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再び電話について


 子供の頃,テレビでアメリカ映画などを見ていると,電話が掛かって来る場面がよくあった。電話のベルは日本のようにせっかちに鳴るのではなく,一度リリリンとなると,かなり間を置いてから再びリリリンと鳴るのが印象的であった。そこで気付いたことがある。どこの家にも電話があることは,登場するのが大抵は中流家庭だから良いとして,電話が居間なり寝室なりに置いてあることであった。場合によっては,泡だらけの浴槽に浸かりながら電話をしている場面すらあったのである。これは当時の日本人にとっては,やや意外なことだったのではなかろうか。
 テレビアニメのサザエさんを見ていると,磯野家の電話は玄関を入ってすぐ,子供部屋の前の廊下に置かれていることが分かる。これが古い日本の家の習慣であろうか。実は筆者が今住んで居る家は,築後20年以上の代物で,電話のソケットが玄関の下駄箱の上にあるだけである。したがって,ネットをやる時には,一々玄関までパソコンとモデムを抱えて行くことになる。
 どうして日本では玄関に電話を置く,いや,置いたのであろうか。思うに,電話が掛かって来るということは,自分の家の中に他所の人が突然尋ねて来るに等しいことなのである。したがって,その尋ねて来る場所が居間や寝室であって良い筈はない。訪問者を迎える場所,それは玄関が最も相応しいのである。
 今では電話のことを文明の利器等と言う人はいないであろうが,かつては電話というのは特別なものだったのである。ところが,今日では我々の日常生活の中で何のためらいもなく使用する道具となっている。したがって,電話を置く場所も玄関から居間や寝室へと移動してきたのである。勿論,住宅事情の悪化によって,玄関や廊下を備えている家が減ってきたことも理由の一つに挙げられよう。しかし,最近は大きな屋敷でも電話を玄関に置かない傾向にあるのである。ん?○○邸の電話は玄関にあったなぁ。あそこは古い人ばかりだから・・・。
 ところで,携帯電話なるものが普及してから,本邦の電話事情は一変した。それまでは,一家に一台であった電話が一人に一台となり,更にどこに居ても電話が手許にあるようになっっている。外出しているスタッフが常に無線機を持ち歩いているなんていうのは,一昔前なら余程特殊な商売であったのであろうが,今では当たり前のことになってしまったのである。
 更には,携帯メールの普及によって,携帯電話はかつてのポケットベルの機能をも備えるようになった。その一方で,最近では画像の添付も当たり前になってきたが,これも暫く前では考えられないことである。かつて,写真電送は政府機関と新聞社にしか利用が許されない,特殊な技術であった。それが,ポケットに入っている無線機で,カラー写真を即座に世界中のどこにでも送信出来るのである。長生きはしてみるものである。


35年前のド田舎の電話


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