事故 〜第二小児病院シリーズ7〜


 休日ともなれば、T山の頂上近くにある牧場で遊んで帰ってくる家族連れの車と、これから夜景を楽しむために登って行く若者の車とで上下線とも数珠つなぎになっていることが多いというのに、もうすぐ日が暮れるというこの時間、T登山道路には珍しく、車の流れはまばらだった。
 ただ、道路が空いているのは決して偶然ではない――季節外れの大型台風が接近しているので、山へ行くのは控えた方が良いという天気予報が数日前から流れているのだ。
 それでも、そんな警告も無視して、何台かの車が登り車線を快適なスピードで走っていた。松野一男と順子、それに、幼い息子の雄太が乗った車もそんな中の一台だった。まだ台風の接近には時間がある、その前に頂上の展望台に辿りつけばなんとかなるだろうと思ってのドライブだった――とにかく、息子と約束しちゃったもんなあ。今度の休みは接待ゴルフだし、とりあえず家から出れば文句も言わないだろう。
 急なカーブや時おり見える下界の景色に雄太が歓声をあげるのをルームミラーで見ながら、一男はスムーズな操作で車を走らせていた。
 と、前方から大きなスキール音が聞こえ、センターラインを大きく割りこんで派手なスポーツカーがつっこんでくるのが目に映る。一男はクラクションを鳴らし、道幅一杯に逃げようとしたが、相手のスポーツカーはそんなことにお構いなしのように速い速度で迫ってきた。
 ぶつかる寸前に見た相手の運転席には、髪をピンクに染めた若い女性の姿があった。その隣には、だらしなく髪を伸ばした若い男がひきつったような表情を浮かべている。
 激しい衝突音が、登山道路の空気をビリビリと震わせた。




 一男と順子、雄太の一周忌の数日後、梶谷美奈子が松野家を訪れた。
 この美奈子こそが、一年前に一男の運転する車にぶつかり、三人の命を奪った車のドライバーだった。しかし今は、染めていた髪も黒く戻し、一男たちの冥福を祈るために短くしている。
 あの日、免許証を手にしたばかりの美奈子はボーイフレンドのスポーツカーをムリヤリ運転し、慣れないパワーに引きずられるように無茶な走りをして事故を起こしたのだ。助手席のボーイフレンドも一男たちと共に命を落し、美奈子だけが奇跡的に軽傷ですんでいた。
 しかし、若い者にありがちなことで、そのボーイフレンドは任意保険に加入していなかった。多くない給料を車のローンとガソリン代に注ぎこんでしまい、保険に加入する余裕などなくなっていたのだ。
 賠償責任は美奈子が被ることになる。
 といっても、美奈子にそんな余裕があるわけがなかった。高校を出たばかりで定職にも就かず、アルバイトでその日の生活を送っている美奈子には貯えなどないし、借金を申し出ることのできる相手さえいないのだ。なんといっても、彼女の両親までもが彼女など自分たちの子ではない、と言ってはばからないのだから。
 だが実際には、賠償はたいして大きな問題にはならなかった。松野家にたった一人残された一男の母親が美奈子に同情的な態度を示してくれたのだ。
 四十九日が済んでしばらく経った或る日、仏壇に線香を立てにやってきた美奈子に、一男の母親・文子はこう言った。
「済んでしまったことをとやかく言っても仕方ありません。でもね、三人がいなくなった家は、私一人で生活するには広過ぎるの。梶谷さんさえよければ、私の相手をしながらこの家で生活してみない? それに対してはきちんとお給金も払うから、そのお金で事故の後始末をしてもらいたいの」
 美奈子には、その申し出を断わる理由などなかった。その温かい言葉にただただ頷くだけだった。
 そして一周忌も終わり、表面上は全ての生活が落ち着いた今日、美奈子は松野家にやって来たのだ。

 玄関のドアが開くと、文子の他に女性と男性が一人ずつ立っていた。どちらも、美奈子には見覚えのない人物だった。
 美奈子の顔に僅かながら怪訝な表情が浮かんだことに気がついたのか、文子が傍らの二人を紹介した。
「二人とも病院関係の人なの。よろしくね」
「……病院?」
 美奈子はやや気後れしたように問い返した。一周忌も済んだというのに、今更どうして病院の関係者が来ているのだろう?
「ああ、違うのよ。一男たちが収容された病院の人たちじゃないの」
 文子が、ちょっと慌てて取りなすような口調で応えた。
「美奈子さん、あなたの体を検査してもらうことになってる病院の人たちなのよ」
「私の?」
「ええ、そうよ。これから年寄りの相手をしてもらうからには、丈夫でいてもらわなくっちゃね。それで、綿密な検査を受けておいてもらおうと思ったのよ。ま、就職前の身体検査とでも思ってもらえばいいわ」
 美奈子は不要領な顔をしながら、それでも小さく頷いた――ちゃんとした仕事に就いたこともないから知らなかったけど、そんなものかもしれないな。こんな立派なお屋敷の人だもの、それくらいのことはあたりまえなのかしら。
「それじゃ、まいりましょうか」
 美奈子が顔を上げるのと同時に、女性が声をかけてきた。
「え……、このままで?」
「そうよ。ちよっと慌ただしいかもしれないけど、行ってらっしゃい。すぐに済む筈だから」
 文子が、女性の言葉に頷きながら美奈子を促した。

 車寄せに駐めてあった黒塗りのセダンの後部座席に美奈子と女性が乗りこむと、ハンドルを握った男性が静かにアクセルペダルを踏みこんだ。
 屋敷の敷地から出て十分ほど走った頃、女性がニコッと微笑んで口を開いた。
「そうそう、自己紹介しておくわ。私は『第二小児病院』で院長秘書をしてる内田百合子。よろしくね」
 百合子の自己紹介を耳にした美奈子は、少しばかり妙な感覚におそわれた。そして思わず、心に浮かんだ疑問を口にした。
「……わざわざ、院長先生の秘書の方が私を連れに来られたんですか?」
「ええ。松野さんは私どもの病院への大口のスポンサーでしてね、その松野さんからの依頼ですもの、本来なら院長がじきじきに来てもおかしくないくらいなのよ」
「……なるほど。それはまあいいです。でも、どうして小児科なんでしょう?」
「それは行ってみればわかるわ」
 百合子はその質問には答えず、意味ありげな視線を美奈子に投げかけた。
 なんとなくゾクッとしたものを感じた美奈子はそれ以上の質問をする気にはならず、口をギュッと閉じると、静かに窓の方に視線を移した。
 その時、美奈子の左手にチクッと痛みが走った。
 慌てて振り向いた美奈子の目に、注射器を自分の左手首に押し当てている百合子の姿が映った。
 わけがわからず、唖然とした表情を浮かべた美奈子の意識が唐突に途切れた。




 強い尿意を感じた美奈子は、ふと目を醒ました。
 大きく開いた目に天井の蛍光灯が眩しい。
 美奈子は目をしばたたくと、首をゆっくり左右に振ってみた――ここはどこだったかしら? 車の中で何かの注射をされたところまでは憶えてるんだけど、その後は? 確か、病院へ連れて行かれる途中だった筈なんだけど。
 しかし、次第に明るさに慣れてきた美奈子の目には、そこが病室であるようなことを感じさせるものは何一つ映らなかった。どこかの家の、ごくありふれた和室のような雰囲気だ。
「あら、目が醒めたのね」
 不意に襖が開く気配がして、女性の声が聞こえてきた。
 慌てて向けた美奈子の視線の先には、文子の姿があった。
「……奥様?」
「そうですよ。なーに、奇妙なものでも見るような目をして?」
 文子がおもしろそうな口調で言った。
「あ、いえ。あの、私……?」
「ええ、もう全部終わりましたよ。病院での処置もあなたが眠っている間に済んで、その後、内田さんたちが送ってきてくださったのよ」
 内田って誰だっけ?――美奈子はまだ微かに霧が立ちこめているような頭で、その名前を思い出そうとした――ああ、そうだ。あの院長秘書とか名のった人だ。でもどうして、車の中で注射なんて……。
「何か妙なことがあったようね?」
 美奈子の心の中を見透かしたように、文子が言った。
「……」
 美奈子は思わず無言で頷いた。
「うふふ……内田さんの代わりに私が説明してあげましょうか――第二小児病院ていうのはね、あまり世間に存在を知られてない病院なの。なるべく人目につかないようにして運営されてるのよ。もっとも、合法的な病院じゃないから、それも仕方ないことなのよ。だから内田さんは、その場所を秘密にするためにあなたに睡眠薬を注射したのね」
 美奈子の心が冷たくなった――どうやら文子さんは何もかも知ってるようね。それにしても、なんのために私はそんな非合法な病院なんかに連れて行かれたんだろう。
 しかし、その不安に心を煩わせている余裕はなかった。
 目が醒めるきっかけになった尿意が、文子と話しているうちにますます激しくなってきたのだ。
 美奈子は両手を敷布団の上に置くと、立ち上がろうとして力を入れた。だが、美奈子の体は持ち上がらなかった。やだ、薬の影響がまだ残ってるのかしら?と思いながら何度か試したが、結果は同じだった。
 そんな美奈子の様子を見ていた文子が、両手を美奈子の目の前に差し出した。
 文子は美奈子の手を掴むと、よいしょという声と共に美奈子の体を引き上げた。
 それがきっかけで、美奈子はなんとか立ち上がることができた。
 その拍子に、それまで体にかかっていたタオルケットが滑り落ちてしまう。
 なにげなくタオルケットの動きを追っていた目に、自分の体が映った。その途端、美奈子の顔がまっ赤に染まった。自分が一糸まとまぬ姿をしていることに気づいたからだ。
 美奈子は文子の手を振り払うと、胸と下腹部を隠すように両手を動かした。その途端、不意に体のバランスが崩れ、美奈子は大きな音をたてて尻餅をついてしまった。それまで文子の手で支えられていたのが、美奈子がその手を離したためにバランスを保てなくなったようだ。
 美奈子は布団の上にお尻をおろしたまま、泣きそうな表情になっていた。全裸という自分の姿といい、自分の体重を支えられない両脚といい、目を醒ましてからは情けないことばかりだった。
 それでも、美奈子は懸命に立ち上がろうとした。早くしなければ、このままオモラシしてしまうことになる。
 やがて美奈子は、手足をジタバタと振り回すようにしながら、なんとか立ち上がることができた。しかし、いざ立ち上がってはみたものの、今度は一歩も踏み出すことができずに倒れてしまうのだった。
 遂には、美奈子は歩いてトイレへ行くことを諦めた。不様な格好だということはわかりながらも、這って行くことにしたのだ。
 両手も両脚もたいして力を入れることはできないが、這うぶんには、なんとか移動できるようだった。美奈子は全裸の体を揺すりつつ、ゆっくり進んで行った。
 だが、そこに難関が待ち構えていた。
 襖だった。
 両手脚を使ってなんとか体重を支えている美奈子にとって、襖を開くことは重い鉄格子を破ることにも匹敵する難事だった。
「奥様、助けてください。この襖を開けていただけませんか」
 美奈子は振り返ると、泣くような声で文子に助けを求めた。けれども文子はそんな美奈子の様子をおもしろそうに見ているだけで、動きだす気配は全く感じられなかった。美奈子は震える声で懇願した。
「お願いだから、この襖を。でないと、オシッコが……」
 あとの方は聞き取れなかった。
 文子はクスクス笑うと、やっとのことで美奈子の方に向かって歩き始めた。
 だがそれは、襖を開けて美奈子を部屋から出すためではなかった。
 文子は美奈子の傍らに膝をつくと、抱えてきたバスケットを美奈子の目の前に突き出した。そんなことをしている場合ではないと思いつつも、美奈子はバスケットにふと視線を移した。
 バスケットの中身を確認した美奈子の頬がサーッと赤くなるのを見ながら、文子は平然と言った。
「そんなに慌ててトイレへ行かなくても大丈夫よ。ほら、このオムツをあてれば、いつオモラシしてもいいんだから」
 文子の言うように、バスケットの中には、水玉模様や動物柄のオムツが詰めこまれていた。更に、その横には色とりどりの生地でできたオムツカバーも見える。そしてそれらは一目見てわかるように、普通の大きさではなかった。美奈子のお尻を充分に包みこめるように、大きなサイズに縫製されているのだ。
 美奈子は思わず体をひくと、バスケットから遠ざかろうとするように、ハイハイのままで後ずさった。
 そんな美奈子を追うように、文子の声が飛んできた。
「早くしないと、出ちゃうんじゃないの? さっさと決心した方がいいわよ」
 美奈子は首を大きく横に振ると、蚊の鳴くような声で応えた。
「……オムツなんて、そんなのイヤです。手足が自由になれば御迷惑はかけませんから、今回だけ襖を開けてください。この手が自由になるまででいいんです」
「あら、それなら尚更だわ。美奈子さんの手が自由に動くようになるのは、いつのことかわらかないわよ」
 文子の口から、美奈子が想像もしていなかったような言葉が飛び出してきた。
 美奈子はうろたえたように問い返した。
「……それはどういうことですか?」
「教えてあげるわ。さっきも言いかけたんだけど、あなたがトイレに行きたがってたもんだから、話が途中で途切れちゃったのよ。第二小児病院で行う処置っていうのはね――」
 第二小児病院は普通の産科・小児科の病院ではない。そこでは、成人の体に処置を施して、赤ん坊のような動きしかできないようにしてしまうのだ。例えば、手足にメスを入れて筋肉の力を奪ってしまうのも処置の一つだ。この処置を施された対象者は自由に歩くこともできず、まるで乳児のようにハイハイでしか動けなくなる。
 更に、膀胱の神経に細工を施す場合もある。膀胱に尿がどれくらい溜ったかを脳に伝える神経を麻痺させてしまうのだ。こうすることによって、その対象者はトイレへ行くタイミングをつかめなくなり、いつオモラシしてしまうかもしれない状態に置かれる。
 このようにして、大人の体格を持ちながら、赤ん坊のようにしか行動できなくなった対象者は、依頼に応じて全国各地に引き取られて行く。普通の育児に満足できない、少々異常な母性本能の持ち主などが、第二小児病院の有力なスポンサーだった。
「――あなたの手足から力が抜けちゃってるのは、その手術のせいなの。膀胱への細工はしてないけど、それでも、そろそろ我慢の限界でしょう?」
 美奈子は唇をワナワナと震わせながら、文子の話を聞いていた。
 確かに、これ以上の我慢は不可能のようだった。とはいえ、オムツをあてられるわけにもゆかない。
 美奈子は再度、襖に手をかけようとした。
 美奈子の体勢が不安定になったところを、文子が右手で押した。
 ドスンという音と共に、美奈子の体が仰向けに倒れた。それがきっかけになったように、美奈子の股間から一条の奔流がほとばしり始める。いわゆる潮吹きのような状態だった。
 文子はバスケットから数枚のオムツを取り出すと、勢いよく吹き上げているオシッコの噴水を塞ぐように、美奈子の股間に押しあてた。吸水性に優れたオムツが、次々に溢れ出してくるオシッコを吸収し始めた。
 美奈子はその間、流れ始めたオシッコを止めることもできず、両手で顔を覆っているだけだった。

「やれやれ、やっと終わったわね」
 美奈子の肌に貼り付いたオムツを剥ぎ取り、床を雑巾で拭き終えた文子は、美奈子に向かってちょっと肩をすくめてみせた。
 美奈子は上半身だけを起こした格好で目を伏せている。
 やがて美奈子は涙に濡れた顔を上げると、低い声を出した。
「どうして……どうして、こんなひどいことを……」
「いいわ、教えてあげましょう――私が前に言ったわね、『私の相手をしながらこの家で生活して欲しい』って。つまりは、そういうことなのよ。急に家族がみんないなくなっちゃって、寂しいのよ。特に孫がいなくなってね。それと同時に加害者を、つまりあなたのことね、ひどく恨む気持になったわ。
 そんな二つの気持が混ざってね、思ってもみなかった考えが湧き出してきたの。それは、私の寂しさを紛らせながら、憎い加害者に思いきり恥ずかしい思いを味わわせることだったのよ。それで思いついたのが、第二小児病院のことだったの。その病院で美奈子さんを赤ちゃんのようにしてもらい、私が引き取る。どう、一石二鳥でしょう?」
「最初からそういうつもりで……」
「そういうこと。さあ、あなたは今日から可愛いい赤ちゃんになるのよ。赤ちゃんになって、私の寂しさを紛らしてちょうだい。そうして、二十歳近くにもなってオムツを汚す屈辱を存分に味わってちょうだい」
 美奈子はブンブンと首を横に振った。
 しかし、どこにも逃げ場がないことも美奈子には痛いほどわかっていた。




 普通、第二小児病院で施される処置は身体へのものだけではない。精神的な処置も施されるのが通例だ。
 身体への処置を終えた者を第二小児病院では『新生児』と呼んでいる。新生児は院内の新生児室に運びこまれ、そこで赤ん坊としての生活を徹底的に憶えこまされる。それが精神への処置だ。
 新生児室に据えられた大きなベビーベッドの上が、オムツとロンパース、ヨダレかけといったベビーウェアに身を包まれた新生児の生活の場になる。四つの大きなベビーベッドの間には視界を遮る物は何もない。つまり、新生児たちは互いにその姿を見せ合うことになり、自分たちがどんな格好をしているのか、常に忘れられないようになっている。
 しかも、この部屋では固形の食物は全く与えられない。一日に数度、哺乳瓶に入ったミルクが与えられるだけだ。但し、そのミルクの中には様々な栄養素が溶かしこまれ、それだけで成人の体を維持できるようになっている。また、日に一度くらいは、看護婦の乳首から母乳を飲まされることもある。これも本物の母乳ではなく、哺乳瓶のミルクと同じものが看護婦の乳房に埋め込まれた有機タンクに入っていて、それを乳首を通じて飲むのだが、じかに乳首からミルクを飲むという体験は新生児に強い衝撃を与える。それは、本当の赤ん坊の頃の記憶を呼び醒ますきっかけになるのだ。この『母乳』には向精神薬も混ぜられていて、新生児の精神を化学的に速やかに赤ちゃん返りさせるのに大きな役割をになっている。
 通常、この新生児室で十日〜二週間もすごせば、精神的にも殆ど本当の赤ん坊と同じようなレベルになっている。この段階は第二小児病院では『乳児』と呼ばれ、乳児になって初めて院外へ引き取られることが多い。
 しかし、美奈子は『新生児』の段階で文子に引き取られた。
 それは文子がそう希望したからだ。
 文子は、美奈子を新生児から乳児の段階へ変化させてゆくプロセスを自分で行おうと考えたのだ。大人の精神を持ちながら赤ん坊のようにしか動けない美奈子を本当の赤ん坊のように扱うことで、美奈子に大きな屈辱と羞恥を味わわせるために。


 美奈子が初めて目を醒ました部屋の隣には文子が予め用意しておいた『育児室』があり、本格的な『育児』はこの部屋で行われることになっていた。
 その育児室で今、美奈子の朝食が始まろうとしている。
「ほーら、美奈子ちゃんのミルクよ。取ってごらんなさい」
 文子はミルクが八分目ほど入った哺乳瓶を、ピンクのカバーがかかっている布団の上に寝ている美奈子の顔の前に差し出すと、小さく振ってみせた。
 美奈子はその哺乳瓶を掴もうと、両手を振り回した。それをからかうように、文子がヒョイと哺乳瓶を動かす。必死で哺乳瓶を取ろうとする美奈子の手が近づく度に、その手を避けるように哺乳瓶を動かしてしまうのだ。
 それでも、美奈子は諦めずに手を振り回した。
 もっとも、美奈子にしても好きでこんなことをしているわけではない。
 ミルクの入った哺乳瓶を取るために手を伸ばすという行為がまるで幼児のように思え、最初は文子が持ってくる哺乳瓶を無視していたものだ。文子にしてもムリにでも飲まそうという気もないらしく、美奈子が無視すれば、サッサと哺乳瓶を片づけていた。
 ところが、美奈子の我慢も昨夜の夕食までだった。
 空腹もそうだが、なによりも、喉の渇きが美奈子には耐えられなかった。丸一日も水分を全く与えられない苦痛がこれほどひどいものだとは、美奈子はこれまで思いもしなかった。
 だからこそ、この朝食では、強い屈辱を心の奥に沈めてでもミルクを飲む気になっていたのだ。
 自由に動かない右手が、やっとのことで哺乳瓶を捕まえた。いや、捕まえたというより だからこそ、この朝食では、強い屈辱を心の奥に沈めてでもミルクを飲む気になっていたのだ。それなのに、そんな美奈子の気持を知ってか知らずか、文子はまるで小馬鹿にするように哺乳瓶を持つ手を盛んに動かしてみせるのだ。
 やっとのことで、自由に動かない右手が哺乳瓶を捕まえた。いや、捕まえたというよりは、文子が握らせてくれたのかもしれない。
 美奈子はその哺乳瓶を落すまいと両手で抱えこみ、ゴムの乳首を口にふくんだ。それから、徐々に唇の力を強めてゆく。
 哺乳瓶の中にぶくぶくと泡がたち、白いミルクが乳首を通ってゆっくり美奈子の口の中に広がっていった。美奈子は両目で哺乳瓶を見つめているため、二つの瞳がまん中に寄ってしまい、なんとも可愛らしい表情になっている。
 時おり呼吸をするために乳首から口を離すものの、美奈子はミルクを一気に飲んでしまおうとしているようだった。これまでの空腹と喉の渇きを一気に取り戻そうとでもするように、美奈子の唇はチュパチュパと大きな音をたてていた。
 慌て過ぎたのか、美奈子の唇の端から、ミルクが細い条になって溢れ出した。それでもそんなことにも気づかないように、美奈子は哺乳瓶だけを見つめていた。
 文子が、美奈子の首に巻き付けられている大きなヨダレかけの端で、そっと唇と頬のミルクを拭き取った。
 その途端、美奈子は我に返ったようにゴムの乳首から唇を離すと、ちらと文子の顔を見た。その美奈子の顔には、照れたような表情が浮かんでいた。それでも、美奈子は再び乳首を口にふくんだ。そうして、残っていたミルクをきれいに飲み干してしまう。

 美奈子の手から空の哺乳瓶を受け取った文子は、それをワゴンの上に置くと、壁際に置いてあるベビータンスに向かって歩き始めた。淡いピンクに塗られたタンスの両サイドには動物のイラストが描かれていて、丸いフォルムと相まって、とても柔らかな印象を与えている。
 文子はタンスの再下段の引出を引き開けると、そこから水玉模様のオムツを数枚取り出した。それから、オムツの横に収納してあるレモン色のオムツカバーを床の上に広げると、そこにオムツを重ねてゆく。
 オムツとオムツカバーを持った文子が戻ってくると、まるで逃げるように、美奈子がハイハイを始めた。
「こら、美奈子ちゃん。逃げちゃダメでしょう。オムツが濡れているのは、わかってるのよ」
 文子の言う通り、美奈子のオムツはぐっしょり濡れていた。しかし、濡れたオムツを見られ、取替えられることは激しい羞恥を伴う。美奈子が逃げ出そうとするのも、ムリはなかった。
 そんな羞恥を味わいたくないため、美奈子も、逃げるだけではなく、オムツを汚さないような努力もしてはいる。
 昨夜も、夜中に尿意を感じて目を醒ました美奈子は、布団から這い出てドアに向かった。和室とは違い、この育児室は洋間だから出入り口はドアになっている。これなら、ノブにさえ手をかけることができれば、なんとか立ち上がることができる。そしてノブを回してドアを開けられるのだ。
 短くない時間を費やしてドアを開いた美奈子は、廊下の固い木の上をハイハイで進んで行った。膝に痛みを覚えながらも、それを我慢して進んだのだ。
 やっとの思いでトイレに辿り着き、便座に腰をおろしたものの、問題はそれからだった。まず、ロンパースの股ホックを外すのが簡単ではなかった。手に力が入らない上に、指の感覚もいくらか麻痺しているようで、細かい作業は大変だった。その上、尿意が強まってくるにつれて激しい焦りが生じる。
 結局、五つのホックを外すのに三十分も費やしてしまった。
 その後はオムツカバーの腰紐だった。文子が強く結んでしまった腰紐はなかなかほどけようとはせず、美奈子の苛々は募るばかりだった。
 それでもなんとかもう少しで腰紐がほどけようという時、不意にトイレのドアが引き開けられた。
 ビクッと体を震わせて顔を上げた美奈子の目に、腕を組んでこちらを見ている文子の姿が映った。
「あらあら、手のかからない赤ちゃんだこと。オムツも自分で外せるのね」
 文子は嘲るようにそう言うと、オムツカバーの腰紐を再び強く結び、ロンパースのホックを留めてしまった。
 そして強引に美奈子の手を引くと、育児室に連れ戻してしまったのだ。
「奥様、お願いですから、トイレに行かせてください。オムツの中にオモラシするなんて、そんなの、恥ずかしくって……」
 美奈子を布団の上に寝かしつけ、育児室から出て行こうとする文子の背中に、美奈子は声をかけた。
 文子は振り向きもせずに、低い声でこう応えた。
「恥ずかしいもひどいも、生きてるからこそ感じられるのよ。あなたのために命を落した孫たちのことを考えれば、そんな贅沢は言えない筈だわ」
 美奈子には返す言葉はなかった。
 文子はそのまま育児室を出て行った。そして、美奈子が二度と勝手に出て行けないようにするためだろう、外側から鍵をかける気配があった。
 文子の言葉は美奈子の心に鋭い銛のように深く突き刺さった。半ば放心状態になった美奈子の全身から、力がゆっくり抜けていった。やがて美奈子の股間から、小川のせせらぎのような音が聞こえてきた。

 ハイハイで文子から逃げられるわけもなく、美奈子はなんなく捕まってしまった。
 美奈子は仰向けに寝かされると、オムツを取替えられる羞恥に耐えるように、じっと天井を見つめた。そして、昨夜の文子の言葉を心の中で反芻してみた。
 しかし、下腹部に感じる柔らかな布の感触は、どうしても消せない羞恥として美奈子の心一杯に広がっていった。本来なら甘く優しいベビーパウダーの香りさえ、優しいがために余計に羞恥をかき立てるのだった。
 美奈子の朝の儀式はそれで終わるわけではなかった。
 久しぶりに飲んだミルクのせいか、急にお腹がグルグルと鳴り始めたのだ。
 その音は大きく響き、文子の耳にも届いたようだった。
 文子は嬉しそうな表情を顔一面に浮かべると、美奈子の耳元に口を寄せて笑い声で言った。
「あら、ウンチかしら。でも大丈夫ね、美奈子ちゃんはオムツしてるもの」
 美奈子は今度こそ、目に涙をいっぱい溜めて文子に懇願した。
「ウンチはイヤです。もう我儘は言いません。オシッコもちゃんとオムツの中にするし、哺乳瓶も嫌がらずに飲みます。だから、ウンチだけはトイレでさせてください」
 美奈子は体中の力をふり絞って布団の上に起き上がり、土下座をして頼みこんだ。今度ばかりは、そうするだけの価値があるように思えたのだ。
 そんな美奈子をじっと見ながら、文子は昨夜の言葉を繰り返した。
「でも、死んだ孫たちは……」
「それはわかってます。わかってるけど、これだけはイヤです」
 美奈子は文子の言葉を遮るように、高い声で叫んだ。
 文子は呆れたような表情で美奈子を見ると、ホッと溜息をついて優しく言った。
「そう。あなたがそこまで言うなら、トイレでするといいわ」
 美奈子の顔が明るく輝いた。
 しかし、文子が部屋の隅から抱えてきた物を目にした瞬間、美奈子の笑顔は消えていた。文子は大きなオマルを持ってくると、美奈子の傍らに置いたのだ。
「これが美奈子ちゃんのトイレよ。さ、オムツを外してあげるわ」
 文子は美奈子のロンパースに手をかけようとした。
 思わず文子の手から逃れた美奈子の顔は、まっ蒼になっていた。オマルとオムツ、どちらにしても屈辱的だが、どちらかを選ばなければならないのだ。しかも、便意は急速に強くなってきている。
「あらあら、どうしたの? 美奈子ちゃんにはまだオマルはムリなのかな? それならそれでいいのよ。オムツをあててるんだもの、心配しなくていいわ」
 美奈子の心臓を素手で掴むような、文子の勝ち誇った声が響いた。
 どうすればいいの?という言葉が頭の中を駈け巡り、美奈子の顔に幾つもの脂汗が浮き出てきた。
 あれこれと迷いながら、それでも心は徐々にオマルの方に傾きかけていた――なんといっても、オムツの中にウンチをしてしまえば、それこそどんなに悲惨なことになるかもしれない。
 美奈子はお尻を床から浮かせると、ゆっくり文子の方へ這って行こうとした。
 しかし、その時にはもう手遅れだった。
 美奈子のお腹が激しく絞りこまれるように痛くなり、ブリッという大きな音がオムツを通して文子の耳にも届いた。
 美奈子の体は、アッというように目と口を開いた表情を浮かべたまま、その場で硬直した。
 ブリッという音はそれから何度も続き、やがて、なんともいえない臭いが部屋に漂い始めた。
 どれくらいの時間が流れただろうか。
 不意に我に返った美奈子は、オムツの中にベトベトした感触を覚えた。とはいえ、それはまだお尻の近辺だけのことで、オムツ全体には広がっていないようだ。
 今の美奈子にできるのは、オムツの中でウンチが崩れないように、そのままの姿勢を続けることだけだった。
 文子の目が妖しく輝いた。
 文子は暗い笑いを浮かべると、美奈子の背後に回りこんだ。そして、不安げな目つきで文子の行動を見つめている美奈子にニコッと笑いかけると、両手で思いきりお尻を押えつけ、こねくりまわし始めた。
 美奈子の目が絶望の色に変わった。
 オムツの中でウンチが崩れ、オムツ全体に広がってゆくのが感じられた。ベトベトした生暖かい物が、お尻から太腿へ、そして、股間へと広がってゆくのだ。

仰向けになった美奈子のオムツカバーを文子が開くと、臭いが更に強くなり、部屋中を充たした。
「わー、くちゃいくちゃい」
と言いながら文子はわざとらしく鼻をつまむと、左手の掌をパタパタと動かした。
 美奈子の下腹部には黄色い汚物がベットリとまとわりつき、股間もまるで塗り壁のようになっていた。
「これじゃ、拭いても取れないわね。ちょっとこのまま待ってらっしゃい」
 文子は美奈子の下腹部の様子を一目見るなりそう言うと、部屋から出て行った。
 しばらくして戻ってきた文子は、プラスチック製のベビーバスを両手で抱えていた。そのベビーバスにはたっぷりとお湯が入っているようで、チャポンチャポンという音がたつ度に、微かに湯気が揺れていた。
 床の上にベビーバスを置いた文子は美奈子のお尻からオムツとオムツカバーを剥ぎ取ると、そのまま、ロンパースも脱がせてしまった。
 濡れたタオルで下腹部をざっと拭かれた美奈子の体が文子に抱え上げられ、ベビーバスの中に放りこまれた。臭いがますます強くなったが、美奈子にとってはそんなことはもうどうでもいいことだった。そんなことを気にしているようなゆとりなど、きれいに消え失せていたのだから。

 体に付いた水滴が綺麗に拭き取られ、ホッと溜息をついた美奈子のお尻の下に新しいオムツが敷きこまれた。
「あの、奥様……」
 美奈子がおずおずと呼びかけた。
 文子は新しいオムツをあてようとしていた手の動きを止め、美奈子の顔をのぞきこむようにして応えた。
「あら、どうしたの?」
「……あの、オマルがあるんでしたら、私、それを使いたいと思います。だから、もうオムツは……」
 それはオムツの中をベトベトに汚した美奈子の本心だった。あの気味の悪い経験に比べれば、放尿や排便の瞬間を文子に目撃されても仕方ない、とまで思うようになっていたのだ。
 文子はしばらく考えていたが、やがて優しげな口調で言葉を返した。
「そう……美奈子ちゃんがそう言うなら、それでもいいわ。ちゃんとオマルにできるのね?」
 二十歳近くにもなって言われるような台詞じゃないな、とぼんやり思いながら、美奈子は小さく頷いた。
 文子は立ち上がると、ベビータンスに向かった。そして、下から二段目の引出から何かを取り出すと、それを広げてみせながら言った。
「わかったわ。でも、失敗しちゃうといけないから、これを使いましょう」
 それは最初、大きなブルマーのように見えた。しかし、文子が近づいてくるにつれて、トレーニングパンツだということがハッキリしてきた。
 文子はトレーニングパンツの中にオムツを二枚重ねると、それを美奈子に穿かせた。それから、何かを思いついたように両手の掌をパンと打った。
「そうそう。どうせトレーニングパンツにしたんだから、上に着るのも、ロンパースじゃなくて、もっと動き易いものにしましょう」
 ベビーバスに入れられる時に脱いだロンパースはそのままにして、美奈子の頭から、ピンクの水玉模様のベビーワンピースが被せられた。それぞれの穴に首や手を通してみると、それは美奈子の体にピッタリとフィットしていた。
「まあまあ、これも良くお似合いだわ。美奈子ちゃんはほんとにベビー服が似合うのね」
 文子が感心したような声を出す。
 それがまた美奈子の羞恥を強く刺激し、顔から火の出る思いがした。
 しかし、美奈子の赤い顔が蒼くなるのに、それほど時間はかからなかった。突然のように尿意が襲ってきたのだ。
 やだ、さっきウンチをする時にオシッコも出しちゃったのに、どうしてこんなに早く?と美奈子は戸惑いつつ考えてみたが、その尿意は錯覚などではなかった。
 美奈子は慌ててトレーニングパンツに手をかけると、それを引きずりおろそうとした。だが、ウエストのゴムが意外と強く、力の入らない手では易々と脱ぐことはできないようだった。
 美奈子は文子の方をちらと見ると、再び顔を赤く染めながら恥ずかしそうに言った。
「あの、奥様。トレーニングパンツを脱がせていただないでしょうか?」
 それに対する文子の答は素っ気ないものだった。
「私は知らないわよ。ちゃんとできるって言うからオムツカバーからトレーニングパンツに替えてあげたのよ。それくらいは自分でなんとかなさい」
「でも……」
「でも、じゃありません。それともまたオムツカバーがいいの?」
 美奈子は反論を諦めた。
 しかし、反論を諦めたからといって、トレーニングパンツが脱げるわけでもない。
 美奈子はなんとか床の上に膝をつくと、自由にならない両手になけなしの力を込めた。
 トレーニングパンツが少しずつ下がり始めた。
 だが、美奈子の努力もそこまでだった。
 尿意が不自然なほど激しくなり、膀胱の筋肉が限界に達してしまったのだ。
 文子がおもしろそうに見ている前で、トレーニングパンツにポツリと滲ができた。小さかったその滲は見る間に大きくなってゆき、やがて、滲の中心から雫が滴り始めた。
 それがミルクに混ぜられた利尿剤のためだとは全く気づかず、「着ている物だけじゃなく、排泄のコントロールも赤ちゃんなみになっちゃったのかしら」と絶望的な思いにとらわれながら、美奈子はトレーニングパンツの中にオシッコを溢れさせていた。




 第二小児病院の敷地内に『第二小児病院付属保育寮』が建っている。
 第二小児病院で赤ん坊に変身させられた若者は日本各地に引き取られて行くが、その引取先になんらかのトラブルが発生した場合、病院に送り返されてくるケースもある。例えば、引取先の不慮の死や金銭的に逼迫した場合などだ。そういった事情で戻ってきた『ベビー』の面倒をみ、生活せさるのが、この保育寮の役割である。

 美奈子が松野家に引き取られて二週間が過ぎた或る日、保育寮の応接室に二人の女性の姿があった。
 一人は第二小児病院の院長秘書・内田百合子であり、もう一人は保育寮の職員・沢井志帆だった。
 二人はテーブルを挾んで向い合わせに座り、何かを話しこんでいた。
「前に話した美奈子ちゃんのことだけどね、保育寮への入寮はキャンセルになったわ。今朝、松野さんから連絡が入ったの」
 百合子が事務的な口調で志帆に告げた。
「あら、どうしてですの? 確か、松野さんは私たちにこう言った筈ですわ――『自由に動けなくなった美奈子を赤ん坊のように扱って思いきり恥ずかしい思いをさせた後はこの寮に入れるから、好きなようにしておくれ』って」
「ええ、あの時は確かにそういう気持だったんでしょうね。でも、あなたにも経験があるでしょう?――どんな相手でも、赤ちゃんみたいに世話をしてるうちに、情が移っちゃうこと。多分、そういうことよ」
「……なるほど、そうかもしれませんね。最初は辱めるだけの目的でも、自分では何もできなくて私に助けを求めてくるような子を相手にしてれば、そのうちには、ね」
「そういうこと。じゃ、キャンセルの手続きをしておいてね」
「承知しました」
 二人はなんとなく笑顔を交わしながら椅子から立ち上がった。
 そこへ、『ママー、ママー』と誰かを探しているような泣き声が聞こえてきた。
「あらあら、奈保ちゃんみたいね。あなたを探してるんじゃないの?」
 百合子が言うように、それは斎藤奈保の声だった。奈保は志帆と同じように保育寮の職員採用試験を受けにきたのだが、ちょっとしたトラブルを起こしたためにベビーに変身させられた女性だ。それを志帆が引き取って、保育寮の自分の部屋で面倒をみている。
「やれやれ。あの子ったら、私がいなくなるとすぐに泣き出すんだから」
 志帆はそう言うと肩をすくめてみせたが、その顔はまんざらでもなさそうだった。
「早く行ってあげた方がいいわよ」
 そういう百合子の声に頷くと、志帆は飛び出すように応接室から出て行った。
 志帆のうしろ姿を見送る百合子の顔には、誰にも見せたことのない温かい笑顔が広がっていた。


〔第二小児病院シリーズ第一部 完〕




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