偽りの保育園児



    第六章 〜再びマンション、そして〜

               【一】

 それから何時間か後、夕食を終えた葉月は、浴室と隣り合った脱衣場に居心地悪そうな顔をして立ちすくんでいた。素っ裸になる場所に皐月と二人なのだから、居心地がいいわけがない。
「……どうして姉さんがここ来るのさ?」
 夕飯の後片付けをしているものだとばかり思っていた皐月が自分のあとを追って脱衣場に入ってきたのに気づいて、葉月は思わず咎めるような口調で言った。
「どうしても何も、葉月ちゃんの着ている物を脱ぎ脱ぎさせてあげるために決まってるじゃない。他に何か理由があるっていうの? それより、お外ではちゃんと『お姉ちゃま』って呼んでいたのに、また『姉さん』だなんて呼び方をして。せっかくのいい子ちゃんがどうしちゃったのかな?」
 困惑というよりも怯えと言った方が近い、なんともいいようのない表情を浮かべる葉月に向かって、皐月はしれっとした顔で聞き返した。
「いいじゃないか、『姉さん』で。ここには僕たちしかいないんだし、いくら壁が薄いったって、脱衣場の声が外まで漏れる心配はないんだし。僕は大学生の男の子なんだよ。それがどうして小さな女の子みたいに『お姉ちゃま』なんて呼ばなきゃいけないのさ。外だったら誰かに聞かれて僕の正体がばれるかもしれないから仕方ないけど、家の中だったらそんな心配なんてないんだし、普段の呼び方でいいじゃないか」
 気圧されて目を伏せがちになるのを必死の思いで励まして、葉月は虚勢を張った。ここで退き下がったが最後、四方八方から絡みつく姉の手から今後もう二度と逃れられなくなりそうな気がしてならない。今にもくじけてしまいそうになる気持ちに抗って、ここは踏ん張るしかなかった。
「大学生の男のですって? 葉月ちゃんが? ふぅん、上手におしっこをできなくてキティちゃんのパンツとナプキンを汚しちゃった葉月ちゃんがねぇ。女の人用トイレの通路に敷いたトイレットペーパーの上でパンツを穿き替えさせてもらった葉月ちゃんがねぇ」
 皐月は、葉月にずいっと歩み寄りながら面白そうに言った。
「そ、それは……」
 皐月は反射的に腰を退きながら弱々しく呻いた。
 そこへ皐月がとどめを刺すように付け加え言った。
「たしかに、大学生の男の子だったかもしれないわね、葉月ちゃん、今日の昼前までは。でも、セーラーワンピを着てシナモロールのパンツを穿いた時から女の子になっちゃったのよ」
「……」
「ま、そんなことはどうでもいいから、ほら、逃げちゃ駄目。すっかり汗でびしょびしょになっちゃったキャミとサンドレスを脱がせてあげるからこっちへいらっしゃい。葉月ちゃん、バスの中でも二回ほどくしゃみしてたでしょ。だから、ほら、少しでも早く入って温まらなきゃ」
 友達と一緒に海辺を模した水槽で生物観察をするという芽衣と別れてから、トイレを出た後も水無月と皐月に手を引かれて水族館の中をぐるりと連れ回され、ようやくの思いでバスに戻った時には、じりじり照りつける夏の太陽に焼かれての汗と、大勢の入館者の誰かに正体を気づかれてるのではないかという不安による冷や汗とで、キャミソールもショーツもびしょびしょだった。それが、しばらくしてバスの冷房が利いてきたものだから、ぞくりと体を震わせてしまったのだ。しかし、皐月はそんな葉月のことを気遣うどころか、トイレの中で何があったのかを事細かに水無月に報告しては、二人で葉月の様子をちらちらと窺いながらおかしそうに笑い合っていた。くしゃみは冷気のせいなどではなく、二人のひそひそ話のせいだと拗ねた表情で言ったりしたら、それは八つ当たりになってしまうだろうか。
「で、でも……」
「いいから、こっちへ来なさい。汗臭いままじゃ、大好きな卯月お姉ちゃまに嫌われちゃうわよ」
 皐月は更にずいっと歩を進め、葉月が壁に阻まれてもうそれ以上は体を退けなくなるのを見て取ると、肘をつかんでぐいっと引き寄せ、首筋の後ろで結わえたサンドレスの肩紐の結び目を手早くほどいた。
 ホルターネックになっていて、ウエストラインの絞りもないサンドレスは、肩紐を解かれると、まるで抵抗なく、葉月の足元にふぁさっと落ちてしまう。
 皐月はサンドレスに続いてキャミソールも手際よく脱がせた後、力ない抵抗など物ともせずに、葉月の足首をつかんで両方のソックスも脱がせてしまった。

「とっても可愛いわね、葉月ちゃんは。どこからどう見ても、可愛い女の子だわ。本当は男の子、それも大学生の男の子だなんて信じられないくらい可愛いいんだから」
 葉月を壁際に追い詰め、ショーツ一枚を残すだけの裸に剥いた皐月は、瞳をきらきら輝かせて言った。
 皐月の言う通り、女児用ショーツしか身に着けていない葉月を見て、それが男の子だと思う者はいないだろう。本来なら葉月の性を明確に示す筈の平らな胸板さえ、まだ生育の途上にある幼い女の子のぺたんこの胸にしか見えないし、微妙なくびれの腰回りも、第二次成長期を迎える前の少女の体つきのようだし、タックのせいで僅かな膨らみしかない股間にいったっては、恥丘の発達もまだの控えめなうっすらしたスジでしかない幼女の秘部そのままだ。お腹が少し凹み加減だけれど、これがぽっこり丸く膨らんだお腹の幼児体型だったりしたら、それこそ、年端もゆかぬ小さな女の子そのままの外見と言っていいくらいだ。
「さ、あとはパンツだけね。でも、その前にお姉ちゃまも自分の着ている物を脱いじゃうから、ちょっとの間だけ待っていてね」
 まるで舐めまわするようにして葉月の体を眺めながら皐月はにっと笑って言うと、自分が着ているジャージのファスナーに指をかけ、さっと引きおろした。
「あんたは昔から私の自慢の弟だったのよ。すべすべのお肌にさらさらの髪。ぱっちりした大きな目に、真っ赤で薄い唇。小さい頃から、あんたのことを初めて見る私の友達は、決まって妹だと勘違いしてた。でも、それも仕方ないよね。それだけ可愛くて、まるでお人形さんだったもん。だけど、友達があんたのことを弟じゃなくて妹だって間違うのを見て、私、面白がるだけじゃなくて、それがとっても自慢だったのよ。世の中、どこを探しても、こんなに可愛い弟を持った姉さんなんていやしないってね。保育園でたくさんの子供たちの面倒をみているけど、今まで、小さかった頃のあんたより可愛い子に出会ったことなんてなかった」
 皐月は上着に続いて薄手のシャツも手早く脱ぎ去り、ブラジャーを無造作に外して脱衣カゴに投げ入れた。そうして、ボトムスに指をかける。
「小学校に入っても中学校に上がっても、それに、高校に通うようになっても、あんたは可愛いままだった。中学校の制服も高校の制服も、なんだか、女の子が無理して男の子の格好をしているふうにしか見えなかった。だから、私、こっちに就職が決まって独り暮らしを始めるのが辛かった。あんたと離れ離れになるのが、どうしようもないほど寂しくてたまらなかった」



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