ステディベビー


 マンションのほの暗い寝室に据えられたベッドの上に、シーツで下半身を包みこむようにして、二十歳くらいの娘が仰向けに横たわっている。その白い体におおいかぶさるみたいにして、少し華奢な体の青年がベッドに這い上がってきた。その細っこい体つきからは想像できないくらいに激しく屹立したペニスの影が股間に揺れている。
 青年は娘の下腹部を隠している純白のシーツを荒々しく剥ぎ取ると、自分の体を娘に押し付けた。
「こらこら。せっかちすぎるわよ、真琴。……ま、いつものことだけどさ」
 娘はほんの少し苦笑しながら青年に言った。
「いいじゃない。舞奈だってさっきから待ってたくせに」
 真琴と呼ばれた青年は微かに鼻を鳴らして応えた。その声は男性にしては妙に高く、どことなく女性的な喋り方だった。
「うふふ、たしかに真琴の言うとおりね。いいわ、来て」
 けれど舞奈は真琴のそんな喋り方なんてちっとも気にするふうもなく、クスッと笑うだけだった。
「わかってる。でも、もう少し舞奈の柔らかな肌の感触を楽しんでからにする。……だいいち、まだ濡れてないんでしょ?」
 真琴は舞奈の股間にちらと視線を投げかけて言った。
「あったりまえよぉ。ついさっき、おネグを脱いでベッドに入ったばかりなんだから。まだ真琴の指一本、私の体には触れてもないのよ。そんなので濡れる筈ないでしょ?」
 舞奈は真琴の背中に両手をまわし、人差指の爪を這わせて言った。僅かに挑発するような、なにかねっとりと絡みついてくるみたいな声だった。
「あはは、そりゃそうだよね。いいさ。今からたっぷりかわいがってあげる。――こんなことをするのは、まだちょっぴり早すぎたかもしれないね」
 真琴は悪戯っぽく微笑むと、自分の股間に揺れる大きなペニスを持ち上げてみせた。
 その時、雲に隠れていた月が顔を出し、レースのカーテンを通して青白い光が窓から差し込んできた。
 冷たい光に室内が照らされて、真琴と舞奈の姿がくっきり浮かび上がった。
 両手を伸ばして真琴の体を引き寄せるようにしている舞奈は、どことなくペルシャ猫を思わせる雰囲気を漂わせていた。月の光を受けたきめの細かい肌がなまめかしく輝いている。
 そして真琴の方は……真琴は青年ではなかった。全体にきゅっと引き締まった体つきと短い髪、それに股間に誇らしげに屹立しているペニスのシルエットのためにてっきり男性だとばかり見えていた真琴は、舞奈ほどには発育していないながらもツンと上を向いた乳首の張りのある見事なバストを持つれっきとした女性だった。年齢は舞奈と同じくらいだろうか、少し細い顔に、けれど赤々した唇と長い睫が思わず男性の視線を惹きつけずにはいられないだろう、ひどく魅力的な娘だった。そうしてそのペニスは、実際に真琴の股間に生えているものではなかった。黒光りする硬質ゴムでできた作り物のペニスを突き出したベルトを真琴が腰に着けていたため、さほど明るくない寝室の照明の中で実物のように見えただけだった。
「くすっ。そうね、もう少し体をほてらせてからそのベルトを着けてもいいと思うわ。それに、それを使ってる時には真琴は腰を振って疲れるだけなんでしょ? ……私の方は何もわからなくなるくらい昇りつめちゃうけど」
 舞奈は真琴の背中につんと爪を立てて言った。
「けど、そうでもないんだ。私が腰を動かす度に目を閉じて表情を変える舞奈の顔を見ると私も体が疼いてくるんだから。……もっとも、これが本物で、舞奈の中で蠢いてる時にどんな感じなのか実際に味わえたらいいのにって思うことも確かにあるけどね」
 真琴は耳元で囁いてから、舞奈の乳首にそっと唇を寄せた。
「あ、ん……」
 舞奈はびくんっと体を反らせた。
「うふふ、舞奈は本当におっぱいが感じやすいんだね」
 真琴は舞奈の乳首を舌の上で転がしながら微笑んだ。
「そうよ、おっぱいは私の一番の弱点だもの。んん――真琴の舌、まるで吸いついてくるみたいだわ……」
 舞奈はとろんとした目になって言った。
「それじゃ、これでどう?」
 真琴は右の乳首を口にふくんだまま、右手の人差指と中指で左の乳首をつまんでこりこりと摩り始めた。
「あ、ああん……くぅん……」
 舞奈は体をのけぞらせて、絞り出すみたいな声を洩らした。
 そのあられもない姿を目にして思わずごくりとツバを飲み込んだ真琴は尚も愛奈の乳首を責め続ける。
「くふぅ……そう、そこよ……」
 舞奈は僅かに腰を浮かせ、真琴の下腹部に肌を密着させながら喘いだ。
 真琴の唾が舞奈の乳首をてらてらと光らせる。
「ねえ、真琴……」
 息を荒げながら舞奈が細く目を開いて、すぐそこにある真琴の顔に言った。
「なに?」
「……私ね、赤ちゃんが欲しいの」
「赤ちゃん……?」
 思いもしなかった舞奈の言葉に、真琴は思わず舌の動きを止めて問い返した。
「そう、赤ちゃんよ。私、真琴の子供が欲しいの」
 真琴の困惑なんて気にとめるふうもなく、舞奈は微かに微笑んでみせた。
「そんなこと言ったって私だって女の子なんだから……いくら舞奈のことを好きでも、子供なんて……」
「わかってるわよ、そんなこと。でも、頭ではわかってても、体が欲しがるんだもん。私のおっぱいを幸せそうに吸ってくれる可愛い赤ちゃんがどうしても欲しいんだもん」
 舞奈はちょっと拗ねたように、舌の先を唇から可愛らしく突き出した。
「う〜ん、困ったなあ。でも、ムリなものは無理なんだし。――仕方ない。そんなこと忘れちゃうくらいに責めてあげる。だから、もう……」
 真琴はちょっと考え込むみたいな顔をして、でもじきに頭をぶんぶんと何度も振ると、再び舞奈の乳首をさすりだした。
「ああん、ごまかさないでよぉ」
 舞奈は恨めしげな声でそう言ったけれど、真琴の動きに次第次第に我を忘れ、甘い愛撫に全てを委ね始めてしまう。
 黒い雲が再び月の光を遮った。
 暗い寝室に蠢く二人の白い体が夜の闇に溶けこんでいった。



 正門のすぐ近くに建っている学生会館の二階にある美術部の部室で、舞奈が独りイーゼルに向かってペイントナイフを動かしていた。
「あの……」
 エプロンが汚れるのも気にせずにカンバスに絵具を重ねることに意識を集めていた舞奈の背後から、不意に声が聞こえた。
「きゃっ」
 予想もしなかったことに思わず悲鳴をあげた舞奈がペイントナイフを固く握りしめたまま振り返ってみると、美術部の後輩で独文科の一年生・川合薫が思い詰めたような表情で立っていた。知らなければ少女と見紛うばかりの(それも、かなりの美少女だ)、愛くるしい顔をした華奢な体つきの男の子だ。
「ああ、びっくりした。ミーティングも終わったし、みんな帰っちゃったと思ってたのに急に声をかけてくるんだもの……」
 ほっとしたような顔になった舞奈は、照れくさそうな笑みを浮かべて薫に言った。
「あ、あの、すみません。でも、先輩が独りになるのを待ってたから……」
 薫はおどおどした様子で、伏し目がちに言った。
「私が独りになるのを待ってた? みんなに聞かれちゃ困るような相談でもあるのかしら?」
 薫の言葉に、舞奈はペイントナイフをそっと置いて、あらためて彼の顔を見上げた。
「あ、はい……。相談とかじゃないんですけど、あの……」
 薫は更に目を伏せた。
「どうしたっていうのよ。たいして役にはたてないかもしれないけど、とにかく話してごらんなさいな」
 舞奈は自分の顎先に中指を押し当てて言った。
「はい、えと……」
 薫は左手の肘の辺りを右手でぎゅっと握って少しだけ顔を上げた。
「……」
 舞奈は今度は無言で頷いてみせた。
「……年下は嫌ですか?」
 なにか決心を固めたような表情の顔を上げて、薫は震える声で言った。
「どういうこと?」
 舞奈は片方の眉をちょっと吊り上げて訊いた。
「あの……僕とステディになってもらえないでしょうか……」
 今にも消え入りそうな薫の細い声。
 舞奈は呆気にとられたような顔になった。それからちょっと肩をすくめてみせると、悪戯っぽい口調で言った。
「ステディなんて、ずいぶん古い言い方を知ってるのね。いまどき、中学生だって使わないんじゃないかしら、そんな言葉?」
「からかわないでください。どうしても僕、先輩のことが気になって……。年下じゃダメですか?」
「……」
 舞奈は返事をしなかった。
 舞奈にしてみれば、年下も年上も関係ない。ただ、舞奈には、男の子よりも女の子に惹かれるというちょっぴり変わった性癖があって、現に、高校からのクラスメイトで今は仏文科の同じゼミ仲間である真琴と一緒に部屋を借りて夜ごと激しく愛し合ってもいるくらいだ。そのことはゼミの友人にもクラブの仲間にも知られないように気をつかっている。だから、まさか舞奈にレズっ気があることなんて薫は知らないんだろう。
 さあ、どう言って断ろうかしら。でも、男の子とはいってもこんなに可愛い子をフっちゃうなんて勿体ないような気もするし……。
「……返事はいつでもけっこうです。でも、僕の気持ちを知るだけは知っておいてもらいたかったから……」
 薫は再び目を伏せた。
「そうね……」
 舞奈は曖昧な口調で応えた。
 その時、微かに木が軋む音をたてて部室のドアが開いた。
 はっとしてドアの方に顔を向ける二人。
 引き戸になっているドアを開けて部室に入ってきたのは真琴だった。
「舞奈、まだ終わらないの? 五号の絵なんて、ちょいちょいって簡単に描けるんでしょ? さっさと終わらせて、甘い物でも食べに行こうよ」
 真琴はイーゼルに立てかけられている小振りのカンバスを覗きこんで言った。
「や〜ね、美術オンチは。画っていうのは大きさじゃないんだからね」
 鼻の周りに小皺を寄せて、たしなめるように舞奈が言った。それから、なんとなくホッとしたような顔つきになると、薫の方に向き直って言葉を続ける。
「同じゼミの吉田真琴よ。初対面だったわよね?」
「あ、あの、川合薫です。佐野先輩とは同じ美術部で……」
 薫はどぎまぎしたように慌てて真琴に向かってぺこりと頭を下げた。そして、顔を伏せたまま小さな声で舞奈に
「……じゃ、先輩、今日はこれで失礼します。僕の言ったこと、本当に考えていてくださいね」
と言うと、開いたままになっているドアから廊下へ一目散にとび出した。
「どうかしたの?」
 まるで逃げ出すみたいに走り去った薫の後ろ姿を見送りながら真琴が尋ねた。
 廊下を駆けて行く薫の足音が微かに聞こえてくる。
「うん、ちょっとね……」
 舞奈は謎をかけるみたいに言葉を濁した。
 悲鳴が聞こえたのは、そのすぐ後だった。それから、微かな鈍い音が何度も続く。
「川合クンの声だわ」
 舞奈はガタンと音をたてて椅子から立ち上がると、そのまま廊下に出て階段の方へ駆け出した。その後を少し遅れて真琴が追った。

 階段の手すりから身を乗り出すようにして下を覗きこんでみると、学生会館の玄関ホールに薫の体が倒れているのが見えた。
「やだなー。かっこわるいところ見られちゃった」
 慌てて階段を駆けおりて側に寄ってみると痛みに顔をしかめて、それでも意識ははっきりしているようで、薫が舞奈の姿をみとめて、はにかむように笑ってみせた。
「大丈夫なの?」
 舞奈は薫のすぐ横に膝をついて様子を窺った。
「ええ、なんとか。――階段を踏み外しちゃったんだけど、頭とかは打たずにすんだみたいだから」
 薫は手を振ってみせようとした。が、咄嗟に頭や顔を庇った両手には小さな擦り傷がいっぱいできていて、その痛みのせいでなかなか思い通りには動かせないみたい。
「いいから、そのままじっとしてなさい」
 舞奈は強い調子で言うと、横座りのような姿勢で倒れている薫の股間をじっと覗きこんだ。更に舞奈は不意に左手を動かすと、薫が穿いているジーンズのファスナーを引き下げてしまい、その中に掌を差し入れた。コットンのブリーフを通して、舞奈の掌が何かを探るように股間を這う感触が薫の背筋をぞくりと駆け抜ける。
「やだな先輩、こんな所で……」
 恥ずかしさをごまかそうとでもするように、薫が冗談めかして体をくねらせた。けれど、じきに痛みのせいで微かに顔が歪む。
「だから、動かないでって言ってるのよ。――うん、ほんとに大丈夫みたいね」
 しばらく薫の股間を掌で感じていた舞奈が、ほっとしたように言った。
「なにが大丈夫なの?」
 様子を眺めていた真琴が、舞奈の肩越しに声をかけてきた。
「あ、うん。――意識はしっかりしてるみたいなんだけど、ひょっとして腰を打って脊椎をいためてたりしたら怖いのよ。それで、失禁してないかと思って確かめてみたの」
 舞奈は落ち着いた声で応えた。
「失禁って、あの……オモラシのことですか?」
 舞奈の説明を耳にした薫が少し顔を赤らめて訊き返した。
「そうよ。脊椎をいためて神経が傷つくと、意識とは無関係にオモラシしちゃうことが多いの。でも、パンツは濡れてないみたいね。たぶん、神経の方も大丈夫だと思うわ」
 舞奈は頷いてみせた。それから真琴の方を振り返ると、てきぱきした声で言った。
「車は学生会館の前ね? 川合クンを医務室へ運ぶから手伝ってちょうだい」

 舞奈たちが通っているS大学は全国的にも有名な総合大学で、つい一年前に、それまで都心近くにあったキャンパスを郊外の広大な土地に移転させたばかりだった。そのため、通学をするにも構内を移動するにも、バイクや車が必需品みたいになっている。移転以来、舞奈と真琴は共同でワゴンを買って、真琴の運転で一緒に通学するのが日課になっていた。
 そのワゴンで薫が連れてこられた医務室は、広大なキャンパスの一角を占める本部棟の一階に設けられている。医務室とはいっても中学校や高校の保健室などとは設備も規模もちがっていて(一万人を超す学生や職員が利用するんだから当然だよね)、町の小さな診療所よりも確実な治療ができるほどだった。
「ふーん……」
 三十歳台半ばの女医は机の上で何枚ものレントゲン写真のフィルムを明かりに透かして見ながら感心するように鼻を鳴らした。
「……学生会館の二階から階段を転げ落ちたにしては、骨折もないし頭部打撲もないみたいだし、なかなか上手な落ち方をしたものね」
「あ、いえ……踊り場からです……」
 診察台に横たわったまま、薫は恥ずかしそうに訂正した。
「同じようなものよ。滑ったんじゃなくて転げ落ちたんでしょう?」
「ええ……」
「それでこの程度の傷ですんだんだもの、ほんとラッキーよ。ただ……」
 それまでの笑顔を微かに曇らせて、女医が言い淀んだ。
「ただ……?」
 思わず不安げな声で薫が言葉を返す。
 その横で、舞奈と真琴がふと目を見合わせた。
「頭部を庇ったために、両腕がかなりの衝撃を受けたようね。それに、どこかで引っ掛かりでもしたのか膝が不自然に引っ張られたみたいなストレスを受けてるわ」
「……」
「そのせいで、両腕と両脚の関節と腱が伸びて肉離れに近い状態になってるの。痛みは明日にでも治まるでしょうけど、ちょっと不自由な日が続きそうね」
 女医は、レントゲンフィルムの所々を赤いペンでチェックしてみせた。
 けれど、そんなものを見せられたところで薫たちに理解できる筈もない。それよりも、『不自由な日が続く』といった女医の言葉がひどく気がかりだった。
「あの……不自由っていうのは……」
 薫は女医の顔を振り仰いだ。
「ためしてみましょうか。――手を握ってごらんなさい」
 女医は僅かに腰をかがめると、薫の顔色を確認しながら穏やかな口調で言った。
 薫はぎこちなく頷くと、診察台の上に力なく伸ばしたままになっている右手に力を入れた。入れたつもりなのに……妙な無力感ばかりを覚えて、かんじんの掌がなかなか動かない。
 薫は微かな苛立ちを覚えながら右手に意識を集中した。そうすると、やっとのことで五本の指がのろのろと動き始める。
 握り拳ひとつつくるだけのことに、薫は途方もない労力を費やしたような気がした。しかも、そうして握りしめた拳に女医がボールペンを握らせてみると、それは僅かな抵抗もなく滑り落ちてしまうのだった。薫の掌は、ほんの形だけ握り拳になっているにすぎなかった。
「……」
 薫は、診察台の上に転がるボールペンを無言で見つめた。
「つまり、そういうことなのよ。たぶん、一ケ月近くは同じような状態が続くと思うわ。――自宅から通学してるの?」
 女医はボールペンを拾い上げ、慣れた手つきでカルテを書きながら言った。
「あ、いいえ。……大学近くのワンルームマンションで独り暮らしです」
 薫は不安にかられた様子で声を震わせた。
「そう……。そうすると、大学はしばらく休むにしても、普段の生活が大変ね」
 学生の悩みや相談事に応対するカウンセラーも兼ねている女医が僅かに困ったような顔になった。
「あの……」
 薫と女医との会話に割り込んできたのは舞奈だった。舞奈は薫と女医の顔を見比べるみたいに視線を動かして言った。
「……クラブの後輩だし、私のマンションに連れて帰ります。私の方は単位も殆ど揃ってるし、大学を休むにしても、ゼミの先生に事情を話せば力になってもらえると思いますから」
「でも、だって……」
 薫は診察台の上で力なく首を振った。
「遠慮しなくてもいいのよ、可愛い後輩のことなんだから」
 舞奈は優しく微笑んでみせた。そして薫の耳元に口を寄せると、他の人たちには聞こえないような小さな声で囁いた。
「私への想いを伝えるためにわざわざ部室へやって来たおかげでこんなことになっちゃったんだから。……それとも、私と一緒に生活するのはイヤかしら?」
「あ……」
 薫の頬が赤く染まった。



 夜ごとに舞奈と真琴が愛の営みを送る大きなダブルベッドの上に、今は、薫の愛らしい顔があってすやすやと寝息をたてている。帰ってくる途中に服んだ痛み止めの薬が効いてきて車の中で眠りこんでしまった薫の体を舞奈と真琴が抱えて寝室へ運びこんだのが三時間ほど前のことだった。
 カチャッとノブの回る音がして、静かにドアが開いた。
 足音を忍ばせるみたいにして寝室へ入ってきたのは、両手に紙袋を堤げた真琴だった。
「どう?」
 ベッドの方にちらと目を向けて真琴が尋ねた。
「寝返りもうたずにおとなしいものよ。もっとも、手足があの様子じゃ、寝返りをうちたくてもできないでしょうけどね」
 舞奈も改めてベッドに視線を移して応えた。
「こうして見ると、随分と可愛い顔をしてるね」
 真琴は満更でもなさそうに言った。
「手を出しちゃダメよ。真琴は私だけ見てればいいんだから」
 舞奈はわざと睨みつけるような怖い目をしてみせた。
「わかってるよ。それよりも、舞奈の方がどうなることやら。こんな可愛い子に言い寄られたんだもの、悪い気はしないよね?」
 部室での出来事を薫が眠ってしまった後に車の中で舞奈から聞かされていた真琴は、ひやかすみたいに軽くウインクしてみせた。
「うふふ、そうね。でも、私のお相手は真琴だけよ。……この子には、別の役割があるんだから」
 奇妙な輝きを宿した瞳で薫の姿を眺め回しながら舞奈が言った。
「やれやれ、本気なの?」
 真琴はちょっとばかり呆れたような表情を浮かべた。
「本気に決まってるわ。こんな可愛い子が自分から飛び込んできてくれるなんて、神様からのプレゼントにちがいないんだから。――もちろん真琴も協力してくれるわよね?」
 舞奈は静かに振り向いた。
「はいはい、わかってますよ。何か言い出したら絶対に諦めない舞奈の性格は高校時代からよーく知ってるもの」
 真琴は微かに肩をすくめてみせた――そんな舞奈の性格のせいで、いつのまにか私も彼女の”恋人”にされちゃったんだしね。
「それでこそ私のパートナーよ。頼んだ物、買ってきてくれたのね?」
 真琴が手にしている紙袋に視線を移した舞奈が弾んだ声で言った。
 その紙袋には、有名なドラッグストアチェーンの名前が大きく印刷されていた。
「うん。買い慣れない物ばかりだからちょっと手間取っちゃったけどね」
 真琴は二つの紙袋を舞奈の目の前におろした。
 紙袋の中をざっと確認し終えた舞奈は満足そうに頷くと、もういちど薫の方に向けた目をすっと細めた。

 ベッドの上の薫がもぞっと体を動かした。う〜んという、呻き声ともアクビともつかない声が聞こえてくる。
 そのすぐ後で、細く目を開けた薫は周囲を探るように首をまわして、やがて焦点の合ってきた目に舞奈の姿が映ると、思わず体を起こそうとした。
 だけど体を支えようとする両腕からはまるで力が抜けていて、薫の上半身は僅かもベッドから離れない。
「ダメよ、川合クン。そのままじっとしてなきゃ」
 舞奈は薫に優しくたしなめるように言って、枕を整えた。
「あ、はい……」
 自分の体がどうなってしまったのかを思い出したためだろうか、薫は意外に素直に頷いた。
「それでいいわ。へんにムリをして余計に具合がわるくなっちゃどうしようもないもの」
 舞奈は薫のさらさらの髪をそっと掻き上げて、額に掌を押し当てた。
 薫が照れくさそうに頬を染める。
「熱はないようだわ。あとはとにかく、じっとしてることね」
 舞奈はベッドの傍らからそっと立ち上がった。
 その動きを目で追う薫の目に、舞奈の後ろに隠れて見えなかった真琴の姿が映った。
「あ、吉田先輩も……。車で佐野先輩のお部屋まで送ってもらった上に今までいてくれたんですか? ほんと、いろいろとすみません」
 舞奈と真琴がルームメイトであることを知らない薫は、真琴が心配してこんな時間まで舞奈のマンションにいるのだと思って、しきりに恐縮してみせた。
「ちがうのよ、川合クン」
 薫の言葉に、舞奈は面白そうに言った。
「え? ちがうって……何がちがうんですか?」
 事情を知らない薫はきょとんとした顔つきになる。
「あのね、真琴の部屋もここなの。つまり、私たちはルームメイトなのよ」
 舞奈は、わざとのようなゆったりした口調で応えた。
「え……」
 そう言ったきり、薫は口をつぐんだ。
「しかも、私たちはこういう仲だったりするのよ」
 舞奈は真琴の側に寄り添うと、不意に唇を重ねた。

「嘘……」
 永い静寂を破ったのは、気の抜けたような薫の声だった。
「……嘘だ。先輩たちが……そんなの……」
「でも、本当のことなのよ」
 ベッドに横たわったまま肩を震わせている薫の姿をちらと見て真琴の唇から離れた舞奈が笑うように言った。
「……帰ります」
 二度三度とまばたきを繰り返し、大きく息を吸い込んだ薫は唇を噛みしめて、固い声で言った。
「吉田先輩とそういう仲だなんて知らなくて……なのに僕ったら先輩にあんなこと言っちゃって……先輩、絶対に胸の中で僕のことを笑ってたんだ。やっとのことで決心して僕が告白した時には先輩にはもう吉田先輩がいて……もういいんだ。大好きな先輩と同じ部屋にいられると思ったからここへ来たけど、もういい……もう、先輩のマンションで生活するなんてイヤなんだから……」
 薫は強引に体を起こそうとした。
 だけどいくら必死になったって、伸びきった筋肉に力が入る筈もない。
 それでも薫は体をくねらせ、身をよじった。
 しばらくは黙ったままその様子を見ていた舞奈が、すっと体を動かした。
「その体でどうやって自分のマンションまで帰るっていうの? だいいち、私は川合クンのことを嫌いじゃないし、笑ったりもしていないわよ」
 自由にならない体を苛立たしげに動かし続ける薫のお腹を掌で軽く叩くようにしながら、舞奈は薫の目を覗きこんで言った。
「だって、だって……」
「信じてちょうだい。確かに私には真琴がいるわ。でも、川合クンのことも大好きなんだから。それは本当なんだから」
「でも……」
 薫は弱々しく首を振るばかり。
「本当よ。本当に私は川合クンのことが大好きなのよ」
 子供をあやす母親のように、なおも薫のお腹を優しく叩いて舞奈は言う。そうして、胸の中でそっと呟いた――もっとも、真琴を好きなのとは全く別の意味でだけどね。
「あ……」
 突然、薫が奇妙な呻き声を洩らした。
「どうしたの?」
 舞奈は手を止めて、心配そうに訊いた。
「あの、あの……」
 薫の顔には、何かを懇願するような表情が浮かんでいた。
「痛むの?」
「そうじゃないんですけど……あの……」
 何かを訴えようとしながら、それでもそれを口にするのをひどくためらうように薫の言葉は途切れてしまう。
「どんなことでもいいから言ってごらんなさい。あなたは怪我をしてるんだから、遠慮してちゃダメよ」
 舞奈は少し厳しい口調で言った。
「……トイレ……」
 とうとう我慢しきれなくなったのか、薫は絞り出すような声で応えた。
「え? ――なーんだ、トイレだったの?」
 舞奈はホッとしたように訊き返した。
「……」
 薫は口を閉じておずおずと頷いた。
「いいわ、連れて行ってあげる。真琴、川合クンの体を起こすのを手伝ってよ」
 舞奈は薫の体にかかっている毛布をさっさと足下に滑らせると、背後の真琴に声をかけた。
 毛布の下から現れた薫は、トレーナーとジーンズを脱がされてしまっていた。
 その代わりに薫が身に着けていたのは、純白のベビードールだった。ノースリーブのベビードールは肩紐が少し幅の広いリボンになっていて、胸元にも、それとお揃いの飾りリボンがあしらわれている。丈はお尻が隠れるか隠れないかの長さで、セットになっているズロースふうの(フレアパンツの太腿のところがゴムできゅっと締めつけられたようなデザインで、その裾ゴムの周りとお尻の方に飾りレースのフリルがあしらわれた)パンツがベビードールの裾からのぞいていた。
「え……?」
 その時になって自分が知らないまに着替えさせられていることに気づいた薫は反射的に舞奈の顔を見上げた。
「服を着たままベッドに入ってもらうわけにもいかないものね。――私のなの」
 確かにそのベビードールは舞奈のお気に入りで、真琴もよく見たことがある。そして、いくら華奢だとはいっても男性の薫にそのベビードールを着せようと言い出した舞奈の顔を呆れた表情で見つめてしまった真琴だった。だけど、実際にベビードールを着せられた薫の姿をこうして改めて目にしてみると、それがとても似合っているようにも思い直してしまう。なんていうか――薫が身に着けてみると可愛らしさが強調されて、どこかあどけない雰囲気さえ漂わせているみたいに見えたりするんだ。少なくとも、ボーイッシュな真琴が着るよりもよほど似合っているかもしれない。
「でも、うふふ。川合クン、とてもよくお似合いよ。胸がないぶん、余計に可愛らしく見えるのかもしれないわね。顔も愛らしいし、ロリちゃん好きの男の子だったら、一目見ただけでとびついてきちゃうんじゃないかしら」
 舞奈は、ちょっぴりからかうみたいな調子で言った。
「……」
 そんな舞奈の言葉に薫は何も応えられずに顔を真っ赤に染めるだけだった。

 舞奈と真琴にムリヤリ抱き上げられるみたいにして(男の子とはいっても、ほんとに華奢な薫の体だもの、二人いれば軽々とだった)ベッドの端に腰かけた薫は、自分が着せられているベビードールのひらひらの裾を見ないようにしながら、心配そうな表情でそろそろと足をおろしていった。
 爪先が床に触れる感触に薫は僅かな安堵を覚え、重心を移動させて一気に立ち上がった。しかし、思うように力の入らない両脚は薫の体重を支えきれず、そのまま大きくバランスを崩してしまう。
 薫は自由にならない両手を振り回し、体を捻るようにしてかろうじて踏みとどまった。ベビードールとセットになった可愛らしいパンツに包まれたお尻を体の後ろにちょこんと突き出し、両脚をぶるぶると震わせながらやっとのことで立っている薫の姿は、そのあどけない雰囲気と相まって、伝い立ちができるようになって間もない幼児を思わせた。
 だけど、せっかく立ち上がることのできた薫も、そこから歩き出すことはできないでいるようだった。
「さ、トイレへ連れて行ってあげましょうね。私の手につかまって」
 薫の目の前に立った舞奈は掌を上に向けて両手を差し出した。
「……手なんて引いてもらわなくてもけっこうです」
 薫は真っ赤な顔で舞奈の手を振り払った。
 舞奈と真琴の仲を知ったショックはまだ消えていない。それに、れっきとした男の子でありながら舞奈のベビードールに身を包まれた(それも、それが似合っているらしいのが余計に悔しくて)恥ずかしさ。
「あら、怖い。――ま、いいわ。トイレは玄関のすぐ近くだから、一人で行けるならどうぞ」
 舞奈は悪戯っぽい目で薫の顔を睨みつけると、笑い声で言った。
「バカにしないでください。子供じゃないんだから、トイレくらい一人で行けます」
 体のバランスを取るのが精一杯でなかなか最初の一歩を踏み出せない薫だったが、それでも、意地を張っているのが明らかな声で言った。
 舞奈と真琴の視線を浴びながら、薫はかろうじて左足を動かした。途端に、右脚だけでは体重を支えきれなくなって膝ががくんと曲がってしまう。あっと言う間もなく、薫の体がお尻から床に倒れこんだ。
 毛足の長いカーペットのおかげで幾らかは衝撃が吸収されたとはいえ、手で体を支えることもできずにお尻を床に打ちつけた痛みは相当のものだったに違いない。それでも薫は舞奈に助けを求めることもなく、やっとの思いでお尻を浮かせると、まるで赤ん坊のように膝と掌を床について這い始めた。両脚に比べてもまだ腕の方が力が入りにくいため体重をなるべく膝の方にかけるようにしなければ這って進むこともままならず、知らず知らずのうちに薫は両腕をできるだけ伸ばして膝を曲げるような姿勢になっていた。そのため、かろうじて体のバランスを取りながら立っている時よりも更にお尻を後ろの方に突き出すような姿になってしまう。その姿勢でゆっくりと本当に少しずつ手足を動かすと、その度にお尻が左右にぷるんと揺れてパンツのフリルが微かに震える。
 舞奈と真琴はどちらからともなく顔を見合わせると、そんな薫の後ろ姿を微笑みながら見守ることにした。
 二人の目を痛いほど感じながら、薫は屈辱に耐えるように唇を噛みしめて手足をぎこちなく動かし続けた。
 真琴が開けたままにしていたドアの隙間をかろうじて通り抜けて廊下に出ると、膝に木の肌が直接触れるひんやりした感触が伝わってくる。ただでさえ慣れない姿勢でゆっくりとしか進めないところへ、膝を廊下にこすりつけるようにしてでないと体を動かせないため、階段を転げ落ちる時についた細かな擦り傷が痛み、這って行くスピードはますます遅くなってしまう。薫は時おり廊下にへたりこむような格好で手と脚を休めながら、まだまだ先の方にあるトイレのドアに絶望的な目を向けた。
 徐々に、けれど確実に高まってくる尿意のために、いつのまにか内腿が小刻みに震え始めていた。
「……先輩……」
 もうこれ以上は這って行くこともできなくなったのか、ズロースのようなパンツに包まれたお尻を足の裏に触れるほどに下げてしまって、薫は背後にいる舞奈を呼んだ。
「あら、どうかしたの?」
 舞奈はわざとみたいに首をかしげてみせると、のんびりした足取りで薫の目の前にまわりこんだ。
「もうダメ……助けて……」
 舞奈の視線に気圧されたように目を伏せて、薫が声を震わせた。
「あらら、おかしいわね? 子供じゃないんだからトイレくらい一人で行けますって言ったのは誰だったかしら」
 舞奈はにっと笑ってみせた。
「そんなこと言ったって……」
「いいわよ。トイレまで連れて行ってあげる。でも、その前に確認しておきたいことがあるの」
「……何ですか?」
 薫は不安そうな表情を浮かべながら、両脚の内腿を擦り合わせるみたいにして体をもぞもぞ動かした。
「もう、自分のマンションへ帰るなんて言わない? それと、自分一人じゃ何もできないことを認めて、もっと素直に私に甘えられる? ――もうわかったと思うけど、あなたはトイレさえ自分で行けない体なんだから」
「それは……」
 ついさっきの舞奈と真琴が唇を重ね合わせた光景が妙に鮮やかに頭の中に蘇ってきて、薫は言葉を詰まらせた――せっかく決心して告白したのに、先輩にもうステディがいたなんて。それも、それが女性だったなんて。そんな先輩の部屋で、しかも、そのステディの吉田先輩と一緒に生活するなんて……。
 だけど、でも。
 いくら意地を張ってみても、下腹部をじんじんと痺れさせるみたいな尿意は確かにじわりと体を這い上ってくるんだし、薫が一時もその感触を忘れられないでいるのも事実だった。舞奈に告白する前に自分を落ち着かせようとして行ったきり、あの転落事故の後はまだ一度もトイレへは行っていない。そういえば、医務室で点滴を受けた時にもトイレへ行きたくなった(薬の浸透圧とかの関係で、点滴を受けるとトイレへ行きたくなる人、わりと多いみたいだ)のに、容体を確認するのに気をとられちゃって行きそびれたし、その後は痛み止めの薬のせいで眠っちゃったし。
「どうするの?」
 薫の心の中を見透かしたみたいに、舞奈が返事を催促する。
「……いじわる……」
 思わず恨みがましい目で舞奈を睨みつけて(でも、すぐに視線を逸らしちゃったけど)、薫はぽつりと言った。
「じゃ、いいわ。そのまま一人でトイレへ行ってちょうだい」
 舞奈は静かに立ち上がった。
「あ、そんな……」
 自分の側から離れようとする舞奈の姿を目にした途端、薫は思わず悲痛な声を出してしまう。意地とか嫉妬とかいう感情よりも、肉体を直に苛む尿意と、へたをすればその尿意に負けて失禁(あ、ううん。事故の時ならともかく、こんな状況じゃ、失禁というよりもオモラシと言った方がいいかな)してしまうかもしれない羞恥の方が勝っちゃったみたいだ。
 その光景を無言で眺めていた真琴は、やっとこさハイハイを始めたばかりの小っちゃな子供が何かワガママを言って母親に叱られている様子を連想した。そして実際、舞奈の狙いもそんなところにあったんだけど。
「私の言う通りにできるのね?」
 薫が逆らえないような強い調子で、舞奈はぴしゃりと決めつけた。
 薫は弱々しく頷いた。
 舞奈は満足したようにクスッと笑うと腰をかがめて両手を差し出し、廊下についている薫の掌をそっと包み込むように握りしめた。それから、ゆっくり腰を伸ばしながら、まるで子供に対するみたいに言った。
「それならいいわ。さ、トイレへ連れて行ってあげるから立っちしてごらん」
 両手を引かれておそるおそる立ち上がりながら薫は、舞奈の言い方にかっと頬を染めてしまう。
「そんな言い方しないでください。僕は子供じゃ……」
「子供じゃないっていうの? さっきも同じようなことを言ってたような気がするけど、結果はどうだったかしら?」
 薫の言葉を遮って、舞奈はクスクス笑ってみせた。
「……」
 薫は何も言えず、ただ舞奈に手を引かれて、覚束ない足取りで立ち上がるのが精一杯だった。
「さ、行くわよ。ほーら、あんよはじょうず」
 薫をからかっているのか、それとも半ば本気なのか、舞奈はそんなふうに声をかけると、ゆっくり歩き出した。
 小さな子供のように扱われる屈辱を胸一杯に溜めこみながら、それでも、トイレへ行けずに粗相してしまう羞恥に苛まれることを考えればその方が幾らかでもマシだとムリヤリにでも思い直して少しずつ足を運ばざるをえない薫。薫はもう、舞奈に抵抗する気力さえ失いかけていたかもしれない。

 そうしてやっとのことで、もうあと三歩も行けばトイレという場所まで辿りついた時、それまでも遅れがちになりかけていた薫の脚がぴたりと止まってしまった。
「もう……歩けない。これ以上少しでも動いたら……もう……」
 薫は爪先を内側に向けて両脚をぶるぶる震わせていた。ゆっくりした足取りのせいで寝室からここまで来るのにひどく時間がかかり、次第に高まってきた尿意が限界に近づいているみたいだ。それに、いまにも倒れそうになる体のバランスを取るために不自然な力が下腹部にかかって、すぐにでもオシッコが溢れ出しそうになっている膀胱がじわじわ圧迫されてもいるのだし。
「ほら、何をしてるの。もうすぐなのに」
 でも、舞奈の方は尚も薫の両手を引こうとする。
「だって……だって……」
 薫は、いやいやをするように首を振るだけで一歩も進めない。無意識のうちに尿道を閉じようとしているのか両脚の内腿をぴったりつけて、しゃがみこみそうになっている。
「いらっしゃいったら」
 舞奈が強引に手を引いた。
 倒れるのを防ごうとして、薫の右脚がほんの僅か前に出た。
 途端に、薫の体がぶるっと震える。
「やだ……」
 薫は体をよじって舞奈の手を振りほどくと、その手で自分の股間を押さえた。両脚で鋏みこむみたいにしてぎゅっと股間を押さえる掌が小刻みに震えている。
 そのすぐ後、バランスを崩した薫の体がゆっくり後ろへ倒れこんだ。
 肩よりも少し上まで伸ばした髪がふわりと前へ流れ、大きく身開いた目で舞奈の顔を見つめながら、薫はなす術もなく膝を曲げ、廊下にお尻をつけた。
「あ……」
 半ば開いたままになっている薫の唇から弱々しい声が洩れ、何も見ていないような虚ろな瞳が舞奈の顔を見上げた。
 そんな薫の顔に、なにか安堵を覚えたような表情が浮かんだように舞奈には思えた。
はっと気がついて舞奈は視線を落とし、左右に開いた両脚の間を覗きこむようにして薫の股間に目を向けた。
 薫のお尻を中心にして、浅い水溜まりができかけていた。ううん、正確に言えば水溜まりっていうよりも、まるで廊下に広がっていく微かな滲みといった方がいいかもしれない。廊下の木目の上にうっすら滲み出た水が、じわじわと広がっていくみたいな感じだった。
「あらら、やっちゃったのね」
 あまり驚いたふうもなく、むしろ薫の失敗を喜ぶむみたいに、舞奈は笑いを含んだ声で言った。
「だめ、見ないで……」
 薫はそれまで股間を押さえていた掌を広げて、内腿の辺りを包むように両手を置きかえた。
 けれど、そんなことで、薫の股間から溢れ出している恥ずかしい水溜まりを隠すことができるわけもない。廊下に触れている薫のお尻よりもほんの少しだけ上の辺りから滲み出したオシッコは(まだ体から出て時間が経っていないせいかしら)透明で、シルクのパンツをじくじくと濡らして薄い生地を透き通らせ、その下に穿いている下着と肌の色がくっきりと浮かび上がるほどになっていた。それは、薫がジーンズの下に穿いていたブリーフなんかじゃなかった。たぶんベビードールと一緒に穿き替えさせられたんだろう、これも舞奈の持ち物らしい、レモン色のストライプがあしらわれたパステルカラーのショーツだった。ぐっしょり濡れていくパンツの生地を通して、もちろんショーツは薫の目にも鮮やかに映っていた。
「……もういやだぁ……」
 ガマンにガマンを重ねて耐えていたオシッコは、いったん流れ出した後はなかなか止まりそうになかった。薫はもう、オシッコを止めようという気にもなれず、じゅくじゅくと溢れ出してくる温かい液体の感触に浸りきることしかできなくなっていた。



 膀胱の形がわかるほどに溜まっていたオシッコをやっとのことで出しきった薫はしょんぼりと肩を落とし、舞奈や真琴と目を合わせないように顔を伏せていた。
「そんなに落ちこむことはないわよ。怪我をしてるんだもの、少しくらい失敗しても仕方ないんだから」
 バスルームの棚から急いで取ってきたタオルで廊下を拭きながら、さっきまでの意地悪と言われても仕方ないような行動が嘘みたいに舞奈は優しい声をかけた。
「……」
 でも薫は、ぴくりとも体を動かさない。
「やれやれ、しようのない子ね。――さ、立っちして」
 お尻の周りに広がったオシッコを真琴と一緒に拭き取ってしまうと、舞奈は薫の背中にまわりこんで、その腰を背後から抱え上げた。
 ただ羞恥に充ちた表情を愛らしい顔に浮かべるだけの薫は、舞奈のなすがままにゆっくり立ち上がった。かろうじて体重を支えている両脚がぶるぶる震える薫の体を真琴の手に預けた舞奈は、新しいタオルを手にして再び腰をかがめた。
「待っててね。すぐに、きれいきれいしてあげるから」
 その優しい口調が却って薫の羞恥を刺激することを知っているのかいないのか、舞奈は本当に小っちゃな子供に対するように言った。
 廊下にこぼれたオシッコはきれいになったけれど、真琴に手に支えられて立っている薫のパンツはぐっしょり濡れたままだった。パンツの下のスキャンティが気味悪く肌に貼り付いている様子が、オシッコに濡れて透けてしまったパンツを通して見えている。ベビードールとセットになっているパンツは両脚の内腿から脚の付け根の少し上までが濡れているけど、そこから上はかろうじて乾いているようだった。
 舞奈が見ている前で、パンツから流れ出したオシッコが幾つかの雫になって薫の内腿を伝ってつつっと落ちた。パンツやスキャンティの中に溜まっていたのか、それとも、生地に吸い取られた筈のオシッコが薫が立ち上がったせいで滲み出したのかもしれない。どちらにしても、内腿から伝わってくるその感触は、廊下におろしたお尻がぐずぐずに濡れていくのとはまた違った羞恥を薫の心に与えていた。オシッコの雫が股間から内腿へ、そして、膝の横を通ってくるぶしへ(肌の所々に引っかかりながら)流れて行く感触は、自分が年齢に似つかわしくない羞ずかしい粗相をしてしまったことを痛いほど薫に思い知らせているみたいだった。
「あら、こんな所にも流れてる」
 薫のパンツの裾から滴るオシッコの雫を目にした舞奈が、瞳に奇妙な光をたたえて言った。そうして舞奈は、手にしている新しいタオルを薫の両脚の間に半ば強引に差し入れると、そのタオルを、ずくずくに濡れたパンツの下から股間を押さえつけるように当てた。
「あ……」
 オシッコで濡れたパンツとスキャンティが下腹部の肌にぺっとり押しつけられ、自分の惨めな姿にすっかり萎えたペニスが股間で縮こまってしまう感触に、薫の肩が震えた。
「すぐにすむから、おとなしくしててちょうだいね。薫ちゃんはいい子だものね」
 舞奈が薫を呼ぶ時の呼び方がいつのまにか『川合クン』から『薫ちゃん』に変わったことに真琴は気がついた。真琴の目に映る舞奈は、薫を子供扱いすることを心から楽しんでいるみたいだ。そんな扱いを受けてひどい屈辱と羞恥を覚えているだろうに、舞奈の見ている前で廊下にしゃがみこんだ姿で下着を汚してしまった薫は舞奈に一言も抗弁できないでいる。
 舞奈は優しく右手を動かして、薫の羞ずかしい部分からお尻へタオルを這わせた。タオルの端は薫のペニスの先端を探るように少しばかり力強く押し当てられて、そのままさわっと擦れていった。でも、それが舞奈がわざとやったことなのかどうかは本人でなければわからない。
「これでいいわ。これで、あんよはきれいになったわね。じゃ、オシッコで汚れちゃったパンツを脱いで、新しいのと取り替えようね」
 しばらくタオルを動かし続けた後、薫の股間をじっと覗きこみながら舞奈が言った。
 薫は舞奈のねっとりと絡みつくみたいな視線を浴びたまま、観念したように力なく頷いた。
「そうよ、それでいいの。薫ちゃんはほんとにいい子だわ」
 薫のオシッコを吸ってかなり重くなったタオルを手にしたままゆっくりと腰を伸ばした舞奈がにこっと微笑んだ。
 その笑顔に、なぜとはなしに薫の胸がドクンと高鳴った。
 舞奈がほんの少し腰をかがめて、薫の穿いているパンツに両手を伸ばした。そうして、ウエストのゴムに手をかけてそのまま引きおろす。濡れていない上の方はすぐにおりたけど、オシッコでびしょびしょになっている下の方は薫の肌に貼り付いていて、それを剥がすように引きおろすのに舞奈はちょっとばかり手間取った。とはいっても、もともとが舞奈にもサイズにゆとりのあるパンツだし、華奢な薫の下腹部から剥ぎ取るのなら、ストッキングを脱ぐ時みたいには面倒でもない。ただ、裾が薫の太腿を軽く締めつけるようにリボンみたいな紐で留まっていて、その辺りもかなり濡れていたせいでパンツは薫の肌を滑らかに滑らずに、気がついた時には裏返しになっていた。そのせいなのか、それとも、パンツやスキャンティに吸収されたオシッコが薫の体温で蒸れてきたせいか、それまではさして感じなかった尿臭が周囲の空気に混ざって漂い始めたようだった。
 それでも舞奈はそんな匂いなんてちっとも気にするふうもなく、今度は水玉模様のスキャンティに指をかけた。薫の肌に貼り付くスキャンティを、舞奈は上の方からくるくる丸めるようにしながら一気に引きおろした。意外に薄い薫のアンダーヘアが現れた。黒い陰のそこここに小さな雫が無数に絡みついて、蛍光灯の光を反射していた。
「あんよを上げてちょうだいね。――はい、おじょうずよ」
 こそこそと隠れるように縮こまっている薫のペニスを、まるでリスとかの小動物でも見るような目で見つめると、真琴が体を支えている薫の足首をそっとつかんで右足を上げさせた舞奈はパンツとスキャンティを一緒にくるぶしから爪先へさっと滑らせた。そのすぐ後で、今度は左足からも同じようにパンツを脱がせてしまう。
 そうして丸裸にされてしまった薫の下腹部に舞奈はもう一度タオルを押し当てて、アンダーヘアに絡み付くきらきら光る雫をそっと拭った。あまり濃くない濡れそぼったヘアが下腹部の肌に貼り付いて、小さくなった肉棒が情けなさそうに茂みの中に潜んでしまう。
「ふうん。薫ちゃんのアソコ、まだ帽子を被ったままなのね」
 アンダーヘアの周りからお尻の方へタオルを動かしながら、舞奈は薫の肉壁を覗きこんで言った。
「いやだ、恥ずかしい……」
 薫は慌てて下腹部を掌で隠そうとした。知らない間に着せられたベビードールのせいか、どことはなしに女性的な仕種だった。
「いいじゃないの。女の子どうし、恥ずかしがることなんてないでしょ?」
 舞奈は薫の両手をそっと払いのけた。
「女の子どうしって……僕は男です」
 薫は、舞奈が何を言おうとしているのかわからず、不安げな表情になった。
「何を言ってるの。薫ちゃんは女の子なのよ。それも、まだオモラシ癖の治らない小っちゃな女の子。――替えの下着も可愛いのにしてあげるわね」
 舞奈は股間から視線を外して、なにか含むような目で薫の顔を見上げた。そして真琴に
「着替えを持ってくるから薫ちゃんをお願いね」
と言うと、しなやかな足取りで寝室に向かった。

 薫の体が不意にピクンと震えたのは、舞奈の姿が寝室に消えたすぐ後だった。
「あう……」
 悲鳴のような、それでいてどこか切ない声を洩らした薫が自分の下腹部に目を向けると、そこには真琴の細い指があった。白い奇妙な生き物みたいな真琴の指が薫の股間を探っている。
「な、何を……」
 薫は慌てて振り返った。
 が、真琴の熱い息を耳の中に吹きかけられて言葉をなくしてしまう。
「じっとしているだけでいいのよ。みんな私にまかせていればいいんだから」
 真琴は薫の耳たぶに唇を寄せたまま囁いた。
「やだ」
 薫は体をくねらせた。
 だけど、真琴に支えてもらわなければすぐにでも倒れてしまいそうになる薫がその場から逃げ出すことはできない。
 真琴の指は薫のヘアをかきわけて、力なく股間に垂れ下がっているペニスに近づいた。
「や、やめてください……吉田先輩は佐野先輩の……」
 真琴の左手が薫の体を引き寄せた。右手の中指はとっくに柔らかい肉棒のすぐ側にあって、その周りをゆっくり蠢いている。
「そう、私は舞奈のパートナーよ」
 真琴は唇を薫の耳から首筋に移した。
「だからこそ、こうしてあなたを可愛がってあげるの」
「それ、どういう……はん……」
 真琴の中指が薫のペニスをはじいた。
 続いて、薬指が裏側に滑りこむ。
「ふーん、意外と敏感に反応するんだ。――可愛い顔をしてるくせに、独り遊びの経験はたっぷりってわけ?」
 薫の腰を支えていた真琴の左手が徐々に上の方へ移動してきた。その左手を脇の下に差し入れて薫の体重を支えるようにすると、掌はそのまま胸の方へ伸びていく。
 次第にむくむくと顔を持ち上げ始めたペニスを右手で包みこみ、真琴は左手で薫の小さな乳首を責めた。
「ああん……」
 薫は小さく唇を開いて肩を震わせた。
「へーえ、女の子みたいな声を出しちゃって。男の子も、おっぱいが感じるのね」
 真琴の唇が薫の耳たぶの後ろを滑った。
「ふぇ〜ん……」
 薫が泣きそうな声をあげた。
 真琴は薫の体のあちらこちらを指と唇、それに舌でじっくり責めながら、ゆっくり後ろへ倒れていった。僅かに曲げた膝の上に薫の体を座らせるようにして、そのまま片方の膝を廊下について二人分の体重を支え、次第次第に腰を落としていく真琴。
 やがて真琴は、薫の体を抱えたまま廊下にお尻をつく姿勢になった。それでもまだ、右手の指は薫のペニスを責め、左手は乳首を揉みしだいている。
「あ、ああん……」
 幾度となくマスターベーションには耽っているものの未だ女性経験のない薫の体を、真琴は舞奈の体を責めるテクニックでいたぶり続けた。
「や……」
 真琴に体重を預けるみたいにして、薫が体を反らせた。薫の背中に真琴の乳首がこりこり当たる。
「うふふ、大胆なポーズをする子ね。私のテクニックがそんなにいいのかな?」
 真琴は薫の耳たぶを覆うように唇をつけて言った。熱い吐息が耳の中に流れこんできて、薫の意識が溶けてしまいそうになる。
「ああん、先輩ぃ……」
 息も絶えだえになりながら、薫は喘ぎ声をあげた。
 それは、半ば無意識のまま舞奈に助けを求める声だった。――ああん、助けてよぉ。このままじゃ僕、ダメになっちゃうよぉ。
 誰に教わるわけでもなく、気がついてみれば自分自身を指で慰めていた最初のマスターベーション。それがとてもいけないことのように思えた薫は、周囲の友達のようにはあっけらかんとした大胆な会話にもとけこめず、自室のベッドでただおどおどと右手を動かすことしか知らなかった。それが、夜ごとに舞奈の体を責めて相手を身悶えさせる術を知り尽くしている真琴のテクニックに初めて触れた今、背筋を金棒で貫かれるような激しさと、体がぐにゃりと溶け出しそうになる甘さがない混ぜになった快楽の味を知ってしまったんだから、薫が知らず知らずのうちに真琴のとりこになってしまったとしても仕方ないところだ。でも薫は、少しでも気を抜けば自分を忘れてしまいそうになる意識の中で、真琴から与えられる快感を拒もうとしてあがいていた。だって、そうだよね? 薫にしてみれば、真琴は自分と舞奈との間をジャマしてる『恋敵』みたいなものなんだから。そんな、嫉妬の相手の手で気持ち良くなっちゃうなんて……。

「どうしたの?」
 呼ばれるのを待っていたように右手に紙袋を堤げた舞奈が寝室から戻ってきて、真琴に抱っこされるみたいにして体をのけぞらせている薫に面白そうに言った。
「あら、よかったわね。真琴に仲良く遊んでもらってるのね」
「ち、違い……」
 薫は息を荒げた。
「うん。薫ちゃん、とても喜んでくれてる。――なかなか感じやすい子だよね」
 でも、薫の言葉を遮って真琴が楽しそうに応えてしまう。
「よかったわ、真琴と薫ちゃんが仲良しになってくれて。これからずっと一緒に暮らすんだもの、ほんとによかったわ」
 舞奈の方も、薫が何か言おうとしてることなんててんで無視しちゃって、真琴の言葉に頷いてみせる。
「だから違う……あん、いやぁ……」
 薫が舞奈に助けを求めようとした瞬間、真琴の指が今度はお尻の方を責めた。ビクンと体をのけぞらせて、薫の言葉が途切れてしまう。
 そして、そのすぐ後。薫は肩を震わせて顔を歪めた。
「あらら、どうかしたのかしら?」
 薫の顔を真正面から覗きこんでいた舞奈が、表情の変化に気づいて言った。
「いやぁ……」
 けれど、薫ははっきり答えずにぷるぷると首を振ってみせるだけ。
「何よ? ちゃんと言ってごらんなさい」
 舞奈はぐいっと顔を寄せた。
「……」
 薫は怯えたように目をそむけて唇を噛んだ。
「――ああ、そういうことだったの」
 薫の表情を読み取ったみたいに、舞奈は納得顔で頷いた。
「どういうこと?」
 まだいやらしく指を動かしながら、真琴が舞奈に訊いた。
 薫が何かに耐えるように体を固くした。
「今の薫ちゃんね、寝室でみせたのと同じような顔つきになってるのよ」
 舞奈はクスクス笑って真琴に言った。
「寝室で?――じゃ、またオシッコ? でも、ついさっきオモラシをしちゃったばかり……」
 真琴は呆れたような声で訊き返した。
 それに応える代わりに、薫の頬にさっと朱が差した。
「そうね。薫ちゃんはさっき、廊下に座りこんでオモラシしちゃったわよね。でも、それでオシッコが全部出ちゃったわけじゃなかったのよ。だって、トイレでもない所でオシッコを洩らしちゃって、きちんと最後まで出すことなんてできないもの。或る程度は出したけど、途中で止めちゃった分がまだかなり残ってたんでしょうね」
 舞奈は少しだけ首をかしげて、薫の目を覗きこんだ。
 薫が慌てて目を伏せる。
「そうなの、薫ちゃん? 黙ってちゃわからないでしょ」
 真琴が薫の耳に息を吐きかけて念を押すように言った。
「……」
 だけど薫は体を硬直させて黙ってる。
「ふーん、思ったより強情なんだ。こんな可愛い顔してるくせに。――いいよ、話したくなきゃそのままで」
 真琴はすっと目を細めると、クスッと笑った。そして、まだ薫のアヌスの中にある指をゆっくり動かし始めた。同時に、左手が薫の乳首を包みこむように這いまわる。
 思わず薫はお尻を浮かした。でも、そのお尻はすぐに力なく真琴の膝の上に落ちてしまう。
「……や……」
 薫の喘ぎ声がうわずっている。
「いい声を出すのね――舞奈よりもいい声だわ」
 真琴は容赦なく責め続けた。
「……もうやめ……だめ、洩れちゃう……」
 薫は懇願するように声を振り絞った。
「うふふ、何が洩れちゃうのかな? その可愛い声でちゃんと言ってごらん」
 真琴は執拗だった。
 薫はぎゅっと瞼を閉じた。長い睫が小刻みに震えている。
「さ、言ってごらん」
 真琴の指が抉るように動いた。
「……だめぇ……そんなことしたら、オシッコが……トイレへ、トイレへ行かせて……」
 とうとう薫は体をぶるぶる震わせ始めた。
「そうよ、真琴。あまり苛めちゃだめよ」
 薫の顔をじっと見守っていた舞奈は、たしなめるみたいに真琴に言った。
 薫が、眩しそうに舞奈の顔を見上げた。
 舞奈は、優しい微笑みを返した。
「トイレへ……」
 薫は切羽詰まった声で舞奈に訴えた。
 なのに、舞奈から返ってきたのは薫が予想もしない言葉だった。
「あら、トイレはダメよ。さっきも、行けもしないトイレへ行こうとして失敗したんだから」
 舞奈は笑顔のまま、そんなふうに決めつけた。
「そんな……でも、今度はこんなに近くにトイレがあるんだから、もう失敗は……」
 薫は、すぐ目の前にあるトイレのドアに視線を向けた。その途端、こんなに近くまで来ていながら失敗してしまったんだという思いがこみ上げてきて顔が熱くなる。
「だーめ。一度しくじったんだから、もう信用できないわ」
 けれど舞奈は、薫の言葉を即座に撥ねつけた。
 その間も真琴の指が薫の下腹部をいやらしく蠢いて、耐えられないほどに尿意を刺激し続ける。
「あん、だめだったら……お願いだからトイレへ……」
 薫は体をひくつかせて懇願した。
「だから、トイレはダメよって何度も言ってるでしょ。その代わり、いい物を用意しておいてあげたわ」
 なおも薫の言葉を無視して舞奈は紙袋に両手を差し入れると、その中から何枚かの布地をつかみ上げた。そうして、その布地を薫の目の前にゆっくり広げ始める。
「それ……」
 舞奈が廊下に広げていく布地の正体に気づいた薫は思わず身を退いた。が、真琴の膝の上に座るような姿勢で抱きしめられている薫の体は僅かに動いただけだった。
「どう、可愛いい下着でしょ? これならもう失敗する心配もないのよ」
 舞奈はあやすように言いながら、両手を動かし続けた。
 舞奈が準備しているのは、確かに下着の一種かもしれない。でもそれは、大学生にもなった薫に似つかわしいものじゃなかった。だってそれは、自分じゃ排泄をコントロールすることができない小さな子供のお尻を包みこんでいるような水玉模様の布オムツだったんだから。それに、何枚もの布オムツの下に広げられているのは、淡いピンクの生地の裏側に白いビニールの裏地が縫い合わせてある大きなオムツカバーだった。
「さ、できた。じゃ薫ちゃん、オムツの上にお尻をのせてちょうだいね」
 すっかりオムツの準備を整えた舞奈は、平然とした声で言った。いかにも、薫がオムツをあてるのは不思議でもなんでもないっていう感じの口調だ。
「そんな……どうして僕がオムツなんて……」
 真琴の手から逃げようとして体をくねらせながら、薫が声を震わせた。言ってから、自分の口から洩れ出た『オムツ』という言葉に耳が赤くなる。
「どうしてって――そんなことがわからないの? 薫ちゃんは、せっかく着せてあげたベビードールをオモラシで濡らしちゃったのよ。それに、私が貸してあげたスキャンティもね。わかった? 薫ちゃんはいつまでもオモラシの治らない小っちゃな女の子、私の可愛いい妹……ううん、私の娘なのよ。だからオムツをあててあげるの」
 舞奈は、噛んでふくめるように言った。それが冗談なんかじゃないことは舞奈の目つきではっきりわかる。
「さ、いらっしゃい」
 廊下に広げたオムツをぽんぽんと軽く叩いて舞奈が薫に手招きをした。
「……」
 けれど薫は、力なく首を振るばかり。
「やれやれ、困った子ね。そのままじゃ、また失敗しちゃうのに」
 舞奈は、聞き分けのない幼児の相手をしているみたいに肩をすくめてみせた。
「……もう失敗しないから……今度こそちゃんとできるから……僕は赤ちゃんじゃないんだから……」
 薫は弱々しく囁いた。
「そう。どうしても、自分が子供じゃないって言うのね。いいわ、試してあげる。本当に薫ちゃんが大人なのかどうかを」
 舞奈はおどけた様子で軽くウインクしてみせた。だけどその目は、奇妙な光でらんらんと輝いていた。
 薫の胸を不安が充たした。
 舞奈はもういちど紙袋に手を入れると、真琴に向かってにっと笑ってみせてから、黒光りする妙な形のベルトをつかみ上げた。それは、舞奈と真琴が愛し合う時に決まって使っている硬質ゴム製のペニスバンドだった。
「いいわよ、真琴。その子を放して、これを着けてちょうだい」
 紙袋から取り出したペニスバンドを真琴の手に放り投げて舞奈が言った。
 真琴は舞奈の言葉に軽く頷いてみせると、薫の体から手を離した。
「ねえ、薫ちゃん……」
 舞奈は、これまで薫が聞いたことのないようなねっとりした声を出した。
「……あなたは本当に可愛いいわ。そのベビードールもお似合いだし、オモラシで汚しちゃったけど、水玉模様のスキャンティもとてもよく似合ってた。うふふ、薫ちゃんが男の子だって言っても誰も信じないかもしれないわね」
 裸のお尻に感じる廊下の冷たさのせいだけじゃなく、薫は背筋をぞくりとした感触が貫くのを感じた。
「そして、真琴は……」
 舞奈は、なおも絡みつくような声で続けた。
「……薫ちゃんにも教えてあげたけど、真琴は私の恋人。それも、とっても男らしくて素敵な恋人よ。ペニスバンドの使い方もほんとに上手だしね」
 真琴が腰にペニスバンドを巻く様子を見つめる薫の体がいつのまにか震え出していた。
「薫ちゃんが自分のことを大人だって言うのなら……」
 舞奈の赤い唇がゆっくり動く。
「……大人としての愛し合い方ができることを私に見せてほしいの。難しいことじゃないわ。ただ、ちゃんとセックスができるんだってところを見せてくれるだけでいいんだから。もちろん、薫ちゃんが女の子で、真琴が男の子としてね。簡単なことでしょ?」
 上半身だけを起こしている薫の目の前で、すっくと立ち上がった真琴の股間に屹立する人工のペニスが揺れた。薫は慌てて目を逸らしたが、黒光りする巨大なペニスはくっきりと網膜に焼き付いていた。
「準備はもういいよね? 今まであんなに可愛がってあげたんだもの、いつでもこれを受け入れられるよね」
 真琴が薫の肩に手をかけて、誇らしげに股間を見せつけた。
「あ……あ……」
 薫の唇からは、悲鳴にもならない弱々しい呻き声して聞こえない。
「じゃ、始めましょうか。そのまま廊下に俯せになるのよ。――最初は痛いかもしれないけど、すぐに気持ち良くなるからね」
 真琴は見事に男性を演じていた。それも、初めての経験に怯える少女を優しく導く手慣れた男性を。
「許して……僕は……」
 手足が自由にならず、抵抗することはおろか逃げ出すこともできない薫は、恐怖に顔を歪めた。ううん。それは、恐怖だけなんかじゃないかもしれない。たしかに、その太いゴムのペニスで貫かれたりすれば、ひどい苦痛だろう。けれど、その苦痛が(真琴の言うように)甘美な快楽に変わるかもしれないことを、真琴の指でアヌスを責められた時の感触から薫は薄々と予感してした。そして実際にそうなったら――女の子みたいな格好をさせられた上に、それこそ女の子みたいに犯されて(しかも、その肉棒の持ち主が本当の女性なんだ)、そうして快感に身悶えしてしまったりしたら――そう思いついた時の屈辱感が薫の顔を歪めているのかもしれない。
「あら、どうしたの? せっかくの可愛いい顔が台無しよ」
 舞奈が薫の頬に手を当てた。
「もう許して……先輩、お願いだから……」
 薫は、いつ泣き出してもおかしくないような声を出した。
「許すもなにも、私はただ、あなたが自分のことを子供じゃないって言い張るから、それを確かめてるだけよ。べつに、苛めてるわけじゃないんだからね」
 舞奈は薄く笑って、突き放すように言った。
「……」
「それとも、さっき言ったことを取り消すの?」
「……」
「黙ってるだけじゃわからないわね。――いいわ、真琴。そろそろ始めてちょうだい」
 舞奈は薫の頬からすっと手を離して真琴に言った。
「やめて……もう、やめて……」
 恐怖と屈辱に我を忘れたように、薫はとうとう涙をこぼした。いい歳をした男性が二人の女性に責められて泣き出すなんて――普段の薫なら、そんなことがあるなんて想像することもなかったかもしれない。けれど今、薫の頬を伝う小さな雫は、まぎれもなく涙の粒だった。
「やっとわかったみたいね。ちゃんとした男の子が人前で泣いちゃうなんて、ちょっ
とおかしいと思わない? だから何度も教えてあげたのよ――薫ちゃんは小っちゃな
女の子なんだって」
 勝ち誇ったような舞奈の声が薫の胸に突き刺さる。
「……」
 涙の粒がまた一つ、薫の頬を濡らした。
「わかった、やめてあげる。だから薫ちゃんも認めるのよ――自分が一人じゃ何もできない小さな子供だって」
 舞奈は薫の耳に唇を寄せて甘く囁いた。
「……」
 薫にできるのは、無言で頷くことだけだった。
「オムツを嫌がらない可愛いい赤ちゃんになるわね?」
 念を押すみたいに、舞奈はもういちど囁いた。
「……」
 薫は再び、弱々しく頷いた。



 真琴の膝の上に頭を載せて廊下に横たわった薫の両足を、舞奈が足首をつかんで高く持ち上げた。ベビードールの裾がはらりとお腹の上に捲れ上がって、それまで廊下についていたお尻が僅かに浮いた。
 そのお尻の下に、柔らかい布が敷きこまれる感触が伝わってくる。
「あん……」
 物心ついてから初めて感じる布オムツの予想以上に柔らかい感触に、薫の胸がどきんと高鳴った。想像もできないような羞恥が胸一杯に充ちてくる。
 真琴の手に責められて一時は大きくなり始めていた薫のペニスも、屈辱と羞恥のせいで再び縮こまってしまい、薄いアンダーヘアの中に隠れてしまっている。
「すぐにすむから、少しだけおとなしくしててね。薫ちゃんはいい子だもの、ママの言うこと素直にきけるよね?」
 四枚重ねて広げた股当てのオムツをお尻の方からペニスの上へ、それからおヘソのすぐ下へまわしながら、舞奈があやすように言った。
「ママ……?」
 真琴の膝に頭を載せているために目を開けばいやでも自分の惨めな下腹部が見えてしまうためぎゅっと瞼を閉じて、薫が不安そうな面持ちで訊き返した。
「そうよ。可愛いいベビーの薫ちゃんの、私が優しいママ。そうして、真琴が素敵なパパよ」
 舞奈はにこにこ笑いながら、横当てのオムツの端を持ち上げた。
「これまで独り暮らしで寂しかったでしょ? でも、もういいのよ。薫ちゃんには今日から新しいパパとママが一緒だから」
「……」
 布オムツに続いて今度はオムツカバーのマジックテープが留められる感触が(目を閉じているために却って鮮やかに)下腹部から伝わってきた。それから、腰紐がきゅっと結ばれる感覚。自由に動かせない自分の手でその紐をほどくことができないことは薫にもわかった。
「さ、できた。これで、いつオモラシしちゃってもいいのよ。濡れたオムツはママがすぐに取り替えてあげるから心配しなくていいからね」
 舞奈は、布オムツと大きなオムツカバーでもこもこに膨れた薫のお尻を優しく叩いた。
「じゃ、寝室へ戻ろうか。もう、トイレの近くにいる必要もないんだし」
 真琴が薫の体を抱き上げるようにして立たせた。
「そうね、そろそろ夕飯にしなきゃいけないし。真琴パパが買ってきてくれたベビーフード、薫ちゃんが気に入ってくれるといいんだけど」
 薫が着ているベビードールの裾がふわっとおりてきてピンクのオムツカバーを半分だけ隠してしまう様子を目を細めて眺めていた舞奈が、真琴に寄り添うようにして言った。
「気に入ってもらえるに決まってるよ。私の膝に抱っこしてもらって舞奈に食べさせてもらうんだもの、薫ちゃんが嫌がる筈なんてないさ」
 いつのまにか前にまわって薫の両手を引いて歩き始めた真琴が応えた。
「うふふ、そうよね。じゃ、上手に食べられたら、ご褒美にママのおっぱいをあげることにしましょうか。だから、ちゃんと食べようね」
 仲のいい新婚夫婦のように真琴にぴったり体を寄せた舞奈が言った。

 頼りない足取りで寝室へ向かう薫の後ろで、ベランダから差し込む夕日の赤い光を受けたドアのノブがほのかに輝いていた。
 もう二度と薫が使うことのないトイレのドアだった。


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