幼児への誘い・3



 よだれかけを汚しながら伯母・美智子の手で食べ物をスプーンに掬って食べさせてもらい、お手伝い・紀子の手で哺乳壜からジュースを飲ませてもらう恥ずかしい夕飯はやっと終わったものの、更に羞恥に満ちた仕打ちが雅美を待っていた。
 それは、美智子との入浴だった。
 これまでも美智子の家に何度も遊びに来たことのある雅美だから、一緒に入浴したこともある。その時は、伯母と姪という気のおけない間柄ということもあって、互いに裸になるのも、さして気にすることもなかった。美智子の均整の取れた美しい裸体と自分の発育不全の体とを見比べて溜め息をつくことも少なくなかったものの、それだけのことだった。けれど、今回の入浴は、これまでとはまるで違っている。これまでなら、雅美は着ている物を自分で脱いで脱衣場から浴室に向かった。なのに、今回は、身に着けている物を自分の手で脱ぐことは許されない。全てを美智子と紀子の手に委ねなければならないのだ。しかも、雅美が身に着けている物というのが、年齢にはまるで似つかわしくない物だった。今年の春に大学生になったばかりの雅美だが、どういうわけか体の成長が思わしくなくて、年齢にふさわしいデザインで体に合う洋服はどの店を探してもまるで見当たらなかった。どれも雅美の体よりも随分と大きくて、強引に試着してみても、まるで幼稚園児が大人の真似をしてぶかぶかの洋服をまとったような感じになってしまう。そのため、自分の年齢に合うデザインの洋服を探すのは諦めて、いつしか子供用の服を買って身に着けるようになった雅美だ。だから、レースをたっぷりあしらったフリフリの服を着せられても気にならないし、いかにも小さな女の子が喜びそうな可愛らしい洋服を着せられても、却って嬉しくなることさえある。けれど、ようやく特製のベビーチェアから紀子の手で抱き上げられてフローリングの床に立たせてもらった雅美が身に着けているのは、子供服でさえなかった。雅美の体を包んでいるのは、スカートの付いたロンパースというベビー服だ。そうして、下腹部を包み込んでいる下着はショーツやスキャンティではなく、布おむつとおむつカバー。そう、雅美は今、赤ん坊そのままの格好をしているのだ。しかも、夕飯を食べさせてもらいながら漏らしてしまったおしっこで、おむつカバーの中の布おむつはぐっしょり濡れている。お風呂に入るためには丸裸にならなければならない。雅美にしてみれば、伯母である美智子の目の前で裸になることはあまり気にならない。だけど、その時に、おしっこでぐっしょり濡れたおむつを美智子と紀子の目にさらすことになる。それがひどく屈辱的で恥ずかしいのだった。しかも、自分でロンパースを脱いでおむつを外して浴室に逃げ込むことはできず、ロンパースを脱がせてもらうのも、おむつカバーを開いておむつを外してもらうのも、美智子と紀子の手に委ねるよう厳しく言いつけられている。それが羞恥の仕打ちでなくてなんだろう。
「さ、お風呂場へ行きまちょうね。雅美ちゃん、あんよできるかな」
 わざと幼児言葉で言って、美智子は雅美の横に立つと、雅美の右手を引いて歩き始めた。
 手を引かれて雅美も歩き出したものの、おしっこをたっぷり吸った布おむつが下腹部と太腿にまとわりついて思うように両脚を動かせない。その上、布おむつの柔らかな感触が秘部を刺激し、大学生のくせに赤ん坊みたいに扱われる羞恥が奇妙な悦びになって下腹部を痺れさせるせいで、それこそ、やっと歩き始めたばかりの幼児みたいなおぼつかない足取りになってしまう。
「いいのよ、ゆっくりで。雅美ちゃんは赤ちゃんだもの。あんよができるようになったばかりの小っちゃな赤ちゃんだものね」
 今にも床にお尻を落としそうになりながら歩く雅美に美智子はそう言って、おむつで大きく膨らんだロンパースのお尻を優しく叩いた。おむつが乾いている時ならぽんぽん叩く感じになるのだけれど、雅美の下腹部を包み込んでいるおむつは今おしっこでぐっしょり濡れているため、ぐじゅっという音をたててでもいるかのように思えて、あらためて自分がおむつをあてられているんだということと、そのおむつを自分のおしっこで濡らしてしまったんだということを思い知らされる。
「私、私、赤ちゃんなんかじゃありません。私は大学生です」
 下腹部から伝わってくる濡れたおむつの感触にぞくりと身震いしながら、それでも雅美はかろうじて声を絞り出した。
「あらあら、まだそんなことを言っているの? でも、雅美ちゃんはおねしょとおもらしでパンツを濡らしちゃったのよ。それでおむつをあててあげたら今度は夕飯を食べながらおむつを汚しちゃったんでしょう? それに、食事だってちゃんと食べられなくてよだれかけまで汚しちゃったくせに。そんな子が赤ちゃんじゃなくて何だっていうの」
 美智子は脚の動きを止め、すっとしゃがんで雅美と目の高さを合わせると、雅美の顔を正面から覗き込むようにして言った。そうして、もういちど、ロンパースのお尻をぽんと叩いて、スープで汚れたよだれかけに覆われた胸元を人さし指の先でつんとつついた。
「だって、だって……」
 それ以上は何も言えなくなってしまう雅美。美智子の家にやってきてすぐにトイレの前でおもらししてしまい、それから、せっかく取り替えてもらったショーツとスカートをおねしょで汚してしまったのは本当だ。それに、おもらしが心配だからと美智子の手であてられたおむつまで夕飯の最中におしっこで濡らしてしまったし、よだけかけさえ汚してしまったのも事実だ。雅美には、反論のしようがない。けれど、雅美が黙り込んだのは、反論できないからという理由のためだけではない。雅美は、美智子から「そんな子が赤ちゃんじゃなくて何だっていうの」と決めつけてほしくて、そのためにわざと「私、赤ちゃんなんかじゃありません」と言ったのだ。そうして、美智子が雅美のことを赤ちゃんだと言ってくれたことに満足してそれ以上は口をつぐんだのだった。
 二人の妹が小さかった頃、忙しい両親に代わって妹たちの面倒をみていたのは雅美だ。自分が年長の姉だという義務感もあってそうしていたものの、本当のところを言えば、雅美だって誰かに甘えたくて仕方なかった。それを我慢して幼い妹二人のおむつを取り替え、哺乳壜でミルクを飲ませ、ベビー服が汚れるたびに着替えさせてやった雅美だった。けれど、誰かに甘えたいという思いは決して消え去らなかった。消えることのないその思いを強引に無理矢理に胸の奥底に隠し通してきたせいで、思いは却って強くなり、いつしか「誰かに思いきり甘えることができる赤ちゃんになりたい」とまで思うようになっていた。その願いが思わぬ形でかなった今、雅美は、戸惑いや羞恥とないまぜになった奇妙な悦びのとりこになっていた。そして、その奇妙な悦びをもっと強くしたくて、自分の願いがかなったことをもっと確認したくて、美智子に「雅美ちゃんは赤ちゃんなのよ」と決めつけてほしくて、おむつとよだれかけとロンパースという装いに身を包まれながらも「私は赤ちゃんじゃない」と拗ねてみせた雅美だった。
「ほら、いつまでもぐずってちゃダメでちゅよ。早くお風呂へ行ってお尻きれいきれいちまちょうね」
 雅美が口をつぐんだのを見てあらめて腰を伸ばした美智子は甘ったるい口調で言って、再び歩き始めた。
 雅美ちゃんは赤ちゃんなのよ。そう決めつけられて、雅美は下腹部の疼きがますます強くなるのを感じた。そうして、ただでさえおしっこでぐっしょり濡れている布おむつが、今度は恥ずかしいお汁でぬるぬるに濡れてゆく感触が伝わってくる。
「ちっち。まさみのおむちゅ、ちっちなの」
 おぼつかない足取りでよちよち歩きを続けながら、雅美は自分自身に言い聞かせるみたいに小声で呟き続けていた。

「さ、ついた。お風呂でちゅよ」
 頼りない足取りの雅美の手を引いて廊下を歩き、階段を昇って、美智子は、二階にあるバスルームの前で立ち止まると、分厚い木製のドアを引き開けた。
 ドアの向こうは脱衣場になっている。
 美智子が背中を押すようにして雅美を脱衣場に誘い入れると、あとからついてきていた紀子が雅美の腰を両手で支えた。
「雅美ちゃんが倒れないよう、そうしていてね」
 美智子は笑顔で紀子にそう言って雅美の背中から手を離すと、その手を雅美の股間に伸ばした。
 思わず智恵美の手から逃げようとして身を退く雅美。けれど、紀子の手に阻まれて、逃げ場はない。
 その場に立ちすくむ雅美の股間に両手を伸ばした美智子は、おむつで大きく膨らんだロンパースのボトムに並ぶボタンを外し始めた。美智子が手を動かすと、年齢を感じさせない張りのある肌をした手の甲や指先が雅美の内腿に触れる。そのたびに下腹部の疼きがますます強くなって、ひくひくと体を震わせてしまう雅美だった。
「さ、できた。すぐにロンパースを脱がせてあげまちゅからね」
 ロンパースのボトムに並ぶボタンを五つとも外し終えた美智子は言った。けれど、すぐ、あらあらと呟いてこう言う。
「あらあら、先によだれかけを外してあげなきゃロンパースを脱がせてあげられないんだったわね。ちょっと待っててね、すぐすみまちゅからね」
 わざわざ口に出して言わなければいけないほどのことではない。なのに美智子がそれを言葉にしたのは、雅美に、自分がまだよだれかけの必要な赤ん坊なんだよと改めて告げるためだった。しかも美智子は、首筋の後ろと背中で結わえたよだれかけの紐をゆっくりほどきながら、こうも言った。
「でも、たった一度の食事だけでこんなによだれかけが汚れちゃうなんて。雅美ちゃんは赤ちゃんだからよだれかけを汚しちゃうのは仕方ないけど、これじゃ、食事のたびに新しいよだれかけを用意してあげなきゃいけないわね。でも、そうすると、今ある分だけじゃ足りないかしら」
 雅美の胸元を覆っているよだれかけが汚れているのは、本当は雅美のせいではない。美智子がわざとスープの入ったスプーンを傾けたり、雅美が口を大きく開くことができないように仕向けた上でスプーンを雅美の口に突っ込んだせいだ。けれど、そんなことまるで知らぬげに、みんな雅美のせいにしてしまう。
「それでしたら、私が材料を買ってきてお作りしましょうか? タオル地やガーゼ地を裁断してバイアステープで縁取りするだけですから、近くの手芸屋さんで材料は揃いますし。紐もバイアステープを長めに用意すればいいことですし、手芸屋さんに行けば可愛らしいアップリケもたくさんございますから」
 応えたのは、美智子の言葉に何も言い返せないでいる雅美ではなく、雅美が倒れないよう腰を支えている紀子だった。
「そう? じゃ、お願いしようかしら。なるべく可愛らしいよだけかけを作ってあげてね。可愛い赤ちゃんの雅美ちゃんに似合うように」
 二本の紐をほどいて大きなよだれかけを雅美の胸元から外し終えた美智子が軽く頷いた。
「承知しました。腕によりをかけて、可愛らしい雅美お嬢ちゃまによく似合うよだれかけをお作りいたしましょう」
 美智子の手から汚れたよだれかけを受け取りながら紀子が言った。
 紀子が口にした『お嬢ちゃま』という言い方に、雅美の頬が羞恥でほんのりピンクに染まった。これまで何度も美智子の家に遊びに来たことがあるけれど、その時はいつも『お嬢様』と紀子は呼んでいた。今日にしたって、雅美がこの家にやって着た時は『お嬢様』だった筈だ。それがいつのまにか『お嬢ちゃま』に変わっていることに気がついて無性に恥ずかしくなる雅美だった。美智子だけでなく紀子も雅美のことを赤ん坊扱いしているのがありありなのだから。
「じゃ、お願いね。――さ、今度こそロンパースを脱ぎまちょうね。ほら、お手々を上げて」
 半ば強引に美智子は雅美の両腕を万歳するみたいな格好に差し上げさせて、ロンパースのスカートになっているところを下から捲り上げるようにして持ち上げ、そのまま頭の上まで引き上げて素早く脱がせた。
 そうすると、雅美が身に着けているのは、スヌーピーのプリントが可愛いおむつカバーだけになってしまう。その姿を目にして、美智子と紀子は目を見合わせて微笑み合った。小さい時から体の発育が思わしくなく、大学生になった今でも胸は殆ど膨らんでいないし、ウェストあたりもきゅっとしまっているどころか、少しお腹が出ている感じで、幼児体型という言葉がぴったりの雅美には、赤ん坊の下着であるおむつカバーが本当によく似合っているからだ。
「そ、そんなに見ないでください」
 二人の視線を痛いほど感じた雅美は、顔を伏せて、よく注意していないと聞き逃してしまいそうになるほどの小さな声で言った。
 けれど、二人が雅美から視線をそらす気配はない。それどころか、
「あらあら、恥ずかしがるなんて変な赤ちゃん。赤ちゃんはね、着ている物を脱がしてもらうと、きゃっきゃっ言って喜ぶのよ。赤ちゃんは窮屈なお洋服が嫌いで裸が大好きなんですもの」
と言って、今度は二人揃って雅美の顔を正面から覗き込みさえする。
「……」
 二人に顔を覗き込まれて、それ以上は何も言えなくなってしまう雅美。
 その様子がまた可愛らしくて、二人はもういちど微笑み合った。
 そうして、ひとしきり笑い合った後、それまで雅美の腰を支えていた手を雅美の背中とお尻の下に移した紀子が、一メートル三十センチを僅かに超える身長しかない雅美の体を軽々と抱き上げたかと思うと、
「さ、次はおむつでちゅね。奥様におむつを外してもらわなきゃいけないから、お嬢ちゃま、バスタオルにごろんしまちょうね」
と幼児言葉で言って、あらかじめ脱衣場の床に広げておいた大きなバスタオルの上に横たえさせた。
「いや……」
 それまで押し黙ったままだった雅美だが、いよいよ恥ずかしいおむつを二人の目にさらすのかと思うと、思わず幼児がいやいやをするように力なく何度も首を振って、僅かに開いた唇から許しを乞うような声を漏らしてしまう。
「いやがってもダメでちゅよ。おむつをあてたままじゃお風呂に入れないんでちゅからね。いくら雅美ちゃんがおむつ大好きでも、お風呂の時には外さなきゃいけないんでちゅよ」
 美智子はそう言って、身をよじって体を起こそうとする雅美の肩を紀子が押さえつけている間に、おむつカバーの腰紐に指をかけた。
 美智子の指が動いて手早くおむつカバーの腰紐をほどいて、それから、前当てと横羽根とを留めているスナップボタンを外し始めた。マジックテープを外すのとは違って大きな音はたたないものの、スナップボタンが外れる時の「ぷつっ」という感触が、ぐっしょり濡れたおむつ越しに雅美の下腹部に伝わってくる。
 そうして美智子はスナップボタンをみんな外してしまうと、前当てを雅美の両脚の間に広げた。
(ああ、見られちゃう。おしっこで汚れた恥ずかしいおむつ、伯母様と紀子さんに見られちゃう)とうとう我慢できなくなって、雅美はぎゅっと瞼を閉じた。けれど、そんなことをしたからといって恥ずかしさが消えるわけではない。美智子と紀子の顔が見えなくなっても、耳には二人の言葉が届くし、周りの様子が見えないぶん、却って、美智子の手の動きがはっきり伝わってくる。
 前当てに続いて美智子の手がマジックテープを外しておむつカバーの横羽根を雅美のお尻の左右に広げると、ぐっしょり濡れているのが一目でわかる布おむつがあらわになった。少し強めにエアコンが効いている、かなり涼しい脱衣場の空気に触れて、雅美の体温のためにまだ温かい金魚柄の布おむつから微かに湯気が立ちのぼった。
「あらあら、本当にぐっしょりだこと。気持ちわるいでちょ、雅美ちゃん。すぐに外してあげまちゅからね」
 美智子は本当の赤ん坊にするみたいに雅美の両脚の足首を左手でまとめてつかむと、そのまま高く差し上げた。そうして、おしっこを吸って、内腿といわず股間といわず雅美の肌にべっとり貼りつくみたいにしてまとわりついている布おむつを一枚ずつ丁寧におむつカバーの前当ての上に広げてゆく。
 そうしているうちにも、脱衣場のひんやりした空気に触れた布おむつがどんどん冷たくなってくる。思わず雅美はぞくりと体を震わせた。
「すぐにすむからもう少しだけ待っててね。これが終わったら温かいお風呂にしまちょうね。――紀子さん、お洗濯をお願いね」
 あやすみたいに雅美に言った後、美智子は、小振りのポリバケツを差し出す紀子に向かって言った。
「承知しました。雅美お嬢ちゃまのつるつるのお肌に負けないくらい綺麗にお洗濯しておきます。それと、奥様、お嬢ちゃまが家にいらした時お召しになっていたスカートやショーツもお洗濯しておいた方がよろしいでしょうか?」
 律儀に頷いてから、紀子は念のためにとでもいうふうな感じで美智子に尋ねた。
「ああ、雅美ちゃんがトイレの前でおもらしして汚しちゃったスカートやショーツのこと? いいわ、あれは洗濯する必要もないでしょう。雅美ちゃんはこれからずっとおむつなんだから、あれはもう処分しておいて」
 おしっこをたっぷり吸ったおむつを手元にたぐり寄せてポリバケツの中に滑り込ませながら、こともなげに美智子は言った。
「はい、奥様。おおせの通りに」
 ちょっと待って、捨てちゃいや。そう言いかける雅美。けれど、紀子の方が一足早く美智子に応えると、雅美のおしっこで重くなったおむつの入ったポリバケツを手に提げて脱衣場を出て行ってしまった。
「待って、紀子さん……」
 雅美がようやく声を振り絞った時には、紀子はもうドアの向こうだった。分厚いドアに阻まれて、遠ざかって行く紀子の足音も聞こえない。
「さ、これでいいわ。じゃ、私も裸になるから、もう少しだけ待っててちょうだいね。雅美ちゃんはいい子だもの、少しの間なら我慢できるわね?」
 雅美をバスタオルの上に横たわらせたまま、美智子は手早く自分の着ている物を脱ぎ去った。
 雅美の母親よりも二つ年上で、あと三年で五十歳になる筈だが、とてもそうは見えない引き締まった裸体だ。毎日ストレッチを欠かさないとかで、ヒップはつんと突き出ているし、ウェストもきゅっとくびれていて、バストも、少しも垂れていないどころか、上向きかげんでぷるんと弾力がある。
「今度こそ、これでいいわ。さ、行きましょう」
 美智子は、紀子を呼び止める言葉を失って唇を半開きにしている雅美の体を軽々と抱き上げた。今の若者たちの間に混じってもまだ大柄な方に属する美智子だから、幼稚園児と見まがうばかりに小柄な雅美の体を抱き上げるなんて造作も無いことだ。
 両手で雅美の体を抱えた美智子は、浴室に続くガラス戸を指先で引き開けた。見た目の豪華さだけでなく建て付けもしっかりしている屋敷だけあって、寸分の歪みもないのだろう、脱衣場と浴室とを隔てるガラス戸は、美智子が指先で引くだけで滑らかに音もなく開いた。
 美智子に抱かれたまま浴室に移った瞬間、浴室の南側に向いた窓から見える景色に、雅美は大きく両目を見開いて息を飲んだ。山と海に挟まれた神戸市垂水区塩屋町の小高い丘の斜面に建っている屋敷の二階にある浴室の窓からは、眼下に明石海峡が一望できる。そして正面には淡路島が見え、神戸と淡路島とを結ぶ明石海峡大橋がケーブルの端から端までイルミネーションを輝かせてそびえ立っている。大橋の橋脚を縫うようにして大型タンカーやフェリーボートが照明をきらめかせて行き交い、西の方に目を向ければ、日の落ちた播磨灘の空が真っ赤な夕焼けから濃い紫色の夜の空へと装いを変えて星々がまたたき始めている。これまで何度も美智子の家に遊びに来ては、この浴室から見える景色に雅美はうっとりしたものだった。それだけは、言葉にできないほどの羞恥にまみれた出来事の続いた今日も同じだ。
 けれど、今の雅美は、その宝石のような光景にずっと見とれていることはできない。
「はい、お座りしまちょうね」
 美智子は、浴室の壁に填め込みになっている大きな鏡の前に置いた洗い椅子に雅美を座らせた。それから、予備のシャンプーや新しいタオルが置いてある小振りの棚に手を伸ばすと、ピンクの丸い物をつかみ上げて雅美に言った。
「最初は頭をきれいきれいしまちょうね。しっかり汗を落としておかないと、せっかくのさらさらの髪がいたんじゃうから。はい、これをかぶってちょうだい」
 美智子が手にしたのは、縁がピンクのシャンプーハットだった。
「そんなの要りません。私、子供じゃないんだから」
 雅美は拗ねたように言った。夫婦共働きでいつも忙しかった雅美の両親だが、月に何日かは時間の取れることがあって、母親と雅美、それに二人の妹と合わせて四人でお風呂に入ったこともある。そんな時、決まって母親は妹たちにシャンプーハットをかぶせて優しく頭を洗ってやっていた。いつもなら両親が忙しいため二人の妹のお風呂まで雅美が面倒をみていたのだが、雅美自身まだ子供で、妹たちの目にシャンプーの泡が入らないようにするといった気配りはできず、シャンプーハットをかぶせるなんて思いもよらず、妹たちが泣くのもかまわず半ば強引に頭を洗っていたから、たまに母親と一緒にお風呂に入って優しく頭を洗ってもらうと妹たちは上機嫌で、「いつもママといっしだったらなぁ」と甘えた声を出したものだった。妹たちのそんな甘えた声を耳にするたび、「あんなに私が面倒みてあげてるのに。いつもいつも私が苦労してるのに」という苦い思いが胸を満たして、どこか物悲しくなる雅美だった。それに、上の妹より四つ年上の雅美には母親は「雅美もシャンプーハットで頭を洗ってあげようか?」とは決して言ってくれなくて、それで余計に悲しく寂しくなる雅美だった。だから、シャンプーハットを見ると、ついつい拗ねたような表情を浮かべてしまう雅美だ。
「あらあら、困った子だこと。言った筈よ、この家にいる間は雅美ちゃんは赤ちゃんだって。ほら、駄々をこねてないで、ちゃんとかぶりまちょうね。でないと、お目々が痛い痛いになっちゃいまちゅよ」
 シャンプーハットを持った手を振り払おうとする雅美の腕をやんわり押さえつけて、美智子は雅美の頭にピンクのシャンプーハットをさっとかぶせると、
「ほら、お湯をかけまちゅよ」
と言ったかと思うと、雅美の返事も待たずにシャワーのコックをひねった。
 不意に浴びせられた湯のために、シャンプーハットを脱ごうとした雅美の手が止まってしまう。
「そうよ、そのままおとなしくしてまちょうね。駅から家まで歩いて来る時もお昼寝の時もたくさん汗をかいた筈だから、頭、きれいきれいしなきゃいけないものね」
 少しぬるめに調整したシャワーの湯をかけながら美智子は優しい手つきで雅美の髪についた汚れを洗い流して、それからシャンプーの容器を持ち上げた。
「はい、シャンプーでちゅよ。大丈夫だと思うけど、お目々つぶりまちょうね」
 美智子は掌にシャンプーを掬い取って、丁寧にマッサージするみたいにして雅美の髪を洗い始めた。
 美智子に言われるまでもなく、雅美はぎゅっと両目を閉じた。二人の妹とは違って小さな頃からお風呂も自分一人で入って頭も自分で入っていた雅美。もちろん、シャンプーハットをかぶせてもらった記憶なんてない。いつも両目をぎゅっとつぶって力まかせに頭を洗っていた記憶しかない。だから、美智子がシャワーのコックをひねって湯を出した途端、慌てて瞼を閉じて手を止めてしまったのだ。
 けれど、ものの一分も経つか経たないかのうちに、雅美はおそるおそる目を開いた。自分では何もしていないのに白い無数の泡が髪を包み込む感触。力まかせの洗い方ではない、髪を優しく撫でつけるみたいにして丁寧に洗ってくれる美智子の手の感触。そして、確かに頭を洗ってもらっているのにシャンプーの泡垂れも湯のしぶきも顔にかからない不思議な感触。そんな、これまで経験したことのない感触がじわじわと雅美の胸の中にしみわたってきたからだ。妹たちの頭を洗ったことは何度もあるけれど、これまで、誰かにそんなふうにして洗ってもらった記憶はない。そんな雅美にしてみれば、母の姉である美智子の手で頭を洗ってもらっていると、幼児だった頃の寂しさを取り戻しているような、なんだかとても切ない気分になってくるのだった。
「雅美ちゃんの髪、軽いウェーブがかかっているのね」
 背中の方から美智子の声が聞こえた。
「美佐江――雅美ちゃんのママもそうだし、私も同じ。たしか、雅美ちゃんの妹も二人とも同じように髪に軽いウェーブがかかってたっけ。それに、そうそう、うちの高志も同じだわ。髪のクセはみんなお母さん譲りなのね」
 真っ白の泡をシャワーで洗い流しながら美智子は呟くように言った。
「……たしかに髪は同じだけど、でも、私だけこんなに体が小さいんですよ。伯母様もうちの母も同じ年代の人達の中じゃ背が高いし、上の妹の香奈も下の妹の真澄も、高校と中学に入ったばかりで一年生なのに、もうバスケット部とバレーボール部でレギュラーになっちゃうほど背が高くて運動神経がいいし、高志さんだって大学の時はアメリカンフットボールをやってたんでしょう? 髪なんてどうでもいいから、私ももう少しでいいから大人っぽくなりたかったのに」
 雅美は、髪を洗ってもらってこれまでよりも気を許したのか、今まで胸の中に溜め込んできた気持ちをぶつけるみたいに愚痴っぽい口調で言った。
 そうして、美智子が二度目のシャンプーを掌に掬い取るのを待って、目を正面に向けた。
 目の前にある大きな鏡に、シャンプーハットをかぶった幼児めいた姿の自分自身が映っていた。そして、その後ろには、雅美の頭に両手を伸ばして新しいシャンプーを泡立て始めた美智子の姿。
 実際の年齢より若く見える魅惑的な裸体の美智子と、本当の年齢よりずっと若く見えるというより、幼く見えるといったほうが正確な、幼稚園児と見まがうばかりの小柄で幼児体型の雅美。本当のことを知らない者が二人の姿を見れば、幼稚園に入ったばかりの小さな子供と、その子の頭を洗ってやっている若い母親だと思うだろう。それほどに(それぞれ別の意味で)実際の年齢よりも若く見える二人だった。
「気にしちゃダメよ、雅美ちゃん。たしかに雅美ちゃんは体が小さいけど、でも、体が大きけりゃいいってもんじゃないわ。特に女の子は小柄な方が可愛いんだから。うちの高志も、雅美ちゃんたち三人の中で雅美ちゃんが一番のお気に入りなのよ。たいがいの男の人は小さい女の子が好きなのよ」
 それまでの幼児言葉とは違って、美智子はこの時ばかりは雅美の実際の年齢に合わせた言葉遣いで言った。
「そうかしら……」
 雅美は伏し目がちに呟いた。
「そうよ、自信を持ちなさい。自信を持って堂々としていれば、それだけで輝いて見えるものなのよ、年頃の女の子っていうのは。――さ、頭はこれでいいわね。次は体を洗いましょう」
 二度目のシャンプーもシャワーで丁寧に洗い流してから、美智子は雅美の体を自分の方に向き直させた。
「私はね、雅美ちゃんに自分の魅力に気づいてほしいのよ。誰にも真似できない、雅美ちゃんだけが持っている魅力に。他には誰も持っていない魅力を雅美ちゃんは持っているのよ。それで、これまでいろいろ頑張ってきた雅美ちゃんに私からのご褒美として雅美ちゃん自身の魅力に気づかせてあげることにしたの。そのためにうちにご招待したのよ。短い間じゃなく、夏休みの間中ずっとうちで暮らして雅美ちゃんの持っている魅力を花開かせてあげるために」
 美智子は勢いを弱めたシャワーの湯を雅美の肩口から背中、胸元へと順番にかけて、ボディソープをしみこませたスポンジを雅美の腕に押し当てた。
「でも、ご褒美っていっても、大学の入学祝いはもうたくさん貰ったし……」
 美智子が何を言おうとしているのかもうひとつわからなくて、雅美は要領を得ない顔で呟いた。
「私が『いろいろ頑張った』って言ったのは大学に入ったってことだけじゃないわよ。入学祝いなら、香奈ちゃんも真澄ちゃんもこの春に高校と中学に入ったから雅美ちゃんと同じようにきちんとあげたもの。私が言っているのはそんなことじゃなく、よくこれまで香奈ちゃんと真澄ちゃんの面倒をみてあげたわねってことなの。雅美ちゃんのところはお父さんもお母さんも忙しくて、二人の妹の面倒、雅美ちゃんがみていたのよね。でも、学校の成績を落としちゃいけないって、妹の面倒も自分の勉強も両立させてきたじゃない。それで、一年は浪人したけど、へこたれないで、行きたい大学の行きたい学部に入ったのよね。そうやって頑張ってきた雅美ちゃんへのご褒美なのよ」
 雅美の上半身を包み込んだ無数の泡をシャワーで洗い流した美智子は、続いてシャワーの湯を下半身、特に念入りに下腹部のあたりにかけた。
「そんな、頑張っただなんて……妹の面倒をみるのは一番上の姉として当たり前のことだし……」
 はにかんだような顔をして雅美は言った。雅美は妹の面倒をみるのが大変だと思ったことは一度もない。長姉として二人の妹の面倒をみるのは当然のことだと思っていた。それは当たり前のことだと思っていた。でも……。
「でも、寂しかったんでしょう? 妹の面倒をみるばかりで雅美ちゃんはなかなかお母さんにかまってもらえなくて寂しかったんでしょう? たまに時間が取れた時もお母さんは妹たちにかかりっきりになっちゃって寂しかったんでしょう?」
 雅美の正面から目を覗き込むようにして美智子は言った。
「……」
 まるで胸の内を見透すみたいな美智子の言葉に、雅美は何も応えられない。



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