永遠の少女の館


 県道から離れ、森の中を縫うように三十分ほど車を走らせると、小高い丘の中腹に建っている古ぼけた洋館に辿りつく。
 その洋館は、ここから最も近い街であるK市で貿易商を営んでいたアメリカ人が別荘として建造したものらしいが、彼と彼の家族が母国に帰ってしまうと訪れる者もいなくなり、次第に人々の記憶から消えていった。
 それが、誰かが買い取って住みついたらしく、夜には窓から明かりが洩れるようになったのは、今から一年半ほど前のことだった。
 更に、一年ほど前からは訪問客を乗せているらしい乗用車が週に一〜二度、門の中に入って行く光景が見られるようになり、最近では毎日のように一台か二台の車が夜道をライトで浮かび上がらせて訪れているようだ。
 そして今も、大振りの高級外車が小石を撥ね跳ばしながら、木々の間を近づいて来ようとしていた。

 深いグリーンに塗られた車が、鉄製の頑丈そうな門扉の前でゆったりと身震いしながら停まると、ドアが開いて一人の男が降り立った。門柱に取付けられた照明に仄かに照らし出された男の顔は五十歳前後だろうか、落ち着いた感じの中にも、何かを期待しているような、やや脂ぎった表情を浮かべている。
 男は、あまり目立たない所に用意されているインターフォンのボタンを慣れた手つきで軽く押すと、コホンと咳払いをして返答を待った。
『はい……どなたでしょうか?』
 スピーカーから聞こえてきたのは、僅かに緊張したような女性の声だった。
 それに対して、男は声をひそめて応えた。
「私だ――米田だ」
 インターフォンの上の方で、さほど明るくない赤い光が灯った。おそらく監視カメラ用の赤外線ライトだろうが、この洋館の古びたイメージに、その最新の防犯装置はあまり似つかわしくはないように思える。
 カメラに映し出された男の顔を確認し終えたのだろう、スピーカーの女性の声からは緊張した様子は消え去ったが、今度はやや戸惑ったような口調で尋ねてきた。
『いらっしゃいませ、米田さん……でも、今夜は御予約をいただいてないようですけど……』
「ああ、予定していた会議がキャンセルになったんで寄ってみたんだが……やはり、予約していないとダメかい?」
 米田と名乗った男は、残念そうに言葉を返した。
 スピーカーの女性は、
『ごめんなさい、御予約のお客様が先にいらしてるんですのよ。ですから今夜は……』
と言いかけたが、じきに何かを思いついたように早口で
『あ、いえ、結構です。他の子を用意しますから、入ってくださいな』
と言い直した。
 それを聞いた米田は、そうか、ありがたいね、と呟き、家族や部下には見せたこともないような喜々とした表情で再び車に乗りこんだ。
 米田が車に乗ってしばらく待つと、目の前の門扉が上の方に重々しくスライドし始めた。やがて、背の高いワンボックスカーでも余裕をもって通れるように大きく開く。彼がその隙間を通って敷地内に車を乗り入れ、ちらとバックミラーを覗いた時には、門扉は既にゆっくりと降り始めていた。
 米田はそのまま車を走らせ、青銅製のどっしりした屋根を持つ車寄せも通り越してしまった。建物の背後に廻りこみ、しばらく行った所に、地下駐車場への進入路がある。それが、彼の目指している場所だった。
 地下駐車場には三台分のスペースが用意されていて、ここへ来た時には、向かって右側のスペースに車を停めるのが彼の習慣になっていたが、そこには先に駐車している車があったため、ちょっと考えてから左側のスペースに向かった。
 ドアを開けて車から降りながら、彼は先客のものらしい、明るい色のクーペを睨みつけた。なんとなく気にかかることを思いついたのだ――この型の車でこの色に塗られたヤツは、まだ日本には少ない筈だ。それなのに、つい最近、これと同じ車を見たような気がする……いつのことだったろう?
 しかし、遂にどうしても思い出すことができないまま、米田は二度三度と頭を振ってからコートをはおって階段に向かった。
 階段を昇りきった所が玄関のすぐ横になっている。
 米田が玄関に立つと、まるでタイミングを計っていたように、分厚い木製のドアが音もなく開いた。彼は開いたドアから体をズイと玄関ホールに運び入れ、出迎えに立っている女性に向かって手を挙げた。
 女性の年齢は二十歳台の後半というところだろうか。成熟した大人の落ち着きと可愛らしさとが絶妙にブレンドされ、なんとも魅力的な雰囲気を漂わせている。彼女は、慣れた手つきで米田のコートを脱がせながら囁くように言った。
「いらっしゃいませ……お寒くありませんでした?」
「ああ、大丈夫だよ。それよりもママ、連絡もせずに来て迷惑だったかい?」
 ママと呼ばれた女性は、恰好の良い鼻の周囲に小さなシワを作ると、クスッと笑って応えた。
「ほんと、大迷惑ですわ。米田さんもよく御存じのように、うちには美香ちゃんしかいないんですよ。だから、いらっしゃる時は御予約をお願いしますっていつも申し上げてますのに……」
 それに対して米田もニヤッと笑いかけ、おどけたような仕草で頭を下げて言った。
「そうだな……ここはママに謝っておくことにしよう。しかし、インターフォンでは、別の子を用意するとか言っていたが?」
「ええ。せっかく米田さんがいらしたんですから、なんとかしなきゃバチが当たりますもの」
「嬉しいね。で、どんな子だい? それとも、ママが直々にお相手してくれるのかな?」
「御冗談を――私なんて、もうオバアチャンです。美香ちゃんのような若い子の代役なんて、とても務まりませんわ」
「いやいや、ママもまだまだ若いさ。こんな山の中に置いておくのはもったいないと、いつも思ってるよ」
「ありがとうございます。でも、お世辞だよって顔に書いてありますわよ。さ、新しい子を紹介しますから、こちらへどうぞ」
 ママはそう言うと、先に立って歩き出した。米田もそのあとにしたがって歩き出そうとしたが、廊下の奥からピシーッという音が微かに聞こえてきたため、ふとそちらに顔を向けた。
 その音はママの耳にも届いたのだろう、彼女も足を止めると、米田に向かって語りかけた。
「あれは、プレイルームからの音ですわ。美香ちゃんとお客様がプレイを楽しんでらっしゃるんでしょう。そういえば米田さんも、ああいうプレイがお好きでしたわね?」
 その言葉で、廊下の奥から聞こえてくる音の正体に気がついた米田は無言で頷いた。同時に、初めてこの洋館を訪れた一年前のことが鮮明に頭の中に甦ってきた――。



 いくら呑んでも、いつものような心地良い酔いは回ってきそうになかった。そのために、知らず知らずのうちに浴びるような呑み方になってしまい、心配したおかみが止めてくれたほどだった。
 しかし、おかみの忠告も無視して米田はコップの冷や酒をあふり続けた。そうでもしなければ、胸の中に溜めこんだストレスやフラストレーションといったものが青白い炎のように這い上がって来て、彼の体を焼きつくしてしまいそうに思えるのだ。
 彼がそんな心理状態に追いこまれたのは、部下が行方不明になったことが原因だった。S製薬の開発部長である彼の直属の部下の中でも優秀な三人が、次々に行方不明になってしまったのだ。
 最初の事件は二年前のことだった。主任研究員を務める、遺伝子組み換え技術の開発では海外からも注目を浴びている社員が或る日、無断欠勤をした。どちらかというと個性的な人間が集まる研究セクションでは無断欠勤も時おり起こるアクシデントで、当初は問題にならなかった。しかし、それが一週間も続き、あげくに、その社員の唯一の家族だという妹から会社へ「研究のために会社に泊まりこむという連絡をしたまま兄が帰ってこないんですけど、その研究はまだ続いてるんでしょうか?」という問い合わせの電話があって、行方不明になっていることがやっとわかったのだった。それから慌てて警察へ通報し、その妹も必死で探し回ったようだが、行方はわからずじまいだった。
 次が半年前。行方不明になった社員の代わりに主任研究員のポストに就いた若い社員が、これも忽然と姿を消したのだ。書き置きはなく、手掛りになりそうなものも一切なかった。杳として行方がわからないまま時間だけが過ぎて行った。
 そして、一週間前だ。二番目に行方不明になった社員の大学時代からの後輩で、いずれ華々しい研究成果を挙げると期待されていた秀才が無断欠勤をした。この時は米田も自らマンションを訪れてみたが、部屋はもぬけのからで、管理人に尋ねても要領を得ない答しか返ってこなかった。
 二人目までは、社内でも、まあ仕方ないかという空気もあったが、さすがに三人となると社の上層部も放っておけなくなり、問題が広がっていった。米田の管理能力を問うような声さえ聞かれるようになったものだった。
 そして今日、査問委員会が動き出したという噂が社内に流れ、いたたまれなくなった米田は、定時になると逃げるように退社し、行きつけのこの店にやってきたのだった。
 お代わりだ、と言ってカウンターの中のおかみにコップを突きつけた時、電話のコール音が響いた。それは、米田のスーツの中から聞こえてくるようだった。
 スーツのポケットを探り、携帯電話を取り出した米田は、それまでもムッツリした顔で呑んでいたのが、今度はそれこそ苦虫を噛み潰したような表情になった――この携帯電話の番号は家族にも教えていない。知っているのは、社内でもごく一部の人間だけだ。そんな電話にわざわざかけてくるところをみると、仕事上のトラブルの可能性が強い。しかし、よりによってこんな時に……。
 だが、米田の耳に流れこんできたのは、初めて聞く女性の声だった。
『S製薬の米田部長でらっしゃいますね? 実は、あなたを素晴らしい場所に御招待するために電話をさせていただいた次第です。いかがでしょうか?』
「……いかがでしょうと言われても……いったい、どういうことかね?……だいいち、君は何者だね?」
 聞き憶えのない声に多少めんくらいながらも、なんとなく他の人間に聴かれない方がいいかもしれないと思った米田は、声をひそめて問い返した。
『私が誰なのか、ここで申し上げることはできません。でも、絶対に後悔させませんから、是非ともいらしてくださいませ。五分後にタクシーを店の前に廻しますから、『少女の館へ』とだけおっしゃってくださればいいのです。では、お待ちしております』
 その女性はそれだけを言うと、米田の返事も聞かずに一方的に電話を切ってしまった。
 米田はしばらく、狐に化かされたような表情で電話を睨みつけていたが、やがて意を決したように頷くと、静かに立ち上がった。普段の彼なら、こんな訳のわからない話に乗ったりすることはないのだが、今の彼は本来の米田ではなかった。酒に酔えないなら、それがインチキ話でもいいや、なんにでも首をつっこんでやるさという気に、ついなってしまったのだ。
 おかみに見送られて店を出た彼の目の前に、一台のタクシーがすっと停まった。そして、電話で指示されたように「少女の館へやってくれ」と言うと、タクシーは滑らかに動き始めた。

 タクシーが市街地を抜け、随分と寂しい風景に少しばかり不安を覚えながらも、なにか開き直ったような気持で彼は窓の外を眺めていた。
 そしてやって来たのが、この洋館だった。
 ドアが開くままにタクシーから降りると、タクシーはどこかへ消えてしまい、彼はいつのまにか洋館の玄関ホールに足を踏み入れていた。
 彼がホールの中をキョトキョトと見回しているところへ、不意に女性の声が聞こえてきた。
「いらっしゃいませ。ようこそ、『少女の館』へ」
 彼はビクッとして大急ぎで振り向いたが、すぐに威厳を取り戻すように胸を張り、自分自身を励まして大きな声を出した。
「君かね、私をここへ呼びつけたのは――君のその声、携帯電話にかかってきたのと同じ声だね?」
「さようです。さ、まいりましょうか」
 その女性は米田の言葉をあっさり認めると、優雅な仕草で彼の右手を取った。
 しかし米田は、やんわりと女性の手を振りほどき、彼女の顔を睨みつけるようにして問い質した。
「私をどこへ連れて行こうというのかね?」
 すると女性は、クスッと笑い、おかしそうな口調で応えた。
「ここで殿方がなさることは一つだけです。そのための部屋へ御案内するだけですわ」
 その言葉を聞いた瞬間、米田は自分が今いる場所、すなわち『少女の館』というのがどういう所なのか、明確に理解した。
「ここは売春宿なのか――違うかね?」
「簡単に言えば、そうなりますわね」
 女性は、米田の言葉に同意した。
 それに対して、米田は尚も言葉を返す。
「では訊くが――どうして売春宿が私の名を知っているのだ? それどころか、秘密にしている電話番号も知っていた……君は何者なんだ?」
「私は『少女の館』の支配人……『ママ』とでも名乗っておきましょうか。念のために申し上げておきますが、この少女の館は、そこいらにある売春宿とは違いますのよ。真の紳士のみなさまに甘い夢を見ていただくために特別に用意された場所なのです――ですから、お客様についても、あらかじめ当方でふさわしい方をピックアップさせていただいて、更に長い調査を行わせていただきました。そのリストの最初に記されていたのが、米田さん、あなたでしたの」
 『ママ』はにこやかな表情で、ゆっくりと説明した。
「……ふん……ま、いいだろう。訊いてみたいことは多いが、これ以上の詮索は野暮というものだろうからな」
 米田は、それ以上の質問を打ち切った。確かに尋ねたいことは山ほどあるが、自らの判断でここまでやって来た以上、あとは成り行きにまかせてもいいだろうと考えたのだ。

 ママが米田を案内して行ったのは、廊下の突き当たりに近い部屋だった。
 天井からの仄明るい照明が壁を幻想的に輝かせ、部屋の中央に据えられたベッドの上には、ピンクのシーツがなまめかしく広がっている。しかも部屋全体には、甘く、それでいてどことなく刺激的な香りが漂っていた。
 ベッドの横にたたずむ少女の姿を目にした瞬間、彼はまるでニキビ面の高校生か中学生に戻ったように、胸がキュンと締めつけられるような感覚におそわれた。その少女は顔を伏せているためによくはわからないが、全体の印象から年齢は十五〜六くらいに思えた。その年齢に似つかわしく、どこかの女子校のものらしいブレザータイプの制服に身を包み、ブルブルと体を震わせている姿が米田の心を強く刺激する。
 彼は戸惑った――自分の娘と同じくらいの少女に胸をときめかせるような部分が、自分の心の奥にあることを初めて知ったのだ。そんなことは作り話やドラマの中だけのことで、まさか自分がそんな状況に置かれることになるとは想像もしていなかった。
 しかし、久しぶりに感じる下半身の疼きは本物だった。
「いかがでしょう――お気に召していただけましたか?」
 そんな米田の心の内を見透かしたように、ママが声をかけてきた。
「……あ……ああ、たいしたものだ。特別に用意された場所とか言っていたが、あながち嘘でもないようだな。恥ずかしい話だが、この少女に一目惚れしちまったようだ……」
 米田は、少女に視線を向けたまま、しわがれた声で応えた。
「それはよろしゅうございました。では、この子のことは、美香と呼んでください」
「美香、か。いい名だ……」
 少女の名を告げたママは、美香の方へ足を踏み出した。そして、彼女の顎の先に手をかけると、顔をグイと引き上げて言った。
「さ、美香ちゃんの初めてのお客様よ。ちゃんと御挨拶して可愛がってもらうといいわ」
 『初めての客』というママの言葉に米田の血が熱くなり、背筋を電流が走り抜けたように思った――では、私がこの子の初めての男になるのか。まだ一度も味わったことのない快楽の味をこの可憐な少女に初めて教えこむのが、この私なのか。
 米田はグゴリと唾を飲みこみ、改めて美香の顔を見つめた。
 美香もママの手でムリヤリ顔を向けられて米田の方を見たが、その途端、彼女の顔には強い怯えが走り、ワナワナと肩を震わせ始めた。そこには、初めて客を取る緊張だけではなく、もっと別の激しい心の動きが含まれているように思えた。
 その美香の様子を見ていたママが、なにか事情を知ってでもいるような薄笑いを浮かべながら、強い口調で言った。
「さ、御挨拶はどうしたの――美香ちゃんは今から米田さんに女の悦びを教えていただくのよ、ちゃんと御挨拶なさい」
 美香がママの手を強引に振りほどいて壁際へ逃げ出したのは、「米田」という名を聞いた時だった。彼の顔を見た時の反応といい、名を聞いた時の逃げ出し方といい、ひょっとすると彼女は米田のことを知っているのかもしれない。もしも知っているとしたら、あまり良くない印象を抱いていることは間違いないようだが……。
 ママは小さな溜息をつくと、自分の着ているスーツのポケットに手を差し入れた。そしてポケットから取り出した、テレビのリモコンに似た装置を大きく振って見せた途端、美香の顔にハッとしたような表情が浮かんだ。
 美香は何かを言おうとするように口を開いたが、その口から言葉が出るよりも早く、ママの指がリモコンの上に並んだボタンの一つを押していた。
 その瞬間、壁際に立っていた美香の体が、投げ出されるように床に転がった。全身が痙攣するように震え、時おり、エビのように体を曲げる。半ば開いたままになっている口からは泣き声のような悲鳴が絶えず洩れ、両手が自分の首を苦しそうに掻きむしっている。目は大きく見開かれ、苦悶以外のなにものでもない表情が顔を覆っていた。
 美香は床の上をのたうち回り、転げ回った。それを見守る米田は、心の中におそろしく残虐な悦びがムクムクと湧き上がってくるのを感じた。最初、その感情が何なのかわからずに彼は戸惑ったが、下半身の疼きが激しくなり、目の前に白い霞のようなものが広がる感覚を覚えると同時に、美香という若く可憐で清楚な少女の悶え苦しむ姿が、彼の本能の中にある征服欲をくすぐり、それが強い性欲へと転化しようとしていることを彼は直感していた。
 美香の苦しむ姿はすなわち、性行中にのたうつ姿であり、苦悶の表情と悦楽の表情が同一であると彼は思いついたのだ。強姦、暴行、加虐といった、自分とは全く縁がないと思っていた言葉が実は自分のすぐ側にあって、ささいなきっかけでそちらの世界へ飛びこんで行けるのだということを、彼はこの時ハッキリ知ってしまったのだった。
 苦痛に充ちた美香の表情が、そのための小さなきっかけだった。髪を振り乱して苦しそうに頭を振り、絶叫にも近い悲鳴をあげる美香の姿をじっと見守る米田のペニスは、今にも爆発しそうになっていた。
 不意に、ママがリモコンから指を離した。
 美香が大きく体を痙攣させた後、その場に突っ伏した。失神はしていないようだが、苦痛に耐えるために体力を振り絞ったのだろう、口は新鮮な空気を求めてゼイゼイと大きく息をつき、肩が激しく上下する。
 それでも、ママが冷たい目で見つめる中、美香は小刻みに震える両手に力を入れ、ゆっくりと体を起こし始めた。まるで生まれたばかりの子猫が立ち上がろうとするように手足を震わせ、うなだれていた首を僅かずつ静かに引き上げてゆく。
 やがて、美香は両膝を揃えるようにして床に座りこむような姿勢になり、脂汗と涙でびっしょり濡れた顔を二人の方に向けた。僅かに開いた唇はすっかり紫色に染まり、二人に向けられている大きな目も、果たして何を見ているのか、焦点の合わないトロンとしたものだった。
 苦しみながら掻きむしったためだろう、ブレザーの下に着ているブラウスの第一ボタンがちぎれてしまい、白い首筋が見えている。そして、その柔らかそうな肌には数本、美香自身の爪跡らしい赤い筋がクッキリとついていた。それを目にした米田の血がザワッと騒いだ。が、その白い肌と赤い筋との美しいコントラストをもっと楽しもうと目をこらした米田は、美香の首に巻き付いている薄い金属製らしいベルトに気づいて、今度はそちらに興味を奪われた。
 その米田の目の前に、ママが手にしていたリモコンを差し出して言った。
「お気づきのようですわね――美香ちゃんの首に巻き付いている輪は、あの子が逆らった時のオシオキの道具なんですの。このリモコンのボタンを押すと首輪から電流が流れ出して、あの子の体を貫くようになってますのよ。おかげで、美香ちゃんはいつも素直ですわ」
「……なるほど……おもしろい道具だな。どうだい、ママ――そのリモコンだが、私にも貸してもらえないものかね?」
 米田は、少しずつ落ち着きを取り戻してきた美香の姿を見据え、網膜に焼き付いた苦悶の表情を反芻しながら言ってみた。
 だがママは米田の申し出を
「申し訳ございませんけど、これは美香を調教するための私専用の道具ですの。お貸しする訳にはまいりませんわ」
といなした。しかし、それを聞いた米田が微かに落胆の表情を見せると、右目で小さくウインクをしてみせてから、ベッドの方へ歩いて行った。
 ベッドのすぐ横に立ったママは、ゆったりした動作でしゃがみこみ、ベッドの下に両手を差し入れると、なにやら大きな箱を引き出し、それを米田の目の前まで押しやった。そして、その箱の中身を確認しようと覗きこむ米田の耳元で甘く囁く。
「私の無粋な道具よりも、こちらの方がずっと面白いと思いますわ。どうぞ、お使いくださいな」
 その箱に収納された、革でできたムチや電動のバイブレーター、スパンキング用のラケットといった妖しい道具を、米田は血走った目で見渡し、満足そうに頷いた。
「では、私はこれで失礼いたします。翌朝の八時まで美香は米田さんにお預けしますから、たっぷりと可愛がってあげてくださいね」
 ママはそう言うと、まだ壁に背をつけて座りこんでいる美香にちらと視線を投げかけて部屋を出て行った。

 美香と共に部屋に残された米田は、箱の中からムチを掴み上げると、昔観た西部劇の一シーンを思い出しながら軽く振ってみた。かなり短く仕上げられているそのムチは、彼が右手を振るのに合わせて風を切り、ピシッと鋭い音をたてて床を叩いた。
 米田は満足そうに微笑み、ムチの先を左手で握りしめて、怯えの表情がいっこうに消えない美香に向かって優しげな声をかけた。
「さ、こちらへおいで。なにも恐くはないんだからね……」
 しかし美香は激しく首を振るだけで、その場から動こうとはしない。
 米田は再び静かな口調で言った。
「なにを怯えているんだい――おじさんに全てまかせておけばいいんだよ。さ、立ちなさい」
 美香はギュッと唇を噛むと、今度はゆっくりと立ち上がった。だが、米田の方へ近づこうとはしない。むしろ、背に当たる壁を通り抜けてでもあとずさりしようというような仕草をみせた。
「……そうか。そんなに聞きわけがないんじゃ仕方ないね、ちょっとオシオキをした方がいいようだね」
 米田は優しげな口調のまま、クックックッと押し殺したような笑い声をあげてムチを振り上げた。
 ムチの先が宙に舞い、空気を切り裂いて走る。米田は美香のすぐ足元の床を狙ったつもりだが、生まれて初めてムチを持つ彼に、そんな細かいコントロールは不可能だった――ムチは大きく狙いをそれ、スカートの上から美香の太腿を打った。
 固い床を叩いた時とは明らかに違う、ピシャリッというやや鈍い音が部屋の空気を震わせ、ゾクッとするような手応えが米田の右手に伝わる。その瞬間、彼の頭に残っていた僅かな理性が消し飛んだ。目の前がまっ赤に染まり、少女をいたぶる快感だけが彼の全身を炎のように包みこむ。
 今度は意識的に美香の体を狙ってムチを振った。ヒュンという唸りが米田の耳をうつ。美香の胸に迫ろうとしているムチが、まるで長い尾を持った自分の精子のように思え、米田は大きく息を吐いた。その目の前で、ムチに直撃されたブラウスからボタンがちぎれ飛ぶ。
 美香はブレザーを脱ぎ、それを盾のように構えてムチから逃れようとしたが、手の甲に激しい痛みを覚え、思わず手離してしまった。見ると、右手の甲の皮膚が細く裂け、薄く血がにじみ出ている。美香がムチから逃げる術を失ったことを知った米田は、なんのためらいもなく、二度三度とムチをふるった。その度にブラウスからボタンが飛び、純白だった布地にうっすらと赤い色が付き、ボロ布のように裂けてゆく。
 米田はまるで積木のビルを壊して悦ぶ子供のように、或いは、実験のために解剖していたカエルを知らぬ間に切り刻んでしまった欲求不満の中学生のように、美香の体をムチの餌食にすることに夢中になっていた。彼はとどまることなく、右手を振り続けた。
 サイドジッパーが壊されてチェック柄のスカートがストンと落ちてしまうと、ズタズタになったブラウスは正面から大きくはだけ、マントのように美香の背中を隠すだけになってしまった。純白のブラジャーに覆われた胸があらわになり、米田の心はますます凶暴な欲望に充たされてゆく。
 彼は血に飢えた狼に変貌していた。手を使わずに、今や彼の鋭い牙となったムチで獲物の衣類を一枚ずつ剥ぎ取り、白い肌から吹き出る小さな玉のような血をすする、それは人間の姿ではなくなっていた。
 遂に美香は、恐怖と痛みに耐えかねて涙をこぼした。絶叫とも呻き声ともつかない声をあげ、自分の運命を予感した子ウサギのように部屋の隅で体を丸め、ただただ怯えた。
 その涙を見た米田は、グフッグフッと下卑た笑い声をたて、それまで手にしていたムチを放り出すと、自分のネクタイをほどいて美香に近づいて行った。そして、抵抗する体力も気力もとうに失せ、涙だけを流し続けている美香の肩をグッと掴んで向こうを向かせると、何本ものミミズ腫れができた細い腕をネクタイでうしろ手に縛り上げた。
 それから、普段の米田からは信じられないような力で美香の体を軽々と抱え上げると、ベッドの上にあおむけに放り上げ、それまでなんとか無事に身に着けていたブラジャーとスキャンティを食い破るようにして口で剥ぎ取る。米田の熱い吐息を浴びた美香はベッドの上で彼から逃げようとしたが、両手を縛られ自由を奪われた身では、僅かに身を退くこともできなかった。顎先を伝ってポタポタと落ちてくる米田のヨダレを白い肌に受けながら、美香にできることは身をすくめ、早くこの地獄のような時間が過ぎるようにと祈ることだけだった。
 ピチャピチャと舌なめずりをしながら美香の体を丹念に舐め回した後、米田は自分の着ている物をゆっくりと脱ぎ始めた。激しい動きのためにシワだらけになった上着を脱ぎ、シャツを放り投げ、仕立ての良いスラックスから脚を抜くと、最後に残ったトランクの外からも彼のペニスが天を振り仰いでいるのが見て取れた。
 美香は恐怖に充ちた表情で慌てて向こう側を向いたが、トランクスも脱いでしまった米田がわざわざ美香の顔の方に廻りこんで来て、赤黒い皮膚に血管が浮き出たペニスを見せつけて言うのだった。
「さあて、まずはその可愛いい口でサービスしてもらうことにしようか。楽しみは最後に取っておいた方がいいからね」
 美香は再び首を回そうとした。が、そうはさせじと米田が美香の髪を掴む。そうなっては、美香にできるのは精一杯力を入れて口を開かないよう努めることだけだった。
 ギュッと目をつぶり、口を閉じた美香の顔を面白そうに見ていた米田が、手にした道具のスイッチを入れた。


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