偽りの母娘


 後部座席に加藤美保を乗せた大型のセダンは、青銅製のどっしりした屋根を持つ車寄せの下に滑りこむと、ゆったりと身震いしながら静かに止まった。
 想像もしていなかった豪邸に自分が連れてこられたことを実感した美保は、誰にも気づかれないように、小さな溜息をもらした。その溜息は決して後悔のそれではないものの、多分に戸惑いの混ざったものだった――本当に、私がこの屋敷の住人になってもいいのかしら?
「さ、着きましたよ」
 美保の隣に座っている徳田宣子が、美保の顔に浮かんだ躊躇いの表情を気使うように、優しげな声をかけた。微かに視線を動かした美保の目に、四十歳台の半ばになっている筈なのに、まだまだ三十台のように見える宣子の顔が映った。
 宣子の声に合わせるように、車の分厚いドアが外から開かれる。
 美保は、ドアを引き開けた運転手に対して小さな声で礼を言いながら、そっと左足を踏み出してみた――靴底を通して伝わってくる、地面に敷きつめられた玉砂利の感触が心地良く思われた。
 美保が両足を地面につけ、車の外に立った時には、既に宣子が彼女の傍らに立って、ニコニコした表情を浮かべていた。そして美保が興味深げに屋敷の敷地を見回している間、その表情を崩さずに、彼女の様子を優しく見守っていた。
 やがて美保の目が再び玄関の方に向けられた時、宣子は、諭すような口調で言葉をかけた。
「今日から、ここがあなたのお家なのよ。遠慮しないで、ゆっくり生活してね」
 少しの間を置いてから、美保が小さく頷いた。その脳裏には、一ケ月前、初めて宣子と顔を会わせた時の様子が、昨日のことのように浮かんでいた。

 福祉施設『F市・少年の家』は、海の見える丘の上に建っている。この施設が建造された時の市長が尽力したおかげで、今では一等地のこの場所に、当時としても破格の安値で建造されたものだ。
 この『少年の家』には、なんらかの理由で家族と一緒に生活することのできない乳幼児や少年・少女たちが生活している――母親の再婚の邪魔になるからという理由で捨てられた少年もいるし、思いもしなかった事故で家族を失った少女もいる。その理由は想像もできないほどバラエティーに富んでいる。そして、その理由の多さに見合うだけの大勢の子供たちが『少年の家』に引き取られて生活し、また、成人して出て行ったのだ。
 美保も、そんな子供たちの一人だった。
 両親の顔も覚えていない幼児のうちにこの施設に引き取ってこられ、他の仲間たちと同様、職員を親と慕いながら育ってきたのだ。
 ただ、彼女には、他の子供たちと違った点が一つだけあった。
 それは、彼女が高校に通っている、ということだった。
 『少年の家』は、決して豊かではない予算で運営されている。国や自治体からの助成金と、幾つかの基金とで運営されているのだが、その金額を合わせたところで、たかのしれたものだった。だから、この施設で生活する子供たちは、義務教育を終了するとすぐに働き始めることになっている。とても、高校へ通わせてやるだけの余裕は無いのだ。
 その中で、美保だけが特別だった。
 中学での成績が群を抜いて優れていたため、彼女が高校への進学を断念せざるを得ないことを知った彼女の担任が、中学の校長と共に、施設の理事長に直談判に及んだのだ。そして、短くない議論の末に、理事長は美保を例外扱いする決心を固めた。
 そうした経緯で、美保は施設の中で一人だけ、県下でも有数の進学校に進むことになった。その結果、理事長は、彼女を高校へ進学させてよかった、という思いを強く感じることになった。彼女は、(少しでも施設に負担をかけないために、と短くない時間をアルバイトに割きながらも)学年でトップの成績を獲得し、それを今も維持しているのだから。
 それでも、さすがに二年生になった時点で、成績がやや下降ぎみになっているのではないか、と思える兆候が出始めていた。理事長は彼女にアルバイトを辞めて学業に専念するようアドバイスしたが、彼女は首を縦には振らなかった。他の仲間が働いている中、高校に行けるだけでも幸せだ、その上アルバイトを辞めるわけにはゆかない、ときっぱりと拒否したのだった。
 そんな時に現われたのが徳田宣子だった。
 宣子は美保の件をどこからか聞き及び、施設へやって来たらしかった。
 F市でも資産家として名の通っている彼女は、理事長室に入ると同時に、美保を養子として引き取る、と申し入れたものだった。
 突然のことに理事長は驚いたものの、考えてみれば、それは申し分のない申し入れだった。そうすれば、美保の持っている才能を今以上に開花させることができるのだから。
 その日の内に宣子と美保との面談も終わり、あっけないくらいに話はトントンと進んでいった。
 ただ、実際に美保が宣子の処へ引き取られる時期は夏休みが始まってから、ということになった。それは、学期中に環境が変化して、折角の成績が落ちては、と理事長が心配したためだった。
 そして、夏休みが始まって数日が過ぎた今日。
 美保は遂に、徳田家の屋敷にやって来たのだ。

 分厚いマホガニー製の玄関ドアが、音一つ立てずに内側に開いた。
 美保は、宣子に促されて、開いたドアの中に足を踏み入れた。まばゆい夏の陽光に順応していた目が徐々に建物内の暗さに慣れるにしたがって、その豪奢なエントランスホールの内装が美保の目に映し出されていった。
 今まで暮らしていた施設とのあまりの違いに息を飲みながら、これからの生活がうまく送れるのかしら?とやや弱気になっている自分に気がついた。
 そんな彼女の気持を励ましてくれたのが、エントランスホールで出迎えてくれた中年の女性の姿だった。
「お帰りなさいませ」
 宣子に向かって頭を下げながらそう言う女性は、この屋敷にあまりそぐわないような、太りぎみで、いかにも下町のおかみさん、といった風情を漂わせていたのである。その女性の姿は、それまで美保が抱いていた、豪邸の使用人というイメージ(やせぎすで、ツンツンした感じの、細い眼鏡をかけた中年女性)からはほど遠く、いかにも親しみが持てそうな感じがしたのだ。
 ああ、この人とならうまくやっていけるかもしれないな、と美保は心の中で安堵の溜息をもらしていた。
「お出迎え、ご苦労様。さっそくだけど、紹介しておくわ」
 宣子はそう言うと、美保の方に顔を向け直した。
「家の中の世話をしてもらってる、伊藤加代さんよ。わからないことがあれば、この伊藤さんに訊くといいわ」
 宣子の言葉に合わせて、伊藤加代が美保に向かって頭を下げた。
 他人から頭を下げられることに慣れていない美保は、自分も慌てて頭を下げながら、早口で名のっていた。
「加藤美保です。今日から、よろしくお願いします」
 しばらくして美保が頭を上げるのを確認してから、宣子は、背後に立っている男性に対して手を広げ、こう言った。
「それから、執事の佐山さん。さっきは車の運転をしてもらってたから、顔は知ってるわね?」
 宣子の言うように、そこに立っているのは、施設からここまでの車を運転していた男性だった。運転が専門というわけではなく、男手が必要なことは何でもまかされているのだろう。
「ここに住んでいるのは、これだけなのよ。小人数だから、美保さんも何の遠慮も要らないわ。気ままに生活してちょうだいね」
 佐山を紹介し終えた宣子の口からは、そんな言葉が聞こえてきた。
 その宣子の言葉に、美保は唖然としていた――この広い屋敷に、たったこれだけの人しかいないの?
 美保の心の中に浮かんだ疑問に答えるように、宣子が軽くウインクしてみせながら言った。
「意外そうね? でも、そうなのよ。私の主人は十年前に病気で亡くなったし、二人いる息子も、アメリカへ留学してる最中なの。だから、この家にはこれだけしかいないのよ」
 美保は納得した。そして同時に、宣子が自分を引き取った理由がわかったような気もしていた――寂しさを紛らわせるために私を引き取ったんじゃないかしら? 私を援助してくれるっていう名目で、孤独を癒す相手を得ようとしたんじゃないのかしら?
 しかし、それは美保にとってはどうでもいいことのように思えた。理由はどうあれ、この屋敷に引き取られたことで、彼女は勉学に専念できることになるのだから。

 それぞれの紹介を終えた宣子は、美保を促すと、廊下を屋敷の奥の方に向かって歩き始めた。
 やがて宣子は一枚のドアの前に立ち止まると、ポケットから取り出したキーを差し込んでノブを回しながら美保に声をかけた。
「ここが勉強部屋なのよ。中を見てみるでしょう?」
 宣子が先に部屋に入り、美保がそのあとに従った。
 その部屋は八畳くらいの広さを持った洋室で、大きな窓の横には、真新しい机が用意されていた。その他にも、壁に沿って幾つもの本棚と休憩用のテーブルが据えられていて、ちょっとした図書館のように思える内装に仕上がっていた。
「……これが、私の部屋?」
 半ば開いたままになっている美保の口から、呆れたような声が漏れてきた。これまでいた施設では個室など望むべくもなく、まして、これほどの本棚を置くスペースなど想像もできないものだったのだ。
「先に宅配便で送ってもらった荷物は机の横に置いてあるから、後で整理しておくといいわ」
 半ば放心状態になっている美保の顔をおもしろそうに見ながら、宣子が声をかけた。
 ハッと我に返った美保が視線を机の横に移すと、そこには宣子の言葉通り、三つのダンボール箱が並べられていた。女子高校生が住む場所を替えるのに、それだけしか荷物がないのは妙に思えるかもしれない。しかし、それには理由があった。
 この屋敷に引き取られるに当たり、美保は衣類や日用品などを全く持ってきていない。それは宣子がそうするように言ったからだ。
 美保が宣子に引き取られることになった時、宣子はこう言ったのだった――施設を出て私の家に引き取られることで、あなたは第二の人生を始めることになるのよ。だから、それまでの生活を想い出させるような物は一切持ってこなくていいわ。洋服も下着も、ヘアピン一本だって、施設で使っていたものはそのまま処分なさい。あなたが来る日には、こちらで全部用意しておくから。
 だから、美保が予め宅配便で送ったものは、学校で使う教科書やノート、参考書の類だけだった。それだけなら、ダンボール箱が三つも有れば十分に収納できる量だった。
 「さて、と。ここはもういいかしら?」
と言う宣子の言葉に美保が頷くと、じゃ、と言って、宣子は廊下に出て行った。せっかくの自分の部屋をもう少し見ていたいと思った美保も、これからずっとここにいるんだから、と思って、宣子に従うように廊下に足を踏み出していた。
「ああ、そうだ。一つだけ、注意しておくわね」
 美保が部屋から出ると、ドアを閉めながら宣子が言った。そして、閉まったドアのノブを回してみせる。
「ほら、開かないでしょう?――どの部屋もオートロックを備えてあるから、家の中でも、キーを忘れずに持ち歩いてちょうだいね」
「どうして、そんな……」
 美保は思わず、呆れたような口調で尋ねてみた。家の中の部屋にオートロックとは、あまりにも大袈裟に思えたからだ。
「『大袈裟だ』って言いたいんでしょう? でもね、考えてみてちょうだい――この広い家に、あなたをいれても四人しかいないのよ。用心するにこしたことはないわ」
 宣子の説明に、美保はやっと理解した。そして、これまでの施設での生活が常に多人数だったため、『用心』ということには疎くなっていたのかもしれない、と思い返した。これからは、ちゃんとしなきゃ。
 美保が頷くのを見ると、宣子は再び廊下を歩き始めた。ところが、今度はすぐに足を止め、隣のドアに向かって人差指を突き出してみせた。
「この部屋が、あなた専用の寝室になってるの」
 宣子の言葉に、美保は返事をすることさえ忘れていた。個室を与えられたことで有頂天になっているところへ、専用の部屋がもう一つ用意されている、と言われたのだ。あまりに予想外のことに彼女が言葉を失っても、それは仕方のないことだった。
「あら、どうしたの。そんなに驚いたような顔をして?」
 宣子は小首をかしげ、美保の目をのぞきこむようにしながら言った。
 それに対して、美保は声を絞り出すようにして、やっとの思いで応えていた。
「これも、私の部屋なんですか……?」
「そうよ。さっきのは勉強部屋だもの、ベッドもタンスも無かったでしょう?」
 その言葉で、美保はやっと思い出した――そう。確かに、さっきの部屋には家具らしいものは無かった。それなのに、真新しい机と本棚を見ただけでウットリしちゃって、そんなことに気がつかなかったんだわ。
 「だから、ね。ここが寝室なの。中を見てみる?」
と、宣子は勧めてくれたが、美保は首を横に振った。あまりのことに上気してしまい、頭がボーッとなっていることに気づいた美保には、これ以上の刺激を受けない方がいいように思えたからだった。
「そう。ま、後で見ればいいことだし、どうせこれからずっと生活するんだもの、そんなに急ぐ必要も無いわね」
 宣子は、美保が部屋を見ることを拒否したことも気にしていない様子で、柔らかな声で応えた。それから、何かに気づいたように両手をうつと、言葉を続けた。
「施設を出てからずっと、休憩も無かったわね。シャワーを浴びてスッキリしてらっしゃいな」

 宣子に案内されてバスルームにやって来た美保は、ポカーンと口を開けてしまった。それほど、驚いてしまったのだ。
 美保が驚いた理由は二つある。
 まずは、バスルームに入るにもキーが要る、ということだった。いくら用心深い家でも、バスルームへ入るのにキーを必要とするとは思っていなかった美保は、驚くと同時に呆れてしまった。
 そして、宣子が差し込んだキーでドアを開けて入った所は脱衣場になっていたのだが、ここに、驚きのもう一つの理由があった。それは、その脱衣場があまりにも広い、ということだった。時おり訪ねて行く友人の家のリビングルームが軽く入ってしまうのではないか、と思えるほどの面積を脱衣場が持っているのだ。
 それでも、熱いシャワーを浴びている間に、彼女の心に生まれた驚きも、体の疲れと一緒に流れて行くように感じられた。それは、今日からこの屋敷で生活するからには、めったなことで驚いていては神経がもたない――そう思った美保が、今までの驚きを意識的に忘れようとしたためだったかもしれない。
 最後に冷たい水を浴びて体を引き締めた美保は、玉のような水滴を拭き取ると、体にバスタオルを巻き付けてバスルームのガラス戸を開け、脱衣場へ戻った。
 微かに湯気が流れる脱衣場で、美保は棚の上に置いた脱衣カゴに手を伸ばすと、ゆっくりと足元におろした。
 美保はカゴからショーツをつまみ出そうと体をかがめて手を伸ばしかけたが、その動きが不意に止まった。そして、カゴの中に入っている衣類を、じっと見つめた。
 やがて彼女は不思議そうな表情を浮かべると、そのカゴが置いてあった棚の上を、右から左へと舐めるような目付きで見渡していった。しかし、彼女の求めている物は、その棚の上には見当らなかった。
 彼女は今度は、脱衣場の床の上を見回し始めた。そして、ヘルスメーターのかげや、姿見のうしろに回りこみ、キョロキョロと首を動かしてみた。
 それでも、彼女が探している物は、どこにも無いようだった。
 彼女が探しているのは――自分が脱いだ衣類を入れておいた脱衣カゴだった。脱衣カゴなら棚からおろしたところじゃないか、と言われるかもしれない。ところが、そのカゴに入っているのは、彼女には見憶えの無い衣類ばかりだった。だからこそ、自分のカゴがどこかにある筈だと思って、こうしてタオル一枚の格好であちらこちらと探して回る羽目になったのだ。
 それでも、いくら探しても、自分の脱衣カゴは見つからなかった。
 ひょっとすると何かの拍子で、自分の衣類の上に誰かの衣類が入れられたのかもしれない、と考えた美保は、もう一度さっきのカゴの所に戻ってみた。
 彼女はそのカゴの傍らに膝をつくと、その中の衣類を一枚、手に取ってみた。
 レモン色の生地に数種類の動物の絵が可愛いいマンガ調で描かれた衣類が、彼女の手で持ち上げられると同時に、彼女の目の前でサッと広がった。少しばかりゴワゴワした感触を美保の手に伝え、幾つかのボタンを付けられたその下着の形に、美保は憶えがあった――家庭科の保育の単元で使った経験もあるし、もっと身近なところでは、今朝まで生活していた施設で養育されている赤ん坊のお尻を包んでいるのが、それと同じような形をしている。
 それは、ごくありふれたオムツカバーだった。
 しかし美保の心には、真夏の入道雲のように、疑問の念がムクムクと湧き上がってきた――この屋敷には、赤ん坊なんていない筈だ。それじゃ、このオムツカバーは誰のかしら?
 しかし、美保は自分の心に浮かんできた疑問を振り払うと、オムツカバーの下に見えている布地をつまみ上げた。今は、このカゴの中に自分の衣類があるのかどうかを確認するのが先決だった。
 まっ白の柔らかそうなその布地には赤い金魚の柄が描かれていて、輪型に縫われていることがわかった。それはどう見ても、赤ん坊が使うような布オムツに違いなかった。
 それがオムツだとわかった瞬間、なんともいえない違和感のような感情が、美保の心に芽生えた――美保はさきほどのオムツカバーのボタンを外すと、床の上に広げてみた。そして、そのビニールの裏地の上に、カゴから取り出したばかりのオムツを広げてみる。
 しばらくオムツとオムツカバーを見つめていた美保は、自分の心に芽生えた違和感の正体に気がついた。目の前にあるオムツが、自分の知っているものに比べてあまりに大きく縫製されているのだ――こんなに大きくっちゃ、赤ちゃんの体がオムツの中に埋っちゃうわ。
 美保は、その大きなオムツに妙に心をひかれるように思った。それが好奇心のためなのら、なんのためのものかという疑問のためなのかはわからないものの、なんとなくその大きなオムツに目が釘づけになってしまったのだ。
 それでも、こんなことをしている暇は無いと思い直した美保は、首を二度三度とゆっくり回すと、作業を続けようとした。
 しかし、オムツの下にあった衣類をカゴから取り出した瞬間、彼女の動きが止まり、そのまま身じろぎもしなくなってしまった。
 どれくらいの間、そうしていただろう。
 美保は首を小さく左右に振ると、手にしているピンクの衣類を、さっきのオムツカバーの横に置いた。そして、呆れたような表情を浮かべると、その衣類に再び視線を這わせていった――ベビーピンクの生地に白の水玉模様が広がっていて、袖口や胸の辺りには、やはり淡いピンクのレースのフリルがあしらわれている。裾はギャザーになっていて、全体としてはフンワリした感じに仕上がっているようだ。
 おそらくそれはベビードレスなのだろう。それも、とびっきり可愛いいデザインの。
 とはいっても、彼女が体の動きを止めたのは、その可愛らしいデザインに目を奪われたためではなかった。こうして大きなオムツカバーと並べてみるとよくわかるのだが、そのベビードレスは、横に置かれたオムツカバーとセットになるように作られているようだった。つまり、そのサイズはオムツカバーと同様、妙に大きく仕上げられているのだ。そのサイズが、彼女を驚かせていた。
 なんとはなしに溜息をつくと、美保は再び脱衣カゴの方へ視線を移した。
 しかしそこには、彼女の知らない衣類がまだ入っているようだった。
 今度は何がとびだしてくるのかしら、と思いながら、彼女はカゴの中の白い衣類を右手の指でつまみ上げた。
 それを両手で広げて形を確認した美保は、ゆっくりとベビードレスの胸の辺りに置いてみた。それは、オムツやベビードレスに合わせて作られた、大きなヨダレかけだった。吸水性のよさそうな純白の生地でできたそのヨダレかけの周囲はフリルで縁取られ、ヒヨコのアップリケが遠慮がちにつけられている。
 わけがわからなくなった美保が力まかせにレース製のソックスを取り出すと、脱衣カゴは空になってしまった。

 結局、自分の衣類を見つけられなかった美保は、バスタオルを体に巻き付けただけの格好で、脱衣場のドアを押し開けた。
 美保が廊下に足を踏み出そうとした時、こちらへ向かって歩いて来る宣子の姿が目に映った。
 宣子も美保の姿をみとめたのか、その歩速を早めると、あっと言う間にドアの前に到着していた。
「どうしたの、美保さん。そんな格好で廊下へ出る気だったの?」
 美保の目の前に立ち止まった宣子は、少し呆れたような声を出していた。
「いえ、違うんです。あの、私の着る物が……」
 『そんな格好で廊下を歩くなんて、やっぱり施設育ちは常識が足りないわね』と思われるのがイヤで、美保は両手を振りながら、ことの次第を説明しようとした。
 ところが、宣子はすぐに事態を察したように、平然と応えた。
「ああ、あなたの着ていた物なら、処分しましたよ。前にも言ったでしょう、『全て、こちらで用意します』って?」
「……それで、私が脱衣場で脱いだ筈の洋服が無くなってたんですね」
 美保はやっと納得したような表情になると、ホッとした思いで言った。
「それで、着替えはどこに……?」
 今度は、美保の言葉を聞いた宣子が意外そうな表情を浮かべた。そして、念を押すような口調で美保に言った。
「脱衣カゴの中に入れておいた筈なんだけど……。入ってなかった?」
 美保は、脱衣カゴの中身を思い出すように、目を閉じてみた。それでも、彼女の頭に浮かんでくるのは、あの妙に大きなベビー用品ばかりで、宣子が用意してくれたという衣類らしきものは、布きれ一枚も無いようだった。
「それらしいものは、見当りませんでしたけど……」
 美保は静かに目を開くと、やや戸惑いがちに応えた。
 宣子は美保の言葉を聞くと、あら、おかしいわね、と言いながら、脱衣場の中へ入って行った。
 棚の上に脱衣カゴが無いことを確認すると、宣子は首をかしげるような仕草をしたが、そのカゴが床の上に置かれていることに気づくと、途端にニコッと笑って、こう言った。
「なーんだ、あんな所に有るじゃない」
 美保は、自分が床の上におろしたカゴに目を向けた。じゃ、やっぱりあのカゴなのかしら? でも……。
 美保が意外に思っている中、宣子はカゴの所へ歩いて行くと、その側に広げられているベビー用品を見て言った。
「やっぱり、そうだわ。ほら、美保さんの着替えが置いてあるもの」
 美保は、宣子が見ている辺りをまじまじと見つめた――しかし、そこには、ベビー用品以外には何もなかった。
「え。あの、私の着替えなんて、どこにも見えませんけど?」
 念のためにと、もう一度目を皿のようにして床を見つめた美保は、それでも自分の衣類を見つけられずに言った。まさか、『裸の王様』の劇をやってるわけじゃないでしょうね、と思いながら。
 美保の言葉を聞いた宣子は床に膝をつくと、そこに広げられているベビードレスを両手で持ち上げながら、美保に向かってニコニコ笑いかけて言った。
「何を言ってるの。ほら、ここにあるじゃない」
 美保は口をポカーンと開き、点のようになった目で、宣子が持っているベビードレスを見つめた。
 宣子が、そうよ、とでも言うように小さく頷いてみせた。
 美保はブンブンと首を左右に振ると、やっとの思いで言葉を絞り出した。その声は、小刻みに震えているようだった。
「……なにを言ってるんです。それは赤ちゃんの服じゃないですか」
「あら、そう思う?」
 宣子はそう言うと、今度はクスクス笑いながら、美保が立っている所へ歩み寄った。
 そして、手にしたベビードレスを、サイズを確認するように美保の体に押し当てると、明るい声で言った。
「ほーら、ピッタリじゃない。これでわかったでしょう?」
 美保はうしろへ跳びすさると、自分の頬を両方の掌で包みこむような仕草をした。思わずそうしてしまうような、強い羞恥に襲われたのだ。
 宣子はそんな美保の様子をおもしろそうに見守りながら、美保の羞恥心を更に刺激するかのように、金魚柄のオムツを指差して言った。
「服だけじゃなくって、オムツも用意してあるのよ。オモラシしちゃうといけないから、早くあてちゃいましょうね」
 美保は、ブルブルと震える体を自分の手で抱くようにしながら、幼児のようにイヤイヤをしてみせた。
「……イヤです。だいたい、どうして私が、そんな赤ちゃんみたいな格好をしなきゃいけないんですか?」
「あら、そんなこともわからないの」
 宣子は、とぼけたような口調で言った。
「今日からあなたは、加藤美保じゃなく、徳田美保に生まれ変わるのよ。わかるでしょう――あなたは今日、徳田美保として新しく生まれたの。生まれたばかりだもの、赤ちゃんに決まってるじゃない?」
「でも、生まれ変わった、っていうのは言葉の上のことで……」
「あなたはそう思ってるかもしれないわね。でも、私にとっては、あなたは生まれたばかりの小さな赤ちゃんなのよ。
 それに前々から、一度は女の子を育ててみたい、って思ってたしね――さあ、わがまま言わずに、ママの言うことをきいてちょうだい」
 宣子は、床に広げられていたオムツとオムツカバーを両手に持つと、逃げ回る赤ん坊を追いかける母親のように、ゆっくりと美保に近づいて行った。
 美保はドアの方へ振り向くと、脱兎のように駈け出した。
 まるで体当たりをするような勢いでドアを開き、転がるように廊下に飛び出した。
 そこに、伊藤加代の丸っこい体があった。
 加代とぶつかった美保は、はね返されて尻餅をつきそうになりながら、伸ばされてきた加代の手に慌ててしがみついた。
 なんとか倒れることを免れた美保は、加代の人の好さそうな顔を見ると、握っている手に力を加えながら、早口で助けを求めた。
「助けて、伊藤さん。おば様が変なんです」
 その言葉を聞いた加代は、ニコッと笑うと、美保の肩に両手をのせた。ああ助かった、と思った美保は、体中から力が抜けてゆくように感じた。
 しかし、それは美保の早合点だった。
 加代は美保の肩から掌を離すと、その太い両手で彼女の体を抱きすくめた。美保がハッと思った時には、もう手遅れだった。加代は静かに美保の体を抱え上げると、脱衣場の中にいる宣子の方へ歩いて行った。
 やがて宣子の目の前の床に美保の体をおろすと、加代は静かな声で宣子に言った。
「奥様、赤ちゃんを裸のままでいさせるのはよくありませんわ。夏とはいえ、早くオムツをあててあげないと、風邪をひくかもしれませんわ」
 美保の顔から血の気がひいた――それじゃ、伊藤さんもグルだったのね。どういうつもりかは知らないけど、二人して私を赤ちゃんのように扱う気なんだわ。
 二人の手が、美保の体に巻き付けられているバスタオルにかけられた。
 美保は両手を振り回し、足をバタバタと動かして、必死で抵抗した。このバスタオルを剥ぎ取られたら一巻の終わりだ、という思いが、日頃のおとなしい美保からは想像もできないような力を発揮させていた。
 しばらくの間は、予想もしなかったような力で暴れまわる美保の体を押さえつけようとしていた二人だったが、やがて諦めたような表情を浮かべると、宣子が息を弾ませて言った。
「やれやれ、仕方のない子だこと。いいわ、服を着るのがイヤなら、そのままの格好でいなさい」
 二人の手がひっこんだことを知った美保は、慌てて跳ね起きると、足を滑らせながら、なんとかドアの前まで走って逃げた。二人が追ってくるような気配はなかった。
 美保はホッと溜息をつくと、ゆっくりとドアを開けて廊下へ逃げ出していた。



 美保が脱衣場から逃げ出して、まもなく一時間が過ぎようとしいてた。
 宣子は、加代や佐山と共に、広い庭が見えるティールームで紅茶を飲んでいた。
 美保が逃げ出した時、宣子は少しも慌てずに、加代にこう言ったのだ。
「あの格好じゃ、屋敷の外へは逃げ出せないわ。それに、どの部屋もドアに鍵がかかっててるんですもの、隠れることもできないでしょう。いずれは、あの子の方から私たちの前に姿を現しますよ。さ、お茶の時間にしましょう」
 そして、宣子の言葉通り、このティールームでゆったりしたお茶の時間を楽しんでいるのだった。

 『宣子の言葉通り』という表現は、美保の行動をも言い当てているようだった。
 なんとか脱衣場からは逃げ出したものの、美保には、どこへ行けばいいのか、全く見当もつかなかった。
 最初は、玄関の方へ走って行った。
 このまま屋敷から逃げ出そうと思ったのだ。しかし、その考えは実現しなかった。玄関のドアにも鍵がかけられていて、とても開きそうになかったのだ。
 美保は、どこかに出口がないか、と廊下を走り廻ってみた。裏口や勝手口のようなドアが目についたものの、それらも全て厳重にロックされていた。
 美保は、裏口のドアの取手を力まかせに押したり引いたりしながら、宣子の言葉を思い出していた――この広い家に、あなたをいれても四人しかいないのよ。用心するにこしたことはないわ。
 あの時は、それで納得した。しかし、こんな状況になってみれば、あの宣子の言葉を額面通りに信じる気はなくなっていた――そうよ。この厳重なロックも、用心のためなんかじゃなくって、私を逃さないようにするために違いないわ。
 ビクともしないドアに、美保は遂に外へ出ることを諦めた――それに、もしも外へ出られたとしても、バスタオル一枚のこんな格好じゃ、どこへも行けないもの。
 次に美保は、屋敷内の部屋という部屋のドアを開けようと試してみた。何日間かは隠れていることができるかもしれないし、なによりも、着る物がどこかにないか、と思ったのだ。
 しかし、開きそうなそぶりをみせるドアさえ、一枚もなかった。何度かは体当たりも試してみたが、美保自身が痛い目をするだけで、全て徒労に終わっていた。
 美保は、それが考え事をする時の癖で、親指の爪を噛みながら、思いを巡らせてみた。
 施設に電話をかけて助けに来てもらおうかとも思ったが、どこにも電話器らしきものは置いてないようだった。おそらくは、部屋の中に置かれているのだろう。それにだいいち、電話をかけることができたとしても、F市有数の資産家で篤志家の宣子が、美保を赤ん坊のようにしようとしている、と訴えたところで、誰が信じてくれるだろう。
 不意に、美保のお腹がキューッと鳴った。
 その音を聞いた美保は、いよいよ施設ともお別れという感傷のせいで、昼食を満足に食べてこなかったんだ、ということを思い出した。必死になって逃げ出す方法を考えている頭をからかうように、空腹を感じた胃袋が正直にも抗議の声をあげたようだった。
 やれやれ、少しくらい我慢なさいよ、と美保は自分のお腹に言い聞かせようとした。その時、彼女の心の中に、このままでは更に悲惨な状態になっちゃう、という思いが浮かんできた。
 それは――トイレをどうするか、という切実な不安だった。
 今までさんざん試してみたように、この屋敷の部屋のドアには一枚残らず鍵がかかっていて、まず彼女の力で開くことはできなかった。しかも、それは、バスルームでも例外ではなかったのだ。それなら、トイレだけ鍵がかかっていない、などという期待を持てる筈もないのだ。
 そして、その不安が現実になるのに、たいして時間はかからなかった。
 試験前に緊張するとトイレに行きたくなるように、一度不安を感じ始めたた美保の精神は無意識のうちに緊張し、その緊張が尿意となって、意識を刺激し始めたのだ。
 今は、爪を噛みながら思案に耽っている場合ではなかった。
 尿意をゴマかすために美保は奥歯を噛みしめ、まだ試していないドアを次々に開けようとしていった。トイレだけが開いているという期待は甘い、と知りつつも、その期待を胸に抱いて行動する以外に、彼女には採る術がなかったのだ。

 宣子の耳に、ドアのノブを回そうとしている、ガチャガチャという音が聞こえてきた。
 ティールームには私を含めて三人が揃っている。では、ドアを開けようとしているのは誰なのかしら? 宣子は一瞬そう思ったが、すぐにその解答に思い至った。
 彼女は僅かに唇を歪めるような笑い顔になると、ティーカップを置いたテーブルの前から静かに立ち上がった。そうして足音を殺すようにしながらドアの前まで歩いて行くと、不意にドアを引き開けた。
 急に開いたドアに引きずられるように部屋に入ってきたのは、泣きそうな顔になっている美保だった。彼女はトイレを探すために次々にドアを開けようとしているうちに、知らず知らずのうちに、宣子らがお茶を飲んでいる部屋のドアに手をかけていたのだ。
「あら、美保ちゃん。気が変わったのね?」
 宣子は、わざとらしく訊いてみた。ついでに、それまでの美保『さん』ではなく、美保『ちゃん』、と呼び方も変えていた。
 この部屋に三人が揃っていることに気づいた美保は、少しばかり唖然とした表情を浮かべながら、弱々しく首を横に振った。
「あら、まだママの言うことがきけないの。困った子ねえ」
 宣子は溜息をついてみせた。しかし、その目は、美保の脚が小刻みに震えていることを見逃さなかった。彼女は美保の耳元に唇を寄せると、耳朶に息を吹きかけ、唇で噛みながら言った。
「トイレに行きたいんでしょう? あまり我慢してると、体に毒よ」
 美保の背筋を、それまで感じたことのないような感覚が走り抜けていった。それは、氷の固まりで撫ぜられるようなゾクッとする感触と、焼け火箸を押し付けられたような熱さとが妙に混ぜ合わされ、とても言葉で表現できないような甘く切ない感覚だった。
 美保は思わず、あ、と言って、体から力を抜いていた。
 決して意識してのことではなく、恥骨から脊髄を駈け抜け、頭のてっぺんを突き抜けた感触を味わった瞬間、体中の力を維持するだけの気力がしらずしらずのうちに流れ去ってしまったのだ。
 同時に、あれほど耐えていた膀胱からも、力が抜けてしまっていた。
 美保の股間から、一条の奔流が、周囲に飛沫を撒き散らしながら、シャーッと音をたててほとばしり始めた。その奔流は美保の足元ではなく、そのやや前方に向かって、遮られるものもなく勢いよく落下していった。
 美保は声もなく口を開くと、慌ててその場にしゃがみこんだ。そして、自分の下腹部から流れ出る奔流を止めようとするかのように、両手の掌を黒々した茂みの上から股間に押し当てた。
 もちろん、そんな事で、一度溢れ始めた流れが止まるものでもなかった。
 それでも、両手を股間に持って行く時に、うまい具合に、体に巻き付けているバスタオルの裾を握っていた。そのために、体から離れたバスタオルが、彼女の股間を覆うような格好になっていた。
 バスルームで美保の汗と水滴を吸ったために吸水性にはそれほどの余裕はなくなっていたバスタオルだが、奔流の勢いを殺ぐ役には立っていた。それまでは勢いよくほとばしっていた尿が、タオルに当たることで、その勢いが随分と弱められることになったのだ。
 美保の尿は、それまでのように前方に飛ぶことなく、タオルに当たってから彼女の内腿を伝い、滝のように床に落ちていった。
 その美保の姿はまるで、オモラシしてしまったオシッコをズロースの裾から漏らしながらしゃがみこんでいる幼女のように、宣子の目には映った。
 いつのまにか加代が数枚の雑巾を持ってきて、美保の足元で大きくなってゆく水溜りの周囲に並べていた。そうしている間にも、美保の内腿を伝わってきた雫が、ポタポタと音をたてながら、できたての水溜りに吸いこまれている。
 最後の一雫が膀胱から流れ出したのか、美保は体をブルッと震わせると、そのままの姿勢で大声をあげて泣き始めた。
 宣子は、美保の下腹部を覆っているバスタオルを剥ぎ取ると、湯気を立てている水溜りの中に投げこんだ。まだいくらかの余裕があったようで、床に溜ったオシッコを少し吸収したタオルは僅かに膨らんだ。
 宣子は美保の体を背後から抱えるようにしたが、さすがに抱き上げることは難しく、あやうく姿勢を崩しそうになった。そこへ佐山が駈け寄ってきて、二人の体重をそっと支えた。
 宣子と佐山が美保の体を移動させた跡へ加代がやってきて、雑巾で美保の尿を片づけ始めた。
 その加代の様子を見ながら、宣子は美保の顔を自分の胸に押し当てて、幼児をあやすような口調で言った。
「ほーら、美保ちゃんがママの言うことをきいてオムツをあてないから、加代さんの仕事が増えちゃったのよ。わかるわね?」
 美保はなんの反応もみせずに、ただ泣きじゃくっているだけだった。
「もう、泣かなくてもいいわ。だから、ママの言うことをきいてくれるわる?」
 美保の目からこぼれる涙が宣子のブラウスを濡らしていたが、宣子はそんなことを気にとめるふうでもなく、美保の後頭部に当てている掌の力を強めた。
 それでも、美保は反応を示さなかった。
 宣子は美保の顔を自分の胸から離すと、彼女の目をじっと見つめた。しかし、涙を流し続けている美保が宣子の顔を見返しているとは思えなかった。宣子は美保の顔に舌を伸ばすと、こぼれ続けている涙の粒をそっとその舌で舐めてみた。
 美保はビクッと体を震わせると、今度は自分から、顔を宣子の顔に埋めていった。同時に、それまで股間を隠すようにしていた両手を伸ばすと、宣子の腰にその両手を廻して抱きついていった。

 すっかり片づいたティールームの床に、加代が新しいバスタオルを広げた。その上には、脱衣場にあった大きなオムツカバーが広げられ、更に、金魚柄のオムツが用意された。
 美保はぎゅっと目をつぶったまま、おずおずと、その柔らかな布の上にお尻をおろしていった。
 高校二年生にもなった自分がオムツをあてられることに対して、美保は強い屈辱と羞恥を感じていた。こんな姿には絶対になりたくない、というのが本音だった。それでも、それを拒否すればどうなるのか――それも、さっきのできことで痛いほど心に刻みつけられてしまった。
 結局のところ、自分が採るべき方法は一つしかない、と気づいたのは、随分と迷った後のことだった。
 オムツをあてていなければ、さっきのような醜態を晒すことになってしまうのだ。それなら、オムツをあてる方がまだしまマシのように思えた。少なくとも、放尿の瞬間を人目に晒すことだけは防げるのだから。
 やっとの思いで決心を固めてはみたものの、実際にオムツの感触を下腹部に感じてみると、なんともいえない羞恥で心がざわついた。その柔らかな布の感触は予想以上にお尻や内腿を、そして、茂みの奥に隠れている部分を刺激するように思えるのだ。更に、憶えていない筈の乳児の頃の記憶が何故か甦ってくるような気がして、それが甘い刺激となって、羞恥心をよりくすぐるように感じられる。
 そんな美保の思いも知らぬふうに、宣子はオムツで美保のお尻をくるみ、更にオムツカバーで包んでいった。それから、オムツカバーのボタンを一つ一つ丁寧に留めると、白い腰紐を強く結び終える。
 宣子が、オムツカバーの裾からはみ出しているオムツを指で押し入れている間、美保の頬はリンゴのように赤く染まっていた。しかしそれが羞恥のためだけではないことに、美保自身はまだ気づいてはいなかった。
 オムツをあて終えた宣子は、美保の両手を握ると、彼女の上半身を優しく引き起こした。その動きに合わせて、美保のまだ固い乳房がプルプルと震えていた。
 美保はホーッと大きく息を吐き出すと、まるで水の中から出てきたように、小さな瞬きを繰り返してから目を開いた。
 その目に、たった今オムツをあてられたばかりの自分の下腹部が映った。美保は、慌てて視線をそらした。彼女の頬が、さきほどよりも一段と赤みを増していた。
 そらした視線の先に、宣子の姿があった。彼女はニコニコした表情で、美保を見つめていた。
 その宣子の視線がいたたまれなくなって美保が再び視線を移動させようとした時、宣子がベビードレスを美保の目の前に突き出して言った。
「オムツもあてたし、次は服を着ましょうね。さ、お手々を上げてちょうだい」
 オムツだけでも十分に恥ずかしい思いをしているのに、この上ベビー服を着せられてはたまらない、と思った美保は、プイと横を向いた。
「あら、イヤなの? でも、これを着ないと、美保ちゃんの可愛いいオッパイが丸見えよ。佐山さんに見られちゃってもいいのかしら」
 横を向いた美保の耳に、宣子の声が聞こえてきた。
 確かに、宣子の言う通りだった。さっきの騒ぎのせいでオモラシするところを見られたとはいえ、それは偶発的な事故のようなものだ。しかし、何かを着なければ乳房を見られるかもしれない、というおそれは、ずっとついてまわることになる。
 宣子は、左手の親指の爪を噛みながら目を伏せた。その視線が再び、自分の下腹部を包んでいるレモン色のオムツカバーの上に注がれた。
 その時、美保の決心が固まった。
 仕方ない、ベビードレスを着ることにしよう。そうすれば上半身も裸じゃなくなるし、この恥ずかしいオムツもドレスの中に隠れちゃうだろう。
 美保は親指を口から出すと、ちら、と宣子の方に目を遣った。そして、なるべく宣子と目を会わせないようにしながら、ゆっくりと両手を高く伸ばしていった。
 宣子は、うん、とでも言うように小さく頷くと、高く伸びた美保の両手の上から、ベビードレスをすっぽりと被せた。
 手と首をそれぞれの穴に通し、背中のファスナーを締めるまでに、たいした時間は必要なかった。それほど、宣子が用意していたベビードレスは美保の体にぴったりとフィットしていた。


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