幼児への誘い・3



 バスタオルの上におむつカバーと水玉模様の布おむつが用意してあるのが雅美の目にも映る。
「あら、おむつカバーも新しいのにしたの? お風呂に入る前のでもよかったと思うんだけど」
 水玉模様の布おむつの下に広げて置いてあるおむつカバーに目をやった美智子が言った。
 確かに、それは、お風呂に入る前に外したスヌーピー柄のおむつカバーではなく、淡いレモンイエローの生地にキャディーの柄をプリントした真新しいおむつカバーだった。
「はい、おしっこが横漏れしていたわけじゃありませんから、おむつカバーまで替える必要はありませんでした。でも、お風呂前に外したおむつを見ると、横当てのおむつは殆ど濡れていませんでした。それで、今度は、横当てを使うおむつのあて方じゃなくて股おむつにしてみようかと思うんです。それで、股おむつ用の新しいおむつカバーを用意してまいりました」
 紀子は膝を折ると、雅美のお尻が新しいおむつの上に載るようにして雅美の体をバスタオルの上に横たえさせた。
「ああ、そういうことだったの。そうね、本当の赤ちゃんだと横当てを使うあて方だと股関節脱臼になりやすいから今は股おむつが殆どだし、雅美ちゃんも、股おむつの方が脚を動かしやすいから窮屈じゃなさそうね。いいわ、あててあげて」
 納得したように美智子は頷いた。
「承知しました。――はい、おむつにしまちょうね。いつまでも裸ん坊だと風邪をひいちゃいまちゅからね」
 美智子に言われて、紀子は雅美の両足の足首をまとめてつかむと、高々と差し上げて、布おむつの端をお腹の上に持って行った。
 布おむつが両脚の間を通る柔らかい感触が羞ずかしい。
 しかも、その羞ずかしい感触が何度も何度も繰り返される。普通、おむつをあてる時、股当てのおむつをまとめてお尻の下からお腹の上に広げる。なのに、紀子は、股当てのおむつを一枚ずつ雅美の両脚の間を通してあてているのだ。雅美に布おむつの感触を何度も何度も味わわせるために。
 紀子の手が六回動いて、ようやく六枚のおむつが雅美の下腹部を包みこんだ。
 けれど、雅美の羞恥をくすぐる恥ずかしい感触はまだ続く。おむつが終わっても、まだおむつカバーが残っている。
 紀子は雅美の足首をバスタオルの上におろしておむつカバーの左右の横羽根を持ち上げ、雅美のおヘソのすぐ下で重ねると、互いをマジックテープでしっかり留めた。こうすると、もう、布おむつがずれることもない。それから紀子はおむつカバーの前当ての端を待ち上げて、股当てのおむつと同じように雅美の両脚の間を通してお腹の上に広げた。前当てが両脚の間を通る時、普通の生地ではない、内側の防水性の素材の少しひんやりした感触や、おむつカバーの裾を縁取るバイアステープのすべすべした感触が内腿に伝わって、雅美は、まるで本当の赤ん坊みたいにおむつをあてられているんだということをあらためて思い知らされるのだった。
(ああ、私、おむつをあてられちゃうんだ。お風呂に入る時に一度は外してもらったおむつなのに、またあてられちゃうんだ。今度はいつ外してもらえるんだろう。明日のお風呂の時まで外してもらえないのかな。それとも、おしっこが出そうだって言えば外してもらえるのかな。でも、おしっこを教えたら、また伯母様に抱っこされておしっこさせられちゃうのかな。また、『赤ちゃんはね、こんなふうに抱っこしてもらっておしっこさせてもらうのよ。さ、おむつを外そうね』って言われて、鏡の前でおむつを外されちゃうのかな)雅美は自分の胸の高鳴りが体中に響き渡るように思った。
「さ、できた。これで、いつおもらししても大丈夫でちゅよ」
 股おむつ用のカバーだと、腰紐を結わえる手間も要らない。横羽根のマジックテープと前当てのマジックテープを調節して中のおむつがずれないようにして、あとは、おむつカバーの裾からはみ出ている布おむつをおむつカバーの中に押し込めば、それでおしまい。紀子は、六枚のおむつでぷっくり膨れた雅美のお尻をおむつカバーの上からぽんと叩いた。
「あら、可愛いこと。お風呂に入るまであてていたおむつカバーもいいけど、やっぱり、今ふうの股おむつカバーだと余計に赤ちゃんらしく見えるわね」
 おむつカバーだけ身に着けてバスタオルの上に横たわる雅美の姿をじっと見おろして、美智子は満足そうに頷いた。
「奥様にそう言っていただけて、用意した甲斐がございます。では、パジャマの方もご覧ください」
 紀子は美智子に頷き返して、雅美の部屋から持ってきた藤製のバスケットから淡いピンクの衣類を取り出した。
 きちんとたたんであったその衣類を紀子が床に広げると、それがカバーオールというベビー服だということが雅美にもわかった。上下つなぎになっていて、つま先から上半身をすっぽり包み込むようになっているベビー服で、赤ん坊が動いてもお腹が出ないからパジャマとして着せることが多い。
 紀子は、脱衣場の床に広げたカバーオールの襟元からお腹のあたりを通って足首の近くまで並んだスナップボタンを全て外して、カバーオールが一枚の布地に見えるくらいに大きく広げた。そうして、バスタオルの上から抱き上げた雅美の体をカバーオールの上にそっとおろした。バスタオルの少しごわごわした感触ではない、あまり厚手ではないけれどふんわりした感触に体中が包み込まれる感じがする。
「すぐでちゅからね、ちょっとの間だけおとなしくしてまちょうね」
 紀子はあやすみたいに言って、雅美の脚を一本ずつつま先まで覆い、右手、左手と袖口まで通して、雅美の体をすっぽりとカバーオールで包み込むと、足首のあたりに付いているスナップボタンから順に留め始めた。
「雅美ちゃん、どうしてこんな所までボタンが付いていると思う? 着たり脱いだりするだけなら襟口からお腹までボタンが付いているだけですむ筈なのにね」
 一つずつ丁寧にスナップボタンを留めてゆく紀子の手元を見つめながら美智子が言った。
「……」
 雅美も、その答は知っている。知っているけれど、あまりに恥ずかしい答だから口にできない。
「あらあら、お口もきけない小っちゃな赤ちゃんだったのね、雅美ちゃんは。いいわ、じゃ、教えてあげる。お腹よりも下、脚のところに並んでいるボタンは、おむつを取り替えやすくするためよ。おむつを取り替えるたびにわざわざカバーオールをみんな脱がせてちゃ大変だから、お股のところが開くようになっているの。夕飯の時に着ていたロンパースのボタンと同じなのよ」
 雅美が恥ずかしさのあまり言葉にできなかった説明を、美智子は雅美に言い聞かせるみたいに口にした。それでも、雅美は、その説明に頷きもできず返事もできない。
 その間にも、紀子の手がスナップボタンをみんな留め終える。
「よくお似合いでちゅよ、雅美お嬢ちゃま。あとは髪の毛を整えればおしまいでちゅからね」
 紀子は雅美の上半身を引き起こして、脱衣場の一角にある大理石の洗面台からヘアドライヤーとヘアブラシを持ってきた。
「可愛い髪型にしまちょうね。赤ちゃんらしい、可愛い髪型に」
 吹き出す空気があまり熱くならないように調節したヘアドライヤーを右手に、紀子はせっせと左手のヘアブラシを動かし続けた。最初は、髪を乾かすためにさっさっと大きくブラシを動かして髪にドライヤーの空気を含ませるように、それから、今度は髪型を整えるために注意深く丁寧に。
 待つほどもなく、雅美の髪は紀子の手ですっかり幼児めいた髪型に整えられてしまった。前髪はふんわりした感じで眉毛にかかるかかからないかの長さで額を隠すようにおろして、首筋の半ばほどの横髪の前半分は細かな三つ編みにして耳の前にまとめ、後ろ半分と後髪は、もともとの軽いウェーブを利用してくるんと内巻きにした、どこか人形めいた感じさえする可愛らしい髪型だ。
「いかがですか、奥様?」
 背中の方から雅美の顎を持ち上げるようにして、紀子は美智子に確認を求めた。
「いいわよ、とても可愛らしくまとまっているわ」
 美智子は笑顔で頷いた。けれど、すぐに、少し考え込むような顔つきになる。
「だけど、せっかく可愛い髪型にしてもらったけど、おねむの時に崩れちゃわないかしら。雅美ちゃんの寝相が悪くなきゃなんともないかもしれないけど、たいてい、小っちゃな子はあまり寝相がよくないものだし」
「そのことでしたら心配ございません。可愛い髪型が崩れないよう、雅美お嬢ちゃまにはお帽子をかぶっていただきます。そりゃ、帽子で髪を押さえつけてしまいますから、ふんわりした感じはなくなってしまいますけれど、それは、お目覚めの後にさっとブローしてさしあげればすぐ元に戻りますので」
 言いながら、紀子は藤製のバスケットから、カバーオールと同じ色合いのベビー帽子を取り上げて、雅美の目の前でさっと広げてみせた。カバーオールと同じ淡いピンクの生地を純白の飾りレースで縁取りしてあって、顎の下で紐を結わえるようになったベビー帽子だった。
「そうね、耳の前の三つ編みが崩れなくて寝グセがつかなければ、あとは簡単にできるわね。いいわ、その帽子をかぶせてあげて」
 美智子も紀子の言葉に同意した。
「承知しました」
 短く応えた紀子は両手で広げたベビー帽子を雅美の頭にかぶせて、なるべく帽子が髪の毛を押さえつけないよう指先で縁取りのあたりに隙間を作ってから、顎の下で細い紐をきゅっと結わえた。
「いいわね、とても似合っているわ。こうしてみると、本当に赤ちゃんね、雅美ちゃんは」
 場所を移動して紀子のすぐ横に膝をついた美智子は、すっかり赤ん坊の装いに身を包んだ雅美の姿を何度も眺めては、心から満足したように目を細めた。
「さようでございますね。ロンパースをお召しの時には、赤ちゃんといっても、二歳ちょっとくらいの少し大きな赤ちゃんでございましたけど、こうしてカバーオールとベビー帽子というお姿ですと、生まれて間もない小さな赤ちゃんという感じでございますね。まだ生後一年にも満たないくらいの赤ちゃんでしょうか」
 すかさず紀子が相槌を打った。そうして、何か思いついたように両手をぽんと打つと、藤製のバスケットから小さな手袋を取り出した。手袋といっても、五本の指が分かれている普通の手袋ではなく、手首から指先まですっぽり包み込んでしまう袋みたいになったミトンという種類の手袋だった。
「小さなお子様はおねむの間、自分の爪で自分の顔を引っかいてお怪我をすることがございます。それを防ぐためにミトンを着けるのでございましたよね」
「ああ、そうだったわね。高志がそんな小さな赤ちゃんだったのはもう二十三年も前のことだからすっかり忘れていたわ。よく思い出してくれたわね、紀子さん」
「恐縮でございます。それでは、このミトンを」
「ええ、雅美ちゃんの手に着けてあげて。せっかくの綺麗なお肌に傷がついちゃったら可哀想だもの」
「承知しました。――じゃ、雅美お嬢ちゃま、お手々を出してくださいな。可愛い手袋を着けてあげまちゅからね」
 優しい口調とは裏腹に、なかなか手を出そうとしない雅美の手首を無理矢理みたいにつかんで手元に引き寄せた紀子は、雅美の手をミトンでさっさと包み込むと、手首の内側でミトンを固定する毛糸を手早く結わえた。両手にミトンを着けられると指が自由にならなくなって、もう、いくら雅美が自分でミトンを外そうとしても、手首に結びつけられた毛糸をほどくことができなくなる。
「いいわね、本当に赤ちゃんらしくなってきたわ」
 美智子の目がますます細くなった。
「あと、これも忘れてはいけませんでしたね」
 ミトンに続いて紀子がバスケットからつかみ上げたのは、大きなよだれかけだった。夕飯の時に雅美の胸元を覆っていたのはブルーの生地でできたよだれかけだったが、今度のは、純白のパイル地をレモンイエローの飾りレースで縁取りして、子犬のアップリケを縫いつけたよだけかけだ。
「そうだったわね。お風呂からあがったらジュースを飲ませてあげる約束だったから、ちゃんとよだれかけも着けておかないと。小っちゃな赤ちゃんの雅美ちゃんはまだ哺乳壜も上手じゃないから、せっかく着せてもらったカバーオールを汚しちゃうものね」
 美智子は紀子に向かって頷いてみせた。けれど、その言葉は雅美に向かって言っているのが明らかだった。
「それでは」
 紀子は美智子に頷き返して雅美の後ろにまわりこむと、手にしたよだれかけを雅美の胸元に広げて、首筋の後ろと背中、二ケ所で紐を結わえた。
「うふふ、これですっかり赤ちゃんね。まだおむつの外れない、手も自由に動かせない、哺乳壜も上手に飲めない、自分だけじゃ何もできない小っちゃな赤ちゃん。どう、雅美ちゃん? いよいよ雅美ちゃんの望みが叶うのよ。これが私からのご褒美よ」
 脱衣場の床にお尻をつけてぺたんと座っている雅美の姿をもういちど頭の先からつま先まで見まわした後、美智子は雅美の顎をくいっと持ち上げて言った。
「は、恥ずかしい……こんな、こんな赤ちゃんみたいな格好、恥ずかしい……」
 雅美の声は震えていた。
 けれど、雅美の声が震えているのが羞恥のためばかりではないことを美智子は知っていた。羞恥に混ざって、どこかうっとりしたような、夢見心地みたいな、悦びとさえ言っていいような感情が雅美の声を震わせていることに美智子は気がついていた。
「赤ちゃんみたいな格好じゃなくて、赤ちゃんなのよ、雅美ちゃんは。これからずっと、おしっこはおむつにして、哺乳壜でミルクを飲ませてもらう赤ちゃんになるのよ」
 美智子は念を押すみたいに決めつけた。そうして、床に座っている雅美の体を横抱きに抱き上げて脱衣場のドアに向かって歩き出した。
「さ、赤ちゃんはおねむの時間でちゅよ。ジュースはベビーベッドで飲ませてあげまちょうね。サークルメリーをまわしてあげるから、その下でゆっくり飲みまちょうね。ジュースを飲んだら、おねむするんでちゅよ。たっぷり寝ないと大きくなれませんからね」
 少し考えてから、雅美はおどおどした様子で頷いた。小柄な雅美にとって美智子の最後の言葉は皮肉めいて聞こえたし、おねむの時間と言われても、まだ八時にもならない時間だから眠くなるわけがない。それでも、赤ん坊そのままの羞恥に満ちた姿を二人の目にさらすよりは、ベビーベッドの中ででもいいから一人になりたかった。だから無言で頷くしかできない雅美だった。

 美智子が紐を引くと、小さな子供が喜びそうなかろやかなメロディが流れ出して、天井から吊りさげたサークルメリーの色とりどりの飾り付けや人形がくるくるまわり始めた。
「はい、お待ちどうさま、ジュースでちゅよ」
 美智子は、サークルメリーの真下にあるベビーベッドの上に寝かした雅美の唇に哺乳壜の乳首を押し当てた。
 哺乳壜を満たすジュースを飲み終えて『おねむ』になるまでは一人になれないことを雅美は直感していた。雅美が目を開けている間は美智子も紀子もなにかと口実をつけて雅美の『お世話』をやきたがるのは明らかだった。だから、殆ど迷うこともなく、雅美は美智子に言われるままおずおずと哺乳壜の乳首を口にふくんでジュースを飲み始めた。
 雅美が唇を動かすたびにほどよく冷えた甘いジュースが口の中に流れ込んで、その代わりに、哺乳壜のジュースの表面に小さな泡がたつ。何度かそうやってジュースを飲んでいるうちに、うつらうつらしてくる雅美だった。
「あら、おねむかしら。そうね、いい子はもうおねむの時間だもの。大人にはまだまだ宵の口でも、赤ちゃんは楽しい夢を見ながらおねむする時間だものね。いいわ、もっとよく眠れるように子守唄を歌ってあげる」
 美智子は、トイレの前でおもらしをしてしまって気を失った雅美が目を覚ました後、やはりこうしてベビーベッドに横たわった雅美のお腹をぽんぽんと優しく叩きながら歌った子守唄を口ずさんだ。
 天井のサークルメリーを眺めながら哺乳壜のジュースを飲む雅美の意識がぼんやりしてきた。美智子に優しくお腹を叩かれて母親の声とそっくりの美智子が口ずさむ子守唄の歌声に包まれていると、目を開けていることができなくなってくる。
 けれど、それは、小さかった頃を思い出したためではなく、もう半分ほど飲んでしまった哺乳壜のジュースに混入した睡眠薬のせいだった。雅美がおもらしをしてしまうよう仕向けるために混入した睡眠薬とは違って、今度のは、寝つきをよくするために服用する比較的効き目の軽い睡眠薬だ。紀子が再びジュースに睡眠薬を混入したのは、昼間のように雅美におもらしせさるのが目的ではない。あのおもらしの後、雅美はおねしょに続いておむつを汚し、浴室では美智子に抱っこされておしっこしたのだ。もう今さら雅美に無理矢理おもらしさせる必要はない。雅美はもう、自分一人ではおしっこもちゃんとできないんだということを思い知っただろう。それでも紀子があらためてジュースに睡眠薬を混入したのは、雅美の赤ちゃん返りをもっと進めるためだった。ベビーベッドの上で(睡眠薬を混入した)ジュースやミルクを雅美が飲むたびに天井から吊りさげたサークルメリーをまわし、美智子が雅美のお腹をぽんぽんと叩きながら子守唄を口ずさむということを何度も何度も繰り返せば、それが習い性になって、いずれは、睡眠薬を使わなくても、サークルメリーの音が聞こえて美智子の子守唄を耳にすれば、それだけで雅美は眠りにつくようになる筈だ。そうなれば雅美は、おしっこは美智子と紀子があてるおむつにして、食事は美智子と紀子が持つ哺乳壜のミルクを飲んで、おねむさえ美智子の子守唄によって操られる、それこそ赤ん坊そのままの生活に身を置くことになるのだ。
 紀子は、雅美が味覚で睡眠薬に気づかないよう、わざと甘ったるいジュースを選んでいた。だから、雅美は、急に眠くなってきたその本当の理由に気がつくことはない。気がつくことなく、意識が朦朧としてくる。
 いつしか、哺乳壜の乳首を吸う口の動きも止まっていた。だらしなく半開きになった唇の端からジュースが一筋流れ出して頬を伝う。
「あらあら、ジュースを飲みながら眠っちゃうなんて、本当に困った赤ちゃんね。ほら、口の中のジュースもこぼしちゃって」
 全く困ったふうもなく、むしろ嬉しそうに顔を輝かせて、美智子はよだれかけの端で雅美の頬をそっと拭った。
 美智子が頬を拭った時、雅美の唇が僅かに動いた。
「あら、お口が寂しいのかしら。それじゃ、これがいいわね」
 美智子はよだれかけを元に戻した後、ベビーベッドと並んで置いてある整理箪笥の一番上の引き出しを開けておしゃぶりを取り出し、それを雅美の口にふくませた。
 催眠薬で眠らされた雅美だが、無意識のうちに唇が動いて、ちゅうちゅうと音をたてておしゃぶりを吸い始めた。途端に、どこか安心しきったような楽しそうな表情になる。小さな妹たちの面倒をみていた頃ではなく、全てを母親の手に委ねていればよかった幼い頃の夢を見ているのかもしれない。
 美智子と紀子は無言で目配せを交わすと、雅美の体にタオルケットをかけ、ベビーベッドのサイドレールを引き起こして、静かに部屋を出て行った。
 急に静かになった育児室には、サークルメリーが奏でるかろやかなメロディが流れるだけだった。
 そのメロディも、三十分ほどで自動的にサークルメリーのスイッチが切れると、ぱたっと止まってしまう。
 満天の星の光を窓ガラスに映し出して、育児室を静寂が満たした。




 雅美は最初、どうして目が覚めたのかわからなくて、それに、自分がどこにいるのかもわからなかった。
 まだ夜中だということは、目が覚めたばかりではっきりしない意識でもなんとなく感じられる。けれど、自分がどこで寝ているのかわからない。妹たちと一緒に使っている狭苦しい自分の部屋ではないことだけはわかるものの、ここがどこだか思い出せない。
 しばらく間があって、瞼を手でごしごしこすりかけて、瞼に触れるのが自分の指ではなく、つるつるした肌触りの布地だということに気がついた。
(え? 何かしら。なんだか手袋みたいのを着けてるみたい。――あ、そうだ。私、伯母様の家に来てたんだ。それで、伯母様と一緒にお風呂に入って、お風呂からあがったら、紀子さんが私の手にミトンを着けさせたんだっけ。たしか、小っちゃな赤ちゃんは自分の爪で自分の顔をひっかいて傷を付けることがあるから、それを防ぐためだとか言って。それで、それで、その前に……おむつを……)
 そこまで思い出して雅美は顔を真っ赤に染めた。そうして、ミトンに包まれた右手で自分のお尻をそっと撫でてみる。
 さほど厚くないミトンの生地を通して、ぷっくり膨れたお尻のラインが感じられた。
(おむつだわ。私、本当におむつをあてられてるんだ。赤ちゃんじゃないのに、おむつなんだわ)
 その時になって、雅美は、自分がどうしてこんな夜中に目を覚ましてしまったのか、その理由がわかった。眠っている間に次第次第に高まってくる尿意に我慢できなくなって目が覚めたのだ。
(あ、でも、おむつを恥ずかしがってる場合なんかじゃないわ。トイレ、トイレへ行かなきゃ。夕飯の時にもおむつを汚してるんだから、また汚しちゃったら、今度こそ伯母様と紀子さんになんて言われるかしれない)
 咄嗟にそう思いついた雅美は急いで上半身を起こした。
 けれど、じきに、ひどい戸惑いの色が顔に浮かぶ。雅美は、四方ともサイドレールに囲まれたベビーベッドに寝かされていた。普通のベビーベッドは長さが一メートル二十センチくらいに作ってあるが、それでは一メートル三十センチを僅かに超える身長の雅美が横になることはできない。そのために美智子は特別注文で雅美が寝ることのできるベビーベッドを作らせたのだが、その時、全体のサイズを大きくするだけでなく、サイドレールも普通よりもずっと高くするよう指示していた。そのせいで、雅美がベッドの上に立ち上がったとしても、サイドレールをまたいで床におりるというようなことはできそうになかった。
 少し迷ってから、雅美は、ベビーベッドのあちこちを探り始めた。またいで越えることができないなら、サイドレールを倒すしかない。サイドレールを留めている金具がどこに付いているのか、それを探すためだ。
 金具はすぐにみつかった。サイドレールをベッドのフレームに取り付けている蝶番のすぐそばに金属製のピンがあって、それを外せばサイドレールは簡単に倒れそうだった。
 雅美は急いでピンに手を伸ばした。
 伸ばしたけれど、ピンを外すことはできなかった。直角に曲がったピンの頭が取付金具の内側に隠れるような仕組みになっているため、ミトンに包まれて自由にならない指では、ピンの頭を外側に起こすことができない。雅美は何度も何度も試してみた。けれど、結果はいずれも同じだった。
 そうしているうちにも、いよいよ尿意は強くなってくる。
(やだ、このままじゃ、このままじゃ……)
 おむつのことを思い出して真っ赤に染まった顔が、今度は真っ蒼になってゆく。
(このままじゃ、また、おむつを汚しちゃう。赤ちゃんみたいにおしっこでおむつを汚しちゃう。やだ、私、赤ちゃんじゃないのに)
 それからも何度か試して、けれど、とうとうピンを外すのを諦めて、雅美はぶるんと首を振った。お腹の上にかかっていたタオルケットが滑り落ちて、紀子が雅美に着せたカバーオールがあらわになる。雅美の目が、カバーオールのお腹の下から足首の近くまで並んだスナップボタンに釘付けになった。
(そうだ、私、こんなパジャマも着せられていたんだわ。お腹の下から脚のところまで大きく開くようになっている赤ちゃん用のパジャマを。おむつを取り替えやすくなっているパジャマを。いつもいつもおむつを汚しちゃう赤ちゃんが着るのと同じパジャマを)
 あらためてそう思った途端、夕飯を食べながらおむつを汚してしまった時の感触がありありと甦ってきた。尿意が少しずつ強くなるにつれて股間が熱くなってきたあの時の感じ。股間の一点が温かくなって、その温もりがお尻全体に広がり始めたあの時の感じ。羞恥心に奇妙にうっとりとした表情を浮かべてしまったあの時の感じ。(あっ、おむつが濡れちゃう。赤ちゃんじゃないのに赤ちゃんになっちゃう)と戸惑いながら被虐的な悦楽に浸ったあの時の感じ。
(伯母様、言ってたっけ。これが私へのご褒美なんだって。私を赤ちゃんの頃に戻してあげるのが伯母様からのご褒美だって。……だったら、おしっこ、おむつにしちゃっていいのかな。トイレへ行かずにおむつを汚しちゃっていいのかな)
 羞恥がなくなったわけではない。ただ、どういうわけか、そんふうに考えると、体中を包み込むひどい羞恥が、下腹部をじんじん疼かせる奇妙な悦びに姿を変えてゆくのだった。そうして雅美は、自分自身に対する言い訳みたいに、こうも思った。
(だって、仕方ないよね。こんなに高いサイドレールをまたいで越えることなんてできないし、ミトンのせいでサイドレールを留めてる金具も外せないんだもの。これ、私のせいじゃないよね。伯母様と紀子さんがこんなことをするから私トイレへ行けないんだもん。おむつを汚しちゃっても私のせいじゃないよね。仕方なくて、どうしようもなくて、それで、おむつを汚しちゃうんだよね。絶対、私のせいじゃなよね)
 自分に暗示をかけるみたいにしてそう思い込みながら、雅美はゆっくり下腹部の力を抜いていった。
 あの時と同じだった。不意に股間の一点が温かくなって、その温もりがお尻全体に広がり始める。
 あの時と同じだった。(あっ、おむつが濡れちゃう。赤ちゃんじゃないのに赤ちゃんになっちゃう)
 あの時と同じだった。羞恥心に奇妙にうっとりとした表情を浮かべてしまう。
 けれど、たった一つだけ違うことがある。あの時は、自分でも思いもしないおもらしだった。尿意は感じたものの、夕飯を食べ終えるまで我慢できると思っていた。なのに、(雅美は知らなかったが、利尿剤の効果が残っていたせいで)とうとう我慢できなくなっておしっこを溢れさせてしまった。ところが、今は、自分でそうと意識しておむつを汚しているのだ。自分自身に対して言い訳じみた説明をしてみせて、いかにも自分は悪くないんだと言い聞かせて、そうして自分で自分の下腹部の力を緩めたのだ。これまでのおもらしともおねしょとも違って、自分でわかっているのにおむつを汚しているのだ。おむつの柔らかな肌触りに誘われるまま、雅美ちゃんは赤ちゃんになるのよと誘われるまま、おしっこを止めることができないでいるのだった。
(私、私、本当におむつを濡らしちゃったんだ。赤ちゃんになっちゃったんだ。トイレへ行かずにおむつを汚しちゃったんだ)
 最後の一雫がおむつに吸い取られる時には、もう、おしっこの雫が流れ出たのが感じられないほどにおむつがぐっしょり濡れていた。体温のせいで殆ど冷えることなく、むしろ、エアコンのタイマーも切れてじっとしていても汗ばむ夏の夜、おむつカバーの中が次第に蒸れてくる。自分のおしっこでお尻が蒸れる屈辱感に包まれて、雅美は何度も何度も胸の中で呟いた。
(でも、伯母様、言ってた。これがご褒美なんだって。ずっと妹たちの面倒をみていた私へのご褒美だって。小さい頃からお母さんに甘えられなかった私へのご褒美だって。私、私……赤ちゃんになってもいいんだよね)
 ミトンに包まれた両手がおずおずと動いて、タオルケットの中にもぐりこんだ。そうして、カバーオールの上から自分の下腹部をそろそろと撫でさする。カバーオールの生地と、おむつカバーと、それから、何枚もの布おむつを通して、僅かな指の動きが雅美の秘部に伝わる。少し前から始めた、自分の指で自分の恥ずかしいところを慰める恥ずかしい癖。でも、まさか、おむつの上から自分の秘部をいじるなんて思ってもみなかった。なのに、おしっこでぐっしょり濡れたおむつの肌触りのとりこになってしまったかのように、ベビー服の上から自分を慰めてしまう雅美。
 いつしか、おしっこで濡れたおむつが、今度は、ぬるぬると濡れ始めていた。
(でも、どうしよう。こんなになっちゃって、こんなおむつのまま眠るなんて。こんな時、本当の赤ちゃんだったらどうするんだろう。おむつが濡れてるのも気にしないでそのまま眠っちゃうのかな。それとも、大声で泣いておむつが濡れてることを教えるのかな。そんなこともわからないなんて、私、赤ちゃんになれないかもしれない。せっかくの伯母様からのご褒美なのに、どうしたらいいのかわからないなんて。わからないのに、こんないけないおいたしてるなんて)
 おいた――恥ずかしい悪戯。恥ずかしい一人遊び。あらためてそう思うと、股間がますますぬるぬるになってくる。
「あん……ああん……」
 たまらなくなって、とうとういやらしい喘ぎ声を漏らしてしまう雅美。
 ドアが開いたのは、雅美が喘ぎ声をあげながら体をのせぞらせた時だった。
 はっとして身を固くする雅美。けれど、その痴態を、ドアを開けて部屋に足を踏み入れた美智子は見逃さなかった。
「お、伯母様……」
 雅美は慌てて両手をタオルケットの下から胸元に引き寄せた。
「おむつが濡れたみたいだから取り替えてあげようと思って来てみたんだけど、いけないおいたをしていたのね、エッチな赤ちゃんは」
 美智子はまるでタオルケットもカバーオールの生地もおむつカバーも見透かしてしまうたいな目つきで雅美の下腹部を見おろした。
「で、でも、どうして」
 ひどくうろたえながも、雅美はごくりと唾を飲み込んで美智子に言った。
「雅美ちゃんのおむつが濡れちゃったことがどうしてわかったのか、それを知りたいのね?」
 美智子はすっと目を細くした。
「は、はい」
 きらきら輝く美智子の目から視線をそらすことができずに、雅美は小さな声で応えて微かに頷いた。
「簡単なことよ。こんな機械があるの」
 そう言った美智子はカード型のポケットベルみたいな機械を雅美の目の前に差し出して、表面に並ぶボタンを一つ押してみせた。
 ピピピというアラーム音が部屋の中に鳴り響く。
 しばらくその電子音を雅美に聞かせてから、美智子はもういちどボタンを押した。部屋に静寂が戻ってくる。
「紀子さんが脱衣場で雅美ちゃんにおむつをあてる時、薄いシートみたいな発信器をおむつの中に仕込んでおいてくれたのよ。その発信器は、センサーが水分を感知すると電波を出しておむつが濡れたことを知らせてくれるの。この受信機のアラームを鳴らして」
 美智子はもういちどポケットベルみたいな受信機を雅美の目の前に突き出してみせた。
「世の中、本当に便利になるわね。高志が赤ちゃんの頃にもこれに似た機械があったけど、その頃のはおむつから電線を引っ張らなきゃいけなかったから、あまり実用的じゃなかったの。でも、これだと、おむつの中に発信器を仕込んでもわからないくらい軽くて薄くなっているんですものね。これなら、雅美ちゃんがおむつを汚したまま気がつかずにおねむでも、ちゃんと取り替えてあげられる。それだけ、おむつかぶれになる心配がなくなるんですもの。――あ、そうそう。機械の感度は自由に調節できるのよ。もちろん、雅美ちゃんがエッチなお遊びをしてエッチなおつゆでおむつを汚しても、そのくらいじゃアラームが鳴らないよう調節してあるの。だから、いくらいやらしいおいたしても大丈夫なんでちゅよ。よかったでちゅね、雅美ちゃん」
 美智子の最後の言葉に、雅美の顔がかっと熱くなる。
「それじゃ、おむつを取り替えまちょうね。雅美ちゃんがおしっこで汚しちゃったおむつを。おしっことエッチなおつゆで汚しちゃったぐっしょり濡れたおむつを」
 美智子は受信機をガウンのポケットにしまって言った。
 その言葉に何も言い返せない雅美だった。
「おむつを取り替えたら、紀子さんに言って温かいミルクを持ってきてもらいまちょうね。ぐっすりおねむできるようにハーブとレンゲのハチミツを混ぜた温かいミルクを持ってきてもらいまちょう。それで、さっきみたいにサークルメリーをまわして私が子守唄を歌ってあげる。温かくて甘いミルクを哺乳壜で飲みながら、サークルメリーのメロディと私の子守唄に包まれておねむするんでちゅよ」
 ぐっすりおねむできるように、レンゲのハチミツだけでなく、睡眠薬も一緒に混ぜたミルク。それを哺乳壜で飲みながらサークルメリーのメロディと子守唄を聴いて眠る癖を雅美につけさせるためのミルク。雅美の眠りさえ美智子が操ることができるようにするためのミルク。おむつを取り替えた後は、そんなミルクを飲むんでちゅよ。心の中でそう話しかける美智子の手がすっと伸びて、雅美のお腹にかかっているタオルケットをそっとどけた。それから、カバーオールのボタンに指がかかる。
 深い溜め息をついた雅美は、全てを美智子の手に委ねるように体中の力を抜いた。



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