もういちど


 早坂幸子の父親が、再婚を決意したことを幸子に告げたのは、彼女が高校に入学して一ケ月が過ぎようとしていた或る日の夕食後だった。
 幸子の母親が亡くなったのは、彼女が中学一年生の時だった。病気らしい病気を患うこともなく、怪我にしても指を包丁でちょっと切る程度のことしかしなかった母親が、買物帰りの道路で車にはねられたのだ。歩道で信号待ちをしていた人の列に、タイヤをバーストさせてハンドル操作のできなくなったダンプカーが突っ込んだ。重軽傷者五名・死者三名の中に母親がいた。それは、信じられないほどあっけないできことだった。
 それ以来男手ひとつで彼女を育ててくれた父親が再婚する、と言ったのだ。
「その人――加藤安江と出会ったのは、一年前だった。新入社員として、私が課長をしている総務課へ配属になってきたんだ。
 初めて彼女を見た時、胸を突かれたように思ったものだ。死んだ母さんの若い頃にそっくりでな。性格も、芯が強い上に子供好きのようだ。そんな彼女も、どういうわけか私に好意を寄せてくれたんだ。
 正式に結婚を申し込んだのが、今年の正月だった。ただ、おまえは高校受験の勉強のまっ最中だったから、今まで黙っていた。だが、高校生活にも慣れて落ち着いたようだから今日こうして相談することにしたんだが、どうだろうな?」
「どう、って……」
 幸子は湯呑みをテーブルに置くと、しばらく黙っていた。その間、父親はじっと彼女の顔を見ていた。まばたき一つもしていないのではないかと思えるほどの、それは真剣さだった。
「……パパがそこまで真剣なんだもの、私がとやかく言っても仕方ないんでしょ。私も子供じゃないわ。パパの思ったようにしてちょうだい」
 決心がついたのか、彼女が応えた。それから、しばらく何かを考えるような表情を浮かべて言葉を続けた。
「ただ、その人を『ママ』と呼べるかどうかはわからないわよ」
「……そうだな。どう呼ぶかについては、こだわらない。いずれ時間が解決するかもしれんし。それに、彼女の年齢は二四だ。一六歳のおまえから『ママ』と呼ばれるのも、しっくりこないかもしれんしな」
 どうなるものだろう、と思いながら切り出した話に娘が反対らしい反対もしないことに明らかにホッとした表情を浮かべて、父親が言葉を返した。
「二四ですって?――そりゃ、パパの部下だもの、若いとは思ったけど、そんなに若い人なの?」
 幸子は声を大きくした。しかし、それも短い間だけだった。
「……まあ、いいわ。さっき、パパのいいように、って言っちゃったしね。で、パパの恋人には、いつ紹介してもらえるのかしら?」
「パパの恋人、という言い方は感心しないな。ま、いい。うちに連れてくるのは、今度の日曜日でどうだろうね」

 そして、日曜日。
 初めて見た加藤安江は、父親が言ったように、幸子が微かに憶えている死んだ母親によく似ていた。小さくない衝撃を受けたことを表情には出さず、挨拶を済ませてから安江を客間へ案内した。
 しかし、安江の挨拶も父親の言葉も、幸子の耳を素通りして行くばかりだった。なまじ死んだ母親に似ているばかりに、親しみよりも違和感が先に立ってしまうのか、幸子の胸には、安江の言葉を素直に聞こうという余裕が生まれてこなかったのだ。それどころか、自分でも何故なのかわからない反発心がムラムラと浮かんでくるのをどうしても抑えきれないでいた。
 ふと、「この女性をママと呼ぶことは絶対にないだろう」という思いが、幸子の頭の片隅に黒い雲のように湧き上がってきた。

 それから数ケ月の時間が流れ、九月の初旬に父親と安江は結婚した。
 ごく内輪だけの結婚式と三日間だけの新婚旅行を終えた安江はいよいよ幸子との生活を始めることになったが、自分で漠然と予感したように、幸子は安江に対して心を開こうとはしなかった。なにかといえば幸子に声をかけ、なんとか話のきっかけを作ろうと務める安江を無視するように、幸子はプイと横を向くことが多かった。



 或る日、幸子が学校から帰ってくると、安江が妙に弾んだ声をかけてきた。
「あのね、今日からお父さま、ご出張なのよ。二週間ほどかかるそうよ」
「……そう。でも、それでどうしてアンタが嬉しそうな声を出すのよ? 寂しそうなフリでもするのが本当じゃないの?」
 幸子は安江の顔も見ずに、つっけんどんな口調で応えた。父親のいない家でこれから二週間、安江と一緒に生活するのが嬉しいわけもない。
「私だって寂しいわよ――なんたって、まだ新婚なんだから」
 幸子の気も知らぬげに、安江は平然と言った。
「でも、これはチャンスかもしれないって思ったのよ。だから、声が弾んじゃったのかもしれないわね」
「チャンス……?」
 幸子は呟くように訊き返した。
「そうよ。幸子さんと私がじっくり話し合ってみるチャンスだと思うの。いくら親子でもお父さまがいらっしゃれば話しづらいこともあるだろうけど、今はそんな遠慮も要らないわ。一度、じっくりと話し合ってみてもいいんじゃないかしら?」
「……」
 幸子は無言で安江の顔をちらと見たが、すぐに横を向いた。それから何かを考えるようにかるく目を閉じたものの、結局は何も言わずに自分の部屋に向かって歩き始めた。
 安江もそんな幸子のあとを追おうとはせず、小さな溜息をついてから台所に向かった。

 部屋に入り、カバンを机の上に置くと、幸子はベッドの上に仰向けに倒れこんだ。
 頭の下で組んだ両手を枕の代わりにしながら、幸子は目を閉じた。その瞼の裏側に、まだ幼い自分を抱いてあやしている母親の顔がおぼろげに浮かんでくる。
 しかし次の瞬間、母親の顔に安江の顔がダブって映った。
 幸子は、閉じていた瞼を更にギュッと閉じた。
 本人も知らないうちに、一条の涙が頬を伝う。
「ママ、どうして死んじゃったの? ママさえ生きてれば、あんな女がこの家に入りこんでくることもなかったのに……」
 幸子は小さく呟いてみた。
 それでも、自分が安江のことを心から嫌っているのではないのだろうということも幸子は感じていた。皮肉なことに、安江が母親に似過ぎているせいで心を開くことができないのだろうと薄々は気づいているのだ。
「ママ……」
 再び呟いた幸子の口からはその後、昼間の疲れのせいだろうか、安らかな寝息が聞こえ始めた。

 どれくらいの間、眠っていたのだろう。
 部屋の中に漂う微かな香りに鼻を刺激されて、幸子は目を醒ました。
 うっすらと開いた目に、机の上に置かれた銀色のトレイがとびこんできた。どうやらトレイの上に載っている食器から香りが漂っているようだと判断した幸子は、鼻を小さく動かしながら、まだボンヤリしている視界をハッキリさせようと目に力を入れてみた。
 ふと移動した視線の先に人影があった。
 幸子は体を小さくビクッと震わせたが、その人影が誰なのかを確認すると、自分の心の動揺を隠そうとでもするように、わざと大きな声を出した。
「なによ、勝手に人の部屋に入らないで欲しいわね」
「ごめんなさい。でも、夕飯の用意ができたっていくら呼んでもダイニングに来ないもんだから、こうして持って来たのよ」
 その人影――安江が申し訳なさそうに応えた。
「じゃ、用が済んだんなら出て行ってよ。食べ終わった食器は台所へ返しておけばいいんでしょう?」
 幸子が無愛想に応じた。
「でも……」
「なによ? まだ何かあるの?」
「あなたが学校から帰ってきた時に言ったでしょう――ゆっくり話し合ってみましょう、って。今がそのチャンスじゃないかしら」
「よしてよ。今更、アンタと話し合うことなんて何もないわ」
「そうかしら? 幸子さん、私のことを避けてるように思えてならないのよ。その理由を聞きたいんだけど……」
「そんなこと、私の勝手でしょ。いちいちアンタと話してみても仕方のないことよ」
 幸子の声が僅かに尖った。
 その幸子の言葉に対して安江は僅かに首をかしげると、クスッと笑いながら優しげな声を返した。
「そんなに恐い声を出さないでちょうだいな――ああ、そうか。お腹が空いてイライラしてるのね? それじゃ、お話は私が持って来た夕飯を食べてからにしましょうか」
 安江はそう言うと、ベッドの上に上半身を起こした幸子の目の前に、食事の載ったトレイを差し出した。
 幸子は顔をそむけた。
「ダメよ。ちゃんと御飯を食べないと、大きくなれないわよ」
 安江は、まるで幼児に対するような口調で言った。それまでの、どちらかというと幸子に遠慮しているような口調とはまるで違ったものだった。
 幸子は怪訝そうな表情で安江の顔を見た。
 そんな幸子の顔を面白そうに見返すと、安江は口調を変えずに言葉を続けた。
「あらあら、仕方ないわね。いいわ、ママが食べさせてあげるから」
 安江は大きな皿に入ったシチューをスプーンですくうと、「はい、アーンして」と言いながら幸子の口元に近づけていった。
 幸子は安江の顔を見据えたまま、少しばかりも口を開こうとはしない。
 ふと、幸子の心に一つの考えが浮かんできた――これまで猫をかぶってたのが、パパが出張でいないのをチャンスにこの家の主導権を握るつもりじゃないかしら? そのつもりで私のことを子供扱いしてるんだわ。そうでなきゃ、私との話合いが嬉しい筈なんてないもの。でも、そうはさせない。アンタの言うことなんて、絶対にきかないわよ。
 幸子は思わず安江の顔を睨みつけた。
「これでもダメなの? しようのない子ね」
 安江はわざとのように呆れた声を出した。
 それでも、幸子は全く表情を変えない。
 安江は小さく溜息をつくと、シチューの入ったスプーンを自分の口に咥えた。
 さすがにこれには幸子も驚いたような表情を浮かべた。いったいどうする気だろう?と思いながら幸子が見つめる中、安江は口の中のシチューを僅かに咀嚼すると、スプーンをトレイの上に戻した。
 幸子の視線がなにげなくスプーンを追いかけて安江の顔から離れた瞬間、安江の体が大きく動いた。
 幸子がハッと思った時にはもう遅かった。
 安江の左手は幸子の背中まで廻され、右手は後頭部に添えられている。
 幸子が再び視線を正面に向けた時には、目の前に安江の顔が大きく迫っていた。
 幸子が安江の手を振りほどこうとしている間に、安江の唇が幸子の唇に重なった。
 幸子の胸がドキンと高鳴った。
 安江の口から舌が伸びてきて、幸子の上唇をペロリと嘗めた。
 幸子の鼻が大きく膨らんだ。
 幸子の上唇を嘗めていた安江の舌が移動し、上下の唇を開かせるように強く差し込まれた。同時に、幸子の後頭部を支えている手に力が入る。
 反射的に、安江の舌の動きに抗おうとしていた幸子の唇から力が抜けた。
 安江の唇が大きく開き、それにつられて幸子の口も大きく開いた。
 幸子が思わず顔を赤らめた時、口の中にクリームのような香りが強く感じられた。それと同時に、適度につぶれたジャガイモの感触が広がる。
 幸子の舌が無意識のうちに動くと、その上に載っているジャガイモやニンジンを喉の奥へと送りこんだ。やがて、ゴクンという音と共に幸子の喉が僅かに動く。
 その様子を見届けた安江は、そっと唇を離した。それから幸子の体に巻き付けていた腕を静かにほどくと、ニコッと笑いかけながら、少しばかりからかうような口調で言った。
「あら、口移しなら上手に食べられるのね。幸子ちゃんはまだ赤ちゃんだったのかしら」
 安江の言葉に、幸子の顔がまっ赤に染まった。それは羞恥のためだけではなく、『幸子さん』から『幸子ちゃん』へと安江が呼び方を変えたことから感じる屈辱のためでもあった。
「じゃ、もっと食べさせてあげるわね。次は魚のパテがいいかしら?」
 安江が再びスプーンを手に取りながら言った。
 それに対して、幸子は大きく首を横に振ってみせるのが精一杯だった。恥ずかしさと屈辱のあまり、言葉が口から出てこないのだ。
「そう、仕方ないわね……それじゃ食事は後にしましょう」
 安江はそう言うと、持ち上げかけたスプーンをトレイに戻した。
 幸子はホッとしたような表情を浮かべたが、それも束の間だった。次の瞬間には、もっと恥ずかしい状況に置かれることになってしまうことになる。
 トレイの前から離れた安江が幸子の前に立つと、いきなり、幸子のスカートの中に左手を差し入れてきた。
 それだけではない。
 安江の右手は、幸子のベストのボタンを器用な手付きで外し始めた。
 幸子は逃げようとして、手足をバタバタと動かした――しかし、それは幸子の頭の中だけのことだった。実際には、あまりのことに体が硬直してしまい、指一本さえも動かすことができなくなっていたのだ。
 幸子の顔に怯えが走った。
「わ、私をどうしようっていうの……?」
 聞こえるか聞こえないかの声でそう言うのが、幸子にできる精一杯の抵抗だった。
「十六歳にもなれば、私が何をしようとしてるのかくらい、わかるでしょう?」
 安江はクスクス笑いながら、左手を幸子の内腿に這わせて応えた。
 それまでまっ赤に染まっていた幸子の顔からスッと血の気がひいた。体が小刻みに震え始めるのを感じつつ、幸子は抗弁した。
「やめてよ。私たちは血はつながっていないけど親子なのよ。こんなこと、許されることじゃないわ」
「あら。たった今まで、私のことを母親だなんて認めてなかったんじゃないの。それならいいんじゃなくって?」
 幸子には返す言葉がなかった。
 それでも、奥歯をギュッと噛みしめて、なんとか反論の材料を探そうとしてみる。
 その間も、安江の両手は動きを止めなかった。右手はベストのボタンをすっかり外してしまい、今度はブラウスのボタンを掴んでいるし、左手は幸子の最も敏感な部分をスキャンティの上からかろやかに撫ぜるような動きをみせている。

 もっとも、その頃には、驚愕のために起きた金縛り状態は治まっていた。動かそうと思えば幸子の手足は自由に動かせる状態に戻っていたのだ。
 だが、幸子は動かなかった。
 今度は、心の中に二つの思いが渦巻き、どちらに従えばいいのかわからなくなってしまったのだ。
『こんな女にこの家の主導権を握られてたまるもんか。この家には死んだママの匂いがしみついてるのよ。それを今更、別の女に渡すものか』
 一つの思いはこうだった。父親から再婚話を聞かされ、初めて安江に会って以来心にあった思いだ。
 そこへ、幸子が予想もしていなかった思いが割り込んできた。それは次のようなものだった。
『そんなに意地を張ることはないわ。本当のママは死んじゃったんだし、この人が新しいママなのよ。さっきシチューを食べさせてくれた時の唇、とっても柔らかかったわ。もういちどママに甘えるのも悪くないわよ』
 そう。口移しでシチューを食べさせられた時に、この思いが突如として浮かんできたのだ。
 それまで父親との生活に不満を抱いても、それを口にすることはなかった。子供心にも、父親の方がどれほど寂しいのかを感じていたせいだ。そんな、言ってみれば感情の捌け口のない生活を続けてきた幸子の前に、突如として新しい母親が現れたのだ――しかも、死んだ母親にそっくりの。
 幸子の心の深い部分は、初めて安江に会った時、自分が安江に無条件に甘えてしまいそうな予感を覚えた。それはそれで悪いことではないだろう。だが、そうなってしまえば、これまで自分が送ってきた生活の意味というものがなくなってしまいそうにも感じられた。不満も言わずにじっと耐えてきた六年間が無意味になってしまうように思えたのだ。
 だからこそ、幸子は無意識のうちに心の中に壁を造った。安江という存在を自分の心の中に侵入させないための壁を。それが安江に対する反発心だった。
 だが、心の中の壁に比べると、実際の肉体の感触は圧倒的な存在感を持っていた。だからこそ、たった一度唇を重ね合わせただけで、安江を認めようとする思いが生まれたのだ。
 そして今、心の壁を支える思いと、安江のふっくらした唇の柔らかな感触によって生まれた新しい思いとが、激しくせめぎ合っている。

 対立する二つの思いに捕らわれ、身動きできなくなっている筈の幸子がビクッと体を震わせた。
 安江の左手が遂にスキャンティの中にまで潜りこみ、その中指と薬指が幸子の黒い茂みの中にわけ入ろうとし始めたのだ。安江の指使いは決して強引ではなく、茂みが揺れるサワサワという音が聞こえてきそうに思えるほど微妙なものだった。
 しかも、安江の右手はとっくにブラウスのボタンも全て外し終えてしまい、更に、ブラジャーのホックを外すために背中の方へ廻りこんでいるようだ。
 幸子の口から小さな喘ぎ声が洩れた。
 まだオナニーの経験もない幸子にとって、安江の左手は未知の部分への侵入者であると同時に、全く新しい快楽を教えてくれる伝道者でもあった。
 安江の左手は茂みをかき分けて進み、それまで固く閉じられていた秘所に達した。
 同時に、ブラジャーが外されて露になったピンクの乳首を安江の口がふくんだ。
 ついさっき幸子の唇を開かせたばかりの安江の舌が、今度はツンと固い乳首の上を這い始めたのだ。
 自分の意志に逆らうように、次第に口がだらしなく開き、目がトロンとしてくるのが感じられる。
 安江の舌が乳首から離れ、代わりに、唇が乳首を刺激し始めた。時には優しく咥えて捻り、時にはコリコリと噛んでみる。舌も、直接は乳首を刺激しないものの、その周囲の乳房に吸い付くようにチロチロと嘗め回してゆく。
 幸子の秘所が、まるで泉が湧き出たように濡れ始めた。ただ、それは清らかな泉の水のようにサラサラしたものではなく、ネットリした感触を安江の指に伝えている。
 安江の中指が愛汁の糸を牽きながら、幸子の、クレバスの中に在る泉の中へと入って行った。そこはそれまで誰の侵入も受けたことのない神殿だったが、安江の指の動きは固く閉ざされた肉の門を軽々と開けてしまい、更に奥深くへと進もうとする。
 初めて味わう感覚は、幸子の理性を簡単に吹き飛ばしてしまった。
 そんな状態で、せめぎ合っていた二つの思いのうち、より本能に近い方が勝利を得るのは明らかだった。
 幸子は大きな声で「ママ」と叫びながら、自分を愛撫し続けている安江の体に自らの体重を預けていった。



 天井から、水滴が一つ落ちてきた。
 それが、裸の幸子の背中に命中する。
 キャッ、と小さく叫ぶと、幸子は椅子からとび上がって安江の体にしがみついた。そんな幸子を、安江の両手が優しく包みこむ。
 微かに湯気が立ち込める早坂家の浴室での光景だ。
 本能が予想したように、幸子は死んだ母親の代わりに安江にベットリと甘え始めた。それはまるで、母親と離れていた六年間の時間を取り戻そうとでもするようにもみえたし、又、これまで反発していた反動が一気に押し寄せてきたようにもみえた。
 そして、入浴にしても安江と一緒でなきゃイヤだと言うまでになってしまったのだ。
 安江にしてみれば、幸子が自分にまとわりついてくることは決して煩わしいものではなかった。むしろ、非常にいとおしく感じている。
 安江はソッと幸子を抱き寄せると、浴室の床の上に座らせた。とはいっても、柔らかなバスマットのおかげで幸子が痛みを感じることはない。
 安江は自分も床にお尻をおろすと、かるく広げた両脚の上に改めて幸子を座らせた。プルンと張ったお尻の感触が太腿に感じられ、いとおしさが倍加する。
 安江が両手の力を増すと、幸子の体がグッと引き寄せられた。安江は胸を張り、目を潤ませている幸子の顔を、自分の胸の谷間に埋めさせた。
 幸子はそのままおとなしくしていたが、やがておずおずと安江の顔を見上げ、悪戯っぽい目つきになると、ツンと突き出た安江の乳首にむしゃぶりついた。子供を生んでいない安江の乳房は弾力に富み、幸子の顔の動きに合わせてリズミカルに揺れ始める。
 愛撫の一つとして安江の乳房を刺激する夫とは違い、幸子の口の動きは本能的なものだった。まるで母乳を求める乳児のように、手加減やテクニックというものとは無縁のその動きに、安江の胸が熱くなった。同性に乳房を愛撫されるなんともいえない快感と、赤ん坊に母乳を飲ませているような満足感とが混ざり合い、安江の心に奇妙な感覚がさざ波のように走った。
 幸子にしても、それは同じだった。
 自分が果たして母親を求めているのか、それとも、性欲を満たしてくれる相手を求めているのかわからないままの行為なのだ。
 とはいっても、まだ経験のない少女にとって、それらの区別は本来的に曖昧なままなのかもしれない。幸子にとっては、甘えられる相手と快楽を与えてくれる相手とを区別すること自体が意味のないことなのかもしれないのだ。

 いつのまにか、二人はバスマットの上に横たわっていた。
 幸子の顔の前には安江の秘部が、安江の目の前には幸子の下腹部が見えている。いわゆるシックス・ナインという形だった。
 幸子は言うに及ばず、安江にとっても、そのようなアクロバチックな姿勢を取ったのはこれが初めてのことだった。それがどうして男女の営みさえ知らない幸子を相手にこうなったのか、考えてみてもわからなかった。ただ、幸子と安江が互いの体を求め合っているうちにこうなっていたのだ。
 おそらくは、そうしようと思ってなったことではないだろう。そうするには、相手の幸子はあまりに若過ぎる。かといって、それを偶然と言うにはできすぎた話だ。
 考えられることは一つ――しらぬまに、幸子と安江は互いになくてはならない存在になりつつある、ということだった。互いに相手を必要とするからこそ、相手の最も大切な部分を自分の最も柔らかな部分で愛撫し、したたる愛液を自らの体内に取り入れようとするのだ。そうした欲求が、自然とこのようなポーズを取らせることになる。
 だが二人にとって、そんな理屈はどうでもいいことだった。
 自分の尻尾を呑みこもうとする一匹の大きな蛇のように、互いにつながった二人は体を震わせ、ピチャピチャと音をたてながら相手の愛液をむさぼっている。
 相手の泉から愛液をしたたらせるために動く舌はそれ自身が一匹の軟体動物のようにウネウネと蠢めき、時おりヘアを絡みつかせながらも休むことなく、己の役割を果たそうとしていた。
 ただ、それでも、時には相手の秘部から離れることもないではない。それは、相手から与えられる刺激に耐えきれなくなり、喘ぎ声をあげる時だった。さすがにその時ばかりは、舌の先からトロリとした愛液の糸を牽きつつ、相手の下腹部から顔を離すのだった。
 それは果てしなく続く愛の営みだった。
 男と女の間にはいつか射精の時が訪れ、行為は終わってしまうものだが、女と女の間にはそんな無粋なものは無縁だ。どちらかが絶頂を迎えたとしても、もう一人が本能と体の欲するまま、延々と続ければよいことなのだ。男と女の間には決して生まれない、それは愛のメビウスの輪なのかもしれない。

 とはいうものの、現実にはいつまでもそうしていられる訳でもない。
 初秋の季節に、浴室とはいえ全裸のままでいれば体も冷えてくる。


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