ベビー&ベビー


 広い家が、がらんとしていた。
 ついさっきまで聞こえていた美鈴の甲高い笑い声も、今はもう聞こえない。おとなしくお昼寝というところだろう。
 蓉子はベッドから床におり立つと、う〜んと背伸びをして、どことなく気怠い表情で寝室を出た。
「あら、目が覚めた?」
 冷たい水が飲みたくなってキッチンの方へ歩き出した途端、廊下の途中にあるリビングルームから声が飛んできた。
 その声につられるみたいにしてリビングルームを覗きこむと、床に腰をおろして洗濯物をたたんでいる美也子の姿があった。その傍らには、お腹にタオルケットをかけた美鈴がすやすやと小さな寝息をたてている。
「気分はどう?」
 蓉子と目が会った美也子は、少し心配そうに訊いた。
「うん、まあ……」
 蓉子は曖昧に応えた。
「そう、よかった。――お腹、すいてるんじゃない?」
 洗濯物をたたむ手を止めて、美也子が更に訊いた。
「んーと、お腹はあまりすいてないみたいだけど……」
 自分でも食欲があるのかないのかわからなくて、右手の掌をそっとお腹に押し当てて自信なさそうに蓉子は言った。
「ま、仕方ないわね。あんなに酔ってたんだから」
 やれやれとでも言うように、美也子は軽く首を振ってみせた。



 内田蓉子と根岸美也子は、高校、大学を通じた友人だ。高校の入学式で初めて会った時から妙に気が合って、何をするにもいつも一緒だった。
 ただ、大学を卒業した後の二人の進路はかなり違ってしまった。蓉子はさほど大きくない商社に就職したのだが、美也子の方は、学生時代にアルバイト先で知り合った男性と、大学を卒業するのと同時に結婚してしまったのだった。おかげで美也子は、二十三歳の若さで、もう一児の母親になっていた。それが、美也子の隣ですやすやと昼寝をしている美鈴だ。それでも妙に気の合う二人のこと、進路が別れた後も蓉子は何かといっては美也子の家に遊びに来ることが少なくなかった。
 しかし昨夜の蓉子は、いつもと比べて随分と様子が違っていた。会社内の人間関係や給料の金額を愚痴ってみたりということはそれまでも無くもなかったのだが、昨夜は、妙にくどい愚痴をこぼしてみせた蓉子だった。そのことが気になって、とっておきのワインを勧めながら美也子はそれとなく蓉子に事情を訊いてみた。
 それでわかったのが、どうやら蓉子が直属の上司から幾度となくセクハラを受けているらしいということだった。さして大きくない会社で女子社員があまり多くないところに若い蓉子が入ったために関心を惹いたということもあって、その上司にしてみれば冗談半分のつもりでいろいろ言ってみたり軽く体に触れるだけなのかもしれないが、蓉子にとっては、それは耐え難い仕打ちだった。そして、遂に昨日、その上司を殴ってしまったというのだ。もっとも、拳骨で殴ったという物騒な話ではなく頬を平手打ちにしただけなのだが、学生時代ならともかく、会社の中でそんなことをすればどんな結果を招くかは、就職経験のない美也子にも充分に想像できた。
 そんなわけで、胸の中に抱えこんだどうしようもなくもやもやした気持ちを慰めてもらいたくなって、美也子の家を訪れた蓉子だった。そして蓉子は、あまり飲める方でもないのに、美也子がテーブルに置いたワインをヤケ酒のようにあおって、男なんて大嫌いだ〜と大声で喚きながら見事に酔いつぶれてしまったのだった。



「二日酔には温かいミルクがいいらしいんだけど、ちょうど買い置きを私が今朝飲んじゃったところなのよ。買ってこようか?」
 お腹に掌を当てたまま廊下に立っている蓉子に、美也子が少し考えて言った。
「いいわよ、わざわざ買ってこなくても。お水を飲めばいいんだから」
 蓉子は軽く首を振って、台所に向かって歩き出した。
「あ、ちょっと待って。ミルクの代わりにいい物があるわ」
 何かを思いついたように、美也子が蓉子を呼び止めた。
 足を止めて振り返った蓉子の目に、どことなく悪戯っぽい表情を浮かべた美也子の顔が映った。
「いい物?」
 蓉子はゆっくり体の向きを変えると、なんとなく訳のわからないというような顔でリビングルームに足を踏み入れた。
「そうよ。温かいミルクよりも、もっとずっと体にいい飲み物」
 どういうわけか美也子はくすっと笑うと、自分が着ているサマーセーターをはだけた。
「何してるのよ、美也子ったら」
 蓉子は思わず呆れた声で訊いてしまった。
 けれど美也子はそれ以上何も言わずに、今度は、ベージュ色のブラジャーのフロントホックを外してしまった。張りのある乳房がぽろりとこぼれ出る。
「……何のつもり?」
 蓉子はその場に立ちすくんだまま、きょとんとした顔になる。
「もっと顔を近づけて見てちょうだい。乳首の先、なにか気づかない?」
 自分の手で乳房を持ち上げて蓉子に見せつけるようにしながら、美也子は意味ありげにうっすら笑った。
「乳首の先?」
 言われるまま、蓉子はそっと腰をかがめて美也子の乳首を覗きこんだ。そして、じきに驚いたような顔をすると、もう一度目を凝らしてじっと見つめた。
「あ、これ……」
「うふふ。そうよ、母乳よ。美鈴はもうおっぱいを卒業して離乳食になってるわ。だから本当なら母乳もそろそろ止まる筈なんだけど、一番多い時と同じくらい出てきちゃうの。搾って捨ててるんだけど、なんとなくイヤなのよね、せっかくのおっぱいを捨てちゃうのって。――蓉子、吸ってみない?」
 美也子の言う通り、乳首の先からは淡く白い液体がうっすら滲み出ていた。ホックを外したばかりのブラも、おそらく、内側に母乳を吸収するパッドを入れた物なのだろう。
「なに言ってるのよ、美也子。冗談はやめてよね」
 なぜとはなしに頬を赤くして、蓉子は慌てて視線を乳首からそらした。
「あら、冗談なんかじゃないわよ。牛のおっぱいよりも人間のおっぱいの方が体にいいんだから。それに……」
 美也子は少しだけ間を置いて、面白そうに蓉子の赤い顔を見上げた。
「……大学の時のこと、忘れちゃった?」
「大学の時って……あっ」
 ただでさえ赤かった蓉子の頬がますます赤くなった。
「思い出したみたいね?」
「……思い出したわよ。思い出したけど、あれは熱のせいで……」
 美也子と目を合わすこともできないとでもいうみたいに、蓉子は俯いてしまった。
「いいのよ、そんな言い訳なんてしなくても。さ、いらっしゃい」
 くすくす笑いながら、美也子は悪戯っぽい声で言った。そうして返事も待たずに、蓉子の顔を抱えこむようにして自分の胸に押しつけてしまう。
「むぐ……」
 強引に頭を抱きかかえられて床に膝をつき、唇を美也子の乳房に塞がれて美也子は言葉を失った。



 それは、蓉子と美也子が大学の二年生になる前の春休みのことだった。
 もう三月も下旬に入ったというのに、二日ほどから真冬に戻ったような寒波が押し寄せていた。季節外れの雪が舞って、木枯らしみたいな風が吹き荒れる日だった。
 どこかへ出かける気にもならず、美也子が一人で炬燵に入ってぼんやりテレビを観ていると、電話が鳴り出した。炬燵から出るのも億劫でそのままにしていると、台所にいる母親が電話に出たのだろう、呼出し音は四回ほど鳴った後で静かになった。
 それから、今度は内線のランプが点灯して再び呼出し音が聞こえた。
「はい?」
 美也子がやっとのことで受話器を持ち上げた。
『内田さんからお電話よ。なんだか、すごく急いでるみたい。――泣きそうな声だったけど、何かあったのかしら』
 受話器からは、母親の心配そうな声が聞こえてきた。
 美也子は母親に返事もせずに外線に切り換えた。
「もしもし、蓉子? どうかしたの?」
 なんとなく不安にかられて、美也子は受話器に向かって怒鳴るような声を出した。
『……あ、美也子? 私、もうダメかもしれない。すぐに来てよぉ……」
 受話器からは、母親が言ったように今にも泣き出しそうな蓉子の声が流れてきた。泣き出しそうというか、ぜいぜい喘いでいるようにも聞こえる。
「どうしたのよ、蓉子。いったい何があったの?」
 美也子はついつい大声で怒鳴ってしまう。
『……風邪だと思うんだけど、昨夜からすごい熱が出てベッドから動けないの。お布団にもぐりこんでも体がぞくぞくして……お願いだから、薬を買ってきて……』
 不意に電話が切れてしまった。美也子に電話をかけてそれだけを伝えるのが精一杯だったにちがいない。

 美也子が蓉子のマンションに着いたのは、それから三十分後だった。ノブを廻してみると、鍵もかけていないようで、ドアがすんなり開いた。
 学生が一人暮らしをするには贅沢な、三LDKの部屋だった。駅前の薬局で買ってきた薬の袋を手に提げて、美也子はドアをロックしてから廊下に上がった。
 何度も遊びに来たことのある部屋のこと、美也子は迷いもせずに、蓉子が寝室に使っている室の前に立った。
「入るわよ、蓉子」
 コンコンと形ばかりのノックをしてから美也子が声をかけた。
「……待ってたわ。鍵はかかってないから入ってきて」
 ドア越しに、蓉子の声が弱々しく返ってきた。
 カチャリとノブを廻してドアを開くと、頭の先までベッドにもぐりこんだ蓉子の姿があった。
 美也子は足音をしのばせて寝室に入ると、掛布団をそっとまくり上げてみた。布団の下から現れた蓉子の顔は、血の気が退いたように真っ蒼だった。
「大丈夫なの、蓉子?」
 美也子は慌てて蓉子の額に手の甲を押し当ててみた。体温計で計ってみるまでもないひどい熱だった。
「寒い、寒いよぉ……」
 自分の腕で自分の体を抱きしめるようにして、蓉子はがたがた震えている。
「ちょっとだけ待っててよ。すぐに楽になるからね」
 そう言って、美也子は掛布団を元に戻した。それから、急いでベッドの周りを移動して蓉子のお尻がある辺りで立ち止まると、今度は、掛け布団を少しだけずらした。ゆったりしたフレアパンツに包まれた下半身が現れた。
「……何をしてるの?」
 布団からもぞもぞと顔だけを出して、不安そうな声で蓉子が言った。
「お薬を入れるのよ。少しの間、おとなしくしててね」
 美也子はそう応えると、蓉子が穿いているフレアパンツをさっと引きおろした。
「待ってよ、美也子。お薬って、いったい何のお薬なのよ?」
 蓉子は両脚をばたつかせながら、慌てたような早口で言った。
「解熱剤よ。座薬になってる解熱剤」
 こともなげにそう応えて、美也子は、じたばた暴れまわる蓉子の足首をつかんだ。
「やだ、やだってば。解熱剤なら口から飲むのがいいよ。座薬はやだってば」
 熱のせいで力が入らず、簡単に足首をつかまれてしまった蓉子がのろのろと首を振った。真っ蒼だった顔が、恥ずかしさのためか、ほんのり赤くなっている。
「だめよ。かなり熱が高そうだって薬局の人に言ったら、これがいいよって勧めてくれたんだから」
「でも、でも……あん……」
 それでもまだ抵抗しようとする蓉子が、不意に呻き声を洩らした。お尻が見えるように蓉子の足首を高く持ち上げたまま、美也子が左手で座薬を半ば強引に押し込んだからだ。
「もう少し力を抜いて――そうよ、そのままじっとして」
 美也子は蓉子のお尻に顔を寄せてじっと覗きこむようにしながら、左手をじわりと動かした。
「む……あん……」
 それまで先の方が少しだけ見えていた白い座薬が、すっかり蓉子の体の中に隠れた。
「これでいいわ。すぐ楽になるからね」
 高く持ち上げていた足首を優しく敷布団の上に戻し、膝の上までずらしたフレアパンツをそっと引き上げてやりながら、美也子は聶くように言った。
「うん……」
 苦しさのためか、それとも恥ずかしさのためなのか、僅かに瞳を潤ませて蓉子は小さく頷いた。
「……でも、まだ寒いよ。とっても寒いよぉ……」
 ベッドの中で、蓉子の体はがたがた震え続けた。解熱剤が利いてくるまで、あと十五分くらいかかるだろうか。
 美也子は深く息を吸い込むと、カシミアのセーターと、ざっくりした綿のシャツをさっと脱ぎ捨てた。そして、淡いレモン色のブラジャーも。それから美也子は静かに掛布団をたくし上げて、頼りなげに体を丸めて震え続ける蓉子の隣に体を滑り込ませた。
「蓉子、こっちへおいで。私が温めてあげるから」
 美也子は両腕を伸ばして蓉子の体を抱きしめた。
 その途端、まるで何かに怯えてでもいるかのようにぶるぶる震えていた蓉子が、おずおずと体をすり寄せてくる。美也子の腕の中に、小柄で華奢な蓉子の体はすっぽりと包みこまれるように引き寄せられてしまった。
「まだ寒い?」
 蓉子の熱い体をすぐ側に感じながら、美也子はそっと訊いた。
「少しだけ……」
 母親の大きな体にすがりついてやっと安心する子供のように、蓉子は、熱い頬を美也子の胸元に押し当てた。そして、微かに照れたような声でぽつりと言った。
「……美也子のおっぱい、ぷりんとしてるんだね」
「風邪をひいて、ママのおっぱいが恋しくなった?」
 美也子は冗談めかして言ってみた。
 蓉子の父親は大手の銀行に勤めているため、転勤することも少なくない。実際、蓉子は小学校から中学校を通じて転校を五回も経験している。ところが蓉子が高校に入ると、義務教育とは違って転校することが難しくなり、父親は単身赴任を決意せざるをえなくなった。そうして三年間は母親と蓉子の二人暮らしだったのが、蓉子が大学に進むと、母親も父親の住む街へ行ってしまったのだった。もう蓉子は大人ですものねという言葉と、学生が一人で暮らすには贅沢なマンションとを残して。二人はどうやら、新しい街で第二の新婚生活を楽しんでいるらしいわ。大事な一人娘のことをほっぽって――時おり蓉子が呆れた顔でそう言うのを、美也子は何度も耳にしたことがあった。
「ちがうわよ、そんな……」
 慌てて蓉子は小さく首を振った。
 蓉子の柔らかい頬が乳房を心地よくくすぐる感触。
「いいから、いらっしゃい」
 美津子は改めて両腕に力を入れた。
 蓉子がおずおずと唇を寄せる気配が伝わってきた。そうして、蓉子の唇が乳首をふくむ感覚。
 美津子の腕の中で、蓉子は、がんぜない子供のように見えた。熱にうなされるまま、美津子に頼りきることでようやく安心したようにそっと瞼を閉じる蓉子。
 しばらくして解熱剤が利いてきたのか、美津子の乳首を口にふくんだまま、蓉子はすやすやと小さな寝息をたて始めた。



「いいわよ、蓉子。あの時みたいにたっぷり吸ってちょうだい」
 そう言う美也子の胸に顔を埋めたまま、蓉子は弱々しく首を振った。
「うふふ、遠慮なんてしなくていいのよ。あの時の蓉子、とても可愛いかったわ。今でも、私のおっぱいを吸いながら眠ってた蓉子の顔、はっきり思い出せるわ」
 美也子は蓉子の頬を両手で挟みこんだまま、静かに床に倒れこんだ。もちろん蓉子も、美也子の乳房に顔を押しつけたまま床に倒れてしまう。
 蓉子の唇に、あの時の感触がぼんやり甦ってきた。
 蓉子の心から、それ以上抵抗する気が次第に薄れてくる。
 気がつくと、口の中一杯に、これまでに味わったことのない、少し生臭いような匂いが広がっていた。
「そうよ。それでいいのよ、蓉子。私のおっぱい、おいしいでしょ?」
 それまで蓉子の顔を抱えこんでいた腕をそろっと床に伸ばして、まるで無防備な姿勢をとった美津子が穏やかな声で言った。
 母乳というのは、おいしいというようなものではない。味は薄くて、どことなく青臭いような匂いがして、飲み慣れた牛乳の方がよほど飲みやすいものだ。なのに、床に伸びた美也子の腕に頭を載せて、自分から美也子の体に抱きつくみたいにして、とどまることなく溢れ出す母乳を貪るように吸い続ける蓉子だった。
「不思議なものね……」
 自分の乳房にむしゃぶりつく蓉子の髪をそっと撫でつけながら、誰に言うともなく美也子が呟いた。
「……私、おっぱいが敏感なのよ。だから、ダンナにおっぱいをいじられるととても感じちゃうの。でも、美鈴におっぱいをあげる時にはなんともなかったわ。もっとも、子供におっぱいをあげる度に感じちゃう母親はいないんでしょうけどね。――なのに、蓉子におっぱいを吸われても、あまり感じないわ。ほんと、不思議ね」
 たしかに、不思議な感覚だった。二十歳を超えた女性が二人体を絡めて、一人がもう一人の乳首を吸っているその光景は、レズっているとしか見えないだろう。なのに、そういった淫靡な感覚は一切なかった。美也子の胸の中に充ちてくるのは、美鈴に母乳を与えていた頃に味わったような、穏やかな満足感だったのだから。
 蓉子の方も、なぜ自分が美也子の乳首を吸い続けているのかわからなかった。熱を出して唸っていた時も、なぜ自分が同性の胸に顔を埋めたまま眠りについたのか憶えていない。ただ、奇妙な安心感を覚えて――そう、今も、口の中に広がる匂いが妙に甘酸っぱく懐かしく思えるものの、だからといって、どうしてこんなに何かに魅せられたように唇を動かしてしまうのか……。

 蓉子は、心地良く冷房の利いた室の大きなガラス戸越しに差し込んでくる昼下がりの太陽の光にぬくぬくと包まれて、そっと瞼を閉じた。昨夜の酔いと疲れがまだ抜けきっていないのかもしれない。
 いつしか、安らかな寝息が美也子の耳に届き始める。蓉子は美也子の乳首を口にふくんだまま、すぐ横ですやすや眠る美鈴と姉妹のように、まるで安心しきった顔で眠りについていた。
 僅かに開いた唇の端から、つっと一条の筋になって白い母乳が流れ落ちた。
「あらあら、蓉子ったら……」
 美也子はそんな蓉子の様子に目を細めると、蓉子の頭をそっと床におろして、たたみ終えたばかりの洗濯物の山に手を伸ばした。
 美也子がつかみ上げたのは、白いレースで縁取りされたレモン色のよだれかけだった。美也子はよだれかけの端で蓉子の唇から顎先をそっとぬぐってから、蓉子の頬と床との間に、そのよだれかけを静かに広げた。
 美鈴のよだれかけに頬を載せて安らかに眠っている蓉子の体にタオルケットをかけてから、自分のブラとサマーセーターの乱れを直して、美也子はそっと立ち上がった。
 足元で二人仲良く眠っている蓉子と美鈴は、まるで年齢も体格もちがうのに、どことなく双子めいた印象を漂わせているように美也子には思えた。美也子は二人の寝顔を見比べると、何か悪戯でも思いついたみたいにくすっと笑って、リビングルームから廊下へ足を踏み出した。



 口の周りのなんとなくねとっとした感触を不審に思いながら、蓉子はぼんやりと目を開けた。部屋の中に差し込む太陽の光が随分と低く赤くなっていた。どうやら、夕方近くまで眠りこんでしまったようだ。
 蓉子は唇の端を手の甲で拭ってみた。どこかべとべとした感覚が伝わってくる。顔を上げようとして掌を床につくと、今度は、柔らかな布地に触れた。
 なんだろ、これ? のろのろと上半身を起こした蓉子は、その布地に目を向けた。淡いレモン色の生地でできていて、小さな白いフリルで縁取りしてあって、丈夫そうな細い紐が縫い付けてある。
 え、これって。一目でそれがよだれかけだとわかって、見るまに蓉子の頬が赤くなった。しかも、そのよだれかけの真ん中あたりが淡いシミになっていた。
 やだ、私ったら。蓉子は、美也子の胸に顔を埋めたまま眠りこんでしまい、唇の端から母乳をよだれかけの上に滴らせていただろう自分の姿をふと思い浮かべてみた。ひどく恥ずかしい姿だった。蓉子は、手にしたよだれかけを思わずくしゃくしゃに丸めてタオルケットの下に押し込んでしまった。そんなことをしても何がどうなるわけでもないけれど、それが目の前にある間は自分の恥ずかしい姿がいつまでも頭にこびりついて離れないように思えたから。
 不意に、美鈴の泣き声が聞こえてきた。
 蓉子が少し乱暴にタオルケットを動かしたせいで美鈴が目を覚ましてしまったのかもしれない。
 しまったと思った時にはもう遅かった。最初はひっくひっくと何かを探るような小さな泣き声だったのが、その後は、まるで遠慮のない、それこそ室内の空気を震わせるような泣き声をあげて泣き続ける美鈴だった。
 蓉子は思わず室内をきょろきょろ見回した。けれど、美也子の姿はなかった。
 母親の手の温もりを求めるように、美鈴はますます声を張り上げる。
 台所で夕食の準備をしているにしてもこれだけの声なら聞こえる筈なのに……蓉子は美也子がどこにいるのか不審がりながら、ぎこちない手つきで美鈴の柔らかい体をそっと抱き上げた。美鈴が生まれてすぐの時にもおそるおそる抱いたこともあったし、今から3ケ月ほど前に遊びにきた時にも抱いたことはある。その頃に比べれば首も座っているし体もしっかりして、子供を抱き慣れているとは決していえない蓉子でも、床から抱き上げる時にもさして不安は感じずにすんだ。
 だが、母親を求めて美鈴は泣き続けるばかりだった。小さな体を抱いた手を軽く揺すってみても、美鈴の枕元に置いてあったガラガラを振ってみせても、美鈴は顔中を口にして泣き喚いている。
 いつまでも泣きやまない美鈴に、蓉子の方が泣き出したくなってきた。
 美鈴を抱いたまま、蓉子は廊下に出た。
 一戸建の家とはいっても町中のことだ、さほど広いわけではない。部屋数もしれている。なのに、どこを探しても美也子の姿は見当らなかった。念のためにと思って覗いてみたトイレも空だった。
 どこへ行っちゃったんだろう? いつまで泣いても母親の手に触れられない不安にかられて、美鈴は蓉子の腕の中で泣き続けている。そんな美鈴の気持ちが伝染するのか、蓉子の方もだんだんと不安になってくる。
「泣きやんでちょうだいよ、美鈴ちゃん。ね、ママはすぐに帰ってくるから、もう泣かないで」
 蓉子は美鈴の顔を覗きこんで、まるで自分に言い聞かせるように言葉をかけた。
 けれど、美鈴が泣きやみそうな気配はなかった。



 結局、美鈴が笑顔を取り戻したのは、それから二十分ほどして美也子が大きな紙袋を提げて帰ってきてからだった。
 玄関のドアを開けた美也子の姿を目にした途端、美鈴は両手を伸ばして美也子にしがみつき、それまでの火のついたような泣き声が嘘みたいにおとなしくなってしまった。
「よかったぁ。どうなるかと思ったのよ」
 腕の中の美鈴を美也子に手渡しながら、ほっとしたような声で蓉子は言った。
「ごめんなさいね。二人ともあんまり気持ち良さそうに眠ってたから、起こしちゃいけないと思って黙ってお買い物に行ったのよ。でも、蓉子があやしてくれてよかったわ」
 にこやかな声で美也子が応えた。
「ううん、私なんて、てんでダメ。小さな子の相手をするのがこんなに難しいとは思わなかった」
 少し照れたみたいに、蓉子はぽつりと言った。
「仕方ないわよ。育児の経験があるわけじゃないんだもの」
 紙袋を廊下に置いて美鈴の体を受け取った美也子は、美鈴の短いスカートをそっとたくし上げると、おむつカバーの中に右手を差し入れてクスッと笑った。
「あら、やっぱり。いくら蓉子があやしてくれても泣きやまないわよ、これじゃ」
 言われても、なんとなく要領を得ない顔になってしまう蓉子。
「おむつが濡れちゃってるのよ、美鈴は。私が側にいなかったせいもあるけど、泣き続けていたのはお尻が気持ち悪かったのよ、きっと」
 美也子は目を細めて言った。
「あ、そうだったの? 私、ちっとも気づいてあげられなくて……」
 蓉子は申し訳なさそうに言った。
「だから、仕方ないってば。気にすることなんてないのよ」
「でも、美鈴ちゃんに可哀相なことしちゃった……」
「やれやれ、気にしすぎよ。――でも、どうしても気になるのなら、美鈴をお風呂に入れてやってくれる?」
「お風呂?」
「うん。まだ早いんだけど、どうせおむつを外すんだしね。美鈴ったら、夕食を食べながらうとうとしちゃうこともあるから、今のうちにお風呂に入れておいた方がいいのよ」
 美也子は美鈴の体を抱え直すと、一度は廊下におろした荷物を再び手にした。
「あ、いいわよ。荷物は私が持つから。――でも、もうお風呂わいてるの?」
 美也子の手から荷物を受け取って、蓉子が先に歩き出した。
「うん、すぐよ。太陽熱を利用する湯沸かし器を使ってるから。ダンナの会社の関係で安くしてもらったの」
 美鈴をあやしながら、美也子は蓉子の後ろ姿に向かって言った。
「そう言えば、ご主人は? 昨夜も会ってないんだけど」
 急に思い出したように足を止めて、蓉子が振り返った。
「何度も言った筈よ。見本市に出張で、一週間ほど帰ってこないって」
 呆れたような声で美也子が応えた。
「あ、そうだったっけ。なんせ酔ってたから……」
 あはは――と照れ隠しに笑ってみせながら、蓉子は再び歩き始めた。
「そんなに酔わなきゃいけないほど、会社でのことがつらかったわけ? でも、飲み過ぎには気をつけなきゃね」
 気遣わしげな視線を蓉子の背中に向けて、美也子がぽつりと言った。
 蓉子は何も言わずに力なく頷いた。



 ほんのり色づいた体からゆらゆらと立ち昇る淡い湯気が、蛍光灯の光の中で揺れていた。蓉子は手早く自分の体にバスタオルを巻き付けると、フロアマットの上にちょこんと座っている美鈴を抱き上げた。
 母親から離れて蓉子の手でお風呂に入れられた時にはさすがに不安がって今にも泣き出しそうにしていた美鈴も、温かい湯の中に浮くみたいにして体を伸ばし、バスマットの上に座って優しく体を洗ってもらっているうちに次第に打ち解けてきたようで、脱衣場で蓉子が抱き上げた時には少しもぐずる様子もみせず、にこやかな笑顔をつくるようになっていた。
「あがるわよ、美也子」
 蓉子は脱衣場のドアを右に滑らせて少し大きな声を出した。
「いいわよ、蓉子。リビングルームまで来てちょうだい」
 廊下の向こうから美也子の声が聞こえてきた。
 蓉子は美鈴の体を抱き直すと、脱衣場からリビングルームに向かって歩き出した。すっかりなついてしまった美鈴が、まるでしがみつくみたいに蓉子の体に抱きついてくる。蓉子は、はにかんだような表情を浮かべて目を細めた。

 リビングルームでは、美也子が湯あがりの準備を終えて二人を待っていた。
「ご苦労様。すっかり仲良しになったみたいね」
 あらかじめ開けておいたドアから部屋に入ってきた二人の様子を見て、美也子が嬉しそうに言った。
「そうよ。もうすっかりお友達だもんね、美鈴ちゃん」
 蓉子は美鈴の頬を人差指でちょんとつついて言った。
「よかったわね、美鈴、優しいおねえさんができて」
 美也子はそっと蓉子の手から美鈴を受け取りながら穏やかな声で言った。そうして、いたわるような目を蓉子の顔に向けた。
「ダンナもいないことだし、当分ここにいればいいわ。どうせ、会社へ行く気はないんでしょ? かといって、一人でマンションにいても暗くなるだけよ」
「……いいの?」
 蓉子はぽつりと言った。
「私は大歓迎よ。もちろん、美鈴もね」
 美也子はにっと笑ってみせた。それにつられるように、美鈴もあどけない笑みを蓉子に向けた。
「それじゃ、何日間かお世話になろうかな」
 蓉子は美鈴に微笑み返した。
「それがいいわ。お客様扱いはしないから、蓉子も遠慮なんてしないでね。――さて、そうと決まれば、早速だけど手伝ってほしいことがあるんだけど、いい?」
 美也子は、床に広げた大振りのタオルの上に美鈴を座らせながら言った。
「うん、なに?」
 蓉子は気軽に応えた。
「パジャマを着せる間、美鈴の体を押さえておいてほしいのよ。最近、裸のままでいるのが好きになったのか、何か着せようとすると暴れるようになっちゃって……」
 美也子は、少し困った顔で言った。
 もともと、子供は裸でいるのが好きだ。何か着せられると窮屈でしかたないから、お風呂の後にパジャマを着せようとしても、それを嫌がるのは不思議でもなんでもない。生まれたての頃はまだ親に抵抗できないからおとなしくしているものの、生後半年くらいになると、着る物を見ただけでイヤイヤをしてみせるようになることも珍しくない。
「いいわよ。――少しの間だけおとなしくしてようね、美鈴ちゃん」
 蓉子は軽く頷くと、タオルの上に座った美鈴の体を背中から両手で支えた。
 当の美鈴は、どことなくきょとんとした顔で背後の蓉子と美也子を見比べた後、美也子が持ち上げた小さな洋服を見た途端、ぷっと頬を膨らませて両手を振りまわした。それが、まだ言葉が自由でない美鈴の抵抗の身振りだということは蓉子にもすぐにわかった。
 慌てて蓉子が美鈴の肩を押さえると、美鈴は不満そうに唇を鳴らして上半身を左右にくねらせた。
「あ、だめよ、美鈴ちゃん」
 思わず、蓉子の手に力が入った。
 途端に、美鈴が大声で泣き始める。
 蓉子は慌てて手を引っこめた。それでも、一度泣き始めた美鈴はなかなか泣きやみそうにない。
 蓉子の方がおろおろしてしまって、助けを求めるみたいな目で美也子の顔を見た。
「あらあら、困ったわね。ほんとに強情なんだから、美鈴は」
 美也子は僅かに肩をすくめてみせた。
「どうしよう、美也子?」
 子育ての経験なんてない蓉子は、美鈴の泣き声にますますうろたえてしまう。
 美鈴の体におそるおそる両手を伸ばしては、その手をさっと引っこめる蓉子の様子を面白そうに眺めながら、美也子は傍らの紙袋を引き寄せた。買い物に出かけていた美也子が持って帰ってきた袋だった。
「こうなったら力ずくじゃ泣きやまないわよ。方法を変えましょ」
 紙袋から何かを取り出しながら、美也子が言った。
「方法を変える?」
「うん、そう。最近、美鈴ったら、近くにいる人の真似をするようになってきたのよ。もちろん、まだ小っちゃいからちゃんと動けるわけじゃないんだけど、それでも、誰かが何かすると、それと同じことをしたがるの」
「……?」
「だから……」
 美也子が紙袋から取り出したのは、小さな女の子が好んで着るような、可愛らしいデザインのサマードレスだった。もっとも、ドレスとはいっても、ちゃんとしたドレスではない。背中の方から伸びた紐を胸元にボタンで留めて着るようになっている、ノースリーブの遊び着ふうのデザインに仕立てられた可愛いいサマードレスだ。
「……蓉子もタオルのままいないで着替えちゃいなさいよ。蓉子が着替えるのを見たら、きっと美鈴も真似をすると思うわ」
「着替えって……そのサマードレス?」
 戸惑ったような口調で蓉子が言った。
「そうよ。美鈴のサマードレスに似たのをわざわざ探してきたんだもの。少し柄は違うけどね」
 美也子はこともなげに応えた。
「え、でも……それって子供服でしょ? 私が着られるわけないわよ」
「大丈夫よ。160サイズのを探してきたんだもん、小柄な蓉子にはぴったりだと思うわ。それに、蓉子が着てた洋服は私が洗濯機に放りこんじゃったしね」
「それにしたって……」
 そりゃ、ひょっとしたらサイズは合うかもしれない。でも、そんなことじゃない。どうして、そんな子供が着るようなサマードレスを私が着なきゃいけないのよ。
「ほらほら、さっさと蓉子が着てくれなきゃ、美鈴だっておとなしくならないわよ。――着せてあげるから、早くタオルをとって」
 蓉子の気持ちなんかてんで無視して、美也子は有無を言わせない強い調子で言った。
 美鈴が泣きやまないと言われて、蓉子も咄嗟には言い返せない。
「う、うん……」
 美也子に圧倒されるみたいにいつの間にか返事をしてしまい、蓉子は床に膝をついておずおずとタオルの端に指をかけた。
 気がつくと泣き声が殆ど聞こえなくなって、美鈴がちょこんと首をかしげるようにして蓉子の方を見ていた。
 邪気のない美鈴の視線を浴びながら、蓉子は、体に巻き付けたタオルをそっと落とした。床に落ちたタオルがシワになって、蓉子の両膝にもたれかかるように広がった。
「それでいいわ。じゃ、両手を上げて」
 美也子は、美鈴に見せつけるようにサマードレスを両手でわざと大きく広げて蓉子の後ろにまわりこんだ。それから、蓉子が両手をおどおどした様子で小さく上げるのを待ちかねたように、サマードレスを頭の上からすっぽり被せてしまう。背中のファスナーが半分ほど開いたサマードレスの裾は、蓉子の肌の上を滑るようにふわりと落ちて行った。
 あまり大きくないけれど形の良いバストの上から首筋のちょっと下まで少し絞り込んだような形で広がる布地の隅に、花びらを型取った大きなボタンが縫い付けてあって、背中の方から伸びている幅の広いリボンのような紐を留めるようになっている。そのボタンを留めて背中のファスナーを締めればおしまいだった。
 ヒマワリだろうか、大きな花の絵がプリントされたサマードレスが蓉子の体をゆったりと覆った。
 けれど予想外に丈は短くて、床に膝をついて体を伸ばしている蓉子のお尻の丸みがかろうじて隠れるかどうかというところだった。よほど気をつけて歩いたとしても、ドレスの裾から下着が見えてしまうにちがいない。
「ちょっと、美也子。いくらなんでも、これじゃちょっと小さすぎるわよ」
 蓉子は盛んにドレスの裾を下の方に引っ張りながら顔を赤らめた。
「そうね、ちょっと小さかったみたいね。ま、いくら160サイズだっていっても子供服だもの、胸の膨らみなんて殆ど考えないで作ってあるのかもしれないわね。だから、その分、丈が短くなっちゃうのよ」
 困惑顔の蓉子とは対照的に、美也子は面白そうにくすくす笑って言った。
「でも、いいじゃない。そのサマードレスを着て外出するわけじゃなし、家の中だけだもの」
「そんなこと言ったって……。そ、それよりも、早く下着もちょうだいよ。このままじゃお尻のあたりがすーすーしちゃって……」
「さ、次は美鈴の番よ。おねえちゃんもちゃんとお洋服を着たんだから、美鈴もおとなしくできるわね」
 なおも言い募る蓉子の言葉を無視して、美也子は美鈴の洋服を持ち上げた。美也子が言ったように、それは、蓉子が身に着けたばかりのドレスと同じような作りのサマードレスだった。もっとも、赤ん坊が着る洋服ということで、幅に比べて丈の方がかなり短く縫製してあるため、どことなく丸っこい仕立てになっている。
 今度は、美鈴もおとなしくしていた。まだ言葉もわからない筈だけれど、なんとなく雰囲気を感じるのだろう、美也子が何か言う度ににこにこ笑ってこくんと頷いている。
「よかった。私が蓉子にサマードレスを着せるを見ていたおかげで私の言うとおりにしてるわ」
 美也子は蓉子に軽くウインクしてみせて、美鈴が着たサマードレスのファスナーを手早く引き上げた。それから、あらかじめ用意しておいたおむつとおむつカバーを手元に引き寄せて、あやすように美鈴に話しかける。
「はい、今度はおむつよ。すぐだから、もう少しだけおとなしくしててちょうだいね」
 その途端、それまでおとなしくしていた美鈴が再び不機嫌になった。美也子が引き寄せた布おむつの端をつかみ上げると、小さな掌で床に叩きつけるように振りまわし始める。
「だめよ、美鈴。こら、だめだってば」
 美也子が慌てて美鈴の手からおむつを取り返した。すると美鈴は、それまでおむつを持っていた自分の掌をじっと眺めてから、不意に蓉子の方に振り向いた。そうして、今は何も持っていない手を蓉子に向けて盛んに動かしてみせる。
「え、なに……?」
 まだちゃんと喋れなくてあーとかぶーとかいう声を出しながら盛んに手を振って話しかけてくる美鈴の様子に戸惑って、蓉子は助けを求めるように美也子の顔を見た。
「――わかった。そうね、さっきみたいにすればいいのね?」
 美也子の方もしばらく考えこんでいたが、すぐに目を細くして、確認するみたいに美鈴に囁きかけた。
「何がわかったの?」
 なんとなく不安げな面持ちになって、蓉子が尋ねた。
「簡単なことよ。美鈴はこう言ってるの――さっきみたいに、蓉子が先だって。蓉子の後なら、おとなしくするよって」
「私が先……?」
「そう、美鈴よりも先に蓉子なのよ」
 美也子はくすっと笑うと、今度は少しベージュがかったクリーム色の下着のような物を紙袋から取り出した。
「洋服を着たのは蓉子が先だったわね。だから、おむつも蓉子が先だって美鈴は言ってるのよ」
「ちょっと待ってよ、美也子。おむつも私が先ってどういうことよ? ――え、それって……」
 信じられない物を見たように、蓉子は大きな目をぱちくりさせた。
「そう、おむつカバーよ。美鈴のじゃなくて、蓉子のおむつカバー。駅前の子供服専門店の二軒隣に大きな薬局があるの、蓉子も知ってるでしょ? そこで買ってきたのよ」
 美也子はおむつカバーを静かに床の上に広げた。
「……」
 大きく目を見開いたまま、蓉子は黙りこんでしまった。
 そんな蓉子にはおかまいなしに、美也子は大きなおむつカバーの上に布おむつを一枚ずつ丁寧に広げてはそっと重ねていった。もちろん、美鈴が使っているおむつだ。
 美也子が蓉子のおむつの用意を始めると、なんとなく満足したような表情で美鈴が静かになった。
「さ、できた。いいわよ、蓉子。ちょっとこの上にお尻をおろしてちょうだい」
 美鈴のおむつのすぐ横に準備を終えたばかりのもう一組のおむつを並べると、そのおむつをぽんと軽く叩いて美也子が言った。
「……冗談でしょう?」
 思わず身を退きながら、蓉子は微かに首を振った。
「何を言ってるのよ。蓉子がおとなしくおむつをあてさせてくれたら美鈴だって素直に言うことを聞くのに。――それとも、美鈴をこのままにしておいて風邪をひいてもいいって言うの?」
「そんな……」
「そんな――じゃないわよ。早くなさい」
 美也子はもう一度おむつを叩いた。
 その真似をして、美也子が叩いたところを美鈴が同じようにぽんと叩く。
「だって……」
 それでも蓉子は、その場から動こうとしない。
「いいかげんになさいよ、蓉子。いつまでそんなふうにぐずぐずしてるつもりなの」
 強い口調で美也子がぴしゃりと言った。
 それは、だけど、本当なら美鈴に向かって言えばいいことだ。それなのに美也子ったら、おむつを嫌がって暴れる美鈴にはそう言わないで蓉子にきつく言う。ふとそう思ったものの、それを口にすることもなく、気がつけば蓉子はのろのろと動き始めていた。
 学生時代からそうだった。同じ学年で誕生日もさほど離れていないのに、初めて会った時から、どういうわけか蓉子は美也子の言うままになることが少なくなかった。嫌々というふうでもなく、なぜか美也子の言うことに逆らうことができなくなってしまうのだった。そして今も、美也子が少し強い口調で指図すると、それに従ってしまう蓉子だった。
 半ば反射的に、蓉子は膝立ちのままおむつに近づいて、その上におずおずとお尻をおろしていった。

 使いこんだ(何度も何度も美鈴が汚しては、それと同じ回数にわたって洗濯された)布おむつの予想以上に柔らかい感触が、激しい羞恥と一緒にお尻の方から伝わってきた。
「それでいいわ。そのまま横になるのよ」
 美也子に言われるまま、蓉子は上半身をゆっくり倒した。
「よく見ているのよ、美鈴。このおねえちゃんもおむつをあてるんだから、その後で美鈴もおとなしくおむつをあてようね」
 美鈴に囁きかける美也子の声がはっきり聞こえた。興味深そうに見つめる美鈴の視線がねっとり絡みついてくるみたいだ。
 不意に足首をつかまれて、美也子の手で高く持ち上げられた。丈の短いサマードレスのスカートがお腹の上にはらりと捲れ上がって、それまでかろうじて隠れていた蓉子の恥ずかしいところが丸見えになってしまった。それを慌てて押さえようとして伸ばした両手が、美也子の手で軽く振り払われてしまう。
 柔らかい布の感触が、お尻の下から両脚の間へ広がった。昼の間に物干し場でたっぷり光を浴びていたのだろう、太陽の匂いがほのかに漂ってくるようだった。
 そのぬくぬくした感触に却って羞恥を煽られて、蓉子はぎゅっと瞼を閉じた。
「洗濯したばかりのおむつの感触はどうかしら? うふふ、気持ち良さそうな顔になってるわね」
 からかうような美也子の声が聞こえた。
 蓉子の顔がかっと熱くなった。
 続いて、横に広がった布おむつが左右から蓉子のおヘソのすぐ下にまとわりつく感触が伝わってきた。そうして、ビニールだろうかナイロンだろうか、少しごわごわした感じの生地が布おむつを覆っていく感覚。微妙な調節をしているのか、美也子は二度三度とおむつカバーのマジックテープを剥がしては、少しずつ場所を変えて留め直している。
 最後に、裾から少しはみ出していたおむつをおむつカバーの中にそっと押し入れておしまいだった。
「さ、できた。――蓉子って、おむつがよく似合うのね。とても可愛いいわ」
 冗談めかして美也子が微かに笑いながら言った。
 ドキドキと高鳴る胸の鼓動がはっきり聞こえるみたいだ。蓉子はおそるおそる瞼を開けて、美也子が差し延べた腕にすがりつくようにして上半身をゆっくり起こした。
 お腹の上に捲れ上がっていたスカートがふわりと広がって、蓉子の下腹部を包みこんでしまった大きなおむつカバーを半分ほど隠した。怖いもの見たさのようなものだろうか、蓉子はおずおずと自分の下腹部に目を向けてみた。
 蓉子の目に、可愛らしいリスのアップリケが映った。柄のないクリーム色のおむつカバーの股間よりも少し上に付けられたアップリケだった。蓉子は、すぐ前にいる美也子に目を向けた。
「可愛いいでしょう? 手芸店で買ったアイロンプリントのアップリケよ。縫い付けなくても、熱いアイロンで押さえるだけでくっつくようになってるの。薬局で売ってるおむつカバーってどれも無地で味けないから、ちょっと工夫してみたのよ」
 蓉子が尋ねるまでもなく、楽しそうな声で美也子が言った。
「どう? これなら蓉子も気に入ってくれるわよね?」
「どうって……」
 どうもこうもない。美鈴がおとなしくおむつをあてさせてくれるように、蓉子が先におむつをあてられるところを見せただけだ。おむつカバーを気に入るも何もなかった。
「いいのよ、気に入ってもらえたら。――さ、今度こそ美鈴の番ね」
 ちょっと待ってよ、気に入っただなんて……蓉子は慌てて言いかけたが、美也子はもう美鈴の体を抱き上げて、もう一組のおむつの上に横たえさせているところだった。
 もう、美鈴は暴れなかった。着替えの時と同様、まるで蓉子の真似をするようにおむつの上でおとなしくしている。
 美也子が右手で美鈴の足首をつかんで高く持ち上げた。美鈴のお尻が僅かに浮いて、蓉子の時と同じようにサマードレスがはだけた。何も着けていない下腹部が丸見えになる。
 やだ、私もあんな格好をしてたんだわ。美鈴の姿を見て、ついさっきの自分がどんな姿をしていたのかを想像してしまい、ただでさえ赤い蓉子の顔がますます赤く染まった。そして、慣れた手つきで美也子が美鈴におむつをあてる様子を見ているうちに、胸の鼓動が更に激しくなってくる。それは、けれど、羞恥のためばかりでもないようだった。わけのわからないまま、おむつをあてられている美鈴と自分を重ね合わせて見ている自分に気がついて、なんとなく息苦しく切なくなってくる。
 やがて美也子は蓉子におむつをあて終えて、脇の下に手を入れて静かに抱き起こした。
 床にお尻をつく格好で座った美鈴は蓉子の方に振り向いて、にっと笑ってみせた。そうして、レモン色をしたおむつカバーを蓉子に見せつけるように、サマードレスの裾を両手で持ち上げてみせた。それはまるで、私たちお揃いだねと言ってでもいるような仕種だった。
「ね、美也子」
 床に座らせた美鈴を抱き上げようとしている美也子に、蓉子は、うわずったような声で言った。
「ん、なに?」
 美鈴の体をひょいと抱き上げて、美也子は蓉子を見おろした。
「おむつ……」
 美也子の顔から目をそらせて、蓉子は声を震わせた。
「おむつがどうかした?」
「美鈴ちゃんにおむつをあてたんだから、もう私はいいんでしょう? いつまでもこんな格好じゃ恥ずかしいし……」
 『おむつ』という言葉に顔を赤くしながら、蓉子は訴えるように言った。
「恥ずかしいですって? あら、私がアップリケを付けてあげたおむつカバーを気に入ってくれてたんじゃないの?」
 美也子はわざとのような意外そうな声を出した。
「まさか……。赤ちゃんでもないのに、おむつをあてられて恥ずかしがらない方がどうかしてるわよ」
 蓉子の目の下は真っ赤だった。
「うふふ、確かにそうね。赤ちゃんでもないのに、おむつなんてね」
 抱き上げた美鈴のおむつカバーをぽんと優しく叩いて、美也子が面白そうに言った。
「でも、だめよ。蓉子のおむつを外してあげたら、美鈴も外してくれって暴れるにきまってるもの。美鈴が夕飯を食べてねんねするまでは我慢してもらうわよ」
「そんな……」
「美鈴だって、こんなにおとなしくしてるのよ。おねえちゃんがそんな我が儘を言っちゃダメよ。蓉子ちゃんはいい子なんでしょ?」
 まるで小さな子供をあやすように美也子は言った。
 どうしても美也子に逆らうことのできない蓉子は、それ以上は何も言えなかった。そして、なぜか、自分でおむつを外してしまおうと思いつくこともないようだった。



 リビングルームのガラステーブルに食器を並べて夕飯を食べることになった。ダンナがいる時はダイニングルームなんだけど、美鈴にごはんを食べさせるにはここの方が楽だものね――そう言いながら美也子が食器を並べている間、蓉子は美鈴と並んでテーブルの前に座って待っているだけだった。
「さ、できた。少し早いけど、夕飯にしましょう」
 昼前から煮込んでいたらしいクリームシチューを蓉子と自分の皿によそった後、離乳食を盛りつけたプラスチック製の小さな食器を美鈴の目の前に置いて美也子が言った。
 遅くまで眠っていたせいで朝食も昼食も抜いてしまった蓉子のお腹が、シチューの香りをかいだ途端、小さくぐーっと鳴った。
「遠慮しないで食べてちょうだい。――今日はワインはいいの?」
 美也子がクスッと笑った。
「いい。もう、お酒はいらない」
 溜め息をつくように蓉子は応えた。
「そう。私は美鈴にごはんを食べさせるから、蓉子は先に食べててね」
 蓉子の返事を聞いた美也子はそう言うと、小さなスプーンを手にして離乳食を掬って美鈴の口元に近づけた。
 と、いつもなら自分からスプーンに口を寄せてくる美鈴なのに、なぜか唇を固く閉ざしてしまう。
「どうしたの、美鈴。ほら、大好きなペーストよ」
 あやすように言って、美也子はもう一度スプーンを近づけた。
 けれど美鈴は唇を開けようとせず、小さな掌でスプーンを押し返してしまう。
「どうしたのよ、美鈴?」
 美也子は不思議そうに美鈴の顔を見た。
 と、美鈴が、すぐ側に座っている蓉子の方に顔を向けた。
「え?」
 不意に美鈴の視線を感じて、蓉子はスプーンを持った手を止めた。
「ああ、そういうことか。――美鈴の言いたいことがわかったわ」
 美鈴につられて蓉子の顔に目を向けた美也子が軽く頷いた。
「え、なに?」
 蓉子はスプーンを皿に戻して、美也子と美鈴の顔を交互に見比べた。
「ね、蓉子。離乳食がどんな味になってるか、ちょっと食べてみない?」
 美也子は、それまで美鈴の口に近づけていたスプーンを蓉子の方に差し出した。
「な、なによ。それ、どういうこと?」
 思ってもみなかった美也子の言葉に、蓉子は呆気にとられて訊き返した。
「美鈴はね、蓉子が食べたら自分も食べるって言ってるのよ。美鈴ったら、すっかり蓉子のこと気に入っちゃったみたい。自分の仲間だと思ってるのかもしれないわね」
 にこっと笑って美也子は応えた。
「冗談いわないでよ。いくらなんでも離乳食なんて……」
「いいじゃない、一口くらい。一度だけ蓉子が食べるところを見せてくれれば美鈴だって機嫌良く食べるんだから」
「でも……」
「いいからいいから。ほら、あーんして」
 美也子はプラスチックでできた小さなスプーンを強引に蓉子の唇に押しつけた。
 仕方なく蓉子は半分ほど唇を開けて、離乳食のスプーンを咥えた。魚のペーストだろうか、薄味の頼りない食感だった。
「だめよ、蓉子。もっとおいしそうな顔をしてくれないと美鈴が食べないんだから。ほら、もう一度」
 美也子は再びペーストをスプーンに掬って蓉子の口に押し込んだ。
 殆ど味のしない、どこかぼそぼそした感触が口の中に広がる。それでも蓉子は、今度は美鈴に見せるためにムリヤリに笑顔をつくった。
「はい、それじゃ、今度は美鈴ね」
 蓉子の笑顔に満足そうに頷いて、美也子はスプーンを美鈴の口元に持っていった。
 美鈴も納得したような顔をして、美也子の手から離乳食を食べ始めた。唇の端に残る離乳食をガーゼのハンカチで拭き取ってやる美也子の顔は、内側からにじみ出してくる母性に照らされて明るく輝いているようだった。



 最初のうちこそ美鈴は美也子が食べさせるまま機嫌よく離乳食をたいらげていたが、もう三口ほどで食器が空になるという頃になって、どういうわけか急に唇を閉ざしてしまった。
「ん、どうしたの?」
 少し心配そうな顔つきになって、美也子が美鈴に話しかけた。
 けれど美鈴は美也子の顔を見るでもなく、今にもぐずり出しそうな表情を浮かべて唇を閉ざすばかりだった。
「あ、ひょっとして……」
 美鈴の表情に何か思いついたような顔になって、座卓の前に置いたベビーチェアに座っている美鈴のおむつカバーの中に右手を差し入れた。
「……やっぱり」
 しばらくおむつカバーの中の様子を探っていた美也子は右手をそっと抜くと、美鈴をベビーチェアから抱き上げた。
「どうしたの?」
 こちらも殆ど自分の夕食をたいらげてしまった蓉子が、気遣わしげな表情で美也子に訊いた。
「おしっこよ。ほんとに、ごはんの途中でもなんでもおかまいなしなんだから」
 美也子は、抱き上げた美鈴の体を座卓から少し離れた床におろして、軽く肩をすくめてみせた。
「仕方ないわよ。美鈴ちゃんは赤ちゃんなんだから」
 なんとなく美鈴を庇うみたいな口調で蓉子が言った。
「うふふ、赤ちゃんだから仕方ない――か」
 意味ありげに微笑んで、美也子は蓉子の顔を見つめた。
「さ、蓉子もこっちにいらっしゃい。美鈴と一緒におむつを取り替えてあげるから」
「ど、どういうことよ?」
 美也子の言葉に、蓉子はかっと顔を赤くした。
「わかってるでしょ? お風呂からあがった時も夕飯を食べる時も、美鈴は蓉子の真似ばかりしていたのよ。だから今も」
「そんな……。私は赤ちゃんじゃないのよ。だいいち、私のおむつが濡れてるわけないわよ」
 蓉子は声を震わせた。
「あら、そうかしら?」
 面白そうにそう言うが早いか、美鈴を床に座らせて、美也子が蓉子のすぐ横に膝をついた。そして蓉子が抵抗する間もなく、蓉子のサンドレスをぱっとたくし上げて、その下のおむつカバーに右手を差し入れた。
「や、やめてよ……」
 その時になってようやく蓉子は身をくねらせて美也子の手を振り払おうとしたが、もう遅かった。美也子の指はおむつカバーの中をもぞもぞと蠢いて、既に蓉子の秘所に達していた。
「誰のおむつが濡れてないんですって?」
 蓉子の目を覗きこむようにして、ねっとりした声で美也子が言った。
「――こんなにぐっしょり濡らしているのは誰なのかしらね」
 美也子の言うとおり、蓉子の恥ずかしい部分はひどく濡れていた。そのせいで、そこに触れている布おむつも湿っている。しかし、それは美鈴のようにおしっこで濡れているのではなかった。
「や、やめて……」
 蓉子は顔を伏せて弱々しく抗った。
「誰のおむつが濡れているのかちゃんと言えたらやめてあげる。――誰が濡らしちゃったの?」
 美也子は執拗だった。
「わ、私よ。でも……」
 しばらく逡巡した後に、遂に根負けしたように、蓉子は力なく応えた。
「でも?」
 美也子はなおも、じとっと濡れた蓉子のおむつの感触を楽しむように右手の指を動かし続ける。
「でも、おしっこじゃないのよ。だから、おむつの交換はいや……」
 顔を伏せたままの蓉子の肩が小刻みに震えている。
「おしっこじゃないことくらい、私にもわかってるわよ。わざわざこんなふうに手で確かめなくてもわかってた」
 美也子は蓉子の耳元でクスクス笑った。
「おむつをあててあげた後、蓉子ったら、一歩でも歩くたびに顔を赤くしてたわよね? 
それを見てすぐにわかったのよ。――おむつの感触が好きになっちゃったんでしょ?」
「……」
「黙っていてもわかるわよ。脚を少しでも動かすと、布おむつの柔らかい感触が蓉子の秘密の場所を優しくくすぐるんでしょう? そして蓉子は、そうしてくすぐられることに悦んでたのよね。秘密の壷から恥ずかしい蜜をいっぱい溢れ出させるくらいにね」
 美也子は蓉子の耳たぶに唇を寄せて囁きかけた。
「そんな言い方……」
 裕子は一瞬だけ、ちらと美也子の顔を見上げて言った。
「だって、本当のことだもの。認めたらやめてあげるわよ。おむつが好きなんですって認めたらね」
 蓉子の秘所の周りをいやらしく撫でまわしながら、美也子は蓉子の耳たぶに息を吹きかけた。
「そんなこと……」
 びくっと体を震わせて、蓉子は小さく首を振った。
「あら、そうじゃないって言うの? じゃ、これは何かしら。この、じっとり濡れた恥ずかしいお汁の理由は」
 美也子はそろそろと右手を引き抜いて、ねっとり糸をひいている指先を蓉子の目の前に突きつけた。
「それは……」
 慌てて目をそらして蓉子は言葉を濁した。
「これは?」
 美也子は右手の指先をしつこく蓉子の目の前に伸ばしながら、左手で、蓉子の秘所をおむつカバーの上からくいっと押した。
「あ……」
 今にも泣き出しそうな声が蓉子の唇から洩れた。
 美也子の左手は、執拗に蓉子の股間を責めた。おむつカバーの上から中指の指先で押すと、柔らかな布おむつが蓉子の恥ずかしい肉壁の谷間にくいこむように窪みができる。美也子はそうしておいて、中指をゆっくりしたリズムで上下に動かし続けた。

「……お願い。お願いだからやめてよ、美也子。このままじゃ私……」
 とうとう耐えきれなくなってきたのか、蓉子は自分の頭を美也子の肩に押しつけるようにして懇願した。
「認めるわね?」
 美也子は左手の力を強めた。
「……認める。認めるから、もうこんなことはやめて……」
 蓉子ははあはあと息を荒くした。
「じゃ、自分の口で言ってごらん」
 美也子は、言い聞かせるように優しく囁いた。
「……私は……」
 言いかけて、けれど、じきに言い澱んでしまう蓉子。
「私は……その後はどうしたの?」
 美也子は意地悪くせっついた。
「……私はおむつが好きです。好きになっちゃったんです……」
 ついに観念したように、蓉子は泣き声で言った。
「それでいいのよ。――おむつを取り替えてあげるからいらっしゃい」
 満足したように笑顔で頷いた美也子はその場に立ち上がると、それまでおむつカバーの上から蓉子を責めていた左手で蓉子の右手をつかんで引いた。
 両目からぼろぼろと涙を流しながら、蓉子はのろのろ立ち上がった。



 座卓から離れて美鈴のすぐ側に横たわった後も、蓉子の涙は止まらなかった。羞恥と屈辱が(そして、これまで感じたことのない得体のしれない奇妙な切なさが)胸を充たしていて、それが涙を次から次に溢れ出させている。
「やれやれ、いつまでも泣きやまない困った子ね。これじゃ、どっちが赤ちゃんじゃわからないじゃないの。ね、美鈴?」
 困ったような声で言って、美也子は、同意を求めるように美鈴の顔を見た。もちろん、美也子が何を言っているのか美鈴にわかる筈もない。それでも美也子は、そんなことはわざと気がつかないように美鈴に話しかける。
「仕方ないわね。ママがおむつを取り替えている間、美鈴があやしてあげてちょうだい。――はい、これ」
 そう言うと美也子は、部屋の隅に転がっていたガラガラを美鈴に手渡して蓉子の方を指さした。
 ガラガラは美鈴のお気に入りのオモチャだ。おむつを汚してしまったせいでぐずりかけていた顔が、からころと軽やかな音をたてるオモチャを手にした途端、ぱっと輝いた。
 美鈴はしばらくガラガラで遊んでから、美也子が指さす蓉子の方に振り向いた。そうして、それまで自分が遊んでいたガラガラを蓉子の泣き顔の前で二度三度と振ってみせる。
「ほらほら、せっかく美鈴があやしてくれてるんだから、もう泣かないの。おむつもすぐに取り替えてあげるから」
 ガラガラの可愛いい音が響く中、美也子は小さな子供をあやすように言うと、蓉子のおむつカバーのマジックテープを外し始めた。
「いや……」
 蓉子は慌てておむつカバーの前当てを両手で押さえた。
「本当に困った子だこと。そんなに、おむつをあてたままでいたいの?」
 美也子は赤い舌で唇を湿らせて言った。
「ちがう、そんなじゃない……」
 涙でぐしゃぐしゃになった顔を激しく振って、蓉子は弱々しく訴えた。
「じゃ、何なのよ?」
 わからないふりをして、美也子はわざと訊き返した。
「……だって、おむつを……濡れたおむつを見られるのはいやだもの……」
 蓉子は涙声を震わせて、しゃくりあげながら言った。
「でも、美鈴がおもらししたって知った時、蓉子は言った筈よ。赤ちゃんだから仕方ないって」
「だって……だって、美鈴ちゃんは赤ちゃんだもの……」
「あら。それじゃ、蓉子は赤ちゃんじゃないのかしら?」
 美也子は蓉子の手を振り払うと手早くおむつカバーのマジックテープを外してしまい、白い肌を包みこんでいる布おむつをさっと広げた。蓉子の恥ずかしい部分を覆っていたあたりが小さなシミになって、ねっとり湿っていた。美也子はおむつのシミを指先ですっと撫でまわすと、目を細めてクスッと笑った。
「こんなにおむつを濡らしちゃってるのに、赤ちゃんじゃないっていうの?」
「だけど……おしっこじゃないもの……」
「そうね、これはおしっこじゃないわ。おしっこじゃないから余計に恥ずかしいのよね? でも、おむつを濡らしちゃったことにちがいはないのよ?」
 美也子は蓉子の両脚の足首をつかんで持ち上げた。
「そんな言い方、いやだったら……」
 もう抵抗する気力もなくしてしまったのか、蓉子は掌を固く握りしめて、拗ねたように言った。
 美鈴はまだガラガラをゆっくり振り続けていた。からころと優しい音が部屋の空気を震わせる中、おむつの上に僅かにお尻を浮かせて横たわる蓉子のシルエットは大きな童女だった。



 蓉子のおむつの交換が終わると、今度は美鈴の番だった。
 美也子がおむつを取り替えている間、美鈴は自分の顔の上で盛んにガラガラを振って遊んでいた。
 軽やかな音が波紋になって、ゆったり広がって行く。からころからころ。
 けれど、やがて。かろこ……。
 ガラガラの音が聞こえなくなった。
 おむつを取り替えられた後も体を起こす気になれず、じっと横たわっていた蓉子が、ちらと美鈴の方を見た――美鈴はガラガラを持った手を床におろして瞼を閉じていた。耳を澄ませば、やすらかな寝息が聞こえてくる。
「お腹がおおきくなっておむつも新しくなったから眠くなったのね。うふふ、気持ち良さそうな寝顔だこと」
 おむつカバーの上からぽんぽんとお尻を叩いて、美也子はそっと美鈴を抱き上げた。そうして、蓉子に向かって優しく言った。
「お布団に寝かせてくるから待っててね」
 美也子は足音を忍ばせてリビングルームを出て行った。

 しばらくして戻ってきた美也子は蓉子の隣に静かに横たわって、昼間そうしたようにサマーセーターをはだけてブラのホックを外し始めた。
「さ、いらっしゃい、泣き虫さん」
 すっかりあらわになった乳房を見せつけるようにして、美也子は蓉子の体に手をまわした。
「あ……」
 ぐいと引き寄せられて、涙の跡が残る顔を美也子の乳房に押しつけた格好で蓉子は言葉を失った。
「美鈴はよく眠ってるわ。遠慮しないでたっぷり甘えていいのよ」
 蓉子はしばらくためらっていたが、不意に昼間の母乳の味が頭の中に甦ってきて、すぐ目の前にあるピンクの乳首をおずおずと口にふくんでしまった。すぐに、淡い匂いが口いっぱいに広がってくる。
「そう、それでいいのよ。さすがに二度目になると吸い方も上手になるわね」
 美也子の手が蓉子の髪を撫でつけた。
 それは、ひどく奇妙な感覚だった。赤ん坊の美鈴とお揃いの子供服を着せられ、美鈴と同じおむつをあてられ、そして、もう美鈴が見向きもしなくなった美也子の乳房に顔を埋めて母乳を口にしていると、まるで自分が幼かった子供の頃に戻ってしまったような錯覚に包まれてしまう。ひどい羞恥を覚えながら、なのに、心の奥底では、そんなふうに扱われることを――たとえ口では嫌がってみせ、悔しさに本物の涙さえ流してみせても――待っていたようにさえ思えてくるのはどういうことだろう……。
「おいしい?」
 貪るように乳首を吸う蓉子の耳に唇を押し当てて、美也子が熱い吐息をかけた。
 ぞくりとした感覚が背筋を駆け抜ける。蓉子はぶるっと体を震わせて、小さくこくんと頷いた。
「そう、それでいいのよ。蓉子は赤ちゃんなんだから」
 赤ちゃんなんだから。そう言われて、蓉子は力なく首を振った。
「いいのよ、ムリしなくても。蓉子はいつも――そう、ずっとずっと前から赤ちゃんになりたがっていたのよ。その願いが叶ったの。だから、もうムリしなくてもいいのよ」
 蓉子は再び首を振った。けれどそれは、ついさっきよりもずっとずっと弱々しい首の振り方だった。
「私が蓉子の気持ちに気づいたのは、大学時代のあの日――蓉子が高い熱にうなされて、添い寝してあげた私にしがみついてきた時だった。それまでも薄々とは感じていたんだけど、あの時に確信したのよ」
 美也子は蓉子の背中を、赤ん坊を寝かしつける時のように優しくとんとんと叩いた。
「世の中には、いつまでも大人になりきれない人たちがいるのね。どんな事情があったのか、それとも生まれた時からのことなのか、それはわからない。でも、自分で全てを判断して自分の力で人生を切り拓いていかなきゃいけない大人になることを拒否して、誰かに守ってもらえる子供のままいつまでもいることを望む人たち。――大学の教養過程で一緒に受けた心理学の講義で聴いた筈よ」
 蓉子は美也子の乳首を口にふくんだまま、ためらいがちに頷いた。
「そして、それとは逆に、自分以外の人をすぐに子供扱いするような人もいるみたいね。おせっかいやきとか世話好きとかいうのとは少しちがうんでしょうけど……母性本能がちょっと奇妙な格好で発達しちゃったのかもしれないわね」
 美也子は、美鈴が持っていたガラガラを蓉子の耳元でからころと振ってみた。
「わかるわね? いつまでも大人になれないのが蓉子、あなたよ。そうして、少し歪んだ母性本能の持ち主が私。二人が初めて会った時からお互いに惹かれ合ったのも当然なのよ。蓉子は私のことを姉や母親のように慕ってくれたし、私は蓉子のことが可愛いくてしかたなかったんだから。熱にうなされる中、蓉子が私の胸にすがりついてきたのは、だから、ちっともおかしなことじゃなかったの。風邪に苦しんでいる赤ちゃんが母親に助けを求めるのは自然なことだもの」
 蓉子は、美也子が振るガラガラに向かっておずおずと手を伸ばした。
「昨夜のことだって、つまりはそういうことなのよ。会社でひどいセクハラをされたって蓉子は私に泣きついてきたわよね。でも蓉子の説明をよくよく聞いてみたら、それほどひどい内容じゃないように私には思えたの。そりゃ、大学を卒業してすぐに結婚しちゃった私は会社勤めの経験はないわ。だから、きちんと判断することはできない。だけど、おおよそのことはわかるつもりよ。――こんな言い方はきついかもしれないけど、どっちかっていうと、蓉子の我慢が足りないように私には思えてならないの。まるで、ちょっとでも気に入らないことがあるとすぐに駄々をこねる小さな子供みたいにね」
 美也子は、蓉子の手にガラガラを握らせた。そうして蓉子のおむつカバーの裾ゴムをそっと広げて、おむつカバーの中に掌をもぐりこませた。
「でも私は、そんな蓉子を責めてるんじゃないのよ。蓉子は赤ちゃんなんだもの。いくら体は大きくても、おっぱいが好きでおむつが好きでガラガラが好きな、ちょっとしたことで駄々をこねる可愛いい赤ちゃんなんだもの。いつまでもこの家にいていいのよ。ううん、ずっとずっとこの家にいてもらいたいの。どうせダンナは出張から帰ってきても、すぐに次の出張に行っちゃうんだから。ずっとそうだったし、それでいいと思ってる。私が早くに結婚したのは、夫が欲しかったんじゃないもの。少しでも早く赤ちゃんが欲しかっただけ」
 蓉子は、おむつを取り替えてもらいながら美鈴がそうしていたように、自分の手でガラガラを振ってみた。優しい音色が、まるで体を包みこむみたいに広がる。
「だけど、美鈴もだんだん大きくなってきたわ。もうおっぱいは飲んでくれないし、あと半年もしたら、おむつも外れるでしょうね。すくすく大きくなる美鈴――嬉しいわよ。嬉しいけど、ちょっと寂しいの。このまま、いつか美鈴が私の手から離れていっちゃう日が来ると思うと寂しいのよ。わかるでしょ? いつまでも私の手を煩わせてくれる、いつまでも私に甘えてくれる、いつまでも私がいないと何もできない赤ちゃんが欲しいのよ」
 美也子は蓉子の体を力一杯ぎゅっと抱きしめた。少しだけ苦しそうな表情を浮かべて、けれど、すぐにうっとりした目になって、蓉子は美也子の乳首を吸い続ける。
「だから、蓉子にこの家にいてほしいのよ。いつまでも大きくならない赤ちゃんになってほしいの。ずっとずっと私の腕の中でおっぱいを吸ってくれる赤ちゃんに。――美鈴の妹になってくれるわね?」
 美也子に抱きしめられて呼吸が苦しくなってきたのか、蓉子は乳房から唇を離して口を開けた。その拍子に、唇の端から母乳が雫になって床に滴り落ちた。
「いつまでもおっぱいにしがみついて、いつまでもおむつの外れない赤ちゃん。そうよ、蓉子は美鈴の妹になるのよ」
 美也子は昼間にもそうしたように、蓉子の頬の下によだれかけを広げた。蓉子の唇から白い母乳が流れ落ちるたびに、よだれかけに小さなシミができていく。
「もうおっぱいはいいの? じゃ、おしっこをしようね。お昼寝で目を覚ましてから、まだ一度もしてないんだから」
 美也子は蓉子のおむつカバーの中に手を差し入れたままだった。
「おむつの中に?」
 うっとりした目で美也子の顔を見上げた蓉子は、はにかんだような声で言った。
「そうよ。だって、蓉子は赤ちゃんだもの」
 美也子は穏やかに微笑みかけた。
 応える代わりに、蓉子はゆっくり体の力を抜いた。おむつカバーの中の美也子の手に、途切れがちにじわじわと溢れ出す温かい液体の感触が伝わってきた。



 次の日、蓉子が目を覚ました時にはもうすっかり太陽が高い所にあって、ガラス戸を通して見える庭の芝が青々と輝いていた。
「あら、起きたの? よく眠ってたわね」
 のろのろと上半身を起こした蓉子の耳に、美也子の穏やかな声が飛びこんできた。
 瞼を両手でごしごしこすってようやく焦点の合ってきた蓉子の目に、グレイのトレーナーを着た美也子の姿が映る。その横には三分袖のブラウスと黄色のスカート姿の美鈴がいて、牛乳をたっぷりかけたコーンフレークを食べさせてもらっていた。
「先に朝ごはんにしてるわよ。美鈴は蓉子と一緒に食べたがってたみたいだけど、蓉子がいつ起きるかわからないから先に食べさせることにしたの」
 コーンフレークのスプーンを一瞬だけ止めて、美也子は笑顔で言った。
「それに、美鈴に先に食べさせておかないと、蓉子におっぱいをあげられないしね」
 それを聞いて、蓉子の胸がドキンと高鳴った。まだぼんやりしている意識の中で昨日の出来事が本当のことだったのかどうか思い返そうとしていた矢先に、美也子の言葉があの恥ずかしい光景をありありと思い出させたからだ。
 そうだった。あの後、私は本当におむつの中におもらしをしちゃったんだわ。それから、まるで美鈴ちゃんみたいにおむつを――今度こそ、おしっこで汚しちゃったおむつを取り替えられて、それから、美也子の胸に顔を埋めたまま寝ついちゃったんだっけ。
「もう少しで美鈴の朝ごはんが終わるから、ちょっと待っててね。すぐに蓉子の朝ごはんにしてあげるから」
 美也子はそう言うと、軽くウインクしてから、自分の胸のあたりを指さしてみせた。
 蓉子の頬がかっと熱くなった。

 美鈴の朝ごはんが終わるとすぐに、美也子が手招きして蓉子を呼んだ。
 蓉子は、昨夜のうちに美也子がかけてくれたらしいタオルケットを体の上からどけて膝立ちになった。昨日着せられたサマードレスの短いスカートの裾からおむつカバーが半分ほど見えて、幼い子供のような蓉子の姿が、明るいリビングルームの床に淡い影を落とした。
「さ、ここまでいらっしゃい」
 美也子は美鈴と自分の間に隙間をつくってから、蓉子に向かってガラガラを振ってみせた。
 まるでその音に誘われるみたいに、蓉子は膝立ちのまま歩き出した。すると、美也子はガラガラを振るのをやめて
「だめよ。蓉子は赤ちゃんなんだから、ハイハイでここまで来るのよ。できるわね?」
と言って首を振った。
「……」
 蓉子は迷った。これ以上に赤ん坊扱いされることに激しい羞恥を感じ、ひどい戸惑いを覚えてしまう。
「どうしたの?」
 蓉子を導くように、美也子は再びガラガラを振ってみせた。
 軽やかな音が朝の空気を震わせると、それまで動きを止めていた蓉子の手足が、少しも意識しないのにゆっくりゆっくり動き出す。考えて動いているのではない。ただ、美也子が振るガラガラの音に誘われるまま、美也子の胸元を見つめて蓉子は這って行くだけだ。それは、本能のままに動きまわる嬰児の姿そのままだった。
 頭の中に渦巻く羞恥や戸惑いとは全く関係なく、心の奥の奥、無意識の底の底、これまで蓉子がそれと意識したこともない深い所にある願いが蓉子の手足を操っているとしか言いようがなかった。――目の前にいる優しい母親の腕に抱かれて、その柔らかな乳房から白い乳を飲むこと。自分と同じ歳の母親の匂いに包まれて、何も思い煩うことなくただひたすらに甘えること。血のつながらない母親の手に全てを委ねて、ただぬくぬくした光に包まれること。
 心の奥底で、蓉子はいつしか赤ん坊に戻り始めていた。その流れを止めることは、もう蓉子自身にもできなくなっていた。止めようと思うことさえできなくなっていたかもしれない。

 やがて美也子の膝にお尻を載せて抱かれた蓉子は、トレーナーの中からこぼれ出た乳房に唇を押しつけた。
「いいわよ、蓉子。これが蓉子の朝ごはんなんだから、思いきり飲むのよ」
 蓉子の頭を右手の掌で支えて、美也子は甘く囁いた。そして左手で、おむつカバーの中の様子を探り始める。
 蓉子は微かに頬を染めた。けれど、美也子の手を嫌がる気配はない。ただ、おしっこを言えない赤ん坊のようにおむつの様子を探られることに羞恥し、はにかんでいるだけだった。そしてその羞恥さえ、今は、自分が赤ん坊に戻ったことを実感させてくれる悦びに充ちた感情に変貌しようとしている。
 蓉子は美也子の膝に抱かれたまま、徐々に下腹部の力を抜いていった。
 小川のせせらぎのような小さな音が、豊かな胸を蓉子に吸わせている美也子の耳に微かに届いた。
「それでいいのよ、蓉子。蓉子は赤ちゃんなんだもの、おっぱいを飲みながらおもらしをしてもちっとも変じゃないのよ」
 おむつカバーからすっと引き抜いた左手で蓉子の背中をさすりながら、美也子は静かに言った。
「おっぱいの後、庭の隅にある物干し場を見せてあげましょうね。蓉子が汚しちゃったおむつがたくさん干してあるわよ。美鈴のもあるけど、殆どは蓉子の分なの。蓉子は大きな赤ちゃんだから、おむつもたくさん要るのね。急に洗濯物が増えたわねってお隣の奥さんがびっくりしてたわよ」
 蓉子は恥ずかしそうに、美也子の胸に顔を押しつけた。
 その様子を、すぐ横に座っている美鈴がじっと見ていた。
「今日から美鈴はおねえちゃんよ。美鈴には、こんなに可愛いい妹ができたの。ちゃんと可愛がってあげられるわね?」
 美也子は美鈴の体をそっと引き寄せて、静かな声で言い聞かせた。
 わかったのかどうか心もとないけれど、美鈴は確かに笑顔で頷いた。

 生け垣をざわめかせて吹いてきた風に、物干し場のおむつが揺らめいた。あと半年もすれば、ここで揺れるおむつの数は少しだけ減るかもしれない。けれど、ここからおむつがなくなる日はいつまでもやってこないにちがいない。
 季節は夏。
 小さな姉があやす大きな妹のおむつを優しい母親が取り替える様子を、庭の向日葵だけがそっと見守っていた。


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