家族の肖像



 今日子と明日香が再び坂上家を訪れたのは、翌日の午前十一時少し前のことだった。
 インターフォンのボタンを押してしばらく待つと万里子の声が聞こえ、それからまたしばらくして玄関のドアが開いた。
「どうなの、雅美ちゃん?」
 家の中に招き入れられるなり、今日子は気遣わしげに万里子に尋ねた。
「うん、あの後、ベッドに運んだんだけど、しばらくは体温が低いままだったの。意識をなくしたのはそのせいでしょうね。それで、どこか往診してくれるお医者さんを探そうとしたんだけど、そのうち体温が戻ってきて目も開いて……」
 先に立って廊下を歩きながら万里子は説明した。
「雅美ちゃん、もう大丈夫なの?」
 今日子と並んで歩く明日香が万里子の背中から言った。
「……その後、今度は逆に体温がどんどん上がって、一番ひどい時は三十九度近くまでいったかな。結局、三番目に電話したお医者さんが往診してくれて、体が冷えたためのショック症状でしょうって。肺炎の心配はないから、何日かゆっくり寝ていれば治りますよって言ってくれたの。だから、うん、もう大丈夫だと思う。お父さんもお母さんもどうしても今日から仕事に戻らなきゃいけないから私しか看病できる人はいないけど、でも、大丈夫よ」
 万里子は廊下の奥にある階段に足をかけた。
「そうなの。ま、大変は大変だけど、重い病気じゃないだけよかったと思わなきゃね」
 万里子に続いて階段を昇りながら、ほっとしたように今日子は言った。
「たしかにそうね。熱さえ下がればいいんだから。でも、お母さんの悲鳴が聞こえて雅美ちゃんのぐったりした姿を見た時はどうしようって思ったわよ。どんなにひどい病気にかかったんだろうって」
 万里子は階段を昇り終えて二階の廊下を進んで行く。
「明日香もびっくりしたよ。雅美ちゃん、急に何も言わなくなっちゃったんだもん」
 明日香が大きく頷いた。
「お布団に寝かせようとしたんだけど、雅美ちゃんのお部屋はまだ片づいてなくて、それで、私の部屋のベッドに寝かせることにしたの。お父さんとお母さんは今日から仕事だから、二人の布団に寝かせるわけにはいかないし」
 旅行から帰ってきた時は、万里子の部屋も雅美の部屋も、先に送っておいた荷物がドアの前に積んであるばかりで、部屋に出入りするのも難しい状態だった。ただ、雅美が玄関の前に放り出されている間に先に万里子が自分の部屋を片づけていたし、万里子の部屋に置いてある新しいベッドがクイーンサイズのダブルで二人揃って寝てもまるで窮屈なことがないという事情もあって、雅美をそちらで寝かせることにしたのだった。
「はい、ここよ」
 そう言って万里子はドアを引き開けた。
 そこは、年ごろの女の子が好みそうな内装にしつらえた部屋だった。内装だけでなく、置いてある調度品も、机にしても小物置きにしても、いかにも万里子に似合いそうなものが揃っている。
 そんな調度品の中でも一際今日子と明日香の目を惹いたのが、壁際にあるダブルベッドだった。おそらく海外からの輸入品だろう、大柄な大人が二人で寝てもたっぷり余裕がありそうな、そこいらのデパートの寝具売場では滅多にお目にかかれないような大きなベッドだ。
「すごいベッドね」
 今日子と明日香は、そのベッドを見るなり、声を揃えて溜め息をついた。
「前から大きいベッドがほしいって言ってたんだけど、結婚を機に新しい家に移るし家具もみんな新調するからって買ってくれたの。お父さんもお母さんも北ヨーロッパのなんとかいうメーカーのカタログを見て一目で気に入っちゃって、ダイニングのテーブルもリビングのソファも、みんなそのメーカーので揃えちゃったらしいのよ。もちろん、このベッドも」
 少し照れくさそうに、それでも満更でもなさそうな表情で万里子は言った。
「うわ、ふっかふかだぁ」
 まるで物怖じするふうもなく、明日香は、ベッドのマットを両手でぽんぽん叩いて声を弾ませた。
 と、う〜んという声が聞こえてくる。
「あ、雅美ちゃんの声だ。明日香が起こしちゃったのかな」
 明日香の身長だと、大きなベッドの足元の方からは枕元の様子がわからない。これまで見たことのないベッドの大きさに驚いて、ついそこに雅美が寝ていることも忘れて騒いでしまった明日香は、雅美の呻き声を耳にして、慌てて万里子の顔を見上げた。
「大丈夫よ、明日香ちゃん。明日香ちゃんが起こしたわけじゃないから。熱のせいで喉が渇くから、時々目を覚ますのよ。何か飲ませてあげればまたねんねするわよ。熱を冷ますお薬が要ることもあるけどね」
 心配顔の明日香に、万里子は優しい声で言った。
「雅美ちゃん、今日子お姉ちゃんと明日香お姉ちゃんがお見舞いに来てくれたわよ」
 万里子は明日香に手招きすると、ちょうど雅美の顔があるあたりにストゥールを置いて、その上に明日香を立たせた。こうすると、背の低い明日香でも、ベッドの上にいる雅美の顔を見おろすことができる。
「雅美ちゃん、大丈夫?」
 熱のせいだろうか、とろんとした目で天井を見ている雅美に向かって明日香が声をかけた。
 その声に雅美がのろのろと首を動かして明日香の顔を見る。
「気分はどうなの?」
 今日子も明日香の横に立って声をかけた。
「……今日子おねえちゃん、昨日はありがとう。それに、明日香ちゃん……明日香おねえちゃんも、ありがとう」
 雅美はゆっくり言った。
「ねぇ、今日子お姉ちゃん、雅美ちゃん、明日香のこと、明日香おねえちゃんだって。明日香、お姉ちゃん?」
 雅美の言葉に明日香が顔を輝かせた。
「そうよ。雅美ちゃんは夏休みが終わったら明日香ちゃんと同じ保育園の年少さんだもん。明日香ちゃんは年長さんだから、雅美ちゃんのお姉ちゃんなのよ」
 万里子は明日香の肩に手を置いて言った。
「じゃ、早苗ちゃんと詩織ちゃんもお姉ちゃん?」
 明日香は重ねて訊いた。
「早苗ちゃんと詩織ちゃんは年中さんだったよね。じゃ、雅美ちゃんから見ればお姉ちゃんね。保育園で会ったら雅美ちゃんは早苗お姉ちゃん、詩織お姉ちゃんって呼ばなきゃいけないし、その前にどこか他の所で会っても、お姉ちゃんって呼ばせなきゃいけないわね。明日香ちゃん、ちゃんと雅美ちゃんに教えてあげてね」
 万里子は、ミモザの階段での出来事を思い出しながら、くすっと笑って言った。
「ふぅん。でも、なんだか変なの」
 万里子の返事に頷きながら、けれど明日香はぽつりと言った。
「変? 何が変なの?」
 思わず訊き返す今日子。
「だって、雅美ちゃん、明日香と同じ五つだよ。五つだから、早苗ちゃんや詩織ちゃんと違って、明日香と同じ年長さんのお友達になると思ってたんだ。明日香だけ年長さんだから同じ年長さんのお友達ができると思って嬉しかったのに、雅美ちゃん、年少さんになっちゃうんだもん。早苗ちゃんより妹の年少さんになっちゃうんだもん。明日香、やっぱりひとりぽっちの年長さんなんだもん。ちょっと寂しいんだもん」
 明日香はちょっと拗ねたように言った。
「あ、そうか。たしかにそうね。せっかく同い年の年長さんのお友達ができたと思ったのに、その雅美ちゃんがいつのまにか年少さんになっちゃうんだもん、明日香ちゃんにしてみれば寂しいわよね。でも、雅美ちゃんは本当は五つなのよ。五つだから、おしっこを言えるようになって先生たちがおむつのお世話をしなくてもいいようになったら年長さんのクラスに入れるかもしれないじゃない。それまで待ってあげてくれないかな? おむつが外れて雅美ちゃんが年長さんクラスに入るまで明日香ちゃんがお姉ちゃんになってくれると嬉しいんだけどな」
 雅美の肩に置いた手に少し力を入れて、万里子はおだやかな声で言った。
「あ、そうか。雅美ちゃん、おしっこ言えるようになったら年長さんになれるんだよね。そうだよね、本当は三つじゃなくて五つだもん。頑張ろうね、雅美ちゃん。頑張って、早く、おしっこ言えるようになろうね。明日香、応援するからね」
 事情を知らない明日香は、実際は自分よりもずっと年上の女子大生に向かって、無力なな妹を励ますように言った。
「雅美ちゃん、お返事は?」
 すかさず万里子が言う。
「……うん。雅美、頑張る。頑張るから応援してね、明日香……明日香おねえちゃん」
 雅美の顔が真っ赤に染まったのは熱のせいだろうか、それとも、いたたまれないほどの羞恥のためだろうか。
「うん、明日香お姉ちゃんと一緒に頑張ろうね」
 明日香も自分のことを『お姉ちゃん』と呼んで、少し照れくさそうに、唇からちろと舌の先を突き出した。
「じゃ、雅美ちゃんの飲み物を用意してくるわ。せっかくだから、明日香お姉ちゃんが飲ませてあげてね」
 そう言うと、万里子は、明日香の肩を優しく叩いて部屋を出て行った。

「はい、これを飲ませてあげて」
 しばらくして戻ってきた万里子は、温めたミルクの入った容器を明日香に手渡した。
「え? でも……」
 手渡された容器を受け取った明日香は、戸惑ったような表情を浮かべて万里子の顔を見上げた。
「あら、どうしたの。明日香お姉ちゃんが雅美ちゃんに飲み物をあげてくれるんじゃなかったの?」
 膝に手をついて、万里子は微かに首をかしげてみせる。
「だって、これ、哺乳壜だよ。雅美ちゃん、年少さんだけど、赤ちゃんじゃないよ。哺乳壜、赤ちゃんが使うんだよ」
 明日香は、戸惑ったような表情のまま、受け取った容器をじっとみつめた。そう、明日香が手渡されたのは、温かいミルクを三分の一ほど入れたプラスチック製の哺乳壜だった。
「でも、これでいいのよ。雅美ちゃんは病気で自分じゃベッドに起っきできないの。だから、コップじゃ飲み物は飲めないの。ねんねしたまま飲まなきゃいけないから、これでいいのよ」
 万里子は諭すように言った。
「あの、吸い飲みとかはないの? 病気の人にお水とかを飲ませる容器」
 さすがに哺乳壜には今日子も驚いたようで、睫毛をしばたかせて万里子に訊いた。
「引っ越してきたばかりだから、そんなの無いのよ」
 万里子は素っ気なく応えた。
「なのに、哺乳壜はあるの?」
 怪訝そうな顔で今日子が訊き返す。吸い飲みはないのに、赤ん坊もいないのに哺乳壜があるのが不思議で仕方ないという顔つきだ。
「うん。昨日、ミモザに寄った時、雅美ちゃんに必要になりそうな物を買っておくわってお母さんが買い物した中に入ってたの。雅美ちゃんくらいの年齢の子って、すぐに熱を出すじゃない? そんな時に飲み物を飲ませるのにちょうどいいと思ったんでしょうね。大人だったら吸い飲みでもいいけど、小っちゃな子だったら吸い飲みよりも哺乳壜の方が飲みやすいと思うわ、私も」
 万里子が言った通り、その哺乳壜は、美智子がミモザの薬局でおむつかぶれの薬と一緒に買った物だ。たしかに、病気になった時に吸い飲みよりも使いやすいと判断してのこともあるかもしれないけれど、それよりも、おむつやおむつカバー同様、雅美を幼児扱いするための道具として買ったというのが本当だろう。けれど、それは美智子と万里子の間だけの秘めごとだ。
「まぁ、そう言われればそうかもしれないけど……」
 万里子の説明に、今日子は顎先に人差し指を押し当てて思案顔になった。そうして、僅かに頷くと、哺乳壜を手にした明日香に言った。
「……いいわ、それで飲ませてあげなさい。時々美保ちゃんに哺乳壜でミルクを飲ませてあげたことがあったでしょう? その時のことを思い出しながら優しくね」
「うん、わかった。――はい、雅美ちゃん、ミルクですよ。上手に飲みましょうね」
 今日子に言われて、明日香は哺乳壜の乳首を雅美の唇に近づけた。
 そこへ、万里子の声がとんでくる。
「あ、ごめん、ちょっとだけ待っててね、明日香ちゃん。ミルクを飲ませる用意をしなきゃいけないから」
 万里子は明日香の手を優しく押しとどめると、整理タンスの横に並んだ小物置きの上に置いてある、淡いレモンイエローのタオル地に少し濃いイエローの紐を縫い付けた生地を取り上げた。
「何なの、それ?」
 万里子が手にした生地が何なのかわからず、今日子が不思議そうな顔で尋ねた。
「あ、これ? これはね、ほら、こうすればわかるかな」
 万里子は、手にした生地を今日子の目の前でさっと広げてみせた。
「あ、よだれかけだ」
 万里子が広げた生地を見て明日香が大声で言った。
 万里子が今日子の目の前で広げたのは、淡いレモンイエローのタオル地の周囲を小振りのフリルをあしらった純白のレースで縁取りして、タオル地よりも少し濃い色の紐を縫い付けたよだれかけだった。これは、ミモザの子供服専門店で美智子がパジャマを選びながら一緒に買物カゴに入れておいたものだ。もちろん、雅美を幼児扱いするための衣装の一つとして。
「え? 雅美ちゃん、よだれかけも使うの?」
 今日子は少し呆れたように言った。
「そうよ。ほら、ここを見て。ここと、ここ」
 万里子は、よだれかけの生地を何カ所か指差した。
 目を凝らすと、そのあたりが薄いシミになっているのがわかる。
「昨夜から雅美ちゃんが飲み物をほしがるたびに私が哺乳壜でミルクを飲ませてあげていたのよ。冷たい物は体によくないから、ぬるめに温めて。でも、雅美ちゃん、急いで飲むものだから、何度もこぼしてパジャマの胸元を汚しちゃって。それで、お母さんがこれを使いなさいって渡してくれたの。それからはミルクを飲ませる時はこれを使ってるんだけど、やっぱりこぼして、こんなふうにシミを作っちゃうの」
 実は、雅美が哺乳壜でミルクを飲む時にミルクをこぼしてしまうのは本人のせいではない。薬局で買った哺乳壜の乳首の穴を美智子がわざと大きくしたために乳首を殆ど吸わなくてもミルクが流れ出るようになっていて、口の中がミルクでいっぱいになって雅美が乳首を吸うのをやめてもミルクがあとからあとから流れ込んできて、それでミルクをこぼしてパジャマの胸元を濡らしてしまったというのが本当のところだ。それは、雅美に、自分がまだ哺乳壜のミルクも上手に飲めない小さな子供だと思わせるために美智子が施した意地悪な細工だった。
「さ、明日香お姉ちゃんに待ってもらっている間によだれかけを着けましょうね。はい、毛布をどけるわよ」
 雅美が顔を真っ赤にするのを面白そうに眺めながら、万里子は雅美の体を覆っている毛布を剥ぎ取った。
「あ、雅美ちゃん、赤ちゃんみたい」
 毛布の下から現れた雅美の姿を目にするなり、明日香が顔中を口にして言った。
 そんな言葉が明日香の口をついて出るのも無理はない。明日香が言った通り、雅美が丸首のクリーム色のTシャツの上に身に着けているのは、肩紐が幅の広いレースで縁取りしてある、胸当ての付いた丈の短い吊りスカートのようなもので、そのスカートの中に、股間にボタンが四つ並んだ丸っこいプルマーみたいなボトムが一体になった衣類だった。それが、女児用のスカート付きロンパースという種類のベビーウェアだということは、今日子にも明日香にも一目でわかった。。
「うふふ、可愛いでしょ? 昨夜、大急ぎで私が作ってあげたのよ」
 今日子と明日香が揃って驚きの表情を隠せないでいるのを面白そうに眺めながら、万里子は満更でもなさそうな表情で言った。
「坂上さんが?」
「そうよ。熱のせいだと思うけど、雅美ちゃん、眠っている間ずっと汗をかいていたのよ。それで、せっかく買ってきた新しいパジャマもすぐに汗でびっしょりになっちゃうし、おむつも、おしっこだけじゃなくて下痢もひどくてすぐに汚しちゃうからこまめに取り替えてあげなきゃいけなくて。――あ、そうそう。明日香ちゃん、こっちへ来てごらん」
 説明を始めた万里子だが、じきに何か思い出したようで、ストゥールの上に立っている明日香を窓際に連れて行った。何が見えるのか気になって、今日子も二人のあとを追う。
「ここからなら物干し場がよく見えるのよ。ちょっと窓から下を見てごらん」
 万里子は、窓から見える庭の一角を指差した。
 そこは、勝手口から庭に出てすぐの所で、季節を問わず敷地内で一番日当たりがいいということもあって、洗濯物を乾かす物干し場になっている場所だ。
 その物干し場に張ったロープで風になびいているのは、殆どが雅美の洗濯物だった。旅行から帰ってきたばかりだから、四人分の下着やトレーナーが並んでいるのが本当なのに、勲や美智子、万里子の衣類は殆ど目につかない。そんなことになったのは、万里子が言ったように、昨夜の間に雅美が汗でたくさんの汚れ物を作ってしまい、そのままにしておくと雅美が身に着けるものがなくなってしまうかもしれないと心配した美智子が、他の三人の洗濯物はあとまわしにして雅美が汚した物を優先して洗濯したからだった。それも、サンドレスやデニムの吊りスカートなど外出用のものはさておいて、病気にふせっている間に必要になりそうなものを選んで洗濯したのだが、それでも、数え切れないくらいの枚数の布おむつと、おむつカバーが二枚、それに二組のパジャマが物干し場を独り占めしてしまうことになったのだった。
「明日香ちゃんからおさがりのおむつを貰っておいて本当によかったわ。熱が出てから今朝の六時くらいまでは、一時間に一回くらいの割合でおむつを取り替えてあげていたのよ。だから、買っておいたおむつだけじゃ足りなかったかもしれないわねって、洗濯しながらお母さんが言ってた。それに、買ったばかりの新しいおむつより、何度も使って何度も洗濯したおむつの方が柔らかくて雅美ちゃんのお肌にもいいからって、なるべく明日香ちゃんのおさがりのおむつを使うように私に言って出かけたわ」
 万里子は、『明日香ちゃんのおさがりのおむつ』というところを殊更に強調して繰り返し言った。
 もちろん、その声は雅美の耳にも届いている。届いているけれど、そんな恥ずかしいこと何度も言わないでよと言い返すこともできない。事実、明日香たちが見おろす物干し場に張った細いロープで風に揺れているのは、殆どが雅美が汚してしまったおむつばかりなのだから。
 万里子のベッドに寝かされてからこちら、朦朧とする意識の中、尿意を覚えてもトイレへ立つこともできず、それどころか万里子におしっこが出そうだと告げることもできないまま、毛布にくるまっておむつを汚してしまうことが何度もあった。それに、体を冷やしたせいでお腹の具合も悪くなり、これも万里子に知らせることもできないままおむつを汚してしまっていた。サービスエリアでの昼食は幼児めいた格好をさせられた羞恥のために殆ど手つかずだったからお腹の中には殆ど食べ物らしい食べ物は残っていなくて、うんちも色の付いた水みたいなゆるゆるだったから万里子にしてもおむつの後片づけはさほど大変でもなかったかもしれないが、それにしても、おしっこだけでなく、うんちで汚したおむつまで取り替えられては、もともと僅かも待ち合わせていなかった姉としての威厳など、それこそ微塵もなく消し飛んでしまう。しかも万里子は、雅美に自分は今おむつをあてているんだということを強く意識させるために、「あらあら、汗でぐっしょりでちゅね。このままじゃお尻が気持ちわるいから、おむつ取り替えまちょうね」と言いながら、雅美がおしっこやうんちでおむつを汚したわけでもないのに、何度もおむつを取り替えてもいた。そんなわけで、実際、雅美は一時間に一回はパジャマのズボンを膝のところまでずりおろされ、お尻拭きのひんやりした感触と、ベビーパウダーの恥ずかしくなるほど甘い香りに包まれながら、おむつを取り替えられていたのだった。それも、美智子の言いつけ通り、明日香のおさがりのおむつを。
 おむつがおしっこやうんちで汚れていない時は、雅美の秘部が触れるあたりだけが、汗とは違う濡れ方をしているのが常だった。それは、雅美の恥ずかしいところから溢れ出たねっとりしたおつゆのせいだった。初めて布おむつをあてられて歩いた時もそうだったけれど、体の姿勢を変えたり寝返りをうったりして脚を動かすたびに柔らかな布おむつに秘部を撫でさすられて、恥ずかしいおつゆを滴らせてしまう雅美だった。濡れ方を見れば、それがおしっこでも汗でもないことは万里子にもすぐわかった。けれど、万里子は、とりたててそのことを口にするわけでもなかった。熱に浮かされて意識が朦朧としている雅美でも、万里子が恥ずかしいおつゆに気づかないわけがないことはわかっていたし、万里子がわざとそのことにふれないのが却って不安だった。何か不満げに言い返した途端、「おむつに感じちゃって恥ずかしいおつゆでおむつを濡らしちゃったのは誰かしら」と言われそうな気がしてならない。そんなふうにして、まるで万里子に抵抗することができなくなってしまった雅美は、自分よりもずっと年下の少女が赤ん坊の頃に使っていたおさがりのおむつで下腹部を包み込まれても、それを受け入れるしかなかった。
「パジャマはすぐに汗で濡らしちゃうし、それに、おむつを取り替えるたびにパジャマのズボンを脱がせるのも大変だから、私が新しいパジャマを作ってあげることにしたの。それが、今雅美ちゃんが着ているロンパースなのよ」
 明日香を窓際からストゥールの上に連れ戻して、万里子は雅美の下腹部を指差した。
「ほら、これだと、ボタンを外せばお尻のところが開くからおむつを取り替えるのも楽だし、おむつを取り替えた後きちんとボタンを留めればお腹が出ることもないし。それに、ちゃんと女の子用にスカートを付けておいてあげたからとっても可愛らしく仕上がったし。いいでしょう?」
「うん、とっても可愛いよ、ロンパースを着た雅美ちゃん」
 にっと笑って明日香が声を弾ませた。
 その横で、今日子が感心したように言う。
「本当に可愛らしく仕上がってるわね。私も明日香が二歳くらいの時にロンパースを着ていたのを憶えてるけど、その時のと比べてもちっとも見劣りしないもの。お店で買ったのと同じくらいの仕上がりなんて、さすが、手芸部はダテじゃないわね」
「えへへ、そんなに誉めてもらえると照れくさいけどね。もともとは文化祭の展示用に何がいいか考えていたんだけど、ミモザの子供服のお店でベビー服を見ていて、こんなの雅美ちゃんに着せたら可愛いだろうなとか思ったのよ。でも、いくら探しても雅美ちゃんの体に合うようなサイズのベビー服なんてないし、それで、それなら私が作っちゃおうって思って、手芸材料のお店で生地を買い揃えたの。うん、雅美ちゃん用に作って、そのうちの何着かを文化祭の間だけ展示すればいいかなって。あ、もちろん、実際に雅美ちゃんが着てるところを写真に撮って、その写真も添えてね」
 そう説明しながら、万里子は、雅美が頭を載せている枕の両端をぽんぽんと叩いて形を整えた。
「じゃ、雅美ちゃん、明日香おねえちゃんにミルクを飲ませてもらいましょうね。枕もちゃんとしてあげたから頭が少し上がって飲みやすくなった筈よ。――明日香ちゃん、お願いね」
「はぁい」
 万里子に言われて、明日香は哺乳壜の乳首を雅美の唇に押し当てた。
 ほんの少し迷って、けれど万里子に抵抗する術を持たない雅美は、おずおずとゴムの乳首を咥えるしかなかった。
 雅美が僅かに唇を動かすだけで、美智子が穴を大きくした哺乳壜の乳首からミルクが口の中に流れ出す。そのミルクを飲み込むために喉を動かすと、それにつれて唇も少し動いて、それで更にミルクが迸り出る。
 最初のうちはちゃんとミルクを飲み込んでいた雅美だけれど、いつのまにか飲み込む量よりもゴムの乳首から流れ出る量の方が多くなってきて、唇の端から細い条になってミルクがこぼれ出す。
「あらあら、そんなに急いで飲まなくてもいいのに。ゆっくり飲まなきゃこぼれちゃいますよ」
 美智子が乳首に施した細工のことなんてまるで知らない今日子は、ミルクがこぼれるのは雅美が飲むよりも早く急いで乳首を吸うためだと思い込み、くすくす笑いながら万里子の手からよだれかけを受け取って、その端で雅美の唇から顎先を伝い流れるミルクを拭い取った。
 言われなくても雅美にはわかっている。わかっているけれど、美智子が細工した哺乳壜からはとめどなくミルクが口の中に流れ込んできては、唇の端からこぼれ出てしまうのだ。そんな雅美の様子は、まだ哺乳壜の乳首も上手に吸えない赤ん坊がミルクをこぼしてしまっているようにしか見えない。
「うふふ、これじゃ坂上さんが言う通り、本当によだれかけを着けなきゃ駄目みたいね」
 あとからあとからミルクをこぼし続ける雅美の様子を見て、今日子は、手にしたよだれかけを雅美の胸元に広げると、少しだけ雅美の頭を持ち上げて、よだれかけの紐を首の後ろできゅっと結わえた。
 枕で頭が少し高くなっているため、雅美の唇からこぼれ出たミルクは頬から顎先を伝い流れて、首筋を濡らしてから、タオル地のよだれかけにシミを作って吸い取られてゆく。
「雅美ちゃん、可愛いね。赤ちゃんみたいだね」
 スカート付きロンパースを着て、胸元をよだれかけで覆って哺乳壜からミルクを飲む雅美の姿は、明日香の言う通り、自分では何もできない赤ん坊そのままだった。それも、哺乳壜のミルクもまだ上手に飲めない手のかかる赤ん坊。
「本当ね。でも、こんなだと、年少さんクラスにもまだ早いかもしれないくらいね。さくら保育園には二歳児クラスもあるから、そっちの方がお似合いじゃないかしら」
 タオル地のよだれかけに幾つもシミを作る雅美の姿に、今日子は冗談めかして言った。
「そうかもしれないわね。こんなに手のかかる子、年少さんクラスの先生でもお世話できないかもしれないわね。お母さんに相談して、二歳児クラスのことも考えてもらおうかな」
 今日子に合わせて万里子も冗談めかして言った。
 その言葉に、雅美の体がびくっと震える。万里子と美智子のことだ、どこまでが冗談なのかどこまで本気なのか知れたものではない。
「明日香お姉ちゃんにミルクを飲ませてもらってる間におむつを取り替えておきまちょうね、手のかかる赤ちゃん」
 怯えの表情を浮かべる雅美の顔にくすっと笑って、万里子は、ロンパースの股間に並ぶボタンに手をかけた。
「おむつ、今度は何で汚れてるかな。ちっちかな、うんちかな、それとも……」
 それとも、いやらしくて恥ずかしいおつゆかな。言葉にせずにそう言って、万里子はロンパースのボタンを四つ、慣れた手つきで外してゆく。
 ボタンを外してボトムの生地を捲り上げると、布おむつで膨れたおむつカバーがあらわになった。よだれかけと同じ淡いレモンイエローの生地に、お尻のところにアップリケの付いた、赤ん坊用のをそのまま大きくしたようなデザインの可愛いおむつカバーだ。
 万里子がおむつカバーの前当てのマジックテープを外す時、ベリリという音が部屋中に響き渡った。その音が、雅美に、自分がおむつをあてられていることを改めて思いおこさせる。
 続いて万里子がおむつカバーの横羽根をシーツの上に広げると、明日香からもらった動物柄の布おむつが丸見えになった。おむつは薄い黄色に染まって、雅美の下腹部にべっとり貼り付いている。
「うふふ、今度はちっちだったのね。でも、あまり出てないのね」
 動物柄の布おむつは雅美のおしっこで濡れていたけれど、万里子の言うように、ぐっしょりというわけでもない。熱に浮かされて意識が朦朧としているため、尿意が高まらなくてもついつい膀胱の緊張が解けて、気がつけばしくじっていまっているという状態で、一回一回のおしっこの量は多くないのに、一晩のうちに何度も何度もおもらししてしまうということの繰り返しだった。
「坂上さん、私も手伝おうか?」
 それまで明日香がミルクを飲ませるのを見ていた今日子が万里子の方にやって来て言った。
「あ、それじゃ、小物置きの横に置いてあるバスケットとポリバケツを取ってもらえるかしら」
 万里子は、雅美の下腹部から剥ぎ取ったおむつを、シーツの上に広げたおむつカバーの前当ての内側に重ねながら、部屋の一角を目で指し示した。
「あ、これね」
 今日子は軽い身のこなしで、藤で編んだ大きなバスケットとピンクのポリバケツをベッドのそばに持ってきた。
 藤のバスケットには、五枚を一組にして予め重ねておいた布おむつが何組かと、新しいおむつカバーが二枚入っていて、ポリバケツには、洗剤を溶かしたらしい水が三分の一ほど入っていた。
「はい、あんよを上げまちゅよ」
 万里子は雅美の両方の足首をまとめて掴むと、そのまま高々と差し上げた。そうして、雅美のおしっこを吸って僅かに重くなった布おむつを手前にたぐり寄せて、ポリバケツの中に滑らせる。
「はい、お尻拭き」
 小物置きの上に置いてあった円筒形の容器から今日子がお尻拭きを引っぱり出して万里子に手渡した。明日香が赤ん坊だった頃に母親がおむつを取り替えるのを何度か手伝っていた記憶が甦ってきて、自然に手が動く。
 万里子は、左手で雅美の足首を差し上げたまま、右手を伸ばして雅美の下腹部にお尻拭きを押し当てた。消毒用のアルコールが滲み込んだお尻拭きのひんやりした感触に、雅美の体がびくんと震える。
「あとはベビーパウダーね」
 万里子が雅美の下腹部を拭き終わるのを待って、今日子はベビーパウダーのパフを手渡した。
「はい、ぱたぱたでちゅよ。おむつかぶれにならないように、たくさんぱたぱたしまちょうね」
 言いながら、万里子は、何度もベビーパウダーをパフで掬い取っては、雅美の下腹部にはたきつけた。それも、特に恥ずかしい部分は念入りに。おむつかぶれにならないようにと言いながらも、本当のところは、柔らかいパフで雅美の秘部を責めるのが目的だ。怪しげな手つきを今日子に気づかれないよう注意しながら、それでも、執拗に雅美の感じやすいところを責め続ける。
「あ……ん」
 たまらず呻き声を漏らしてしまう雅美。意識が朦朧としているぶん理性の抑えが利きにくくて、知らず知らずのうちに呻き声が漏れ出てしまう。けれど、哺乳壜の乳首を咥えているために声がくぐもって、それが実は万里子に責められて思わず漏らしてしまったなまめかしい呻き声だということは今日子に気づかれずにすんでいた。その代わり、呻き声を漏らすたびにミルクがこぼれ出て、よだれかけの恥ずかしいシミの数が増えてゆく。
「このくらいでいいかな、ぱたぱたは」
 ようやく、ベビーパウダーのパフを持つ万里子の手の動きが止まった。
 けれど、羞恥に満ちた時間が終わるわけではない。
 万里子は、おむつを入れた藤のバスケットに手を伸ばして、バスケットの隅に置いてある細長いガラス管をつかみ上げた。それは、大人用のとはまた違う、お尻の穴に差して体温を計る幼児用の体温計だった。美智子がミモザの薬局で買い求めたものだということは言うまでもない。
「新しいおむつをあてる前に、お熱を計っておきまちょうね。お熱があったらお薬が要りまちゅからね」
 万里子は左手に力を入れて雅美の足首をいちだんと高く持ち上げ、そのまま、体を曲げるようにして雅美の顔の方に持っていった。こうすると雅美の体が海老みたいに丸くなって、お尻の穴が丸見えになる。
「いや、お熱、いや……」
 たまらず雅美は弱々しい抗議の声をあげた。初めてその体温計をお尻の穴に差し込まれた時、熱のせいではっきりしない意識ながら、いいようのない羞恥を味わった。それから、おむつを取り替えられるたびに何度も何度も体温計でお尻の穴を責められ、そのたびに、最初の時に比べてもまるで弱まらない羞恥を覚え続けた。それが今度は今日子と明日香の目の前で幼児用の体温計をお尻の穴に差しこまれるのだと思うと、万里子からどんな仕打ちを受けるのかわからない不安に怯えながらも、思わず抗議の声をあげてしまう雅美だった。
「駄目よ、ちゃんとお熱を計っておかないと。我が儘言ってばかりだと病気は治らないんでちゅからね。それとも……」
 万里子は自分の言葉を途中で止めた。
 それとも、雅美ちゃんが恥ずかしいおつゆでおむつを濡らしちゃったことを今日子お姉ちゃんと明日香お姉ちゃんに教えてもいいのかな?
「ご、ごめんなさい。もう我が儘言いません。雅美、いい子になります。ごめんなさい、万里子お姉ちゃん」
 万里子が何を言おうとしているのか察した雅美は、哺乳壜の乳首を咥えているせいでくぐもった声で言った。唇の端からこぼれ出したミルクが顎先から首筋に滴り落ちて、よだれかけに大きなシミが広がる。
「そう、雅美ちゃんはいい子だもんね。それじゃ、お熱を計りまちゅよ。じっとしててちょうだいね」
 万里子は、右手の人差し指と親指で支え持った体温計の楕円形になっている先端を雅美のお尻の穴に突き立てた。
「ん、く……」
 雅美の口から漏れ出た呻き声に、羞恥と屈辱ばかりではない、奇妙な被虐的な悦びさえ混ざっているように聞こえるのは気のせいではないだろう。
 万里子の手で足首を高々と差し上げられ、丸見えになったお尻の穴を体温計に貫かれて、自分よりもずっと年下の保育園児の手で哺乳壜のミルクを飲まされる雅美。冷たいガラスの体温計に差し貫かれたお尻をおむつカバーの上に載せて、ロンパースとよだれかけを身に着けた雅美。そんな雅美の姿をじっとみつめる万里子は、胸の中にいいようのない妖しい悦びが渦巻くのを止められないでいた。
「もう少しだから、いい子にして待ってまちょうね。すぐにすみまちゅからね」
 体温計が雅美のお尻から抜け出ないように右手で支えながら、万里子は、両目をぎゅっと閉じて恥ずかしさに耐えている雅美の顔を、妖しく輝く瞳でみつめる。雅美の唇の端からは絶え間なくミルクの細い条が流れ落ちて、頬といわず顎といわずうっすらと白く染め、レモンイエローのよだれかけに薄いシミをつくっている。
「そろそろいいかな。はい、終わりまちたよ」
 本当なら二分間でいいのをわざと三分間我慢させて、ようやく万里子は雅美のお尻から体温計を引き抜いた。それも、ゆっくり時間をかけて、お尻の穴を内側から体温計でくすぐるようにしながら。
「や……」
 万里子は、お尻の方から伝わってくる奇妙な感覚に内腿を震わせてびくびくと腰を浮かした。
「さ、お熱はどうかな。――う〜ん、下がってないわねぇ。まだ、三十八度少しあるわ。これじゃ、お薬を入れないと、ゆっくりねんねできないわね」
 万里子は、目盛りを読んだ体温計の先をウェットティッシュで拭いてからバスケットに戻して、やはりこれもおむつと一緒にバスケットに入れておいた銀色の包みをつかみ上げた。
 お薬と聞いて雅美は弱々しく体をよじったが、万里子の左手が足首を差し上げたままだから、どうにもならない。
 万里子が右手で銀色の包装を破ると、中から、先を丸く削った細いチョークみたいな白い薬が出てきた。
「それ、何のお薬なの?」
 万里子が右手の指に挟んだ薬を見て、今日子が僅かに首をかしげて訊いた。
「解熱用の坐薬よ。あまり熱が高いとちゃんと眠れなくて回復が遅くなるからって、往診してくれたお医者さんが置いていってくれたの。昨夜、一番熱が高くなった時と、夜中に一度使ったけど、このお薬を入れてあげると、すぐに熱がひいてぐっすり眠っていたわ。強いお薬だから日に何度も使うのは控えるよう言われてるんだけど、八時間以上の間隔を取れば大丈夫らしいわ。あっと、持っているだけで私の体温ですぐに溶けちゃうから、早く入れてあげなきゃね」
 万里子は坐薬の一方の端を人差し指の腹で押すようにして、それまで体温計を差し込んでいた雅美のお尻の穴にぐいっと押し込んだ。
 途端に、ぬるっとした感触がお尻の方から伝わってきて、思わず雅美は幼児がいやいやをするみたいに枕の上で顔を左右に振った。その拍子に哺乳壜の乳首が唇から離れ、ミルクの白い雫がぽたぽた滴り落ちて、よだれかけに更に大きなシミを作る。
 慌てて明日香が哺乳壜を上に向けたからそれ以上はゴムの乳首からミルクが溢れ出ることはなかったものの、よだれかけの上に滴り落ちたミルクの内の幾らかはよだれかけの裏側にまで滲み出して、ロンパースの胸元とTシャツまで濡らしてしまっていた。
「あらあら、よだれかけも役に立たないほどミルクの飲み方が下手だなんて、やっぱり、雅美ちゃんは二歳児クラスに入れてもらわないといけないかもしれませんね。美保ちゃんとお友達になれるから、それでもいいでちゅね。はい、じゃ、せっかく入れたお薬がお尻から出ちゃわないように、新しいおむつでないないしまちょうね。――あ、明日香ちゃんはもういちどミルクを飲ませてあげて。雅美ちゃんはまだちゃんと哺乳壜でミルクも飲めないけど、優しくしてあげてね」
 からかうみたいにそう言って、万里子は、バスケットから取り出した布おむつを雅美のお尻とおむつカバーの間に敷き込んだ。
 何度あてられても決して慣れることのない柔らかな感触が雅美の羞恥をこれでもかと掻きたてる。
 万里子はわざとじらすように、五枚の布おむつを一枚ずつゆっくり雅美の両脚の間を通して下腹部を覆っていった。布おむつが両脚の間を通るたびに、柔らかな感触が左右の内腿をそっと撫でて、秘部を覆って下腹部の上に重なってゆく。
 それから万里子はやっとのこと雅美の足首をベッドの上に戻して、ミモザのトイレの簡易ベッドで美智子に教わった通り、雅美の両膝を「く」の字に曲げさせた。そうして、両脚の付け根とベッドとの間にできた隙間を使っておむつカバーの位置を調整してから、横羽根どうしを左右から重ね合わせ、その上に前当てを重ねてマジックテープで留めて、おむつカバーの裾からはみ出ている布おむつを親指の腹で丁寧に押し込んでやる。あとは、ロンパースのボトムでおむつカバーを覆い隠して股間のボタンを四つ留めれば、それでおしまい。

 お腹の上に捲り上げたスカートを元に戻すのすと、哺乳壜が空になるのが殆ど同時だった。
「ありがとう、明日香ちゃん。おかげで、雅美ちゃんにミルクを飲ませながら、お熱を計るのもお尻にお薬を入れるのもおむつを取り替えるのも、みんなできたわ。本当にありがとう」
 空になった哺乳壜を受け取った万里子はそう言って、明日香をストゥールの上から抱きおろそうとした。
 その万里子の手を明日香は拒んで言った。
「お薬を入れたら、雅美ちゃん、もうすぐおねむなんでしょう? だったら、明日香、雅美ちゃんがおねむするまで見ててあげる。明日香の顔が見えなくなって雅美ちゃんが寂しくて泣き出しちゃったら可哀想だもん」
 明日香はお姉さんぶってそう言った。いや、お姉さん『ぶって』というのは正確ではないかもしれない。自分が哺乳壜でミルクを飲ませている間におしっこのおむつを取り替えられ、お尻で体温を測ってもらってお尻の穴に坐薬を入れてもらった雅美のことを、本当に自分よりも年下の、年少どころか、それこそ二歳くらいの赤ん坊を見るみたいな目で見るようになった明日香なのだから。
「そう。雅美ちゃんがおねむするまで見ていてくれるの。ありがとう、明日香ちゃん。さくら保育園、お昼寝の時間はあるの?」
 明日香を抱きおろそうとして伸ばした両腕を元に戻して万里子が言った。
「うん、あるよ。年長さんと年中さんはおやつの前に一回だけお昼寝の時間があるけど、年少さんはお昼ご飯の前にも一回あって、それで、やっぱり、おやつの前にもお昼寝の時間があるよ」
 明日香は、熱でほてった雅美の頬に自分の掌を押し当てて応えた。
「そうなの、やっばり、年少さんはお昼寝の時間が多いのね。じゃ、おやつの前のお昼寝は明日香ちゃんもおねむだから無理だけど、お昼ご飯の前のお昼寝の時は、雅美ちゃんがおねむするまで明日香ちゃん、今みたいに見ていてくれる? でも、工作とかお遊戯で忙しいから駄目かな」
 万里子は、雅美の顔をじっと見おろす明日香の背中に声をかけた。
「うん、いいよ。年少さんのお昼寝の時、先生、年少さんがゆっくりおねむできるようにお腹をぽんぽんしてあげたり子守唄を歌ってあげてねって言ってるもん。だから明日香、雅美ちゃんのお腹ぽんぽんしてあげるね」
 明日香はにっと笑って万里子の方に振り向くと、もういちど雅美の方に向き直って、ロンパースの上から雅美のお腹をぽんぽんと優しく叩き始めた。
 自分よりずっと年下の少女にあやされ寝かしつけられることにひどい屈辱を覚えながらも、けれど、雅美の瞼は次第次第に閉じてゆく。熱のためにまともに眠っていなかったのが、万里子の手でお尻に入れられた坐薬が効いてきて熱が下がってきたため、とてもではないがこらえようもなく眠くなってくるのだった。
 体温ですぐに溶けだした坐薬の幾らかがおむつに滲み出したのだろう、お尻のあたりがぬるぬるしてくるのがわかる。けれど、それを不快に感じる余裕もないまま、雅美は意識を失った。




 午前中に今日子と明日香がやってきて万里子が雅美の世話をするのを手伝い、二人の母親がパートに出ていることもあって万里子の家で三人で昼食をとり、午後になってまた二人が万里子の手伝いをする。翌日も、その翌日も、また翌日も同じことの繰り返しだった。
 そうして、その次の日。
 いつもは午前十一時くらいに坂上家を訪れる二人なのに、この日は二時間ほど早めにインターフォンのボタンを押していた。

「あら、今朝は早いのね。どうかしたの、明日香ちゃん?」
 思いがけない時間の来訪に、万里子は少し驚いたような顔で二人を家の中に招き入れた。
「うん、今日は雅美ちゃん元気になってると思ったの。それで、早く雅美ちゃんと遊びたくて来たの」
 廊下に上がりながら、明日香はなぜだか自信たっぷりに応えた。
「ごめんなさいね、早くから押しかけて。聞いての通りなのよ。明日香ったら、今日こそは雅美ちゃんのお熱が下がってる筈だって言い張って。それで早く行こうよってせっつかれて来たってわけ。ごめんね、ご迷惑でしょう?」
 明日香に続いて廊下に上がった今日子は、さかにん恐縮して言った。
「ううん、迷惑だなんて、そんなことないわよ。それより、明日香ちゃん、どうして今日は雅美ちゃんが元気になってるって思ったの?」
 今日子に向かって首を振ってから、万里子は、興味深げな表情で明日香に言った。
「だって、昨日は万里子お姉ちゃん、雅美ちゃんのお尻にお薬入れなかったもん。お昼ご飯の前も、お昼ご飯の後も、一度もお薬入れなかったもん。それで、お薬が要らなくなったんだって思ったの。だから、もうすぐ元気になるって思ったの」
 明日香は胸を張って応えた。
「あ、そうだったっけ? 坂上さん、昨日は一度も解熱剤を使ってなかったっけ?」
 言われて、明日香の観察眼に舌を巻きながら、今日子は驚いて万里子に訊き返した。
「うん、明日香ちゃんの言う通りよ。何度も熱を計ったけど、もう殆ど微熱くらいに下がっていたから坐薬を使うのは控えていたの。――それにしても、よく見ていたわね、明日香ちゃん」
 今日子に事情を説明した後、万里子は明日香の顔を正面から見て言った。
「だって、明日香、雅美ちゃんのお姉ちゃんになるんだもん。年少さんが困ってたら年長さんが助けてあげなきゃ駄目なのよって先生いつも言ってるもん。明日香、雅美ちゃんのお姉ちゃんだから、雅美ちゃんの病気が早くよくなりますようにってお祈りしてて、いつよくなるか、ずっと考えてたんだもん」
 明日香は得意げな口調で言った。
「そう、明日香ちゃんはお姉ちゃんだもんね。じゃ、雅美ちゃんが待ってるから、早く行こうか。雅美ちゃん、明日香お姉ちゃんにミルクを飲ませてもらうの待ってるよ」
 万里子は明日香に向かってウインクしてみせてから、二人の先に立って歩き出した。
 けれど、万里子が向かったのは、いつもとは違って、階段のある廊下の奥の方ではなかった。
 万里子は廊下の途中で立ち止まると、右手のドアを開けて、開けたばかりのドアの内側に姿を消した。。
 今日子と明日香は、互いに顔を見合わせてから、万里子に続いて、開いたドアの内側に足を踏み入れた。

 そこは、カウンターでキッチンと隔てられた、お洒落な内装のダイニングルームだった。お洒落なのは内装だけではない。二人が初めてこの家を訪れた時に万里子が言っていた北欧製のダイニングテーブルを初め、椅子も食器棚もキッチンの片隅にある収納庫も、どれもが上品でお洒落な調度品ばかりだった。
 そんなダイニングテーブルに向かって雅美が椅子に座っていた。
「雅美ちゃん、寝てなくていいの?」
 雅美の姿を目にするなり、心配そうな表情で今日子は万里子に尋ねた。
「いいのよ。明日香ちゃんが言ってたように、もう大丈夫なの。だから、今日からは、ご飯もベッドの上じゃなく、ここで食べさせることにしたのよ。お母さんとも相談したから心配ないわ」
 万里子は、おだやかな声で応えた。
「ほら、明日香の言った通りでしょ? 雅美ちゃん元気になってるって明日香が言ったら、その通りになったでしょ?」
 万里子の説明が聞こえたのだろう、明日香は一段と胸を張って今日子の顔を見上げた。そうして、嬉しそうに顔を輝かせて、雅美が座っている場所、入り口からはダイニングテーブルの向こう側に駈けて行った。
 けれど、じきに、なんだか困ったような明日香の声が聞こえてくる。
「今日子お姉ちゃ〜ん。雅美ちゃんの椅子とっても高くて、明日香、手が届かないよぉ」
 言われて、今日子も気がついた。
 目の前にあるダイニングテーブルが普通の物に比べると二十センチほども高いところに机面があって、それに合わせて、雅美が座っている椅子も随分と背が高いのだ。これでは、保育園児の明日香が雅美の顔を見ようとしても、思いきり顔を振り仰がなければならない。哺乳壜でミルクを飲ませるといっても、手が届くわけがない。
「私の部屋のベッドもそうだけど、この北ヨーロッパのメーカーの家具って、どれも、むこうの人の体つきを基に作ってるのよ。だからベッドはクイーンサイズもいいとこだし、ダイニングテーブルは縦も横も広い上に、国産のと比べるとこんなに脚が高いの。ま、お父さんもお母さんも私も平均より背が高いからちょうどいいんだけど、でも、雅美ちゃんだと、普通の椅子に座らせるとテーブルの上に頭がちょっと出るだけになって、ご飯を食べるなんてとてもじゃないけどできないのよね」
 ダイニングテーブルの大きさと高さに少し呆れたような顔になっている今日子に、軽く肩をすくめて万里子が言った。
「それに気がついて、仕事からの帰り道に家具屋さんで慌ててお母さんが注文して届けてもらったのが、あの椅子なの」
 万里子はそう言いながら、ダイニングテーブルの周りを歩いて、雅美が座っている所へ今日子を案内した。
 近くで見ると、雅美が座っている椅子が、ダイニングルームにある他の椅子とはまるで違っているのがわかる。体の小さな雅美がテーブルの食べ物に手が届くよう特に背が高くなっているのはもちろんのこと、他の椅子のように背もたれが付いているだけというのとは違って、雅美の体の両側には肘掛けも付いていて、しかも、左右の肘掛けを跨ぐように、雅美の体のすぐ前に、小さなテーブルが椅子に作り付けになっている。それに、よくよく見ると、誤って雅美が椅子から転げ落ちるのを防止するためだろう、両方の太腿を座面に固定する幅の広い滑り止めのベルトまで付いていた。
「はい、これで届くかな」
 万里子は、食事の時にいつも自分が使っている椅子を持ってきて、その上に明日香を立たせた。テーブル同様、椅子の座面も国産のものより一回り広く作ってあって、明日香が足を踏み外す心配もなさそうだ。
「うん、大丈夫だよ。これで雅美ちゃんにミルクを飲ませてあげられるね」
 明日香は満足そうに頷いて、椅子に作り付けになっている小さなテーブルの上に立っている哺乳壜に手を伸ばした。その時になって、雅美が座っている椅子が他の椅子と比べると随分と形が違っていることに明日香も気がついたようだ。少し不思議そうな顔をして、けれどすぐに明日香は大きな声で言った。
「あ、これ、赤ちゃんの椅子だ。雅美ちゃん、赤ちゃんの椅子に座ってる」
 明日香がそう言うのを聞いて、ようやく今日子もその椅子が何なのかわかった。ちょっと形の変わった椅子だな、でも、どこかで見たことのあるような椅子だなと思っていたのが、明日香の声で、明日香が赤ん坊の頃に使っていたのと同じような形の椅子だということに気がついたのだ。そう思ってよく見ると、椅子に作り付けになっているテーブルには、哺乳壜や食器が滑り落ちるのを防ぐための丸や四角の窪みもある。
「よくわかったわね、明日香ちゃん」
 赤ちゃんの椅子だと言った明日香に、万里子はにこやかな笑顔で応じた。
「だって、美保ちゃんもこんな椅子にお座りしてるもん。こんな椅子に座ってお母さんにごはん食べさせてもらってるもん」
 あらためて哺乳壜を持ち上げながら、明日香は嬉しそうに言った。
「雅美ちゃんも、赤ちゃんの椅子に座って、赤ちゃんのお洋服を着て、赤ちゃんの哺乳壜でミルクを飲むんだね。美保ちゃんと一緒だね」
「そうね、雅美ちゃん、赤ちゃんになっちゃったね。もともと雅美ちゃんは甘えん坊さんで、病気でもっと甘えん坊さんになって、それで赤ちゃんになっちゃったのかもね」
 それが自分たちの企みの結果だということはおくびにも出さず、まるで雅美が自分から進んでそうなったとでもいうように万里子は言った。
「雅美ちゃん、赤ちゃんだから、今日もよだれかけするの?」
 明日香は哺乳壜の乳首を雅美の唇に押し当てようとして、ふと思い出したように万里子に訊いた。
「そうだ、よだれかけが要るんだったわね。よく思い出してくれたわね、明日香ちゃん。明日香ちゃんは本当に気のつく優しいお姉ちゃんだわ」
 わざとおおげさに頷いて、万里子は、あらかじめダイニングテーブルの上に広げておいたよだれかけを雅美の首に巻きつけた。
「はい、できた。いいわよ、飲ませてあげて」
 よだれかけの紐を雅美の首筋の後ろで結んで、万里子は明日香に頷いてみせた。
「はぁい。雅美ちゃん、ミルクでちゅよ。たくさん飲んで大きくなりまちょうね」
 実際には自分よりも背が高く、本当のことをいえば自分よりもずっと年上の雅美に向かって、それこそ年下の赤ん坊をあやすみたいに言って明日香は哺乳壜の乳首を雅美の唇に押し当てた。
 しばらくすると、いつもと同じように雅美の唇の端からミルクが白い条になってこぼれ出す。こぼれ出したミルクをよだれかけの端で優しく拭いてやる明日香の甲斐甲斐しい姿も、いつもと同じだった。

 哺乳壜を満たしていたミルクが残り半分ほどになった頃、助けを求めるような目で雅美が万里子の顔を見上げた。
「ん? どうしたの、雅美ちゃん」
 雅美の切羽詰まったような表情が何を意味しているのか充分にわかっていながら、万里子はわざととぼけて言った。
「……お、おし……」
 雅美は僅かに唇を動かして何か訴えようとするのだが、哺乳壜の乳首のせいでくぐもった声になってしまう上に、少しでもミルクをこぼすまいとするから、何を言っているのか殆ど聞き取れない。
「ごめんね、明日香ちゃん。雅美ちゃん何か言いたそうにしてるから、少しの間だけ哺乳壜を離してあげて」
 万里子は、雅美にミルクを飲ませている明日香に優しく言った。
「はぁい。じゃ、雅美ちゃん、ミルクはちょっとだけお預けね」
 言われるまま、明日香は哺乳壜を雅美の唇から離して、小さなテーブルの窪みに立てた。
「これでちゃんとお話できるわね? どうしたの、雅美ちゃん。何をお話したいのかな」
 万里子はあらためて雅美の顔を見おろした。
 雅美の顔はさっきより一段と切羽詰まった表情になっている。
「ほら、どうしたの?」
 万里子がもういちど促した。
「……お、おしっこ……おしっこなの……」
 万里子に促されて、ようやく、今にも消え入りそうな弱々しい声で雅美は言った。
「あらあら、ちっち出ちゃったの? 大変大変、早くおむつ取り替えないとお尻が気持ちわるいわね」
 雅美の言葉に、万里子はわざと慌ててみせる。
「ちがうの……まだ出てないの。出てないけど、出ちゃいそうなの……」
 雅美はすがるような目をして訴えかけた。
「あ、まだ出てないのね。えらいわね、雅美ちゃん。ちゃんとちっち教えられるようになったのね」
 それこそ本当におしっこも教えられない赤ん坊に対するように言って、万里子は、哺乳壜をダイニングテーブルの上に置き直し、椅子に作り付けのテーブルをぱたんとたたんで、雅美の太腿を固定しているベルトを手早く外した。それから、両手を差し入れて、幼児用の背の高い椅子から雅美の体を抱きおろして、フローリングの床にお尻をぺたんとつけて座らせた。
「はい、いいわ。せっかく雅美ちゃんがちっち教えてくれたんだもん、トイレへ行こうね。ちゃんとトイレへ行ってちっちしようね。そうすれば、明日香お姉ちゃんと同じ年長さんクラスに入れるからね」
 万里子は、ダイニングルームの床に座らせた雅美にそう言うと、先に立って歩き出した。
 続いて雅美も立ち上がろうとする。――立ち上がろうとするのだが、まるで両脚に力が入らなくて、椅子の脚につかまってようやく立ち上がっても、すぐに膝から崩れ落ちてしまう。
「あらあら、まだあんよもできない赤ちゃんだったのね、雅美ちゃんは」
 おもむろに振り返った万里子は、腰に手を当てて雅美の顔を見おろした。
「雅美、赤ちゃんじゃない。あんよのできない赤ちゃんなんかじゃない」
 思わず言い返す雅美だけれど、手足を踏ん張ってやっとのこと立ち上がっては膝を折り、また立ち上がってはよろめいて尻餅をつくといったことの繰り返しだった。
 そうして、雅美が自分の体を持て余し、立ち上がるのを諦めて床にぺんたとお尻をつけた時を見計らって万里子が言った。
「そうよね、丸々四日間もベッドにねんねしてたら、あんよに力が入らなくなっちゃうわよね」
 旅行から帰ってきたその日の夜に体を冷やして体調を崩した雅美は、今朝までずっと万里子のベッドに寝たきりの生活だった。これがまだ、トイレや食事の時だけでも自分の足で歩いていればこんなふうにはならなかったのだろうが、おしっこやうんちはトイレへ行かずにおむつを汚しては万里子の手で取り替えてもらい、食事もダイニングルームまで足を運んで固形物を食べるのではなくベッドの上で哺乳壜のミルクを飲ませてもらっていた。ずっと続いていた高熱のために意識が朦朧として雅美自身は時間感覚を失っていたけれど、四日間以上に渡ってそんな生活を続けていたのだ。しかも今もまだ幾らかは微熱が続いているものだから体もだるくて、両脚が自由になる筈がなかった。
「……連れて行って。万里子お姉ちゃん、雅美をトイレに連れて行ってよぉ」
 際限なく高まってくる尿意に耐えかねて、お尻を床につけ両脚をだらしなく開いた幼児そのままの姿で雅美はすがるように言って、万里子に向かって両手を伸ばした。
「せっかく雅美ちゃんがちっち教えてくれたんだから、お姉ちゃんもトイレへ連れて行ってあげたいわよ。でも、駄目なの」
 万里子はわざとおおげさに首を振った。
「どうして、どうして駄目なの?」
 雅美は声を震わせて訊いた。
「だって、ちっち教えるだけじゃ年長さんにはなれないのよ。ちっちを教えて、自分でトイレへ行ってちゃんとできるようにならなきゃ、年長さんにはなれないの。先生にトイレへ連れて行ってもらうような子は年長さんじゃないのよ。だから雅美ちゃんも自分でトイレへ行けるよう練習しなきゃ」
 万里子はそう言うと、雅美の目の前に膝立ちになって、両手をぱんぱんと打った。
「ほら、この音についてらっしゃい。あんよができないなら、はいはいでついてらっしゃい。はいはいでトイレへ行きましょうね」
 いつまで我慢できるのか自分でもわからない。迷っている余裕なんてなかった。言われるまま、雅美は、万里子に向かって伸ばした両手をおずおずと床についた。掌を床について体重を両手に預けるようにして膝頭を固い床につけると、のろのろした動きでお尻を上げる。
「そうそう、お上手よ、雅美ちゃん。お尻が上がったら、もうこっちへ来られるわね。ほら、ぱんぱん。そうよ、はいはい、お上手よ」
 雅美が四つん這いの姿勢になったのを見て、万里子はいっそう大きな音で両手を打ち鳴らした。
 その音に惹かれるように、雅美はゆっくり右手と左足を前に動かした。まるで力の入らない脚だから、そんな動きをするだけでバランスを崩しそうになる。それをかろうじて踏ん張って、雅美は今度は左手と右足を前に進める。
 
 しばらくはそうしてダイニングルームの床を這っていた雅美の動きが突然ぴたっと止まった。
「どうしたの、雅美ちゃん。ほら、トイレへ行くんでしょう?」
 万里子は膝立ちのまま腰をかがめて雅美の顔を覗き込んだ。
 けれど、雅美は弱々しく首を振るばかりだ。
「このままだとおむつを汚しちゃうわよ。そうしたら年長さんになれないのよ。それでもいいの?」
 万里子は重ねて訊いた。
 それでも雅美は何も応えない。無言のまま、やはり力なく首を振るばかり。
 実際、もう雅美には前に進む気力は微塵も残っていなかった。固いフローリングの床に擦れて膝頭はこらえようもなく痛くなってきているし、尿意はいよいよ限界に近づいて、もう、少しでも余計な力を入れたらどうなるかわからない。しかも、左右のバランスを取りながら這って進もうとすると、床にかける体重を調整するために、両方の膝をきちんとそろえなければいけない。そんな姿勢で両脚を交互に動かすと、立って歩くのに比べて尚いっそう、雅美の秘部が柔らかな布おむつにこすれてしまうのだ。今や、雅美の下腹部を包む布おむつの中は洪水みたいになっていた。それも、おしっこで濡れているのではない、もっと恥ずかしいねっとりしたおつゆで溢れかえっているのだ。こんな状態では、これ以上少しでも前に進むことなどできる筈がない。
 もういちど弱々しく首を振って、雅美は、ぺたんと床にお尻をおろしてしまった。床にお尻をおろして、内腿に触れる愛液のぬるぬるした感触から逃げようとして、両脚をだらしなく開いてしまう。
「もう年長さんにはなれないのよ」
 念を押すみたいな万里子の声を聞きながら、雅美は、大きな瞳から涙の雫を一つこぼした。涙を流しながら、まるで永遠に手にすることがかなわぬ宝物を求めて手を差し伸べるように、雅美は、廊下に続くドアに向かって力なく両手を突き出した。そのドアを通って廊下に出れば、トイレはもうすぐそこだ。普通に歩けばなんということもない距離が、今の雅美にとっては、絶対に越えることのできない大河のように思える。
 雅美の体がびくんと震えた。
 雅美がおむつを濡らしているのは誰の目にも明らかだった。
 涙の雫が大きくなって、とうとう雅美は声をあげて泣き始めた。
 ミルクのシミが付いたよだれかけを首に巻き付け、スカート付きロンパースの中に隠れた布おむつをおしっこで汚しながら手放しで泣きじゃくる雅美。それは、自分では何もできない無力な赤ん坊そのままの姿だった。




 それから二時間ほど後、『桜ケ丘中央公園』の真ん中付近に広がる芝生広場に雅美たちの姿があった。
 結局トイレへ行くことができずにダイニングルームの床に座りこんでおむつを汚してしまった雅美の姿を見守りながら「雅美ちゃん、あんよができたらトイレへ行けて、それで、年長さんになれるんだよね? だったら、今からあんよの練習をさせてあげようよ」と今日子に言う明日香の声を耳にした万里子が「そうね。でも、お家の中だと狭くて練習しにくいから、公園へ連れて行こうか。ついでだから、お弁当を作って持って行こうか。それで、雅美ちゃんのあんよの練習とハイキングを一緒にしちゃうの。どう?」と言い出したのがきっかけだった。今日子も明日香も万里子の提案に同意して、雅美のおむつを取り替えた後、明日香が雅美をあやしている間に今日子と万里子が手早くサンドイッチを用意して、広い芝生広場があって少しくらい転んでも怪我をする心配も少ないから雅美のあんよの練習にはちょうどいいということで、今日子と明日香が時おり遊びに行く桜ケ丘中央公園に行くことにしたのだった。

 砂場や遊具があるあたりには小さな子供やその母親たちの姿が見受けられるけれど、芝生広場には殆ど人影がなかった。
 今日子は、芝生広場の一角に植わっている背の高い木の根元にレジャーシートを広げて、あとに続く万里子たちに手招きをした。
「ふぅ、さすがに汗をかいちゃったわ。自分一人で歩いてくるだけならいいけど、やっぱり、ベビーカーを押しながらだと大変ね」
 葉の生い茂った木の陰に入ると、万里子は、ハンカチを力いっぱい振って顔に風を送りながら大きな溜め息をついた。
 一方、ここ何日間も雅美の家にいるばかりだったのが、久しぶりに公園にやってきたものだから、明日香は元気いっぱいだ。万里子が押していたベビーカーの前に走り寄ると、ベビーカーの日除けの中を覗き込んで嬉しそうに言った。
「雅美ちゃん、暑くなかった? 公園に着いたから、あんよのお稽古しようね」
 ベビーカーの日除けの下には、雅美の姿があった。
 何日間も寝たきりの生活で脚の筋力が衰えてしまい立ち上がることさえできなくなった雅美に『あんよのお稽古』をさせるために桜ケ丘中央公園に連れて行く相談がまとまったのはいいが、自力では一歩も歩けない雅美をどうやって公園まで連れて行けばいいのか、それが問題だった。そこで今日子が思い出したのが、自宅の物置にしまってあるベビーカーのことだった。明日香が赤ん坊の時に使っていたベビーカーがまだ引き取り手がなくしまったままになっているのを思い出した今日子は、物置からベビーカーを引っ張り出すと、どこも壊れていないことを確認して、雅美の家まで持ってきたのだった。もちろん雅美はベビーカーに乗るのを拒んだが、万里子の手で軽々と抱き上げられ、ベビーカーのシートに座らされて滑り止めのベルトで両脚と背中を固定されてしまっては、もうどうにもならなかった。
「あ、でも、お稽古の前にお顔を綺麗綺麗しないと駄目ね。雅美ちゃんのお顔、よだれがいっぱい付いてるもん」
 レジャーシートの上にランチバスケットと水筒を置いてから万里子の横に並んでベビーカーの日除けの中を覗き込んで、今日子はポケットから取り出したハンカチを雅美の顎に押し当てた。
 今日子の言う通り、雅美の顔には、べとべととまではいかないものの、顎から首筋にかけてのあたりに、唇の両端から流れ落ちたよだれの跡が付いていた。
「でも、ちゃんとよだれかけを着けておいたから、新しいロンパースは汚れてないみたい。よかったわね、雅美ちゃん。せっかくの公園デビューの時によだれでよごれたお洋服じゃなくて」
 顔に浮かぶ汗をハンカチで拭きながら、万里子も腰をかがめてベビーカーを覗き込んだ。
「そうね、せっかくお姉ちゃんにこんなに可愛いロンパースを作ってもらったんだもの、よだれで汚しちゃいけないわよね。さ、お顔も綺麗になったから、ベビーカーからおろしてあげましょうね」
 今日子はそう言うと、ハンカチをポケットにしまって、ベビーカーの日除けを小さく折りたたんで、雅美の体を固定しているベルトを外した。
 日除けがなくなって、きらきら輝く木漏れ日を浴びる雅美は、朝食の時に着ていたのとはまた違う真新しいロンパースを身に着けていた。生地の色は、旅行の最後の日に着ていたサンドレスと同じ、真夏の向日葵を思わせる鮮やかな黄色で、幅の広い同色のフリルを三段に重ねて、一番下のフリルが特に幅が広くなっていてそのまま丈の短いスカートみたいになった可愛らしいデザインのロンパースだ。中央公園へ行く相談がまとまった時、万里子が「せっかくの公園デビューだから昨夜縫い上げたばかりの新しいお洋服を着ていきましょうね」と言って、それまでのピンクのスカート付きロンパースから着替えさせたのだった。
 今日子が滑り止めのベルトを外すのを待って、万里子が雅美の体をベビーカーのシートからレジャーシートの上に抱きおろした。
 レジャーシートにぺたんとお尻をつけて座らされた雅美は、おどおどした様子で周りを見まわし、自分たちの他には人影がないのを確認して、僅かに安堵の色を浮かべた。
「残念だったわね、雅美ちゃん。せっかく新しいお洋服にしたのに、ここには誰もいないみたい。お友達になれそうな子は、みんな、滑り台や砂場がある所にいるみたいね。あんよのお稽古が終わったら、明日香お姉ちゃんに連れて行ってもらいましょうか」
 雅美が怯えた表情で周囲の様子を確認するのを見て、面白そうに万里子は言った。
 それに対して、雅美は短く
「や……」
とだけ言って弱々しく首を振るばかりだ。本当なら「そんなこと、いや」と言いたいのだが、口にふくんだおしゃぶりのために唇と舌が自由に動かせなくて、言葉らしい言葉にならない。しかも、僅かでも唇を動かすたびに、口の中に溜まっている唾がよだれになってこぼれ出し、顎から首筋を濡らして、よだけかけに吸い取られてゆくのだった。
 雅美が初めておしゃぶりを口にしたのは、体調を崩して三日目の夜のことだった。意識を失って万里子のベッドに寝かされてからずっとまともに食事をとることもなく哺乳壜でミルクを飲まされていた雅美は、いつのまにか、ゴムの乳首を吸うのが習い性になってしまっていた。そのため、意識がある時はともかく、眠っている時などは知らず知らずのうちに自分の親指をちゅうちゅうと音をたてて吸う癖がついてしまったらしい。それを美智子がみつけて、夕飯代わりのミルクを哺乳壜で飲ませた後、「雅美ちゃんはお口が寂しいみたいでちゅね。じゃ、寂しくないように、これを咥えておねむしまちょうね」と言って、ゴムのおしゃぶりを雅美の口にふくませたのだった。そのおしゃぶりもまた、雅美を幼児扱いする道具として美智子がおむつかぶれの薬や哺乳壜と一緒にミモザの薬局で買った物の一つなのは言うまでもない。それ以後は、哺乳壜の乳首を吸っている時以外は雅美がいつもおしゃぶりを咥えているよう仕向ける美智子と万里子だった。もちろん、それは、今日子や明日香の前でも変わらない。そうして、いつもおしゃぶりを咥えているために自然と口の中に唾が溜まり、ちょっとしたことでその唾が唇の隙間からよだれになって流れ出し、気がつけばよだれかけを汚すのが常になってしまった雅美だった。
「あらあら、せっかく今日子お姉ちゃんがお顔を綺麗にしてくれたのに、また汚しちゃうなんて、本当に困った赤ちゃんでちゅね、雅美ちゃんは」
 万里子は、顎先からよだれかけに滴り落ちるよだれの雫を、それまで自分の汗を拭っていたハンカチでわざとのように優しく拭きながら言った。
「まぁみ、あかたんじゃない」
 雅美、赤ちゃんじゃない。本当はそう言いたかった。なのに、自由にならない舌と唇では、それこそ本当の幼児なみのたどたどしい発音にしかならない。しかも、抗議の声をあげるたびによだれかけのシミを大きくしてしまう。
「ほら、また汚しちゃった」
 万里子はくすっと笑ってハンカチを持つ手を大きく動かした。
「雅美ちゃん、またよだれかけ汚しちゃったの? じゃ、あんよのお稽古、まだできないね」
 万里子が何度もハンカチを動かすのを見て、明日香が横合いから言った。
「あ、いいわよ。ちゃんと綺麗にしてあげたからもういいわ。あんよのお稽古を始めましょう。でも、最初は、はいはいのお稽古からね」
 よだれを拭き取ってハンカチをポケットに戻した万里子は、雅美の斜め前の所で膝立ちになっている明日香に言った。
「うん、はいはいのお稽古だね」
 万里子に言われてこくんと頷いた明日香は、今日子があらかじめ用意していたガラガラを持ち上げると、レジャーシートの隅まであとずさりして、プラスチック製のガラガラを振り始めた。
「ほら、雅美ちゃん、明日香お姉ちゃんはこっちですよ。はいはいでここまで来てごらん。ほぉら、がらがら〜」
 雅美は動こうとしない。自分よりもずっと年下の保育園児が振るガラガラに向かって這って行くことなどできる筈がない。
 けれど、そんな雅美に無理矢理はいはいをさせようとして万里子が背後から手を伸ばす。
「どうしたの、雅美ちゃん。明日香おねえちゃんがガラガラで呼んでくれてるのに、どうして、はいはいして行かないの?」
 万里子は雅美の腰骨を両手でつかむと、そのまま、少し手前に引くようにして持ち上げた。そうすると、雅美が意識しないまま、両手の掌と両膝をレジャーシートについた四つん這いの姿勢になってしまう。
「ほら、はいはいのお稽古しましょうね。はいはいできないと、あんよのお稽古もできませんからね」
 万里子は雅美のお尻をとんと押した。
 その勢いで一歩だけ雅美の体が前に進んだ。途端に、恥ずかしいおつゆがとろっと溢れ出る。それまでもベビーカーの滑り止めのベルトが内腿にこすれ、ベビーカーが揺れるたびに喘ぎ声を漏らしそうになるのを我慢していたのだ。そんなところへ、今度は万里子にお尻を押されて四つん這いの姿勢で脚を動かしたものだから、柔らかな布おむつが、これまでにも増して秘部を責めたてるのだった。
「あらあら、はいはいもできない赤ちゃんだったのね、雅美ちゃんは。じゃ、お姉ちゃんがお手伝いしてあげなきゃいけないわね」
 万里子は、一歩進んだだけですぐに動きを止めてしまった雅美のお尻に掌を押し当てた。今日子の目にも明日香の目にも、なかなかはいはいしようとしない雅美のお尻を万里子が押してやるようにしか映らない。けれど、万里子は、雅美のお尻に掌を押し当てただけではなかった。おむつとおむつカバーでぷっくり膨れたロンパースの上からお尻に掌を押し当てたまま、万里子は、中指を立てて雅美の秘部をまさぐるのだった。
「や……ん」
 こらえきれずに雅美は喘ぎ声を漏らした。よだれが溢れ出て、四つん這いの姿勢を取ったために首から垂れ下がって広がるよだれかけを濡らす。
「はいはいしないと、もっとくすぐっちゃうわよ」
 万里子はそう言いながら、なおも中指で雅美の感じやすい部分を責めたてた。それは、『くすぐる』というような生やさしい責め方などではない。
 たまらず、万里子の責めから逃れようと雅美はのろのろと膝を動かした。万里子の中指が押す布おむつがますます強く雅美の恥ずかしいところを擦る。
 僅かな間に、布おむつはぬるぬるに濡れてしまった。
「ほら、もう少しよ。もう少しで明日香お姉ちゃんが待っている所まで行けるんでちゅよ」
 万里子は、あくまでも優しい声で呼びかけ、そっとお尻を押すふりを続けながら、今日子にも明日香にも気づかれることなく雅美の秘部を責めたてる。
「あ……ん」
 下腹部がじんじん痺れてくる感覚に、雅美は、いっそう大きな声で喘ぎ、よだれかけに新しいシミを作ってしまう。
「雅美ちゃん、暑いのかな? お顔が真っ赤だよ」
 万里子の中指に責められて上気した雅美の顔を見て、明日香が心配そうに今日子に言った。
「そうね。木の陰でも、芝生の照り返しはあるし、これまでずっとねんねしたいたのが急に体を動かしたもんだから、暑いのかもしれないわね」
 万里子の手の動きに全く気づかない今日子は、軽く頷いて明日香に言った。
「じゃ、もっと応援してあげなきゃね。雅美ちゃん、暑いけど頑張るのよ。はい、がらがらだよ〜」
 明日香が手を振って、ガラガラのかろやかな音が芝生広場中に広がってゆく。
「ほら、明日香お姉ちゃん、あんなに応援してくれてまちゅよ。だから雅美ちゃんも頑張りまちょうね」
 笑顔でそう言いながら、万里子は、ロンパースの上から中指を雅美の秘部にくいっと突き立てた。
「あ……」
 雅美の体がのけぞった。
 そうして、とうとう我慢できなくなって、レジャーシートの上にぺたんと座り込んでしまう。万里子の手から逃れようにも、じんじん痺れる下半身にはまるで力が入らない。
「あらあら、どうしたの、雅美ちゃん。せっかく明日香お姉ちゃんが応援してくれてるのに」
 雅美がはいはいをやめて座り込んでしまったのは自分のせいなのに、そんなことまるで知らぬげに、万里子はわざと不思議そうな表情を浮かべて言った。そうして、ふと何か気づいたような口調で続ける。
「あ、ひょっとして、ちっち出ちゃったのかな。ちっち出ちゃって、それで、はいはいできなくなっちゃったのかな」
「ちっち、出てない!」
 雅美はよだれかけを濡らしてしまうのも忘れて強い調子で言うと、激しく首を振った。
 もしも今おむつを取り替えられたりしたら、ぬるぬるに濡れたおむつを今日子と明日香に見られてしまう。明日香の方は大丈夫かもしれないけれど、今日子なら、その濡れ方がおしっことはまるで違っていることにすぐ気がつくだろう。そうなれば、雅美が実は幼稚園児などではないということも知られてしまうかもしれない。幼児のふりを続けるのも屈辱だが、正体を知られるのも、それに倍する羞恥だった。
「そう? ちっち出てないの?」
 万里子はわざと疑わしそうに聞き返してから、明日香に向かって手招きをした。
「明日香ちゃん、雅美ちゃんのおむつ、濡れてないかどうか確かめてあげて」
 その言葉に、雅美は身をよじって逃げようとする。けれど、雅美のすぐ後ろに膝立ちになっている万里子の体に阻まれて、どこにも逃げ道はない。
「駄目よ、暴れちゃ。本当にちっち出てないのか、明日香お姉ちゃんに確かめてもらいまちょうね」
 雅美の肩越しに両手を伸ばした万里子は、ロンパースのスカートを捲り上げて、ボトムの股間に並ぶボタンを四つとも手早く外してしまった。そうして、ボトムの生地をスカートに重ねて、さっと捲り上げる。
「明日香ちゃん、お手々をここに入れて、雅美ちゃんのおむつが濡れてないか確かめてくれるかな」
 ここと言って、万里子は雅美のおむつカバーの裾ゴムを人差し指と中指で押し広げた。
「うん、いいよ」
 言われるまま、明日香は、万里子が押し広げたおむつカバーの裾に右手を差し入れた。
 幼児特有の体温の高い掌がおむつの中をまさぐる感触に、雅美は身をよじった。けれど、そこから逃げ出すことはできない。ただただ、明日香の手に身をまかせるばかりだ。
「どう? 濡れてない?」
 おむつカバーの中でもぞもぞと手を動かす明日香に万里子が訊いた。
「大丈夫だよ。ちょっと濡れてるけど、汗だと思う。雅美ちゃん、おしっこ出てないみたいだよ」
 明日香は万里子に頷きかけた。
 秘部から溢れ出す粘っこい愛液は、おしっこと違って、なかなかおむつに滲み込まない。おむつをぬるぬるに濡らしながらおむつの表面に広がるだけだ。だから、五枚重ねた布おむつの一番外側のおむつに触れただけでは、雅美の肌に触れているおむつの内側がどうなっているのか探ることはできない。これがおしっこなら、内側のおむつに染み込んだおしっこが一番外側のおむつまで濡らしているから明日香がおむつカバーの中に手を差し入れた瞬間に雅美の粗相に気づくのだろうが、実際に雅美がおむつを汚したのは粘っこい愛液だから、明日香の手に触れたのは、おむつカバーの中で汗に蒸れてじっとり湿った布おむつだけだった。
「そう、おむつ大丈夫だったの。じゃ、どうして雅美ちゃん、はいはいのお稽古をやめちゃったと思う? せっかく明日香ちゃんがガラガラを振って応援してくれてるのにね」
 万里子は、おむつカバーの中から引き抜いた明日香の指をウェットティッシュで拭いてやりながら言った。
「う〜んと、ん〜とね。あ、そうだ。暑いから喉が渇いたんじゃないかな」
 明日香はしばらく考えてから応えた。
「あ、そうか。そうかもしれないわね」
 明日香の返答に万里子は大げさに頷いてみせると、
「じゃ、ミルクを飲ませてあげなきゃいけないわね。明日香ちゃん、飲ませてあげてね」
と言って、ベビーカーの取っ手に掛けて持ってきていた手提げ袋のポケットから哺乳壜を抜き出して明日香に手渡した。代わりに明日香は、それまで持っていたガラガラを万里子に手渡す。
「はい、雅美ちゃん、ミルクでちゅよ。喉が渇いてはいはいできなくても、ミルク飲んで元気になったら、また、はいはいのお稽古できまちゅよ」
 明日香は雅美のすぐ目の前に膝立ちになって哺乳壜を持ち上げた。
「あ、そうだ。おしゃぶり咥えたままだったんだ。ミルク飲む間だけ、おしゃぶり、ないないしまちょうね」
 哺乳壜の乳首を雅美の唇に押し当てようとして明日香は雅美がおしゃぶりを咥えたままなのに気がついて、おしゃぶりに指をかけた。
 途端に雅美が
「や!」
と言って首を振る。
「どうしたの、雅美ちゃん。明日香お姉ちゃんがミルクを飲ませてくれるのに。あ、そうか。雅美ちゃん、おしゃぶりが大好きなのね。大好きなおしゃぶりを離すのが寂しくていやいやしてるのね。でも、すぐでちゅからね。ミルクを飲ませてもらったら、また、大好きなおしゃぶりでちゅよ。だから、その間だけ我慢しまちょうね」
 雅美が首を振ったのがおしゃぶりを離したくないからなどではないことは万里子にもわかっている。おしゃぶりを離したら哺乳壜の乳首を咥えさせられる。それを嫌がっておしゃぶりを取り上げられるのを拒んでいるのだった。今は誰もいないといっても、いつ人が通りかかるかもしれない公園のことだ、赤ん坊みたいに哺乳壜でミルクを飲んでいる姿を誰に見られるかもしれない。ただでさえ、よだれかけとロンパースという恥ずかしい格好をしているその上に更に羞恥を掻きたてられる哺乳壜でミルクを飲まされる羞ずかしさは我慢できない。
 けれど、雅美が万里子にかなうわけがない。ただでさえ体つきに差があるところに加えて、寝たきりの生活を続けていたために両脚が自由にならなくてその場から逃げ出すことさえできない雅美がいつまでも哺乳壜を拒んでいられるわけもない。
「ほら、ミルクを飲ませてもらいまちょうね」
 万里子はわざとのように優しく言うと、雅美の口から強引におしゃぶりを取り上げてしまった。
 そこへ、明日香が哺乳壜の乳首を押し当てる。幾らか開き気味になっていた雅美の唇をこじ開けるようにしてゴムの乳首が入ってきた。美智子が細工を施した乳首からミルクが口の中に流れ込む。
 もうこれ以上は哺乳壜を拒むことはできない。へんに動いたり抗議の声をあげたりすればミルクがこぼれ出てよだれかけを汚して余計に惨めな思いをすることになるのを、これまでに痛いほど身にしみて思い知らされてきた雅美だった。
「そうよ、それでいいのよ。あ、そうそう。また雅美ちゃんがぐすらないよう、お姉ちゃんがガラガラを振ってあげまちょうね」
 哺乳壜のミルクを飲み始めた雅美の様子を満足そうに眺めながら、万里子はガラガラを持つ右手を振った。
 ガラガラの音にあやされながら哺乳壜のミルクを飲む雅美の姿は、保育園の年少でさえなく、まだ伝い歩きもできない幼い赤ん坊そのままだった。




「――ちゃん、明日香ちゃ〜ん」
 明日香の名を呼ぶ少女の声が聞こえてきたのは、哺乳壜が半分ほど空になった頃だった。
 声のする方に振り返った明日香の目に映ったのは、大きく手を振りながら駆け寄ってくる早苗の姿だった。
「あ、早苗ちゃ〜ん」
 それまで両手で雅美の哺乳壜を支えていたのを右手だけにして、明日香は大声で応えながら左手を頭の上で振った。
 早苗という名前を耳にして万里子が明日香の手を振る方を見ると、たしかに、ミモザで出会った少女だった。そうして、早苗の後ろから早苗の母親ともう一人の女性が連れ立って歩いて来るのが見える。
 一方、雅美の方は、近づいてくるのがミモザで出会った早苗だということがわかると、慌てて顔を伏せた。その勢いで哺乳壜の乳首が唇から離れてミルクが滴り落ちたけれど、そんなことに構ってはいられない。
「明日香ちゃん、その赤ちゃん、どこの子?」
 通路を横切って駆け寄ってきた早苗は、明日香が哺乳壜でミルクを飲ませていた雅美を見て好奇心いっぱいに尋ねた。
「この子ね、明日香のお向かいのお家に引っ越してきた子なの。でも、赤ちゃんじゃないんだよ」
 明日香は嬉しそうに応えた。
「赤ちゃんじゃない? でも、赤ちゃんのお洋服を着てよだれかけして、哺乳壜でミルクを飲んでたじゃない。なのに、赤ちゃんじゃないの?」
 不思議そうに早苗は訊き返した。
「うん。赤ちゃんみたいだけど、赤ちゃんじゃないの。だって、ほら、体、おっきいでしょ?」
 ミルクを飲ませながら、明日香は、雅美の体を差ししめした。
「ほんとだ。明日香ちゃんよりもおっきいね。じゃ、赤ちゃんじゃないの? でも……」
 どうにも納得できないといった表情で早苗が首をかしげる。
 そこへ、遅れてやって来た母親が目敏く万里子の姿をみつけて、少し驚いたように言った。
「あら、先日、ミモザで会ったお嬢さんね。今日は妹さんは一緒じゃないのかしら? たしか、雅美ちゃんとおっしゃる妹さんだったわよね」
 母親は、レジャーシートの上の万里子に、にこっと笑いかけて言った。
 その母親の声に、それまで明日香と雅美にばかり気を取られていた早苗が万里子の方を見て声を弾ませた。
「あ、あの時のおっきいお姉ちゃんだ。お姉ちゃんのお家、近くなの?」
「うん、近くよ。明日香ちゃんのお家のお向かいに引っ越してきたから」
 万里子はとびきりの笑顔で早苗に応えた。
「明日香ちゃんのお家のお向かい? じゃ、この赤ちゃん、おっきいお姉ちゃんとこの子?」
 この赤ちゃんと言って明日香は、顔を伏せたままの雅美を指差した。
「そうよ。早苗ちゃんも会ったことがある筈よ。だって、あの時のちっちゃいお姉ちゃんだもの、その赤ちゃん」
 くすっと笑って万里子は言った。
「え……?」
 早苗はきょとんとした顔になった。
 そうして、腰をかがめて雅美の顔を下から覗き込む。
 慌てて雅美は顔をそむけたものの、僅かに遅かった。
「ほんとだ、ちっちゃいお姉ちゃんだ。ちっちゃいお姉ちゃんが赤ちゃんの格好して早苗ちゃんに哺乳壜でミルク飲ませてもらってたんだ!」
 興奮したように早苗は大声で叫んだ。
 その叫び声に今度は早苗の母親が雅美の顔を覗き込んで、少し呆れたように呟いた。
「本当、雅美ちゃんだったのね、この子が。最初に見た時、赤ちゃんのわりに体が大きいから少し変だなとは思ってたんだけど、まさか雅美ちゃんが赤ちゃんの格好をしてるなんて思いもしないで……それで今日は雅美ちゃん、お姉ちゃんと一緒じゃないのかなと思っちゃったんだけど……」
「へ〜え、この子が雅美ちゃんだなんて、私もびっくりしちゃったわね」
 突然、聞き憶えのある声が万里子の耳にとびこんできた。
 はっとして振り仰ぐと、そこには、知美の顔があった。
「村野さん……?」
 思いがけない再会に、咄嗟にはどう対応していいのかわからず、ぽけっとした表情で知美の顔を見上げるばかりの万里子。そういえば、早苗の母親と連れ立って歩いて来る女性の姿を目にした時、どこかで見かけたことのあるような気がしたと今になって思い返す。
「あら、お知り合いなんですか?」
 知美と万里子が顔見知りらしいとわかって、母親は確認するみたいに言った。
「ええ、こちらのお嬢さんたちのお父様と、私の先生が同じ大学で研究室が隣どうしなんです。ですからお父様のことは存じていますし、偶然ですけど何日か前にはご家族と同じ旅館に泊まったことがあって、親しくさせていただいているんです」
 知美はにこやかな笑顔で説明した。
「あら、そうなんですか。へーえ、世の中というのは広いようでも本当に狭いものなんですね」
 母親は感心したような声で言った。
「あの、村野さん……」
 知美と母親はなんだか納得したようだけれど、万里子の方は事情が飲み込めない。万里子は遠慮がちに知美と母親の顔を見比べた。
「ああ、そうだったわね。私たちばかり事情がわかっても、そちらには何のことだかわからないわよね」
 万里子の視線に気づいて母親が応じた。
「ミモザで会った時に早苗がちょっと言ったけど、この近くに、さくら保育園という保育園があるの。それで、そのさくら保育園の園長先生から相談したいことがあるから集まってほしいという連絡をいただいて、園に行ってきたところなのよ」
「あ、そういえば、早苗ちゃんのお母さん、さくら保育園のPTAで副会長さんでしたよね。園長先生の相談って、どんなお話だったんですか?」
 横合いから今日子が興味津々といった感じで尋ねた。
「ええ、お話というのは、大学院で幼児教育を専攻している学生さんがフィールドワークとかで九月から二ケ月間、先生方と一緒に実際に保育活動に参加したいと申し入れてきているということで、それをPTAとして了承してもらえないないかしらという内容でした。前例のないことだから、園長先生の一存で決めるのもどうかと思われてPTA役員に相談してこられたんでしょうね」
 母親は園長の相談を手短にまとめて説明した。
 それを知美が受け継いで言った。
「それで、PTAのお母様が集まってくださるということだったから、私もそこに同席させていただくことにしたの。本人を直接見てもらった方が間違いもないでしょうから」
「それで、どうだったんですか?」
 思いがけない成り行きに、万里子は思わず先を促した。
「村野さんともいろいろお話をして、この人なら大丈夫ということで、PTAの役員はみなさん賛成しました。熱心そうだし、お人柄もよさそうだし、反対する理由はありませんでした」
 母親はあらためて知美の方をちらと見て大きく頷いた。
「よかったね、村野さん。お母さんたちに気に入ってもらえて」
 万里子は自分のことのように顔を輝かせた。
「ありがとう。そんなに喜んでもらえて、とても嬉しいわ。でも、巡り合わせっていうの、本当にあるのね。会合が終わって、近所にどんな子供たちがいるのか見てみたいから公園があれば案内してくださいってお願いして連れて来てもらったら万里子さんたちに会えたんだもの。それに、明日香ちゃんだっけ。さっきからの早苗ちゃんと明日香ちゃんの会話を聞いていると、明日香ちゃん、さくら保育園に通っているみたいね。早苗ちゃんともそうだけど、こんなに早くさくら保育園の子と知り合いになれたんだもの、なんて嬉しい巡り合わせなんでしょう」
 万里子の言葉に知美はそう言って目を細めた。
 そこへ、少し早口の明日香の声がとんでくる。
「さくら保育園の子、早苗ちゃんと明日香だけじゃないよ。もう一人いるよ」
「え? でも……」
 困惑した表情で周りを見回す知美。
「雅美ちゃんだよ。雅美ちゃん、夏休みが終わったら、さくら保育園に行くんだよ」
 自分だけが知っている秘密を教えてあげるんだからねとというふうに明日香は胸を張って言った。
「だけど、雅美ちゃんは、かもめ幼稚園に通っていたんじゃなかったっけ。――万里子さん、どういうことなの?」
 知美は助けを求めるみたいに万里子に訊いた。
「ええ、雅美ちゃん、かもめ幼稚園に通っています。でも、桜ケ丘に引っ越してきて、近所のお友達がみんなさくら保育園に通っているのを知って、転園させてあげた方がいいみたいねって母が――」
 万里子はこれまでの経緯を説明した。もちろん、それが美智子や万里子が強引に仕組んだことだとは決して口にしない。あくまでも、雅美自身が望んだからだと説明する。
「あ、そういうことか。たしかに年度途中だから難しいこともあるけど、面倒見のよさそうな園長先生だから、なんとかしてもらえそうね」
 ようやく知美も納得して頷いた。
 そこへ、再び明日香が横合いから口を出す。
「でね、雅美ちゃん、年少さんになるんだよ。だから、明日香も早苗ちゃんも雅美ちゃんのお姉ちゃんなんだよ」
「あ、これも母が言い出したことなんです。まだおむつの外れない雅美ちゃんを年長クラスに入れても先生方が困るかもしれないから、転園するなら年少クラスに編入させましょうって」
 明日香の言葉にまた知美が困惑しないように、今度は先に説明する万里子。
「なるほど。幼稚園じゃ無理でも、保育園ならできることがあるものね」
 少し思案顔になって、けれどじきに納得して知美はもういちど頷いた。そうして、まだ顔を伏せたままの雅美と万里子とを見比べて微かに首をかしげる。
「ついでだから、もう一つ教えてほしいんだけど。雅美ちゃん、どうして赤ちゃんみたいな格好をしているの?」
 知美がそう尋ねると、やはりそのことを怪訝に思っていた早苗の母親も万里子の顔を覗き込むようにして身を乗り出した。
「あ、そのことですか。実は雅美ちゃん、旅行から帰ってきた日の夜、すごい熱を出しちゃったんです。もともと昼間でもおむつが外れてないところに熱のせいでずっとベッドに寝たままだったから、おむつを汚してばかりいたんです、雅美ちゃん。それに体を起こすのも難しくて、食事の代わりに哺乳壜でミルクを飲ませてあげてたんです。それが何日も続いて、もともと甘えん坊さんだったのが、それまでよりもずっと甘えん坊さんになって、病気が治っても哺乳壜をせがむようになっちゃったんです。だからずっとよだれかけを着けてなくちゃいけなくて、それに、ずっと寝たきりだったからあんよもできなくなった上におむつを取り替える回数も増えたから、おむつの交換がしやすいお洋服を着せてあげなくちゃいけなくなったんです。それで、こんな格好してるんです」
 万里子は、雅美が病気になったのを利用して雅美の幼児返りをいっそう進めるよう仕組んだ自分たちの企みのことは押し隠したまま、しれっとした顔で説明した。
「そういうことだったの。たしかに、病気がきっかけになって赤ちゃん返りしちゃうってこと、小さな子供には時々あるわね。とはいっても、雅美ちゃんみたいに年長さんくらいの年の子には珍しいことなんだけど……でも、雅美ちゃんならそうなっても不思議じゃないかもしれないわね。五歳にしては体の発育はいいけど、どこか幼い感じがするもの、雅美ちゃんは」
 万里子の説明を聞き終えた知美は、ロンパースを着せられた雅美の姿をしげしげと眺めて言った。
「そうですね。私も初めて雅美ちゃんと会った時、同じように感じましたもの」
 早苗の母親も、ミモザの子供服専門店で出会った時のことを思い返して知美に同意した。
 雅美が持つどこか幼い雰囲気。それこそが、雅美がずっと心の奥底に隠していた本当の姿だった。幼い頃に母親をなくしたために早くから自立することを求められ、本来の幼い自分を心の奥底に押しこんで生きてきた雅美。けれど、美智子と万里子が雅美を幼児扱いし、偽りのおねしょをさせたのがきっかけになって、心の密室のドアを開けて姿を現した本当の雅美自身。
「それにしても、赤ちゃんの格好がとても似合ってるわね、雅美ちゃんは。旅行の時の浴衣やサンドレスも可愛かったけど、今の格好もすごく可愛いわ。万里子さん、ちょっと抱っこしてあげてもいい?」
 目を細くして雅美をみつめていた知美が、少し遠慮がちに言った。
「あ、どうぞ。雅美ちゃんも喜びますよ、大好きな村野さんに抱っこしてもらえて」
 万里子は間髪を入れずに応えた。
「ありがとう。じゃ、お姉さんが抱っこしてあげまちゅからね、雅美ちゃん。」
 万里子に頷き返して、知美は左手を雅美の背中にまわして、右手をお尻の下に差し入れた。
 と、知美の顔に、あれ?というような表情が浮かぶ。
「どうかしたんですか、村野さん?」
 そのまま雅美の体を抱き上げず、お尻の下に差し入れた右手を何か探るみたいにもぞもぞ動かしている知美に、万里子は少し気遣わしげに問いかけた。
「あ、ううん、たいしたことじゃないんだけど……」
 なおも右手を動かして知美は言った。
「……この感触、紙おむつじゃないわね。雅美ちゃん、布おむつを使ってるの?」
「ええ、旅行の時は紙おむつの方が便利だからそうしてたんですけど、やっぱり繰り返し使える布おむつの方が経済的でいいからって、今は布おむつなんです。明日香ちゃんからもおさがりの布おむつをもらったし」
 雅美のお尻をまさぐる知美の右手と明日香の顔をちらと見比べて万里子は応えた。
「ふぅん、そうなの。たしかにその方が経済的ね。それに、本当かどうかわからないけど、布おむつの方がおむつ離れが早くなるって言われてるし。それに、布おむつの方がいろんな柄があるし、おむつカバーもアップリケが付いてたりして、紙おむつよりも見た目も可愛いわね。ロンパースのお尻もこんなにぷっくり膨れて可愛らしい感じになるし」
 興味深げに知美は言った。そうして、悪戯めいた笑顔になると、こんなことを言い出す。
「雅美ちゃん、どんなおむつカバーを使っいてるのかしら。どんな柄の布おむつを使っているのかしら。万里子さん、見せてもらっちゃ駄目かな?」
「あ、いいですよ。可愛いおむつカバーを買ったから見てあげてください。それに、明日香ちゃんからもらったおさがりの布おむつも」
 雅美の胸の内などまるで知らぬげに、万里子は迷うふうもなく言った。
「あ、いいの? じゃ、雅美ちゃん、ねんねしようね。ねんねして、可愛いおむつをお姉さんに見せてちょうだいね」
 万里子の許しを得た知美は、左手をそっと後ろにひきながら、お尻の下に差し入れた右手をゆっくり持ち上げた。
 そんな知美の手の動きに、抗う術もなく雅美はレジャーシートの上に仰向けに寝かされてしまう。
「あ、そうだ。雅美ちゃん、まだミルクの途中だったんでしょう? だったら、ねんねしてる間に明日香お姉ちゃんにミルクを飲ませてもらいまちょうね。明日香ちゃん、お願いしてもいいかな?」
 レジャーシートの上に寝かした雅美のロンパースのスカートをお腹の上に捲り上げ、ボトムのボタンに指をかけた知美は、ふと思い出したように言った。
「うん、いいよ。ミルク飲ませてあげる」
 それまで手持ち無沙汰にしていた明日香は、知美に言われて顔を輝かせると、あらためて哺乳壜を持ち上げた。
「はい、雅美ちゃん、ミルクの続きでちゅよ。たくさん飲んで大きくなりまちょうね。大きくなって、早く年長さんになりまちょうね」
 あやすように言って、明日香は哺乳壜の乳首を雅美の唇に押し当てた。
 ゴムの乳首から流れ出したミルクはじきに雅美の口の中をいっぱいに満たして、乳白色の細い条になって唇の端からこぼれ出す。
「あらあら、雅美ちゃんは哺乳壜のミルクも上手に飲めない赤ちゃんだったのね。でも、いつまでもおむつの外れない手のかかる赤ちゃんだから仕方ないわね」
 知美はくすっと笑って、ロンパースのボトムの股間に並ぶボタンを外し始めた。
(やだ、このままじゃ、おむつの中まで見られちゃう。そうなったら、私が恥ずかしいおつゆでおむつをぬるぬるに汚したことをみんなに知られちゃう。そんなことになったら、そんなことになったら……)
 思わず雅美は身をよじった。
 けれど、万里子が
「駄目よ、じっとしてなきゃ。ちゃんとねんねしてないと、余計によだれかけを汚しちゃいまちゅよ」
と言って肩を押さえつけるものだから、知美の手から逃げることはかなわない。
 そうしているうちに、知美はボタンを四つとも外して、ボトムの生地をスカートに重ねてお雅美のお腹の上に捲り上げてしまった。
「うふふ、本当に可愛いおむつカバーだこと。こうしてみると、本当に赤ちゃんみたいね」
 淡いピンクの生地にお尻のところに小熊の顔のアップリケをあしらったおむつカバーがあらわになると、知美はいったん手を止めて雅美の顔に微笑みかけた。そうして、
「じゃ、次はおむつを見せてちょうだいね。明日香ちゃんからもらったおむつ、どんな柄かしら。水玉模様かな、それとも動物柄かな」
と囁きかけて、再び両手を動かし始める。
 知美の手がおむつカバーの前当て開いて雅美の両脚の間に広げ、マジックテープを外して横羽根をお尻の横に広げると、動物柄の布おむつがあらわになる。
「動物柄のおむつだったのね、明日香ちゃんのおさがりのおむつは。おむつカバーに負けないくらい可愛くて雅美ちゃんにお似合いでちゅよ」
 おむつカバーに隠れていたおむつを目にするなり知美は言って、雅美の下腹部を包み込む動物柄の布おむつに掌を押し当てた。そうして、少しだけ首をかしげて呟く。
「濡れているわけじゃないけど、ちょっと湿っているみたいね。汗で蒸れたのかしら」
「明日香ちゃんにおむつの様子を確かめてもらった時も、明日香ちゃん、同じことを言ってました。取り替えておいた方がいいでしょうか?」
 万里子が知美の手元を覗き込んで言った。
「そうね、小さな子供の肌は敏感だから、なるべく乾いた状態にしておかないと、すぐにおむつかぶれになっちゃうわね。おもらししてなくても、こまめに取り替えてあげた方がいいでしょうね」
 にこやかな笑顔ながら真剣な声で知美は応えた。
(いや、おむつを取り替えるだなんて、そんなことしたら本当におむつの中を見られちゃう。どうしよう、私、どうしたらいいの……)
 頭の中が真っ白になりそうだった。
 そんな時、ふとした思いつきが頭の片隅をよぎる。けれど、雅美は、その思いつきを頭の中から追い払うみたいに弱々しく頭を振った。
(駄目よ、そんなことしちゃ絶対に駄目よ。そんなことをしたら、それこそ後戻りできなくなっちゃうんだから)
 雅美は自分自身に言い聞かせた。
 言い聞かせたけれど、知美の手がおむつの端に触れるのを感じると、今は、その思いつきの他に方法がないことを痛感する。
(わかってる。そんなことしちゃ駄目なのはわかってる。わかってるけど、今はそれしかないもの……)
 雅美の顔に、諦めに似た表情が浮かんだ。
 雅美は下腹部の力をゆっくり抜いた。
 雅美の下腹部を包んでいる布おむつの表面がじわっと濡れて小さな水滴が幾つもふわっと浮かび上がってくるのを目にして、知美の手の動きが止まった。
「万里子さん、ちょっと見て」
 知美そうが言うまでもなく、すぐそばで知美の手元を覗き込んでいた万里子の目にも、雅美のおむつが濡れて、幾つもの水滴が浮かびあがっては、おむつの表面を伝い落ちる様子が映っていた。
「おむつを取り替えてもらう時、おむつカバーが外れて窮屈じゃなくなった途端にまたおしっこを出しちゃう赤ちゃんは多いらしいけど、雅美ちゃんまでそんなふうだなんて思ってもいなかったわ。これじゃ本当に赤ちゃんそのままね」
 雅美のおむつがとめどなく濡れてゆく様子をじっとみつめて、呆れたように万里子は言った。
 もちろん、その声は雅美の耳にも届いている。けれど、そんなじゃない、雅美は赤ちゃんじゃないと言い返すことはできない。みんなが見ている中でのおもらしは自身が意識してそうしたことだから、いくら恥ずかしい言葉をかけられても、何一つ言い返すことなどできない雅美だった。
 そうすることだけが、みんなの目の前にさらけ出したおむつをおしっこで汚すことだけが、恥ずかしいおつゆのことを知られないためのただ一つの方法だった。ねっとりした愛液をおしっこで洗い流しておむつに滲み込ませることだけが、雅美が実は幼児ではないことを知られないようにするためのたった一つの方法だった。
 そうして、そんなことをすればもう後戻りできなくなることも雅美は直感していた。
 これまでの粗相なら、(たとえ、こじつけになったとしても)理由をつけて言い訳をすることもできた。道幅の細い道路で車を停める場所がなかったから、トイレを待っている間に男の子と体がぶつかったから、パーキングエリアのトイレが女子高生たちで混み合っていたから、トイレへ行く時間もなく近所への挨拶まわりに連れ出されたから、無理して正座を続けていたために脚が痺れて倒れてしまったから、熱で意識が朦朧としてトイレに立てなかったから、そんなふうに理由をつけて言い訳できた。けれど、今回ばかりは、みんなの目の前でおむつを濡らした今回ばかりは、まるで言い訳のできないおもらしだった。恥ずかしいおつゆを流し去ってしまうために自ら意識して膀胱の緊張を解いたための粗相なのだから。
 これまでとはまるで違う、一言の言い訳さえできないおもらしをみんなの目にさらすことで、元の自分に戻る扉を自らの手で閉ざしてしまったことを痛いほど思い知る雅美だった。
「あ……あぁん、え……えぇん……」
 最初は微かな嗚咽とも聞こえた雅美の声が幼児のような泣き声に変わるのに、さほど時間はかからなかった。
 声をあげて泣くものだから唇からミルクがこぼれ出て頬から顎先を伝い落ちてよだれかけを濡らしてゆくのだが、もうそんなこと構いもしない。
 哺乳壜のミルクを飲みながらおむつを濡らして手放しで泣きじゃくる雅美。
 それは、十八歳の大学生に戻る術を失った、保育園の年少どころか、二歳児クラスに迎え入れられてもまるで違和感のない赤ん坊そのままの姿だった。

 そんな雅美の胸の内を、万里子は手に取るように見透かしていた。雅美がとうとう本当の意味で自分の幼い妹に変貌したことを万里子は直感した。
(これでいいのよ、雅美ちゃん。これでようやく雅美ちゃんは本当の自分に戻れるのよ。自分ひとりじゃ何もできない、お姉ちゃんがお世話してあげなきゃミルクも飲めない、いつまでもおむつの外れない本当の雅美ちゃんに戻れるのよ)
 万里子は胸の中で雅美に話しかけた。
 そうして、二日前にようやく整理を終えた雅美の新しい部屋の様子を思い浮かべる。最初から雅美を幼児扱いするつもりだった美智子の指示で、雅美の部屋は子供部屋のような内装にしつらえてあった。一応は机や本棚も用意していたものの、そういったものは、厚いカーテンで仕切った部屋の片隅に追いやられて、部屋の殆どは、子供部屋にふさわしい色合いの整理タンスやヌイグルミが占めていた。そして二日前には、整理タンスさえ部屋の隅に移されて、その代わりに、ベビータンスやベビーベッドが運びこまれたのだった。もちろんベビーベッドは国産などではなく、万里子の部屋に置いてあるクイーンサイズのダブルベッドと同じ北欧のメーカーが作ったもので、小学校低学年くらいの身長がある雅美でも充分に寝られる大きさになっている。
(熱にうなされている間に運びこんだから、雅美ちゃんは自分の部屋がどんなふうになっているのか、まだ知らないのよね。公園から帰ってお部屋に連れて行ってあげたら、どんな顔をするかしら。恥ずかしがって、ベビーベッドには寝ないかもしれないわね。でも、それならそれでいいわ。「いつまでもお姉ちゃんが添い寝してあげなきゃねんねもできない赤ちゃんなんでちゅね」って言って、私のベッドに寝かせてあげればいいんだから。それで、そうね、寝かしつける時、私のおっぱいを吸わせてあげようかしら。そうよ、添い寝してもらわなきゃねんねできない赤ちゃんだもの、おっぱいをあげれば大喜びするに決まってる)  
 雅美におっぱいをあげようと思いついた瞬間、万里子は、下腹部がきゅっと締めつけられるような感覚を覚えた。
 明日香が飲ませている哺乳壜はもうすぐ空になりそうだった。
(哺乳壜が空になったらもういちどはいはいのお稽古をさせて、それから、お昼にしましょう。みんなはサンドイッチだけど、雅美ちゃんは、もう一本持ってきた哺乳壜のミルクね。お昼がすんだらお家に帰って雅美ちゃんにお昼寝させなきゃいけないわね。うふふ、雅美ちゃん、ベビーベッドでお昼寝するかしら。それとも、私のベッドで私のおっぱいを吸いながらお昼寝するのかしら)
 知美がいそいそと雅美のおむつを取り替える様子を眺める万里子の下腹部がもういちどきゅんとなった。
(夏休みの間は雅美ちゃんをずっと赤ちゃんでいさせてあげよう。夏休みが終わっても、保育園から帰ってきたら赤ちゃんでいさせてあげよう。そうやって、これまで誰にも甘えられずに生きてきた雅美ちゃんを思いきり甘えさせてあげよう。だって、それがお姉ちゃんとしての務めだもの)
 そう心に決める万里子の髪を、噴水のある池から吹き渡ってきた爽やかな風がそっと揺らした。

 季節が巡るたびに、新しい家族の肖像は描き換えられることだろう。今はまだ真新しいキャンバスにも、時間という絵の具が染み込んでゆくことだろう。家族はそれぞれに成長し、年老いてゆくのだ。
 けれど、いくら時を経ても、雅美を描いた部分のキャンバスだけは色褪せないかもしれない。さくら保育園の制服のスカートからピンクのおむつカバーを少しだけ覗かせた雅美の姿は、いつまでも未完の肖像画として永遠にキャンバスに残るかもしれない。
 季節は夏。
 真新しいキャンバスに新しい家族の肖像を描く作業は、まだほんの少しはかどっただけだ。

[完]



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