赤ちゃんみたいだって言われても反論しようがないかもしれないっていうような感じになってた。
「……」
 なにも言えずに恵美ちゃん、顔を真っ赤に染めるだけ(恵美ちゃんの顔が赤くなるのはこれで何度目かしらね)。ふぇ〜ん、恥ずいよ〜って胸の中で言ってるかもしれない。でもなんとなく、恥ずかしさ以外の理由もありそうな気がするんだけどね(なんていうか、ほら、上気してるって感じ?)。
「可愛い恵美ちゃんにはその格好がとってもお似合いよ。あ、でもそのままじゃ……」
 何かを思い出した英子さん、手元に置いたままになってる衣装ケースにもう一度手を突っこんで。
「……そうそう、これだわ。そのままじゃ風邪をひいちゃうから、ぽんぽんないないしましょうね。ほーら、可愛いお洋服でしょ?」
 英子さんの口調、もうすっかり赤ちゃんに話しかけるみたいになってる。
 その英子さんがつかみ上げたのは、なんていうか、オーバーオールのズボンの部分がブルマーみたいな形になってる洋服だった。なんとなく見憶えのあるようなないような不思議なデザインで、恵美ちゃんはつい思わず目を惹きつけられちゃう。それに、その生地。どっかで見たことがあるような気がするぞ?
「うふふ、気がついた? 昨夜リビングで恵美ちゃんも見たよね?」
 恵美ちゃんがじっと見てるのに気がついた英子さん、なぞなぞを楽しむみたいに。
「あ……」
 恵美ちゃんの口から、驚きとも呻き声ともつかない、ちょっと悲鳴めいた声が洩れた。
 その生地はたしかに、昨夜リビングで英子さんが赤ちゃんのコンビドレスを縫うのに使っていたのと同じものだったんだ。
「そうよ、お腹の赤ちゃんとお揃いなのよ。ほんとは恵美ちゃんにも赤ちゃんと同じものを作ってあげようかと思ったんだけど、恵美ちゃんはちょっとだけお姉さんで立っちもできるしあんよもできるからコンビドレスじゃ動きにくくて窮屈でしょ? だからロンパースにしてみたの」
 英子さん、恵美ちゃんの目の前で手に持った洋服を広げてみせた。
 たしかにそれは、ロンパースっていう種類のベビー服だった。全体の形は胸当てのついたホットパンツみたいな感じで、ショートパンツの代わりに大きなブルマーになってるって説明すればわかってもらえるかしらね。ちょうど、よちよち歩きを始めたばかりのちっちゃな子が着るような遊び着だ。
「ほら、ここを見てごらんなさい。こんなところにボタンが並んでるの、どうしてだかわかる?」
 で、英子さん、そのロンパースを床に置くと、ブルマーみたいになってるパンツの股のところを指でつまんでみせる。
 それまでも赤かった恵美ちゃんの顔がよけいにほてる。そんなところにボタンが並んでる(ということは、ボタンを外せば股のところが大きく開くようになってるってことだよね)理由がすぐにわかったから。それは、つまり、わざわざ洋服を脱がなくてもオムツの交換が簡単にできるってことだよ。それ以外にわざわざそんなところが開くようにする必要なんてないんだもの。
「……」
 でもって、”オムツの交換が簡単に”って言葉を思い浮かべた瞬間、恵美ちゃんの胸がきゅんと鳴って、なにか暖かくて穏やかで甘酸っぱくて、でもとても羞ずかしくて切ない感覚に充たされるような気がした。オムツを濡らしちゃうにしたって、それがたった一度きりのことならこんな(お股にボタンが並んでるような)洋服なんて必要ないよ。少しくらい面倒でもパンツを脱いでもいいし、洋服をみんな脱いでもかまわない。でも、何度も何度もオムツを汚しちゃうとしたら? そんでもって、その度にオムツを取り替えてもらわなきゃいけないんだったら?──このベビー服を着るってことは、だから、自分がいつオムツを濡らしちゃうかもしれない赤ちゃんだってことを認めるのと同じこと。眠ってる時だけじゃなく、目を醒ましてる間もいつのまにかオシッコをオモラシしちゃってオムツを濡らし続けるかもしれないって無言のうちに自分の口から言ってるようなもの。
「さ、体が冷えないうちに着せてあげようね」
 そう言うと英子さん、まるで恵美ちゃんに見せつけるみたいにして股間のボタンを外しちゃって。で、肩紐と胸当てとを留めてるボタンも外しちゃって。
 恵美ちゃんが何も言えないでただ顔をほてらせてるうちに英子さんは背中に廻りこんで、頭からロンパースをすっぽり被せちゃう。それから恵美ちゃんの体を少し抱え起こすみたいにしてロンパースの生地を下の方へたぐり寄せると、手早く形を整えていく。
 気がついた時には肩紐がしっかり留めてあって、恵美ちゃんの体はすっかり淡いレモン色のロンパースに包みこまれてた。
「でーきたっと。うん、ますます可愛らしくなったわよ、恵美ちゃん」
 股のところの最後のボタンを留めちゃった英子さん、目の前にいる恵美ちゃんの体を頭の先から爪先までゆっくり眺めまわしてから満足そうに。でも、ちょっと首をかしげると、こんなふうに続ける。
「……う〜ん、どうせだから髪も可愛くしちゃおうか」
 英子さんの手がエプロンのポケットの中で何かを探してごそごそしたかと思うと、ロンパースの生地よりも少し鮮やかな(でも、よく似た色合いの)レモン色で幅の広いリボンをつまみ出してきた。そんで、恵美ちゃんのちょっと長い髪を頭の上で二ケ所、無造作に束ねて、そのリボンでぱっぱと結わえる。
「あは、これでいいわ。うん、とっても可愛いぞ」
 今度こそ英子さん、ほんとに満足した〜って顔。
 たしかに、いま英子さんの目の前にいるのは中学生の恵美ちゃんじゃなかった。そりゃよーく見てみれば少しだけ膨らみかけた胸や、くびれ始めてるウエストなんてものはあるんだろうけど、でも、そんなものはみんな、ロンパースっていうベビー服のラインに隠れちゃって、てんでわからなくなってる。それどころか、股間にボタンのあるベビー服のお尻はオムツのせいでふっくらと膨れてるし、髪の毛は頭の上でちっちゃな束になってるし。恵美ちゃんの姿はどう見ても、可愛いブラウスの上にロンパースを着たあどけない赤ちゃんでしかないんだ。
 英子さん、左手の人差指で恵美ちゃんのほっぺをつんとついてみた。ほっぺがぷにっとへこんで、笑窪をみせて笑ったみたいな顔になる恵美ちゃん。
「うふうふ、ほんと信じられないくらい可愛いわぁ。恵美ちゃんにもお洋服を作ってあげてよかった」
 英子さんの楽しそうな顔ったら。
 でも、だけど。そんな英子さんの顔がちょっと曇る。ベッドの上に放り投げたままになってる恵美ちゃんのパジャマとショーツのことをやっと思い出したみたい。それに、おっきな世界地図になってるシーツの滲みと。
「そうだ、これを早く片付けちゃわなきゃいけないんだっけ」
 それまでの嬉しそうな顔に、やれやれっていうような表情を浮かべて英子さん、ぽつりと呟く。さすがに二日も続けて大きなシーツを洗うのは(いくら洗濯機がやってくれるっていったって)げんなりみたいな顔。
 でも、そこは立ち直りの早い英子さん。すっかり赤ちゃんみたいな格好になった恵美ちゃんをもう一度目を細めて眺めると、顔を輝かせてこう言った。
「でも、このオモラシのおかげで恵美ちゃんが可愛い赤ちゃんに戻ってくれたんだものね。モンクなんて言ってられないわ。じゃ、ママは恵美ちゃんのオモラシの後片付けをしてくるからおとなしくしてるのよ。あとで朝ごはんを持ってきてあげるから。うふん、こんなにたっぷりオモラシしちゃったんじゃ、すっかり喉も渇いちゃったでしょうしね」
 何度も何度も”オモラシ”って言葉を口にして、その度に恵美ちゃんが恥ずかしそうに肩を震わせるのをおもしろそうに見守って。
 そうして、ベッドから勢いよくシーツを剥ぎ取って英子さんは部屋から出て行った。




 英子さんが恵美ちゃんの部屋に戻ってきたのは、それから四十分ほどしてからだった。
 どうやら本当に朝食を用意してきたみたいで、両手で白いトレイを抱えてる。恵美ちゃんにしてみれば、英子さんがそうやってわざわざ部屋まで食事を持ってくることがまた、ほんとに赤ちゃん扱いされてるような気がして胸が疼いちゃうんだけど。
 だけど、だからって恵美ちゃんがその食事を絶対に口にしないだろうかっていったらそうでもないみたい。だってね、赤ちゃん扱いされるのをもしもほんとに嫌がってるんなら、英子さんが戻ってくるまでに着替えちゃうこともできるんだよ? 整理タンスの中には恵美ちゃんの洋服や下着がちゃんと収納されてるんだから、ほんとにちっちゃな赤ちゃんが着てるようなロンパースを脱いじゃって、とっても恥ずいオムツを外しちゃえば、年齢相応の普通の格好に戻れるんだよ? そりゃ、英子さんがいたら力ずくでも着替えをやめさせられちゃうかもしれないけど、四十分間も余裕があったんだから着替えて部屋から逃げ出すことくらい(どこへ逃げるかってことはまぁ後で考えるとして)できるよね。でも、恵美ちゃんはそれをしなかったんだ。それはつまり……。
「いい子でおとなしくしてたかな? さ、朝ごはんにしましょうね」
 ちっちゃい子に言い聞かせるみたいに英子さん、そう言ってトレイを床に置く。で、その上に載ってた食器を手に取った。え? でも、その食器って。
「なに、それ?」
 英子さんが手にした”食器”を目にした恵美ちゃん、思わず不思議そうな声。
「あら、知らなかった? 哺乳壜じゃないの。ま、私が恵美ちゃんを生んだ時はおっぱいもよく出たから哺乳壜は使わなかったものね。でも、さすがに今はムリみたい。
お腹の赤ちゃんが生まれたらもう一度おっぱいも出るようになると思うけど、それまではこれでガマンしてちょうだいね」
 英子さんの方は不思議でもなんでもなさそうに、あたりまえって顔。
「哺乳壜は知ってるわよ。でも、どうして私が……」
 首筋まで真っ赤になった恵美ちゃん(だから、赤くなるのは何度目なんだ?)の言葉は、だけど途中で途切れちゃう。哺乳壜のゴムの乳首を英子さんが恵美ちゃんの唇に強引に押し当てたから。
 ふわ〜っと甘い香りが恵美ちゃんの鼻をくすぐった。
 唇に押し当てられたゴムの乳首から逃げるために顔をそむけようとした恵美ちゃん、ふと甘酸っぱい感覚に胸を充たされるように感じて英子さんの顔を見上げちゃう。
「気がついた? この哺乳壜に入ってるのは普通の牛乳じゃないのよ。赤ちゃんの粉ミルクをお湯でといたの。ママのおっぱいとは違うけど、それでも昔のことを思い出すきっかけにはなるみたいね? さ、お口をあーんしてごらん」
 恵美ちゃんが体の動きを止めたのを目にした英子さん、(ロンパースを着せた時みたいに)恵美ちゃんの背中にまわりこむと、後ろから恵美ちゃんの体を抱くみたいな格好で哺乳壜をいっそう強く押しつける。
 どくん……どくん……。
 背中から英子さんの鼓動が伝わってくるのを感じた恵美ちゃん、自分でも意識しないまま唇を半分ほどおずおずと開けちゃう。口の中に入ってくるぷにぷにした乳首の感触。
 どくん……どくん……。
 口の中へ流れこんでくる温かいミルクの感触。そうして、ふんわりと広がるほのかに甘い香り。
 どくん……どくん……。
 いつのまにか恵美ちゃん、むしゃぶりつくみたいにしてゴムの乳首を吸ってた。唇の端からつっとこぼれ落ちるミルクの雫。


 しばらくすると、哺乳壜は半分ほど空になってた。
「あ…ん」
 哺乳壜の乳首を舌で押し出しながら、恵美ちゃんがちょっとむがずるみたいに体をもぞもぞさせた。
「どうかしたの、恵美ちゃん?」
 哺乳壜を持ってる手の力を少し緩めて英子さん、あやすみたいな口調で。
「……おしっこ……」
 ゴムの乳首をのろのろと吐き出した恵美ちゃん、とろんとした目を英子さんに向けて囁くみたいに。
「出ちゃったの?」
 英子さんの穏やかな声。優しくちょっぴり笑ってるみたい。
「ううん、まだ。……でも、もう出ちゃいそうなの」
 恵美ちゃんの声、なんとなく小鳥のさえずりを思いおこさせる。
「あらあら、お目醒めのオモラシからまだ一時間くらいしか経ってないのにね。ちゃんと出ちゃわなかったのかしら? でもいいのよ、このままで。恵美ちゃんはオムツをあててるんだから、なにも心配しなくていいのよ」
 英子さん、オムツで膨れた恵美ちゃんのお尻をロンパースの上から優しく叩いてみせる。
「だって……」
 恵美ちゃん、英子さんの胸に顔を埋める。
「いいのよ、恵美ちゃん。だって恵美ちゃんは赤ちゃんなんだから、オムツを汚したって、ちっとも恥ずかしいことなんてないのよ。さ、残りのミルクを飲んじゃいましょうね。ミルクを飲みながらオムツの中にオシッコを出すといいわ」
 英子さんは左手で恵美ちゃんの顎を僅かに持ち上げるようにして、右手の哺乳壜をもう一度唇に寄せていった。
「あん…む……」
 恵美ちゃんが口にふくんだ哺乳壜の中にぶくぶくと小さな泡がたった。
 しばらくして、恵美ちゃんの内腿がぴくぴくと小さく震える。
 恵美ちゃんの股間から、小川のせせらぎに似た音が聞こえてくるように英子さんには思えた。
「いいのよ、それで。恵美ちゃんは赤ちゃんに戻ったんだもの、ミルクを飲みながらオムツを濡らしちゃっても少しもヘンじゃないわ」
 英子さんは右手で哺乳壜を支えてあげながら、左手の掌で恵美ちゃんのお腹をぽんぽんと叩き続ける。
「ママ……」
 哺乳壜を咥えたままの恵美ちゃんの唇が震え、甘えるみたいな小さな声が洩れてきた。




 それから数時間後、恵美ちゃんと英子さんの仲のいい姿が庭にあった。
 昨日シーツやパジャマがかかっていたロープがそのまま残っていて、今は、恵美ちゃんのベッドにかかっていたシーツが干してある。だけど昨日とはちがって、そのシーツには大きな世界地図が描かれたままだった(手抜きなのか、それともわざと英子さんがそうしたのかはわからないんだけどね)。そしてその横には、恵美ちゃんが朝ごはんのミルクを飲みながら汚しちゃったオムツと、ついさっき昼食の時に同じように濡らしちゃったオムツが(これは洗濯してあるみたい)風に揺れてる。
「ねえ恵美ちゃん、大きな庭のあるお家でよかったでしょ? これがマンションだったりしたら、恵美ちゃんのオシッコの跡が残ってるシーツもオムツも誰かに見られちゃうかもしれないけど、ベランダに干すしかないんだものね」
 芝生の上に花柄のレジャーシートを広げてその上に座り、恵美ちゃんに膝枕してあげてる英子さんが囁いた。
 穏やかな日差しの中、淡い影がゆらりと揺れる。
「うん」
 恵美ちゃんは、英子さんの顔を眩しそうに見上げて頷いた。
「どうしても庭のあるお家がいいってパパが単身赴任までしてこの庭を守ってくれたおかげなのよ。わかってあげられるわね?」
「う…ん……」
 今度は恵美ちゃん、ちょっとためらいがち。
 そんな恵美ちゃんの胸の内を英子さんはよーくわかってた。一番甘えたい年頃の時にパパと離れ離れにならなきゃいけなくなったのはみんなこの庭のせいだって恵美ちゃんはずっと思いながら育ってきたんだ。恵美ちゃんや英子さんと一緒の生活よりも単身赴任をパパが選んだのは、この庭を他の人の手に渡したくないからだって。だから恵美ちゃん、心の中じゃ、この庭のことをすごく憎んでた。そうして、パパのことも同じように。
 だけど、今。その庭が恵美ちゃんのことを守ってくれてるんだよね。大きな滲みの付いたシーツや、中学生にもなってオモラシで汚しちゃったオムツ。そういった、なんて説明したらいいのかわからない恥ずかしい物を他人の目から隠してくれてる広い庭。汚れたシーツや風に揺らめくオムツをかけるロープのために枝を差し出してくれてる大きな樹。もしもこの庭がなかったら……。
 恵美ちゃんはちょっとはにかんだような表情を浮かべた後、もう一度大きく頷いてみせた。
「そう、よかったわ。恵美ちゃんがわかってくれて、パパもきっと喜ぶわよ。──さ、オムツは大丈夫かな?」
 顔をほころばせた英子さん、ロンパースのボタンを一つだけ外すと、その隙間から手を差し入れてオムツカバーの中の様子を探ってみる。そうして、わざと驚いたような声で言ったんだ。
「あらあら、もう濡れちゃってる。さっきオムツを取り替えてあげたばかりなのに。ほんと、おシモの緩い赤ちゃんなんだから」
 オムツカバーからそっと手を抜いた英子さん、にこにこ笑いながら恵美ちゃんのロンパースのボタンをみんな外し始めた。もちろん、ぐっしょり濡れちゃってるオムツを取り替えてあげるために。


 英子さんに足首を高く持ち上げたられた恵美ちゃんのほっぺを涼やかな風がそっと撫でるように通り過ぎて行った。
 それは、一番幸福だった時間がもういちど訪れようとしていることを教えてくれる優しいメッセージだったのかもしれないね。



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